砂の太陽

砂の太陽

初めての投稿です。設定等おかしいところがあると思います。読み苦しくてすみません。

1

 私が空を染める絵師だとしたら、今をどんな風に色づけるだろう。
 今、世界は紅く染まっている。一日が終わる事を告げる色。記憶のない私でも、胸が張り裂けそうになるほど切ない色だ。
「アリス、聴いてる?」
 はっと我に返る。隣を並行して飛ぶ親友のヴィヴィが、綺麗な顔をしかめて私を覗き込んでいた。
「ああ、ごめん、ぼーっとしてた」
「もう。マンドレイクの収穫作業、ベティが泣いて大変だったって話。」
 マンドレイク、ベティ。現実に引き戻される。私にとっての現実は、この小さな箱庭の中の世界だ。
「あの子はいつもそうよね」
「そうなのよ。結局私が彼女の分も引っこ抜かないといけなくて。私にポイントが来たのは嬉しいけど、それでベティの取り巻きにポイント稼ぎって言われて、もう嫌になっちゃうよね。」
「じゃあ取り巻き連中がベティを手伝ってあげればよかったのに」
「そのとおり!皆ピーピー鳴いてるだけだもの。マンドレイクの方が、土に埋めたら大人しくなるだけマシよ。…あ、ミセス・シディが呼んでるわ」
 少しためらう。一週間に一度だけ、授業の中で飛ぶことが許されているこの時間はあっという間に過ぎる。
「もう少し飛んでいたいけど…」
 ヴィヴィが微笑む気配がした。どこかでミセス・シディの警笛が鳴る。
「アリスは本当に飛行術が好きね。でも戻らないと、あの人うるさいから」
「わかってる」
 バイバイ、世界。紅い空に向かって心の中で呟き、私はいつものように箒を飛びたい方向と逆向きに変える。この学校の外の世界、私が元いた世界にはいつ戻れるのだろう。また会いに来るね。
 
 飛行術の訓練が終わると、ヴィヴィは薬学の授業の宿題で、マンドレイクについてのレポートがあるといって自室に引きこもってしまった。私は変身理論の分厚い参考書を図書館で読むことにする。80年ほど前に書かれた書物だが、広く現在の魔術にも応用できる。変身術は最近大きなパラダイム変換がない。80年ほど前の理論で、すでに完成されているからだ。
 私たちが住んでいるこの世界には、たくさんの種族が住んでいる。その数はあまりにも膨大だ。形態や魔力の強さによって分類され、ほかの種族と抗争したり協力したりしながら生きている。人間の場合、魔力を持つ者と持たない者がいるが、この学校にいる人々は程度の差こそあれ皆自分の中に魔力を持つ。私たち生徒は魔法陣の作成や呪文の詠唱によって魔法を使うことを教えられる。目的は、魔力を使いこなす魔術師になることだ。
 魔法と一口に言ってもいろいろあって、人間はその分類として属性という名前を使っている。火、水、大地、大気、そして白属性の五つが基本的な分類方法だ。魔術師によって得意・不得意な魔法がある。白属性には簡単な呪文が多くてここから授業が始まるけれど、実は超上級の魔法も白属性に多い。私がまあまあ使いこなせるのも初級から中級の白属性魔法が中心だ。あとは水属性の氷魔法も得意だったりする。魔法の使い方もいろいろで、詠唱か魔法陣が一般的だけれど、魔術師の中には別の方法で魔法を使う者もいる。詠唱は人を選ばないので、レベルとしては簡単。魔法陣は私たちが挑戦できるものもあるけれど、大規模な魔法陣となると描くのにも時間がかかるし複雑になって、到底お手上げだ。ただ複雑な魔法陣は強力になる。
 私がいま勉強している変身術は、白属性の魔法の一種だ。自分自身を何か別の生命体に変えることは不可能だが、修練を積めば自分の一部を何かに変えることができる。ただ、自分自身を別の生命体に変えることが不可能なのは一般論。膨大な種族の中には、生まれつき魔法生物に変身できたり、複数の種族の特徴を併せ持っている例外もあると聞く。そういった生き物をどのように分類するかについては議論の分かれるところで、魔法生物の中にミュータントという種類があってそこに分類されるのが現在の通説だ。ただどのような原理でそのような性質が現れているのかはまだ未解明な部分が多い。
