*星空文庫

サモエード

earthsolute 作

サモエードとは、ロシア語で、”人間を食べる”見たいな意味らしい。サモエードと呼ばれてる人々にそんな習慣が実在するかはわからないが、

がしかし、予測される内容は、西シベリア民話 written by 小沢俊夫 に収録されてた。というのは、背骨折るのが得意な男が、まずきこりの父親を、

なぜ拉致しようとしたのか? これが第一。もし、”食べるため”だったりしたら・・・

2、この男は、彼の娘を自宅へ連れ込み、彼女が約束を破ったら、殺したが、殺したのはいいが、彼女が興味を示して、それが報復の殺害のきっかけとなった、脂のはみ出た樽とは一体・・・?

彼女自身も背骨をおられた後、この樽の中に放り込まれている。説二、この樽に殺した人間を放り込んでおいて、脂を取り出しておいて、非常食や、明かり確保の燃料にする予定なんじゃなかろうか?

もしそうなら、人間を殺してそれを生活の資材にする習慣が、あるとかないとかの話に繋げることができる。ただ”名誉のために直接はそんな事書かれておらず、全部憶測に過ぎない”ってことは”言われるべきだ”ろう。

だが、古事記の民族はこうだ、まず、須佐之男に糞を食わせようとした女神がかれに殺されている。

・須佐之男に糞を食わせようとして殺された女神。
・伊邪那美から逃走する際に、伊邪那岐は、髪の毛を自切したが、桃を・・・俺は、古代史獺祭 古事記というホームページの古事記を使っていたが、今ここが使えなくなっているので(一時的か永久かはわからんが)、別の古事記を使わざる得ないから使う。古事記は間違いなく蔑ろにされてるだろう。なぜならカレヴァラは必修科目だからだ。あと白人はちゃんと教会に礼拝に行っている。

・・・と思う。明らかに教会へ行かなそうな家庭の話も読んだ事があるので。まあ白人はどうでもいいや。仮に白人がキリスト教を廃棄したとしても、別に彼らみたいにした方がいい訳ではない。

なぜかというと、国語の教科書や道徳の教科書に古事記が一切出ない為である。別にアメリカの日本占領化の対策の一環として、古事記が削除されてる訳でもないなら、貧弱な精神性と言える。日本人の。

つか歴史でも古事記一切言及されないんじゃないか。何が悲しくてロベスピエールの大虐殺とそれに伴い彼が虐殺される光景を覚えねばならないのだろう。フランス人と同じ行動をするように要求された場合に不利益を被るのは間違いない。

古事記なんて単語を俺は何処で覚えたんだろう? 学校教育では隠されている。天皇陛下よ。貴方は古事記と共に無いのですか? じゃあ天皇陛下の権威付けは何によって行われるのですか? ロベスピエールですか? 単純に異民族殺害の実行の象徴に、”落とされてしまう” のですか?

そうさ。もし天皇陛下を持ち出して、愛国心故に異民族虐殺とか言い出す日本人が現れたら、古事記を破棄して、アメリカ人に取り入って、俺を虐殺して、それで自分らの都合のいいように回転させる事を目論んでいる、残念な奴だよ。ロベスピエールに成りたければフランスや西洋へ行ってそっちに住めばいい。コイツら類型品で独自性がなく、白人のテンプレが都合良いが、それは多様性を破壊する。なぜなら白人のテンプレだからだ。古事記はせっかく白人と無関係だというのに。全部彼らのテンプレで書き換えたら、消える。

人間が消える。生物が消えて全部西洋人になる。
無限に拡大するペストは寄生対象物をやがて失う。何の為にインフルエンザウイルスは、細胞が無く生命体と認められない存在として遺伝子を送り込み、生物である細胞を破壊し続けるが、宿主がいなくなると、非生命体のウイルスだけが残される。彼らは生物が出現するまで、眠り続け、そしてそのまま太陽が爆発して地球から消えて、宇宙からも消えるが、彼らのような単純な複製作業を行う物質は、宇宙にはよく存在するので、悲しむ事はないが、彼らに消された生命体の方が貴重故にもったいない。

http://himiko-y.com/scrp1/kojiki--4.html
http://himiko-y.com/scrp1/kojiki--4.html#131221

