きえる

 おかあさん、お料理がへたで、ぼくは、ねむるのがにがてだった。
 となりの家の、ねこが、いなくなって、かわりに、となりのとなりの家に、イグアナがやってきて、二丁目の、コンビニエンスストアの真向かいの歯医者さんが、とつぜんつぶれた。どうやら院長せんせいが、いなくなったらしかった。
 そんな、くだらないテレビを観ていないで、ニュースを観なさい、と言ったのは、おとうさんだった。もう、いないけれど。おとうさんのいう、くだらないテレビとは、バラエティー番組で、ときどき、アニメのことも、そういうのだった。ニュースは、むずかしいし、殺人とか、だれかが死ぬのとか、つらいし、そういうのはあまり、知りたくはないと思った。おかあさんが、魚をこがして、家のなかに、こげくささがひろがったときのような、いやな気分がするから、夕方のニュースとか、観たくなかった。
 そういえば、おとうさんも、二丁目の、コンビニエンスストアの真向かいの歯医者さんに、通っていたっけ。
 院長せんせいは、にんげんのかたちをしていたが、にんげんだったかどうかは、定かではなかった。にんげんではない、なにかしらのいきもの、という、うわさが流れたときがあったが、真実は明かされることのないまま、院長せんせいはいなくなった。となりのとなりの家のイグアナが、うちの庭にやってきて、芝生のうえで動かずに、ただじっとしていて、日が暮れる頃に、飼い主が迎えにくる、ということが三日に一度は、ある。イグアナの、くびあたりにはピンク色のリボンが、巻かれていて、似合うような、似合わないような、それよりも、つんつんした、たてがみが、リボンのせいで、なんだかきゅうくつそうで、かわいそうだと思った。おかあさんは、ようやくたべられるカレーを、つくれるようになった。けれど、シチューになると、なぜか失敗する。(ルーがちがう、だけなのに)
 四丁目のたばこ屋さんの軒下に、ペンギンのこどもが現れることがあって、メロンパンがたべたいと、ねだってくるという。世の中には、ほんとう、いろんないきものが、いるなと思いながら、ぼくは、きょうも、うまくねむれずに、ふとんのなかで、目をあけたり、とじたりする。

きえる

きえる

しゅるん、と、ね

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-28

CC BY-NC-ND
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