生きる美学+欲望=死の美学

雨が降った。この時期には珍しく3日続いた雨だった。
ふと、傘をさすのを止め、塗れたアスファルトに寝転がってみた。見る見るうちに心臓までも冷やし唇の血色さえ失くした。
けれど、その冷たさが何故か心地よかった。
腕にしていた時計は安物であるため防水機能を保持しておらず、時を刻むという己の仕事を放棄した。
けれど、主語を変えれば、私の行為、いや私が放棄させたのだ。
これを私の良いように言えば、仕事をしなくて良いという優しさだとも主張出来る。
此の期に及んで、私はこんな事しか考えられないのだ。
もっとも、人は純粋である方が生きやすいのだろうと痛感するのだ。
単純でいい、眠たい、お腹が空いた、そんな子供のような感情の割合が多いほど世界は綺麗に、そして他者が綺麗に見えるのだ。
あらゆる角度の世界をと、傘を放棄して複雑化させれば、何かの犠牲が付いてくる。
私の腕にはめられた、この時計のように。
この、長針、短針、秒針のように。
存在意義すら失うのだ。それは、死という概念に相当する屈辱なのだと私は思う。

私が寝そべった通りは表通りとは程遠い裏道で人が通ることはまずない時間帯であった。
そうしたのは、やはり他者の目があるからだろう。
私は常に先を考えなければならないのだ。
今が一番であると、そう決めつけて今を生きるという派手に飾られた言葉は、何を飾っているのか、それは最期だと思うのだ。
先があるから、人は生きていける。
未知な道があるから人は、心を連れて歩むことが出来る。
それは、幼児的な脳から発達した人間には苦痛とも言える部分ではあるが、これが脳の使用される5%にもみたいのだ。
そう思うと、人は脳をフル活用させてしまえば、自ずと死を選ぶのかもしれないと、高等教育の時間にふと頭をよぎった。
この、使える部分には、意味があるのだと思いたいのも勝手な話だが、それでもいいと私はこの意味に意味を持たせることを良しとした。
雨は次第に上がった。
濡れな服が妙に重い。そして、密着する生地が変に気持ち悪い。
けれど、塗れた全てが冷やしていく頭はより鮮明に世界を見せた。
それが本質とも言えないが、それを本質にしてしまうほど、あらゆるどの錯覚よりも私の脳は錯覚した。
そして、思うのは、どんなに雨が降ろうと、もう流せないものの中に私という存在はカテゴライズされたのだと。
私は、適材適所という言葉を無視し、花に傘をさした。
その、花は自然には生きて行けない。
不自然にも他者に依存し、共存せざるを得えないのだ。
その、環境でその花がいつまで生きられるのか、それは愚かな私の賭けだった。

朝は望まなくてもやってくる。
私は存在意義すら知らず、それを求めてまた、それを放棄してビルの前に立った。
今にも潰れそうな外観をした、そのビルはもう時期終わりを連想させる。
私は、友人に嘘をついた。
とても綺麗なオフィスで、給料も良く、上司は優しく
まるで日々を楽しんでいるかのように。
嘘は時に笑顔を呼ぶ。嘘をつく時の目は優しさを含む。
私の笑顔に友人は疑うことさえ知らないかのように
いいなぁと声を漏らした。
私は、罪悪感などなかった。それも脳の錯覚の一種だと無意識に思い込む。
私は、本当にそのような職場にいるのだと私自身が私の嘘に騙されるのだ。
けれど、目の前の現実は、嘘を浮き彫りにする。
このビルの中に私の生活は押し込められているのだ。
そして、この潰れそうなビル1つなければ、私は生きていけないのだ。
嘘をついてまで消したかったそれは消えてはならないものなのだと、訴える。
嘘をついてまで守りたかった、このチンケなプライドを汚して良いのは他者ではなく、己だけなのだ。
私は私の嘘で、プライドを切り裂くことを惨めだと呼ぶのだと思った。

