Fate/defective c.22

 朝の店内は、それなりに混んでいて、ざわついている。空席を見つけるのに少し苦労した。
 紙コップに入ったホットコーヒーを持って窓際のカウンター席に腰を下ろしたとき、バーサーカーの気配が遠くなっていくことに気付く。
(……そう出るか)
 どうやら聖杯の場所を突き止めたらしい。ここから先は、案内人は不要というわけだ。それとも、とうとうワタシという魔術師に痺れを切らしたか。
 理由は何でもよい。何にせよ、あのサーヴァントは聖杯に触れることは出来ても、それを使うことは出来ない。なぜなら、『僕がそういう風に作った』からだ。
 ふう、と溜息をついて紙コップを口に近づける。骨張り、皺だらけの手が視界に映る。
 その時、突然コップを持った右の手首から先が硬直した。
「――――」
 コーヒーが胸元を湿らした感覚で我に返る。その熱さよりも先に、床に静かに転がる紙コップと、泥に汚れた革靴の爪先が目につき、思わず舌打ちをした。
「おいおい爺さん、大丈夫かよ」
 隣に座っていた見知らぬ若者が僕に向かって声を上げ、席を立ち、親切にも空になった紙コップを拾い上げる。若者は金髪だったが、顔つきや肌の色は日本人そのものだ。落ち着いたカーキ色のパーカーに黒いシャツ、ジーンズというごく普通の格好をした、ごく普通の都会の若者だった。
「ああ、すまない。この歳になると体が言うことを聞かなくてね」
「あーあー、めっちゃこぼしてんじゃん。もったいねー」
 若者は手早く紙ナプキンを取ってきてさっさと床を拭き、空になったコップをゴミ箱に捨てる。私は彼の手際の良さに感心した。
「ありがとう。君は親切だね」
「あ? ああ……俺んち、要介護の爺ちゃんいるからさ。つい手が出ちまっただけ。ていうか、あんた外人じゃん。日本語上手くね?」
 若者は元の席に座って食べかけのバーガーを頬張りながら言った。私は未だ硬直し続けている右手を隠すように身体を傾け会話に応じる。
「ああ。日本に来て少し長いんだ。だが君のような若者に出会ったのは初めてだ」 
「まあ東京にそんなアットホームな空気ねえしな。俺もド田舎から上京したときはよ、何て冷たい人間の集まりなんだ! ってキレたわ」
「だがここに居続けるのか」
「まあな。時給は高えし物は多いし、交通も田舎に比べちゃクソ便利だから。一回住んだらここの豊かさみたいなもんからは離れられねえよ。ていうか、そういう爺さんも東京来て長いんだろ?」
「……いいや、ワタシが東京に来たのは一週間前だ」
「へえ、じゃ今まではどこにいたんだよ」
 私は言葉を言いよどんだ。しかし、この通りすがりの一般人に何を話してもさして問題は無いだろう、と判断し、口を開く。
「冬木市というところにいた」
「……冬木? ああ、何となく聞いたことある気がするけど……なんか一時期めちゃくちゃ物騒だったとこだっけ?」
 若者は判然としない表情で紙コップのストローに口をつける。中身を少し飲んだ後、けろっとした表情で言った。
「まあ、いいや。ていうかさ爺さん、そのスーツ高そうじゃん。コーヒーなんかこぼしちまうならもっと安いやつにした方がいいと思うぜ」
「……これは高級品なのか?」
 僕が聞くと、若者は奇妙な言葉を聞いた、というふうに片眉を上げて首をかしげる。
「自分のものなのに知らないの? あんた、認知とか入ってない? 大丈夫?」
「………妻が、勝手にスーツを買ってくるものだから、この歳になるまでスーツテラーに行ったことがなくてね」
 それを聞いた若者は大声をあげて笑った。私は、何か可笑しい事でも言ったかと心配になる。
「爺さん、そりゃやばいって。自分の着てるもんの値段くらい知っとけよ」
「ああ、次からそうしよう」
 私はそう言って席を立った。親切な人間と会話をするのは悪い事ではないが、そろそろ飽いてきたところだ。それに、私にはあまり時間が無いことも判明してしまった。先ほどから一切動かない右手をかばいながら、若者の方を向く。
「では私はこれで。君の親切な行いに感謝するよ」
「あ、ちょい待ち。せっかくだからこれ、持ってってよ」
 そう言って若者はテーブルの下に置いた小さなバックパックから一枚の紙を取り出し、私に向かって差し出す。
「名刺。俺さ、起業しようと思ってんだ。爺さん人脈広そうだし、何かあったら声かけてよ」
 私はその紙を見下ろし、皺だらけの左手で受け取る。何度か裏と表を見た後、ため息を吐いた。
「貰うには貰っておこう。だが―――これをワタシに渡すのは、間違いだ」
 そう言い捨て、呆然とする若者の傍を離れ、さっさと店を出る。大通りにさす朝日が私の目を焼いた。
 案外しっかりとしたつくりの名刺を何度か見、すぐに道端のゴミ箱に捨てる。

