*星空文庫

時代遅れの科学者と

野崎くるす 作

 真夏の激しい陽射しのなかを、スーツ姿の男が一人、黒光りするアスファルトの上を進んでゆく。
 ポケットから紙片を取り出すと、そこには簡易な手書きの地図が書き込まれている。十字路を右に折れた場所に、目的地である会社名がある。
「ここで間違いなさそうだ」
 男は緩んだネクタイを締め直し、腕時計を一瞥する。約束の時間には三十分ほど余裕がある。
 この商談を成功させなければ、自分の社内での評価もいよいよまずくなる。この不況で同期が何人もクビとなり、いまやその刃は自分の首筋へとあてられている。
「よし」
 男は自分を鼓舞すると、緑豊かな土地のなかにぽつんと建つ、近代的なビルへと向かう。
 近づくと、敷地の周囲は鉄柵と繁みで囲われているのがわかる。
「あのー、×××社のものですがー」
 門近くには詰所があり、一人の警備員が椅子に腰掛けていた。
「あ、×××社のK様ですね」
 警備員に話がいっていたのだろう、男はすんなりと敷地内へと入ることができた。
「ここをまっすぐいって、最初の十字路を右にいくと、すぐ左手に『第三開発研究棟』があります」
 警備員は身を乗り出し、『第三開発研究棟』のあるだろう方向を指し示す。男は滴り汗を拭いながら、「はい、はい」と頷く。
「こちらからお客様のきた旨を伝えておきますので、誰か研究員の方が迎えてくれると思います」
 警備員はそういうと、再び椅子に腰掛けた。もう仕事をしたといった感じで、男へ視線をやることもない。
 男は礼を述べ、教えられた『第三開発研究棟』へと向かう。途中、白衣姿の人々や、自動車とすれ違った。そのなかでは、男のかっちりとしたスーツ姿は浮いていた。

 警備員のいった通りに十字路を右に進むと、左には正方形をした建物が現れた。みれば『第三開発研究棟』という看板がある。
 そのすぐ手前には、白衣姿の女が立っていた。女は男をみつけると会釈をし、「お待ちしておりました」と抑揚のない声でいう。
「わざわざすいません。×××社のKと申します」
「お話は伺っております」
 感情を表にださない、美しい女だった。男は暑さにくらりとしながら、そんな女の姿に見惚れてしまった。
「K様、どうぞこちらへ」
 女は白衣の裾を翻し、建物の方へと歩みを進める。
 男は「はい」と頷き、女に続く。
「現在、T博士は国際会議の最中でして、少々お待ちいただくことになります」
「国際会議? ここでですか?」
「ええ、いまでは簡単なことですよ」
 二人は並んで建物内へ。窓から入り込む光が、純白の床、壁、天井を照らしており、まるで砂浜にいるかのようで、波の音すら聞こえてきそうだ。
 男は女に促されてエレベーターへ。女の指先が『F3』のボタンを押すと、身体にぐんと重みがかかる。
 箱はすぐに三階へとたどりつき、ドアが開く。「どうぞ」女にいわれ、男は箱の外へと出る。
「やあ、P女史。君が研究室の外にいるなんて珍しいね」
 そこには長椅子が二脚に観葉植物、自動販売機、吸殻入れが置かれている。その向こうは窓であり、夏の陽射しと近代的な建物に、木々の緑がみえている。
 女に『P女史』とはなしかけたのは、その長椅子に腰掛けて缶コーヒを啜る白衣姿の若い男だった。
「Mくん、実験の方は順調かしら?」
 女(以降はP女史とする)が脈絡なくそういうと、若い男(以降はMとする)は「問題なく」と軽薄な笑みを浮かべる。
「お客さん? ああ、×××社の」
 Mはしげしげと男をみると、興味を失ったかのように手にした携帯端末へと視線を落とす。
 P女史とMの会話はそれきりだった。手持ち無沙汰に佇む男に「こちらです」とP女史は声をかけ、二人は並んでその場をあとにする。

