Fate/defective c.15

第11章

「行ってきます。いい子でね」
 そう言われて、一人、叔父と叔母の家に取り残された。
 寂しいのは分かっていたが、実際一人にされるとただ寂しいだけだった。
 叔父と叔母は善い人たちに見えた。けれど与えられた寝室の、慣れないベッドで眠るのは、自分一人だった。夜の細かな家鳴りや、マットレスの軋む音、窓の外の植木のざわめき、車の通り過ぎていく音などが、いつも以上に自分を攻撃してくるように思えて、あたしは毛布を被り、眠りに落ちるのを待ち続けた。毎晩一緒に眠ってくれる両親は、今頃日本にいる。
 あたしはずっと、辛抱した。
 ひと月ほど経って、父と母と、もう一人が帰ってくる予定の日を過ぎた。その頃のあたしは毎日玄関に立った。
 よほど不憫な子供に見えたのだろう、叔父と叔母は際限なくあたしを甘やかした。けれど何も満たされなかった。デパートで食べるパフェも、新しい洋服も、何もかもが驚くほど心に響かなかった。或いは、喜びを感じても、すぐに砂の城のように崩れて消えてしまった。
 ふた月め、見慣れない二つの小さな箱と、布に包まれた棒が届いた。
 それを叔母は両親だと言った。それから葬式のようなことをした。幼いころのあたしには意味がよくわかっていなかったが、両親とあの人は死んだのだということだけははっきりと伝えられた。家から自動車で3時間ほど走ったところにある公園墓地の隅っこに、二つのささやかな墓標が並んだ。叔母があたしに用意した黒のワンピースは、サイズが小さすぎた。

「聖杯戦争に行って、殺されてしまったんですって」
「可哀そうに。あの娘はどうなるのかしら」
「魔術師の血を引いているから、このままベネットさんのところに……」
「姉夫婦の遺産なら妹のベネットの家が管理するってよ。まったく、とんだ儲け話だ……」
「あの聖遺物は……」
「アリアナ。これからあなたはアリアナ・ベネットよ」
「アリアナ、勝手なことをしないで。あの棒に触ってはダメ」
「アリアナ、何度言ったらわかるの!私たちはあなたのことを心配して……」
「アリアナ!どこへ行くの、待ちなさい!」

 ふたを開けてみれば、叔父叔母は単にあたしの両親の遺産目当てだったのだ。いくら物を買い与えても、おいしいデザートを食べさせても、あの人たちは結局、あの寂しい夜にあたしを一人で寝かせていた。部屋が女の子らしい物で埋め尽くされようとも、そこに本当に存在したのは彼らによって与えられた孤独だけだった。
あたしはアリアナ・アッカーソンだ。ベネットの姓なんていらない。広大な部屋も溢れんばかりのドレスも全て無意味だ。あたしが欲しいのはただ一つ。

 両親を殺した、聖杯戦争をこの世から消すこと。


-

 セイバーの後を追って屋外の音楽堂らしき場所に足を踏み入れる。雨に濡れた座席が並び、奥にはステージがある。さながら、教会の内部のような光景に、アリアナは一瞬足をすくめた。
「アリアナ」
 その隣で、白いレインコートを着た小さな少女が彼女に声をかけた。首を振って、少女の手を掴む。
「いいえ。行くわ。離れるんじゃないわよ、エマ」
「ええ」

