*星空文庫

相克

熊三蔵 作

相克
  1. 第一話 ウタレ
  2. 第二話 部族

江戸時代(17世紀)の蝦夷地(北海道)を中心に居住していたアイヌ族の物語です。根室半島のニタリ部落で誕生したウタレという息子とその父親で酋長のナタレシとの葛藤を描きました。またその頃、松前藩が渡島半島を支配していましたが、アイヌとの衝突も避けられない事態となり、父子の運命は激流の中に投げ込まれてゆきます。

第一話 ウタレ

第一話 ウタレ

17世紀の蝦夷地。この北海道の地に広くアイヌと呼ばれる民族が居住していた。彼らは物々交換による交易を行う狩猟採集民族であり、毛皮や海産物をオホーツクや沿海州、千島列島にまで北の荒波を渡って運んだ。和人とは文化的、言語的、あるいは遺伝子的にも異なり、明治初期に完全に和人(シャモ)の直轄地となるまでの間、独自の歴史を守ってきた。ただ、アイヌ民族としての文字は持たなかったため、現在その記録は僅かしか残っていない。

1670年(寛文10年)の春、ノサップ(根室半島)のニタリという部落に一人の赤子が産声をあげた。春とは言え、まだ部落の所々に残雪が吹き溜まりのように白く積もっている。初めて生まれる子の誕生を今か今かと待っている酋長のナタレシは、火のついたような泣き声を聞きつけるや、産室に飛び込み、乳児の股に目を近づけたのだ。
「おお!男の子だ!でかしたぞ。エシカ」
安産の知らせは瞬く間に部落中に伝わった。酋長の直系に男の子が生まれるかどうかは、部落民たちの最大の関心事であることは言うまでもない。過去においては直系男子に恵まれなかったために、よその部落から婿養子として跡継ぎを迎えたこともあった。しかし直系が望ましいことは論を待たない。アイヌ民族の結束の象徴は万世一系の男子なのである。ナタレシ酋長はその重い責任を負っている。酋長が気張ってみたところでどうにもなることではないが、なんとか男の子を、と熱望するあまりあらゆる祈祷師を呼んだ。ぜひとも妻のエシカに男の子を産んでもらって、自ら帝王学を教授しなければならぬ、と気負っていた。そして熱望していた通りの男の子の誕生に父が狂喜するのも「むべなるかな」、なのである。

面白いことに、アイヌでは産まれたての赤ん坊には名前はすぐにはつけられず、その代わりにテイネシ(濡れた糞)などとわざと汚い名前で呼ぶ。こう呼ぶことで魔が近づくのを避けるのだといわれている。生後一年を経て、酋長は息子に「ウタレ」、アイヌの言葉で「勇者」という意味の名前をつけた。将来この部落を率いることになる息子は知恵や財力よりも、まずは勇気が必要だと言うのがナタレシの持論である。実際、この部落はこれまで少なからぬ危機に直面した。飢饉もあったし松前藩から圧迫を受けたこともあった。さらにはロシアとの交易に際しての衝突もあった。そういう時に狡猾な策を弄しても、荒い北の大地や海では通用しないことは、自分が子供のころから教えられてきたところだ。真正面から勇気を奮って戦うことが勝利への近道であること、この酋長一族の家訓とも言うべき一字「勇」を取って満一歳の誕生日にウタレと名付けた。

