【Conteggio della garza】

ピアノラボ

 年間に述べ500件前後の一般家庭を訪問し、時には一つ屋根の下、人妻と二人っきりで数時間を過ごすこともあるピアノ調律師の仕事は、そこだけを悪意で切り取ると特殊な職業と言えるかもしれない。ピアノの音合わせを行うという大前提の元とは言え、公然と日中に他人の家庭へ上がり込み数時間も滞在するのだから、客観的事実だけを抽出すると不適切な関係にも映りかねないだろう。
 勿論、実際のところは、調律師と顧客の関係なんてそんな艶かしいものではない。これといった決まった型もなく、個々に応じて多様な関係を築いているのが実情だ。

 殆んどピアノを使っておらず、それでも執拗な説得に負け渋々調律を依頼する人は、調律師のことを言葉巧みに大金をかっさらっていく悪人と見做しているかもしれない。
 一方で、子どものピアノ教育に熱心な親にとっては、ピアノ調律師は頼りになるアドバイザーであり、貴重な情報収集源にもなり得るものだ。また、プロのピアニストやレスナーとなると、自分の分身とも言える愛器を好みにセットアップし、コンディションを管理してくれる主治医のような位置付けになるだろうし、愛好家にとってもメンテナンスの相性は重視されるものだ。

 調律師と顧客の関係は、ピアノを通したものだけとも限らない。つまり、技術や仕事を抜きにした関係に昇華するケースも珍しくない。お客様のご家族と交際に発展し、結婚にまで至った事例も幾つか知っているし、友人としてプライベートでも様々な苦楽を共有する間柄になった人も結構いるものだ。
 考えてみると、年に一度、或いはそれ以上の頻度で何年も継続して会う人って、大人になるとそう多くもないだろう。そう思うと、少なくとも年賀状のやり取りだけで何年も会ったことのない親戚より、ずっと親密な関係になっても不思議ではない。実際に、毎年会うことを楽しみにしているお客様もたくさんいるし、仕事とは関係のない用事でお誘い頂くことも結構な頻度である。家族、親戚、友人、恋人……そのどこにも属さないカテゴリで、尚且つ、顧客と事業者という間柄からは完全にはみ出した関係を築いているのだ。

 仕事中のお客様の様子も、千差万別だ。自分の家なのに、居場所がないかのようにソワソワと落ち着きを失う人もいれば、「終わったら声掛けてくださいね」と告げて別の部屋に移動する方も多い。信頼なのか無頓着なのか「一時間ぐらいで戻りますので」と言って、調律師一人自宅に残して外出する人もいる。不安なのか警戒なのか、見張るかのように同室で時間を潰す人もいる。普段通りに黙々と家事を熟す人も多い。
 そういった多様な対応の中でも、仕事上一番困るのは、作業に入っても中断なく話し掛けてくる客だ。単なるお喋りなのか寂しいのか、退屈な日常のちょっとした刺激になるのだろうか、或いは静寂や沈黙が耐えられない人なのか、理由は定かではないにしろ喋り止まない人もいる。
 言うまでもなく、ピアノ調律師の仕事は聴覚情報こそ最も重要である。特に音合わせの作業は、ピアノの音だけに集中したいのが本音だ。関係のない音の干渉は、時として仕事の妨げになる。なのに、よく喋る人ほど、何故かピアノと同室で平気でテレビや掃除機を使う傾向がある。おそらく、気遣いや配慮の欠如というよりも、単に鈍いのかもしれない。ともあれ、必要な二音の間に生じる波動の唸りを適切化する作業に於いて、余計な音が絡んでくると、時として調律不能状態に陥ることも事実なのだ。

 60代後半に差し掛かろうとしている横井昌美は、毎年定期的に調律を依頼してくれる私にとってありがたい顧客の一人だ。
 数年前にご主人に先立たれた昌美は、寂しさを紛らわせる為か、突然趣味としてピアノを始めた。スタンダードタイプの中古アップライトピアノを購入し、いわゆる60の手習いで近所の先生に習い始めた。全くの初心者だった昌美だが、根気と集中力と意欲は漲っており、五年が経つ頃には初心者向けにアレンジされた美空ひばりのヒット曲や映画音楽集などから、覚束ない指使いながらも数曲弾けるようにはなっていた。

