手話とワルツとピカソ

手話とワルツとピカソ

Chapter1

 またある時、他人には皆聴こえたという牧童の歌が、私だけにはまったく聴こえてこないのだ。このような出来事によって私は幾度か絶望の淵に突き落された。危うく自ら命を絶とうとしたことすらある。ただ、わが高貴な「芸術」すなわち彼女だけが私を引き止めてくれた。そして私には、頭脳の中に巻き起こってくるもの(楽想の)すべてを世に送り出すまで死んではいけないように思えてきた。……そしてまたこの自然界の大障害をものともせず力の限りをつくして、彼のうちに天賦の仕事を全うして、価値の高い芸術家および人間の列に加えられるよう努力してきたということを。(ベートーヴェン『ハイリゲンシュタットの遺書』)

 繰り返し読んだ。暗唱できるまで読んだ。心の中で、無音のリズムで。今では彼の声は僕の耳に染み込み、紅茶染めのように、落ちない。

 コーヒーカップにドリップバッグを固定し、電気ポッドで沸かした熱湯をゆっくり丁寧に弧を描きながら注いでいく。モワッと香ばしい香りが煙と共に僕の鼻まで昇ってくる。口に咥えたものを左手人差し指と中指で取り出し、右手でカップを掴み、そーっと口へ運ぶ。目を閉じながら上品な苦味を舌で感じる。デリシャスという文字が脳内に赤で表示される。すると、窓の隙間から泥棒のように控えめな風が入ってきて、香る湯気を軽く散らばらせる。窓は南の方角であるため、朝の陽光が足元まで伸び、僕の茶色いローファーを掴もうとしているかのよう。そして、窓ガラスの表面を見ると薄っすらと僕の姿が映っている。髪を七三に分け、左耳に赤と黄を上下二分したデザインの補聴器をかけ、前ボタンが開けられたシャツを着て、内に青いタンクトップが見え、左手でチュッパチャップスを持った僕が。
 ブコウスキーを気取った僕が。
 僕は右手のカップを木のテーブルに置き、左手人差し指と中指で掴んだチュッパチャップスを口に戻す。まるでタバコのように。けど、タバコは吸わない。ここは校内だし、校外でも吸わない。法律うんぬんというより別に美味しくない。僕には映画という嗜好品がある。舌で味わうか目で味わうかの違い、それだけだ。ここ映画研究会の部室で毎朝映画雑誌を読むルーティーン。スプリングがイカれだしたソファに腰掛けて無意味な朝のホームルームまでの時間をここで費やす。正面には僕が入部する前に部で買った液晶テレビとBlue-rayレコーダーが備えられている。その隣にはキャノンのデジタルカメラがガラスケースの中で王座のように置かれている。
 今では映画はデジタルで撮影することが多くなった。テープ代もかからないし編集も楽という理由だ。これは映画だけではない、写真家もデジタルでフィルムを気にせず数多く撮り、その中から良いものを選ぶという方法に変わってきている。けど、一部の監督や写真家はそれに異を唱えている。デジタルとアナログでは色彩や質感が異なる、と。つまり、僕はそれを知っていながらデジタルで撮影をしている。理由は簡単だ。
 コストだ。
 僕はコーヒーをすすりながら雑誌をめくる。大衆映画からインディーズ映画までの最新作をチェックする。特に、無名ながら話題となり取り上げられている作品を注視する。成り上がる方法論をそこから読み取る。僕には夢がある。唯一無二の映画監督になることだ。音がほぼ分からない僕は音を色に置き換えた映画を撮りたい。つまり、音楽が無くとも気分を動かす術を色で代替するということ。例えば、悲しい展開になってきたら青色が徐々に増えるとか、人が殺される展開になってきたら赤が増えるといったように。
 僕はこれまでに部活動の一貫としてカラフルな無声映画を二度撮った。僕は監督に徹して色と役者の表情だけの短い短編を撮ったのだ。一年生の時の文化祭でその作品『紅葉のような君のカサブタ』を視聴覚室で上映させて貰った。映画の場合、観客の率直な反応はイスから立ち上がりホールへ出るまでに出る。なぜなら、上映中は私語等は禁止の抑圧状態であるからだ。なので、僕は教室を出たところで立つことにした。中から生徒たちが出てくると、「つまらない」「よく分からない」「エイリアン4よりはマシ」と眉間の皺と素早い手話で酷評していた。
