リラの花が咲く頃に 第4話
小説家になろうにて連載中「リラの花が咲く頃に」第4話です。
第5話「異性に嫉妬された時に大切なことは」
佳奈子が帰宅すると居間に諒がいた。黒のスウェットに真っ赤に染めた髪がよく映えている。いつもは優しい美男子の顔が不機嫌そうな顔をしているとなんだか怖い。
「諒…なんで今日はうちに…?」
いつもは優しい諒の目が今日は刺すような鋭い目つきで佳奈子を見る。完全に怒っている様子だ。
「諒くんね、おばあちゃんの様子を見にきた序でに佳奈子にも会いたかったみたいなの。でもごはん行っちゃったからーー」
「どうせあの先生なんだろ?微かに甘い煙草の匂いがする。なんで先生なの?」
知世は不貞腐れている諒を少し離れた食卓から困った顔で見る。
「さっきからずっとこうなのよ?どうにかしてよ佳奈子」
どうにかしてと言われても佳奈子にもこの諒の嫉妬はどうにもできないような気がした。小学校からの長い付き合いの中で募り募った彼の佳奈子への想いは友達以上には見ていない佳奈子からすれば弁慶が使っていたと言われている重量96kgの大錫杖だいしゃくじょうくらい重い。
「佳奈子さ、最近俺からのLINE素っ気なくない?」
心当たりがあった佳奈子は「ごめん…」と謝るが、何故こんなに諒が自分のことで嫉妬するのか恋愛に疎い彼女には理解できない。
「素っ気なくしちゃったのは悪かったよ、ほんとごめん。でもなんでそんなに妬くの?」
目の前にいる好きな女の子に問われて諒は急に黙り込む。
「諒くんは佳奈子のこと好きなんでしょ?小さい時からずっと見てきておばさんわかってた。だから最近の佳奈子の様子にしても今日のことにしても諒くんのこと思うと気の毒でね」
「おばさんにはなんでもお見通しかぁ…」
佳奈子の前では嫉妬してしまうと素直になれない諒でも幼い頃に母を亡くしている為母親代わりとして育児放棄された佳奈子と一緒に面倒を見てくれた知世には素直にならざるを得ない。
「もしかして私のことも?」
「うん。だから佳奈子のことも応援してあげたいなと思っても、諒くんの気持ちもわかってたからどうしようかと。でも聊斎先生りょうさいせんせいの方がやっぱり大人の魅力で一枚上手だったね。あのルックスでお医者さんだし」
「マジ悔しい…助けたのが俺だったらなぁ」
「ちょっと待って…私たちがどうなったってことも」
「うん。両想いだったんでしょ?」
「…そう、です」
「だろうね。じゃなきゃあの真面目そうな先生がお茶とごはんに誘わないと思うよ。しかも元はお父さんの患者さんで10年前には既に出会っていた。お父さんや病院にバレたら大変なのにリスク犯してまで…」
その時だった。佳奈子のスマホのバイブ音が鳴る。
「あら、先生?」
「うん」
噂をすればなんとやらはどうやら本当らしい。
「出ろよ」
諒に鋭い目つきで睨まれながら電話に出る。
「はい、もしもし」
『ちゃんと帰れた?』
先生の優しい声が胸にぽっと灯りを灯す。
「はい、今家です」
『よかったぁ、安心した』
「で、どうしたんですか?」
『助手席に忘れ物があってさ。ミルモのぬいぐるみキーチェーン』
佳奈子はハッとして手にしているマイメロディのリュックを見るが、ファスナーについていたはずのミルモがない。
「あ、ほんとだ。次会うときでいいですか?」
『いつになるかわからないけどいいの?』
「はい」
『わかったよ、預かっとく。じゃあ帰ったらLINEするから』
「はぁい♬」
電話を終えた佳奈子はスマホをリュックの中に入れる。
左手で頬杖をつきながら怠そうに諒が問う。
「何だったの?」
「助手席にミルモ忘れてるよって」
さっきまで怠そうにしていた諒がワントーン高い声を上げる。
「はっ!?それ小学校の時俺がプレゼントしたやつじゃんっ!」
「そう…だけど」
「…俺の少ないお小遣いで買ったやつ…」
ーー10年前