 生真面目で潔癖症の昌美は、毎年3月になると必ず調律を依頼してくれた。殆んどの顧客はこちらでデータを管理し、時期が近付くと恐る恐る調律の伺いを立てるのだ。しかし、横井昌美に関しては、こちらから調律の打診をしたことは一度もない。必ず向こうから電話をくれるのだ。何よりもアポ取りが一番大変な業務である我々調律師にとって、横井昌美はとても有難いお客様と言えよう。
 しかし、横井昌美宅への訪問調律は憂鬱でもあった。彼女は、いつもピアノと同室にあるテレビを付けたまま、作業中もどうでもいいような世間話を絶え間なく続けるのだ。
 基本的に、最低限の接客マナーとして、お客様を無下にすることは出来ない。だからと言って、決められた時間と環境は変えられない。肝心の調律作業がおざなりになるなら、本末転倒だろう。何度となくテレビの音を消してもらうように頼んだり、せめて音合わせの間だけでも静かにして欲しいことをそれとなくほのめかしてはみるが、彼女には一向に効果がない。テレビも消さなければ、話も止まらない。
 そのうち、私も諦めの境地まで引き下がり、最低限の仕事を出来る限り熟せばいいと切り替えるようになった。とても集中出来ない環境なりに、やることをやればいい。いや、そうするしかないのだ。

 ある年のこと。鬱陶しい残暑もようやく勢力を衰退させ、朝晩めっきり冷えるようになった頃、突然横井昌美から電話が掛かってきた。
 彼女の定期調律は三月なので、こんな時期に掛かってくるということは、何らかのトラブルだろう。話を伺うと、予想通り鍵盤が急に動かなくなったとのこと。ただ、それだけだと原因は何通りも考えられるので、見てみないことにはどうしようもない。なので、翌日の夕方、最後の調律客の後に急遽訪問させてもらうことになった。
「急に呼び立ててしまってすみませんねぇ」と言葉とは裏腹に、全く申し訳なく思ってる様子が皆無の昌美に迎えられ、早速ピアノを見せてもらった。すると、真ん中の1オクターブぐらいの範囲で、酷いキースティックを起こしていた。

 ちなみに、スティックとは動きが鈍くなる症状のことを言う。横井昌美のピアノは、中音域の鍵盤が下がったまま上がってこなくなっていた。強引に指で摘んで引っ張り上げても、再度その音を鳴らすとまた下がったままになる。
 これは、鍵盤ブッシングクロスと呼ばれる羊毛製の部品が、湿気により膨張したと考えるのが一般的である。しかし、真ん中の1オクターブぐらいだけがスティックで、他には全く異常がない。部屋の湿度に問題があるのなら、全体に満遍なく発症することが多い。そうじゃなくても、最低音部や最高音部など、あまり演奏に使われない音域の方が影響を受け易い。だが、横井昌美のピアノは、最も影響を受けにくい中音域の1オクターブが極端なスティックを起こしている。そうなると、考えられる理由は一つしかない。

「すみません、この辺に水をこぼしませんでしたか?」
 すると、「薬を飲もうとして、コップの水をドバッとこぼしちゃったわ」と平然と答えた。
「でもね、すぐに拭いたわよ」と、それで自身の過失が帳消しになるとでも思っているかの様な口振りで、全く反省の色も伺えない。
「えぇとですね……隙間から中に染み込んだ水は、表面を拭いても意味ないですよね。これはね、中のフェルトが膨張しちゃったんです。この部分だけ、調整しないとダメですね」
「でも、直ぐに拭いたのよ」
 ちゃんと話を聞いていたのか……いや、全く聞いていないようだ。言い合っても仕方がない。兎に角、故障しているので直ぐに直すと宣言し、料金を一方的に伝え、仕事に取り掛かった。それが適切な対応か否かを論じる気もない。そうでもしないと、何時まで経っても始められないのだ。

 横井昌美は、相変わらず大音量でテレビ付けている。ただ、この日は音合わせの作業はない。膨張した鍵盤ブッシングクロスを圧縮する調整なので、聴覚は必要ない。視覚と触覚に委ねる作業なのだ。
 だから、テレビの音なんて何の影響もない……その筈だ。なのに、やはり気が散って集中出来ない。それに、膨張した部品はブッシングクロスだけでなかった。パンチングクロスという、鍵盤の底に敷かれたドーナツ型のクロスも膨張して厚みを増しており、その分、鍵盤のストロークが減少し、要はタッチが浅くなっていたのだ。

