ビケイム・ネクロティック #1 #2

 一 卒業文集のテーゼ

 あれは、きっとそう。雰囲気は違ったけど、絶対にそう。ページをめくりながら、とても不思議だった題名を探している。
 「あら、またなの。こっちから連絡しても帰って来ないのに。」
 玄関から母の声がした。仕事終わりの気だるさの、まつわりついた声。そのままスタスタとキッチンへ入って行く。すぐに、ガラガラとうがいをする音が聞こえてきた。
 「咲子、今日はご飯食べて行くの?連絡くれなかったから、何もないわよ。この前、忘れていった水餃子、今度は忘れないでね。お父さん、悲しい顔をしていたわよ。」
 来来中華飯店のオーナーシェフである父は、たびたび店で出す点心などを冷凍して持ち帰る。そして、一人娘の私に大量に押しつける。一人暮らしで、どちらかと言えば少食の私には、五十個の水餃子は多すぎる。
 「はいはい。晩ご飯、どっちでも良いよ。お母さん、今日、ジムは?」
 分厚い冊子のページを繰りながら、私は無関心に聞く。どうせ、一人でジムに行くくせに、後で泊まっていけとか言うのだ。いつものこと。
 「お父さん、仕事だからね。少ししたらジムに行くわ。」
 ほら、ね。自分が早番の時は、決まってジムに行く。私が自分から帰ってきた時にも一人残して。あ、これだ。私はお目当てのタイトルを見つけた。「不壊」。初めて見た時は「ふかい」って読んでいた。
 ———不壊、ぼくはそれを手に入れたいです。世の中のものは、すべて形を変えたり、形をなくしたりしてしまいます。その時その時に、どんなに大事なものでも。ぼくにはそれが耐えられません。だから、絶対に形の変わらない、絶対に形のなくならないものが欲しいのです———
 高校の時はそう思わなかったけど、今読んでみると、こう、何というか、少し「病んでいる」感じがする。十七歳で、というのもあるけど、外見の印象とか雰囲気と違うというか。
 「お前、そんなものを引っ張り出してきて。同窓会あったの、この間じゃない。」
 いつの間にかリビングに来ていた母が、背後からのぞき込んでいた。勝手に、また、人がすることにいちいち首を突っ込んで。私は少しイライラした。
 「やめてよね、そうやって、何も言わずにのぞき込むの。ジムに行くのなら、さっさと行ったら。もう六時になるよ。」
 タオルを首にかけて準備万端の母が、掛け時計にちらりと目をやった。それから、はいはいと言うように手を振って、棚の上のビニールバッグを抱えた。私は、もう邪魔をされたくないので、母がリビングから出て行くのをしっかり見送った。
 どこでこんな言葉を覚えたのだろう。意外に読書好きなのは知っていた。世界史とか、政治経済の授業の時、教科書に隠しながら文庫本を読んでいた。現代国語は、いつも先のページを読み進めていた。でも。
 沢木正人。高校三年生の時のクラスメイト。受験が近づいても男子たちと明るくじゃれ合っていて、いたずら好きで、でも、女子には、何というか、こうジェントルで。細面で、少し長いもみあげがトレードマークだったから、「ルパン」って呼んでいた。
 その「ルパン」がこんな文章書いていて、あの頃の私にはちょっと驚きだった。そういう意外性も「ルパン」に似ていると思ったのかもしれない。でも、今日すれ違った沢木くんは、「ルパン」ではなかった。全然。
 どこか艶かしい、いや、フェミニンという感じだろうか。髪も昔みたいに短くなくて、首にサラサラとかかっていたし、服も少し丈の長い合わせ着だった。色合いもオフ系で、おしゃれなカフェの店員さんみたいだった。
 まあ、卒業してからもう十年も経つし、この前の同窓会に来ていた人たちもずいぶん変わっていたから、そんなものだろうけど。案外、本当にカフェでスタッフをしているかもしれないし。
 私は卒業文集を閉じて、二階の自分の部屋に戻った。あ、母に卒業アルバムのしまってある場所を聞くのを忘れた。就職してから一人暮らしを始めると、私の部屋には徐々に物が置かれて行った。
