*星空文庫

フラットなのにどうしてボールは転がるのか

らっきょ太郎 作

 目隠しを解かれると僕の目の前には一人の男が座っていた。男は丸い椅子に座り赤いスーツで光沢のある革靴を履いていた。薄暗い部屋だった。白熱灯が蜘蛛の糸の様に垂れ下がって上へと繋がっている。その蜘蛛の糸を辿って上を見るが、とても暗い事もあり途中で糸は切れて見えた。それで天井の高さがどの程度のものかも理解できなかった。
「理解とは何処から来るのだろうかね? 君は此処にいる意味が理解できるかい?」
 湧水の如く地下から湧いた声が僕に尋ねた。その時に僕はハッキリとその男の顔を見た。だがその顔は赤い馬の作り物で覆われていた。赤い馬の頭を持った男は足を組んでいた。手は膝の上に丁寧に置かれていた。そいつを見ると僕は嫌な気分になって唾を飲んだ。唾はナシの皮の味がした。苦かった。それで僕は答えた。
「僕が此処にいる意味だって? 全く意味が分からない。だってね、僕は日曜の朝、ごく普通に目を覚まして、ベッドから身体を起こし、トイレに向かいションベンをして一息を着いた。で、次は洗面所に向かい歯を磨いて顔を洗い、ついでに髭を剃った。その後、リビングに置いてあるテレビに電源を入れてニュースを観た。すると徐々にお腹が空いたので近所のコンビニストアにカツカレーを買いに出た。とても晴れた良い天気だった。スズメと鳩が水溜りで日光浴をしていた。小さな子供は公園の砂場で泥団子を作っていた。若い夫婦は手を繋いで散歩をしていた。年寄りの爺さんはゲートボールの赤い球を追いかけていた。それで僕は思った。今日はとても暑い日だ。カツカレーを買う以外にもアイスキャンディーも一つ、購入しようとね」
 言い終えた後に僕はさらに付け加えた。
「此処にいる理由だって? 全然分からないね。それはこっちが尋ねたい事柄だよ。どうして僕は目隠しをされた状況で此処に座っているのか。これはまるで尋問だよ」
「確かに」赤馬の男は言った。それでもう一度。「確かに」と言った。
「君が言っている事は最もだ。すごくその通りだと思う。君は自然的に生活の日常を送っていた。そうだ。確かにその通りだ。だがこの状況からすると、これは自然的な日常であろうか?」
「違う」僕は少し力強く言った。
「イエス。違う。全然違う。」と言うと赤馬は手のひらを僕に見せて「だが、勘違いしてもらっては困る。この状況を作り出したのは君だ」手のひらは雪の様に白かった。
「僕だって?」
「ああ君だ。心当たりは?」
「ない」と、僕が即刻に返答を申し上げると赤馬はへゲラへゲラと笑った。
「へゲラ、へゲラ、へゲラ、君は面白い事を言うもんだ。理由があるから此処に居るのであろう? な? 少しは頭を使おうぜ?」
 そう言うと赤馬は組んでいた足を解いて僕が座っている椅子の足をガシガシと蹴った。僕は両腕と両足が縄で絞められている所為か振動が直接伝わった。その振動からは赤馬の悪意のある性質が分かった。気色の悪い悪意であった。
「オッケー。分かった。貴方が言うように少しは頭を使ってみるよ。僕はコンビニストアでカツカレーを購入できなかった。売り切れだったからだ。それでミートパイを選んだ。アイスキャンディーはレモン味にした。僕はお店を出た後にアイスキャンディーを口に入れた。レモン味だったけど少しパイナップルが混じっていた。これには驚いた。それに僕はパイナップルアレルギーだからゴミ箱にレモン味のアイスキャンディーを捨てたんだ。非常に勿体ないと思ったけどね、一度、パイナップルアレルギーが運動中に発症して死にかけたんだ。瞼と舌と指と身体が腫れて痒くなった。これには結構堪えた。もしかして貴方は僕がアイスキャンディーを捨てた事に腹を立てているのか?」
「君がパイナップルアレルギーを初めて発症させたのは小学二年生の時で遠足の帰りだった。それは知っている。だがアイスキャンディーを捨てた事はどうでもいい。今この時間、この瞬間、エビがバクテリアを食べていようが、いないだろうが、関係ないくらいに」
 赤馬は腕を組んだ。白熱灯だけの空間はヌルヌルと黒いカーテンが掛かっているみたいに動いて見えた。それは赤馬の影だった。
「へぇ。僕の事に詳しいんだ。気持ち悪いね」
「今の時代はごく当然の事だ。君はスーパーに行くとオレンジを買う。それで、このオレンジが何処で生産された事を知る事が出来る。それと同じことだよ」
「僕はオレンジじゃないし、僕の背中には生産先は書いていない」
「比喩表現だよ。君はオレンジ。私は消費者」
「偉そうだな」僕はそう言ってやった。それで睨んでやった。
「で、見当はついたかな? 君が此処にいる理由」
「最近、友達と遊び行ったり、学校に行ったり、飯を食いに行ったり、カフェに行ったり、地下鉄に行ったりした奴らが突然、行方が分からなくなる事が増えている。家に帰れない。足跡さえも分からない。警察も動かない。ん? なんだ? 何か可笑しい事でも?」