・伊邪那美から逃走する際に、伊邪那岐は、

黒御縵(くろみかづら)[=蔦を巻いた冠]を取りて投げ棄(す)ち、乃(すなは)ち蒲子(えびかづら)[=山葡萄]生(お)ひ、是れを摭(ひろ)ひ食(は)みし[之]間(ま)に逃げ行(ゆ)きき。
猶(なほ)追ひ、亦(また)其(そ)の右の御(み)美豆良(みづら)に刺しし[之]湯津津間櫛(ゆつつまぐし)引き闕(か)き[而]投げ棄ち、乃(すなは)ち笋(たかむな)[=たけのこ]生(お)ひ、是れを抜き食(は)みし[之]間(ま)に逃げ行きき。

いざなぎの命は、黒御鬘(くろみかずら=蔦の冠)を投げ捨てられたところ山葡萄が生えたので、拾って食べている間に逃げて行かれました。
 尚追い、再びその右の鬟(みずら)に刺していたゆつつま櫛を引き抜き、投げ捨てられたところ筍(たけのこ)が生えたので、抜いて食べている間に逃げて行かれました。

伊邪那岐の体の一部を食物として、遣豫母都志許賣に与えたとも解釈できると思う。なので人食と関係あるとみなすことも可能である。

また似たような事を、須佐之男も後で行う。

ちなみに、クロノスをその息子と娘が、彼を血液の雨にしてからその力を吸い取り、急成長するという話があるが、これとは関係ないと思われる。これはゲルマン神話のユミルと関係ある。

古事記に人を食べる話がいくつか出るが、それらは全て=で繋がるとまず考える。そして、上記で述べた西シベリア民話に関する予想と、クロノスやユミルの血液プールの話と、三種を比較して、三種の中で一番部外者を出す事で、古事記は西シベリア民話に近い感性で作られてる事が明らかになるハズだ。

須佐之男の前に、須佐之男に殺された女神の話を参照しようか。

又食物乞大氣津比賣神
爾大氣都比賣自鼻口及尻種種味物取出而
種種作具而進時
又食物を大気津比売(おほげつひめ)の神に乞ふ。
爾(かれ)大気津比売の、鼻口と[及]尻と自(よ)り種種(くさぐさ)の味物(ためつもの)取り出でて[而]
種種(くさぐさ)に作り具(そな)へて[而]進(すす)めし時、

速須佐之男命立伺其態爲穢汚而奉進
乃殺其大宜津比賣神
速須佐之男命、立ち伺(うかか)ふに、其の態(さま)穢汚(きたな)く為(し)て[而]奉進(すすめまつ)り、
乃(すなは)ち其の大宜津比売の神を殺しき。

また、食物を大気津比売(おおげつひめ)の神に乞いました。
 すると、大気津比売の、鼻・口と尻から種々のおいしい物を取り出し、 様々に調理して具(そな)え、献上する時、 速須佐之男命は、それを窺うと、その様子は汚く、そのまま献上しようとしていました。 そこで、その大宜津比売の神を殺しました。

故所殺神於身生物者 於頭生蠶 於二目生稻種 於二耳生粟 於鼻生小豆 於陰生麥 於尻生大豆
故是 神產巢日御祖命 令取茲成種
故(かれ)、殺されし神の身(み)に[於]生(な)りし物者(は)、頭に[於]蚕(こ)生(な)り、二目(ふため)に[於]稲種(いなくさ)生(な)り、 二耳に[於]粟(あは)生(な)り、 鼻に[於]小豆(あづき)生(な)り、 陰(ほと)に[於]麦(むぎ)生(な)り、 尻に[於]大豆(おほまめ)生(な)る。
故(かれ)、是(これ)神産巣日御祖命(かみむすひのみおやのみこと)に取ら令(し)め茲(ここ)に種(たね)と成せり。

 すると、殺された神の身から生った物があり、頭には蚕が生り、二つの目には稲が生り、 二つの耳には粟が生り、 鼻には小豆が生り、 陰部には麦が生り、 尻には大豆が生りました。
 そこで、これらを神産巣日御祖命(かみむすひのみおやのみこと)に取らせ、ここに作物の種としました。

まず自分の体の一部を切り取って食事にできる人が死んで、その人の遺体は、作物の種子になる。

風の親分にて。

一番上と2番目の娘は、おじいさんに言われたことやコトラの言いつけを守らず、トナカイの生皮をなめして「新しいきもの」「長ぐつ」「手ぶくろ」をきちんと作り上げることができず、雪の中へ追い出されて死んでしまいます。
三番目の娘が、おじいさんやコトラの言いつけを守り、トナカイの生皮を美しくなめして「新しいきもの」「長ぐつ」「手ぶくろ」を作り上げて結婚し、吹雪が止みます。”