 自信作だっただけに僕は落ち込み、部員の待つ視聴覚室へ戻らずに屋上へ上がった。僕は柵のフチに両肘を付き、賑やかな露店や人々を見下ろし、右側で綿あめを食べている女子たちに風がパンチラを起こすのを期待していた。憂鬱な気分を中和させるものは周りにそれしかなかった。僕は太陽を見上げていると強い風が左から訪れ、決定的瞬間が訪れると期待して右を向くと、目の前には緑色のゴムと束ねられた髪があった。パンチラの代わりに僕の親友が立っていた。
「人には巧味と美学というものがあって、心血を注いだ美学が評価されず、肩の力を抜いた巧味の方が評価されるということが得てしてある。今回はそうじゃないかな」
 親友は手話でそういった。お世辞や馴れ合いを嫌う親友がそういった。僕はトモヒロのそういうところが好きだった。障害を抱えた僕らに必要なのは甘い嘘ではない。強い現実だ。
「確かに、僕は色が好きだけど、色のセンスは大してあるとは言い難い。今回はバランスが悪かったかもしれない」
「色じゃないんだ」トモヒロは言った。「色は今回の敗因ではない」
 トモヒロは幼少期から日本画を学び続けその類まれな才能から伊藤若冲の再来とまで呼ばれ始めていた。つまり、二秒で要約すると色彩と構図の専門家だ。僕はトモヒロの指摘が分からず訊いた。
「じゃあ何かな?」
「自分で考えろ」
 トモヒロは安易に答えを与えるのを嫌う。ヒントはくれるが思考を放棄することを嫌悪する。僕はすっかりそのことを忘れていた。今でこそ親しい僕たちであるが思い返せば出会いは最悪であった。あれは、ここ、国立大学付属の聴覚特別支援学校に入学して二ヶ月くらい経った頃だ。僕は無人のパソコンルームに入り、背もたれの高いイスに腰掛け、美しい桜の木がすっかり地味になってしまったのを三分ほど憂いてから、社会科の課題である縄文時代について検索をしていた。すると、そこへ面識のない他クラスの男が通りかかり、中をチラリと覗いて僕と目が合うと、中に入って来ていきなり手話でこういったのだ。
「図書室で調べろよ」
 僕は唖然とした顔で初対面の(しかも絡んできた)男の目を見た。次第に嗅いだことのない高そうな香水の匂いがしてきた。男の顔には見覚えがあった。同じ一年生で男のくせに長髪を後ろで結いでいたため、校内で嫌でも目立っていた。それまで廊下で何度かすれ違ったことがあり、僕は「ナルシストだな、コイツ」と計八回くらい思っていた。と同時に珍しい赤茶色の補聴器を右耳に付けているとも思っていた。
 僕は良い機会なので至近距離で補聴器を眺めてみると、そこには落ち葉の筋である主脈と側脈が繊細なタッチで描かれていた。このようなデザインの補聴器はまず売られていないのでわざわざオーダーしたのだろう、と僕は思った。当時の僕の補聴器はいたって普通な白色で、この男の第一印象は気取っていていけ好かない野郎であり、こういうヤツは大抵同級生を下に見ている、と確信した。そして、当時の僕はかなり喧嘩っ早かったのでこう手話で返した。
「益子焼でも焼いてろ、陶芸家」
 すると、男は眉間にシワを寄せてメンチを切ってきた。
「髪型を馬鹿にしてんのか」
「制服より作務衣でも着てろよ」僕は物怖じせずに続けた。
「お前、芸術を馬鹿にしているのか」
「いや、してない」
「してるだろ」
「ていうか、ネットで調べてたら絡んできたのはそっちだろ」
「調べてるだと? キーワードを打って出てきたページを見ることがか?」
「おかしいかな? 主流だけど」
「主流?」男は見下したように微笑んだ。「主流の意味分かってんのか?」
「一般的だろ」
「一般的か。赤点だな」男はついに歯をむき出してニヤついた。「素人が書いた無料記事
をサラッと読んで成長できると思うか?」
「そういう時代だろ」