 僕が話している途中で赤馬はゲヘラゲヘラと笑い始めた。
「イエス。漸く核心に近い発言を聞けて私は嬉しいよ。ゲヘラ、ゲヘラ。それで続きは?」
「その日、そうだな。僕が行方を途絶える前に何かをしていた。思い出すとすれば……。そうだ。僕はクワガタ虫を拾った。とても大きい奴だ」
「イエス。そのクワガタ虫を拾った事も重要だ。何故ならこのクワガタ虫は既に絶滅していてこの地球上に存在しない! なのに! 君のアパートである階段の横に落ちていた。これはとても驚くべき事である。しかしなのだよ。そのクワガタ虫を拾った事よりも君がクワガタ虫をクワガタ虫と認識した事自体がエラーなのだよ」赤馬は言葉にコンマを打って、「だって君はクワガタ虫を知らない世代としてインプットされているのだ。そのちんけな脳みそにな」
 僕は赤馬が息を荒くして言うこの文句にハテナの記号を出した。
「意味が分からない。なら、もし貴方がそう言うとするなら、僕が此処にいる理由はクワガタ虫をクワガタ虫と認識できたからと言うのか?」
「ノン! それは違います! もしそれが理由とすれば、君がクワガタ虫を見つけた瞬間に頭をハンマーで殴られているでしょう」
 僕は困惑した。困惑した表情を見た所為か赤馬はゲヘラゲヘラと嬉しそうに笑って「まぁ、ヒントを与えましょう」と言って僕に分厚い本を見せた。其処には学生の顔写真が並んでいた。
「アルバム? 卒業アルバム? 誰のだ?」僕は更に困惑して言った。
「ブサイクな顔。ブサイクな私。卒業アルバム何て見たくないよね。そう思うだろ?」
「話が見えない。それが何のヒント何だ? それにこのアルバム、僕が通っていた学校でもないし、僕が知らない学校だ。例えばその中に僕に関係する人物が居ると仮定しても僕がこの場所に誘拐される意図が分からない」
「うるせぇな。君は知っている筈だ。私は消費者でもあり生産者でもあるのだ。君は此処で育てられた果実だ。で、君は誰が好みだった? ゲヘラ、ゲヘラ」
「さあね。しいて言えば僕は石鹸みたいな子が好きかな。良い匂いがする。どんなに小さくなっていっても良い匂いがする。加えて、消えた数分間も良い匂いがする。泡が立つと良い匂いがする。ついでに、手に付いたバイ菌も殺してくれるから最高だね」そして僕はため息を吐いた。何故なら赤馬は僕の事を聞いてアルバムをポイと捨てたからだ。普通のケーキが食べたくてケーキ屋に行ったらバターケーキしか並んでいない事にガッカリするくらいにため息を吐いた。
「君、つまんないね。それも知っています。何も馬鹿正直に答えなくても良いじゃないですか?」
「おいおい、それで終わりか? ヒントだと言ったのは貴方だ」
「だって、もう、めんどくさくなりましたよ。私、君が此処にいる理由何てもの、君が知る必要なんてありませんよ。よくよく考えたら。」
「ふざけるな。僕はこんな所に居るのはごめんだ。家に帰るぞ!」
「ええ! だってまだ来たばっかりじゃありませんか。まだホンの数時間しか経っていませんよ。失礼ですよ。失礼。なら一つ君に質問してみましょうか」
「断る。僕はもう貴方のそう言った事に関わりたくない。一切な。」
 ゲヘラ、ゲヘラ。赤馬は笑った。
「まぁまぁ、そういわずに。ボールってどんな時に転がりますか?」
 僕はイラついて喋りたくなかったが赤馬が突然ピタリと息を止めた。静止したのだ。さっきまで五月蠅く騒いでいた彼の廻りの時間が停止したみたいだった。それで僕は何だか怖くなった。まるで僕一人がこの薄暗い世界に残されてしまった様で迷子の羊に思えた。だからだ。僕は静かに、小さく言った。
「触れたり、押したりするとボールは転がる」
 赤馬の面の奥から音が鳴る。「イエス。その通り。触れたり、押したりするとボールは転がります。けども此処で少し質問を調整します」
「フラットな、完全にフラット場所にボールがあるとします。それで誰も触れずに誰も意思を示さずに置いてある状況で、ボールが独りでに転がっていくのは、どうして?」
僕は視線を床にずらして答えた。「つまり、フラットなのにどうしてボールは転がるのか? その理由を答えろと言っているのか?」
「イエス」赤馬は言った。
「簡単だろ。ボールの意思で転がったんだ。それ以外に何がある」
 赤馬はゲヘラ、ゲヘラと笑いながら、面の奥から鈍い音を慣らす。「オシイ」

『フラットなのにどうしてボールは転がるのか』

『フラットなのにどうしてボールは転がるのか』 らっきょ太郎 作

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-11-29
Copyrighted

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