*星空文庫

成り上がり営業編

播磨王66 作

  1. 第1話:優良企業の研修
  2. 第2話:地元の営業所へ赴任
  3. 第3話:新人時代、個性的な先生達1
  4. 第4話:新人時代、個性的な先生達2
  5. 第5話:厚木、相模原地区を担当
  6. 第6話:馬が合う先生の壮絶死
  7. 第7話:リハビリ病院の仲間達
  8. 第8話:新潟転勤と家捜し
  9. 第9話:新潟営業所での歓迎会
  10.  第10話:東京時代の仲良し先生と再会
  11. 第11話:東京の赴任・若手Drとの思い出
  12. 第12話:雪女が山から下りてきた
  13. 第13話:雪女、交通事故にあう
  14. 第14話:雪道ですべってと、スキー大会
  15. 第15話:お花見温泉と新潟の四季
  16. 第16話:長岡での大送別会
  17. 第17話:長岡でのアバンチュール

町工場の工場長のお陰で、優良製薬企業に就職し、地元営業所で活動、その後、大型病院、大学病院での経験、親しい先生との死別。やがて、伴侶との出会い結婚。その後、初めての雪国への転勤、そこで巻き起こる、奇想天外なエピソードを通じて、営業マンとして力話つけていく物語である。(カクヨム、小説家になろう、にも、載せています。)

第1話:優良企業の研修

 実家に帰って大きなボストンバックに着替えを入れて本社へ向かった。
本社の会議室で人事課の人から研修の時の先生役の人を紹介してくれ
採用され研修に参加する六人が順番に自己紹介をした。
 全員が転職組だったが北島だけが高専卒であり他は大卒で年齢も近い。
 翌日から移動し三ヶ月の研修開始となる。採用された人は必要書類を
完成させ提出して下さいと言われ、手続きを終えて近くのホテルで
最初の同期会をして盛り上がった。
翌朝ホテルから研修場まで車で三時間程で着いた。

 田舎の中の大きな一軒家が研修所だ。管理人のおじちゃんと、
まかないのおばちゃん三人が交代で食事をつくってくれ費用は全て無料
であり何だか信じられない程の好待遇だった。
 更に研修中も給料は毎月、銀行口座に振り込まれる様で、
その給料も以前の会社の五割増しと夢の様だった。

 研修の先生は各営業所の課長以上の人から選ばれている様で
今回は福岡の木下課長が担当者。彼はマラソンが得意で熱意、
情熱を大事にする熱血先生だった。
 そして彼が毎日の運動を二キロの長距離走と決めたのだ。
 翌朝七時起床、会社の社是を全員が大声で読んで、
続いて座禅を三十分して八時から食事、九時から勉強開始、
12~1時が昼食と昼休み。1~四4時まで勉強。4時半から
運動の時間。長距離2km、同時スタートの競争をした。
5~6時までお風呂と自由時間。6時から食事で7~9時半まで、
また勉強。その後、座禅と今日の反省会で終了。
 11時には消灯。風呂と便所掃除は研修生全員の輪番制だった。
 筆記用具とか備品で必要なものは、まかないのおばちゃんに
頼むと買って来てくれる様になっていた。
 もちろん研修所では禁酒禁煙。毎週テストがあり成績が全員の前で
発表される。みんなが苦手だったのは座禅の時間。
三十分というのは初めての人にとっては地獄の苦しみだった。
最初は十五分して少し休めたが一週間後からは休みはなくなり
座禅の終了後は、足がしびれて十分程、立てなかった。

そして便所掃除と風呂掃除が不完全だと管理人のおじちゃんに
怒られる。あまりひどい場合は正座十分が課せられた。
 研修所は逃げられない様に人里離れた山の中腹にあり最寄りの
商店街まで徒歩で1時間位もかかる、

 海と山に囲まれた場所にあった。噂によると今までの研修で
数人の新人が研修所から逃げ出し事があるらしい。
 しかし、いずれも町中にたどり着く前に身柄を確保された様だ。
 逃げた研修生で現在も在籍してる人もいる様だった。月に一回程度
、部長以上の上司が訪ねてきて途中経過の報告と研修生と会議をした。
 最初に訪れた上司は人事部長。彼は、この研修の意義について、
やる気と根性と必要な知識を徹底的に教え込むのが目的だと力説していた。
 営業は最終的には集中力と根気と根性が重要だと檄を飛ばしていた。

 1ケ月が過ぎて定期テストが行われた。その結果は惨憺たる成績で、
この3年で最低だった。そこで勉強時間を一時間追加するスケジュールに変更となった。
 翌日から睡眠時間が一時間減らされたため朝寝坊する者が出てきた。
 研修の先生に、たたき起こされるのは朝弱い二人だった。
 二ケ月目のテストで研修生の加藤君がカンニングしたという疑いをかけられた。
 北島も実際に、その現場を見たので直接、彼にカンニングを辞める様に忠告した。
彼が言うには理系の人は化学的な話も理解できるだろうが文系の
人間には難しいんだと言い始めた。それを聞いた文系の玉井君が、
そんなの関係ない、やる気の問題だと一蹴されたのだ。
 彼は孤立して研修についていけず退社していった。

 しかしトラブルを起こしても仲良くなるケースもあった。 
 北島は頑固で負けず嫌いの性格で仲間の輪からは外れるケースがあった。
 北野君も変わり者で仲間外れ。北野君は長距離走が得意で毎回一番だった。
 北島は、それが癪の種で一度は負かしてみようと頑張っていた。
 ある日、その北野君が、長距離走でどんどんスピードが落ちてきて北島が
遂に北野君を追い抜いた。北島が喜んでると北野君が調子が悪いだけだと
言うので負け惜しみを言うなと口論となった。
 翌日、北野君は風邪をひいて三十八度の熱を出し寝込んでしまった。
 さすがに北島もバツが悪くなり北野君の枕もとで昨日は、ちょっと
言い過ぎて、ごめんと謝ると、北野君がは気にするなと言ってくれた。
 その後四十度になったら救急車を呼ぼうとなったが一週間程度で
回復した。

 翌日から長距離走では北島は毎回二番目で定期テストは中程度。
 テストが一番良かったのは玉井君で何といっても記憶力が抜群。
 どんなものでも二回見れば、ほとんど全て覚えられるという
驚異の記憶力の持ち主だった。

 研修中に一回、診療所で検診をうけるのが当社では習わしで、
その際に北野君が腎臓に異常があるという結果が出た。
 もう少し検査値が上がれば腎炎の疑いがあるとの診断。
 そこで翌日から薬を服用する様に医師から指示された。

 研修も二ヶ月半を過ぎてきた頃、あまり成績の良くない山根君
が講師の先生に呼ばれて、このまま成績が悪いと営業活動ができない
と講師から怒られていた。いよいよ最終週の試験となり最終回は
今迄の全範囲から出題され50点以下は再研修となり落第。

 記憶力の良い玉井君は83点、北野君は63点、北島は67点、
木下君は68点で何とか合格で研修を終了した。
問題の山根君は42点で不合格となった。そして研修の最後の日
、総務部長が来られて訓示を述べていた。
 研修を終えても、まだ医学、薬学の勉強は道半ばであり今後、
配属された営業所でも、しっかりと勉強に励むようにと言われた。

 山根君は、その後、総務部長と30分以上面接をしていたが
意外にさっぱりとした顔で会社を辞めると言い出した。
 同期の仲間で引き留め様としたが会社に迷惑かけたくないと
理由で退社した。全員で研修を終えたかったがカンニング事件
の加藤くんと合格点に満たなかった山根君が脱落していった。
 最後は玉井君、北野君、木下君と、北島の4人が
営業マンとして配属される事となった。

第2話:地元の営業所へ赴任

 出社初日、横浜営業所に着き配属の挨拶をした。
 横浜営業所は大野所長と桜井課長と小川係長と木島先輩が
おられ営業マンは新人の北島を入れて5人体制。
 北島の担当は横浜中心部、小型病院と開業医の合計20件だった。

 そして小川係長に呼ばれて当営業所では週三回(月、水、金)
の早朝勉強会を木島先輩と北島で行う様にと指示された。
 時間は朝八時から九時半迄の九十分。早速、明後日から開始となった。
あらかじめ勉強する資料とスケジュール担当者の振り分けを決めた。
カリキュラムを小川係長が決め勉強会の進行を木島先輩と北島で交互に
やる事になった。

 横浜営業所は売上伸び率で、常に全国ベスト五に入る営業所であり、
特に小川係長は、その指導の厳しさで有名。自宅から営業所まで
電車とバスで6~70分位で6時半過ぎに家を出ないと間に合わない。
 水曜日に六時半に家を出て8時前に営業所に着きコーヒーメーカー
をセットして先輩方を待っていた。
 8時には、先輩方も出社してきて勉強会を始めた。
 北島が担当のページを読み終えて最初の勉強会は終了した。
 突然、その時、当社製品に使えるPRポイントは何か、また、
どの製品に活用できる情報なのかと小川係長が北島に質問してきた。
 不意をつかれて、あわてて、この文献が会社の製品のPRに
活用できると曖昧に言うと北島君、事前に勉強してこなかった
のかと怒られた。この業界は競争が激しくて当社製品の優位性
を短時間に要領良く説明できなれば競争には勝てないんだぞ
と活を入れられた。
 目を白黒してわかりました次回から事前に、もっと勉強して
まとめてきますと謝った。