まず、オーディンの場合は、ユミルの遺体で世界創造をする。メソポタミアでは、ティアマトが死んで彼女の遺体で世界創造がされる。

ティアマトとユミルは同じ神とみなす。
すると、大氣都比賣が異なる事が知れよう。世界創造は、大氣都比賣ではなく、伊邪那岐と伊邪那美がやっている事である。既に別の神がやっている以上、

この部分は、古事記と/ゲルマン神話、ティアマト神話/、が完全に別種と見れる。なぜなら、世界創造のやり方が全然異なるからである。つまり、共通の役割を、分担されて、大氣都比賣から伊邪那岐や伊邪那美が分離されたというのが無い為であるから。

風の親分
”おじいさんと三人の娘が住んでいます。
ひどい吹雪を止めるために、一番上の娘から順に風の親分のコトラのところへ嫁に行かせます。”

逆にむしろ、おじいさんが、娘三人を派遣するのは、

於是天神諸命以詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神修理固成是多陀用幣流之國
是(ここ)に[於]、天つ神の諸(もろもろ)の命(みこと)、以ちて詔(のたま)はく、伊邪那岐(いざなぎ)の命、伊邪那美(いざなみ)の命の二(ふた)柱の神に、是の多(た)陀(だ)用(よ)幣(へ)流(る)[之]国を理(すぢ)を修(なほ)し固め成せとのたまひ、

そのとき、天つ神が皆で、伊邪那岐(いざなぎ)の命、伊邪那美(いざなみ)の命の二柱の神に、このただよえる国の姿を整え、土地を固めるよう命じ、天沼矛(あめのぬぼこ)をたまわりました。 そこで二柱の神は天つ浮橋にお立ちになり、沼矛(ぬほこ)で下を指して、その先で線を引くように動かしましたところ、コヲロコヲロと鳴りながら描かれました。 そして引き上げたところ、その先から垂れ落ちた塩が積み重なり、できた島が淤能碁呂(おのごろ)島でございます。

の方に近い。飽くまでも近いである。

変遷が分かる。

ハプログループN(サモエード)時代を、フィンランド人は、世界創造の女神三人という形で残している。一応サモエードは、ハプログループOより、フィンランド人の方に人種が近いはずである。ちゃんと読んでないが、この人は、古事記を語るときに、オセアニアとかも持ち出している。

がしかし、”上層部(風の親分においては、おじいさん、古事記においては、天神諸命が、部下(娘三名、もしくは、伊邪那岐伊邪那美コンビ)を派遣している点は、似ている、アウズンブラは、(多分)、オーディンら三人に、殺せと命じてない、と思うし、仮に命じた(ゲルマン神話のエッダじゃないやつで、母親が息子三名を派遣して、昔の彼氏を殺そうとして殺す話があるので、アウズンブラもオーディンら三名に、ユミルの殺害を命じた可能性がある)としても、

別に風の親分のおじいさんにしても、古事記の天神諸命にしても、殺せという命令を出した訳ではない。逆に元彼を殺そうとする女とアウズンブラに関係性があるなら、重要なのは、”殺す” ”男性を殺す” とかであり、”世界創造” とか、”新しい着物を作ってくれ”ではない、創造を要求した訳ではない、殺害と創造は別種である。なぜなら、この元彼を殺す女は、息子たちの為に、殺害道具を渡して、それを使って息子らは彼女の命令を遂行しているハズである。彼女の目的として、まずこの男性を殺すという目的意識から始まり、それに必要な道具を、”創造する”という段階に移っている為、無関係。命令する本人が創造も兼ねる為である。ここで武具を作成したのが、殺害の命令を受けた息子たちの方なら、逆に似てると言えるかも知れないが、変遷のプロセスはそれを許さなかった。なぜならゲルマン神話と古事記は無関係である、つまりどちらかがどちらかから学んだという関係に多分ない、

もしくはあったとしても、人種や感性や文化や状況が異なる為、自分たちの文脈で創造を推し進めるようになる為である。またこの殺害女の武具作成と、世界創造は、別物である。逆にアウズンブラから学んで、この殺害女が作られたと考えられる。