 魔法生物についてももう少し調べたかったが、目当ての書物が借りられていたので、今日は帰って明日に備えることにした。
 人気のない図書室の電気を消して廊下に出ると、人影を見つけた。
「アリス。遅くまでやってたな」
「びっくりした。アクセルなの?」
 長身の男は白い歯を見せた。指定の黒いローブのフードから除く長い髪は黒いが、天然で暗めの赤が入っている。見間違えることなんか一度もない。背が高く細身だが堂々としたその姿はいつ見ても自信に満ち溢れている。同期で最も強い魔力を持ち、騎士団長クラスになると言われている男だ。
「相変わらず勉強熱心だな。今日は何を調べてたんだ?」
彼が歩き出したので、歩調をあわせる。私たちは同じ棟に住んでいるので途中まで一緒のはずだ。階数は彼の部屋の方がひとつ下だけれど。
「変身理論について。魔法生物の書物を参考にしたかったんだけど、ダートネア氏のが誰かに借りられてたから、今日は帰ることにしたの」
「ああ、『魔法生物の真実と虚構』か?あれなら俺が借りた」
「あなただったの!教授か誰かだと思ってた」
「部屋にある。読みに来るか?」
私は一瞬迷った。彼と私の、微妙な関係。私は心地よいと思っていたけれど、彼は時間を少し早めるつもりなのだろうか。考えすぎだろうか。
「あなた、今日試験だったわよね。疲れているんじゃない?」
 決めかねて、どっちつかずの言葉をそっと彼のもとに置いてみる。彼はそれを難なく受け取り投げ返した。
「楽勝だった」
 黙って歩いていると、急に体が引っ張られた。抱きしめられていると気づいたのは、数秒経ってからだった。
「来いよ」
 かすれた声に、心が動かされる。本人は気づいていないだろうけど、彼には男としての魅力がある。同じ時期に入ってきてずっと一緒に笑ったり泣いたりしてきた仲間だから、今更こんなことになるとはあまり考えていなかった。…少し、嘘かも知れない。
「…あなたにそう言われて逆らえる人は、あまりいないと思うわよ」
「それは、イエス、ってことでいいのか?」
「あなたほど頭が良くても、遠まわしな言葉はあまりわからないのね」
「男は明快にしておきたい生き物なんだ。習わなかったか」
「ああ、それなら確かに、どこかで習ったことがあるわ」
 アクセルがにんまりと笑う。私は誘導されるがままに彼の部屋があるフロアに足を踏み入れた。アクセルが先を歩く。こんなに背中が大きかったっけ、と思いながらあとを付いていく。
「あなたはヴィヴィのことが好きだと思ってた」
アクセルは顔をしかめながら、ドアを開けて自分の部屋に私を招き入れた。
「ヴィヴィは露出狂だろ。あんまりそういうふうには見れない」
「あはは。ヴィヴィのそういうところがいいっていうファンも多いわよ」
ドアを閉めたとたん、熱を持った息を顔に感じた。唇が強引にこじ開けられる。暗い。カーテンの隙間から弱い光が少しだけ漏れる。ねっとりと絡み合う舌と二人の荒い息遣いだけが個体の存在を知らせる。後ずさりすると、そのままベッドに押し倒された。真っ暗な中に、どんどん落ちていきそうな錯覚に陥る。実際にはそんなことはなくて、弾力のあるベッドが私の落下を食い止めた。
 猛追が一段落してから、唇をやっとのことで離す。
「明かりをつけて」
「どうして?」
「あなたの顔もわからないの」
「見えない方がいい」
「私は見たいわ」
 手探りで長い前髪をすくい上げ、輪郭を確かめる。大きな手が、私の手に重ねられた。
「ごめん」
 吐息のような謝罪の言葉の余韻を楽しんでいると、遠くの明かりがつけられた。
 ああ。こうやって私は、なんの変哲もない日々を過ごしていくのだ。きっとこの箱庭から出ても変わらない。わかっている。誰かに出会い、愛し合い、迷い、探し出し、失う。この命が尽きるまで。


