リラの花が咲く頃に 第2話
小説家になろうで連載中「リラの花が咲く頃に」の第2話です。
星空文庫ではみなさんどのようにして連載作品を投稿しているのでしょうか?( ̄▽ ̄;)かぐらにもわかるように優しく教えてくださる奇特な方、いらっしゃいますでしょうか?
第2話「夜の世界の闇から救うために大切なことは」
2012年8月
真珠腫性中耳炎の手術を2回受け、2ヶ月が経ったある休日。すすきのの某ライブハウスで佳奈子とれなは諒がボーカルギターをつとめるハンドを見に来ていた。佳奈子の右耳にはピンクの耳栓が。
出演が終了した諒が2人のもとにやってくると、ある少女に指をさす。
「あれ…わかる?」
「ん?」
諒が指をさす方向に目を向けると、壁に寄りかかりながらiPhoneを弄っている金髪に染めた美少女がいた。
「流石に容姿変わっちゃったからわからないよな…あれ、中学の時の桜間みゆ(さくらまみゆ)。あのミステリアスで噂が絶えないやつ。今は風俗やってるって。俺がバンド始めた頃からずっと追っかけしてるんだよあいつ」
「ミュウかぁ…なんかすっごく垢抜けたね。元々美人だったけど…まだあんたのこと好きなんだ」
「え?ミュウって諒のこと好きなの?」
「佳奈子って恋愛に疎いよね。中学の時からずっと噂になってるんだよ?」
「今じゃネットの噂にもあがるんだぜ?参ってるんだよ、バンドする上じゃさぁ困るんだよこういうのは」
それも一理あるが、諒にすれば好意を示して来る女の子はミュウに限らず苦手だし、諒はずっと佳奈子が好きで好きでしょうがないので彼にすれば迷惑なのだ。寧ろこんな恋愛に疎くてお人形のようにかわいい佳奈子に好意を持たれて噂になるほうがバンドには不利だが彼にとっては最高の幸せだ。
諒は不謹慎ながらも、一度でもいいからそうなればいいなぁと思った。
ライブ終わりにれなと佳奈子は彼女が気になってライブハウスの入り口に居た彼女に声をかけた。
佳奈子から話しかける。
「もしかして、桜間さん?」
「栄中の大佛(おさらぎ)れなと猫宮佳奈子(ねこみやかなこ)だよ。覚えてる?」
みゆは2人を覚えていた。無表情で答える。
「うん…諒くんの幼馴染でいつも一緒だったよね」
「そうそう…諒のこと、好き?」
れなに諒のことが好きか問われて真っ赤に染めるみゆ。
「うん…ずっと、好き」
意外な一面を見せられた。ずっと今まで無表情だったのに。これは相当熱の入った物好きの様だ。
これは佳奈子との叶いそうにない恋を応援するより、こっちを応援したほうがよいのでは?と思ったれなはLINEを交換することを提案する。
「あ、そうだ桜間さん、諒のこともあるしLINE、交換しない?」
「あ!いいねれな!私も桜間さんも交換したいな」
みゆは黙ったまま真っ黒なシルバーの棘のついたバッグから更に刺々しいiPhoneケースに入ったiPhoneを取り出すとれなたちとLINEを交換した。
「ありがとう!帰ったらLINE送るね!」
みゆはこっくりとうなづき、そのまますすきのの煌びやかなネオンに隠された底知れぬ闇の中に消えて行った。
8月某日 PM8時30分。
バイトが終わり、諒はリハに向かおうとしていた。
ニッカのおじさんの顔が目立つすすきのの交差点で信号待ちをしているとSUZUKIのワゴンR・ブルーイッシュブラックパールがススキノ・ラフィラ前に止まり、みゆに似た人物が乗り込むのが見えた。
(ん?みゆか?似てる気がするけど気のせいか?)