 このパンチングクロスは、圧縮調整が効かない部品だ。なので、鍵盤の深さは、パンチングクロスの下に敷かれてある数種類の様々な厚みの紙パンチングを抜き差しして、0.01mm単位で調整するようになっている。僅か0.1mmにも満たないストロークの差が、アクションの動きに大きく影響し、時に不具合を引き起こすのだ。
 そんな繊細な調整が必要な箇所に於いて、横井昌美のピアノは1mm以上も浅くなっていた。これは、調律師から見ると致命的な狂いだ。厚い紙パンチングをゴッソリと抜いて調整しようにも、その決断は容易に下せない。というのも、この膨張が一時的な可能性もあるからだ。
 つまり、そのうち水分が完全に抜けた時に、元の厚みに戻る可能性も十分に考えられる。そうなると、逆に1mm以上も深いタッチになってしまう。なので、この状態で調整するのはリスキーなのだ。だからと言って、このままではリバウンド(二度打ち:一回の打鍵で2回以上発音してしまう症状のこと)が起きる可能性も高い。

 では、どうすべきだろうか?
 幾ら考えたところで、答えは一つしかない。パンチングクロスを取り替えるしかないだろう。幸い、一台分のパンチングクロスは、常に車に乗せてある。交換するなら、水が掛かった音だけでダメだ。クロスの質感がまるで違う為、深さを揃えても感触は揃わないのだ。なので、88鍵全部交換しないといけないだろう。
 実際のところ、そんな繊細なタッチの違いに、横井昌美が気付くとも思えない。だが、これは調律師としてのプライドの問題でもある。一部分のみの交換は、どうしても抵抗がある。なので、88鍵全部交換することにした。
 その為、10分程度で終わるはずだった作業が、想定以上に面倒な調整になってしまった。小一時間は掛かるだろう。その間もテレビは付けっ放し。いつもと違うのは、横井昌美がテレビに熱中しており、私に話し掛けてこないこと。個人的には全く見なくなった夕方のニュース番組も、ネットを見ない人には今でも貴重な情報源なのだろう。
 視覚と触覚をフリーに使える状態が保証されていても、必要のない聴覚から余計な音と情報が通過すると、なかなか作業に集中出来ない。私がまだ未熟なのかもしれない。でも、もっと過酷な環境での仕事も経験している。それに比べたら……この違いは、仕事の重要度とやり甲斐かもしれない。
 ともかく、苛つきながら作業を続けた。いつしかミスやモタつきを連発し、更に苛立ってしまうという悪循環に突入していた。

 テレビのニュース番組が、医療事故を取り上げている。ある男性の体内に、何十年もの間ガーゼが残っていたらしい。別の手術時に発見されたそうだが、数十年の間に取り残されたガーゼは異物性の肉芽腫となり、臓器に癒着し、摘出が大変だったそうだ。
「これってガーゼオーマって言うんでしょ?」
 唐突に横井昌美が話し掛けてきた。ガーゼオーマって言うんでしょ?って私に確認されても、何のことか分からない。
 そもそも、テレビの音声は否応にも聞こえてくるが、真剣に音声を拾っているわけではない。むしろ、シャットアウトしたいぐらいなのだ。勿論、画面は全く見ていない。なのに、まるで一緒に鑑賞を楽しんでいるかのような口振りに、内心ウンザリした。いやいや、アンタの所為でこんな時間に緊急の調整をしてるんでしょ?と口から出掛かった台詞を辛うじて飲み込んだ。

「うちの主人にもガーゼオーマがあってね……まぁ、癌の手術だったんで、ガーゼオーマなんて無視されたけどね」
 だから、ガーゼオーマって何なの?と聞きたいのを堪え、そうなんですね、と適当に相槌を打っておいた。
 すると、横井昌美は勝手にペチャクチャと喋り始めた。いつものパターンだ。テレビも付けっ放しで、音量も下げない。こちらは繊細な調整作業中。それなのに、大声で一方的に話し続ける。まるで独演会だ。
 私の苛立ちもピーク寸前、ストレスとプレッシャーがイージーミスを誘発する。早く終わらせようと、勝手に焦る。焦りがまたミスを生み、更に苛立ちが積もっていく。悪循環の回転速度が増していく。