 実際に病院で活動してわかった事だが、この業界は弱肉強食
であり当社の様な中堅企業は大手企業を食っていかねば、やって
いけない。この事を肝に銘じて活動する様にとハッパをかけられたのだ。
 勉強会は、これとは別に営業所で土曜日一回が義務づけられていた。
更に小川係長がもう一回、土曜に営業所独自の勉強会を
企画していた。なんて厳しい営業所に来てしまったん
だろうと内心ついてないなと思う北島だった。

 毎日、朝早くから、夜は七時半に帰社し、その日の営業日報
を書いて上司との面接して家に着くのは夜10時過ぎの日が多い。
確かに労働時間が増えて、大変な毎日だった。また今年は
当社主力製品の強力なライバル品が大手製薬企業から発売されて
当社主力製品の売り上げの減少が危惧されていた。
 しかし横浜営業所では他営業所が大きな影響を受けてる
にもかかわらず、発売当初こそ売上が下がったが月ごとに
挽回してきて最終的には対前年プラスで終了した。

これに社長が驚いて全国で唯一、主力製品の売上プラス特別賞
として横浜営業所の全員、女子社員2名を含めて7名を4泊6日
のハワイ旅行に会社費用で招待してくれたのだ。
 もちろん当社、初のことだったが新人の北島は特に感激した。
 そしてホノルルで、夜、営業所全員で祝賀会を所長の
ポケットマネーで開いてもらった時は、まさに至福の時だった。
 来年も仕事に頑張るぞと所員、全員が誓いあった。
 ちなみに、その時、聞いた話によると、この年の臨時ボーナス
は営業所長が350万円、課長が250万円、係長が200万円
と破格の報酬だった様だ。
 ちなみに他の営業所長で200万越えたのは2人程度だったそうだ。
 臨時ボーナスとは、標利益を超えた年、その利益を社員に還元する
という会社の方針で、利益を越えた分を9月末に、超過金額の総額の
20%を全営業所一律に支給し、残りの80%を利益増加量と
増加率を加味して営業所別に配分金額を算出して支給する。
 そのため素晴らしい数字をたたき出した営業所には多くの
臨時ボーナスが出るという仕組みになっている。

 更に横浜営業所の売上高、伸び率全国一、ダブル受賞と絶好調で、
この年の横浜営業所の所員の年収は、とんでもない数字になった。
 そう言う意味で新人の北島は宝くじにでも当たった様な
ラッキーな臨時ボーナスをもらった。
 具体的には一年足らずで臨時ボーナス100万円と
報奨金50万円、合計150万円を9月末に手にしたのだ。
 まさに、これは北島にとって学校を卒業して数年間の
苦労が報われた瞬間だった。

第3話:新人時代、個性的な先生達1

 次に印象に残った三人の先生の思い出を書く事にしたい。
 まずは石川病院の吉田院長。彼は十年以上の船医の経験があり、
当直の日に、訪問すると、いろんなエピソードを話してくれた。
 東南アジアのある航海の時に海賊風の反政府勢力の小船に
追いかけられて、ついに、海賊が船に上がってきた。
 ピストルを持っていたので、あわてたそうだ。

 海賊の首領と思われる男が英語で、きれいな女はいないかと
迫ってきた。しかし、この船には女はいないと言うと、
次に酒はないかと言われ洋酒を数本、渡した。
金、銀、宝石も要求してきたが、手にもってる紙幣と腕時計を
渡した。海賊は、なんだ、これっぽちしかないのかと怒っていた。

 最後に、お前は何をやっているのかと聞かれ医者だと言う
と意外にも血止めと下痢止め解熱薬、頭痛薬を要求され渡した。
 そして商売がら使用量と使用上の注意などを丁寧に教えた。
 すると熱心に説明するので感心したのか海賊の首領の男が
ありがとう助かるよ、と返答してきというのだ。
 これには驚いたと話していた。その後この船が大型タンカー
という事もあり直ぐ降りて行った。
 実際には料理・洗濯・炊事をする為に、二人の中年のおばさん
がいたのだが倉庫に閉じ込め、見られない様にしていたため
助かった。その他、台風に遭遇して九死に一生を得た話なども
聞かせてくれた。
 先生の宿直の日は、そんな話を楽しみに訪問するのだった。

数日後、吉田先生の外来後、面会しようと外来で待っていた。
 この当時は生活保護の患者さんや日雇い人夫の患者も多く
外来待合室中、臭い体臭が充満して臭かった。
 少し待っていると温厚な吉田先生が診察室で大声でどなっている
声が聞こえた。耳を澄まして聴いていると患者が足が痛いから
内服鎮痛剤と軟膏とシップを一ケ月分くれと言っていた。
 それに対して先生は、そんなに多くの薬をうするんだと詰問した。
 患者が使うですよと返答すると嘘つけ生活保護で医療費無料なの
を良い事に処方した薬を帰りの橋の先で業者に売るんだろうと言った。
 患者が、そんな事しねーよと返答していた。吉田先生が駄目だ
前回処方した薬があるはずだから今日は出さないと強く言った。
 患者が、ちぇ今夜の酒代にしようとも思ったのに今日は、
ついてねーぜと言った。馬鹿もん、お前の様な奴がいるから世の中
が悪くなっていくんだと大声で患者にどなった。
 外来を終えて面会すると吉田先生は疲れた様だったので先生大変ですね。
 また宜しくというだけで短時間で失礼した。

 帰り際、橋の向こうで業者が薬を買い取ると言っていたので
長い時間、北島は離れた所から見ていた。
 すると生活保護の患者と見ると急に見えにくい所から男が姿をあらわし
薬の袋を見て電卓片手に買い取ってるではないか。これは完全に法律違反だ。
しかし、こういう事が闇で行われているのをみて愕然とする北島だった。

 次に三上診療所の田臥所長を思い出す。彼は元日本海軍のエリート将校。
まず、おしゃれであり糊のきいた真っ白なYシャツと、素敵な柄のネクタイ、
きちんと折り目のついたズボンと、格好良いサスペンダーと高そうな
メガネという、いでたち。物腰の柔らかい話し方で、じっくり相手の話
を聞いてから、答える姿は、男から見ても格好良かった。
 北島が訪問して薬の説明をすると当院に向いてる医薬品を手短に
説明しろと説明時間を十分以内と言ってくる。
 まさに合理的。田臥先生を接待する機会があり、その際に面白い話を
伺う事ができた。先生は今は労働安全、安全第一となっているが昔は
製造している船が第一であり人命は、その次だったと言った。

 その当時でも仕事前に朝礼と点呼を毎日していた。そして帰る時も点呼を
するのが決まりだった。たまに作業終了時の点呼で数人足りない日があった。
 作業の遅れには厳しい会社だったが点呼で人数が足りない時には、
 ある程度作業場を探すのだが見つからなくても三十分位で切り上げて帰った。
 そして数日後、重機の下敷きになってたり、ドックの水槽に沈んでいる
遺体が発見される時があった。その検死は意外に簡単で書類一枚書いて終わり。
作業員の多くは田舎からの若手の独身男性や出稼ぎ労働者が多かった様で、
いなくなっても現在の様に捜索願とか大事にはならなかった。

 その晩はアルテリーベという横浜でも老舗の洋食屋での接待の時、
そんな生々しい話で盛り上がっていた。アルコールも入り田臥先生が北島に
重機の下敷きの死体とか大型船に挟まれた死体の様子などを細かく教えてくれた。

 看護婦さんたちは特に気にせず血のにじんだミディアムレアのステーキを
おいしそうに食べていた。田臥先生が男の溺死と女の溺死は、どう違う
と思うかと北島に聞いてきたので、もちろん見たこともないので
、わからないと答えると男性は顔を下に女性は顔を上にしている場合
が多いと教えてくれた。
 昔は人命は軽視されていたね。とにかく期日までに大型船を完成し
進水する事が第一だった。今は労働衛生管理、安全第一と非常に
良い時代だと感慨深めに話していた。

そして北島が田臥先生の海軍での話を聞くと参謀本部にいたと
言い、あの時代は、おかしな時代だったというだけで、
その話は、したくなさそうなので触れない事にした。

 接待を終えて田臥先生を、お送りするタクシーの中で先生が田臥先生は
北島みたいな素直な若者は好きだ、だから言うのだが、身だしなみには
気をつけろ、営業は相手と駆け引きなんだ、そこで見くびるれる様な、
だらしない恰好はするな。もし見くびられたらそれで北島君の負けだ。
 次に確実にわかる事以外は、常にわかりませんと言えと教えてくれた。
 知ったかぶり程、みっともない事はないから絶対にするなと言った。
 最後に新人であろうがベテランであろうが競争相手に絶対負けない
気持ちでぶつかれ弱気になった時は、負けが決まってると言ってくれた。
 多分、長年の人生経験で身につけた話なのか本当に説得力があり
終生このアドバイスは忘れないであろう。 

