この道はいつか来た

仁科 哲夫 作

 消費税増税法案の参院可決前の8月7日に、自民党が不信任案提出に踏み切る構えを見せ
て法案成立が危ぶまれ、これを受けて東京債券先物市場で10年物国債の利率が大幅に続落
して、ヒヤリとしました。幸い法案は成立し、利率ももとに戻りました。だが、ここにきて
昨27日の新発10年物国債の利率は底値から0.07%あまり上がっております。春ごろ
には1%以上の時もありましたので、神経質になるっ必要はないかもしれませんが、心配性
の私には嫌な予感も働きます。
 
 あの時に不信任案が提出され、増税法案が流れてしまうと、世界はやっぱりか、と何も決
められない日本に愛想をつかし、格付け会社は国債の格付けを引き下げ、待ってましたとば
かりにヘッジファンドは空売り攻撃を仕掛けます。スペイン国債があっという間に2%近く
値上がりしたことを思えば、他人事ではありません。国債利率が2%上がれば日本の銀行は
12兆円の損失をこうむると言われております。国の国債に対する利払いは税収の24%を
しめます。利率が2%上がると、利払いに国債償還費を加えると、税収のほとんどが国債費
で占められてしまいます。まさに国家財政と銀行の破たんです。これをチャラにする方法は
あります。ハイパーインフレをおこすのも一つの方法です。だが、日本の社会は大混乱にお
ち入ります。

 私にはトラウマがあります。戦争が終わったときは15歳でした。それまでは鬼畜米英と
叫んでいた先生が、アメリカ民主主義のすばらしさを説教しました。こんなこともありまし
た。小学生の時、なにかというとすぐ殴るのでいちばん怖い先生が、ふざけて列を乱した私
のうしろの生徒をめざとくみつけ、「そこの」と近寄ってきて、あろうことか、前の私に思
いきりビンタをくらわしました。「間違いです」などと言おうものなら「日本男児が言い訳
をするのか」ともう一発くお見舞いされるのがおちなので、黙っていました。数年後に電車
の中でその先生を見かけました。数人連れのうち、おそらく人事権をにぎる教育委員会の人
だろう、まるで米つきバッタのように仕えていました。胸の悪くなるような光景でした。

 戦後の家計の当事者ではありませんが、物価が2年で20倍になるハイパーインフレを知
っています。飢餓も経験しました。生産力や流通網が空襲で壊滅したところに、海外から軍
人や邦人がどっと帰国して、国内人口が一割も増加しました。その上に戦時国債の償還、軍
人退職金の支払い、軍需物資発注への支払いなどで大量の紙幣が増発されたのでインフレに
なるのは当然です。老後の資金にと、戦前からコツコツと掛けてきた生命保険がようやく満
期になり、もらったお金では米を一斗(そのころは容積で計っていました)しか買えなかっ
たというような悲劇はいたるところでありました。

 昭和21年になると、このインフレを終息させるために、預金封鎖がおこなわれました。
流通している紙幣は2月25日から3月2日までに、すべて銀行などの金融機関に預けなけ
ればならないのです。3月7日からは旧紙幣は無価値になります。預金は月に所帯主300
円、家族一人につき100円、500円を限度に引き出しができます。まだインフレが進行
しているさなかですから、給料生活者は大変な苦労をあじわいました。

 その引き出された預金は新円と呼ばれる紙幣で渡されました。ただ、紙幣の印刷が間に合
わないので、旧紙幣の右肩に切手ほどの証紙をはって流通させました。和気清麻呂の肖像の
ある旧十円紙幣に、切手ほどの証紙があるかないかで、紙切れか十円に分かれました。しば
らくすると、新しい十円紙幣が出回りました。長さはそれほど違いませんが、幅が狭く、横
長の感じでした。そのデザインが変わっていました。全体に青っぽい色合いで、米国と読め
ます。左半分に太い十字模様があり、その中に国会議事堂の写真があります。丸が上下左右
にあり、左上と右下が漢数字の拾、右上と左下がアラビヤ数字の10です。これで米の字に
なります。左半分は四角い枠で、これは国の略字になります。その枠には鉄条網のような取
り巻きがあり、枠の上辺の内側に菊のご紋章があります。その下に右から左に拾圓の文字が
入ります。左隅下に¥10の白抜き文字の地は黒い人の顔のように見え、視線は上の菊のご
紋章に向いています。ノートルダム寺院の屋根から見下ろす怪物のような感じです。国会議
事堂の十字の方にもらせん模様のようなものもありますが、右側の枠ほどのあからさまな縛
りのようではありません。国会議事堂で象徴される日本政府と菊のご紋章の皇室を、アメリ
カは鎖で囲ってしっかりと見張っているぞというように見えしたので、あまり評判は良くあ
りませんでした。興味のある方はウエッブサイトで「A号10円券」を検索してください。

 ようやく食糧事情もよくなり、世の中が落ち着いてきたのは昭和23年になってからのよ
うに思います。この混乱のなかで育った私はひねくれた根性をもつようになりました。

この道はいつか来た

この道はいつか来た

昭和21年に預金封鎖が行われました。紙幣はすべて金融機関に預けなければなりません。 タンス預金をしているとすべて紙くずになります。その後、月に所帯主に300円、家族 一人に100円、500えんを限度に引き出しができました。まだインフレが進行してい る最中なので、給料生活者はたいへんな苦しみを味わいました。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2012-08-28

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