 もし彼と再び出会うことがあっても、もうその時私は「ワタシ」の形をとっていないだろう。
 僕は右手を動かそうと試みながらも、石のように硬直した体に諦める。時間が無い。思わず、口からつぶやきが漏れた。
「この体で一週間が限界か。―――――――先生は、やっぱり強情だなあ」



 アリアナは肌寒さで目を覚ました。
 どうやら、眠ってしまっていたらしい。体を起こして周囲を見渡すと、ステンドガラスの窓から橙色の夕陽が差し込んでくるのが目に映る。
 ここはセイバーを召喚した、あの部屋だ。室内は七日前に散らかした後、セイバーと雑に片づけたままの状態で残っている。この際だからすべて片付けてしまおうと足を踏み入れたはいいものの、何を手に取っても、片付けの手は進まなかった。自棄になって床に寝っころがったのが最後の記憶だ。とすると、寝落ちてしまったのだろう。
「……相当な腑抜けになったみたいね、あたし」
 寝落ちるなんてらしくない。自分のサーヴァントを失ったからと言って、聖杯戦争は終わったわけではない。敗者は何を考えても無駄だとあの白衣のマスターは言っていたが、油断は禁物だ。監督役の庇護下とはいえ、用心に越したことはない。
「それに、あんな子どもが監督役だなんて。――尚更、気は抜けないわ」
 アリアナは短く息をついて立ち上がった。
 その時だった。

「今晩は」

 ドアの向こう、廊下の先の玄関から知らない声が響いた。
 アリアナは足を踏み出しかけて、思いとどまる。声は穏やかだが、何者かわからない。迂闊に出て行っては危険かもしれない。
 声は、玄関の向こうで続ける。
「今晩は。アリアナ・ベネットさんはご在宅ですか?」
 背筋に悪寒が走った。アリアナは足音を立てないよう部屋の入り口付近まで近づき、玄関の様子をうかがう。監督役や他のマスター達は家の中のどこで何をしているのか、現れる気配はない。自分と同じように、この突然の来訪者を警戒しているのだろうか。
 玄関の二枚扉が、コンコン、と二度ノックされた。
「すみません。アリアナさんのお宅はこちらでしょうか?」
 またノックが続く。
 どうやら、諦める気は無いらしい。こちらを名指しで尋ねてくるあたり、どうも一般人とは言い難いが、仕方ない。机の上に無造作に転がっていた小粒の宝石を三つほど手に取り、意を決して部屋の外に出て、廊下を進んだ。
 玄関のドアがまたノックされる。次の言葉が始まる前に、アリアナはドアノブに手をかけ、扉を押し開いた。
「今晩は。あたしがアリアナよ」
 挨拶をして、目の前に立つその来訪者を見て、アリアナは絶句した。
「な――――」
「いらっしゃるじゃないですか、アリアナ・ベネットさん」
 来訪者は言った。だがその言葉を発したのは『先頭の一人』だ。その背後には、十人ほどの集団がおり、皆一様に黒いカソックとコートを着て、顔を黒い布で覆い隠している。先頭の一人だけは顔を隠しておらず、男だという事が分かった。
 その異様な集団の一番先頭、アリアナの目の前に立つその男は穏やかな笑みを浮かべている。だがその目元は全く笑顔とは程遠い冷酷さを備えていた。背丈はアリアナより頭一つ分ほど大きく、それほど老けてはいないが三十代ほどの年齢だと推定できる、成熟した雰囲気を纏っている。肩まで伸びた銀灰色の長髪と同じく灰色の瞳を持つ、どことなく老齢の狼を思わせる男だった。
 アリアナは雰囲気に気圧されないよう口を開く。
「誰? 何か用かしら」
 男は相変わらず冷たい笑みを崩さず返す。
「私はシオン・コトミネ。聖堂教会第八秘蹟会所属の、ただの神父です」
「聖堂教会……? それで、あたしに何の用なのよ」
「貴方だけではありません。『この屋敷にいる全員』に心当たりがあるはずですが?」
 アリアナはシオンと名乗った男を睨み上げた。シオンは全く動じることなく、その視線をはね返す。夕暮れが夜に塗り替えられようとする空気の中で、静かに二人は睨みあった。
「覚えがないとは言わせません。貴方がたは神秘の格を引きずり下ろしすぎた。このままでは手に負えなくなる故―――」
 シオンが黒いグローブを嵌めた手をすっと上げる。
「ここで、処分致します」
 その声が響いた瞬間、シオンの背後に立っていた聖職者の集団が一斉にコートの下から長剣のような武器を引き抜いた。
 