サモエード及びその他ハプログループNには、三人の女性(娘、乙女)が必須の項目だと思われる。古事記ではこれは消失したと思われるが、”上層部が部下に命令を出し、別の場所へと派遣させる"ってパターンが残ったか強化された可能性はある。

だから関係ある。しかも”殺す”命令は出していない。”創造”の命令である。

もう面倒だが、須佐之男は爪を剥がれた上で、大氣都比賣を殺した罪で派遣された先で、自切して、船とか創造しているハズである。”派遣されてから創造”が踏襲されてる。ただ彼は”派遣”ではなく、”追放”に置き換わっているが、古事記のときに、風の親分に見られるように、元々”派遣”だったのが、”理由はどうあれ旅先、地元から離れたところで、もしくは追放された先で”に置き換わっていったのかも知れない。ただ、”地元から離れた場所” という根幹が保たれているように思える。

それと殺されるのが女性の役割である。これは西シベリア民話も、風の親分も、古事記も共通である。逆に、ギリシャ神話や、ゲルマン神話では、殺されるのは男性の役割である。ただしティアマトは殺されてるが女性である。

俺の考えは、ハプログループNが変化し、ハプログループOになったということ及び、サモエードはハプログループNだが、古事記民族はハプログループOである、という考えから作られてる。

なので、”風の親分→古事記という流れで進化”という思い込みがある。

が! 逆にクロノスと、西シベリア民話で似ているところがある。クロノスは占いで、自分の息子娘らが、自分を殺害するという占いを受けて、彼は自死を避ける為に、息子と娘を次々と食べて腹の中に収めて、

それが地獄から開放されて、開放したのは妻で、そして彼らはこぞってクロノスを殺して、予言が実行されて、彼は血液の雨になって、息子と娘を急成長させた、という内容だったと思うが、

ポイント:一番最初に男性が命を狙われるところからスタートしている点。

ほとんど関係ないが少しはあるかも知れない。というのも、ギリシャは違うが、微細にノルウェーやスウェーデンには、ハプログループNが入っている筈ですから。の為である。

あと風の親分と西シベリア民話の関係性に関し、風の親分では、まずおじいさんが凍えて死にそうなところからスタートしていると思われる。でなければ、風の親分に供物を捧げる必要などなくなるからである。娘たちの側の需要からではないと思われる。

なので、おじいさんが死にそうだから死を回避するため、この時点ではまだ彼は命を狙われる存在ではない、

古事記においては、天神諸命は自分の命を守る為に、彼ら伊邪那岐伊邪那美コンビを派遣したとは言及されてない。

可能性として、ハプログループN→ハプログループOの変遷時に、命令役が死ぬ危険性が消えた可能性がある。あと命令者が、ハプログループN時は、必ず男性だったのが、ハプログループO時には、性別によって区別されず、そのときに応じるように変化したかも知れない。

だから何? 古事記民族はハプログループOの中の一種だ。ついでにいえば、これの古事記紹介者は、邪馬台国に関する記述にも目をつけているみたいだ。彼がもし邪馬台国と古事記民族の関係性を狙っているならそれが知れるかも知れないし、

と同時に、弥生人と古事記民族は別種となる。邪馬台国と弥生人は別種だからだ。
多分・・・。

いやどうだろう?

ただ、俺は弥生人が、現在の西日本方言話者(名古屋弁も西日本方言に俺は入れている、他の人も多分そういう意見だろう)の直接の祖先と見ている、が、もしそれだと、古事記民族とは異なる、古事記民族はまず、宮崎県の日向市出身らしい。そして、東へ進み、西日本に入って、広島県や岡山県に、神社を作りながら東へ進んだが、東大阪市で戦闘になって、現地人に、兄と弟の武人のうち、兄の方を殺されて、これは和歌山県に埋葬されたとの事。

ということで、当時の地元民は既に現在の関西人とほとんど変わらず、お互いに異民族同士だったから戦闘になったと思われる。これがまず一つ目。

もしそのあと近畿地方や東大阪市の住民の入れ替わりがあったなら別だが、

あと西日本の人は西が好きだから西に住んでおり、東へ移動したがる古事記民族の方針や、元々東海岸の日向市が拠点となっていた点が、おかしい。これは俺的には重要な根拠である。しかも兄は、東大阪市で戦闘になり、怪我をまず負うが、そのとき、”我々は太陽の民族だから、日に背を向けて戦ってはならない”といって、”敵の反対側に回って戦闘を続行”しようとしたが、結局負けて逃げて、和歌山県で死亡し埋葬、という流れのはず。である。