諒は当時1度目の真珠腫性中耳炎を患い辛かったはずの佳奈子の誕生日が近かった為何かプレゼントしてあげたいと思っていた。
この頃既に母を亡くしたばかりで家計が苦しく諒のお小遣いは月200円だった。臨時収入で祖母から1000円貰えたとしてもそれは家計の為にという名目で父が持ってかれてしまう。こっそり月200円のお小遣いを貯金しようものなら貯まり始めた時点でバレてしまい、すぐに父の手に渡ってしまった。結果的に父はへそくりとして貯めた後にすすきのの激安ソープに使っていたことが彼が高校生の時に発覚したのだが…。
諒はいつも一緒にいたれなに尋ねた。
「れな、佳奈子って何好きなの?」
トイレまで一緒に行く程ずっと一緒で親友のれなならわかるはずだ。
「佳奈子?えーとね、マイメロディとあとね最近だと『ミルモでポン!』が好きって言ってるよ。アニメの話はよくするし、私も好きだから盛り上がる」
この当時佳奈子とれなは『わがままフェアリー・ミルモでポン!』にハマっていて、連載されていた『ちゃお』も買って一緒に読んでいた程だ。しかし女きょうだいが居らず、父がテレビの視聴権を握っていた為諒にはわからなかった。
「『ミルモでポン!』って何?」
「諒知らないの?マグカップから出てくる妖精」
「知らない」
諒には父が見ている巨人戦とバラエティーの知識しかなく、同級生の話題についていくのがやっとだ。たまに祖母が彼を不憫に思ってアニメを見せてくれたり、近所の仲間内で男の子が何が好きかを聞けば父に見つからないようにこっそり『コロコロコミック』を買ってきてくれた時にしか話題に乗れなかった。当然朝も『おは・スタ』なんてみていない。
頭のいいれなはそのことを薄々気づいていて少し考えた後彼を放課後外に連れ出すことにした。
「よし諒、今日学校終わったらさダイエー行こうよ」
「なんで?」
「ダイエーの本屋さんに行けばミルモがなんなのかわかるよ。お父さん今日は帰り遅い曜日じゃない?」
「うん…そうだけど」
「じゃあ家にランドセル置いたらお小遣い持って道営住宅の山の公園で待ち合わせね!」
「あ…うん」
ーー放課後・道営住宅の公園にて。
「おっそい諒っ!」
諒は走ったものの待ち合わせに10分遅刻した。
「ごめん…ばあちゃんに怒られちゃって」
「なんで?」
「宿題…しないで行くのかって」
「で、宿題したの?」
「うん…算数…だけ」
「そう。じゃあ明日見せてね♬」
息が落ち着いてきたところで諒は理由を聞かずにはいられなかった。
「え?なんでそうなるの?!」
「私を待たせたお詫び」
お詫び…そう言われてしまえば従うしかない。
「…わかったよ、見せる。でもそんなことしなくたってれな自分で解けるじゃん」
「うん。でもそれとこれとは別。ほら行くよ」
2人は公園で楽しく遊ぶ子供達の声しか聞こえない道営住宅を抜けてダイエーに向かった。ダイエーに着くとエスカレーターで二階の本屋へ。本屋に着くと漫画雑誌コーナーに平積みされた『ちゃお』が。れなは表紙のミルモのイラストを指差す。
「これだよ」
「このちっこくてマラカス持ったやつ?」
「そうそう。これがマグカップから出てくるの」
「ありがとう、れな」
「でさ、なんで佳奈子の好きなもの聞いたの?」
諒は顔を紅潮させる。
「…いや、もうすぐ佳奈子の誕生日じゃん」
「そうだね。で、諒お金持ってきたの?」
「うん」
「幾らよ」
「…これしか」
小さな青いコインケースを開けてれなに見せるとれなは固まった。
「…200円?」
「…」
諒はシュンとして何も言えなくなってしまった。プレゼントを買うのにこれしかないのは情けないと子供ながらに思ったから。
れなは諒の立場になって少し考えた。きっとここでお金を貸したら男の子としては嫌なんじゃないかと結論を出す。母から「男の子はプライドが高いのよ」と最近教わっていたからだ。
「しょうがないな…」
「え…?」
