薄明り
ネジ
会社の建物の隙間から見える薄暗い空を眺めながら,火を着けたタバコの煙を肺に吸い込む。吐き出す煙が工業地帯の景色を曇らせる。会社に向かう途中で妻からメッセージが送られてきていたことを思い出し,仕事中の急な電話に備えておかなければと思いながらそれとない返事を送り返す。
平凡ながらも人並みな生活をしていることにどこか安堵感を覚えながらも,これから仕事が始まることを考えると,まるでこの空が自分の心を映しているような気がしていた。
勤務している部品製造会社では昼夜通しての製造ラインの稼働が行われており,そこで働く僕達もそれと同期するように昼夜交代勤務をすることとなっている。この会社に入社して10年になるが,長期休暇を除き,ずっとこの生活を続けてきている。
重要だが、代わりはいくらでも存在する。そんな製造ラインのネジの1つのような立場、それが僕達の仕事だ。
製造現場に入ると,2年先輩の作業員の山内が昨日のパチスロの結果をみんなに報告しているところだった。
『昨日は,本当に最悪だったよ』
その一言で誰もが察したのか、人の不幸は蜜の味だと言わんばかりのへらへらした顔で続きを聞いている。
始業のチャイムが鳴り、散らばっていた作業員が1箇所に集まり、引継ぎを行う。昼間の勤務での生産の状況などを共有した後に、簡単な世間話をして仕事の始まりとなる。
『おい、明日は熱いイベントがあるんだぜ。佐藤も一緒にパチスロ行かねぇか⁇』
山内が作業を始めようとする僕の肩を掴み、パチスロ仲間の勧誘をしてきた。
『勘弁してくださいよ。子供が産まれたばっかで金ありませんよ。』
昔はよく数人でパチスロに行っていたが、今は誰もが所帯を持ったことで、独身の山内のみがパチスロに精を出している状態だ。
『金なんか無くなって、勝てば良いんだよ』
さっきの話が嘘だったかのように、希望に満ち溢れた言葉をぶつけてくる山内に、どこか安心する気持ちすら感じる。
会社の給料は決して安いわけではない、会社のある地方都市では割と高給な会社ではあった。夜勤などの手当なども厚く、それが理由で交代勤務から定時勤務に異動しようとしない中年社員が多く存在する。
しかし、去年子供が産まれてからは、何かにつけて出費が嵩むようになり、プライベートを楽しむほどの家計の余裕は無くなってしまった。
子供が産まれたのをきっかけに勤務班の班長を任せられるようになったものの、特別な手当は無く、責任だけが上乗せされる形になっていた。
製造ラインの仕事が始まれば、おしゃべりの山内も黙々と作業を続ける。班長として不要な会話は注意しなければならない立場のため、年上の山内が作業に没頭する人間で本当に良かったと思う。
そもそも、飛行機が飛び立つような音がする設備の近くで人と話すには、メガホンのような物が無ければ、ほとんど無理な状況だった。
左から流れる部品にパーツを取り付ける。そんなことを繰り返していると、仕事とは関係ない考えがいつも頭を繰り返しよぎる。
なぜ、俺はこの場所でこの作業をしているのだろうか。
そんな答えの出ない考えが、十数回繰り返されると、昼間の作業者がぽつぽつと姿を見せ始め、自分達の勤務の終わりが見え始める。
機械油と少しの汗に汚れた作業着をバッグに詰めて、子供はぐっすり寝たのだろうかという疑問を持ちながら、帰宅の途に着く。
沈み
人生には浮き沈みがある。
薄明り