 卒業文集はたまたま机の横の棚にあったので見つかったが、前にアルバムがあったはずの場所には、色あせた韓流スターの写真集があった。もちろん、私のではない。この作り変えられた世界のなかで、私のアルバムを見つけるのは無理だった。
 「もう、自分のものは自分のとこに置いてよね。いらないのだったら売れば良いのに。」
 つい、文句が口をついて出た。と、その一昔前のような写真集の横に、金色の縁の紙が角をのぞかせていた。取り出してみて、私は忘れていた時間を一息に思い出した。
 それは、高校の卒業式にクラスで書いた寄せ書きだった。小さな文字で埋められたカラーコピーが色紙に貼ってある。そこから探し出した自分のメッセージは、少し恥ずかしいものだった。
 ———沢木くんてルパンに似ていると思います(笑)———
 皆が卒業という別れの節目にふさわしい言葉を書くなか、私は沢木くんという個人についてどうでも良いことを書いている。いや、違う、そうじゃない。あれ、私だけだったのかな。そうだ、沢木くんの「公式」のあだ名は違っていた。
 忘れていただけに、思い出したくなかった。自分だけが密かに彼を「ルパン」と呼んでいたこと。そして、そんな彼に好意を寄せていたこと。それから。
 ———サワッキーとめぐめぐ、末長く幸せに———
 ———めぐめぐ、サワッキーをよろしくな!ヒュヒュー———
 ———結婚式には呼べよ、サワッキー————
 何人かの男子が、沢木くんをからかった寄せ書きを残していた。そう、沢木くんは藤川芽美と付き合っていた。周りがひやかすぐらい、とても「親密に」。二人は「そういう関係」だと言う人もいた。
 人は過去からの不意打ちに遭うことがある。私は今、それを初めて体験した。沢木くんのことを、私はずっと好きだったのだ。陸上部の芽美は、とても明るくて活発で、女子にも友達が多かった。私は、たぶん、違ったと思うけど。
 ふと思った。沢木くんが文集に書いていた内容。あれは、芽美とのことを指していたのだろうか。変わらない愛、壊れない愛。芽美との「不壊」の関係。
 ———みんな、卒業してもよろしく!———
 肝心の沢木くんの寄せ書きは、とても穏当だった。誰もからかわず、芽美にも触れていない。
 ともかく落ち着こう。私のは一昔前の淡い恋心に過ぎない。あれから、私だってそれなりに男の子と付き合ったりした。今は一人だけど、まあ。そう考えると、何かにつけて結婚を口に出す母の顔が浮かんだ。もう。
 それよりも気になったのは、同窓会に沢木くんも芽美も来ていなかったことだった。二人の話も、たしか出なかった。沢木くんをからかっていた広瀬くんは来ていたし、依田くんも来ていた。二人が結婚したなら絶対に話題になっていたはず、いや、それも昔のことか。
 大人になるとは、そういう、振り返れば幼く見える過去を捨てていくことでもある。私もすぐに三十の大台に入る。ふう。
 リビングでマンションに帰ろうかどうしようか考えた。水餃子を持って帰って、温めて食べるか。でも、休日の終わりに一人、もくもくと口を動かすのは、何だか違う気がする。慣れてはきたけれど。
 考えるでもなく考えながら、携帯電話でお笑いの動画を観ていると、坂井さんからのLINEのメッセージが画面の上に表示された。「咲子、今、仕事?」。同窓会で再会したかつての友人、坂井裕美さんからのメッセージ。
 ———ううん、休み。で、実家。———
 憂鬱な印象を与えるスタンプを添える。すぐに返事が来た。「なら、晩ご飯一緒にどう?」。最近流行っているキャラのスタンプが、いたずら顔で舌を出している。
 前ならほんの一握りの親しい友人以外とは外食なんて遠慮していたけど。しかも二人きりとか、気まずかったし。歳をとるとは、そういう慣習も変わることなのかもしれない。
 ———いいよ、何を食べる?———
 坂井さんは市内の創作フレンチの店を提案した。お値段は少し高め、でも、一人で水餃子を食べるよりマシか。OKのスタンプを返して、リビングのソファーから腰を上げた。ふと、もしかして、坂井さんなら、沢木くんたちの「その後」を知っているかもしれない、と思った。
 掛け時計は七時前を指していた。


