*星空文庫

最高のドライブ

野崎くるす 作

 椅子は黒の革張りで、ハンドルはよく手になじむ。カーラジオから流れる懐メロに過去をみる。
 窓の外には青い空に広い海。Kは隣に座るAの横顔に視線を送る。
「いい車だろ」
 ロータリーエンジンが心地のいい音を奏でている。Kは緩やかなカーブを進んでゆく。
 ぽつりと建つ無人のガソリンスタンドを通り過ぎると、こじゃれた喫茶店が目に入る。
「喫茶店で休んでいこうか?」
「ダメよ。ほらほら、前をみて運転なさい」
 Aは子供に諭すよかのようにKにいい、頬杖をつき窓の外の景色を眺めだす。
 この瞬間がいつまでも続けばいい、Kは願う。細く開けた窓から、初夏の匂いが入り込んでくる。
「ああ、煙草が吸いたい」
「ダメよ。臭いがついちゃうじゃない」
 胸ポケットへと手が伸びる。それを見たAは眉を顰める。Kは「冗談、冗談」と右手を振る。
「こら、運転に集中しろ。事故ったら大変だぞ」
 Aはもうと頬を膨らませる。Kの顔がにやけてゆく。ルームミラーには、波打つ灰色の路面が延々と続いている。
 それから十分ほどが経ち、風景は長閑な街並みへと移り変わってゆく。人や車の姿が、人工的な音が支配的となる。
 Kはウィンカーを出し、駐車場へと滑り込む。その心地のいいエンジン音が消えてゆく。
「ふぅ、やっぱり最高だ」
 二人は車外へと移動する。
 眩しい陽射しに目を細めていると、一人の男が近づいてくる。男はスーツ姿で、実に誠実そうな印象を受ける。
 Kは「楽しかったです」といいながら、男に車のキーを手渡した。
「さようでございますか」
「本当にロータリーエンジンは最高です」
「さようでございますか」
「それにこのフォルム、もはや芸術品といっていい」
 Kは熱っぽく言葉を並べてゆく。まるで淀みなく、演説のようですらある。それを男は頷きながら聞いている。Aはどこか気まずそうに遠くを眺めている。
 五分ほどKの舌は動き続け、「いやー、まだあのエンジン音が響いていますよ」という言葉を最後に動きを止めた。それに対しても、男は「さようでございますか」と笑顔で頷く。
「では、今回はご購入ということでございますか?」
「いやいや、車は恋人と一緒です」
「はい、それはどういった意味でしょう?」
「離れていてこそ燃えるのです」
「なるほど。逢えないからこそ、というわけなのですね」
 その次の瞬間、Aの右拳がKの脇腹にめり込んだ。Kは息もできず、その場にうずくまる。
「わたしとあんたは同棲中。ってことはだ、他所に女がいるってことかい?」
 Kは脇腹を押さえながら、「いや、それは誤解だ。逢えないからこそ逢ったときの感動もひとしおだ、という世間一般の感情を述べたまでだよ」という。
 男はAを一瞥し、Kを見下ろす。その貼り付いた笑顔の奥底から、男本来の冷酷さが浮き上がってくる。先ほどよりもいくぶん低いドスのきいた声で、「さようでごさいますか」という。
「ええ、そうです、そうです、そういうことです」
「では……、今回もご購入はなさらないと」
「そうなります、ええ、そうなりますとも」
 男は無言でKの首ねっこをぐいと掴み、「帰れ、買う気がないならさっさと帰れ。このやり取りも今日で十一回目だぞ」と声を荒げた。
 Aは、ほらね、といった感じでKを睨む。そして二人は歩いて駐車場を後にした。もう男の姿は店内へと消えている。Kは何食わぬ顔で歩みを進める。
「ねぇ、あの店員さんも同じことを十一回もいわされて、本当に可哀想じゃない」
 Aは数ヶ月振りの快適なドライブに満足しながらも、心の底から呆れている。
 けれどKはどこふく風といった感じで腕を組み、「ボキャブラリーが貧困だな。もういくこともないだろう」と十一回も同じ言葉を口にした。

『最高のドライブ』

『最高のドライブ』 野崎くるす 作

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-10-30
Copyrighted

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