信号が青に変わる。音響装置付き信号機の擬音式誘導音「カッコー」の音と人混みの会話が混じる道路を渡りながらどうしても気になった諒はリハの時間がおす中少しワゴンRを追いかけてみることにした。
黒のワゴンRはすぐ隣のビジネスホテルに止まった。
諒は決して小さくない177㎝の体と背中に背負ったギターを路肩に停まったタクシーに身を隠す様な
形で身を少し屈める。
しばらくするとワゴンRから派手な金髪とライブの時より更に濃い化粧をし、大きなバッグを2つ持ったみゆが現れた。みゆだとわかるとすぐにれなと佳奈子にグループLINEで知らせ、鼓動が高鳴るなか足早にリハに向かった。
後日、3人はれなの家に集まり、みゆについて話し合いの場を設けた。
どんな理由であろうと、簡単に風俗なんかで働いては大変なことになる。しかもデリへルなんてピンサロに次いで病気持ちの客が多いし、ファッションヘルスより客層が悪すぎる。特にすすきののデリへルは他地域より安く遊べるし酔っ払い客が多い。その上本番行為ができると勘違いした出張客なんかいてタチが悪い。
れなたちはみゆを思い、風俗をやめさせようと考えた。それは彼女の将来のことを考えた上での決断でもあったが、彼女は諒よりもピアノの才能と歌唱能力がかなり優れているのを知っていたからだ。音楽の才能を潰してはいけないと思い、3人はLINEで彼女が好きだというカラオケに誘った。
2日後、みゆの行きつけだというすすきののとあるビルの中にある「まねきねこ」で待ち合わせすると10分程遅れてみゆが来た。遅刻癖は未だ健在らしい。
4人はフリータイムで2時間程カラオケをしたあと、トイレを理由にれなと佳奈子が席を外し、彼女が片想いする諒と2人きりにした。
「…2人きりになっちゃったね、諒くん」
いつになくみゆは諒と2人きりの恥ずかしさで頰を真っ赤に染める。諒もみゆ程ではないが、女の子と少し狭い個室の中で2人きりということで顔が紅い。
「そうだね…あ、ジンジャーエールおかわりする?」
まねきねこはセルフサービスの為自分たちでコップにそれぞれ好きなドリンクを部屋まで持って来るのをいいことに、諒はみゆから少し逃れたくて気を使ったフリをするが、みゆはそれを止めた。
「大丈夫、ありがとう…ここにいて欲しいなぁ」
みゆは完全に女の顔で諒に甘えてくる。そしてここで2人きりになったことをいいことに椎名林檎の「本能」を入れてきた。
カラオケの歌詞に入っていない最初の英語詞もみゆは完璧だった。途中に入る巻き舌さえ。もう選曲から読み取るに、彼女は諒のことをベッドインしてもいいくらい気に入っているらしかった。それでも頑なに諒は〝ベッドインするなら俺は佳奈子だ〟だと思った。
みゆの「本能」は最後の最後まで完璧だった。勿論歌い方も上品なセクシーさを表現していて、他の男ならば落とせているだろうと思えるくらい。しかし諒は落とせなかった。
諒は本来の目的である風俗をやめさせる為の説得にうつった。
「あのさ、ミュウ…」
「なに、諒くん」
「今の「本能」もなまら上手かったしさ、他の曲も上手すぎるくらい上手いじゃん。中学の時の合唱コンクールの伴奏だって本当のプロが弾いたみたいに上手かったの俺覚えてるんだ。テクもあってさ。このまま活かさないまま大人になっちゃうの?」
諒に問われてみゆは少し表情が曇った。
「私だってそうしたいよ。でもできないの」
「え…?」
「生きるために、お金が必要なの」
「だから…あんな仕事してんの?」
「…っ!なんで諒くんが知ってるのっ!?」
みゆは諒に問われて動揺した。好きな男に風俗なんてバレたくないのが女心であり、諒にバレたら全て筒抜けだ。
「この前たまたますすきのでリハでさすすきのの交差点で信号待ちしてたんだ、夜の8時半くらいに。そしたらラフィラの前に黒のワゴンRが見えてさ、ミュウに似た女の子が乗り込んでいったからどうしても気になってリハの時間もおしてたけどつけていったらラフィラの隣のビジホにワゴンRが止まって…出てきたのはミュウだった」
「見られちゃったんだ…あれ」
「ごめん…つけた上に見ちゃった。ごめんね」
「ううん…諒くんは悪くないよ。誰だって気になれば解決するまで気が済まないでしょう?しょうがないよ」