 一方で、この日に限り、横井昌美の話はそれなりに興味深くもあった。
 彼女によると、ガーゼオーマとは、体内に残されたガーゼから発生した腫瘤状変化のことらしい。オーマとは、腫瘍や腫瘤を表す接尾語だが、ガーゼオーマは異物性の肉芽腫のことで、厳密には腫瘍とは全く違う。だが、臓器に癒着したガーゼオーマは、CTやエコーでは腫瘍のように見えるそうだ。
 こういったガーゼや器具を体内に置き忘れる医療ミスは、意外と多い。もちろん、その対策も年々進歩してはいる。例えば、もっとも置き忘れの多いガーゼは、最近はX線に写る素材が使われるそうだ。病院によっては、術後にX線写真を撮り確認するそうだが、そうじゃなくても健康診断等で見つかる可能性も高くなる。少なくとも、この日の報道のような何十年も気付かれないまま放置されていたという事例は、今後間違いなく減っていくだろう。

 そして、今も昔も行われている何よりも有効な防止策は、数を数えることだ。この方法を、ガーゼカウントと呼ぶ。
 これは、術前と術後のガーゼの枚数を数えるという、至ってシンプルでアナログな方法だが、結局のところ、これが一番有効な手立てには違いない。
 しかし、ガーゼカウントは何処の医療機関でも必ず行っているにも関わらず、何故体内置き忘れの医療事故は発生するのだろうか?この理由は二つあるのだが、どちらも信じ難いぐらい単純なことだ。
 つまり、数え間違えたのだ。
 一つには、術前に用意した数、或いは術後に使用した数を数え間違えたケースが挙げられる。50枚用意したつもりが、実際は51枚あったのなら、術後に一枚無くなっていても気付かないだろう。また、単純に術後の数え間違いというケースもあるらしい。
 もう一つの数え間違いのパターンは、術中にガーゼを追加した場合だ。急な容態の変化など予想以上に出血量が増え、術中にガーゼを追加することも珍しくない。しかし、その追加分の枚数を数え間違えると、同じようにミスが起きることもある。

 ただ、誰かが数え間違えたにしろ、実際に体内に置き忘れるのは執刀医に他ならない。現場の雰囲気やその時の執刀医のコンディションも、ミスを誘発する原因となり得るだろう。医者も人間だ。例えば、気の利かない鈍臭い看護師がアシスタントに入れば、苛つくこともあるだろう。或いは、たまたま体調が優れなかったのかもしれない。寝不足や疲れが蓄積されていたのかもしれない。
 いずれにしても、これはイージーなヒューマンエラーなのだ。数時間以上、長ければ十時間以上にも及ぶ繊細な手術は、執刀医も看護師も心身ともに疲弊を極めるだろう。どれだけ優秀な人材も、へとへとの状態ではプリミティブなミスも起こしがちだ。
 もちろん、命に関わる恐れもある医療ミスは、どんな些細な事例も許されてはいけない。そこを否定するつもりはない。だが、それを不注意だと一刀両断するだけではなく、最善を尽くす為、心身ともに限界まで磨り減ったコンディションに起因するという、一定の擁護すべき点も無視してはいけないだろう。

 横井昌美の旦那、横井忠行は、数年前に大腸癌で亡くなったそうだ。よく聞く話でもあるが、忠行の場合も気付いた時には末期だったらしい。緊急の摘出手術の際、忠行の体内でガーゼオーマが見つかった。それまでに、忠行は手術の経験が一度しかなかった。五十歳になったばかりの頃、虫垂炎により、盲腸を摘出したのだ。その時に、置き忘れられたのだろう。
 忠行のガーゼオーマは、幸い小腸の裏側に癒着しており、自覚、不自覚問わず、健康被害は見受けられなかったようだ。大腸癌との因果関係も、まずないだろう。何より、本人は自分の体内にずっとガーゼがあったことすら、知る由もない。
 とは言え、これはれっきとした医療ミスだ。見つかったことは幸いだったのだろうが、摘出が困難な場所で、尚且つ、癌の摘出手術中の発見だ。忠行のガーゼオーマは、執刀医のギリギリの判断で、そのまま放置することになった。

 昌美は、当時虫垂炎の手術を行った病院へ出向き、忠行のガーゼオーマの話をした。他に手術の経験がなく、ガーゼオーマの場所から判断しても、その時の手術の際に置き忘れたことは明白だ。そして、弁明しようのない証拠が、今尚忠行の体内に残っている。
 病院側は、評判に直結する訴訟を最も恐れている。なので、うちうちに300万円のお見舞金の支払いと、誠意ある謝罪により示談にしないかと申し出てきた。忠行の先が長くないことを聞かされていた昌美は、裁判で争うつもりもなかったので、病院が提示した条件を飲むことにした。いや、むしろ臨時収入に喜び、不謹慎ながらも「旦那からボタモチ」とか「体内からボタモチ」なんてくだらない駄洒落を言っていた。誰も笑えず突っ込めないネタに、きっと周りは凍り付いただろう。
 その数ヶ月後、忠行は他界した。