 豪雨となった雨が降りしきる音楽堂には、アーチャーの陣営と、バーサーカー、セイバーの四人がいた。もう一人、バーサーカーの背後に立っているのは見知らぬ老人だ。外国人に見える。塔の様に背が高く、堀の深い顔には年相応の皺が刻まれている。
「あの顔、どこかで……」
 なぜかその顔に見覚えがあるような気がした。記憶の糸を辿るが、はっきりとした根拠は出てこない。
「アリアナ。余計なことを考えないで」
 エマが感情の入っていない声で注意する。ムッとして、眉根を寄せた。
「分かってるわよ。監督役だからって偉そうにしないで。大体、なんであんたみたいな子供が監督役なのよ」
「それはこの間も説明した。わたしは時計塔のブロードベンド派から派遣された、この聖杯戦争の――」
「ああわかったわかった。いいから、せいぜい邪魔にならないようにあたしにくっついてなさい」
 エマは口を真一文字に結んで黙った。
 アリアナはセイバーとアーチャーの近くまで下りて行った。雨が容赦なく髪や服に染み込み、重たい。履きなれたローファーから、水が染み込んでうっとうしい。それでも毅然と前を向いて歩く。
「アリアナ!」
 酷い雨で声も届くかどうかあやふやになるほどだが、アリアナを見つけたセイバーがそう言ったのが分かる。セイバーはバーサーカーから視線を逸らさずに、隣まで歩いてきた彼女に話しかけた。
「アリアナ、バーサーカーにマスターが付いたようだ。しかも彼は時計塔スウェイン派の頭領と来た。これはかなり、……すごい状況だと思わないかい?」
「マスターがいようがいまいが、バーサーカーを倒す目標は同じよ。最優のクラスならそれぐらいやってみせて」
「了解、マスター。何かあったら危ないから、少し下がって待っててくれるかい?」
「……あのアーチャーは?」
 アリアナは横目でアーチャーとそのマスターを見た。アーチャーは矢の狙いをバーサーカーに定めているが、まだ撃つ気配はない。あのいけ好かない金髪碧眼の女マスターは、腕を組んでその隣に立っていた。
「バーサーカーに首を刎ねられそうになっていたから、ちょっとレーヴァテインを投げて助けてあげたんだ」
「は?」
 セイバーは殺気立つアリアナの声にも動じず、彼女の方を初めて見て、ふわりと笑った。
「そりゃ君が横にいたらそんなことしなかっただろうけどね、何か、彼の背中を見たときにピンと来たんだよ。直感みたいなものかな」
「敵を助けてどうするのよ!」
 目くじらを立てるアリアナに、セイバーは「うーん」と困ったような笑い方をした。
「ただの勘だけど、あのバーサーカーのマスターの思い通りにさせたら、大変なことが起こるような気がする。一騎たりともバーサーカーに倒されちゃいけない。何がどうなってるのかわからないけど……神霊の勘は割と頼りになるんだよ?」
「あんた今神霊じゃないでしょ。……まあ、分かったわ。とにかく今はバーサーカーの殲滅だけ考える」

「お喋りは終わったかね?」
 バーサーカーの背後に立つ魔術師が、ステージの上から声を張り上げた。座席の間に点在するアーチャーとセイバー達を舐めるように睨み、アリアナの横に立つ少女で視線を止める。
「おや? 知らない子供が迷い込んでいるが、誰だね、君は」
 少女はレインコートのフードを取って、一歩前に出た。
「ちょっと、エマ」
 アリアナが小声で制しても、少女は聞く耳を持たない。
「わたしはエマ・ノッド。父によって、時計塔ブロードベンド派より、この聖杯戦争の監督役として遣わされた。あなた達の目論見を成功させないために。そして『最悪の事態』を防ぐために」
 アーノルドは片眉を吊り上げた。
「ほう? 貴様らが想定する最悪の事態とは、どういうことだ?」
「聖杯に六騎の英霊の魂が注がれること。未熟な器に、有り余る神秘を注いではいけない」
 エマは毅然と言い放った。その容姿はほんの十歳程度の子供であるのに、その言葉はまるで成熟した魔術師を思わせる。アリアナはエマが今までとは違う人間に見え、ほんのわずかに眉をひそめた。
 アーノルドは厳しい視線をエマに投げる。
「未熟な器? そうか。貴様らにはあの聖杯が未熟で欠陥品であるように見えるか」
「ええ。貴方たちは、正しい聖杯を作り出すことは出来ない。技術も規模も十分でない、時計塔の劣等生の集まり。それが貴方たち、スウェイン派ですから」
「そうだとも。だからこそ作戦は『想定外』に失敗した。バーサーカーは暴走し、マスターは死に、十名あまりの魔術師と、五百人の人間が心臓を食われた。それでも、ワタシは六騎のサーヴァント全ての魂を聖杯に与えなければならない」
 アーノルドは苦渋の表情で言い放った。エマは冷静な声で反論する。
「いいえ。今なら収まりがつきます。貴方は既に一人のマスターの命、十人の魔術師の命、五百人の人間の命を奪った。そのことを深く懺悔し、奪った命の代償を払えば良いのです。さあ、認めてください。貴方の『作戦』は既に潰えました。これ以上殺しあっても、何の意味もない」
 凛とした声が灰色の雨の中に消えて、しばらく誰もが沈黙していた。バーサーカーでさえ、剣を降ろし、誰かが何かを言うのを待っていた。
 雨音が次第に弱々しくなっていく。
 最初に沈黙を破ったのは、アーノルドその人だった。
「……は。ははは、そうか、そうか。それが、キミ達の推測であり、結論であり、この聖杯戦争に何とか幕を下ろそうとする、無駄な悪足掻きか」
 彼は無理やり口角を上げ、歪んだ笑顔を形作った。それは嘲笑であった。
「及ばない。及ばないのだよ。キミ達はワタシの目的が達成されるその時まで、その真意を悟れずにいるだろう。……哀れな。愚かな。しかしそれでいい。六騎すべてが倒れたとき、いや、或いはそれよりも早く、キミ達は私の所業を目にし、最後の愚者となればいい。
 さあ、バーサーカー。倒したまえ。屠りたまえ。マスターたる、ワタシの偉業のために!」