 長く甘ったるい夜もおわり、わたしは日の出前に自分の部屋に戻った。アクセルは眠ったまま私を強く抱きしめていたけれど、何とか抜け出すことができた。昨日のうちに自分の部屋に戻らなかったことをヴィヴィが気づいていたら、かなり問い詰められるに違いない。ビスケットをかじり、甘いお茶をいれる。寝不足のせいでうまく働かない頭を小突きながら、朝一の授業の準備をして仮眠を取った。
「ねえねえアリス?起きてる?」
 扉をどんどん叩く音で目が覚める。この声は、ヴィヴィだ。生まれたての雛みたいにボサボサになった髪の毛を申し訳程度にとかしてから、寝巻きの白いローブのまま扉をあける。
「どうしたの?」
「昨日、図書館から帰ってきた?」
 開口一番、これだ。この子は無駄に勘が鋭い。隣の部屋だから確かに帰ってこなかったらわかるけど…ちゃんと薬学の宿題に集中していたのかしら。
「ん…その話はまた後で。いいでしょ?」
「なにそれ!ちゃんと言ってよ、気になって眠れなかったわ」
「嘘ね」
 ヴィヴィは起きているときは、人がいなければいつでも鼻歌を歌う。昨日帰ってきたとき、彼女のゴキゲンな鼻歌は聞こえなかった。
「言いすぎたわ、ごめんね。でも教えてよ、私たち親友でしょう?」
 ヴィヴィは臆することなく、口先だけで嘘をついたことへの謝罪を述べる。
「授業の用意できてるの?」
 ヴィヴィは得意げに肩からかける大きな授業用バッグを開いて中身を見せてきた。…くそ、ちゃんと全部揃っている。わたしは両手をあげて降参の意を示した。
「中で待ってて。支度するから」
 ヴィヴィはよくわからない返事をして部屋に入り、ソファーに腰を下ろした。適当にコーヒーを出す。寝る前に準備をしておいて良かった。鏡の前に向かい、手ごわいくせ毛を濡らして撫で付ける。今日は紐で結んでごまかそうかな。
「アクセルと付き合ったの?」
 ヴィヴィが聞きたくてたまらないような声色で囁く。
「うん、驚いたことに」
 隠すのもなんだから、早いところ白状しておく。ヴィヴィの表情をちらっと確認すると、満足気な顔をしていた。
「まあ、もう少しで付き合いそうな気はしてたけどね」
 今度は私が言葉にならない返事をして濁す。指定の黒いローブにきがえようとして、留め具が髪に引っかかってしまった。
「どうよ、今の気持ちは」
「うーん。彼は素敵ね」
 認めると、ヴィヴィはコーヒーカップをガチャガチャ言わせた。
「頭もいいし、最高なんじゃない?ベティたちのやっかみがまた激しくなりそうけど」
「当面は秘密にしておくわよ。よし、準備できたわ」
 良い香りのする粉を、自分とついでにヴィヴィにもパラパラと振りかける。以前ヴィヴィと一緒に買ったものだ。この小さな箱庭の外にある業者に、学校を通じて頼んだだけだから、この美しい粉末を作っている人達の事をわたしは何も知らない。
「相変わらず早いわね。行きましょっか」
 二人でぺたぺたと廊下を歩き始めてはたと気づいた。基礎魔法陣の授業はアクセルも一緒だ。ちなみに私とヴィヴィの天敵、ベティもいる。ベティがなぜ天敵かという話はかなり長くなるが、仲が悪い理由の一つにアクセルも絡んでいるから面倒くさい。
「あら、お二人さんじゃない。今日は珍しく早いのね?」
 言わんこっちゃない、ベティだ。黄色がかかったブラウンの巻き毛を揺らし、くすくすと笑いながら私たちを追い越していく。
「私たちはあなたと違って、始業より40分も早く行って男としゃべるような余裕はないのよね」
 皮肉を交えて呟く。しっかり聞こえていたようだ。
「アクセルに構ってもらえなくてひがんでいるのかしら?育ちの悪さがうかがわれること」
 ベティは鼻息荒く遠ざかっていった。ヴィヴィがわざとらしくため息をつく。
「ひがんでいるのはどっちかしら?アクセルは二年前くらいから、明らかにアリス狙いだったのに」
「嘘でしょ?」
 びっくりしてバッグを落としそうになった。これはいつものヴィヴィの誇張表現かな?