「無料の記事や動画で脳が満足するのって人類の退化だと思わないか?」
 僕は言い返そうとしたが応酬する言葉が思いつかず閉口した。男は続けた。
「専門家が書いた本を開くことの意義はな、求めていない記事を読みながら求めている箇所を探すことだ」
「求めていない記事を読んで何の意味があるんだよ」僕は自信満々な顔で正論を言った。すると、男は呆れた顔で言った。
「お前は一次元症候群だな」
「何だよ、それ?」抽象的過ぎてさっぱりだ、と僕は思った。
「訊く前に少しは考えろよ」
「考えても分からないだろ」
「それが一次元症候群なんだ」
 僕は上から物を言われ続けていることに少しイラついてきた。手話をする手の力みと速さが増した。
「説明してみろよ」
 男はため息をついてから言った。
「木の棒なんて脆いだろ? 木の板なら少しは頑丈。そして、木なら倒れない」
 聞いてもわけが分からず僕はいつもの癖で説明を求めようと開口してしまったが、悔しいので少し考えてみた。すると、この例えが一次元、二次元、三次元についてのことだとは分かった。しかし、これとどう“求めていない記事を読むこと”に繋がるのかが分からなかった。再び訊いて解決しようと思ったがやはり悔しいので僕は腕を組んで一分は考えた。もちろん分からなかった。僕は右ポケットからピンクの花柄の入った白いハンカチを取り出して男を見た。
「要するにな、近道をするなってことだ」男は言った。「ネットで必要なキーワードを検索しても脳内は線ばかりになるんだ。細い情報だ。だがな、本を開いて求めていない情報を入れておけば横に広がるだろ? 今、不要な情報が後になって呼び水になる」
 僕は無意識に頷きながら男の言い分に感心し始めていた。目先の課題より未来まで視野に入れて成長しようとしているこの男に。
「負けたよ。一理、いや、二里はある」僕は立てた指を一本から二本にした。
「うん」男は頷いた。「おいしいとこ取りをして学んだヤツなんてスタートが早いだけだ。不味い部分を食べた人だけが遠くへ行ける」
「ごもっとも」僕はパソコンの電源を切ってイスから立ち上がった。そして、隣のイスの上に置いた学校カバンを持ち上げて言った。「ありがとう」
「岡本太郎先生の著作が図書室にあるから、それを読むと良い」男は言った。
「了解」僕はそう言って歩き出した。そして立ち止まり振り返って言った。「何で、先生?」
「絵、描いてんだ」男は指先で宙に曲線を描いた。僕はそれに動物の尾のようなリアリティを感じた。

 あれからおよそ一年。僕はトモヒロが言ってくれた映画の敗因については未だに分かっていない。僕は今日でもそのことが頭に引っかかっていて、何をする時でも常に頭の片隅にある。僕は空になったコーヒーカップをテーブルに置き、映画雑誌をパタンと閉じる。すると、表紙のチャップリンがそんな僕を笑いながら見ていた。僕の巧味って何だろう? 肩を張らない僕って何だろう? 地の良さのことだと思うけど、皆目見当がつかない。人はなかなか客観的に自分を見ることができないものだ。
 もちろん、これは僕だけでなく、誰もが不得意なことであると思う。もし鼻ピアスをしている人に客観性をインストールしたら即断で鼻を引きちぎるだろう。女性の場合、陰で「乳牛」と揶揄されていることに始めて気づくかもしれない。もし貧乳に悩んでいたら言われてもいない「低脂肪乳」というあだ名を生み出して、一人でショックを受けるかもしれない。
 僕は壁掛け時計を見て立ち上がり、バッグを持って開けっ放しの部室のドアの方を見ると、ちょうど担任を受け持っているクラスへ向かって歩く社会科の先生(アラフォー独身)が横切る。僕の視界はスローモーションになり、さらに低速でリピートされ、画面は拡大される。それが続けて三回起きる。今日も地震計が反応するくらいの凄まじい厚化粧だ。白のドーランと赤いアイシャドウの塗りすぎで女形にしか見えない。