そう答えるみゆの表情は苦笑いだ。本当はそんなこと、特に好きな諒にはして欲しくなかった。あんな派手な化粧をして体を商売道具にしている自分の姿など醜いだけだ。死んでも見られたくなかった。でも見られてしまった以上はもう開き直るしかない…今の自分が生きるためにお金を得るにはあの仕事しかないのだ。親も親戚もいない自分にはーー。
みゆが自分には風俗しかないと思っている一方、
諒はひとつ問うた。
「なぁ、ミュウ」
「なに?」
「俺が…俺がさあの仕事やめてほしいって言ったら…辞めてくれる?」
それはみゆにとって残酷な問いかけだった。確かに好きな彼にはなんでも応えたいのが女心。ライブがあれば欠かさずに観に行っている彼女のことだ、諒の容貌とあらばできることならなんでもしたい。そのくらい諒が好きだ。しかし、今のみゆには風俗は手放せない仕事だ。常に彼女には生きるか死ぬかのどちらかの選択が課せらせているから。
みゆは苦汁を飲んだ様な辛さを抱えて答える。
「ごめん諒くん…それはできないの。諒くんのお願いならなんでもしたいんだけどそれは…ーー」
最後の言葉を口に出せないまま、みゆは唇を噛み締め涙を流した。こんな顔は諒に見せられない、そう思った彼女はカラオケの個室から飛び出した。ドリンクバーの前にいたれなと佳奈子が廊下を走り去っていくみゆの姿を見つけ追いかけるが、佳奈子が数段しかない階段でバランスを崩し転倒した為間に合わなかった。
後かられながエレベーターを使って一階のゲームセンターに降りてフロアとビル周辺を探したがみゆの姿はもうなかった。
1週間経ってもみゆから3人の元に連絡はなかった。
連絡がないまま時間が経つ毎にみゆへの心配は募っていくばかり…。
一方みゆはその頃自宅であるすすきののマンションで店長と出勤確認のメールを取り合っていた。一週間前に言われたこととれなたちに黙って店を飛び出してしまったことが心に引っかかり、毎晩眠れず少し体調が優れなかったが、今日も彼女は生理ではない為出勤することにした。
『宛先:須合店長
件名:おはようございます(^。^)
本文
お疲れ様です、今日もよろしくお願いします♬
あんり』
仕事するからには客に暗い顔を見せるわけにはいかない。みゆはあんりという女を演じる為いつもより派手な化粧をし、金髪の髪をヘアアイロンでくるくると巻いた。
PM8時30分。
ススキノラフィラの前で迎えの車と待ち合わせした。今日は黒のワゴンRではなく、DAIHATSUのムーヴコンテXのプラムブラウンクリスタルマイカ、パープル系が迎えに来た。運転席には少し頰がこけ、目の下にくまをつくった幸薄そうな顔相に無精ひげ、髪は肩口まで伸ばし黒のゴムで束ねている。みゆはこの小汚い容姿の男が苦手だ。
「あんりちゃん、おはよう。早速写真指名が入ってるよ。北24条駅近くのホテルだから少し遠いけど、常連さんだからお客はいいはずだ。今日も頑張ろうか」
「…はい」
みゆは嫌な予感しかしなかった。あのホテルだ…あのジメジメした怖いラブホテルだ…。ホテル外環から古臭い上に風呂もベッドもというか部屋自体カビ臭い。それに心霊現象付き。いくら常連さんでもあのホテルを利用する者にはろくなのがいないのだ。それをわかった上でこっちも相手にするのだから精神的にもあのホテルの仕事はよくない。
でも生きる為にこの仕事をしているみゆには仕事を断る理由がなく、行くことにした。
ホテルの駐車場に着くと部屋番号と苗字が書かれたメモ紙と仕事道具とピンク色のバスタオルが入った大きなバッグを渡され車を出た。ホテルに入ると無愛想な支配人らしき年配男にチラッと見られながら受付横ねいかにも出そうな古びたエレベーターに乗る。
エレベーターの中は赤色のライトで暗く不気味な雰囲気でしかない上、『入室してすぐキャンセルする場合は…』と書かれた貼り紙があり、「あの部屋だもの、部屋に入った瞬間に無理よね」とみゆは思った。
メモ紙に書かれた部屋番号の階で降りる。客室廊下には飲み物やつまみの自販機が目につくのでそれを横目に見送ってメモ紙に書かれた部屋番号を探す。客の部屋は端にあり、コンコンコンとノックする。が、すぐに客は来ない。