その命名式の日、部落では「イオマンテ」という儀式が厳かに執り行われた。この儀式は、生け捕りにしたヒグマを殺し、その肉を皆で有難く頂くもので、アイヌ人の間では広く行われていた儀式である。これはヒグマに一定期間宿っていたカムイ(魂)を、また天へ戻すという趣旨の一種の宗教儀式であるが、今回はウタレの祖父、コンタミの鎮魂の意味も含んでいる。無事に男の子が生まれ育っているのは天国にいる祖父コンタミのお蔭、そしてウタレはコンタミの生まれ変わりであると部落民は信じた。
部落の広場に設けられたヌサと呼ばれる祭壇に、黄色い毛布にくるまれたウタレは丁重に毛深い男たちの腕に大事に抱かれながら下ろされた。ここで赤子が泣かないことが吉兆とされるのだが、ウタレは期待通りそのつぶらな瞳を灰色の雲に向けジッとしていた。ナタレシは厳かに詔のった。
「アイヌの神、われらを守護したもう海、空、大地。ニタリの地に宿りし赤子に勇気を授けよ。名をウタレとする」
この詔を合図にヒグマが祭壇の前に引き出された、成長したヒグマの身長は2メートル、獣ながら殺意を感じているのか低く唸りながら暴れようとするが、縄を幾重にも掛けられ10人の屈強な男に固められている。やがて酋長に太く鋭い槍が渡され、ヒグマの心臓を目がけて深く突き刺した。瞬時ヒグマは鋭い叫び声を上げたが、ブルルっと体を震わせたかと思うと、大きな音を立てて前にドサッと倒れそのまま動かなくなった。即座に解体作業が始まった。肉と皮は別々に分けられ、骨も丁寧に取り除かれる。神からの恵みを感謝しながら男も女も作業を黙々と進める。やがて作業は終わり、肉の塊は竹に串刺しにされ焚火の中で焼かれた。香ばしい匂いが漂ってくる。実際、イオマンテでもなければ肉にありつく機会は滅多にない。部落民は普段は魚介類か海藻を主食としていたのだ。
肉は部落民に公平に分けられて、それぞれの胃のなかに収まって行った。折しも春を迎えようというこの季節、蝦夷の北端でも次第に薄紫や黄色い草花が広い野原に顔を出し始めている。長い冬が終わった兆しに部落民の心は蠢いた。そして何よりウタレの誕生と命名は彼らを慶ばせた。酋長の指揮のもと、平和で豊かな生活が将来にわたって永遠に続くものだと誰もが信じた。

部落の女たちは妻のエシカに気を配った。今回の出産の一番の功労者はエシカである。本来であればナタレシの母であるアシャヤがエシカを助けるべきであるが、アシャヤはあまり体が強くないので、出産直後の母と子の身の回りの世話は若い部落女に頼らざるを得ない。そこで相談の上持ち回りで母子の世話をすることになった。不平を言う女などはいない。それぞれ家庭もあり、また夫の仕事の手伝いもあるのだが、エシカの世話ができることをむしろ喜んでいる。またウタレの育児に関われることは、部落民として誇りにさえ思っているのだ。
「まぁ、なんてかわいい坊や。だけれどあなたが将来は酋長になるのよね。その時までこのバアサンたちも執念で生きているから、あなたをお風呂に入れてあげたことを忘れないでね」
そんなことを女同士でいいながら明るい表情で母子の世話を代わる代わる焼いているのだった。

ウタレは父からありったけの愛情を注がれ大事に育てられた。あまりにもウタレに構い過ぎ、酋長としての公務がおろそかになりがちになって、忠臣から諌められることもしばしばである。はっと気が付き、すぐに公務に戻るが、翌日にはまた同じように息子を執務室で遊ばせているので、周囲も苦笑いして諦め気味である。幸か不幸か、彼の側近は能吏揃いなので、そういう安心感にも甘えてナタレシは公務をおろそかにしていると陰口を叩かれる。目に入れても痛くないとはこのことだと、ナタレシは目を細める毎日であった。

アイヌの男の子は、子供用の弓矢を使って、遊びの中で狩猟の訓練をしながら育つ。まず弓矢、そして斧や槍の扱いである。弓矢で獲物を射止めても、クマはもちろん鹿やカモシカも絶命しない。そこを背後から斧や槍を使って仕留めることができて初めて一人前の猟師となれる。ノサップの地では7歳になると子供たちは野原に出て、最初は野ウサギなどを相手に遊びながら狩猟を学ぶ。これは男の子たちにとって大人への階段の第一歩であり、その自覚は伝統的に子供心にも培われている。また、木彫りの練習をしたり、イトクパと呼ばれる父方の系統を示す印の刻み方や扱い方を学ぶ。儀礼での作法や神への祈り言葉も少しずつ身につけゆく。女の子は、遊びながら、河原の砂や炉の灰の上に着物の文様を描く練習をする。幼い頃から縫い物の練習もする。その他、樹皮から繊維をとる方法や機織りの仕方、ゴザの編み方、調理など、様々なことを身につけた。地方によって違いはあるが、だいたい初潮を迎える頃から、口の周りや手の甲にいれずみを入れることになる。