 去年、学校の遠足で浅草に行った時「あっぱてどー」と大きくプリントされたTシャツを着た観光客に捕まって記念撮影を頼まれていたのを見たが、多分未だにナンパされたと思い込んでいるだろう。昼食の時に入ったお好み焼き屋で「若く見られちゃった」と握った両手を頬に当ててキャピッと言っていた。僕は持っていたヘラで顔を二ミリ削りたくなった。
 僕は部室を出て隣の棟へ歩き教室に入る。入口にはミニスカートすぎる女子が二名(ワカメちゃんズと先月に命名)が立っている。僕は窓際最後尾の席へ進むと、他クラスのトモヒロがこちらを見ながら足を組んで座っていた。今日も前ボタンを開けたシャツの内にボーダーのタンクトップが見えている。トモヒロは右手に持っていたものを僕に差し出した。
「二回観たぜ」とトモヒロは指を二本立てた。
 僕は貸したゴダール『パッション』のDVDを受け取った。
「やっぱり君は間違いない」と僕は微笑みながら頷いてバッグにそれを閉まった。
 トモヒロの補聴器には目が描かれている。竹内栖鳳の『班猫』にインスパイアされたという青い目が。トモヒロは補聴器を買うたびに自身で絵を描く。派手すぎる補聴器。美しすぎる補聴器。トモヒロは特別だ。特別だから教師も特に何も言わない。そして、特別ではない僕には時々小言を言ってくる。頭頂部が円形に禿げた学年主任と廊下ですれ違う度に、いつもいつも。
「しかし、派手すぎやしないかね?」
「先生の頭はドローンのヘリポートでしょう?」
 僕の赤と黄色が上下で二分した補聴器は言わずもがなトモヒロの影響である。補聴器をデザインして自己主張するという発想はかつての僕にはなかった。オシャレな形状の補聴器は実は結構あるけれど、派手な色の物はかなり少ない。僕は映画をモチーフにオーダーメイドした。スペイン出身のアルモドバル監督が好むカラーに。高校生にとってそこそこのお金を払い、始めて付けて登校した時「それ、良いな」とトモヒロは言ってくれた。一方、主任は「何だね、それは?」と粗暴に指差して言った。僕は負けじと主任の頭を中指で差して言った。「ナスカの分譲ですか?」

 トモヒロは僕に軽く手を挙げて自分の教室へ戻って行く。僕は席について右側を見ると、隣の席のレイコちゃんが廊下を歩くトモヒロを目で追っている。その目は今日もハートマークになっている。もしコンタクトレンズをハート型にしても、たぶん支障なくフィットして見えるだろう。
「好きだね、相変わらず」僕は手話でそう言った。
「才能ある人は素敵よ」レイコちゃんはトモヒロの背中が見えなくなってから返した。
「男は才能?」
「プラス、顔かな」
「トモヒロの顔ってそんなに良い?」
「あんたよりはね」
「二重崇拝者の君は凡人だよ。女はともかく、男は奥二重こそが理想形だと思うけどな」
「ただの自己肯定じゃない」
「そうでもないよ。カッコイイ大人って落ち着いた奥二重が多いからね」
「負け惜しみじゃない」
「そうかな。人は大人の期間が一番長いよ」
「トモヒロ君はきっと、髭を生やしたコワモテなおじさんになるわよ」
「僕はスーツが似合う大人になる」
「頑張ってね、七三高校生」
 ギョロっとした大きな二重に髪をトップでゴージャスに止めたライオンヘアーが印象的なレイコちゃん。誰が見れも芸術家オーラが風速二メートルは出ている。実は僕はこんなレイコちゃんが好きだった。過去形なのは今はもう違うからで、その理由は言わずもがな他の男が好きなビッチ(純粋な僕から見れば)だからであり、そんな女はこちらから願い下げだ。
 でも、レイコちゃんが魅力的であることは変わらない。今でも憧れていないと言えば嘘になる。レイコちゃんが才能のある男が好きなように、僕も才能のある女が好きだ。僕はレイコちゃんの方をチラリと見て、その横顔をズームしながら過去を思い出し始める。映像が徐々にクリアになっていったその時、視線に気づいたレイコちゃんはこっちを向いて言った。
「何見てんのよ」
「見てないよ。オーラを吸ってたんだ」
「なら才能を発揮しなさいよ、監督」