 バーサーカーはその声に応えるように身を震わせた。彼の曲線を描く剣――ハルペーが街灯の灯りを一瞬反射して飛び出していく。
その刃が最初に狙ったのは、セイバーの首筋だった。
「なるほどね、戦う意思はないのに戦わせられている。可哀そうだ」
 セイバーは飛び込んで来た彼の剣先を一息に撥ね返した。ハルペーが宙を舞い、バーサーカーは吼える。セイバーはその隙に後ろを振り返り、叫んだ。
「アリアナ、エマを連れてなるべく遠くに行くんだ!」
「……分かった、魔力が供給できるギリギリのところにいる」
 二人が雨の中を走っていたのを見送って、セイバーはバーサーカーに向き直る。バーサーカーは一跳びでセイバーとの間合いを詰めてきた。
 バーサーカーの手から伸びた剣を、レーヴァテインが弾きかえした。バーサーカーはそれでも執拗に剣を突きつける。
 その顔はもはや何も考えていなかった。ただ命令されたからこなしている、そういう顔だ。バーサーカーというクラスらしくない。血に飢えてもいないし、何らかの義務感を持っていやっているわけでもない。何度弾かれてもまた次の刃を向けてくる。首、心臓、腹。急所ばかりを深く狙ってきて、外したら次。その攻撃は理性の塊だった。とにかく命を奪う最短の手段を冷静に選んでいる。
「全く、埒が明かないね!」
 レーヴァテインで剣を叩き落とした後にできた一瞬の隙で、セイバーはバーサーカーの額を思いきり剣の柄で殴った。予想外のところからの一撃に、バーサーカーは一瞬ふらつく。
「……セイバー……セイバーめ!」
「最初に会った時も僕のことは気に食わない顔をしてたね。何? 生前、フレイという神霊に恨みでもあったの?」
 バーサーカーは額を押さえながら、セイバーを睨んだ。アーチャーの首を刎ねようとしていた時はあんなに無表情だったのに、どうして僕と戦うときはこんなに憎悪に塗れた顔をするんだろう。
「アーサー……違う……お前は違う……けれど僕は……」
「……アーサー? ブリテンの騎士王、アーサー・ペンドラゴンか?」
 その名前を口にした瞬間、バーサーカーの目の色が変わった。分かりやすいほどに翡翠の双眸は怒りに猛り、言語を忘れたかのように咆哮する。
「セイバー……! 殺さなくては……でないと、僕は、僕はまた、お前に!」
「なるほど。僕じゃなくて、僕のクラスが嫌いなのか。もしかして、以前聖杯戦争に呼ばれたりした?」
 そうだとしたら、以前の聖杯戦争で彼はセイバークラスの英霊に倒されたのかもしれない。座に還っても記憶は残ると聞いているから、その時の恨みだろう。もしかしたら、バーサーカーというクラスで召喚されたのも、その聖杯戦争での行動が原因かもしれない。だとしたら……。
「おっと!」 
 考えに夢中になっていたせいで、襲い掛かってくる剣に寸前まで気付かなかった。何とか避けて急所は免れたが、頬に剣筋が入る。生暖かい血液が雨と一緒に流れていくのを感じながら、セイバーは笑みを浮かべた。その表情を見て、バーサーカーが不機嫌そうに唸る。
「何がおかしい」
「……いいや。おかしくて笑ってるんじゃない。これは癖みたいなものなんだ」
「分からないな。何故いつもへらへらと笑っていられる。どう生きてきたら、そんな風に―――いや」
 バーサーカーは僅かに目を伏せた。
「知っているさ。知っているとも。人を慈しむ心。同情の心。僕だって知っていることだ」
「……じゃあすぐにこんなことはやめろ。何故ふつうの、何のかかわりもない人間を五百人も死なせてここまで来た? 君が命を奪った人の中には、幸福があった。日常があった。それを壊して、どうしてここまで来たんだ」
「……どうして、か」
 バーサーカーの周りの空気が一瞬にして変わった。
 ――逆鱗に触れたか。
 セイバーは身構えようと剣を持ち上げる。だが、それよりも早くバーサーカーが満身の力を込めて体ごと飛び込んできて、よろけた拍子に剣が右手から滑り出た。
 すぐに後ろ手に剣を拾い、すんでのところで喉元へのハルペーの一撃を受け止める。キイイ、と耳障りな金属音が夜に響いた。
「教えてやろう。この世界のすべての幸福を願った、この世界のすべての不幸のためだ」
「言ってることが、抽象的すぎて、分からないな!」
 セイバーは初めて少し焦った。今までとは並はずれて力の入れ方が違う。渾身の力で受け止めても、押され気味になってしまうほどに強く刃を押し込んでくる。
「僕のマスターは彼だけだ。彼は世界のすべてが幸せでありますように、と願ったが、世界のすべてが彼を見放したために……死んだ。僕は彼を生き返らせて、今度こそ幸福な、まっとうな人生を送らせなければならない。そのためには、五百人の死など、簡単な代償じゃないか」
「矛盾している、と、思うけど……あっ!?」
 バーサーカーはセイバーが喋っている隙に、思いきり足をかけてセイバーの体勢を崩した。為す術も無く石畳に倒され、その鎧を纏った腹をバーサーカーの足が踏みつける。
「う、ぐっ……」
構えた剣はあっけなく弾かれ、ガシャンとけたたましい音を立てて遠くに落下した。
「矛盾だと? それが何だ。何が間違っている? 彼の幸福のために、君たちを皆殺しにする。ただでさえやっかいな令呪のせいで余計な手間を取られているんだ、おとなしく死んでくれ」
 バーサーカーの剣が無防備なセイバーの胸元めがけて振り下ろされた。
 グシャ、と肉を貫く音と共に、生温かい血が雨と一緒に滴る。