ウタレはこうしてアイヌの生活の中で、他の子どもたちと分け隔てなく育てられた。酋長の子だからと言って特別扱いさせることはナタレシの忌み嫌うところだった。将来、部落の長たる者は、まずアイヌの普通の生活に馴染むべきであるとの固い信念がある。ウタレもまだ子供だから時々はケンカもして帰ってくるが、息子に非があると判断すれば、すぐに謝罪させに行かせた。相手の家族は酋長の子が一人で謝りに来たことに驚き恐縮し、逆に酋長の家まで謝りに来させるのだが、酋長は二人の子供の頭を撫でて「仲良くしろ」とニコニコ顔でその場を収めるのが常である。すると魔法にでもかかったように二人はまた外で遊び始めた。
やがて酋長一族としての血はウタレに受け継がれてゆく。狩猟はもちろん、船漕ぎ、算術や天候の変化、そして星座の動きも瞬く間に覚えていった。尤もこれはナタレシの肝入りで雇った家庭教師たちの厳しい英才教育があったことは事実である。ウタレは厳しい特訓によく耐えた。やがては家庭教師たちも舌を巻くほどの腕前になり、元服の時にはもはやほとんど大人、いや大人以上の能力を発揮しつつあった。

その元服の儀式が灰色の厚い雲が空を覆う中、浜辺で執り行われた。この春に満10歳となったウタレは凛々しい少年の顔つきとなっている。父親譲りのガッシリとした骨格を受け継ぎ、背は五尺四寸(165センチ)、体重は14貫(約53キロ)と他の男子を圧倒していた。アイヌに伝わるポンペイヌという相撲でもウタレの敵となる少年はいなかった。馬術や弓道、そして武器まで器用に仕上げる。部落民の称賛を集め切った感があった。
名実ともに成人として認められたウタレであるが、ここまで息子に称賛が集まると、ナタレシもさすがに心配になる。称賛には必ず反感が伴うことはナタレシ自身の人生でイヤというほど味わされてきたことだ。ウタレはあまりにも何でも出来すぎだ。しかし元服直後の男子にその弊害を分からせることはできまい。これからウタレは己の才能と努力でますます部落民と乖離してしまうのではないか。それはデキの悪い酋長より遥かに恐れなければならないことだ。
正装したウタレの前で、大勢の少年少女たちが伝統舞踊で将来の酋長の元服を祝福している。しかしこの子供たちが大人になった時も、今日と同じ気持ちを息子に持ち続けてくれるだろうか。息子は酋長である前に他人への思いやりを持った人間に育ってくれるだろうか。正面の酋長の座であぐらを組みながら、そんな懸念を強くナタレシは抱くのであった(続く)。

第二話 部族

第二話 部族

元服を終えたウタレは、日を追うごとに目に見えて逞しくなっていった。父親で酋長でもあるナタレシも、ウタレがこの部落で一番の勇者に育ってゆくのを感じた。幼児の頃のあの愛くるしい姿からは完全に脱皮している。獅子のタテガミのような頭髪、狼のように鋭く動く両目、そしてハヤブサのように機敏に動く身体はまさにアイヌの守護神の化身ではないかとさえ思える。しかし神々しいまでのウタレに畏怖の念を抱く子供たちは、だんだんと彼からは離れて行った。そしてウタレはいつのまにか一人で過ごすことが多くなる。
しかし孤独のままで過ごせるほど蝦夷地は甘くない。多くは集団共同作業で部落民は生計を立てている。その部落の長たるものが乖離していては話にならない。父親のナタレシは今になってウタレを厳しく育て過ぎたことを反省している。できるだけ早くウタレを部落民に受け入れてもらうように仕向けなければと、ウタレに対しても部落民にも申し訳が立たない。すべては自分の教育が悪かったのだと今更のように気がついた。

ウタレは極端に無口な男子になってしまっている。元服する前はそれでも子どもたちと野原を駆け巡っていたのだが、次第に仲間から孤立していった。何をやっても他の子どもたちを負かしてしまうウタレは嫌われてしまったのである。それにウタレは「勝って当然」という態度で臨むから、どんどん仲間外れにされるのだった。一方のウタレも負け続ける相手と遊んでいてもちっとも楽しくないから、一人で狩猟や釣りの腕を上げることに精進した。そういう意味では10歳そこそこで己との戦いを始めていたとも言える。ある時、家庭教師の一人から「克己」という言葉を教わって、以来その言葉がウタレの座右の銘となっていたのだ。しかし自分にも厳しいが他人にも厳しいウタレに友人はできなかった。このままでは酋長就任はおろか、文字通り村八分にされてしまう、酋長ナタレシの悩みは現実のものとなってゆく。

