世界の終わるまで
明日世界が終わるとしても、今すぐあなたに会いには行かない。呆然としたまま、只々その瞬間を迎えるのだろう。例えばそれが、一週間後に世界が終わりますと報道でもされたならば、その発表の三日後にはあなたに会いに行きたくなるかもしれない。一日目の報道直後はやはり呆然とし、混乱・絶望・無力感、何もできずに過ぎるはずだ。二日目には過去をたどる作業に没頭し、家族のもとへ走る。三日目、同じ報道を聞いた自分以外の者、つまり家族とそこで初めて我々の置かれた状況を共有する事で少しは落ち着いてくるだろう。そうした経緯で“三日後”となる。
直系の家族以外に、自ら“会う”段取りをつけるのは、世界にあなたしかいない。つまりあなたが私の心を占めるに最大の他人だと言うことだ。これが恐らく自分なりの愛なのだと思う。
前後の会話については覚えていない。決して重苦しい雰囲気から始まったやりとりではないということだけは記憶している。その曖昧の最中で知らずと私にとって一世一代の愛の告白をしていたというのに、ふと見ればあなたは浮かない顔をしていた。明日世界が終わるなら今すぐ君に会いたいと、そんなデタラメが聞きたいと言うのだ。そんなものは、相互の自己満足の上に成り立つ認可の嘘でしかない。一瞬の虚構の幸福のために、嘘を付き続けることが恋愛だと言うならば、どうも私は恋愛のできない体質らしい。
互いの意見が割れたことはこの限りではなかった。人同士が全て感情を共有できないことはわかりきっている。しかし、今回ばかりは意見を違う事で修復できない溝をつくってしまった。それから私たちは自然と会わなくなっていった。
あなたの命が長くはないと知ったのは、すれ違ってから数年経った頃である。その連絡は、あなたの家族からだった。病気が見つかったのは数年前。
私は恐ろしい思い違いをしていたのかもしれない。
連絡を受けた私はすぐさま会いに向かったのだが、あなたは既に自力で生活行動の全てができない状態だった。あなたの家族からその状況を聞いていたにも関わらず、実際に目にしたあなたの姿は余りにも私の予想に反するものであるようだった。
病院特有のシーツの青さになじんで消え入りそうなあなたが、色の薄い唇だけを浮かばせて言葉を紡ぐ。
「あなたの言うとおりだった。」
言葉は耳には届かない。唇の動きを捉えて、ようやく形をつくる。
人同士が全て感情を共有できないことはわかりきっている。私はこの瞬間、デタラメの幸福を肯定していた。故に共有できないあなたの言葉に必死で頷いていた。
互いを肯定しながら、意見を違えていく。いずれ世界の終わるまで。
世界の終わるまで