「200円で買えるもの、探そうよ」
「うん、ありがとう」
そこで見つけたのがミルモのぬいぐるみキーチェーンだった。ガチャだったが運良くミルモが出たのだ。
「おー!諒すごいじゃんっ!」
「俺凄い?」
「うん!なかなかこういうのってお目当ての出ないんだよ?」
「そうなんだ!俺実はやったの初めてでさ」
「ほんと?初めてなら尚更凄いよ!」
れなは諒のプライドを傷つけない様に褒めた。そしてれなの家で佳奈子好みにラッピングして9月16日の誕生日に渡した。
そして10年が経ち、19歳になる今年まで持っていてくれたのは嬉しいが、それを男の車に忘れてくるなんて許せない。
「そうだよね…あれって諒がくれたんだよね」
その言葉の中に知世は佳奈子の中にある諒と先生に対する温度差を感じつつ、黙って冷めたコーヒーを飲み干した。
と、そこで諒のiPhoneが鳴る。着信音はtheGazettEの『Cassis』だ。
「もしもし?あ、ばあちゃん?今向かいだけど」
知世は壁にかかっている時計を見た。もう10時だ。
「あら…坂内のおばあちゃんこんな時間まで起こしちゃったわね」
諒は帰り支度を済ませて礼を言う。
「おばさん、長居してすいません。あと夕食ごちそう様でした、美味しかったです」
諒は満面の笑みを知世に向ける。
「いいのよ。それより早くおばあちゃんのとこに行きなさい」
「はい」
今日は坂内家に泊まりの様子に佳奈子は嫌な予感しかしなかった。
「次先生と会うときはLINEしろよ」
「…は?」
「お邪魔しました」
知世は固まる佳奈子の横で「またいらっしゃい」と優しく微笑んだ。
扉を閉め、玄関フードの戸が閉まった音を確認したところで知世が言った。
「酷い妬いてるね、あれ」
「うん…怖い」
佳奈子のスマホが鳴る。
「先生?」
「うん」
「お邪魔しちゃ悪いから私は寝る支度するわ。おやすみ」
知世はふぁ〜と欠伸をして居間の隣の自室へと入っていった。佳奈子は二階に行き荷物を置いて着替えをしお風呂に入って寝る支度を済ませるとベッドの中でLINEをする。
『少しは元気になれた?』
『はい』
『心配させてごめんなさい。あと焼肉ごちそう様でした♬』
『またいこう』
『約束ですよ?(^^)』
先生はピノコのOKスタンプを送ってきた。それに対し佳奈子はアラレちゃんのうっほほーい!スタンプを送った。
しかし、先生はそのスタンプのやりとりで一瞬佳奈子がいくつなのかわからなくなった。
『佳奈子、何年生まれだっけ?』
『平成5年だよ?なんで?』
『だってその割にスタンプが』
佳奈子はよくクラスメイトの友人にも言われているのでこの様なことは言われ慣れている。
『おばさんの影響が強いのかも』
佳奈子は知世の影響で幼い頃から漫画やアニメも好きであり、最近の少女・少年漫画もジャンルを問わず好きだが特に70年から80年代のものがお気に入りだ。
だが、今は好きな異性、年上と話していることを意識するとなんだかもっと若さを出した方が相手は嬉しいのではないかと思ってしまった。
『嫌ですよね…こんな時代錯誤したようなオタクの女の子って(;´Д`A』
自分でも佳奈子はオタク気質が過ぎているところがあると自負し気にしていた。
高校生の時に一度、一週間だけクラスメイトの学級委員長に告白されて付き合ったことがあるが、ある休日にコスプレをして大通のアニメイトまで買い物していたところをたまたま彼に見られてしまい、『僕はあんな恥ずかしい格好をする方とはお付き合いできませんっ!』と振られてしまった過去がある。他にも2人付き合ったことはあるが、佳奈子の見た目だけに惚れた者しか居らずそれ以降告白されても断っていた。
しかし先生だけは自分も好きになっていたこともあって彼にも好きになってほしい、こんなオタクで右耳の聴力と体の平衡感覚を司る一部規管が破壊されてしまっている自分でも大好きな彼に愛されたい…そう思っている自分がいるのだ。