「どうしてそんなに意外そうな顔するのよ。もしかして昨日男らしく振舞われるまで気づかなかったって言うの?」
「全然わからないわよ…私がいいなって思ったことは確かに何回かあったけど」
「まあ、本人はかなり隠してはいたけど、それでも積極的だったって。まったくもう…こういうところがベティ様の不興を買うのかもしれないよね」
 そんなことを話しているうちに教室についた。ベティはやはりアクセルの隣に陣取って作り笑いを振りまいている。ベティがアクセルにくっついているのはかなり先を見据えてのことらしいが、あのブレない根性はある意味尊敬に値する。そしてアクセルが昨日の今日でいつもどおり起きて勉強していることも、それは素直に素晴らしいと思う。
 私に気づくとアクセルはぱっと顔を輝かせた。ベティがすこしかわいそうになる。
「アリス!体調は大丈夫か?」
 どうやら具合が悪くて自分の部屋に帰ったのだと思っているらしい。ベティの前であまり言って欲しくなかったから、わたしは咄嗟にアクセルを手招きした。
「あの、ベティと何を話してた?」
 ヴィヴィが溢れんばかりの笑顔でアクセルとハイタッチする。わたしは雰囲気を作るために真面目な顔をしてアクセルに詰め寄った。
「今日の授業のことだけどそれがどうかした?…大丈夫、昨日の俺たちのことは言ってないから」
 なるほど察しが良い。わたしは詰めていた息を吐き出した。
「おおごとになるのは嫌だから、あんまり言いふらさないで」
 ヴィヴィがニヤニヤ笑っている。アクセルの顔にも徐々に笑みが広がった。
「ああ、いいよ。アリスが望むなら。でも、男同士は牽制していいか?」
 楽しそうなアクセルを見て、肩をすくめる。
「良心の範囲内でご自由に」
 ヴィヴィがお腹を抱えて笑うので、ベティがちらっと振り返った。視線が外れた私を見て真剣な態度ではないと思ったのか、アクセルがすこし大きな声で詰め寄ってくる。
「俺がベティと話しているのはいいのか?」
 何か言って欲しそうな顔だ。ヴィヴィが私とアクセルの顔を交互に見て、また吹き出す。
「それもあなたの良心に任せるわよ」
「仰せのままに」
 アクセルがふざけて敬礼をする。空いていたベティの隣にそばかす男子が座ったのを見て、ヴィヴィがガッツポーズをした。ベティが苦虫を噛み潰したような顔で椅子を男子と反対側に移動させる。ざまあみろ。
「今日は勝利の日よ。祝杯をあげましょうか」
 ヴィヴィが私のおへそあたりをパンチする。私の真面目な顔は、とうに崩れていた。
「俺はふたりの前に座るよ、いいよね?」
「何言ってるの、二人で座りなさいよ」
 ヴィヴィがぐるりと目を回す。わたしはなんといっていいのかわからなくて曖昧な笑みを浮かべた。
「露骨なことしないでよ、ヴィヴィ」
「これまでだってあなたたち二人隣同士だったこと何回もあったじゃない。いいわ、私の友達はアリスとアクセルだけじゃないから。」
 ヴィヴィがわざとほっぺを膨らませる。ヴィヴィは綺麗だし話しやすいから、実際たくさんの友達が居る。私よりずっと多い。ただ、男友達ばっかりだけど。
「次はヴィヴィの番だな、男ができるのも。協力するよ」
「いいって、私に選ばせて。自由にするわ」
 話しているうちに教室が徐々に人で埋まってきた。先生もローブを引きずりながらやってきて、バタバタと音を立てながら授業の準備をし始める。私たちも席につくことにした。アクセルが隣に座って、ふんわりと柑橘系の香りがする。ふたりの関係が変わったことを示すものは何もないのに、今になってこそぐったくなって、わたしは髪の毛をアクセルの方に垂らして壁を作った。