 それから二人は細長い廊下を進み、壁に溶け込んでいるかのような白いドアの前で足をとめる。
 微かなへこみが把手だろう。『第19研究室』という簡素なプレートがかかっている。それをみて、なぜだか男は無性に喉が渇いていることに気がついた。
「なにもない部屋ですが」
 P女史がドアを開けると、その向こうにも同じような景色が続いていた。P女史はつかつかと歩みを進め、男はおずおずとそれに続く。
 ここにもドアがある。そこから左右に四つ、奥に一つの部屋があるのだとろうと察せられる。
 P女史は右手前のドアを開け、入るようにと男を促す。男は気の弱い子供のようにそれに従う。
「どうぞ」
 P女史はその部屋にあることが相応しいといわんばかりの椅子を引き、「コーヒーでよろしいですか?」と尋ねた。
「あ、はい」
 P女史は逆さになっていたカップを返し、粉末を落とし、ポットに入ったお湯をこぽこぽと注いでゆく。
 男はP女史の方を気にしながら椅子に腰掛ける。部屋にはコーヒーのいい香りが漂い始め、男の凝り固まった意識をほぐしてゆく。
「よろしければ」
「え、ああ、すいません」
 男は上着を脱ぎ、P女史に手渡す。「苦しければ」P女史はネクタイをみる。男は素直にそれに従い、ネクタイも外してP女史に手渡した。
 P女史はそれらをハンガーラックにかける。自分のものを手にする華奢な指先に、白衣から覗く首筋に、男は頬が上がりそうになるのを歯を食いしばって押し殺す。
「会議は、どのくらいかかりそうなんですか?」
「わかりません。その長さこそが重要なんです」
「どういうことです?」
「要は文字だけで済む、ということです」
 P女史の真意はわからぬが、男は「ああ」と曖昧に頷く。そしてそれからは沈黙が続くこととなる。
 男はちびりちびりと時間を稼ぐかのようにコーヒーを啜り、P女史は男の対面に腰掛けて本を読む。
 手持ち無沙汰になった男は、あ、この部屋には時計がないんだな、と気がつくが、どうでもいいかとすぐに別のことへと意識がいった。

 男が三杯目のコーヒーを飲み終え、P女史が文庫本を半分ほど読み終えた頃、『第19研究室』というプレートのかかったドアの開く音がした。
 男は緊張に顔を引き締め、立ち上がる。P女史はゆったりとした動作で本を閉じ、ドアの方へと視線をやる。
「やっと有意義な時間が終わったよ」
「ご苦労様です」
 部屋のドアが開き、白髪に白衣姿の老爺が姿を現した。その眠そうな目が、ほう、と男のこわばった顔へと向けられる。
「T博士、こちらが……」
 P女史が老爺(以降はT博士とする)に男の紹介をする。その間、T博士は男の頭の先から足の先まで興味なさげに観察した。
 男は爽やかに頭を下げ、「×××社の……」とP女史にしたのと同じ自己紹介をし、名刺を差し出した。
「どうもどうも、こんな辺鄙なところまで」
 T博士は変わらぬ表情で名刺を受け取り、労いの言葉をかける。男はT博士に時間を取ることを侘び、交渉の話へともってゆく。
「T博士とうちのDが共同で開発している『自動転送ドア』のことですが」
 P女史は部屋から出ることもなく、脇でその話を聞いている。男はそれが少々気にはなったが、T博士がなにもいわないので話を続けた。
 T博士は「そういえば、そちらではそういった名前でしたな」と呟く以外に言葉を発することはなく、男の話が終わるのをただじっと待っていた。
「ぜひ早い実用化をと……」
 男の演説じみた熱っぽい話が終わると、T博士はP女史に視線をやり、乾いた声で「部屋を変えよう」という。
 するとP女史は返事をするでも頷くでもなく、「こちらへ」と男に移動するよう促す。それと同時に、T博士は部屋の外へと消えてしまった。
「どこへいくんです?」
 T博士がいないことを確認し、いくぶんかは心許したP女史に男は囁く。けれどP女史はなにも応えず、ドアを開けた。
 男は事態が飲み込めず、どうなるのかと焦り始めていた。けれどここで立っているわけにもいかずに部屋を出た。閉まるドアの向こうに、自分の上着とネクタイがみえた。