2分後。佳奈子が予想したものとは違う返信が返ってきた。それは先生のイメージとはあまりにもかけ離れていたから。
『嫌じゃないよ。俺も漫画好きだし、これは周りには言いづらくて話してないことだけど中川翔子好きだから大丈夫。こっちの方が嫌じゃない?』
中川翔子…先生の口から中川翔子…。嫌じゃない、寧ろ佳奈子も好きだ。オタクのアイドルだと思っている。でも先生の爽やかなあのイメージとは全く別のジャンルの世界の女性ではないか。あ、それは私もだが…と佳奈子は思った。
童話の王子様の様な先生にはかの有名な小説・映画の『風とともに去りぬ』のヒロインを演じたヴィヴィアン・リーの様な高嶺の華の美人を想像していたのだ。人の好みとは全く持ってわからないものである。
いや、その前に“中川翔子が好きである”という事実を何故言えないのか不思議である。
『なんでしょこたん好きって言えないの?私もしょこたん好きだからわからない』
すると佳奈子の問いに先生は長々と彼がまだ学生の頃と思わしきエピソードを送ってきてくれた。
ーー2000年代前半。
この頃まだ実家暮らし。彼には5歳離れた世話焼きな姉がいて実家から離れても弟の彼が気になり月に一度は顔を見に来ていた。
ある日のこと。彼が留守中に姉・あおいは休日に抜き打ちで実家を訪れていた。
肩口までのワンレンの黒髪を揺らしながら二階へと通じる階段を昇ると彼の部屋をノックした。
『さとし〜ぃ、いる?』
留守の為声はしない。いないことを確認するとあおいは蒼井優似の顔に不敵な笑みを浮かべて忍び込んだ。
あおいは部屋のあらゆる場所を物色した。机上、机の引き出し、机の下、本棚、カーペットの下…。そしてベッドの下を覗いた。
「あら…何これ…」
あおいはベッドの下の引き出しから雑誌を発見した。それも号数がばらけた少年マガジンで全て表紙は中川翔子。
「中川…翔…子…?」
中川翔子が表紙のマガジンを手にしながらわなわなと震える。唇は血が出る程噛み締められ、あおいは怒りの感情でいっぱいになっていた。
「…この女…あの女に似てて許せない…」
あおいはマガジンを床に叩きつけて部屋を出た。
夕方弟・聡は帰ってきた。突然の土砂降りの雨で全身ずぶ濡れだ。
ふと彼は気づいた。姉の好きな海外ブランドの真っ赤なハイヒールが玄関にある。
(姉貴か…なんか嫌な予感する)
二階の自室に行こうとすると当時飼っていた黒猫のミドリが少し遅れたお出迎えとばかりにすっ飛んできた。
「ミドリ…ただいま」
のどを撫でようとした時だった。突如としてミドリのしている緑色の首輪がバチン!と音を立てて千切れた。
「ニャンっ!」
ミドリは恐怖を感じてその場で硬直状態に陥ってしまった。
嫌な予感は不安に変わる。
ミドリを落ち着かせようと大好きな玩具に粉末のマタタビをふりかけ、状況を見計らっていつもの様に体を撫でまわしたあとリビングに玩具を投げてタオルを片手に二階に上がった。
自室の扉を恐る恐る開けると誰もいない。しかし隠しておいた筈のマガジンが散乱していることに気づいたとき後ろに刺す様を感じて振り返ると、自分の視線より20㎝程下の所にあおいがいた。
「帰ったならただいまくらい言いなさいよ」
「いや、そっちこそこっち帰ってきたなら言ってよ」
しかし何もあおいは言い返すことのないままスゥ〜と聡の部屋に侵入し、暗闇の中で何やら「ブスリッ」と音を立てた。
「…何やってんの?」
あおいは答えない。ただただ「ブスリッブスリッ」と音を立てているだけだ。それが何の行為かとわかると彼は背後からあおいを羽交い締めにして「ブスリッ」と音を立てているものを取り上げようとした。しかしなかなか嫌と言って手を離そうとしない上彼女は抵抗して暴れたなんとか彼女が手を離すとそれは宙を舞って部屋の外へ飛んでいってしまった。
(はっ…!何処行ったっ…!)