「……気丈な」
 セイバーが咄嗟に突き出した右腕に深々と刺さったハルペーを抜きながら、バーサーカーは舌打ちをした。深紅の血が仰向けに倒れているセイバーの顔に落ちる。二人が一瞬にらみ合ったその時、遠くから声がした。
「セイバー!」
 アリアナだ。バシャバシャと水音を立ててこちらに走ってくるのが分かる。
 バーサーカーがそっちの方を見て、目を細めた。
 ――― まずい。
「マスター! 駄目だ、こっちへ来るな!」
 叫んだのとほとんど同時に、バーサーカーがセイバーの身体を飛び越えてアリアナの方へ駆けだす。セイバーもすぐに身体を起こして後を追うように走る。右腕から鮮血があふれ出して、地面に滴り落ちる。
 アリアナが怯えた表情で足を止めるのが、遠く離れたバーサーカーの背中越しに見えた。
「やめろ!」
 その声も虚しく、ハルペーがうねって形を変える。振り上げられた大鎌が、灰色の雨に濡れて鈍く光った。
 ダメだ。手が届かない。あと一歩なのに、間に合いそうにない。その一瞬が永遠に思えるほどに、刹那の静寂が耳にこだまする。
「アリアナ――――!」

 叫んだ声に応えるかのように、バーサーカーが突然振り向いて、こちらを見た。
 彼の黒衣が翻って、直後、大きな刃が、寸分違わず首元へ飛び込んでくる。
 その翡翠の双眸は、どこまでも冷徹な色を湛えていた。


「…………ああ」



 どさり、と質量のある音を立てて、それは落ちた。
 それが何なのか、あたしは上手く確認することができなかった。その瞬間から、脳髄が麻痺したような感覚が頭にとりついて離れない。だから見れなかった。すぐに細かい光の粒子にばらけて、消えてしまったからかもしれない。
 あたしが唯一、一瞬だけ目にしたのは、首から上の無い、セイバーの鎧を着た何かだった。
「あ」
 頭の奥が痺れて働かない。心臓が鷲掴みにされたように苦しい。隣でエマが何か言った。分からない。足元に目をやると、どす黒い液体で染まっている。
 それらもすぐに、金色の光の粒にばらけて消えて行った。
 砂嵐みたいに舞う光の中で、黒いマントを着て、大鎌を携えた彼の背中が見える。
 分からない。分からない。痺れて動けない。固まって、働かない。
 網膜に永久に張り付いた、首のない何かの姿を見つめながら、あたしは光の粒と一緒に意識を手放した。

Fate/defective c.15

to be continued

Fate/defective c.15

第11章

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-17

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work