 二 野ばら

 やっぱり、来てないか。そりゃあ、気まずいか。来たらとことん詰ってやるつもりだったのに。
 あ、あそこにいるの、広瀬と依田だ。うわあ、依田、額「きてる」なあ。まだ三十にならないのに。あれじゃあ、デブの吉井の方がずっとマシだわ。
 「あれ、裕美じゃない。ねえ、裕美でしょ。」
 後ろから声をかけられて、坂井裕美は振り返った。基調が青色のシックな、でもどこか優美な感じのロングドレスを着た女性が、シャンパングラスに細やかな指をかけている。
 「えっと、ち、千里?奥村千里!うそ、本当に?」
 声に出してから、少し失礼かと裕美は思ったが、それくらい高校の時とは雰囲気が違っていた。真面目一辺倒で、「メガネぽっちゃり」だった千里が、何だかセレブめいている。でも、目元は変わらない。たしか有名私大に進学したとか聞いていたけど。
 「久しぶりね。あ、今は横山なの。四年前に結婚して。」
 そう言う千里の薬指には、やや大ぶりのダイヤが光っていた。どうやら本当にセレブになったらしい。どことなく自信に溢れている。十年前なら、もっとオズオズしていたのに。
 「結構、みんな来るのね。もっと閑散としているかと思ってた。」
 高校時代の同窓会に来るのは、そもそもその後それなりに「成功した」者たちだけ。誰かがそう言っていたのは本当ね、私も含めて。裕美は思った。そちら側の人間に、千里が入ろうとは思っていなかったけれど。
 「そうね、幹事の笹崎くんが頑張ったんじゃないの。」
 裕美はそう言うと、パーティーテーブルが並ぶその奥でマイクセットを準備している男性を見やった。笹崎健吾、昔からその裏表のない実直な性格で、生徒会長も務めた。ああいうマメなところは、そのままだ。
 「今、代議士の秘書なんでしょ、笹崎くん。高校の時から路線は決まってたみたいね。クリーンで、いかにも将来、国の生徒会長に就きます、みたいな。」
 と、思わず軽口をきいた裕美に、千里も軽口で返した。
 「ふふ。そうね。うちの横山とも親しいのよ。いずれは国政に出るでしょうね。私たちのクラスで初の議員、今のうちに名刺でも交換しておくと、何かと都合が良いかもよ。」
 裕美は千里の口ぶりに驚いた。なるほどね、有名私大で将来有望株を見つけて永久就職か。およそ、そんな道を辿るとは思わなかったけれど、そういう「したたかさ」嫌いじゃないわ。「メガネぽっちゃり」、見事に返上というわけね。
 その時、ピーという高い音が少し響いて、皆がマイクを手にした笹崎健吾の方を見た。笹崎はこういう場に慣れているのか、注目が集まるのをまったく気にせず、平然と話し始めた。
 「失礼します。この度はお忙しいところ多数お集まりいただき、ありがとうございます。高徳高校七五期生同窓会の幹事代表として感謝いたします。すでに、知己の方との挨拶は済んでいるところと思いますが、ここで、本日ご来席された、かつての担任の先生方に一言ずつ挨拶をお願いしたいと……」
 一クラスならいざしらず、総八クラスの担任に声をかけるとは。千里の言うように、本当に国政に出るくらいなら、担任の先生たちも矜持を持つに違いない。それに断りにくいか。そう思って裕美が横を見ると、千里はすでにいなくなっていた。
 「そうですか、横山の妻は妻で、色々とロビー活動が必要ということね。」
 口に出すと、何だか馬鹿らしくなってきた。テーブルに置いてあったグラスを手にとって、残りのシャンパンをゆっくりと飲み干した。会場の奥では、金襴緞子の屏風を背景に、白髪の男性が熱弁を振るっていた。
 「お、坂井、久しぶり。お前、あれだろ、海外旅行の代理店だったっけ。」
 そう声をかけた相手は、精悍な顔つきで、大柄の身体を窮屈そうにスーツに押し込めていた。たしか、篠、篠田だったっけ、体育会系の、ええと。
 「篠田、篠田だよ。ラグビー部だった。あれ、忘れた?国体に応援に来てくれただろ。彼氏の、飯村と一緒に。」
 国体、応援、飯村?そうだ。飯村くんと付き合っていた時に、親友だからって応援に行ったのだった。あの後すぐ、ケンカして別れたけど、そうだった。すっかり忘れていた。
 「思い出した。ごめん。篠田って、まだラグビーやってるの?その身体って。」
