砂浜に座り込んで、くもり空と泡立った海の交わる水平線を見ていた。空も海もくすんでいたが、これはこれで綺麗だと思った。
 海から吹く九月の風は冷たい。私は、腕を組んで縮こまっていた。砂は湿っていて、スカートを通して地肌に重たい砂の感触が伝わってくる。気持ち悪かったが、立ち上がる気にもならなかった。
 遠くで、ゆうちゃんがまだ穴を掘っている。波打ち際から五メートルほど離れたところにしゃがみ込んで、せっせと手を動かしている。少し掘ると、飛び跳ねるようにして横に移動し、また違うところを掘りはじめる。海の方を向いて掘っているので、私からは背中しか見えない。笑っているのか、怒っているのか。表情が見えなくて助かったような気持ちになる。


 「海に行こう」と言い出したのは、私だった。なんだかそういう気分で、深く考えずに口に出した。ゆうちゃんは「えー」と不満そうに答えたが、少し黙ったあとに鼻で笑いながら「海かー」と言って、それで、海に行くことになった。
 すぐに家を出て、二人で海を目指した。もちろん泳ぐつもりもなく、ただ海が見れたら満足だった。最寄駅のホームで電車を待っているときに、ゆうちゃんが「何年ぶりだろう、海なんて」とつぶやいた。私も「何年ぶりだろう」と答えた。
 一度快速電車を見送ってからやってきた電車に乗り込んだ。座るとすぐにゆうちゃんが「ごめん、去年の夏に行ってた、海」と事も無げに言った。私は何も答えなかった。車内は空いていた。
 二回乗り換えて、海の近くの駅に着いた。最初の乗り換えで、間違えて逆側の電車に乗ってしまい引き返したので、思ったよりも時間がかかった。電車を降りると、ほのかに潮の匂いがする。ゆうちゃんが「海だね」と悪い顔で笑った。
 二人ともお腹が空いていたので、まずはご飯を食べることにした。せっかくだから海のものを、とゆうちゃんが言うので、回転寿司に入った。もう十四時を回っていたので店内は空いていた。
 食べている間、ゆうちゃんは何度も「やっぱり、海が近いから、おいしい」と楽しそうに言っていた。私は、家の近くで食べるものと大差なく感じたので、何度も「そうかな」と笑いながら答えた。
 二人でたんとお寿司を食べた。店を出ようと席を立つと、ゆうちゃんが財布を手渡して「トイレ行ってくる」と言った。四千円弱の会計に、ゆうちゃんの財布と自分の財布からお札を二枚ずつ出す。
 会計を済ませてもゆうちゃんが戻ってこないので、私は店の外で待つことにした。入口の横にはガチャガチャが並んでいた。手持ち無沙汰で眺めていると、当たり入りのものを見つけた。当たりとして流行りの玩具が入っていて、はずれは何が出るかお楽しみ。という、なんとも子供騙しな代物だ。私も子供の頃におこづかいを握りしめて挑んだ覚えがあるが、出てきたのは、知らないキャラクターの小さい人形や、食べ物のかたちの消しゴムばかりだった。世の中うまい話はないということを子供が学ぶには、適切な教材だったと思う。
 ノスタルジックな気持ちで、お釣りでもらった百円を入れてみる。ハンドルをガリガリと回して、転がり出てきたカプセルを取り出す。気付くとゆうちゃんが戻ってきていて、お腹をさすりながら「当たり、出たの」とのぞき込んでくる。
 カプセルを開くと、中には小さなペンダントが入っていた。ピンク色をした半透明のハートが、ちゃちなプラスチックの鎖にぶら下がっている。ゆうちゃんが「あー、はずれ」とわざとらしく残念がるので、私は「当たっても困るよ」と笑った。
 レシートを見るかと聞いてみるが、ゆうちゃんは頓着なく「ん」と答えるばかりで、そんなことよりもペンダントをつけてみろとしきりに言う。子供用なので小さかったが、問題なくつけられた。ハートを指先でつまんで「どう、似合う」と聞くと同時に、音もなく鎖がちぎれた。地面にさらさらと落ちる鎖を目で追ってから、ゆうちゃんと私は互いに目を見合わせて大笑いした。
 私の笑いはすぐ収まったが、いつまでも笑い続けているゆうちゃんが可笑しくて、私もまた笑った。二人で笑ったまま、海の方へ歩きはじめた。
 歩いている間もずっと笑っていた。もう何が可笑しいのかもわからないまま笑い続けた。海が見えると二人で「おー」と声を上げて、その声が揃ったことにまた笑った。
 辿り着いた砂浜は閑散としていて、遠くに犬を散歩させている人がいるだけだった。私は海を見ながら、この小さな旅の終わりを感じた。目的が海を見ることなら、海に来て海を見たら、それでおしまいだ。しばらく二人で立ち尽くすように海を見ていた。ゆうちゃんも私も、もうちっとも笑っていなかった。
 肌寒いせいかトイレに行きたくなった。辺りを見回すと、少し離れたところに公衆トイレがあった。「おしっこしてくる」と言って歩きはじめた私を、ゆうちゃんが呼び止める。「ペンダントちょうだい」と言うので、振り返ってポケットからカプセルを取り出して投げる。ゆうちゃんがバランスを崩しながらキャッチしたのを見届けてから、トイレに向かう。
 用を足して戻ってくると、ゆうちゃんの顔には笑顔が戻っていた。「どうしたの」と聞くと「宝探し」と答える。ゆうちゃんが手をぱんぱんと叩いているので、指先を見ると砂がついていた。「埋めたの」と聞くと「埋めた」と答える。
 旅を終えたつもりだった私には、新たなイベントを楽しむ余力もなく「見つかるわけないじゃん」と笑うことしかできなかった。ゆうちゃんは不満げに「えー」と言ったが、私が動かないのを見て、とぼとぼと海に向かって歩いていって、あるところでしゃがんで地面を掘りはじめた。
 少しして、ゆうちゃんが振り返って「ない」と叫んだ。「ここに埋めたはずなのに見つからない」と驚いたように言うが、私からすれば予想通りの展開だった。意地悪で、何も言わずにゆうちゃんの目を見る。非難するつもりもないのだが、ゆうちゃんは慌てた様子で地面に向き直って辺りを掘り返す。その背中を見ていたら、なんだか居づらさを覚えて、私はゆうちゃんから離れた。
 海にもゆうちゃんにも背を向けたまま砂浜の端まで来て、座り込んでしばらく海を見ていた。ゆうちゃんは、地面を掘り返し続けている。すぐにあきらめるかと思ったが、根気よく掘っている。私が一言「もういいよ」と言えばあきらめるかも知れないが、なんとなく声をかける気にならなかった。
 波の音がざーと鳴るたびに、思考が鈍っていく気がする。なんだか、海になんて来なければよかったと思った。
 ペンダントは見つかるのかな。いつまで探すんだろうな。お寿司おいしかったな。そういえば、当たりのおもちゃはなんだったっけ。去年、誰と海に行ったんだろう。帰りは電車間違えないかな。明日は晴れるかな。温かいものが飲みたいな。海だな。寒いな。いろんなことが頭に浮かんでは、すぐに消えた。
 ゆうちゃんの背中にかける言葉を考えたが、何も思いつかなかった。なんだか焦るような気持ちで、空っぽの頭のまま立ち上がって、歩きはじめる。一歩ずつ砂を踏みながら、私が声をかけるまでにゆうちゃんがカプセルを掘り当ててくれればいいのにと思った。早く見つけて。早く。早く。と、祈るような気持ちで砂浜を歩いた。

二人で海に行く話です。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-10-30

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