彼は羽交い締めしたあおいから離れて飛んでいったものの行方を探った。すると何処かでまた「ブスリッ」と音がした。音がした方へ恐る恐る向かう。階段の踊り場の下の様だ。下を覗くとさっきまで玩具で遊んでいたミドリの背中を出刃庖丁が貫いて小さな体全体が血の海に浸かっていた。そして更に追い討ちをかける様に吹き抜けになっている天井に下がったシャンデリアがミドリの体に落ち、唯一明かりを灯していた玄関の光が消えた。
その場で崩れ落ちる様にへたり込んだ。目の前の突然訪れた愛猫との永遠の別れに衝撃が強過ぎて涙の一滴も流れない。そこへさっきまで出刃庖丁を持って暴れていたあおいがボロボロに裂けたマガジンを傷心したばかりの彼に投げつけた。
「私…この女嫌い…あの女にそっくりじゃないっ!何処がいいのよこの女っ!」
あおいは土砂降りの雨の中実家を飛び出した。
それ以来先生は人前では中川翔子好きを公言できなくなってしまい、姉のあおいに見つかっては困る為マガジンを買うのをやめ、一人暮らしを始めてからもあおいは来たので彼女には見つけることのできない場所に写真集を隠しているという。幸い、現在は姉も結婚し双子の子供もできたので穏やかな関係ではあるらしい。
『人の嫉妬はほんと怖いよ』
その言葉に佳奈子は諒のことを思い出して身震いした。震えと同時に諒からLINEが来た。
『何してんの?』
佳奈子はベッド横のカーテンを恐る恐る開ける。真向かいである坂内家の二階の窓から諒がこちらを睨みつけていた。
『早く寝なよ』
『そっちこそ早く寝なよ』
佳奈子はカーテンを閉め明かりを消してベッドの中に入った。諒から返事が来る。
『佳奈子が寝るまで寝ない』
その一言に真冬の様な凍てつく寒さを覚えた。まだ真夏だというのに。
『わかったよ寝る』
諒にそう返事を返すと先生からもLINEが来た。
『そろそろ寝るね。佳奈子も一緒に寝よう?』
先生にはこの状況をまだ伝えられないと感じた佳奈子は明るい調子でいつも通りを装った。
『うん♬』
Dr.スランプアラレちゃんのガッちゃんが眠っているスタンプを送ると先生は中川翔子のスタンプを送ってきた。
やりとりを終えてスマホに充電機をさし目を閉じた。
今日まで諒と過ごしてたまに彼に鬱陶しさを感じることはあったものの、今日程更なる鬱陶しさを感じることはなかった。好きな人と恋人になったせいだろうか。
その翌日も諒からの煩わしいメッセージが何件も来たが既読スルーした。その後も3週間続いたので諒のアカウントをブロックした。
それから1カ月が経った。
流石にブロックしたのでLINEの煩わしさは回避できてほっとしていたし、家にはその後来ることはなかったのでもう大丈夫かと思っていた。
が、まだ油断はできなかった。
9月になっても残暑はまだ続いていた。佳奈子の19歳の誕生日が一週間前に差し迫っていたある土砂降りの雨の日のことである。バイト中に諒が来店したのだ。
諒はとても不機嫌な様子でレジに500mlのガラナを少し叩きつける様に置いた。佳奈子は嫌だなとは思ったものの、仕事の為いつも通りレジを打つ。
「100円になります。クラブカードはおもーー」
100円玉と一緒にクラブカードを出してきたので「いつもご利用ありがとうございます」とポイント加算と精算をしてレシートとカードを返す。
「ありがとうございました。またのごりーー」
「なんで無視すんの?」
「え?」
「LINEブロックしたべ?」
しかしこんなのには相手していられないので佳奈子は無視することにした。後方に他のお客様が列を作っている。