「すすきのアフター女学園のあんりです。起きてらっしゃいますかぁー?」
この手のすぐに出ない客は酒を呑んでいてねていることが多い。仕方なくみゆは店に電話をすることにし、私用の黒のバッグからiPhoneを取り出す。
すると客はドアを開けた。
「ごめんね、あんりちゃん…だよね?酒呑んで寝ちゃってたよ。さあ、入って」
客は見た目は至って普通の昼職についている風の男だった。身なりもそれなりにきちんとしていて髪も黒の角刈りスタイルで悪くない様に見えた。
年齢は30代半ばくらいだろうか。
部屋に入るとエントランス部分でふたたび垢色ライトで球が切れそうなのか点滅している。中に入って右手の風呂には暗く、タイル系のいかにも寒そうで昭和を臭わせていて入りたい気分にならない上、シースルーで部屋から覗けるスタイルで申し訳程度の汚いカーテンで一部隠れる仕様だ。それを横目に入るとカビ臭く四畳半程の狭い空間に押し込まれた様な不衛生極まりないベッドにアンティークな鏡台と小さなブラウン管テレビ。そしてベッドの頭部分と天井は昔懐かしい、バブル時代を思わせる鏡張りだ。本当にいつ来ても暗く嫌な気分にさせるホテルである。
ソファーがない為ダニは勿論のこと、毛じらみがたくさんいそうなベッドに客と2人腰掛けた。本当は指一本すらみゆ自身触れたくないと思っているが、寝る仕事の為仕方ない。
「あんりちゃん」
「なにぃ?」
客の前であんりを演じる際は世間のことなどを何も知らない様なぶりっ子の少女だ。
「写真より実物の方がすごくかわいいよ。お人形さんみたいにスタイルもよくてさ」
確かにみゆは160㎝で胸も大きくウエストもキュッと締まっているし、顔も化粧なんかせずとも美しい美少女である。
「やだぁ、安藤さんったらぁ♡お世辞なんか言っちゃってぇ」
「お世辞なんかじゃないよ、本当のこと」
「もうぉ〜あんりのこと口説き始めてるんですかぁ?」
「そうかも♬」
会話も弾み、一緒にあの暗くて寒そうな風呂に入った。ボディソープで洗い、客の手と男性器をグリンスで別に洗うと客も手にボディソープをつけみゆの体を洗い始めた。やらしく刺激している為客側は興奮してくる。みゆの胸を中心に執拗に触る手が洗うというよりも揉むようになってきた。
ベッドの上でも客は激しかった。みゆが演じるあんりの体を欲する愛撫の刺激が強くて部屋のカビ臭さや寝具の不衛生さなどを忘れる程みゆは全身、頭から足のつま先まで快楽の電流が迸り、感じていた。その証拠に恥部の花びらからは愛液が溢れてシーツを濡らしている。
「あんりちゃん気持ちいいの?…すげぇ愛液出てるよ?俺もっと興奮してきちゃった…」
客のみゆの花びらに口をつけ溢れんばかりの蜜を啜る。静かな部屋で快楽を感じながら天井を見上げると鏡に快楽に溺れていく客と自分の醜い姿が映っていた。見ていて気分が良くないのでみゆは目を背け客の為にたくさん喘いだ。すると全身リップされた末に彼女の首に客の手が伸び、力強く首を絞められた。彼女の目が見開かれる。
「…うっ!」
「もっと…俺と気持ちよくなって、一緒に死んでくれっ!」
客はそう言うとみゆの中に何も被さっていない性器を押し込み腰に振り始める。法律で禁じられている本番行為だ。
みゆは首を絞められている苦しみに耐えながらも本番を拒否しようと挿入されている下半身を動かしたり客の体を叩いて必死に抵抗した。しかし客はやめようとしない。
みゆは酸欠で意識が薄れ始めていたが、最後の力を振り絞って見た目によらず力強い左腕を使って客の客の顎を狙って殴った。彼女のパンチは上手く急所である顎に命中し、客は脳震盪を起こして横に倒れると同時にみゆの首から手を離した。その隙に身を離す様に起き上がり、客が脳震盪を起こしているうちに軽い目眩がする中下着だけ身につけて荷物と前払金、服を持って部屋を出た。
赤色ライトのエレベーターの中で靴を履き、ピンクのリズリサのワンピースを着ると、地下鉄南北線北24条駅に向かって走った。改札でSAPICAを通しホームに降りるとさっぽろ・大通に向かう真駒内行きに飛び乗った。