 基礎魔法陣の授業のあと――正直アクセルの隣で授業を受けるのはすこし、いやかなり刺激的だったけど、そんなことは置いておく――お昼をはさんで変身術の授業があった。今日は実技で、ヴィヴィとペアを組んだけどイマイチ調子が悪かった。クタクタに疲れていたけど、その夕方、私は校長室に呼ばれた。
 この学校を統べる若き校長、ガズフォードは、私たちの国、ディスベルガを守る正軍の元隊長だ。
 ディスベルガはこの世界で最も産業的に発展している国だと言われている。しかし政治的に不安定な部分もあって、資源を巡って他国と戦争になることが多い。そんな時、国の威信を守り、強国として君臨し続けるために戦うのが軍隊である。学校を出た者のうちかなりの数が軍に所属する。医者、研究者、教育者、政治家、魔法生物の飼育者などが他によくある将来。魔法士官学校はディスベルガ中にもう一つあり、そちらでは研究者を主に養成している。
 ヴィヴィは医者を、アクセルは騎士団に入るのを目指しているが、私の夢は「記述者」だ。魔法士官学校に入る前の記憶がない私は、世界の全てを書き記し後世に残したいと思う。ひとりで生きていくためには力と知識が必須。だから私は、おそらく自分が選んだであろうこの魔法士官学校での閉鎖的な生活からできるだけ多くのものを吸収しようとしている。変身術もその一つだ。
 ガズフォードは私をこの箱庭から出してはくれないけれど、私の夢を理解してくれてはいる。校長から直接発展的で幅広い分野の指導を受ける機会が成績上位者を対象に募集されたとき、私はもれなく応募して、全校の中で三人に選ばれる栄誉にあずかった。記述者になるためには特別な勉強が必要でそれを教えられる教授はいないから、ガズフォードがそれを教える時間をたまにとってくれる。校長のことをみんながファーストネームで呼ぶのは、非常に良い風習だ。
「アリスです。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
 校長室の重厚な扉をたたくと、穏やかな声が答えた。
 音を立てて扉を開ける。ガズフォードは肘掛付きのいつもの椅子に腰掛け、リラックスした様子で私に笑いかけた。銀色の長い髪の毛と、切れ長の理知的な瞳。穏やかな雰囲気からは、彼が数年前まで第一線で防衛活動をしていたとは想像できない。
「こんばんは、アリス。」
「ごきげんよう、ガズフォード。お時間を割いていただいてありがとうございます」
「では、早速始めましょうか。伝えたいものを長いあいだ保存しておくことについて今日は教えます。」
 記述者は単に文字だけを書き記すだけではない。必要であれば、重要なモノを文字列にして、読まれたときに現出させる魔法を使うことがあるとひとつ前の個人授業で習った。一種の召喚だ。文明が失われたあとも、文明の成果物を後世に残すことができる。
「基本は召喚魔法陣と似ていますが、モノを文字列にし、永久に保存させ、何度でも再生できるようにしなければならないので、二重三重の手間がいります。衰弱するので、よく訓練された記述者でも、数日間は魔法ペンが握れないほどです。しかし、記述するべきだと思った場合は、迷わず使うようにしてください。原理のことを話す前に、文字列にできるモノとできないモノについて説明します。」
「命は文字列にできませんよね。」
「はい。それから、魔法を魔法で文字列に直すことは、原理上可能ですがやってはいけません。いつでも作動してしまい甚大な被害を被るのです。一等魔法陣を記述しようとした、“堕落した記述者”の一人、ウラキアをご存知ですか。」
「はい。”近代記述者の系譜”で学びました。」
「良く読み込んでいますね。ウラキアが記述した一等魔法陣と、その暴走による悲劇は頭に入っていますか」