 興味深い話とは言え、仕事中は積極的に会話に参加したくない。どうしても集中を欠いてしまうし、簡単な手順を間違えたりもする。
 それでも、「どんな理由であれ、プロがそんなミスしてたら駄目ですよね〜」なんて、適当に話を合わせ、意見らしきものも挟み込む。無視を貫くよりは、ずっとマシな対応だろう。仕事の邪魔でしかないが、一方的に喋られるのもストレスが溜まる。まだ中身のない会話の方がマシなのだ。
 何とか調整を終えると、鍵盤の動きはスムーズになった。予定時間から大幅に遅れ、精神的にとても疲れ、早く帰りたい気持ちも強くなり、大急ぎで工具を鞄に詰め込み後片付けを行った。
 横井昌美に試弾してもらうと、普通に動くようになった鍵盤に満足してくれた。くれぐれも水には気を付けてくださいね、と改めて忠告すると、でも直ぐに拭いたんですよ……と、まだそんなことを言っていた。私の疲弊は、更に進行した。

 それから1週間程経過した頃、別の現場で鍵盤のフロントパンチングを交換することになった。横井昌美のピアノとは違い、こちらは虫喰いが原因だ。
 しかし、その作業は順調にはいかなかった。というのも、工具がなかったのだ。具体的には、パンチング交換に使い易いように加工した、オリジナルのピンセットが工具鞄に入ってなかったのだ。
 仕方ないので、別のピンセットで代用したが、やはり慣れない工具での作業は手間が掛かる。結果的に、要した時間はそれ程変わらなかったのだが、もどかしい作業はイライラが募り、何倍もの時間を要した錯覚に陥った。

 さて、ようやく調整は終わったものの、次なる課題が私の前に立ちはだかっていた。横井昌美のピアノの中に置き忘れたであろうピンセットを、どうやって取り戻すか考えなけらばいけない。
「どんな理由であれ、プロがそんなミスしたら駄目ですよね〜」
 あの時、どうしてそんな余計なことを口走ってしまったのだろうか。よく“ピアノの医者”と比喩される調律師にとって、ピアノ内部への工具の置き忘れは、件の医療ミスと大差ないではないか。
 慌てて片付けをしたので、細かく工具のチェックをしなかった。普段なら、使った工具は必ずチェックするように心掛けているのだが、焦りと苛立ちは通常のルーティンさえ見失うようだ。
 おそらく、ピンセットは鍵盤の下に置き忘れたのだろうが……まぁ、忠行のガーゼオーマと同じで、ピアノの中にピンセットが入っていることなんて、誰も気付くことはないだろう。
 しかも、ガーゼとは違い、「ピンセットオーマ」にはならないだろうから、次回の調律時にコッソリ取り出す方が無難かもしれない。

 機具等を体内へ置き忘れるという医療ミスは、やはりイージーなヒューマンエラーが原因であると身をもって証明した。もちろん、ガーゼカウントも重要な防止策だ。だが、きっちりとガーゼカウントを行っていても、エラーは発生する。そして、ガーゼカウントは、ミスを防ぐシステムではなく、ミスがないか確認する為のシステムなのだ。
 調律師も、自分の工具ぐらいはしっかりと管理しないといけないはもちろんのこと、ミスそのものをなくす為に気を引き締めないといけないだろう。確かに、今回はガーゼカウントに相当する片付けの確認を怠った。だが、そもそも置き忘れていなければ、確認の有無に関係なくエラーは発生しない。
 テレビが煩いとか予定と違うアクシデントが発生したとか、ずっと話し掛けられて鬱陶しかったとか、一切言い訳にしてはいけない。自戒と反省をもってこそ、次に繋がる成長の糧となる。そう、工具をピアノの中に忘れたのは、他ならぬ私のミスであることは認めないといけない。

 しかし、横井昌美は、テレビを大音量で付けっ放しのまま、大声でよく喋る人なのだ。

【Conteggio della garza】

【Conteggio della garza】

シンプルでアナログな手法こそ、エラーの防止に有効だ。(創作含む)

  • 随筆・エッセイ
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