ここまでくれば大丈夫、殺されないと思い恐怖から逃れ安堵すると途端に派手なアイメイクをした目から大粒の涙を零した。膝に乗せたバッグにぽたぽたと雫が煌めいて落ち、沈んでは消えていく。
みゆはさっぽろで降りて東豊線に乗り換えた。環状通東駅で降りて地上に出るとLINEでれなに無料通話をかけた。時刻はPM10時。れなは3回目のコールで出る。
『もしもしミュウっ?!心配してたんだよっ!今どこなの?』
「今環状通東の駅前…ぐすっ…この前…ひっくっごめんね…ひくっ」
みゆは先に先にこの前のことを謝った。れなはすぐに許す。
『いいよ、うちらも悪かったし、どうせ諒の言い方とか悪かったんでしょ?…それより、泣いてる?』
電話口のみゆの嗚咽が気になる。みゆはれなに泣いている理由を話すと訳を聞いたれなはすぐに駅前にいるみゆを迎えに行った。
みゆがお風呂に入っている間に大佛家は家族会議を開き話し合った結果彼女を住み込みバイトとして雇い、引き取ることにした。
彼女の元の家は道東の釧路にあり、両親は動物病院を営んでいたが、彼女が小学校4年生の時に諸事情により破綻し両親は何者かに殺害された。札幌の親戚の家に引き取られたものの、たらい回しにされ唯一の救いだった祖父母が高校の時に亡くなってしまった為ひとりになってしまった彼女は卒業までコンビニバイトで食い繫いだ。卒業してからは衣食住を得る為に体をお金に変えることした。
生きる為、そして…中学の時から好きである諒を追いかけるために…。
1週間みゆは布団から出なかった。食事も摂らず布団を被ったまま。二階にもあるお手洗いにのみ起きるだけ。
「れなぁ、みゆちゃんまだ布団から出ないの?ごはんも食べないし…体壊しちゃうわ」
れなの母はみゆの体調を気にしていた。れなもみゆの体調が気になるが、今は体調よりも精神面をなんとかした方がいいと思った。
その夜、バイトから戻るとれなは布団を被ったままのみゆに話しかけた。
「ミュウ」
「…なに?」
れなはそっと添い寝して後ろから抱きしめると優しく問いかけた。
「ミュウ、また諒のライブ行きたくない…?」
ーーどくん
諒の名前が出てみゆの胸は高鳴った。彼女の目が見開かれる。行きたい、行って諒に会いたい。
一目だけでいい、触れられなくてもいい、諒に会いたい!
みゆは素直に答えた。
「…行きたい…諒くんに、会いたい」
「じゃあ、布団の中にいちゃだめだよ。布団から出て元気にならないとね。諒だって元気なミュウが来てくれる方が嬉しいはずだよ。
「…そう?」
「そうだよ。ライブは楽しむものだしさ。そうだ、次のライブに行く時は少しイメチェンしない?諒って女の子って感じのファッションが好きなんだって。メイクもナチュラルにしてさ。少しでも雰囲気変わったなーとかかわいいなぁって思わせちゃおうよ」
「かわいいって…思ってくれるかな?」
「うん。ミュウ、だってすっぴんも何もかも綺麗でしょ?派手にメイクしなくても諒に印象残せるよ」
みゆはれなにそう励まされて布団から起き上がった。すると彼女のお腹が鳴った。
ーーぐーきゅるるっ〜〜〜きゅるきゃるきゅるぅ
「あ…ーー」
恥ずかしさで顔を真っ赤にさせ、お腹を抱える。
そんな彼女を見てれなも起き上がり愛おしく思いながら優しく抱きしめる。
「ミュウは何が好き?お母さんに頼んで好きなものお腹いっぱい食べよう?」
「…スパカツ」
「え…?スパカツって?」
れなはスパカツがわからなかった。
「スパカツって…なに?」
「…スパゲティの上にトンカツがのってて、ミートソースがかかってるの。釧路名物」
釧路名物…そっかぁ、きっと思い出の味なのね…とれなは思った。みゆに優しい微笑みを向ける。
「いいよ、お母さんに頼んでみるね」
「はーい、お待ちどぉー!本場とは違うかもしれないけど」
「ありがとう…ございます。いただきます」
みゆはれなの母が手によりをかけて作ったスパカツを口にした。釧路で食べていた味とは違うが、れなの母のあたたかい優しさが遥か昔に凍ってしまったみゆの心の奥をとかしていった。セイコーマートのホットシェフの様な温かくてほっとする味。さすが店長を務めるれなの母だ。
「美味しい?みゆちゃん」