時給750円~2500円と書かれたポスターが街角に十数枚張り出されていた。
私は、おもむろにその求人に目がいった。
一体、この差はなんなのだろう。
私は、一体、このどれに値するのだろう。
同じ人間が同じことをして、違う評価を貰う、それは今まで当たり前のことだった。
しかし、日本は評価性より平等性を重視し、あらゆる人が同じことをすれば同じ評価なのだ。
そして、大いにそれを超えた人を人は崇め天才と呼ぶのだ。
私は、この時ただそれだけ気になり、この求人に応募した。
内容は書いてなかった。怪しいとは思いながらも、私はその未知に惹かれたのだ。
電話はサンコールで繋がった。
向こうの要件は、こうだった。駅の東口にロッカーがある。そこには、ケータイ電話が1つある。
そのケータイにかかってくる人の電話に応じ、相談相手になるというものだった。
そして、後日ロッカーの鍵を渡して貰うために、私は見知らぬその人と待ち合わせをした。
その人は五分遅れてやってきた。
目は見えないようにサングラスをかけていた。
まるで、私は怪しいですと言わんばかりに実態を隠して。
それが何故か安心した。怪しいことを隠そうとしない怪しさは、本当に怪しのかと怪しさを逆に疑えるからなのかもしれないと彼が声を発すまで考えていた。
彼は、これと私に鍵を渡し、去っていた。
私はその足で、ロッカーを開け一台のケータイを手に取った。
待ち受け画像は可愛らしいウサギだった。
私は前の持ち主を想像して笑った。
きっと、このウサギは幸せだと思った。
私よりも、誰かに思われている。
人間の感情を真っ直ぐに受けられている。
そして、、私はまた己のプライドを擦り減らす。
誰にも傷つけられないように、自分自身を傷つけておけば、痛みなどないかのように感じられるからだ。

ケータイを手にして5日後、このケータイに着信はまだなかった。
この仕事の利点は着信が無くても750円は貰えるのだ。
そして着信があれば、プラス100円、そして相手の満足度により加算されていく。
それから2日後、夜中の3時に私は着信音で目を覚ました。
時計を見て私はため息を吐いた。
こんな時間にと、。
けれど、仕事という言葉が私に平常心をもたらし、冷静にさせた。
私は迷う事なく通話ボタンを押した。
「はい、ヒューマンライフのラビットです。」
この、ラビットというのは待ち受けから頂いた名前だ。
他のことは捻りに捻って考えるくせに、こういう事に関しては単純な事しか考えられないのだ。
「あの、相談がありまして、実は自殺を考えているんです。
その死に方についての相談なんですが、なるべく楽な死に方がいいなと思いまして。
なんでも相談に乗ってくださると書いてあったので…。」
夜中に、彼は一体何に突き動かされたのだろう。
私はそのことの方が不思議だった。
私の見解になるが、自殺願望など誰もが持っているものだと思うのだ。
それは、おそらく環境は要因により発症する場合もしない場合もある。
これは、確率論に該当するのだと私は思った。
「なぜ、死にたいのですか?」
「僕は、自分の欲から解放されたいとある日を境に思う寄りになり、今のままの自分で生きていくということに恐怖を覚えるようになったんです。
それは、あらゆる苦痛よりも苦痛で、痛いという感情の最骨頂にある苦痛に頭だけでなく心も支配されている感覚に襲われ、そのことで体調にも悪影響がおよび吐き気に悩まされ、早く楽になりたいんです。」
最後の方は、力強く言い切った感じだった。
要は彼は楽になりたいのだ。
その方法の1つに確かに死は存在している。
そして、その方法が早くという言葉を連想させるにはとても重要な存在なのだ。
「はやく、らくに。それが望みなんですよね。
なら、いい方法が1つあります。
それは、今お伝えする訳にはいかないので、、、、」
と彼と会う約束をした。
私は彼にいい方法があると嘘を吐いた。
そんなものある訳などないのだ。
けれど、彼を止める方法は1つしかないと思った。
私が自殺を代わりにする、それを彼に見せることで死に損ねた時に彼の願いは叶わないという事を知ってもらうのだ。
失敗のリスクはその願いを越えるのだと私は勝手に思っていた。
待ち合わせの日私は待ち合わせ時間より早めに家を出て、
睡眠薬とお酒を買った。
そして、初めて彼に会ったとき、彼は想像よりやつれていた。
初めて人をみて、壊れそうだと思った。
その、危うさは私の愚かな考えを否定するかのようだった。
けれど、私にはこれしか手段がなかった。
彼を助けたいなどそんな、感情の為ではなくこれは私の人生最大の賭けだった。
人の自殺願望はがん細胞の様なものだと思うのだ。
医療が発達した今早期発見なら容易に治る時代になってきた。
しかし末期ともなれば出来るのは緩和ケアのみとなる。
私は、相談に乗ると言うのは緩和ケアでしかないと思うのだ。
私は末期の自殺志願者を緩和ケア以外で救う手を見つけたいと思ったのだ。
慰めの言葉など、励ましの言葉など、苦しみの中で消えてゆく。
彼は私にその方法を教える様に早くとせがんできた。
私は彼に少しだけ待っていてとその場にいて貰ったのだ。
その間に私は自殺を勧める。
私の意思ではなく、死はやってくる。
交通事故にしろ、病気にしろ、それと同じなのだと思えば、この行為に恐怖心などなかった。
私は死なないことを分かっていながら、彼のケータイを鳴らした。
彼は、ワンコールで出た。
私は薄れゆく意識のなか、痺れる唇を動かし彼に助けを求めた。
私の計画通りに彼は私のところにやってきた。
彼は、なぜ?という表情をのぞかせていた。
なぜ?の答えなど誰も知らなくていい、私の計算通りに答えが出るのは他者の感情が一ミリも入り込まない時だけなのだから。
私は彼が救急車を呼ぼうとする手を止め、大丈夫だからといった。
彼は心配そうにしたが拒む私に堪忍したのか、手を止めた。
私はそのあと気持ち悪さに襲われた。
吐き気は止まらず、最後の方は吐血までした。
耳鳴りは止まず、自分の身体が自分のものではないかの様に感じだ。
彼はそれを目の当たりにして、死に対する恐怖心を思い出した様だった。
けれど、これで終わりではないのだ。
彼の自殺願望は完全に消えた訳ではないのだ。
私は彼に、相談をする様になった。
悩みなどないという悩みを嫌味の様に毎回言った。
彼は、他者にプライドとも言えるものを傷つけられて、そして自分でそれを傷つける方法を知らないのだ。
だからこそ、他者に傷つけられても分からない様に、まずは自分自身で自分を傷つけること知らなくてはならない。彼は、繊細過ぎるが故に、傷を治すことより、溢れ出す血液に意識を取られている。
彼は毎回、ならなぜ自殺しようとしたのかを聞いてきた。
私の答えはいつも1つだった。
それは、美学だからと。
彼は、美学という言葉を死に当てはめた。
私は、美学を生きる意味に置いた。
それだけの違いなのだ。
けれど、それは、人類の中で最大の差異なのかもしれないと思うのだ。

