*星空文庫

いつか来た道ーーある女の告白

沢 良 作

いつか来た道ーーある女の告白

(1)

          いつか来た道ーーある女の告白

               ほんの小さな事が
                 人の一生を大きく
                    変えるものだ



 わたしの場合、魔が差したというべきなのか、或いは、心のどこかに驕りが生まれていて、その罠にはまったということなのか? いずれにしてもわたしは今、わたしが生きて来た三十七年という歳月の中で、ようやく手にした人生の宝ともいうべきものの総てを失いかねない局面に直面している。そして、逃げ道はもうない。
 わたしは岐阜県大垣市に近い町の平凡な農家に生まれていた。姉が二人と兄が一人いて、それぞれに結婚し、現在、大垣市の市内に住んでいる。わたしが生まれた家には今、七十二歳になる母親が四年半前に脳梗塞で亡くなった父親の墓をまもりながら、一人で暮らしている。わたしは高校を卒業するまでその家に居た。高校卒業と同時に東京へ出た。東京では、現在パリに住む著名な服飾デザイナー、宮本俊介の事務所で雑役係として働いた。当時、宮本俊介はまだ無名で事務所も小さく、総勢五人の所帯だった。宮本俊介が大垣市の出身で、わたしは知り合いに紹介されたのだった。
 もともとわたしは、幼い頃から上昇志向が強かった。中学、高校と、学校生活では格別、目立つ生徒ではなかったが、それでもわたしは常にわたし自身に不満を抱いていて、いつも何かを求めていた。そしてそれがわたしを東京の生活にあこがれさせたのだった。東京には夢があふれている・・・・。わたしは大学へ進む事は考えもしなかった。早く社会人としての生活を始める事が、大人への近道のような気がしていたのだった。
 東京ではすべてが順調だった。わたしは陰ひなたなく働いた。真面目さが唯一、わたしの取り得だった。高校を卒業するまでの学校生活でも、格別、頭脳の優れていたわけでもなかったわたしは、真面目な事だけで友達の信頼を得ていた。そしてその真面目さは仕事の上でも思わぬ恩恵をもたらしてくれた。わたしが独立して錦糸町に小さな洋装店(ブティック)を開くとき、宮本俊介が力を貸してくれて名もない洋装店は思わぬ成功を収めていた。わたしが二十五歳のときで、宮本俊介はそれから二年後にパリへ行った。パリからも宮本俊介は、わたしの求めに応じていろいろな情報を送ってくれたりした。しかし、わたしと宮本俊介の間にはそれ以上の関係はなかった。わたしはその二年後に結婚した。結婚生活は一年半と短かった。わたし自身が家庭におさまる事が出来なかったためだった。なにかと上昇志向の強いわたしには、家に居て夫の機嫌を取りながら、食事の世話をしたり掃除や洗濯をしている事が、時間の浪費に思えてイライラさせられたのだった。わたしに取っては事務所の机に向かい、うず高く積まれたファッション雑誌や目録(カタログ)に眼を通しながら夢をふくらませているときが、一番の幸福な時間であった。そしてそんな時間の中では、一日に何度となく鳴る電話や、何通となく届くファックスにも、少しも煩わしさを感じなかった。おかげで仕事は離婚とともに、ふたたび順調な発展軌道を取り戻していた。現在、わたしが経営する【ブティック 美和】は、事務所のある赤坂を拠点にして、新宿、渋谷、原宿、六本木、成城などと都内の繁華街に、いわゆる高級ブティックと呼ばれる店舗が九店に増えていた。むろん、わたしの上昇志向はそれでもまだ収まらなかった。さらなる発展を目指してわたしは、なお突き進んでいた。そしてそんなわたしを称して他人(ひと)はよく、「猪美和」などと言っていた。わたし自身はその呼び名に格別、不快感を抱く事はなかったが、それでもそれが他人の助言を受け入れないわたしの、生真面目で一途な性格への揶揄である事は知っていた。わたしには宮本俊介をのぞいて外に、特別親しい経営上の相談相手はいなかった。
 菅原綾子とは彼女が経営するレストランを通じて知り合った。

『いつか来た道ーーある女の告白』

『いつか来た道ーーある女の告白』 沢 良 作

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日 2017-09-13
Copyrighted

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