温かさを感じてるみゆは胸いっぱいになり涙を流した。自分にもかつて美味しい手料理を作ってくれる優しい母がいてよく作ってくれたし、何かあれば外食は家族でスパカツを食べた。
「美味しいです…とても」
「泣く程美味しいなんて!あたしも腕を上げたのかしらんっ!嬉しいっ!」
スプーンを出しれなの母も一口トンカツとスパゲティをミートソースに絡ませて口に含み、自画自賛した。
「んー♡いけるいけるっ!さっすがあたしね!やっぱりミートソースからちゃんと手作りしてよかったわぁっ!」
更に自信をつけた母はそれから1週間食卓を豪華な食事で埋めた。
みゆは自分によくしてくれる大佛家に恩返しする為セイコーマートでれなや佳奈子たちと共によく働き、家事手伝いもし大佛家に大変気に入られた。
大佛家での生活にも慣れバイトにも慣れた頃。
バイトを終えて店を出ると入り口前のゴミ箱の前に諒が立っていた。
「諒くん…この前はごめんね…私」
「あれ?あれは俺が悪かったから気にしないで?これ、出てみない?」
諒はライブのチラシをみゆに手渡し出演者として誘う。
「今回さ、うちのバンドにピアノ入れたいなって思っててさ、あ、ミュウいんじゃんって思ったんだ。どう?」
「…あたしなんて」
「大丈夫だよ、ミュウのピアノと歌…いずれはソロもいいかも。楽しみだなぁ俺。考えておいてっ!」
「あっちょっとっ!」
諒はそのまま信号を渡り、環状通東駅に向かって走って行ってしまった。
みゆは後日OKし、1ヶ月後狸小路のライブハウス「mole」にて諒と彼のバンドメンバーと一緒に初出演した。
出演はラスト。小さな会場は諒たちの登場で待ち構えていた客の大歓声が湧いた。特に金髪美少女のみゆの登場に男女共に会場はざわめいた。
「え、ちょっと何あの子」
「前のライブにはいなかったよね?」
「なにあの子、超かわいくね⁈」
「なんまらかわいいっ!」
ステージに上がったみゆはナチュラルな愛らしい化粧に真っ白なマキシ丈のワンピース、その上に黒のレース編みのロングのカーディガンを纏っている。足元は何も履かず黒のペディキュアのみの裸足だ。
ドラムの右横、客からは左手側に置かれた電子ピアノの前にみゆが座り、それぞれのパートのメンバーも自分の位置についた。
ドラムスの合図で曲が始まった。いつもセトリに入れているロックの曲だが、今回はみゆの激しく情熱的でそれでいて繊細で高度なテクのある電子ピアノの音があるのもあって新鮮味がある曲に変わっていた。みゆの音があっても違和感なく会場はいつも以上の盛り上がりを見せた。
あったまった会場もとうとう最後の曲へ…と、その前にステージに動きがあった。ライトを消し、ピアノの位置をボーカルの隣に変えたのだ。セットし直したところでライトが再び点く。
「最後の曲になりました」
「「「「「「えーっ!!!」」」」」
会場はブーイングの嵐に包まれた。客としてはもっと楽しんでいたいらしい。
「ん?みんなまだ聞きたい?頭振りたい?」
客は皆、いや、全員拳を突き上げ「ヴォイッ!」と返事をした。
「そっかぁ〜俺らもねみんなとまだ一緒にいたいよ。そうだよね、ミュウ?」
「…うん」
「あるは?ミュウはいたくないの?」
「…まだいたい」
「クスッ!…そこもっと感情込めようよぉ〜」
みゆが手でハートマークをつくり、客の方にハートを振りまく様に楽しそうに左右に振ると会場がドッと笑いに包まれた。中には「かわいいー!」という声もあがる。左横にいる諒も、後ろのメンバーも笑う。
「ププッ…ミュウもまだ一緒にいたいみたいだけど、大人の事情ってやつであと1曲しかやれないんだよね、ごめんね。では、最後の曲。これはミュウが作詞、作曲はこの5人全員です。メインボーカルは俺からミュウにバトンタッチして終わりたいと思います。これからも俺らとみんなが楽しくライブしようねっていう約束として…『ForeverPromise』」
曲はみゆが奏でる電子ピアノの明るいクラシック要素、特にみゆはフランス,パリ生まれのロマン派作曲家、シャルル=ヴァランタン・アルカンが好きなのでアルカンの「ノクターン」第1番OP.22のような爽やかなイントロで始まり、途中からドラムスと諒のリズムギターが入ってきた。
♬そこに隠れているものは なに?