「同輩であった魔術師、故・ジークレイン指揮官が考案した、大地・大気系一等魔法陣”星座崩し”を、偉大な出来事として記述しようとしました。記述に成功したと思われたが、翌日の夜、微細な気温変化により魔法陣が暴走しました。ウラキアの妻とジークレイン指揮官を含む170名が死亡し、580人が重傷を負う大惨事となりました。ウラキアは死刑になりました」
「概ね正解です。正確には、気温変化ではなく湿度変化が原因、ウラキアは当初の判決が死刑でしたがその後情状酌量され国外追放にとどまりました。」
 ガズフォードの見識の高さにはほとほと舌を巻く。私は敬意を表するため手の前で指を組み合わせた。
「認識を改めます。」
「いいですよ、ほとんどあっています。ウラキアの悲劇を繰り返さないよう注意してください。教科書を見ていただければわかりますが、魔法の式を記述するのは何の問題もありません。」
「わかりました。」
 ガズフォードは胸のあたりまである銀色の長い髪を揺らして、机の後ろにある本の山から一冊の本を取り出してきた。パラパラとページをめくりながら話す。
「魔法をつかう場面を切り取って保存・記述するときには、グラフィック化することが重要になります。このことについては後で言及します。では記述したい現象の種類に応じて類別しながら原理を説明します。…」
 飛ぶように時間が過ぎる。こうして知識を実践的に自分の中に貯めていくことは、失った記憶を埋めているかのようで、とても楽しい。
「そろそろ、終わりましょうか。」
「…はい。」
ドッと疲れが襲ってくる。私は椅子の背もたれに体を預け、乾いた喉を潤した。
「最近飛行術訓練も頑張っているようですね。ミセス・シディから聞いています」
 あの鬼教官が、自分のことを評価してくれているとは意外だった。咄嗟に照れ隠しのような返答をしてしまう。
「好きなだけです。」
 ガズフォードは立ち上がって古い本を本棚に戻しながら、優しい声色で言った。
「好きという感情は、素晴らしいものですよ。あなたは本も好きですね。」
「本は、私の世界であり、それ以上のものです。」
 私はガズフォードの書斎に積み上がる書類の山を見ながら、もう一口水を飲んだ。このあと彼は夜中まで仕事をする。いつか倒れてしまわないかと、心配になる。彼はこの仕事が好きなのだろうか。けれど、私が聞いてなんになる。わたしは学問的なことに気持ちを戻した。
「そういえば、魔法倫理の勉強でひとつ疑問点があったのです。ただ、なかなか教授が捕まらなくて…ガズフォードにお聞きしても?」
 ガズフォードは柔らかな笑みを浮かべた。
「どうぞ。専門ではないのでお答えできるかわかりませんが」
「この世界の悪を背負っているといわれる性質悪の存在の不死性が理解しがたいのです。まず確認ですが、妖精は、心の弱さをつき、対象の願いを叶える代わりにそれよりもっと重くこの世界を崩壊に導くようなことを要求する存在ですよね。グールは、フェニックスを食べたことにより、一億人の魔導師を集めても敵わないくらいの魔力を持つにいたった人間兵器。ダークエルフは、生命を蘇生させるという禁忌を犯した結果として、自分のまわりの生命をすべて死に至らしめる存在。この定義はおおむねあっていますか?」
「はい、その通りですよ。」
「これらはこの世界に一個体ずつだけ、不死身で存在し続けているということですよね。どうしてそんなことができるのですか?未知検証『そうでないことは証明できない』から発展したバルバドスの普遍性定理8段によれば、『不死・不変は存在し得ない』とあります。性質悪は、言葉を選ばずにいえば、それ自身逆説的な普遍性定理の枠外にあるということですか?」
