魔法を

赤面せよ!

まさかこんなに早く。
こぼした言葉は、足元までおちる前にざわめきに掻き消された。
文化祭二日目。朝一番のライブ会場は、ためし弾きのベースの音が胸に痛い。大勢の観客におされて、群青色のTシャツの背中が、ゆっくり離れていく。
私はちっぽけな、一世一代の賭けをしていた。していたのに、


淡い夕暮れの校舎を歩く。
文化祭はお店が終わったばかり。4階はまだ、カーテンも掃除道具入れも戻っていなくて、奇妙にすっきりしている。テープの跡が残った窓は、開けてあって、あかね色の風がカールさせた髪にくるくる絡んで通り過ぎた。すれ違うひとの抱えたおばけ屋敷の看板の、掠れた赤ペンキ。
背の高い影をみるたび一所懸命目を凝らすけれど、探すひとにはまだ会えず。ひとりきりだ。
文化祭が終わっていく。
ふと腕時計をみれば、後夜祭まであと30分。私に残された時間は、あと30分。
仕方がない、正々堂々会いにいこう。
決めたとたんに息がうまく吸えなくなって、妙に高い位置に浮き上がった心臓がどくどくとした。
嫌がる足で一歩ずつ下る階段はつめたい。

賭けはチャラだ。
じぶんのたったひと言で、終わらせなきゃいけない。

はじまりは、なんだったろう。
去年の文化祭、一緒に宣伝に歩いたカッターシャツの背中かもしれないし、あまりにもわからない数式に泣いた寒い放課後、机に置かれたココアの湯気だったかもしれない。いや、もっと遡って。散りかけの桜の朝、知っているひとの一人もいない よそよそしく白い教室を、ふとおもいだす。隣に鞄を置いてこちらをみた、同じように緊張したあの目だったのかもしれない。
その日から、私はたくさんのこと…例えばこのくせっ毛をどう結ぶか、この低い声をどう柔らかに届けるか、そんな下らないようなことばかり出来るようになった。私はあのバンドの曲を聴くようになったし、きみはふるい映画にすこし詳しくなったと思う。

渡り廊下が終わればもう、その教室はすぐそこだ。

今日、もしも会えたら伝えようと決めていた。それが私の、ちいさな賭け。だけど私は意気地なし、朝はなんにも言えなかった。いつもなんにも言えなかった。

突き当たり、とうとう立ち止まってしまった。胸を押さえる。もう何度も痛んだというのに。まだ、裂けないで。
息が、くるしかった。空気はこんなにも澄んだ秋の匂いなのに、ちっとも上手く吸えなかった。
引き返しかけて。廊下の鏡をふと覗く。
たくさん練習してくるんと柔らかにカールさせた前髪、きっと似合うと太鼓判をもらって選んだ白いはなびらの髪留め、唇にはほんのり差した紅。
深呼吸をした。
きょうの私は綺麗なんだ。色づいた頰も、涙のこぼれそうな瞳も、綺麗なんだ。
無理矢理言い聞かせきょうだけは、魔法をかけられたつもりでいたいよ。
死んでしまいそうに頷いて、私は今度こそ角を曲がる。
やっぱりそこにいた、きみのところまで駆けていく。
魔法が解けるまえに。

魔法を

夜中 ひと息に書いたものっていうのはひどく真っ直ぐになって、照れ臭いですね。
長編製作中です、ちょっと息抜き。たのしかった。

魔法を

いのち短し恋せよ乙女。

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-23

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