まだ見ぬ不思議なもの
小さな手いっぱいに抱えて
未知なる世界 築き上げていこうぜ
暑い夏
君との冒険が始まった
道なき道を歩いて
躓いては立ち上がって
時には泣いて 励ましあって
遂に此処まで来たんだ
僕等なら何だってやれる
そうだ そう信じて
繋いだ手に愛を込めて
♬そこに溢れているものは なに?
まだ見ぬ不思議なもの
小さな手いっぱい 抱えて
未知なる世界 築き上げていこうぜ
寒い冬
君との思い出も深くなって
道なき道も深くなって
埋まっては立ち上がって
時には抱いて 愛し合って
遂に此処まで来たんだ
僕等なら何だってやれる
いつも そう信じてる
繋いだ手に 愛を込めて
曲が転調し、諒のリズムギターともうひとつのギターのメロディーが合わさり、高らかに鳴り響く中、みゆのウィスパーな、甘くかわいいコーラスが14秒の間奏中も曲を盛り上げる。間奏の終わりにはドラムスとベースが程よいリズムで重なり入ってきた。
そこに溢れているのは なに?
まだ見ぬ大きなもの
小さな手いっぱいに抱えて
未知なる世界 築き上げていこうぜ
繋いだ手に 愛を込めて
最後はロックとクラシックの世界観を残しつつ約6分間のセトリラストの演奏が終了した。会場は他のバンドのラストとは比べものにならない程大歓声に湧き、客に惜しまれつつ彼等はステージを後にした。大成功だ。
楽屋の隅で諒とみゆがのどを癒す為トローチを舐めていると、他のバンドで出演していたボーカル兼ドラマーの派手な美しい女性が2人にワンドリンクのジュースを差し出した。
「諒とミュウちゃん、だっけ?お疲れ、どうぞ」
差し出す彼女の手は真っ黒なスカルプのネイルにシルバーのごっつい、初期の椎名林檎が、していた様な指輪が嵌められている。若く見える彼女だが年齢は30代前半である。
諒はすぐに彼女に礼を言う。みゆはは初対面で少し緊張している。
「ユリナさんもお疲れ様です。ジュースありがとうございます」
「…お疲れ様です、ありがとうございます」
ステージ上では見せなかった彼女の緊張した面持ちにユリナは内心びっくりしていたが、初々しい姿に少しほっとして彼女に優しく微笑んだ。真っ赤に潤んだ口紅が瑞々しく光沢を放つ。
「あ、紹介する。この人はMiracalous Medel、
M.Mのボーカル兼ドラマーのユリナさん。2番目に出てたバンド」
「あの…かっこいい紅一点バンドの」
「そう、よろしくね」
「あと、普段はファッション関係でしたよね?」
「うん。一般の女性向けからロリータファッションのデザインもやってる。今はバンドメンバー全員の衣装もやってるよ」
「やっぱりそうなんですね!既製品ではないなって思ってたんですよ」
「わかっちゃった?」
「…すごい」
「あんたの電子ピアノの方が凄いよ。習ってたの?」
「はい、3歳から9年やってました」
「え?9年って…9年だけであんなコード弾くの?音大でも行ってるのかと思っちゃったあれ」
「ユリナさん、さすがです。ミュウのはかなりマイナーなコードなはずなんだけど、どこかしこにとんでもない技巧とかぶっこんでくるんです」
「習ってるときとか…なに弾いてたの?」
みゆは少し照れながら答える。
「シャルル=ヴァランタン・アルカンの曲ばかり弾いていました。あまり有名ではないけどすごく好きで」
「ふーん、知らないな。今弾いて貰っても構わなかったりする?…1番好きなやつ」
「え…?」
「そうだそうだ。俺もまだ聴いたことないし」
「…じゃあーー」
3人は楽屋から電子ピアノがあるステージに移動した。
みゆは電子ピアノの前に座り軽く深呼吸をする。諒とユリナはステージの下で見守る。ユリナがアッシュグレーの髪をかきあげタバコに火をつけると演奏が始まった。
曲は無名の天才作曲家であるアルカンの「海辺の狂女の唄」である。この曲はアルカンが作曲した他の曲よりも其れ程難曲ではないのだが、みゆがアルカンの曲の中で1番愛してやまない曲であるのだ。しかし、この曲には問題があった。
先程まで温かな空気に包まれていた会場が冷たい旋律より一気に凍りついた。まだ冬は訪れていないはずなのにここだけ凍てつく様な寒さで鳥肌が立つ。
「…寒いよ、なんか」
「ユリナさんもですか?…俺も寒いです」
気がつけば寒いだけではなくなっていた。目の前に闇夜の海が広がっていたのである。そこに精神が狂っているのか不気味な唄を唄いながら女がフラフラと歩いてきた。曲が終わりに近づくにつれ狂女の唄は高らかになり、不気味さが増してゆく。唄の不気味さが最高潮になると狂女は海の中に入って沈んでいった。
入水自殺したのである…
狂女が自殺したところで目の前に広がっていた闇夜の海は消え、みゆの演奏は薄気味悪い余韻を残した旋律で終わった。終わってみるとあまりの後味の悪さに3人の会話はなかった。
みゆは鍵盤から手を下ろすと2人に微笑んでみせた。しかし、ユリナにだけは微笑んだ様には見えなかった。瞳孔が開き気味になり、悪魔が大口を開けて不気味に笑った、そう見えた。そして背後には…ーー
(さっきの…女…)
真っ黒な漆黒の長髪を前に垂らしていて顔は見えないが、確かに先程海に沈んでいったはずの狂女が彼女の背中にだらりと負ぶさっている。諒には見えないのだろうか?
