エサの時間

夏の暑さが人をおかしくさせる。っていうの、ほんとにあると思う。自然に人間は勝てないって言うし。
きっとそんなとき、俺達には制御できないような大きな力が働くんだよ。

ーーそうじゃなきゃ、あの兄があんなことするわけない。



その時俺は、喉が渇いて冷蔵庫を覗いたところだった。

静まり返る宿舎って、それぞれの部屋では皆が寝息を立てているということを知っていても、少しだけ怖いものだ。そう感じるのは絶対俺だけじゃないはず。
でもふと目が覚めて異様な喉の渇きを感じてしまうと、怖いだのなんだの言ってられない。我慢が出来るわけもなく、俺はベッド脇に飲み物を用意しなかった自分に舌打ちしたい気分で、抜き足差し足、キッチンへとやって来た。

「何飲も……。」

暗さに慣れた目には冷蔵庫の灯りが眩しくて、目が勝手に渋くなる。今の俺、かっこいい顔かもしれない。ファンの子が居ないのが残念。

メンバー共同で使うこの冷蔵庫には、個人名が書いた飲み物や食べ物がたくさん入ってる。
食べ盛りの男だらけの食欲事情っていうのは結構真剣で、食べる予定の物が消えたりなんかしたら、それはもう、事件に発展しかねない。
実際、ある兄の買い置いていたアップルパイを、誰かが食べてしまった、という事案が以前発生したことがあった。
まあ詳しくは端折るけど、映画が一本撮れそうなくらいの時間だったってことは確か。血を見なかったことが救いだと思う。

そんなわけで、選択肢は自分の名前が書かれたものか、共用のミネラルウォーターくらいだった。そんなことはわかっていても、美味しそうな缶なんかがあってついつい手に取ってみたりしてしまう。

「ドンヒョガ……?」

ーーこの瞬間の驚きを、どう表現したらいいのかわからない。声も出ない驚きってやつ。
開け放した冷蔵庫の扉の向こうから聞こえた声に盛大に俺の肩が跳ね、持っていた缶が大きな音を立てて冷蔵庫のプラスチック製の棚に落ちる。床じゃなくてよかった……。

「マクヒョン……。」

顔を覗かせたのは一つ上の兄だった。
こっちはこっちで驚いたけど、向こうは向こうで、こんな時間に誰かしらと鉢合わせるとは思わなかったらしい。驚きの中に意外そうな、戸惑っているような表情が見えている。
……ん?戸惑い?ってなんで?

「マクヒョンも飲み物?それともトイレ?」
「うん。なんか飲みに来た。喉乾いて……。」
「目ぇ覚めた?俺もですよ。」

こそこそ話し合いながら、一緒に冷蔵庫を覗き込む。
まだ夜は蒸し暑いから、お互いに半袖だ。左側に立つ兄と肩が触れ合うと、少し前から冷蔵庫を開けて冷気を浴びていた俺の腕に、起きたてほやほやだと言うような温かい兄の腕が、なんとも心地いい。
なんとなく癖でそのまんま兄の腕に自分の腕を絡めると、するりと腕を抜かれてしまった。あれ?と思いながら兄に顔を向けても、正面を向いたままの兄とは目が合わない。ちぇ、なんだよ素っ気ない。

「クーラーボックス買おうかなぁ。それに入れて寝る。」

いちいち起きてくるのが面倒で呟くと、兄は苦笑いを落として選んだ飲み物を手に取った。
さっきから延々冷蔵庫は開けっ放しなんだけど、開いてると涼しいし、電気をつけなくてもいい。どっちが電気代食うのかまでなんて知らないよ。

「炭酸?」
「うん。」
「おいしい?」
「うん。」

プシュっていう音が気持ちよく響いて、ごくごく喉を鳴らす兄を見たら宣伝されてるみたいに美味しそうに見えてしまう。

「ちょっとちょーだい?」
「……ん。」

甘えてお願いしてみた。特に甘え攻撃が効くわけではないんだけど、これも年下故の癖というか、なんか。
向こうも特に嫌そうな顔もせず、缶を俺に差し出してくれる。

炭酸が喉から鼻に抜けていく独特のあれに、眉間に皺が寄る。美味しい。
夜中の水分補給に炭酸かよ、ってどこかの兄にお小言を言われそうだけど、まだまだミネラルウォーターよりこういうのが飲みたい年頃なんだよ。
遠慮なく飲んでだら、ふいに隣からの静かな視線を感じた。
飲み過ぎだ、と兄が怒るのではないかと慌てて口から離す。ついでに少しでも機嫌を損ねないように、缶の開け口を指で拭う。

