*星空文庫

桜の前で逢いましょう。

野崎くるす 作

 青年は、ベンチに腰掛けて脚を組む。カバンから文庫本を取り出して、優雅に開く。
 文字などは頭に入ってこない。周囲の視線を気にしている。やれやれといった感じを演出している。
 けれど左右に揺れる視線が、その思惑を見事に打ち砕いてしまっている。
 春風に髪が揺れ、読んでもいない文庫本、そのページがばたばたと捲れてしまう。
 するとどこからか足音が近づいてきた。青年は伏し目がちに視線をあげる。
 そこには制服に着られているという表現がぴったりな少年が、大きなリュックサックを背負い立っていた。
「は~……」
 少年は焦る気持ちを抑えるように、意識的にため息を一つ吐き出すと、不似合いな腕時計をちらりとみた。
 青年も気がつかれぬようにと腕時計を一瞥する。時刻は午前八時になろうとしていた。
 公園には、近所の中学、高校生だろう、制服を着た少年少女の姿が多い。そのせいか、青年は落ち着かない。
「まだかよ……」
 この少年は、誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。しきりに周囲を見回している。
 “桜”の花弁がひらりと舞い落ち、青年の太ももの辺り、ブラックジーンズに着地する。
 青年はそれを指先で払い除け、少年の幼い横顔を盗みみる。時計の針が進むにつれて、その表情が崩れてゆく。
 彼女にでもすっぽかされたのか。急用、急病でここまでくることができぬのか。青年は色々と考えた。
「おーい、なにしてんだよ。遅刻すっぞ」
 別の少年が駆け足でやってきて、泣き出しそうな少年の背中を叩く。快活な少年だ。
「マナミがこないんだよ」
「朝からお熱いねー」
「そんなんじゃないって」
「はやくコクっちゃえよ」
「別に好きじゃねーし」
「ま、いいけど」
 快活な少年は「ま、遅刻はやめとけよ」と言い残し、去っていった。
 少年はその背中を眺めながら、「そんなんじゃねーよ……」と呟いた。
「おい、少年よ」
 青年の低い声が、不意に少年へと向かう。少年はきょとんとした顔で、青年の方へと視線をやる。 
「あの……、なんでしょうか?」
 不審者をみる目だ。青年の身体が少し仰け反る。「いや、待ち合わせかい?」という声が震えている。
「え、ええ、そうですけど……」
「時間、場所に間違いはないのか?」
「は、はぁ……、大丈夫です」
 周囲にいた少年少女の姿は少なくなっていた。そろそろ始業を告げる鐘が鳴る。
「その木の前で待ち合わせか?」
「ええ、この【桜】の前です」
「【桜】?」
 この公園には、二本の立派な“桜”の木がある。一本は公園の北側に、もう一本はこちら、南側に。
「本当に、この“桜”の前でと?」
「いや、公園にある“桜”ってはなしで」
 少年はつま先で地面をつつきながら、「あっちは通学路からも離れてますし……」と続けた。
「他になにかいってなかったのかい?」
「えっと……、『桜の前で微笑むわ』っていってましたけど……」
 なるほど。青年は文庫本を閉じると立ち上がり、少年の肩を軽くたたく。
「ならば正解はあちらだな。ほら、急ぎなさい」
「え? え? え?」
 青年は少年を送り出す。戸惑っていた少年も、いつしか駆け足で消えてしまった。
 その背中に向かい、青年は「ぞんぶんに走りたまえ。そして遅刻するがいい」とエールを送る。
 青年の目の前にあるのは【ハナカイドウ】。【カイドウザクラ】ともいわれている。花言葉は《友情》。その様は似ているが、【桜】ではない。
 対して北側にあるのは【ヤマザクラ】で、その花言葉は《あなたに微笑む》。ああ、実にむず痒い、甘酸っぱいはなしではないか。青年は深くため息をついた。

『桜の前で逢いましょう。』

『桜の前で逢いましょう。』 野崎くるす 作

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-10-25
Copyrighted

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