第4話:新人時代、個性的な先生達2

 その他に、印象に残っている先生は、KSZ病院の木内先生でした。
 耳鼻科の先生で無愛想でしたが、的確な診断で、患者さんから、
絶大の支持を受けていました。この先生は手短に端的に話さない人は大嫌いで、
そう言う営業マンの事を、時間泥棒と言い。もういい、出て行けというのだった。
仲間内では、有名な、やっかない先生だった。
 しかし何故か、私とうまがあい、雑談をしてくれた。ある日、診察後外来で、
面会すると、私が、我が社の薬の良い点を文献を使い、端的に説明した。
 木内先生は、わかった、文献は,気が向いたら読むかもしれないから、
そこに置いておけと言った。その日はいつになく、上機嫌で、コーヒーと
そのお菓子を食べていけというのだった。
  患者さんからの差入らしかった。お言葉に甘えて、旨い珈琲と,お菓子を、
ゆっくりといただいた。その時である、カーテン越しに、先生が、裸で、
タオルを腰に巻いて、私の前に、突然、現れた。
 びっくりして、先生どうしたんですか、とたずねると、風呂に入っていた
と言うではないか、きょとんとしていると、患者を診た後に、
必ず,風呂に入る事にしていると言った。
 その風呂は、洋画に出てくる、陶器の足つきの白い、バスだった。
 外来を終えた後、菌や、ウイルスを洗い流すために、風呂に入ったのが習慣化して、
毎日、外来の隅の小部屋をバスルームにして入浴する様になったそうである。
 
 最後にもう一人、印象に残っている先生は、YM病院の山田先生。
 整形外科の先生でミスター・サージャリーと呼ばれる位の脊椎手術の名手。
 腰が痛くて車いす生活をしていた患者さんを手術して1週間後には自分の足で
歩ける様にしたりと患者さんに絶大の信頼を得ている名物先生だった。
 先生は、医療に携わる者は勉強しなければならないと、看護婦さん向けの参考書を、
私に与えてくれて勉強する様にと指示した。
 そんな時、あろう事か、看護婦さんと同じ試験を同じ会場で受ける様にと
言ってきた。最初、私は戸惑い、先生に本気ですかと聞くと、私はいつも本気です
との返答。仕方なく受験する事になった。
 緊張しながら試験会場に入ると看護婦さん達が,一斉に私の顔を見た。
 恥ずかしいので下を向きながら、指定の席に座り試験を受けた。
 翌週、先生に会った時、看護婦さん達の平均点と私の点数を見せてくれた。
 最下位ではなかったが、下の方だった。まー、よくできた方だねと、
先生が笑いながら、私に言ったのである。なぜ私に、試験を受けさせたのですかと、
先生に聞くと君たち薬屋さんの知識は、こんなもんでは、まだまだ足りないという
事を理解してもらいたかったから、看護婦の試験を受けさせたとの事だった。
 看護婦さんは、実際に患者さんに、接する機会が多く、必要な知識は多い。
 それに比べ、君たちは先生方に、勝手な理屈を並べて製品の宣伝をしてくるが
宣伝するなら、もっと知識を持たなければ駄目だと思っていたと言った。
 そのため、君が,実験台になったという事なんだよと言っていた。
 確かに,先生の言うことは、理屈が、通っており、反論できないと思う北島だった。

 試験の終わったあと、北島は、左肘が動かなくなって山田先生に診察してもらった所、
関節ネズミと診断された。柔道で、左肘を脱臼したときに、軟骨がはがれて、
塊となったものが、肘関節に挟まって、動かなくなった様だ。
 早速入院手術となり、手術三日目から君は若いから早期にリハビリを
開始しようと言う事で肘を動かしはじめた。その時、急に激痛が走り肘の
手術部位が腫れ上がった。山田先生がリハビリは、まだ早かったのかなと
言って、注射器で、肘の中の血の混じった水腫を抜いてくれた。
 今後は、七日間肘を動かさずにいてと言われた。そのため入院日数が当初の
予定の7日から、14日と長くなった。その時、北島の母が山田先生と
会った。山田先生が、彼は、看護婦さんと同じ試験を受けた話や、
その時に彼の姿を見た看護婦が二~三人が彼、素敵と言っていた話などをした。
 よかったら、つき合ってみたら良いのではとまで言ってくれた。
病室で、北島が、その話を聞いていて、営業マンは、転勤があるので、
看護婦さんに迷惑掛けられないから、結構ですといってしまった。
 母は、そんなこと言うもんだじゃない、看護婦さんなんて、なかなか、
つき合ってくれるもんじゃない、話にのってみたらと北島に言うのだった。
 ただ、一度、口に出したことを撤回するのは、嫌な、北島は、ハイとは
言えなかったのだ。翌日、山田先生が、彼女たちの写真を持って、病室に来た。
 母は、それを見て、きれいな人じゃないか、看護婦さんだから頭も良いし、
一度、つき合ったらと言いだしたのだ。山田先生も、一度会ってみたらどうだ
というので、退院の日、近くの喫茶店で会う事にした。
 退院の当日、昼時に、三人の看護婦と会った。北島、柔道やってたのね、
文武両道というわけですねと、笑っていた。
 営業の人が、看護婦の試験を受けのは、勇気のいることですよね、でも、
よく頑張って勉強しましたね。きれいな人が多く、緊張し、
あまり話せない北島だった。その後、仕事に戻り時間に追われる毎日で、
この看護婦さん達とは、つきあえなかった。
 もしかしたら、逃がした魚は、大きかったのかも知れないと、
後で後悔する北島だった。 

第5話:厚木、相模原地区を担当

 そして三年めに入り、大学病院一つと県立病院四件、市立病院五件、
中小病院六件、開業医十件と合計二十六件を担当した。

 最初にMS大学病院から話を始めよう。この病院はライバルメーカーの
攻勢が強く当社は常に劣勢に立たされていた。 
 そこでとにかく当社に好意的な先生づくりをめざして行動していった。
最初、テニスの上手な木下先生とテニス仲間の 吉崎助教授、石田講師が、
週一回程度、テニスの試合をしている事を突き止め、仲間入りをめざした。
 そして木下先生と吉崎助教授を核に攻略の糸口が見えてきた。
 それに医局長、講師、助教授で教授でパソコンに興味を持つ先生を捜した。
意外な事に岩下教授と宇都宮講師が興味をもっている事がわかった。
 特に宇都宮講師は米国の学会で米国人の友人が多く最先端の情報を
もっていた。宇都宮講師は、北島がパソコンをやっているのに驚いて、
いろんな情報をくれた。特にDBⅡ(データベースⅡ)のデモソフトを
見せてくれて、その概略を教えてくれた。
それから、北島のデータベースとのつきあいが始まった。
 そしてMS大学病院に、医療情報センターが開設され、宇都宮講師が、
そこのスタッフ達と、つながりがあり、紹介してくれた。
 それが更に、パソコンの知識を深める上で非常に役立った。

 その他、当社はスポーツ医学に関連している関係で医療用の学習の為の
十六ミリ映画を作成していた。スポーツ医学の日本の黎明期、MS大学は、
先進的なスポーツ医学を実践していた。その勉強のために、定期的に、
パラメディカル(医療関連従事者)スポーツコーチの勉強会を実施していた。
その責任者が、尼崎助教授だった。北島は、その勉強会時の食事の差し入れを
していた。持ち帰り寿司が、お好みであり、両手に持っていくのだが、
重くて大変だった。MS大学はスポーツに科学的トレーニングを取り入れ、
競技スポーツに医学を包括的に、取り入れた最初の施設だった。
スポーツ選手とスポーツ障害のリハビリとか練習直後のアイシングの
具体的な方法を研究していた。

 1980年に全日本選抜体重別選手権で山下泰裕選手が、
決勝で遠藤純男選手の「蟹挟み」という技で下肢(腓骨)を
骨折してMS大学病院に入院した。
その時に尼崎助教授が北島に、おまえ柔道やってなと聞くので
、はいと答えると、山下に会いたいかと、笑いながら言うので
、もちろんと言うと、何と、こっそり病室で、会わせてくれた。
 そして、色紙にサインまで、しっかりもらった。北島は天にも
昇る気持ちというのは、こういう気持ちを言うのだろうと、
思う位、舞い上がってしまった。山下泰裕さんは謙虚で
、やさしい、素晴らしい人格の持ち主だった。
 また、「九年間無敗二百三連勝」の柔道の神様である。
 この思い出は、もちろん一生忘れない。

 更に、この年に北島に彼女ができた。彼女の父が、ある建築企業の社長で
住む世界が違う同士で当初、先方では、かなりの反対があった様だ。
 婚約時に仲人役の横浜の営業所長が本当に結婚してもらえるのかと言う程
、難しかった。しかし彼女の強い意志により、結婚できた。
 結婚式は、横浜中華街の中国料理で有名なホテルで行った。
 以前勤務していた千葉の工場長や関係者、彼女の会社、彼女の父の
関係の政治家など、数多く出席してもらい盛大に行われた。