 レイコちゃんは舞踊をやっている。有名な先生の舞踊団に所属している。ぼくはレイコちゃんの舞踊を見たことがある。一年生の頃、当時同じクラスだった女の子とデートをした時、その子とレイコちゃんが友人ということで、僕たちは市の文化会館に行った。初めて見る舞踊であった。レイコちゃんは無地の白いドレスを着た姿でオープニングアクトとして登場。音楽の代わりにスクリーンにビジュアライザが映し出されると、レイコちゃんは顔にスイッチが入り、顔と首と両肩と両肘と両手首、腰と両膝と両足首を自在に使いながら、風でなびく一本の木のように何かを表現し始めた。次第に溢れんばかりの感情と衝動は動くことを要求し始め、ステージを走ったり飛んだり倒れたりした。
 レイコちゃんは語っていた。全身で。そこに言葉はいらなかった。
 倒れた状態で天井に向かって手を伸ばし始めた。絶対的な何かとコンタクトしているようであった。そして膝立ちになり目を閉じ口を開き両手を広げた。
「私は不自由ではない」
 僕にはそう見えた。レイコちゃんは両手を胸に当て、両手足と腰を捻りながら倒れた。床に寝ているレイコちゃんの曲線の数々はとても美しく、大理石で作られた墓石に置かれた花束のようであった。僕は客席で心震わせ、同じ学校には凄い人がいることを知った。と同時に好きになっていた。恋だった。僕は高揚した感情のまま競歩気味で家に帰り、ダイニングテーブルに置かれた白身魚とズッキーニのチーズフリットに目もくれず、二階へ上がり机に向かって感想と想いを手書きで便箋に込めた。シャープペンを持つ手に力が入りすぎ芯を三回か五回折った。結果、なかなかパッションに満ちたものが書けた。
 でも、倍大にフラれた。
 そして、神様の嫌がらせなのか二年時のクラス替えで同じクラスになり、仏様の嫌がらせなのか一回目の席替えで隣になった。僕はそんなエスプレッソ並に苦い思い出を回想し終えた後、窓の外に目をやり、広大な青い空と散りばめられた白い雲を見た。僅かに開いた窓の隙間から、初夏の陽気に当たった新鮮な風が僕の左耳にそっと触れた。

 放課後、トモヒロと学校から駅へ向かって歩いていると、Y字路の分岐点で近隣にあるガラの悪い高校(偏差値は確か、ホームラン王が取れるくらいの数)の生徒たちと合流する形になる。やや広い一本道の商店街を歩いて行くと、昨年できたばかりの真新しいコンビニの前でたむろする不良五人組の姿がある。談笑している男たち全員が何気なく歩道の方を見た時、ちょうど正面を歩いていた僕と目が合い、男たちはまるで駅のホームに立って通過する新幹線を目で追うかのような速さで目を逸した。
 そういえば、彼らとは去年の今頃に喧嘩をした。
 学校に馴染み、学年にいる女子たちの中から可愛い子がピックアップされ、男子たちに伝わり始めた頃だ。因縁というか喧嘩を売ってきたのは向こうが先だった。僕と去年同じクラスだったあまり目立たない女の子と手話をしながら商店街を歩いていると、不良たち五人組はそれを見てバカにするかのような身振り手振りをして笑い始めた。そして、ガムをクチャクチャと噛みながら僕らが通り過ぎるのを眺めていた。僕は何故か般若心経を唱え始め、目を閉じて心を落ち着かせ、菩提樹の下で沐浴をしているイメージをした。
 無理だった。
 全く関係のない白雪姫に出てくる木こりの小人たちがやって来て、菩提樹を「ハイホー、ハイホー」と歌いながら切り始めた。キスされてもいないのに目を開けた僕は前を通過したところで歩く足を止め、六十度右回りをすると、女の子は僕の左手首を持って制止した。
「ダメだよ」とその性格の良さが表れた汚れのない目がそう投げかけていた。
 僕は確かにそれを目で受け取った。でも、その純粋で小さな手を子猫を掴むような圧で優しく握って外し、不良たちの方へ真っ直ぐ向かっていった。そして、真ん中のリーダーと思わしきパンチパーマの男と相対した。男が「文句でもあんのか?」と言いたそうな顔を近づけながらメンチを切って来た瞬間、僕の鼻に息がかかり剣道部の小手の臭いがした。