彼は私に聞いてきた。
「美学の一番上には何があると思う?」
私は答えられなかった。
彼は、こう続けた。
「美学の最骨頂は死なんだよ。死は全てを綺麗にする。
欲がなくなることは綺麗だと思えば、それは死なんだよ。」
彼は、綺麗になりたかったのかとその時初めて彼の思いをわかった気がした。
彼は、自分の欲望から逃げたかったのだ。
彼は彼としてこの世にいることに疲れていたのだ。
死ぬと言うことは死にたいという欲望からも逃げられるのだ。
「そうだね。死は本当に全部を綺麗にするね。」
「あぁ。だから、自殺志願者を止めることは罪なんだ。」
彼は、私が彼を止めようとしていることも知っていた。
彼の方が何枚も上手だった。
彼は自分を傷つけ過ぎて、疲れていたのだ。
単純な死に複雑化された心をもと彼は早く楽にと言う言葉に当てはめられないほどの想いを持っていたのだ。

「ねぇ、明日雨が降るの。
会って欲しい。貴方の願い一緒に叶えてあげるから。」


私は彼と一緒に冷たいアスファルトに寝転がった。
ぼやけた月が本当に綺麗だった。
形のわからない光が今は心地よかった。
彼は死を受け入れるかのように流れる血を止めることもせず雨水が赤くなるのを喜んでいるかのようにも見えた。
私は彼の横で同じ様に目を閉じた。
最後に彼と話した。
生きる美学と欲望を足せば、それは死の美学だねと。
それを、考えたところで何にもならないね、と笑い合って。


何ににもならないけどな、ね。
でも、考えずにはいられないそれが私達だったと言える今を大切にしようと雨の中で私達は全てを受け入れた。
拒んだ己の欲すら。

雨はいつ止んだのか私も彼も知らない。
そして、それを知ることは、もうないのだ。

生きる美学+欲望=死の美学

生きる美学+欲望=死の美学

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-11-02

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