第6話:馬が合う先生の壮絶死

 多くの人がいると、必ず、馬のあう人と、あわない人がいるのが常。
私にとって馬のあう先生は松下医局長だった。
 彼は、強面だが、その言動とは違い、非常にやさしい心の持ち主
だった。私が暗い顔をしていると、どうした元気ないじゃないか、
また、会社で、叱られたのか、彼女にふられたのかと声をかけて
くれたのである。 たまには旨いものでも、食べに行こうと、
病院内の最高のレストランに、連れて行ってくれ、生まれて
初めての、旨いオニオングラタンスープを、ごちそうしてくれた。
 帰り時に、金を払おうとすると、接待をしてくれと、頼んでないし、
お前はまだ若いし,給料も少ないから俺が出すと、全部おごって
くれた。おまえが出世して偉くなったら、おごってもらうかもね
と言った。この医局長には、ピンチの時にも、お前、ライバルが、
頑張っていて、負けそうだぞと、笑いながら,重要情報を手短に
教えてくれたりもしたのだった。  

 ただ、その数年後に、この松下医局長と,悲しい別れが来るとは、
夢にも思わない北島だった。ある年、この医局が、全国○○学会の
幹事大学になった時の事である。幹事大学であるMS大学では、
松下医局長が幹事となって、実務全般を取り仕切るのが、通例になっている。
 松下医局長の顔色がわるくなって、入院する事になったのは、
その翌月の事だった。体調が悪く、動くと、すぐ疲れてしまう。
 そこで、医局のある階の特別病室に、専用電話とつなぎ、
 学会の幹事としての役目を果たす事となった。お見舞い行こうにも
、面会謝絶で、行けなかった。それでも目を盗んで、会いに行った時は
、笑いながら、お客さん、ここは面会謝絶でっせ、こられたら、
あきまへんと精一杯、笑って言った。
 それを聞くと、悲しく、胸がつまる思いがして、こみ上げる涙を、
こらえるの必死な程だった。テニスで、仲の良かった木下先生が、
私に、そっと、松下医局長には会うなと言うので、相当具合が悪い事を察した。
 そして半年後、その学会は、横浜で開催され、大成功に終わった。
 終了の翌週、松下医局長が突然、昏睡となり、2日後、帰らぬ人となった。
 後で聞いた話によると、松下医局長は、うすうす、自分が癌に、
 おかされているのを知っていた様だった。
 医局全体で、先生のカルテを全部すり替えて、わからない様に
していたのだった。面会謝絶後も、ひと目を盗んでは、松下医局長の
部屋をこっそりとたずねていた。最初は、冗談を言っていたのが、
体調が悪い時は、悪いが、そっとして、おいてくれと、言ったりしていた。
 その内に、寝ている日が多くなり、やつれて激やせしているのが
目につく様になった。元々、大柄でがっちりした体型なので、
その変貌ぶりは驚くほどだった。もちろん葬儀には、参列させて
もらった。葬儀委員長の岩下教授が、学会での医局長の奮闘ぶり
を語り、また残された妻子の事に、ふれると、会場から、嗚咽と
、すすり泣きの声がしてきたのである。わたしも、もう泣かずには
、おれず周囲の目も気にせずに、大声で泣いた。
 この仕事を始めて、こんな気になった事は、いままでにない経験である。
 この出来事、以降、医局全体の、私および,我が社にたいする反応は、非常によくなり、
 ライバルメーカーの担当者を交代させるほど、実績が伸びたのだった。

第7話:リハビリ病院の仲間達

 神奈川は、意外に知られていないが、医療、福祉にに対して、
力を入れている住民に優しい県である。県立リハビリセンターは、
当時実質的にリハビリ会のリーダー的な病院だった。
 全国から優秀な方々が来ている。私は担当当初、医療関係の知識の
幅を広げる為に、ここの先生達の、部屋を訪ねた。
 学校の教室みたいな机の配置でリハビリ部長が先生の机。
 その他は対面して前から役職順に机が配置されていた。
 そして毎日、闊達な議論や症例検討をしていた。

 当時からリハビリを必要とする患者について担当医師とリハビリPT
(理学療法士)OT(作業療法士)がチームを組んで治療にあたる
システムを日本で最初に行っていた。そして我が社は、このリハビリに
ついての学術映画を作成しておりここのリハビリ室の,勉強会に
活用していただくようになった。当時、リハビリの学術映画を企画して
所有している会社は、ほとんどなく医療関係者に大変、重宝がられた。
 また我が社もリハビリに関連する医薬品を発売していた。

その後、リハビリ部の忘年会、納涼ビール・パーティ、新年会など
、いろんな行事に参加させていただいた。
 ここには日本のリハビリ学会を引っ張って行こうと言う気概と
多くの若手の情熱が、ひしひしと感じられた。
 当病院は、紹介のみで一般診療をしていない事もあり、
仕事のしやすい病院だった。 特に、ちょっと変わり者の羽田医師
とは、馬が合い、親しくしてもらい、仕事にも貢献していただいた。
 また違う出身大学の向田医師とも非常に親しくしていただいた。
 
 彼の情報は、気むずかしく、入り込みにくいとの事で我が社でも、
親しくしている者が、一人もいないという難しい医師だ。
 しかし、私の性格も、ちょっと変わっている所があるのか、
こういった個性的な性格の先生に好まれる傾向がある。
 それを生かして、業績も、以前の数倍に伸ばす事ができた。
 仕事も好調で、昨年の新人賞に続き、今年は業績で全国表彰
の栄誉に輝いたのだった。

 こんな人生で最も好調な時に、意外な事が起こるのが常である。
私も、例外ではなかった。それは、年末の新潟への転勤辞令である。
 これには納得いかず、営業所長に何故ですかと、抗議した。
 すると君の実績が評価され、欲しがる営業所が多くなったの、
だから栄誉だと思うべきだと反論された。

 これは、後でわかった事だが、札幌営業所から、強烈なオファー
があった様だ。しかし新婚早々、可愛そうだからと営業所長の判断で、
お誘いのあった中で、一番近い、新潟にしてくれたそうだった。

第8話:新潟転勤と家捜し

 ここから北島治が、転勤先の新潟で巻き起こす奮闘記と
仕事面プライベートでおきる様々な事件を生々しく書いていく事にする。
 北島は結婚三年目で、二人の娘がいる。
 将来の幹部候補生として、入社五年目に、転勤の声がかかった。
赴任先は新潟営業所だった。北島にとって生まれて初めての新潟市。
 関東平野、大宮、高崎を抜け、だんだん山深くなり水上を過ぎる頃
には、山に雪が見えた。小説雪国で有名な清水トンネルを抜けると、
まさに雪国という感じだった。
 田畑も道も全部、雪だらけという印象が、ぴったりだった。
 雪におおわれているのを見ると、軽い、息苦しさを感じた。
 その後は、ずーっと同じ景色が続いた。かなり時間が長く
感じられたが、突然、次は新潟駅の案内放送を聞いた。

 北島と奥さん、子供さん達と共に、新幹線で、新潟駅に降りた時、
なんとも言えない、湿っぽさと、寒々しさがしたのだった。
市内中心部をタクシーで移動する事にした。
 最初に万代橋が見え、信濃川の大きさに驚かされた。
続いて、新潟伊勢丹が見えた。万代橋の渡った所にある、
今晩宿泊する、ホテルオークラ新潟に着いた。
 身重の奥さんの事を考えて、部屋でゆっくりと休んでから、
ホテルのレストランへ行った。
気品があり、清潔そうな所であり、料理も十分満足できた。
特に、炊きたての、ご飯がうまい。独特な形に切った、しゃけの
焼き物も、すごくおいしかった。

 翌日は、新潟営業所の山田所長と、家族全員で面会する事にした。
 そして借家の場所や、私の新潟での営業活動のあらましを聞いた。
 山田所長から営業活動は四泊五日、つまり月曜日に出社し、
金曜日に帰るという事になるだろうと聞かされた。
そこで営業所から、車で十五分位で、交通の便の良い場所。
広さは、3LDK以上の物件を捜してみるつもりだと山田所長
が言ってくれた。その後、雑談して失礼した。
 帰ってから、チェックアウトをしてホテル内の寿司屋へ昼食を
食べにいった。やはり新潟の魚は評判通り旨い。
その後、新幹線で早めに全員で帰宅する事にした。
 その数日後、単身で新潟へ入った。翌日の営業会議で所員に
紹介された。私の担当地区は、長岡、十日町、六日町、津南と、新潟県
の山間部のだった。翌日、家族と合流して山田所長と借家を見て回った。
 良い物件があると不動産屋さんが言うので行くと、そこは営業所から
車で約15分、海に近い国道沿いの新築の二階建て4Kだった。
 家賃は駐車場つきで、月に6万円だった。信じられない安さ。
 もちろん奥さんも新築で、4Kの広さに、十分満足してくれた。
 ただ奥さんは妊娠6ヶ月であり、来月から、出産に備えて、実家
へ戻る事なった。そんな北島が、いろんな事件に巻き込まれるとは、
つゆ知らず、溌剌と新潟営業所へ赴任していった。

 次に営業所のメンバーを紹介しておこう。 
 営業所の山田所長は、ゴルフがめっぽ上手な学術肌の営業マン。
所長、自ら大学や県内の大型取引先を担当して営業活動に励んでいた。
 営業所の女子事務員は、新潟出身の高卒二年目と四年目で、
男子社員の話や人事異動の話題について、昼休みに話していた。
 営業社員は、他に三人。それぞれ、担当地区ごとに、
紹介していくことにする。まず、上越方面が入社二年目の佐藤君。
 下越・新発田方面が入社5年目の鈴木君。新潟市内と佐渡担当が
入社六年目の山下君。それに北島が、長岡、中越など山間部担当。
 新潟営業所は、山田所長を含め、男性営業社員五人体制となった。