ユリナは諒に救いを求める様に見たが、彼には見えていないのか彼女の元に行ってしまった。
「すげぇよミュウ。またライブがあるときお願いね」
「ありがとう…諒くん」
(だめ…その女に近づいちゃっ!やばいもんがついてるんだからっ!)
しかし心の声は彼に届かず、ユリナは何も言わずに帰り支度をしてmoleを出た。なんだが気分が悪くなってきた。今日はすすきののマンションではなくお寺である実家に帰ることにした。CHANELの黒のバッグからiPodを取り出し、イヤホンを両耳に入れると実家の宗派のお経を聴きながら歩き出す。
ユリナは思った。あの女には途轍もなく嫌なものを感じる、近づいてはならないと。本能的にもう受け付けてはいけないと。
一方でユリナが帰ったことを知らない2人はそのまま打ち上げに参加した。
酒が入ったメンバー達がみゆを取り巻く。
「いやーぁ、歌もピアノも最高なのに見た目までかわいいってやばくね?」
「ほんとほんと。なんまらかわいいミュウちゃん」
「…かわいく、なんか…」
「ねぇねぇ、このまま正式に加入してさ、紅一点4人組バンドにしちゃわねー?なぁ諒」
「は?それって俺をボーカルから辞めさせたいってだけじゃねーか!で?隙みてミュウを喰うだけってだべそれ!」
「バレちゃった?冗談だよ冗談」
「ごめんな、こんなバカばっかで」
「ううん…大丈夫」
「ミュウだってやりたいことあるだろ?こんな売れるかわかんねーバンドで歌うより、ニコ動で歌い手とかやる方がいい。ピアノ入れたい時は特別ゲスト枠に呼ぶけど」
「おーっ!歌い手いいなーぁ♡絶対見るっ!」
「俺も見る見るっ!」
「…バカは黙ってれ。ミュウさ、シンガーソングライターとか目指せよ。いい教室知ってるぜ俺」
「そんな…私なんか」
「もったいねーって!狸小路1丁目のBig Boss知ってる?」
「うん」
「そこでさうちのベースのあいつが働いてんの。緑頭のな。あとでBig Bossの上の教室のこと、あいつから聞こう」
「…でも」
「お金のことは大丈夫だ。ドンと構えよう?バイトしてんだし」
「そうだね」
「おっとっ!うわさすりゃなんとか!駿(しゅん)っ!」
諒はタイミングよくガラナを片手に来た駿を呼んだ。駿は前髪と襟足を伸ばし、シャギーの効いた髪型で緑に染めている。
「近くにいんだからでっかい声で呼ばなくても…。で、なに?」
「ミュウにさ教室のこと教えてやって?」
「入るの?シンガーソングライターコースの月4回でいい?」
「おっ!こりゃ話早そう!」
なんだかんだその場の流れでみゆは音楽教室に通うことになり、音楽の道に一歩足を踏み入れていた。
しかし…みゆに関わったことによりこれから先の諒の未来にピアノの不協和音の旋律が流れ始めたことを、諒はまだ知らない…。
リラの花が咲く頃に 第2話
第2話お読みくださいましてありがとうございます。
かぐらも小説書く前は2年ほど音楽を齧っておりました。しかし、才能ないなーとわかったので、もともと大好きなイラスト描きと物語作りをまたやることになり現在に至ります。
これから先も続けて読んでいただけましたら幸いです( ̄▽ ̄;)