 臭いがゴングになった。
 僕は男の頬へ左肘を打った。男はあっけなくヒザから崩れ落ちた。すると、右隣にいた男が大振りで殴ろうとしてきたので、僕は右前蹴りをみぞおちに入れた。次に、左隣りにいた男が向かってきたので左ミドルを右脇腹に入れた。右を見ると、パンチパーマの奥にいた男が走りながら飛び蹴りをしていたところだったので、僕はステップでそれを避け、着地と同時に両手で首を掴み膝を腹部に入れた。残る一人の方を見ると、両手を上げて降参していた。右手に持っていたコーラのペットボトルの口から中身がこぼれ、髪にドボドボかかっていた。
 勝った。僕は小学三年生の時にPRGゲームは四対一でボスと戦っていてフェアではない(下手したらリンチ)と思っていたが、こうして勝ってみるとボスにも言い分があるのかもしれないと思い始めた。僕は辺りを見渡すと皆がこちらを見ていることに気がつき、口を押さえて立ち尽くしている女の子に向かって両手を合わせてゴメンと謝罪の意を示した。そして、そのまま立っていると、皆の視線が僕からよそへ一斉に変わった。
 お待ちかねの警察がやって来た。
 僕は警察から事情を訊かれ始めた。十分後、ヘビースモーカーの担任が駆け足でやって来た。目撃者たちは僕に有利な証言をしてくれたようだった。不良たちがからかったのが先、五対一、普段から素行が悪くて迷惑をしていた、など。実際、それを裏付けるように不良たちには喧嘩や万引き、喫煙の前科があったようで、僕は運良く口頭注意で済んだ。
 美しい夕日が青空を紫色に染めているのを見ながら、僕は家の前の道を小学四年生以来のスキップで進んだ。普段なら絶対にしない塀の上で座る野良猫に手を振ったり、水たまりをジャンプしたりまでした。家の前に着いても陽気な気分は継続し、鍵をフェンシングのように片手を伸ばして鍵穴に差してドアを開け、いつもなら脱ぎっぱなしの靴を揃えて向きを反回し、フェリーニ『8 1/2』のマストロヤンニのように膝を捻りながらリビングのドアを開けた。
 親父が仁王立ちで立っていた。
 空気の至るところに亀裂が入り、触れるとガラスのように切れるようだった。母がアロマディフューザで焚くジャスミンの香りが死の香りに思えた。次の瞬間、親父は怒鳴りながら向かって来た。口の動きを読むと「退学になったらどうするんだ!」と言っていた。親父は間合いに入ると右手を引き右足を出し始めた。遅ればせながら僕は思った。「確かに」。金属バットのような硬いスネは僕の太ももを押し込み、僕は痛みと重さに堪えきれず床へ崩れ落ちた。上体を起こそうとすぐに左手を床についたが、時すでに遅しだった。
 親父は上から僕の胴体に跨り、右手を振り上げず頬にビンタをした。なのに効いた。顔が右へ傾いたのも束の間、今度は痛みとともに左へ傾いた。両手による連打だった。まるでメトロノームで計ったような正確さだったが、こんな親父がヤマハで働ける可能性は微塵もない。マウントポジションを取られて身動きの取れない僕は、安いゲーセンのもぐらたたきの気持ちがレポート用紙五行分程度は分かった。
 ビンタは続く。再び顔は右へ傾く。僕は観念してビンタの数を数え始めた。九発目で今夜のドラマを録画していないことに気がついた。十発目でくっついた二人がそろそろ一度離れる頃だろうと予測し始めた。十一発目で互いを想い始めた頃、スレスレで会えないという演出を二回は入れるだろうなと読んだ。十二発目で無惨にも気を失った。
 翌朝、部屋のベッドの上で目が覚めた。両頬が熱っぽかった。起き上がり、部屋にある壁掛けの鏡で顔を見ると、僕はアンパンマンのような顔になっていた。彼は水が苦手なはずだけれど、僕は階段を降りて冷蔵庫へ行き、頬を氷で冷やした。二時間後にはその顔で見慣れないスーツを着ていた親父と学校へ行き、校長室に入った。
 僕は「もう二度と喧嘩はしない」と校長に誓約して謝罪をした。続けて親父は「私がせがれをここまでしつけたのだから退学はありませんよね」といった顔で校長を睨んだ。そして盆栽に毎朝ブツブツ話しかけていると噂の校長は言った。