 ガズフォードは私の言わんとしていることを瞬時に理解したようだった。
「それは私自身、学生のころに気になったことですね。結論から言うなら、性質悪は普遍性定理の枠外にあるというあなたの仮説は正しいです。バルバドスの権威もあって、大々的に記述されていないので、学問を志す者の多くが立ち止まります。神が存在するかやその全能性、聖性については議論が終着点を見ていませんが、イメージ上で言うなら、性質悪は世界の監督者のような存在と言えるでしょう。」
「それは冒涜では…」
 比喩が腑に落ちなかったから、言葉をはさもうとすると、ガズフォードは手をあげてそれを制止して、話を続けた。
「魔法倫理や哲学の問題にも関わりますが、絶対的な悪や絶対的な善が存在するかどうか、またその包括範囲については、途方もない時間がかかっても客観的な意見を持ち得ぬところがありますので、批判的に考える余裕が必要であると考えます。」
 ガズフォードが手をおろして私の発言を許したけれど、わたしは別のことが気になってきてしまった。
「性質悪はいつから存在しているのですか?」
 自分でも好奇心の塊みたいで子供っぽいなと思ったけれど、ガズフォードは微笑んでくれた。
「いつからでしょうね。私にもわかりません。アリス、それを記述するというのは非常に有意義な仕事になりますよ」
 つられて私も笑ってしまう。とても魅力的な提案だ。
 ちらっと時計を見ると、かなり長いあいだ話し込んでいたことに気づく。ガズフォードも同感のようで、やんわりと背筋を正した。
「そろそろ終わりましょうか、アリス。疲れているでしょう」
 ガズフォードのほうが疲れていると思うけど、それは口に出さずにわたしは席を立った。
「ありがとうございます、ガズフォード。とても刺激的でした」
「教育者としてあなたを誇りに思いますよ、アリス」
 思いもしなかった賛辞に、わたしは顔を赤らめた。
「…。良い夢を」
 ぼそぼそとつぶやき、校長室を後にする。ふと外を見ると、月が明るく輝いていた。

 忙しく一週間が過ぎ去った。いつものように、一週間で一番楽しみな飛行術の訓練が始まる。簡単なテストをクリアして、わたしはヴィヴィと一緒に気ままな自由時間を過ごしていた。
「そういえばヴィヴィ、薬学の課題を頑張っていたみたいだったけど、どうだった?」
「スレスレよ、評価C。薬学はやっぱり苦手だわ」
 ヴィヴィは口をへの字に曲げた。上空からは、テストに手こずる何人かのほかの生徒がよく見える。優越感を舌の上で転がしながら、わたしはヴィヴィのほうへ視線を移した。
「選択科目なのに、よくとったわよね。私なんか去年で早々におさらばしたわ」
「だから、何度も言ってるでしょう。数式理論、発展魔法陣B、地政学、薬学、魔法生物一般、魔法倫理。このなかから二つって言われたら消去法しかないのよ。」
「わたしはけっこう迷ったけどなあ」
「アリスは特殊事例よ」
 ヴィヴィが箒の先で私を軽く小突く。
「アリスがとってるのは数式理論と地政学だっけ?」
「あと任意選択で発展魔法陣Bもとってるわね。成績が心配だから評価換算には入れないかもしれないけど」
「ああ、そうだった。狂気の沙汰よ。発展魔法陣Bなんて二科目分くらいの内容があるのに」
「実際、受講人数はとっても少ないわね」
 と認める。ヴィヴィは大げさに首を振った。
「まず数式理論なんて取るのが信じられないわ。あんなの古代文字よ。暗号よ」
「もともとわかってるのをやっても意味ないじゃない。わからないのが分かるようになると達成感があるの」
「私が理解できるような代物じゃないんだってば。あーあ、アリスと一緒に魔法生物受けたかったな。あれはすごく楽しいから」