「ッ、いて…。」

縁で指が切れた。
人差し指の第一関節の脇に、ぷく、と紅い線が浮いてくる。こういう大したことない切り傷ってさ、その瞬間は平気でもじわじわ痛くなるよね。

「どうした?」と言いながら頭がくっつくような位置で俺の手を覗いた兄に、指を差し向けて血を見せてやる。

「切れた〜。」

「平気平気。」と、それ以上派手に出てくるわけでもない血を見て指を唇の浅いとこで咥え、なんとなく目を上げた。ら、兄が表情も無く俺をじっと見つめてて、目が合った。

目が合って、それで、ーー動けなくなった。

「……ドンヒョガ。」

兄の声は、低くも高くも聞こえることがある。
それはこの人の感情による差が、音の振動に乗りやすいんじゃないかって、俺は考えたことがあった。

この時の声を例えたら、“檻の外に出たくて苦しそうな、ライオン” だ。

ぱたん。と何かの合図のように、冷蔵庫の扉が閉まる。辺りが真っ暗になる。
明るさに慣れていた瞳は再びの暗闇に晒されて、そんな中で認識出来る唯一の、兄の瞳の光に集中したようだった。
カーテンも閉め切って月明かりも入らないこの場所でも、不思議なことに兄の瞳は光っていた。眼光って、元の光は体内にあるのかもしれない。

ひたりと裸足の足音が一つ、俺の方に近付いて来る。
ああ、捕まるんだな。と思った瞬間、指を切った方の手首を捉えられた。ほらね。

ゆっくり追い詰められて、壁のひんやりした感触が背中にあたる。

兄は自分がどうしてしまったのか、全くわかっていないようだった。今この人の理性は、分厚い本能に邪魔をされて、働くことができないに違いない。

「……ごめん。」

なにが?
そう兄に聞きたかったけど、動けない上に、声も出せない。
恐怖を感じていたとかじゃない。そうじゃなくて、声を出したら、ライオンが逃げそうだったから。

兄は表情に僅かな戸惑いを残したまま、抗い難い衝動に動かされたように俺の顎を指で掬い上げると、首の角度をつけ迫り寄り、全くこちらに気を遣う様子もなく、荒々しく、唇を重ねた。

手に持ったままだった冷たい缶の表面の露が流れて、兄と俺の間にぽた、と落ちる。

キスの最中は目を閉じろよ。なんて文句を言うような雰囲気は無い。そもそもそんなセリフ飛び出す関係でもない。
二人とも、目が合った状態のまま、ただただ唇が繋がる。

正直に言うと、舌を絡ませるキスは、そんなに好きじゃない。
興味があってしてみたけど、気持ちがいいとは思わなかったし、人の唾液がなんとなく気持ち悪かった。
普通に下半身が繋がる方が、比べようもないくらい気持ちがいい、と思った。

だから兄とのこれは、俺にとってキスにはならない。
気持ち悪くならないし、辞めたくもならないし、苦しいから離れたい、とも思わない。

……これってなに?マクヒョン。

冷蔵庫の冷気が無くなったからなのか、他の原因からなのか、それともそのどちらともなのか。
背中に汗が流れ落ちるのがわかる。

俺の手首を握る兄の手も湿っていて、それより、顔全体擦り付けるみたいにしてくるから全部が熱い。前髪が濡れてくしゃってる。

なのに、心臓は思いの外速くならない。
ただ暑くて溶けちゃったのか、どちらの心臓かもわからない音が、俺と兄の隙間でずっと鳴ってる。



「ごめん……。」ってもう一度、それだけ言って兄は去って行った。
すっかりぬるくなった缶をどうしたらいいのかわからず、とりあえず冷蔵庫に戻し、俺も部屋に戻った。

ベッドに寝転がっても眠れないんじゃないか、って少し心配したけど、逆に現実味がなさ過ぎたのがよかったらしい。目を閉じたら直ぐにぐっすり眠ることができた。おやすみなさい。



ーーこの日のことは、その後お互いに触れてない。

暑い暑い夜だったんだよ。それだけのことだ。
抵抗らしい抵抗をしない俺は相当やばいよね、うん。でも仕方ない。俺あの時、異様に喉渇いてたし。

マクヒョンは、エッチな夢でも見たんだと思ってる。

……内緒だよ?あのね、俺がマクヒョンに口を食われてる間、前に硬くなったアレがあたってたから。

俺で解消すんなよな!金とるぞ!

end

エサの時間

エサの時間

マくドん。ドん視点。

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-10-11

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