彼も太陽の向きにこだわっているので、俺の言うことが理解できるかも知れない。東側と西側の差異が重要だとみなしていたからこそ、自分が怪我をさせられた原因を、”方角が悪い”と解釈したのであろう。

あとさ、今の西日本方言話者って、大抵仏教徒なんだよ。近畿地方も四国も素晴らしく仏教徒だと思うが。当たり前だが仏教徒は古事記信仰者ではない。

w、もし彼らが古事記民族なら、仏教の教えを身に付ける訳がないw、って訳だ。まともに宗教戦争やると、虐殺されるのはこっちなので、やりたくないが、実情はそうだ。俺はインド人よりは古事記民族に人種も感覚も住処も似ているので古事記の側に属すると言える。

なので古事記が邪険にされるのは当たり前である。西日本は最強であり俺は彼らに狩られる側であるからして。ただ仮に虐殺されようと、仏教に無理やり帰依ができないのは、信仰の問題ではなく、思考様式が脳の働きで古事記的になるようにされており、自分の考え方を、人種レベルで改める事ができない為である。脳みそを入れ替えないと俺は仏教に帰依できない。入れ替えたら俺は手術中に肉体が死ぬか、もしくは俺という人格が消えて俺はこの世界から消える。

のどちらかになる。

もしムスリムが、”豚を消化する酵素がなく、豚を食べると腸炎を起こして死ぬ”肉体だったら、彼らに豚を食べさせるのは毒殺と同じである。毒殺する民族の方が邪悪であり、毒殺を避ける為に宗教で教育している彼らの方が正しい。なぜなら、逆らっても豚食っても死ぬ状況なら、豚食うより逆らった方が勝てる可能性が残るため、生存する可能性を残せる為である。

と同じことを仏教徒や西日本方言話者は俺に架しているといえる。つまり服毒自殺させてやるから命を助けてやると言われても、それに応じる事ができないって事だ。刃物を渡されて、割腹自殺を要求されてる状況で、武士でない俺は、その刃物で逆らわなきゃいけない。

風の親分の三人の娘の創造しなければならないものは、固有名詞で指示者から指定されていたが、古事記では、”国を作れ”程度の緩いものになった、そして固有名詞による限定性は、創造した後の島々に対し当てられる事になっている。入れ替わりや変遷が見える気がする。

また、死は、創造失敗=命令遂行失敗、に対する報いとして、風の親分では行われているが、古事記では、伊邪那美は過労死、伊邪那岐は、”命令遂行が中断されたから”から、”伊邪那美の命令違反”よりであると思う。

命令する役割は女性へと移っていった。伊邪那岐から天照へと権力の譲与が見られる。但し風の親分の命令者は、おじいさんやコトラである。

機織り女が、機織り機の長いもので、Vaginalを突き刺して死んでいる事や、セックスしすぎで死んだ伊邪那美のことを考えると、性行為への忌避感も感じられる。長い物は男性器だと考えられる。機織り女は性行為したら死ぬという事だ。

風の親分では、なんとも言えない情報しか明かされていないが、西シベリア民話だと、男の言いつけを守らなかった長女と真ん中娘まで死亡し、末っ子の妹だけが、命令を守って男から認められた後、自分から、父親に二人で面会に行こうといって、男が父親に、二人で別の場所へ行って暮らす予定だと話して、去っていくって話だから、

彼女が父親に二人で会いに行こうと言ったのは、彼女が男に結婚や、付き合いの申し出をしたという意味だと考えると、性交渉は彼女から申し込んだとも取れる。※これは性行為への忌避感が薄いと取れる。性行為を忌避する女性は自分から結婚の申し出をするだろうか? 

ファックすることを前提に結婚するんならそうならない。そういう条件なら男性だろうと女性だろうとそうしないだろう。だから申し込んだ人はファックする予定で申し込んでいる事になる。

多分な。

この点はハプログループNからハプログループOにかけて変化したと思われる。あと俺にとってこれは重要な差異な可能性もある。もし俺がハプログループNなら、というか、女性がファックしたがる民族に属するなら、古事記民族とは異なるか、もしくは致命的差異になる可能性もある。古事記民族はそうじゃない。多分。

つか女性どころではない。男性も同じ事だ。性行為が男性とか女性とか関係なく、忌避される文化か、それとも歓迎される文化かのどちらかだ。

いや。しかし伊邪那岐は、一応引き続き国造りする為=伊邪那美と引き続き性行為を続けたかったと見れるし、須佐之男も、報酬として、娘をファックさせてもらったとも見れる。