元服した翌年の春先のことであった。富良野河の支流は雪解け水を勢いよく川上から流していた。まだ気温は10℃前後と低いが、清流に行き交うマス釣りの季節がやって来た。部落民の男たちはこの日が来るのを待っていたのだ。燻製食物しか口に入らなかった長い冬は終わり、ようやく暖かい陽射しが部落に注ぎ始めている。今朝は雲一つない快晴である。小川のあちらこちらで釣竿と竹皮で作った籠を持った父子たちが陣取っている。不思議なもので、各父子の場所と言うのは暗黙の了解で毎年決まっている。酋長親子の場所も決まっていたが、今朝はウタレ一人で釣竿を下げてきたのだ。
彼が川べりに座ると、なぜかそこ近辺にいた人たちは消えて行った。なぜ消えたのかはウタレにはわからない。それよりも一番多くマスを釣りあげることだけを考えていた。実際、彼は大人にも負けない釣り師でもあったのだ。そんな相手の横に座りたいなどと思う者はいないのだ。
ウタレは擬餌を使った。この擬餌も器用な彼が工夫して作ったもので、ハエの形をしている。ヒューンと川の中央に投げ入れると、しばらくして当たりがあった。慎重に手首を上下に動かしながらしばらく泳がせ、ここぞというタイミングで引き寄せる。ウタレの擬餌に掛かったマスはほぼ100%釣り上げられる。
半時間もしないうちに6匹を釣り上げた。他はまだ坊主のところもあるようで、子供たちが泣いているところもある。まだまだ釣り上げられそうだが、あまり多く釣るのも、周りの手前さすがのウタレも気が引けてきた。それに乱獲は将来に禍根を残すから自戒せよ、と釣りの家庭教師から教わっていた。さて、引き揚げるか、と独りごちして立ち上がった時である。
「お~い、子供が川の真ん中で溺れているぞ!」
川下のほうで男の叫び声がした。ウタレも掴んだ籠をその場で投げ捨てて下って行った。すでに人だかりがして皆、目を皿のようにして川の中央を息を呑んで見ている。
「誰か、誰か孫を助けてくれ。ワシは足が悪くて泳げないのじゃよう」
老人が絶叫している。しかしまだ水温も低い急流の中に飛び込む男はおらず、皆はただ膝が潜るくらいのところまでしか行けない。子供は浮き沈みしながらも助けを求めているが、今すぐ助けないといずれこのまま流される。
ウタレは何も言わず躊躇なく飛び込んだ。皆はあっと驚いたが、引き留める間もなかった。
得意の泳ぎでウタレは子供に追いついた。そして小さな中州へ引き揚げた。子供の顔は水温で紫に変わっていたが、やがて呼吸も整い一人で立ち上がれるまでになった。岸部の男たちは「お~い、大丈夫か!」と絶叫しているが、中州の二人は余裕で手を振るばかりである。

ウタレの救出劇は父のナタレシを大いに喜ばせた。もちろん部落民の男の子の命が助かったこともそうだが、なによりウタレの勇気と優しさに心打たれたのだ。部落民たちも今度ばかりはウタレの勇敢な行為と優しさに敬服した。しかも11歳という年齢で命を投げ打って救出に成功したことに驚嘆している。こういう男子ならば将来の酋長として相応しいと誰もが思った。
父親のナタレシと同じように喜んだのは母親のエシカであった。エシカも息子の鉄仮面のような性格に心を痛めていた一人である。それが今度のことで、息子にも優しい心が宿っていることを知り、母親らしい言葉をかけるのだった。
「ウタレ、あなたは本当に良いことをしましたね。子供は部落の宝です。その宝をあなたの勇敢さと優しさで守ったのです。私も母だからわかります。もしその子が溺死していたらその母親はどれだけ嘆くことでしょう」
父親のナタレシも続いた。
「お前をウタレと命名したが、男は優しさも持っていないとな。特にお前は将来ワシの跡を継いで酋長となるのだから、部落民の心をしっかり掴んでおかなければ務まらんわい。ウタレ、実はワシはそのことを少し心配しておったのだ。しかし杞憂であったようだ。とにかく良かった」
両親ともにこう言いながら晴れやかに破顔した。
しかし肝心のウタレ本人は釈然としない表情で首を傾げながら、
「子供が溺れていれば助けるのは当たり前です。私は水泳ならば大人にも負けませんから躊躇なく飛び込んだだけのことです。別に勇気とか優しさとかいうことではなかったような気がしますが」
いかにもウタレらしい反応だ。しかしここで理屈を押し付けてはウタレの行動にケチをつけることになりかねないので、ナタレシはこう結んだ。
「うむ、そうかもしれんな。とにかく困った人や弱った人を助けてやるのが強いお前の使命じゃ。今回はよくやったぞ、ウタレ」