第9話:新潟営業所での歓迎会

 早速歓迎会の席で北島は、今後の活躍に、期待して欲しいと、
強気の挨拶をした。すこし酔いが回った山下君先輩が、北島君
、ここは都会みたいに甘くないぞ。
 冬になれば良くわかるはずと、意地悪そうな顔で語った。 
 彼は入社当時、出身地の関西の営業所を希望したが願い叶わず
新潟へ来た苦い思い出があったのだ。
 彼自身が、冬の日本海の厳しさは、誰よりも実感していたのである。
 例えば、冬に佐渡へ、フェリーで渡り、出張した時、日本海が
荒れて、佐渡で一週間以上、足止めになったり、また新潟から
佐渡へ長期間、渡れない事が数回あった。
 そんな、辛い日々を、何度も経験したのだった。
 都会で評判のエリート営業マンに、ライバル意識をむき出し
にするのも、無理からぬ事だった。
 女子社員は、そんな北島君に興味津々だった。
 一年先輩の鈴木先輩はクールに北島君、お手並み拝見しましょう。
 ただ、ここは、そんなに甘い所じゃないよと不敵な笑みを浮かべていた。
 佐藤君は、いつもの低姿勢で先輩宜しくいいろいろ教えて下さいねと、
しおらしく、お辞儀をした。二次会は、山田所長の行きつけの
スナックあゆみである。夜十時を過ぎ、人通りも少ない、裏通りに
新潟には、似つかわしくない、派手な店構えで一目でわかる店だった。
 ママの名は、かずみ。この界隈では、ちょっと有名なママである。

  あら所長、前に言ってた、できる若手の方って、この方ですか、良い男ね、
 営業さんは、もてなきゃね。第一次審査、合格と、はしゃいでいた。
 この夜は、かなり酔いが回って、饒舌なママだった。ママから歌ってと
言われると、すぐ北島はマイクを取り、得意のスタンバイミーを歌った。
 山田所長とママは曲に合わせて踊り出していた。
 その有様は、ママがリードして、酔った山田所長が彼女に、抱きついて
踊っていると、言った方が良いかもしれない。
 曲が終わると、今度は、お返しとばかりにママが踊りやすい、
コーヒールンバを歌った。
 北島が、座ろうとした時、アシスタント・ママのヒトミが、
さっと北島の手を取って、一緒に踊り出した。
 二人のステップの上手さに、スナックの店内が、しーんとなった。
 会社の女子は、びっくりした様な目つきで、眺めていた。
そして十二時頃に終了した。帰り際に、北島の手相を見たママが、
山田所長に彼には女難の相があるから気をつけた方が良いと
そっと、ささやいた。

 当時の日本中はバブル景気の最中だった。我が社も転勤手当が
月給の三ヶ月分支給され、引越費用は会社持ちで、更に転勤先の
家賃補助も平社員でも6万円支給された。また北国には地区により
、10月から3月の半年間、月間5~10万円の暖房手当が出た。
 加えて、給与と、年一回、十二月の通常のボーナス。
 特に業績が良く、会社の利益目標を超えた年は、超過金額を
全国の営業所の実績配分し支給するという、特別ボーナスが、
九月支給されると言う恵まれた環境の時代だった。
 単身赴任にもかかわらず、北島は毎日のりのきいたシャツで、
さっそうと、出張、営業活動を続けていくのだった。

 第10話:東京時代の仲良し先生と再会

新潟赴任の一ヶ月後、毎年四月の中旬に、私の担当のU病院では
人事異動となる。今年も若手の先生が二人交代になるとの情報だった。
 いつもの様に病院の医局で10分待つと、二人の新任のドクターが
同時に入ってきた。下田先生と山井先生ではないか、東京時代に
顔見知りの先生達だった。お互いに顔を見合わせた。
 転勤で、この地域を担当しますと言うと世間って確かに狭いね、
こんな所で会うなんてと、下田先生が話してきた。
 もう一人の山井先生が東京で何か、問題起こして左遷されたんじゃないの
と笑っていた。二人とも独身で病院近くのアパートに住んでいる様だ。
 面白い情報を持ってきてよと言われたのでかしこまりましたと答えた。

 先生方が医局で昼食、休憩後、仕事に戻る所で、また宜しくというと、
大丈夫、心配するな協力するよと好反応だった。
 数日後、下田先生が今晩、どっか旨い所で、夕食をとりたいなと言っきた。
 そこで、ここでは珍しいイタリアン・レストランを手配した。
 下田先生が今晩は飲んで楽しみたいから、車は病院の駐車場において、
タクシーで行こうと言ってくれた。少しして、薬局の春子さんと、
下田先生が、出てきて、三人で、タクシーに乗り込んだ。
 薬局の春子さんとは、たまに挨拶する程度で、顔を知ってる位だった。
 大皿料理と、赤、白ワインと、プロシュートとサラダ、ピザを注文した。
 飲みながら話がはずみ、下田先生が春子さんに、彼は、遊び人の
営業マンだから気をつけろよと言った。
 私は仕事と遊びは厳格に分けてますからと答えると。
 彼女は、強調すればするほど嘘っぽいわねと笑った。
 下田先生は付け加えて、彼は結婚して子供いるんだよと言ったのだった。
 私は、笑いながら、個人情報ですから口外しないで下さいと、にらんだ。
 こんな感じで楽しい時間が過ぎていった。3時間後、彼女を送って二次会へ
、と言っても、今晩泊まるホテルのスナックである。  

 再度ビールで乾杯、いろんな話が出て、ところで北島君は
パソコン・オタクだったよなと言われ、そーですがと答えた。
 続けざまに、僕も、最近学会の発表の為にマックを買ったんだ。
 今年の秋にも、学会発表するんで手伝ってくれと言われた。
 ただ、私は富士通だからというが、取り合ってくれず頼むよの
一言だった。 結局マックの勉強する事となった。
 まずマックの本を買い読んでみると、マックは、富士通やNECの
国産パソコンとはCPUも違うしOSも全く違う事が判明。
 とりあえず三冊の本を読み終えた。下田先生が、マックは私の部屋
に置いてあるので、勝手に使って良いと言ってくれた。
ソフトは、パワースエーション、フォトショップも入っているから、
解説書も見ながら、勉強してくれと頼まれたの。

 九月に入り、今年の学会資料は9月25日迄に提出だと言った。
 データを作成を手伝ってもらい助かったよ。原稿と読み合わせて
完成だと喜んでくれた。翌週、訪問してみると、日本語の大きさと
写真の大きさが上手く合わないだよ、どうしたいいかなと困り顔だった。
 そこで今日も、先生の部屋で修正する事になった。
 日本語フォントを何回も変えて、何とか文字揃えもできた。
先生が午後の手術後、部屋へ戻ってきて画面を見ると、見栄えも
良いじゃんと言われた。フォントが良いから、パソコンに入れておく
と伝えた。その他に使えそうなフォントも調べておいた。

 ただ私が手伝った事は、絶対に病院内で、言わないで欲しいと、
強く言っておいた。私は下田先生の為に協力したのであって
他の先生には協力する義理はないからと伝えた。
 まーそだよな、わかった、わかったとの反応だった。
 下田先生の実家は、東京でも繁盛している開業医の様で
マックと、ディスプレー、プリンター、ソフトウェア含め一式
で百万円以上のセットを父親が買ってくれたとの事である。 
 この出来事の後、下田先生自身も使い方をマスターした様で
一年後輩の山井先生にも使い方を伝授していた。

 こういう苦労の甲斐があって、この病院の売り上げは
倍増したのは、言うまでもない。ただ、この病院の先生方は
東京のKO大と地元の下越大学の先生の人数が半々で、
この事は、他の先生には、知られない様に、振る舞っていた。

第11話:東京の赴任・若手Drとの思い出

 もう一つの思い出の出来事があったので書く事にする。
 東京の大学からの派遣先病院が新潟県内、山間部の
中小病院でも他に数件ある。そういう病院に単身で赴任した
先生は病院の官舎が完備され、地元の方からの、
差入れも多く、ほとんどお金がかからないのである。
 長岡から車で九十分の日本有数の豪雪地帯に、
その病院はあった。名前は中山病院。
 そこへ卒後3年目の東京生まれ、東京育ちの鮫島先生が
赴任してきた。口数の少ない、気の弱そうな感じのする先生。
 その先生が、夜はさみしいからと麻雀のお相手をしてくれないか
と言ってきた。先生の官舎は広いから、泊まっていけば良いと言う。
 最初は遠慮していたが、麻雀に誘われる日が多くなり泊まる様になった。
 その際、必ず、旨い酒の肴を準備して、訪問する事にしていた。
 それが好評だったのか、良くお誘いがかかる様になった。
 そして数週間後、鮫島先生が真面目な顔で、ちょっと相談に
のってくれないかと言われ、話を聞いた。
その内容は、この町の町長の娘さんと見合いをしないかと
直接、町長に、言われたというのだ。むげに断るのも何だから、
会おうと思うんだけれど、どうしたら良いかな、との相談だった。
 そこでいくつか質問した。先生に今つきあってる人いるのと
聞くと、別に、いないと言った。町長の娘さんと会って話した事はあるの
と聞くと、挨拶程度であり二人だけで話した事とはないと言った。
 そこで、ちょっと立ち入った事を聞いて言いと問いかけた。
 どうぞと、先生が言うので、単刀直入に先生ここの病院の看護婦さんで、
気に入った娘いるんですかとたずねた。
 彼は、いない事もないけど、なにせ、まだ来て間もないし、
良くわからないからと言った。そこが肝心なんですよと伝えた。
気に入った看護婦が、いれば仲良くすれば良いし、そうすれば、
町長の娘の話も簡単に断れると伝えた。