「お並びのお客様こちらどうぞ。いつもご利用ありがとうございますーー」
その様子を日配品コーナーで商品管理していたれなとその横で入れ替えしていたみゆが黙って見ていた。諒が帰ったところを見計らい、れながみゆにのみ聞こえる声で呟く。
「あいつやばいわ…」
聞こえたみゆが小さく同意する。
「やばいです」
そしてみゆはある提案をした。
「暫く…諒くんと会わせないほうがいいですよ。だからーー」
れなは気づいた。みゆがこの状況を1人だけ喜んでいることを。
「諒くんが来そうな時間は私が主にレジ入ります」
そう言ったみゆの口角は少し嬉しそうに上がっている。それに薄々気づいたものの、佳奈子よりもレジ早い方だしこの様な事が続けば他のお客様にも迷惑がかかって店にとっても良くない。れなは店長である母に相談した。1カ月前からあまり仲が良くないことは既に話していたので母はすぐに理解した。
佳奈子はバイト終わりに事務所に呼ばれた。
「佳奈子ちゃん、さっきれなから聞いたんだけどね」
諒が来店した時のことを言われた。本当に私情が絡んでしまったことに佳奈子は申し訳なく思っていた。
「申し訳ないです…お店に支障が出たら私ーー」
「はっきり嫌って言わない佳奈子ちゃんもよくないけど、諦め悪くてここまで来て文句言いにくる諒くんの方が良くないんじゃない?第一佳奈子ちゃん縛りつけようとしてるし。佳奈子ちゃんが仕事に自信無くして仮に辞めちゃう様な事が起こったほうがこの店にとって損害よ」
れなの母はファイルに入った今年半年分の売上表を佳奈子に見せる。
「佳奈子ちゃんが入院してから売り上げ下がったけど、復帰してから売り上げがまた伸びてるの、佳奈子ちゃん知ってた?」
佳奈子は「いえ」と首を振る。
「そんな子を落ち込ませる様な男の子は店長として許せないな。でもね、もしまた諒くんが来た時のことを考えると諒くんが来そうな時間、夕方はなるべくみゆちゃんかれなにレジに立って貰ってくれる?特にみゆちゃんはお客様が列を作ってても上手く冷静に対応してくれるし、仮に諒くんとトラブルあってもれながなんとかしてくれるから。お願いね」
「わかりました」
これはしょうがない、事が収まるまではミュウとれなに任せよう…佳奈子はそう思った。
そして最後にれなの母はもう1つ佳奈子に伝えた。
「年上の彼ができたんでしょ?」
「はい」
「諒くんにはちゃんとLINEじゃなくて、直接『私は彼が好き』って伝えるべきだと思う。諒くんだって本来そんな悪い子じゃないからちゃんと言えばわかるんじゃない?多分嫉妬の他にもはっきり佳奈子ちゃんの気持ちがわからないから有耶無耶にして欲しくないなって思ってるのかもよ?はっきり口頭で断れば?」
「はっきり…」
「うん。男と女って考え方から違うから女性的でない限り女の気持ちなんてわからないし、男ってめんどくさいくらいプライド高いから好きな女の子に振られるのはダサいって思ってるのかな、まだ若いし。だから無理矢理にでもこっちに振り向かせる?恋愛なんて動物の狩りとは違って男女の究極の人間関係を構築させた上での心理戦なんだからそんなの無理よ。今流行りの課金制ゲームみたいにダメでも課金すれば振り向くわけじゃあるまいし」
母はマイルドセブンから煙草を取り出し火をつける。
「諒くんも負けを知るべきなのよ。その為にも佳奈子ちゃんは彼を傷つけない様に断るの。いい?」
左腕につけたANNA SUIの腕時計で時刻を確認し、母は「じゃあまた明日ね、お疲れ様っ!」と声を上げた。
れなの母と2人で事務所を出て店の外まで見送られて「お疲れ様でした、また明日もよろしくお願いします」と頭を下げて母と別れるとバスターミナルに向かった。左腕につけたシンプルな猫のデザインの腕時計を見るときっちりPM10時だった。相変わらずれなの母は時間に正確すぎる程正確だ。
バスターミナルでバスを待ちながらお気に入りのマイメロディのスケジュール帳を開く。来週の今日、9月16日は佳奈子の通う専門学校の学園祭であり19歳の誕生日だ。学園祭も誕生日も思い切り楽しみたい。
(いい1日になりますように…)
佳奈子は心の中で願った。
両親が信仰している新興宗教の神とは違う別の神様に…。
ーー9月16日。
とうとう待ちに待った学園祭と誕生日がやってきた。
バイトの休みの日にクラスメイトの友達と店作りをした模擬店・喫茶店を担当し、友達とわいわい楽しんでしつこい諒のことなど今日だけは忘れたかった。
友達とそれぞれ得意な絵とセンスを活かして作った喫茶店はかわいいもの好きの心を鷲掴みして大繁盛し、学園祭が終わると佳奈子の為にと先生方とクラスメイト全員が「お誕生日おめでとう〜!」と祝ってくれた。こんな大勢で祝って貰った誕生日は生まれて初めてだった。
「みんなありがとうっ!すごく嬉しいっ!」
とてつもなく大きな愛を感じた。両親に祝って貰ったことは一度だってないが今までずっとれなや知世がお金と時間と手間をかけて祝ってくれていて、小さいながらも毎年大きな愛を感じるくらいだった。それが今年は更にクラスメイトに祝って貰うことによって更に大きくなった。愛が大きく…。
沢山の愛を感じた為その時間は諒のことを完全に忘れる事ができた佳奈子は、クラスメイト全員分の愛の糸が通された手作りのテディベアをプレゼントされ、その日は学校を後にした。
そんな幸せに浸りながら足取り軽やかに地下鉄大通駅に向かう。しかしそんな幸せも束の間、駅の1番出口から改札に行くと諒の姿があった。相変わらずの赤い髪と今日は黒のTシャツの上に無地のチャコールカラーのクリンクル加工されたカジュアルシャツを羽織り、グレーカラーのデニムといったスタイルである。細く長い手足と指がスラリと伸びていて、遠目から見ると諒はあまり日本人っぽさを感じさせない男だと改めて気づかされる。
佳奈子は先週のことがあり、話しかけようにも怖さが勝ってしまいそのまま黙って改札を通ってしまった。そして恐る恐るテディベアを両手で抱き抱えながら後ろを振り返ると諒も改札を通って佳奈子のあとをついてきていた。地下鉄に乗り環状通東駅のバスターミナルからバスに乗り継いでも彼は遠く離れた状態でついてきた。
中学校前からバスを降りて3条1丁目の燕家まで近づいてくると更に怖くなった佳奈子は走り出した。家の前を過ぎ、突き当たりの玉ねぎ畑を右に曲がって雑草の手入れのされていない小さな公園まで来た。しかし佳奈子はバランスを崩して茂みの中に倒れこむ様に転んでしまった。追いついた諒は佳奈子の上に覆い被さり、ここで初めて声をあげた。
「なんで俺のことを無視すんのっ?!」
1カ月ぶりに目を合わせる。しかも今までにない程の至近距離だ。
諒は佳奈子を見つめた。この十数年間ずっと諒の手には入らなかった佳奈子の髪に白くてハリのある肌、ピンクのグロスで艶めいた唇、首筋、Cカップの平均より大きめの胸。それらが今甘いANNA SUIのバニラの香水の匂いに包まれて腕の中にある。
(もうだめ…我慢できねぇ)
諒の中にある男性本能が19歳の若さ故に過去の有珠山の噴火を思い出させる様な勢いで爆発した。
「佳奈子…好きだっ…なんまら好きだ」
告白の後に彼は佳奈子の唇にキスをし襲い始める。