なら男女で役割が決まってるという事になる。あとコトラと末っ子は結婚している。生き残って結婚できる女性が末っ子なのは、原初の女性らしい女性の、伊邪那美が、伊邪那岐の妹である点に継承されてると思うし、今日の日本で、割と高い確率で、”妹萌え”は見られる。古事記で妹萌えに関しては、ある程度肯定されてる。またもし彼が、サモエードに近い人種なら、尚更そうであろう。

ただこの要素は、伊邪那美の代で古事記では終わる。と思う。天照は長女だったりする。あとファックしない。ファックしない女性は有能で権力者である・・・これはサモエード的感覚が少し残る時代から変遷していったのを神話で微細に残した結果と言える。天照時にはもうその感覚は払拭されたと見れる。ただ天照は独身を貫ぬくだろうけど。パズルを組み替えたと言えるか。

伊邪那美と天照は、天照の方が価値あると見られてるだろう。・・・神道では。ただ国を創造するのは重要な役割なので、古事記の文脈では実は伊邪那美も重要だったりするのだ。基盤はサモエードという示唆があるのだろうか。ハプログループOに推移した後にも。というところか。

そして伊邪那美の活躍のシーンは、日本書紀で削られているという。伊邪那美が要らなくなったということは、ほぼ完全にサモエード的感覚を払拭しだしたって意味だろう。<strike>日本書紀も神道肯定文学だと思われる。つまり古事記=神道ではない。神道にも派閥がある。異なる人種と文化がある。無論日本書紀=神道でもない。</strike>

でも日本書紀は、天照の権力を削っているとの見解が正しいみたいだから、しかし神道で天照は一番重要な神な訳で、日本書紀は神道を否定しているのか。

strike部分は打ち消しである。神道は古事記によってのみ肯定される。日本書紀は神道を否定する思想である。日本書紀は最終的に、伊邪那美だけでなく、天照も消す予定だろう。そしたら神道の棚の真ん中が不在になる。そしてこの主神が書き換えられたら、これは神道とは呼べなくなる。

しかもこの神道では、棚の中に三柱の神の名前を収めるのがルールだが、この三柱というのは、カレヴァラに出る三人の自然の乙女、風の親分に出る三人の娘、アッラーフの原型の神の子分みたいだった三柱の女神、朝鮮の民話で流れてきて、三人の男が山分けする、三人の女性、とかと関連性があるだろう。

? ということはムスリム化する以前のアラブ人と、フィンランド人とある程度関係性があった可能性はあるな。両方とも遊牧民族である。

ただこの三という数字がこの業界で頻出単語なだけな可能性もある。三柱の神をアウズンブラは作っている。

が! 男性と女性とという点で異なる。アウズンブラは女性である。

三人の自然の乙女を創造したのは、” 「カレワラ」の世界での最高神、祖神は至高の神ウッコです。このウッコから3人の自然の乙女が生まれ、”

なのでウッコだが、これだけでは、ウッコの性別は不明だが、女という言及がない場合この神は男性だろう。なぜなら自然の乙女の方に彼女らは女であると指定が言及される為である。逆に旧約聖書と違い、”顔が不明”という描写もない。”顔が不明”なパターンは珍しいだろう。というかなぜYHWHが顔を隠したかと、その真意を問えば、彼女は女性になるかも知れない。
男女以外の性別を登場させる意味はカレヴァラに後ほどそういう登場人物がおり、尚且つ後で種明かしなどされない限り、無い。話をややこしくするなら、その文面が要る。YHWHの顔が不明な描写は、第三の性別だと彼女を示す為であろうと思われる。なのでこれが有る場合は、YHWHのような形式に近い形で説明があらねばならない。

”イスラーム以前のアラビアは多神教で、カアバ神殿には360の神々の聖像が祭祀されていたという。その最高神がアッラーフだったと考えられている。アッラーフにはアッラート、マナート、アル・ウッザーという3女神が従っていたという。”

だそうだ。この多神教の内容と、ウッコに関する内容を比較して関連性が見いだせればいいだろう。恐らくあるだろう。ただ調べるのが困難。なぜなら白人の考えに違反しているからさ。これは両方に係っている。

『サモエード』

『サモエード』 earthsolute 作

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-08-23
Copyrighted

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