「ああ、魔法生物も私取りたかったの。ほんとうよ…どうしたの?」
 ヴィヴィが加速をやめて遠くにある森のほうを見つめているのに気づく。
「あれ、なんだろう?」
 ヴィヴィの肩の向こうに目を凝らすと、森のある一点から白い靄のようなものが立ち上がっていた。あの森は立ち入り禁止区域だけど…何かあったのかしら。
「…前はあんなのなかったよね?」
「ええ。なんか面白そうね、行ってみましょう」
ヴィヴィに負けじと加速する。近づいてみると、靄がキラキラ輝いているのがわかった。
「なんかの魔法かしら」
高度を保ち、注意深く靄の発生源を覗き込む。突然、胃がムカムカしてきた。
「…ヴィヴィ、なんかお腹の調子が悪いかも」
「えっ?腐ったものでも食べた?」
「急加速で胃がひっくり返ったみたい」
「あはは、ちょっと待てば治るかな」
「私はここで安静にしてるわ。ヴィヴィ、見てきてよ」
「わかったわ。探検に夢中になって、ミセス・シディからのお言葉を聞き逃してるかもしれないから、何かあったら大声を出して」
ヴィヴィはウィンクして、鼻歌を歌いながら眼下の森に消えていった。ここからは茂みに遮られて、靄の出処がよく見えない。好奇心に駆られて水平移動をし、靄の目と鼻の先まで行って止まった。危ないかも知れないので触らないようにする。
「ヴィヴィー?なにか見つかった?」
「草に箒が引っかかっちゃって、今脱出しようとしてるとこー?」
 ヴィヴィの能天気な声が聞こえたけど、わたしはあんまりいい気分じゃない。
「助けに行きたいところだけど、お腹がもう限界。吐いちゃう」
本当だった。お腹の違和感は胸まで広がっている。手先と足先が冷たくなってきた。指を擦り、少しでも温めようとする。おかしい。春なのに。
「ヴィヴィ、早くして…なんかすごく、嫌な感じ」
最後まで言わないうちに、けたたましい音が脳内に鳴り響いた。非常事態?
「全学生及び教授に告ぐ。ガズフォード校長が倒れているのが発見された。副校長四名は至急校長室に集結のこと。禁止区域のバリア再構築を図る。ほかの教授は速やかに授業を中止し、生徒の安全確保に当たること。繰り返す…」
頭までガンガン痛い。何を言っているのか聞こえない。目の前がチカチカしている。急に強い力で揺さぶられた。
「アリス、大丈夫!?顔面蒼白よ。聞いた?ガズフォードが倒れたって」
「え、ヴィヴィ?ごめん、何を言っているのか、よく…」
「しっかりして!まずは箒にしっかり乗って。あなた、振り落とされそうよ」
「ん…下は見てこれた?なんか全身が、痛い…」
「池があっただけだったわ。とりあえずミセス・シディのところに戻りましょう」
 ふっと体がかしいだ。青空が見える。それがいきなり白く染まった。
 だれかの叫び声が聞こえる。ヴィヴィ?
 あ、やだ…なにかが、おかしい…
「あああああああああああああああ」
甲高い悲鳴。
 ここにいてはいけない。
 
目の前は真っ赤だった。遠くで誰かが叫んでいる。
…あたしだ。
「あああああああああああああああああああああ」
突風に赤いものが揺れる。蛇のようにのたうちまわっている、この、赤いものは何?
…あたしの髪の毛だ。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ」
…ああ、私は誰?

砂の太陽

ここまでお読みいただけて嬉しいです。ありがとうございました。

砂の太陽

AdeleのHelloという曲を、皆様聞いたことがありますか? 自分の内側のもうひとりの自分に向けて歌った曲だと解釈して、そこから想像して作った長編小説です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted