いつか来た道ーーある女の告白

いつか来た道ーーある女の告白

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 六十代半ばの菅原綾子は都内に何軒かの高級レストランを持っていた。わたしが赤坂の彼女の店にしばしば足を運んだことから付き合いが始まっていた。彼女もわたしの店へ顔を出すようになっていて、親しさが一層ましていた。そしてそれがわたしに取っては不幸の始まりだった・・・・? 菅原綾子は生来のお節介焼きから、わたしを【女性経営者会議】へ誘ったのだった。彼女はその組織の理事だった。そしてその誘いはわたしに取っても、嬉しくない事はなかった。多くの女性経営者に取っては【女性経営者会議}】はあこがれの組織だった。その組織への加入によって誰もが、経営者として世間に認められたという思いを抱くのだった。「これでわたしも、一人前の経営者として認められたという気がします」ーー新会員になった女性経営者たちのことごとくがそう口にする事が、それを証明していた。わたしもまた、新会員紹介の席でそう言っていた。
 その夜、わたしたちは菅原綾子の誘いのもとに、六本木のホストクラブへ繰り出した。わたしが【女性経営者会議】に加入して、四度目の総会に出席したあとだった。五、六人の仲間がいた。わたしに取っては、初めて経験するホストクラブだった。わたしの相手には二十四歳の中沢英二という男が付いた。長身でやせ型の、美貌の持ち主だった。一見ひ弱そうに見えるのが、中年女性を引き込む魅力にもなっていた。わたしの思いのままになるのではないか、そんな錯覚をおこさせるような魅力だった。事実わたしも、そんな彼の魅力にはまっていた。
 わたしには離婚以来、男は存在しなかった。仕事だけがわたしの心の糧だった。仕事以外にわたしが必要とするものは何もなかった。仕事が終わったあとの気ままな食事、二、三の女友達との軽い気晴らし・・・・、映画を観たり、劇場へ足を運んだりと、そんな時間がありさえすれば、それでよかった。当然のことながら、中沢英二に入れ込む心算もまた、なかった。この場だけの軽い遊び、それだけの気分だった。そしてそこに、少しの酒の酔いと、店の雰囲気に酔ったものがなかったとは言えなかった。菅原綾子に煽られるままにわたしは、中沢英二を誘っていた。菅原綾子はその店の常連でもあるらしかった。
 その夜の中沢英二は外見そのままだった。素直な子供のようにわたしの指示に従った。わたしは彼の気の弱そうな外見から、思いのままに行動した。そしてわたしは、その夜のわたしに満足していた。わたしの知る事のなかった別の世界がそこにある・・・・。わたしは知らぬ間にため込んだ心の澱(おり)を吐き出すように大胆だった。そしてそんな中では、奇妙に男臭さを感じさせない中沢英二は、最適のペットのようにさえ思えた。彼ならわたしの欲求を素直な子供のように満たしてくれる・・・。わたしはその時、わたし自身に立ち返ってみる事さえしなかった。歓喜に酔い、知らない世界に酔ったかのように、目新しい体験に酔っていた愚かなわたしーー。危険な世界を想像してみる事さえしなかった。

 わたしが二度目に中沢英二のいる【ブラックホース】へ足を運んだ時は一人だった。ほぼ、ひと月が過ぎていた。ほの暗い明かりのともった室内への扉を開けるときには、少しの勇気が必要だった。中沢英二を訪ねること自体には、ためらいを覚えなかった。あるいは、彼が持つ存在感の軽さから来るものかも知れなかった。食べなれた料理とは異なる、別のメニューを注文するときのような気軽さがあった。わたしの日頃の気晴らしの中での別メニュー・・・・。しかもそこには、これまでわたしの知る事のなかった新鮮さと、刺激に満ちた味がある。喜びがある。
 わたしの頭の中では奇妙に中沢英二に対して、構えるものがなかった。一人の男と向き合う事への危険さえ意識しなかった。ペットの感覚、--彼の存在が無色透明にも思えた最初の出会いの印象が、ことさらわたしには強かった。薄っぺらな紙の存在、それが彼に思えた。事実、彼は二度目も変わらなかった。わたしはやはり、自由に彼を繰った。ペットとしての彼の存在感は、ますますわたしの気持ちの中で大きくなっていた。いつでも好きな時に会える・・・・。そう思うと秘密に彩られた喜びの色彩が一層ましていた。
「今度からは、わざわざお店へ来てくれなくてもいいよ。電話をしてくれれば、いつでも僕のほうから出向いてゆくから。--その代わり、お店に払っていたお金の半分だけ、僕にくれる?」
 彼が言い出したのは三度目に会ったあとだった。やはり素直な子供のような言い方だった。そしてわたしは、彼がわたしの気持ちを思ってそう言ってくれているのかとさえ、そのとき思った。わたしに取っては、いささかの不都合もない提案だった。わたしは何も【ブラックホース】へ行きたいわけではなかった。中沢英二と会えればそれでよかった。わたしは彼の提案を一も二もなく受け入れた。罠が隠されていようなどとは、仕事一筋で生きて来たウブなわたしには思いも及ばなかった。

いつか来た道ーーある女の告白

いつか来た道ーーある女の告白

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-09-16

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