 それとも町長の娘と結婚し、将来は町会、県会議員と政治家を
めざす事もできる。ここの病院の院長だって夢じゃない。
 先生の考え次第で現段階では、どうにでもできると答えた。
 僕は政治家には向いていないし、そんな気もないとの事とだった。
 それなら話は早い、気に入った看護婦さんをつくればどうですか。
 土日休みにデートして、気に入ったら結婚する。その後、開業資金
を貯めて、この町か、大都会か、開業したらとアドバイスした。
 先生が、そのアイディアの方が、良いかもしれないと言い出した。
 わかった、それでいくよと言うのだった。

 この病院は、実は東京の大学では、人気がなく、みんな
来たがらないんだと言った。鮫島先生は、都会育ちで、むしろ、
ここの自然が好きで気に入ってるとの事だった。 
 数年、ここで勤務すれば、金も貯まるし、開業資金も十分貯まる
と伝えた。それでいいんじゃないと私が言うと、じゃ、
それで行こうと、彼は言った。この話は、くれぐれも内緒でね
と言われた。もちろん他言しない事を約束した。
 その数ヶ月後の日曜日、新潟で鮫島先生と、仲の良い看護婦さん
と食事をする事になった。挨拶をして席についた。彼女は感じの良い
、はきはきした印象の明るそうな可愛い人。
 静かめな鮫島先生と、お似合いのカップルに見えた。三人で
いろいろ話をした。それによると、彼女は、スキー、テニスと
、スポーツ万能で、特にスキーは県の代表だった様だ。
 その後も、仲良くやっているようだった。その数年後、
風の便りで結婚して、病院の近くで医院を開業した様だった。 

第12話:雪女が山から下りてきた

 短い夏が過ぎ、秋風が吹き、やがて11月になると時雨れてきた。
 新潟内陸の峠道は雪が積もりはじめる。その為スタッドレス・タイヤ
で出かける日も多くなった。いつもの様に、長岡、小千谷、十日町と、
まわり近くのスナックで飲みながら夕食をとった。

 定宿のホテルに、帰りシャワーをあびて、寝ようとした時、
トン・トンとドアをノックする音が聞こえた。
 彼は落ち着いた声で、こんな時間に誰ですか、すると女の声で私よ私。
 誰と言うと、とにかく寒いからあけてというではないかドアの小窓から
、のぞいて見ると、北島は、目を疑った、スナックの、あの女だ。
 ドアをあけて、中に入れてよ。何だよ、藪から棒に小声だが、
ちょっと怒った声で言った。なーにね、あんたが、店に来てから
、気になってしょうがなかったんだよ。
 だから、あんたの定宿を調べて、来たって訳さ。
早くドアを開けな、と言ったのだった。 その勢いに負けて部屋に
入れてさっとドアを閉めた。だから何の用だよ。
女は何野暮な事言ってるんだよと言うだけだった。
 今、亭主が出稼ぎにいって、一人ぼっちで寂しいんだよ。
だからさ、こんな夜は、無性に切なくて寂しいだと言った。

 その晩は、ご想像の通り、ゆっくりと逢瀬を楽しむ北島だった。
 これは、とんだ雪女の出現だ、喜ぶべきか怖がるべきか?
 数日後、新潟に戻って久々にスナックあゆみに顔を出した。
 あら久しぶりとママが声をかけた。今日は一人なの。
 久しぶりにママの顔を見たくてねと言った。北島はニヤッと笑った。
 飲み始めてママは、彼の顔を見て何かあったんでしょ! 違う?
 鋭いなママ、大きな声では言えないけど、ちょっとねと言った。
 いたずらっ子みたいな笑顔でかえし、そして隅の方の席へ移動した。

 彼は、ママ、俺の事、所長に女難の相があるって言ったんだって! 
嫌だ、もうしゃべったの口の軽い人ね。 
実はママ、数日前に雪女が出たんだよと笑いながら話した。
えー、雪女・・ あー怖い。どこでの話、聞かせて、聞かせて・・。
 先日のホテルのでの出来事を話すとママは腹を抱えて、笑う笑う・・。
良い思いしたんだね。それも、タダで・・。
笑い転げる状態で、涙を流しながら、大笑いしてた。
 ママがひきつる声で、それで相談て、何なのよ、
北島が、新潟で、こんな話、前に聞いた事にあると質問した。
まだ、笑いが収まらない、ママが、ウソ! そんな事、
聞いたことないわよと また大笑いした。
みんなに見られるのが嫌だから、そんなに大笑いするなよと言った。
 だって、あんた、突拍子もない、面白い事を言うからよ。

 北島は、姿勢を正してどうしたら良いかなと再度相談した。
 ママが、また笑いながら、あなたは、どうしたいのよ、
続けて、その女が良かったら、続けたら良いし、どうしても嫌なら、
他の町にホテルをとって会わない様にしたらいいのよと言った。
 北島は、どうしたら良いか、わかんないから相談しに来たんだよと
強く言った。ママが、わかった、真面目に話を聞こうと座り直した。

 昔はね、冬場、山間地の農家で稼げないから、男は出稼ぎに
行ったもんだ。今でも貧乏な農家は奥さんが小料理屋やスナック
で働き、旦那は都会へ出稼ぎというケースはある様だよ。
 ただ大家族が多く不倫みたいな事は、あまり聞かないよ。
 多分これは想像だけれど、その女は子どもがいなくて、ご両親と
同居してない珍しいケースなんじゃないかな。いい女だったら、
上手くやんなよ。ただし、あなたの奥さんが、
知ったら大変な事になるよ。それを覚悟なら、楽しみな。
 ただ夜の逢瀬だけにして、決して町中で、仲良くしちゃ駄目だよ。
田舎の町で、は噂が命取りになるんだよ。皆にばれたら、その女は、
その町にいられられなくなるんだよ。そこんところを十分に注意しなよ。
北島は、わかったと小さく頷いた。この話は絶対に他言しないでよと
念を押した。わかったよ、この商売やって長いんだよ、
そんなの十分承知だよと笑っていた。ため息をついて、足早に店を出た。

 北島は胸のつかえが取れほっとしていた。それからは、毎回注意
しながら、その雪女との逢瀬を楽しんだ。そして、いろんなスタイルで
、楽しんだ。それが、何時間も続いたので、いつも疲れ切って果てる、
自分がいた。体力を温存しておかないと仕事に差し支える程だった。

第13話:雪女、交通事故にあう

 正月があけ、また仕事がはじまった。ところが
十日町では、例の雪女さんが急に来なくなってしまった。
 居場所もわからず数週間が過ぎた。スナックに久しぶりに、
顔を出したが、女はいない。スナックのママに聞くと、
何か事故にあって、休んでいる様子だった。
 気にせずに、通常通りの仕事を、せっせとこなす北島だった。
 一月の末、まさに厳寒期、十日町の病院を仕事をしてる時に、
廊下を、あの女が松葉杖をついて歩いているではないか。
 声をかける事もなく、軽く会釈するだけだった。
 年末に、スリップしてきた車が、ぶつかってきたと言った。
 全治1ヶ月で、膝のなおりが、良くないらしい。自宅に帰っても、
1人なので長期入院となった様だ。厳寒期の新潟の峠道は、凍結
の心配があり、今年は特に寒かった。そのため、十日町から
六日町までの、移動は発荷峠を通らずに、遠回して移動した。
 振り返ってみれば、歓迎の時に、山下先輩が言った事。
「ここは、都会みたいに、甘くないぞ。冬になれば、良くわかるはずだ」
の意味が、身にしみる、北島だった。三月になり、また例のスナックへ
顔を出すと、あの女がいた。うれしそうに、こっちを見ていた。
 隣に座り事の顛末を話してくれた。交通事故にあい怪我をしたが、
幸いに加害者が良い人で、費用全額と見舞金を出してくれた様だ。
 退院の時も家まで車で送ってくれた様だ。確かに、新潟の人は
優しい人が、多い気がする。またの久しぶりの逢瀬の時には、
帰る時の顔には、赤みがさして、うれしそうだった。
 何か、良い事してあげた様な妙な気持ちになった。

雪解けのシーズンが、また大変で、新潟の雪は水分が多く、
はいている靴が、びしょ、びしょになり、嫌な感じだ。
 峠では、しばしば、小さな雪崩も起きる。山道は、
ゴールデンウイークに開通し、通れるようになる。雪が消えると、
あの雪女も消え、今度の雪の到来まで、お別れとなる。

 新潟に赴任して1年目のボーナス80万、臨時ボーナスが60万円、
外勤手当+出張費で80万円、給料が360万円、社宅費72万、
暖房費48万と580万円(社宅費、暖房費別)、
全部込みで700万円だった。

 横浜営業所の2年目、26才の時、売上高、伸び率全国一、
ダブル受賞で臨時ボーナス100万円と報奨金50万円、
給料240万円、ボーナス60万円、年収450万円には驚いた。、
 更に転勤すると仕事は、きついが年収580万円は
30才にしては、多いのかも知れないと思う北島だった。

第14話:雪道ですべってと、スキー大会

 北島はスポーツマンでスキーも、若い頃から経験し、
雪道は何度も走った経験があった。しかし、今年の一月下旬の雪の朝、
坂道を下っていた時に、怖い思いをした。営業車は当時マニュアル車であり、
三速から二速、更に、減速する時には、一速に落とす様、指示されていた。
 その日の朝は、一部凍結していて、慎重に二速で徐行していたが、
自分の前の車が、路肩の雪壁に、当たり止まった。
 それを見て一速に落としたが、なかなか止まってくれない。
 その内に、バスが坂を上ってきた。対向車線を越えない様に注意したが、
何せ自分の車が止まらないので、あせった。仕方なく、路肩の壁に、
当てて止まった。幸いにも車が回転せずに事なきを得た。
 止まった時にはバスの乗客が、こっちを見て拍手していたのが見えて思わず、
軽く会釈をした。雪国の厳しさって確かに、あるなと、しみじみ思う、北島だった。

U病院の下田先生から、病院の恒例のスキー合宿に誘われた。
 山井先生と薬局の春子さんと康子さんの二人、看護婦三人、外科の
若手二人の合計十人だった。下田先生から、指示連絡など手伝って欲しいと
言われ了解した。後日部屋割りや、車に乗るメンバーなど、企画書を作成した。
 翌週の、金曜日から2泊3三日、一部のメンバーは土日の1泊2日で出かけた。
 場所は八海山スキー場。車で一時間の所にあるスキー場。
 午後五時に病院を出て、近くの酒屋で八海山、越乃寒梅、雪中梅、久保田万寿、
〆張鶴など新潟の銘酒と、ウイスキーとワイン、焼酎を買いこんだ。

 スキー場の近くの温泉旅館に宿を取り、私と下田先生の先発隊が出かけた。
 宿に着いて、早速温泉に入り、酒の席となった。自己紹介をしあい、
酒盛りが始まった。先発隊は薬局の二人と下田先生と私の合計四人で、
車は下田先生のボルボの大型ワゴンだった。

 薬局の子は、二人とも地元出身で下越薬科大学出身との事だった。
最初は、静かに新潟の銘酒のうんちくを聞かせてくれたが、
だんだん盛り上がってきた。私は本当は、洋酒等で日本酒は甘くて、
苦手だった。しかし新潟に来て越乃寒梅、雪中梅を飲んで
イメージが変わった。本当に飲みやすいのである。その中でも
特に〆張鶴が好きだった。ウイスキーの水割りロック、ワインの
栓抜きとか雑用をこなし、つまみをあけて酒の席を盛り上げた。
そのうちに、カラオケに行きたいと言う話になった。
 運良く、宿のカラオケルームが、まだ空いていて、そこへ向かった。
 ちょっと、かび臭い部屋だったが設備は、まずまずだった。
 カラオケのセット、マイクのセットを終えて最初に下田先生の挨拶、
その後すごい勢いで歌い始めた。キャンディーズ、ピンクレディ、
演歌、大いに盛り上がって初日を終えた。

 翌日10時頃に3台の車で残りの6人が、やってきた。
 部屋で部屋割表や時間割、集合場所など必要事項を確認し合った。
 早い昼食後、スキーを始めた。女性達は、地元と言う事で上手であり、
下田先生も、かなり経験豊富な様で、私と薬局の二人と共に
中上級者用の林間コースを滑った。 
 外科の若い先生方は、看護婦さん達に、初心者コースでスキーの
滑り方を教えてもらっていた。少しして、珈琲タイムに、薬局の二人が、
看護婦と交代して、私たちと楽しく滑った。
 今日は思った程の混雑もなく何回も滑れた。その代わり足の筋肉が、
ぱんぱんに張って悲鳴を上げていた。そこで早めに切り上げ、
ゆっくり温泉につかる事にした。

 夕食後、全員で前日予約しておいたカラオケルームへ行き、
歌って踊っての大宴会が、長時間続いた。
眠くなった人から、次々に、部屋を出て、床についた。

最終日は中上級者のタイムトライアルレースが企画してあり5人が参加した。
 前半の時計係を北島が後半を下田先生がつとめた。その結果、
下田先生が優勝、薬局の春子さんが準優勝、山井先生が三位、
看護婦さんの一人が四位、北島は林に突っ込み途中転倒がひびき5五位だった。
そして怪我人も出ずに終了した。

 私の、足の、赤あざの事は内緒。昼過ぎに、スキー場を出て、帰路についた。
帰りの車中、運転していた、下田先生が、面白かったよと、礼をいわれた。
また来年も、楽しみたいねと言うので、了解した。

第15話:お花見温泉と新潟の四季

 4月に女房が東京の実家から、新潟へ帰ってきた。そこで家族で、
温泉に入りながら、花見ができるという所へ連れて行く事にした。
 そこは新潟県と山形県の境をちょっと山形へ入った温海温泉、
萬国屋という老舗高級旅館である。昔は、角栄さんの後援会の越山会が、
よく使った所のようだ。四月の下旬、新しく買ったパジェロで、
新潟を出て、新発田、村上方面の道をひたすら走り四時間で
瀬波温泉に着き、海の見える旅館で、昼食をとる事にした。

 まだ生まれて、半年の長男みて、食事を運んできた仲井さんが、
可愛いねと言い、食べる間、見ているから、ゆっくり食べてねと、
やさしく、赤ちゃんをだっこしてくれた。
 その為、女房は、ゆっくり景色を見ながら、昼食をとる事ができた。

 そこから一時間ほど海沿いを走り少し山の方へ入ると、温海温泉に入り、
奥まった所に、萬国屋があった。旅館に入ると、お香の良い香りがして、
気持ちよかった。チェックインを済ませて早速、温泉に入る事にした。
 夕食は懐石料理で、順番に出てきたので、大人たちは喜んだが、
子どもたちにとっては、ハンバーク、ポテトフライが、付いていないので
今一つの反応だった。
 その晩は長いドライブで、疲れたせいか、すぐ床についた。

 翌朝、旅館の前の路地沿いに、地元で取れた魚の露天が並んだ
朝市が開かれていた。ひものも多く、早速いくつか買い込んだ。
 散歩した後に朝食をとり一休みしてから、花見のできる風呂へ
入る事にした。入ると天井が硝子張りになっており、
そこから上手い具合にお花見ができる様に設計されていた。
 温泉に入りながら、花見ができるなんて、夢の様と、
女房と二の娘は大喜びだった。 

 その後、旅館の精算を済ませ、新潟の我が家へ帰ることにした。
 車中で、女房がいろいろ調べたらしく10月過ぎに、村上の名物、
鮭づくしを食べに連れて欲しいと、言いだした。わかったと、
生返事したが、残念ながら実現する事はできなかった。

 五月、ゴールデンウイークが過ぎて、梅雨そして夏。北の国なので
夏は涼しいと思っていたが、見事に裏切られる事になった。
 新潟のフェーン現象である。急に高温になって35度、
湿気もあるので体感的には鋳物工場の中にいる様、蒸し暑さ。
ひどい時には、新潟の市街地で、歩道のアスファルトが溶け、
靴にへばりつく。それを過ぎると、十月の稲刈りシーズンになる。 
 黄金の穂が、風になびいて、それはそれは、きれいな風景です。
 お米はめちゃ旨い。おにぎりにすると絶品であり、おかずは漬け物
だけでもいけるという意味が良くわかった。 
 特に中越、十日町は、六日町は、魚沼米の産地で米の旨さで定評がある。

 夏は万代橋の近くのさかなセンターで真イカ、スルメイカ、アジ、
いわしと、新鮮なさかなが店に並ぶ。特に私はイカが好きで、
しょうが醤油や、醤油のづけ丼にして食べる。
 刺身にしても、甘さがあり最高の味だ。この夏も何回もさかなセンター
へ足を運んだ。手で、いかの表面を触ると色が変わる。
 機会があったら是非、試してみて下さい面白いですよ。
11月、12月となり、雪も舞い始める、季節を迎えた。

そして、今年も、あの雪女が、あらわれた。今年も体力にものを言わせて、
攻めてくるのでベッドのきしみ音が気になる程だった。ただ三十代で
豊満というか、熟れすぎで熟成しきった、身体が、ありあまるほどの
情念と迫力で、迫ってくるので快感は、天にも昇ると言うほど、
気持ち良いものだった。まさに、癖になりそーだった。

話は変わるが、冬の稲妻という歌謡曲があるが、新潟で本当に、
冬の稲妻を経験する事になったのである。それでなくても、
うら寂しく、もの悲しい、冬なのに稲妻が光ったら、余計落ち込んでしまう。

 しかし、営業実績は、着実に伸びて来て、明るい見通しがついてきた。
 新潟営業所も北島の今年の臨時ボーナスも過去最高100万円、
業績伸び率全国2位になり、報奨金も20万円と、通常ボーナスが100万円、
給料が380万円、出張+外勤手当が100万円、合計700万円に
まで伸びたのだった。仕事は大変だが、給料増えたのには
笑いが止まらない、北島だった。

第16話:長岡での大送別会

 2月の下旬、所長から、私に長野県への、転勤の辞令が出たと
知らされた。三月から担当交代を始めてくれと言われた。 
 その頃、後輩の佐藤君とは彼の病院へ私の仲の良い先生が赴任し、
同行訪問したりして、親しい関係になっていた。仕事の相談を
してきたりして、私を慕ってくれた。
 そこで長岡で内輪の送別会を二人だけで、行う事にした。
 最初は有名なラーメン屋で腹ごしらえをした。佐藤君の希望で、
とにかく派手に、やる事にした。

 そこで若者が、良く集まる踊れるパブへ行った。
 夜九時頃に、入店すると若者の熱気でパブは、むんむんしていた。
まずカクテルで乾杯。腹ごなしに、ディスコミュージックで、
佐藤君に踊って見せた。彼は踊れないというので即興で、
うまく踊ってる様に見せる方法を教えた。酒が回ってきたのか、
彼も積極的にナンパをはじめたが、なかなかうまくいかない。
 そこで女の子二人組をターゲットに、誘いはじめた、やっと
一緒に飲んでくれる仲間ができた。名前は栄子さんと早苗さん、
隣町の出身で電気関係の会社のOL入社二年目と言った。

 彼女たちが踊り疲れたというので少し静かなスナックへと移動した。
 そこは意外と空いていた。ちょっと奥の席に4人で座って乾杯した。  
 続いて場を盛り上げる為に、その当時はやっていた「スカイハイ」を
情熱的に歌った。うけて場が盛り上がってきた。
 次に彼女たちが、二人で、アバのダンシングクイーンで反撃に出てきた。
 リズム感も良く声もとおり、かなり遊び慣れてる様に感じられた。
佐藤君に、何か歌えよと言うと、先輩、私、音痴でダメなんですよと
泣き事を言っていたので歌を選んであげた。そして、我々二人で歌う事で、
しぶしぶ歌い始めた。彼は、ビートルズが好きだという事で
「イマジン」を歌った。何とか歌い終えた。すると佐藤君の演歌歌手の様な
真面目な歌い方が、かえって好印象だったようだった。

 続いて彼女たち二人組が選んだのはアバの恋のウオータールーだった。
歌が、あまりに上手なので、歌っている早苗さんのマイクをむりやり取り
一緒に踊りだした。最初は慌てていたが、すぐにリズムに乗って踊りだした。
佐藤君も入って、大いに盛り上がった。
 次に気分を変えてサイモンとガーファンクルの「明日にかける橋」を歌った。
 これが他のお客さんにも大うけで、サイモンとガーファンクルの他の歌にも、
リクエストが、来た位だった。次に彼女たちが続いて、
またアバのマネー・マネー・マネーを歌いだした。
 これにはスナック中が、大変な盛り上がりで、他のお客さんも近く
に来て、気さくに飲み物をおごってくれた。彼女たちに聞いてみると、
歌は大好きで、特に栄子さんは、かなり歌いこんでいる様だった。 
それに早苗さんが、誘われる様になったそうだ。

 そこで栄子さんに今、興味持っている歌手や歌を聴くと、洋楽が好きで、
特に声のきれいな人が好きだと言っていた。最近オリビアニュートンジョンが
好きと言ったので、何か歌ってというとカントリーロードを歌ってくれた。
 これも非常に感動的な、歌い方で上手だった。

 私はお返しにサイモンととガーファンクルのコンドルは飛んでいくを歌った。
 彼女は、「そよ風の誘惑」で返してきた。そこで、また「ボクサー」で対抗した。
 佐藤君は、というと、かなり酔った様で、水を飲んでいた。スナックの中はというと、
依然、大盛り上がりで拍手の嵐。歌ってる者にとっては、答えられない、雰囲気だった。
 会場から、またアバを歌ってとの、リクエストが飛び出した。

そこで彼女たちが選んだのはマンマ・ミーアだった。周りのお客さんも、
この歌に合わせて、踊りだした。彼女たちは、踊りながら歌ったので更に、
盛り上がった。遅くなったので、帰ろうという事になり、会計をお願いすると、
マスターが、いえ結構ですと言った。

 マスターが、あの窓際の女性が、みんなの分は、私につけておく様に
言ったんですよとの返答だった。そこで窓際の女性の方へ行き、お礼を言うと
彼女は、こんな楽しい夜は久しぶりと喜んでいた。少しお話を聞いてみると
少し前に、旦那さんに先立たれたと言った。長岡の中心街で数十年も
商売をしていたんですが、やる気が失せて、店を閉めた様だった。
 旦那さんの残してくれてた蓄えで、今は悠々自適に過ごしている様子だった。
 たまに、この店にも来るのよと言った。若い人の元気をもらって、
長生きする為よと笑っていた。だから私こそ、あなた方に、お礼を
言いたいわ、楽しい時間をありがとう。なんと素敵な言葉だろう。
 久しぶりに、熱いものがこみ上げてた。涙を見られない様に、
その場を去った。席に戻り事の顛末を全て、みんなに話した。
 全員で窓際の女性に、お礼を言い、失礼した。

第17話:長岡でのアバンチュール

 佐藤君は、半分寝ていた。店を出て、佐藤君がホテルに、
帰りましょうと言ってきた。しかし栄子さんが、私は少し疲れたから、
コーヒーでも飲みたいなと言うのである。そこで我々の、
ホテルのスナックは、夜遅くまでやっているので、行くことにした。
 ホテルに着いて佐藤君が、ごめんなさい、眠いので失礼しますと、
部屋へ上がってしまった。コーヒーとケーキのセットを頼んで
話し込んだ。早苗さんが、北島さんて、歌もうまいし、踊りも上手で、
女の子にもてるでしょうと笑いながら話した。いや、それもこれも、
仕事の為の、覚えたんですよと答えた。
 仕事の事を聞かれ話すと医療系の営業さんですか、通りで歌や
踊りが上手な訳だと笑っていた。北島が、いや、あなた方こそ
歌がうまいし踊れるし、もてるんじゃないと言うとそんな事ないよ。
 ここらでは、不良の娘じゃないかと、むしろ白い目で見られる位ですよ、
と言った。いやすごいよ、私もいろんな若い人にあったが、
こんなにのりの良い女の子に会ったのは新潟に来て二年になるが
初めてだよと言った。静かだった栄子が、おもむろに、
それならまた遊びに来てよと言った。いやね、実は今日は私の
送別会なんだよ。また、長野へ転勤なんだよというと、急に不機嫌
になって、そーなの。それなら、今日が、最初で、最後なのと、
ちょっと怒ったような目で言い放った。ごめんと言うと、名刺を
ちょうだいと、言われ名刺を渡すと、彼女がそこにあった
紙ナプキンに彼女の連絡先を書いて渡してくれた。

 彼女が転勤後の移動先を連絡してよと強めの口調で言ったので、
わかったと答えた。また、私、旅行で長野へ行くかもしれないからねと
、含み笑いを浮かべて話した。食べ終わって、早苗が眠くなったので、
お先に失礼しますと言うので送ろうとすると大丈夫、近いから
自分で帰れると言い帰っていった。

その後、学校時代の話、歌の話、雪国の生活の話など、栄子は堰を
切った様に、話し始めた。そこで、私がビールを出してきて、
また飲みはじめた。彼女は笑わないで聞いてよね、実は小さい頃
、いつか白馬の王子様が目の前に現れて、私を救ってくれる話が
、好きで何度も繰り返し、その本を読んだんだと、懐かしそうに
話した。その後、うまいウイスキーあるから飲もうと言い氷を
冷蔵庫から出し水割りにして飲み始めた。そして一時を過ぎた頃、
彼女が酔っ払ってきて今晩は、このまま帰りたくないと言うので、
私のホテルの部屋で、長岡の最後の夜を惜しむ様に、情熱的な
夜を過ごした。冬の雪国の寂しい夜は、男も女も、ぬくもりが、
恋しいと言う気持ちはわかる。ましてや、自分が好きだと
思った人なら、こうなるのも、良く理解できる気がした。
 早朝、彼女はスッキリした感じで、ありがとうと言って、
颯爽と、立ち去っていった。その翌週、新潟営業所の送別会の
時が来て、また仲間と別れる事なった。

 これがサラリーマンの宿命だと、強く感じる北島だった。
 特にスナックあゆみのママが、別れ際に、言った、
あんたは、「女に気をつけろ」の言葉が、
胸に突き刺さった。

『成り上がり営業編』

『成り上がり営業編』 播磨王66 作

優良製薬企業での研修を終えて、地元営業所での営業活動での思い出に残った先生、大学病院での経験、親しい先生との死別。やがて結婚、3人目の子供の妊娠6ヶ月で、北国への転勤命令。その後、大型病院、大学病院での経験、親しい先生との死別。やがて、伴侶との出会い結婚。その後、初めての雪国への転勤、そこで巻き起こる、奇想天外なエピソードを通じて、営業マンとして力話つけていく 物語である。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日 2017-12-06
Copyrighted

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。