 スーツのなかに秘された筋肉の張りを想像して、裕美はぐっと自分の身体を近づけて聞き返した。飯村くんたちとは違う、たくましい感じ。抱きしめられたらどんな感じなのだろう。
 「あ、ああ。一応、その、日本代表の候補には、選ばれてる。強化選手って言うんだけど。大学でもこればっかりだったから。」
 その仕草がラグビーをしている証なのか、両手でラグビーボールくらいの大きなレモンをなぞって見せた。身体の大きさに反して、小憎らしいくらい可愛い。強化選手なら、海外へも遠征に行くはず。悪くはないわね。
 「そう言えば、サワッキー見てないけど、来てる?」
 裕美の迫るような瞳に気づかず、無邪気に篠田は聞いた。裕美は少しムッとしたが、そういう鈍いところも嫌いではない。こういう男の方がタイプになったのは、そうだ、大学を卒業してアイツと出会ってからか。
 「私も探したけど、来てないみたいね。って、でも、私も大学卒業前くらいからは音信不通よ。同じ大学って言っても、学部が違うからね。」
 そう、単科大学でも就活を始めたらバラバラになると聞いた。ましてや、正人は親友ではない。むしろ友人でもないと言うべきだろう。もし芽美がいなかったら、そもそも話しさえしてない。
 「なあ、オレ、クラスは同じだったけど、そういうこと疎くってさ。けっきょく、サワッキー、藤川とはどうなったの。結婚する、みたいな話じゃなかったっけ。」
 これだから体育会系は。まあ、でも、そういう真っ直ぐなのは、スポーツマンと言うべきね。健全な精神は健全な肉体に宿れかし。スポーツマンシップってやつを地で行っているわけね。でも、篠田、それは、私には言えないの。いや、言いたくないの。
 「さあ、ね。芽美が専門学校に入っても、行き来はしていたみたい。あまり知らないんだ。医療系の専門学校ってさ、大学と違って忙しいじゃない。人の命を預かる看護師の卵だからね。」
 そう、芽美は目に見えて忙しくなった。特に二年目、国家試験が迫ってから。実習にレポートが重なって、そのうえ試験勉強も必死にしなければいけなかった。人の命を預かるために。それなのに、正人は。
 「そっか、俺、そういうの、高校も大学も、あんまりなかったから、なんか羨ましかったんだ。今なら少し分かるけど。二人にはゴールして欲しかったな。」
 まるでラグビーの試合のように言う。知らない他者は、往々にして呑気なもの。高校生の青臭いガキが、そのまま立派な大人になるとは限らない。身体に縛られ、興味本位で人を傷つけるような男は特に。自由にいろいろな味を楽しむなら別だけど、私のように。
 「ちょっと、ごめんね。少し外の空気を吸ってくる。これお願い。」
 私はそう言って、手にしていたシャンパングラスを篠田に押しつけた。手も大きい篠田が持つと、グラスの柄がすっかり隠れて、少し大きめのショットグラスを不器用に持っているように見えた。
 ふう。洗面台の鏡に映った自分は、少し顔を歪めていた。私は何を目的にここに来たのだろう。正人を詰りにか。来るわけもない人間を詰るためにか。でも、芽美の人生を狂わせたあいつは、あいつだけは許せない。
 芽美がもっとも大事にしていた「命」を奪わせるように仕向け、その烙印を背負わせたあいつを、絶対に許せない。絶対に。
 「あの、もしかして、坂井さん?あ、そうだ、坂井さんだ。私、同じクラスだった田村咲子。覚えているかな?存在感薄かったしなあ。」
 いかにも存在感の薄そうなその女は、鏡のなかの私を見つめながら言った。私はまったく忘れていたので、いつも仕事でそうするように、頭のなかの連絡先に、まずは名前と顔を新規登録した。

ビケイム・ネクロティック #1 #2

ビケイム・ネクロティック #1 #2

高校から大学、そして社会人に。人々は他者が抱く思い出とは異なった道を歩む。ここに、高校生のときに願った望みを、自らの手で壊した一人の人間がいる。善意を持ちながら、それでも人を、自分を不幸にする者の物語。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-05

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