 T博士、P女史、男の三人は、『第19研究室』の別の部屋へと移動した。その部屋も先ほどと同じような構図に装飾だった。
 けれど唯一違うのは、一枚のガラス(そうみえるが、その材質まではわかない)が壁際に立っているということだった。
「これは?」
「えー、おたくでいうところの『自動転送ドア』でしたかね?」
 T博士はそのガラスの脇に立ち、「その試作機、といったところでしょうか?」とP女史をみる。
 P女史はドアの前に立ち、「T博士がそういうのなら、それで間違いないのでは」と男が些か戸惑うような返しをする。
「そう、その通り」
 男は社の命令で、『自動転送ドア』の実用化を早めるよう、T博士に会いにきた。技術部の友人に話を聞けば、もう実用化の段階にまできているというが、共同で研究をしている研究機関がなかなか首を縦に振らないという。
 その『自動転送ドア』(男は何度かその原理について説明を受けたが、結局は理解できなかった)は、簡単にいえばワープ機能を備えたドアだということだった。一度、その写真をみせてもらったことがあるが、現在、目の前にあるものとよく似ていた。
「実物をみるのは初めてだろう。ほれ、こうしてゴム毬を投げてみると……」
 T博士は白衣のポケットからゴム毬を取り出して、それをガラスへと放り投げた。
 すると不思議なことに、そのゴム毬はガラスを通り抜け、向こうにある壁にぶつかった。
「通り抜けられる壁、といった方がわかりやすいかな」
 T博士は腕を伸ばしガラスに触れる。そのまま指先から肘の辺りまでがガラスの向こうへと突き出している。
 男はぽかんと口を開け、手品でもみせられているかのような様子だったが、すぐに口元を引き締める。
「分解と再構築、といったところかな」
「我が社はこれを建築物、車両等に利用したく……」
 T博士は男の言葉を遮って、「材質は柔軟性に富みながら、非常に硬質ときている。事前に登録したものだけを通すことも、無差別に通すことも選択できる」という。
 P女史がガラスに近づく。その足音が、背後から男の鼓膜を震わせる。けれど男はそちらを振り返ることもできない。
「いずれは『自動転送ドア』だったかな、それらを『粒子回路』で繋ぐことにより、離れた場所への移動、転送といった方がいいのかもしれないが、そういったことも可能となるだろうね。そうしたら開閉しないドアとしてだけでなく、別の用途、例えばおたくが考える軍事兵器への利用、というのもありうるだろうね」
 T博士は用途についての関心は薄いようで、床に転がったゴム毬を拾い、椅子に腰掛けた。
 軍事利用、男はその噂も耳にしていたが、社から正式にそうしたことを説明されたことはない。なので同意も否定、意見もできない。
「で、君も実際に確かめてみたいとは思わないかい?」
「試す?」
「そうだよ。そのドアを通ってごらん」
 男は音を立てて生唾を飲み込む。恐怖もあったが、好奇心から拒否の言葉が出てこない。
 首だけを捻り、背後に立つP女史へと視線をやる。
「どうぞ、ご遠慮なさらずに」
 P女史は無表情でそういった。
 男は逡巡した結果、そのガラスの前に立つ。
 そこには、ワイシャツの袖をまくった自分の姿が映っている。
「……、それじゃ……」
 男が腕を伸ばすと、ガラスに映る男の腕もこちらに伸びる。足を一歩踏み出すと、その男も足を踏み出す。
 男の身体はガラスのなかへと吸い込まれてゆき、消えてしまう。その男の姿が消える瞬間、その耳にP女史の「いってらっしゃい」という声が届いた。
 
