こんな夢を見た #3

 とても大きい。こんな大きさ,月のときでもならない。それに,形が変だ。
 私はオフショルダーの水着姿で,胸を見つめている。その胸が突き出ている。カップがもたないのか,めりめりとワイヤーが音を立てている気もする。
 それに場所がおかしい。つげ義春の『おばけ煙突』の表紙,そんな舗装もされていない路地にいる。見上げると黒々とした三本の巨大な柱がそびえている。そっくりだ。
 やたらに眼を見開いた少女が,ふと私のそばに立っていた。
 「あなたの読み方は正しいのかしら。」
 そう言いながら,背中に隠していた水玉のパラソルを開いた。それは雨の合図だった。コップからこぼれるように冷たいものが降ってきて,彼女の傘に跳ね返り,とぽたぱと音を立てた。私は水着姿の意味を悟った。
 少女の質問は,おそらく私の『魚石』の理解に向けられていた。
 『魚石』は,主人公の男が大切にしていた古書を,友人Tが参加する古書展の「目玉商品」として借り受け,そのまま売ってしまう。意気消沈した男に,お詫びにと持参したのが「魚石」である。見た目は,魚がそのまま石に閉じ込められた感じで,化石を思わせる。磨けば,その石の中で魚が泳ぐという奇石である。
 「だから,あなたは読んだのよね。物語として。」
 そう,少女の言う通り。つげ義春には『苦節十年記・旅籠の思い出』というエッセイ集がある。その多くが彼の作品の元になっている,と言っても違わないほど,内容は重複している。たしか『魚石』と同じ話も収められていた。
 「それで,あなたは二つを比べた。漫画とエッセイとを。そうでしょ。」
 そうだ。それで気がついた。エッセイ自体は,とりたてて優れている,とは思えない。あれだけ文学作品を愛好している作者にしては,非常に簡素な文体で,むしろ自我が透明になっている(もし作品に自我などがあるとしたら)。漫画ではさまざまなタッチを使うのに。しかし。
 「漫画になると,つげ義春にしかない「味」がでる。」
 少女はパラソルをひと回しした。私の右目にしずくが飛んだ。雨は降り続いていて,道の土がふやけて泥濘に変わり始めている。おばけ煙突は,水性塗料で仕上げられたのか,表面の黒が水でながされている。ひどく泣きじゃくった後のマスカラを思わせた。
 「あなたが思ったのはそれだけじゃない。言葉があって,それに絵をのせる。そこには,自分のしていることの何倍もの色彩と音階がある。」
 それは絶望だった。私の言葉は,まだ響きさえしらない。あるとしたら,あの煙突のように,上からなぞった色だけ。それも雨で流される程度の色。私は決して流されない,腐食しない,永久の耐性を備えたペンキを探さなくてはいけない。
 「そうね。だからそんなダラシない格好で,こんなところをうろうろしているのね。かわいそう。」
 少女はそう言いながら,ひどく伸びた私の胸を小さい手で触った。体に電流が走った。ぞくぞくしながら,私は尿意を催した。いや,もしかすると,欲望のスイッチが入ったのかもしれない。
 少女は触るだけで飽き足りず,指先でそっと円を描いてまわした。私は喉の奥からHの長い音が出る気がして,必死で口をおさえた。
 「ペンキを探す前に,私の慰み物になりそうね。あなた。」
 そのとき,少女の性に対する知識は,私のそれをはるかに凌駕していることに気づいた。このままだと,探しに行く前に,彼女の奴隷にされるかもしれない。知りうる限りの妄想の源泉が,この目の前の女の子に秘されているのを私は知っていた。
 雨脚は強まっていた。もう煙突はコンクリの原色に戻っているだろう。そう思うと,私は少女に連れそう決心をした。ペンキは,また別の私が,別の水着で探しに行くのだろう。

 *つげ義春さんの作品は『つげ義春コレクション』(ちくま文庫)に依りました。

こんな夢を見た #3

こんな夢を見た #3

一話完結です。「とても大きい。こんな大きさ,月のときでもならない。それに,形が変だ。 私はオフショルダーの水着姿で,胸を見つめている。その胸が突き出ている。カップがもたないのか,めりめりとワイヤーが音を立てている気もする……

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-10-10

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