POP墨象論



 前衛書道を更に進化させた墨象。書道の究極の手段として文字から解放された和の抽象画である。この手法はまさしくDADA的である。文字を限界ま追求すると2つの方向に分かれていく。1つはアレンジして自分の書体を確立する方向性。もう1つが,もはや「字ではなくてもいいんじゃないのか」という方向性。前者の答えがアレンジ書道や遊書であり,後者の答えが墨象である。墨象は、原点回帰という点で無限の可能性を秘めたアートである。そのような文化が現在の日本にもあるのは素晴らしい事である。


 しかしこれには一つ問題がある。全くの素人が墨を飛び散らせて書くとただの落書きと見なされ、数々の賞を受賞した書家が書くと墨象と認知される。書道界で名を知られるには多くの難関が待っている。まず習字教室に通い続け楷書,行書,草書、隷書、篆刻・・・・と一通り古典まで行き着き、更に師範になり,有名な書家に師事し、各種書道展で受賞を重ね,やっとその資格が手に入る。それまでの過程において,書道に親しみかけていた人間が辞め,振い落されていく・・・・時間がもったいない。もっと若手が気軽に墨象を始めていれば名作が多く生まれ親しまれ,かつ日本人にしか理解できない侘び寂びの感覚を「墨と筆で表現する」ことで体感できたはずなのに・・・。

 本当に全ての書体を完璧に書けるようになり、大家のお墨付きを貰わなければ墨象は書けないのか?もちろん全く筆を握った事がない人は筆をどう動かしたら思った線が出るのかがわからないため,ある程度の基礎は必要である。しかし楷書、隷書、篆刻まで我流で学び,作品鑑賞の経験がある程度あれば書けるのではないか?


 この疑問から一水玄崩は,「ある程度の基礎があればだれでも表現者になりうる」という仮定を立て,POP墨象を始めた。ジャクソンポロックをはじめ、多くの抽象画家が無意識のうちに絵の具を飛び散らせ,垂らし,その結果として予測のつかない作品を作り上げる。かつてのDADAistが実践した自動書記の絵画版である。ならば墨象でも無意識に筆を動かし垂らし飛び散らせることによって,白黒のアート作品が生まれるのではないか?もちろん多くの著名書家の墨象作品はおもしろい。理由はわからないが直感的に心に響き,アドレナリンを放出する。かつてのパンクロックがそうであったように、修行段階を飛ばし,一般市民が気軽に始められる白と黒の抽象画、それがPOP墨象である。

POP墨象論

POP墨象論

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-09-18

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