 それから、というのもおかしな話だが、男は時間と空間、あらゆる有限という鎖から解き放たれ、ある者にとっては神と、またある者にとっては真理と呼ばれるものに限りなく近しいなにかとなっていた。
 男は男だという意識も、人間だという意識も、生物だという意識すらも遠い昔になくしていた。男は有限と無限との狭間で、かつての知識を呼び覚まし、数多の咆哮と絶叫、歓喜と哀願、……と……をも思い出した。

『実験は失敗、ということでしょうか?』
『人間とゴム毬とでは違うのだから、そう簡単に結論を出すこともできんわい』
『動物実験では、すぐに再構築がなされました』
『人間では初めてだ』
『科学者にはあるまじき、どこぞの神秘性というやつでしょうか?』
『科学者だからこそ、わからんことばかりなのだよ』

 それは有限なる宇宙から湧き出る言葉だ。男にはすべてがわかる。そう評する言葉ですらも適切ではなく、ここではすべてが不要だった。

『実用化はまだできん、そうむこうさんに伝えてくれ』
『研究費削減なんてことにならないでしょうか?』 
『こちらは社員一人を犠牲にしたのだ、とでも脅かされるのかい?』
『その可能性もなくはない、というだけです』
『調べたところじゃ、クビ候補筆頭だったそうじゃないか』

 男はそのことも知っている。厄介払い、被検体、要はていよく処理されてしまったというわけだ。
 感情なんてものはない。男はただそれを知るだけだ。これまでの歴史に、これからの歴史に、その先も。
 男の意識がぐんとなにかに引っ張られる。有限から伸びた鎖が、男の目に見えぬ身体を縛り上げる。男は男へと戻っていた。

 不意に胸が苦しくなる。これが重力というやつだ。拳を握る。筋肉が、骨が軋む。男のなかには、まだすべての知識が残っている。
 振り返るとガラスがあり、とぼけた顔をした男の顔が映っている。腕を揺らせば、そこに映る男の腕も微かに揺れる。
 男はそれが男であり、自我の宿る仮の器だということもわかっている。けれどもまるで実感がない。
「おかえりなさい」
 女の声に、男は「お久しぶりです」と返す。そうなることも知っているし、これからどんな会話がなされるのかも知っている。
 ガラスの位置は壁際から変わっており、いまは部屋の中央、机を挟んでP女史の座る椅子の前に置かれている。
「どんな感覚なのですか?」
「特には。ずいぶんと長い旅をしていたようですね」
 P女史は変わらぬ理知的な表情をしているが、その顔には皺が刻まれ、白髪となり、机の上で組む指先も骨ばっていた。
 対して男の姿形は、あの頃とまるで変わらない。それをみつめるP女史の目が細められる。
「実現化は上手くいったようですね」
「遠い昔の話です。けれど、なぜそれを知っているのです?」
「すべてを思い出したのですよ」
 男は滔々と歴史を語った。P女史は目を閉じ、まるで眠っているかのように話を聞いていた。そして男が切りのいいところで話をやめると、P女史は「おお、神よ」と心よりの祈りを捧げた。
 男が戻った世界には、もはや科学が行き渡り、それゆえに先端をいっていた科学者は、もはや時代遅れの象徴となっていた。人々は気がついたのだ、肉体とはただの器であり枷であると。
「もはや肉体は必要なく、脳だけ、意識だけで生きてゆけるのです。それも自分にとっての理想の世界を」
 人類は正しく神を希求し、己が神となることを恐れなくなっていた。そして男にとってみれば、それもまた快楽のみの仮の器、偽神に過ぎぬのだと知っていた。
 男はこの『自動転送ドア』を通ることにより有限から真の無限へと旅立った。またその後の人類は、違った方法で偽の無限へと旅立った。
「ずいぶんと苦労なさったようで」
 感情を包み込む男の声に、時代遅れの科学者は「まったくです」と疲れたような笑みを浮かべる。
 このガラス(男にはその材質がわかっている)が、男をP女史の信ずる神へと変えたのだ。人類の知恵は、やはりここではないどこかを求めているのだ。

『時代遅れの科学者と』

『時代遅れの科学者と』 野崎くるす 作

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-10-29
Copyrighted

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