この救出劇以来、ウタレ本人の思いとは別に、彼に対する期待は部落の中で広がって行った。子供たちにとっても憧れの英雄として祭り上げられてゆく。そしてウタレが16歳の時、ある事件が部落で起きた。隣の部落のカナム族が、突然ニタリ部落が縄張りとする山に入り込み、勝手に狩猟を始めたのである。酋長のナタレシはカナムの酋長を呼びつけ、即刻狩りを中止することを申し入れた。しかしカナム酋長は「この山はもともとカナムの縄張りであったものを、ニタリが入り込んでいるのを黙認していただけである」と主張した。言いがかりではあったが、カナムでは今年は不作で食物が実らなかったのみならず、食物を求めて獣がニタリに逃げ込んでしまったという背景があるようだ。困窮したカナムは境界を乗り越えてニタリの山で狩りを始めたらしい。
「カナムよ、同じアイヌ族は助け合うのがスジ、お前たちが困っているのであれば援助も吝かではない。だがのう、そうやって無断で武器を携えてわれらがニタリ山に入り込むのはどうかのう」
腹の煮えくり返る思いをしながらも、ナタレシは穏やかに諭したつもりであった。また相手が謝罪するのであれば助ける用意もあった。ところがカナムは言い放った。
「いま言った通り、この山はわれらが持ち物である。明日も引き続き狩りを行う」
こうして二部族の話し合いは決裂した。

ナタレシ酋長は緊急会議を招集し、主だった臣下に意見を求めた。ウタレも末席ではあるが控えている。臣下の多くは主戦論を唱えた。山を奪回するため明日挙兵すべし、との声が挙がった。ナタレシも同じ意見であったので、臣下たちの声に押されこう宣言した。
「あの山を手放しては、先祖代々われらをも守護してもらった山の神にも申し訳が立たない。そしてなにより今度はわれわれが飢えてしまう。こちらが誠意を尽くして対応したのを蹴るとは、カナムは賊である。この際徹底的に賊軍を懲らしめることとする」
車座になっていた臣下たちは大きく頷き、やがて立ち上がり勝利祈願の呪文を唱え始めようとしていた。
「待ってください。戦えば必ず犠牲者が出て血が流れます。私にひとつ策があります」
意外にもウタレが反論した。ナタレシは息子の顔をジッと見つめながら
「のう、ウタレよ。これは部族の誇りを賭けた戦いじゃ。山を奪われるかどうかの瀬戸際なんじゃぞ。お前の策とは何じゃ?」
「はい、部族の誇りにかけて私一人で明日の朝、必ずカナムを追い出して見せます。挙兵は待ってください。策について今は言えません」
酋長はもとより、その場に居合わせた臣下たちは驚きを隠せなかった。挙兵となれば犠牲者は必至、それを無血でしかもウタレ一人でカナムを敗走させることなどできるはずがない。息子は気でも狂ったのかと酋長は思った。
ウタレに興奮した様子はない。極めて冷静な目つきをし、笑みさえ頬に浮かべている。この息子は確かにこれまでいろいろと常人とは言えないようなことをやってのけてきた。もし無血で敵を敗走させることができればそれに越したことはない。ナタレシはしばらく黙考し応答した。
「よいだろう。それでは一日だけこのウタレに猶予を与えることにする。しかしもしお前の策とやらが失敗したら、その時の覚悟はできておろう」
ウタレは涼しい眼差しを父親に向けて応えた。
「もとより覚悟しております。それでは私はこれから出かけるところがあるゆえ、失礼つかまります」

ウタレは羊皮で作られたテントを後に東南の山の方へ向かって歩いて行った。残った臣下たちは茫然としてウタレを見送った。戦争になれば自分も死ぬかもしれない。しかしもしかしたらあの若い男がこの窮地を救ってくれるのではないかと心の中では思っていた
(続く)。

『相克』

『相克』 熊三蔵 作

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-11-14
Public Domain

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