「まあ、あちらに原因があるそうですから、今回だけは大目に……」
 僕はこんな荒療治の親父のおかげで助かった。
 今でこそ司馬遼太郎でさえ書かなかったメタボ街道をゆく親父だが、六年前まで総合格闘技の選手であった。しかも結構強かった。中学と高校ではレスリングをやり、卒業後はタイへ渡ってムエタイを習い、その後、ブラジルへ渡りグレイシー柔術を習うほどの本格派であった。遠回りしたせいで総合格闘技デビューは遅かったが、その分国内敵なしの活躍をした。しかし、身体が脆くケガに泣いた。僕が小学生の時の記憶ではいつもどこかにギブスを巻いていた。結果として最高峰であるアメリカのリングで三勝六敗の成績をおさめたのだからまあまあだ。
 そんな親父は今ではタイ料理屋を営んでいる。味は可もなく不可もなくであり、五段階で評価するならば、二寄りの三だ。ちなみに、これまで小学校、中学校、高校と同級生に来てもらったことは一度もない。なぜなら、お客さんがスプーンを口に運ぶと、リングの上の顔で睨んで感想を言わせるのだから。
「ふ、おいしい……」と大抵は言う。この「ふ」というのはもちろん普通の「ふ」である。でも、こんな親父だったから僕は聴覚障害を持っているのにこれまで虐められたことは一度もない。むしろ地元のろう学校に通っていた中学時代には親父から仕込まれたムエタイで喧嘩をしまくった。元々競技ではなく、武術であったムエタイは威力のある肘と膝を多用するために、素行の悪い素人なんて相手にならなかった。結果、界隈にある中学校の不良の間で「サイレント・アサシン」という呼び名を付けられた。本来、音無しで殺る者、という意味であり、僕自身がサイレントだから意味は少しおかしいのだけれど。

 僕らは改札を抜けると、エスカレーター脇の長い階段を上がり、さらにもう一度あるエスカレーター脇の長い階段を上がり、見晴らしの良いホームに着く。これを週五日繰り返しているけれども、さすがに少しは息が上がる。「足が悪くないのにエスカレーターを使うなんて弱体化だ」というのが僕らのポリシーである。タイミングよくやって来た電車に乗り、座席に並んで座ると僕はトモヒロに訊いた。
「そういえば、絵の調子どう?」
「うーん」トモヒロは悩んだように見上げ、中吊り広告を凝視した。知性の低いゴシップのタイトルを読み、思考を揉みほぐしているようだった。僕はトモヒロの返答を気長に待った。
「離の壁は高いな」トモヒロはおよそ一分後に答えた。
 離、とは守破離の離のことであり、つまり、型をコピー、コピーを崩す、崩してオリジナルを作る、という三段階の上達のことだ。トモヒロは五歳から日本画を習っていてこれまでに数々のコンクールで大賞を獲っているほどの腕前だ。かつて僕に「俺にはさ、人の声は聴こえないけど、若冲のさ、鶏の声は聴こえるんだ」と一度で良いから好きな女の子に言ってみたい、めちゃくちゃカッコイイことを言っていた。
 以前トモヒロのご両親から聞いた話だが、難聴を持って生まれたトモヒロにあらゆる図鑑や写真集、画集を与えたらしく、トモヒロはどれも一読して読むのを止めたそうだが、伊藤若冲の画集を読み終えると、翌日も翌々日も開いて眺めていたそうだ。
 まさに文字通り、絵に描いたような天才っぽいエピソードだった。
 僕もそんな好きな女の子に聞かせたい逸話が欲しく、家に帰って母さんに訊くと「あんたはドラえもんよ」とキャベツを千切りしながら言っていた。そうか、僕は所詮ドラえもんごときなのか、と落胆した。あんなメタボ体型の鏡餅みたいな奴に夢中だったのか。僕はショックのあまり、大好きだった栗どら焼きを半年もの間、一切口に出来なかった。
 せめて手塚漫画が良かった。『罪と罰』や『火の鳥』があるし。
 そんな天才のトモヒロでさえ、伊藤若冲からの離に苦しんでいる。来月、馴染みのギャラリーで個展が開かれるが、それまでに離の作品を生み出したいようだ。