「ちょっ…諒…いやっ!あっ!」
ドイツのディアンドル風ワンピースの脇下についたファスナーをおろされ、中の服を捲られると同時にピンクの花デザインのブラジャーも捲られて誰にも犯されたことのない白く大きめの乳房が露わになると諒は吸い付いた。
「はっ…あっあんっ諒嫌だってばっ!」
佳奈子が必死に抵抗するも、次は下半身の下着まで諒は無我夢中でおろそうとする為佳奈子は更に必死になって抵抗を続けた。このままではいつかできるであろう恋人の為に守ってきたものを諒の手によって奪われてしまう。そんなのはごめんだ。佳奈子は少し遠くの未来でもいい、大好きなあの人とーー
「あ、あた…私はっ!」
佳奈子は諒がデニムを脱ごうと髑髏のベルトを外し始めたところで思いっきり足を振り上げた。
「聊斎先生が好きっ!聊斎先生じゃなきゃこういうことはしたくないのっ!」
振り上げた勢いで佳奈子の膝が諒の股間にある大事なものに容赦なく命中した。
「ゔっ!」
股間から脳天を突き抜ける様な痛みが諒を襲い、茂みの中に倒れこんだ。痛みで悶え苦しんでいるのを横目に佳奈子は身を整えて茂みの中に転がっているテディベアを抱えて裏手にある燕家まで走って逃げた。
リュックから震える手で鍵を取り出して玄関の鍵を開けて入り、扉全ての鍵を施錠すると先生、れな、みゆ、知世の順に短いが助けを求めるLINEメッセージを送った。
茂みの中で抵抗した為リュックも全身も土に塗れていた。貰ったばかりのテディベアも。
息を整え一旦冷静になったところで佳奈子は洗濯をし風呂に入って土を落した。そして胸についた諒の唾液も全て…。
その夜、佳奈子から最初に連絡を受けた先生が時間を割いて他の3人よりも先に佳奈子の元に駆けつけた。
「先生っ…!」
風呂から上がりピンクの猫のルームウェア姿の佳奈子は大好きな先生の姿を見つけると、生まれたままの顔で大粒の涙を流し、彼の力強い腕の中で声をあげて泣いた。先生は彼女の洗い髪を優しく撫で、彼女が先程負った大きな恐怖の傷を治癒する様な温かさで包み込む。ただそれだけなのに大きく裂けてしまった心の傷は何故か抱きしめられている間愛という糸で縫合されていく様な心地がした。
他の3人が来るまでの間、長ソファーに座り先生の腕の中に包まれながらこれまでの経緯を先生に話した。彼は黙って聞きながら佳奈子の目から涙が零れる度に指で優しく拭った。この間かんに言葉などいらなかった。凄く怖かったこと、そして尚更先生のことを想ったことを聞き入れてくれるだけで心が少しずつ軽くなっていった。
そして全て伝え終えると先生はぎゅうと佳奈子が壊れてしまわない程の更に強い力で抱きしめた。
「ちゃんとそいつに言ったんだ…俺じゃなきゃ嫌だって」
「うん」
「嬉しい…はっきり言ってくれたことが凄く…。ただちゃんと伝わっていればいいんだけどな」
もしかしたら痛みの方が強すぎて伝わっていない可能性もある。それに蹴ってしまったことによって諒の大事なものごと命を奪ってしまう可能性もあった。
「佳奈子」
「はい」
「もう男のあそこは蹴るなよ?いい?あれは男特有の急所だからね?今回は抵抗だからしょうがないけど、俺なら40近いから思いっきり蹴られたら命危ういかも…」
「…わかりました、もうしません…」
と、そこへ玄関フードの戸がガラガラと開いてインターホンが鳴った。
リラの花が咲く頃に 第4話
第4話もお読みくださいましてありがとうございます。
これから先の話でも「嫉妬」というのがキーワードになってきます。
第5話もよろしくお願いいたします。