「待って!」
 その声が響いたのは、アリアナが身をひるがえして逃げようとした時だった。
 場違いな幼い声に、まさか、と身をすくめる。
 家の中を振り替えった先には、やはりエマがいた。
「待って。今、彼らを殺されるわけにはいかないの」
 エマは静かに歩いて、シオンという神父の前まで来た。その赤い目は揺るがずに神父の灰色の目を見上げる。
 しかしその懇願も、あっさりと首を横に振られたことで潰えた。
「貴方が何を言っても無駄です。私の到着が遅れたのを良い事に、好き放題に聖杯戦争やこの街を騒がしてくれましたが、それもここまでですよ、似非監督役」
「到着が遅れたですって? あなたの歩みはまるで亀さんね。それで自分が正しい監督役だって言うなら、とんだお笑い者だわ」
 アリアナは驚いてエマを見た。彼女がこれほど感情的になるのを見たことが無かったからだ。
 シオンは口元の笑みすら消してエマを見下ろす。
「何が言いたい?」
「神秘の隠匿を守らなかったのにはちゃんと理由があるわ。この聖杯戦争が終わったら、必ず何とかなる策もある。だからこの聖杯戦争が幕を閉じるまで、あなたたちは何もしないで」
「そんな妄言を信じろと?」
 シオンは鼻で笑った。エマはこぶしを握り締めて、更に驚くべきことに、大声を上げて神父を怒鳴りつけた。
「何よ! こんな時にのこのこやって来て私たちを殺すだなんて、妄言はそっちじゃない! 殺すなら、あのめちゃくちゃな聖杯を作った魔術師を殺しなさい!」
 神父は面食らったようにしばらく黙る。それに追い打ちをかけるように、エマは言葉をつづけた。
「それとも―――アーノルド・スウェインをあなたたちが『処分』できない理由があって?」
 夕闇が本格的に夜になり始める。永遠に続くかと思われた沈黙の後、シオンは静かに告げた。
「なるほど。いいでしょう、今は処分を保留にします。しかしこの聖杯戦争で起きたことのツケは、貴方たちの命で支払ってもらうことになるでしょう」
「絶対にそうはならないから、見ていなさい、神父。監督役の名に懸けて、誰ひとり死なせはしません」
 エマは夜風に黒髪をなびかせながらそう言った。そして唐突にアリアナの方に向き直る。
「マスター資格を有していた御代佑と天陵那次を呼んできてください。―――最後の戦いが始まりました」

「新宿御苑の地下、そこに聖杯はあります。最後まで―――わたしは見届けなくてはならない。あなた達も来てください。最悪の結末が訪れたら―――あなた達が必要です」

Fate/defective c.22

Fate/defective c.22

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-05

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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