「西洋画の知識が足りないのかもしれない」トモヒロはため息をついてから言った。
「ここへ来て西洋画?」
「正直、俺は西洋画を日本画より下に見ていたけれど、実験、つまり離という意味では西洋画に学ぶべきものが沢山ある気がする」
「今の作品は離とは言えないってこと?」僕は四日前に見せて貰った作品を思い出しながら言った。
「ああ。崩しているだけだ。破であり離とは呼べない。破と離の距離は長く、壁は高い」
 言っていることが高度すぎて僕の中には返す言葉が見当たらなかった。
「俺は技術を評価されて来たにすぎない。つまり、見ている人にとって知っている範囲であり、理解できるもの、安心できるものなんだ」
 トモヒロは悩んだ顔で再び中吊り広告をぼんやりと眺めた。そこには「不倫」と大きく書かれた芸能人のスキャンダルがあった。タイムリーでは有名なタレントも一部を除いてほとんどが忘れ去られる。消費される人物と話題。トモヒロが向き合っているのは古典という時代の審判に耐えてきた真逆のもの。今の解決の糸口が見えないトモヒロにとってこれらは気分を中和するPH調整剤になっているのだろう。
 僕は正面の窓の外を眺める。太陽が建物に隠れたり出たりを繰り返す木漏れ日を無心で眺める。僕はトモヒロに気の利いたアドバイスができないけれども、トモヒロのことは本当に応援している。将来、身体にスプレーを撒いて必死に加齢臭を抑えているおっさんになった時「トモヒロって世界的な画家いるじゃん? 実は友達だったんだよ、高校ん時」と飲みの席で自慢する自分の姿が4K画質でくっきりと見える。気が付くと、トモヒロが降りる駅が近づいており、トモヒロはゆっくりと立ち上がった。
「力になれなくて悪いね」と僕は言った。
「いや、借りた映画にヒントがあったんだ」トモヒロは言った。
 借りた映画? ゴダールの『パッション』? 僕は僅かに開いたバッグの口からDVDをチラリと見た。ドアが開き、トモヒロは自宅の最寄り駅ではない駅で降りた。その時、束ねた髪が上下に揺れ、大人びたクールさを醸し出した。今日は金曜日だから日本画のレッスン、その後はOLと食事のはずだ。そう、トモヒロにはOLの彼女がいる。CanCamのモデルみたいなお姉さんがいて、アレやコレやソレをしている。AやBやCをしているのだ! 言っておくがビタミンの摂取の話ではない。それだったら僕は毎日サプリメントでDとEまで取っている。ちなみに僕はまだキスさえしたことがない。
 人が駆け込み、ドアが閉まる。電車はゆっくりと走り始める。僕は振り返り、改札口に続く階段へ向かうトモヒロの背中を見る。そして、中吊りを見上げて「お泊り愛」という文字に落胆する。どうやら、僕の第二希望の女優がチャラい俳優のマンションから明け方に出てきたようだ。サッカーで例えるなら女優がボールをハンドし、野球で例えるなら俳優がバットでランナーを返した、ということだろう。僕は座席から立ち上がって四歩進み、オレンジ色に生まれ変わろうとする丸い陽を見ながら、恋のトラベリングをそっと願った。

手話とワルツとピカソ

手話とワルツとピカソ

職業、手話漫談家、パントマイマー、脚本家、秋吉ザンパノ青春の記録。 国立大学付属聴覚特別支援学校に通うワタルは、親友で“若冲の再来”と呼ばれるトモヒロの個展でボブ髪が可愛いリンに恋をした。障害が壁になると思いながら話しかけるとリンは優しく言った。 「その赤と黄色の補聴器オシャレね」。 その日から交流が始まった。毎日、言葉の壁がないメールで饒舌に語った。皮肉にも恋した相手は音大付属高校に通っていた。映画研究会に所属しているワタルは、脚本コンクールに二度落ちたことで進路に悩んでいた。そんな時、リンと初めてお茶をする――。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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