ニコッとお題集

ニコッとお題集

「無機質な涙」/睡蓮さん提供

タイトル:祝福のひと時を

 バーラは小川のほとりで、静かに空を眺めていた。木の幹に体を預けて、大好きな空想に思いを馳せる。目を閉じて、小川のせせらぎや風が草原を撫でる音に耳を澄ませていると、背中からドク…ドク…と木の鼓動が感じられるようだった。サシャの花のこんがりと焼いた菓子のような甘い香りが風に乗って、バーラの元にも届いていた。もうすぐ、この山に囲まれたトマラにも春がやってくる。
 「こんなところで昼寝をしては風邪を引くぞ。」
 ふいに頭の上から降ってきたその声は、まるで幾千もの戦の中を駆け抜けてきたような、どこか張りつめたような声だった。カチャカチャという金属音とともに男の荒い息遣いがかすかに聞こえる。
 バーラは目を閉じたまま言った。
 「昼寝なんかしていないわ。木の声を聞いていたのよ。」
 男は一瞬驚いたように言葉に詰まっていた。バーラは構わずに続ける。
 「木だけじゃないわ。小川のせせらぎや風や虫の声に耳を傾けるのよ。そうするとね、自分もこの風と一緒にどこか遠い世界に行けるような、そんな気がするの。」
 柔らかな風がバーラと男を包む。バーラの栗色の髪が少し高揚した頬に触れた。
 「私も、連れって行ってはくれないだろうか…。」
 男は独り言のようにつぶやいた。
 バーラはゆっくりと目を開け、目の前に佇む鎧姿の剣士を見上げた。剣士ははるか向こうの山の尾根を寂しげに見つめながら、再び口を開いた。
 「そなたは、どこに行きたい?」
 「どこでもいいわ。ここじゃない場所。」
 剣士は驚いたように、バーラに視線を戻した。傷だらけの精悍な顔つきのその剣士は切れ長の目を微かに見開いたが、やがて微笑みながら言った。
 「では、私と同じだな。」
 「あなたもつらい今を生きているのね。」
 バーラは幼いその顔に同情の色をにじませながら、剣士に言った。その一言に剣士は目を丸くして、そして声をあげて笑った。その笑い声は、傷を負い、命を背負い、強固な鎧に身を包むこの剣士からは想像できないような朗らかな笑い声だった。
 ひとしきり笑った後、剣士は言った。
 「そうだな。今の時代、皆が苦しみ、それぞれが己の精一杯を生きている。戦など、何の役にもたたぬ。」
 「あなたはそんな戦から逃げてきたのね。山の向こうで戦が始まったって母さんが言ってたもの。」
 バーラの表情からは恐怖は感じられなかった。剣士は感心したように言った。
 「そなたは歳に似合わず、妙なことを言うな。…どれどれ。」
 そう言って剣士は、バーラの横に腰をおろし、木の幹にドサッと鎧で重くなった体を預けた。
 「鎧を着たままじゃ、木の声が分からないわ。」
 バーラが心配そうに言うと、剣士は空を仰ぎ、ゆっくりと目を閉じた。
 「あぁ、そうかもしれぬな。木の声も、風の声も虫の声も…私には聞こえぬ。」
 「泣いてるの……?」
 バーラは立ち上がり、目をつぶり、空を仰ぐ剣士の顔を覗きこんだ。不思議そうに首をかしげるバーラは再び剣士の横に腰を下ろすと、今度は剣士の体に自分の身を預けた。
 「これは私の涙ではないさ。」
 「そうなの?」
 「あぁ。」
 「じゃぁ、誰の涙?」
 バーラの問いに剣士が答える事はなかった。


**

睡蓮さんから「無機質な涙」と言うお題をお借りしました。
素敵なお題をありがとうございます。

無機質という言葉はよく耳にしますが、正確な意味を知らずググりました。
生命活動が関わらない鉱物とか、ガラスのことを言うのですね。
そこから生命や感情が感じられない冷淡な印象を無機質とたとえることがあるそうです。このたとえは身近です。私も正確な意味を知らずよく使っていました(汗)

「幻」/月間お題

タイトル:幻の向こうへ

 冒険者は今日も『幻の花が咲く場所』を求めて旅をしている。
 そんな冒険者たちが足しげく通う一軒の宿屋がある。ここの店主は噂で幻の花の蜜を口にしたと囁かれる齢百二十を超える老婆だった。その噂を聞きつけた冒険者たちはこぞってここに宿を取り、老婆から少しでも『幻の花が咲く場所』の手掛かりを聞き出せやしないかと、躍起になっていた。
 冒険者、エリヒオもまた、そんな冒険者の一人だった。エリヒオは遠い東の小国からやってきた、まだ幼さの残る十五の少年ではあったが、剣術に長け、今までにもさまざまな冒険者と対峙し、さまざまな財宝や名誉を手にしてきた。
 エリヒオがこの宿屋の噂を聞きつけ、このメラスの町にやってきたのは今朝方だったが、いろいろと情報収集をするうちに日が暮れてしまった。木造の宿屋にはいたるところにつぎはぎされた個所があり、看板も傾いている。まるで満月の夜に浮かぶ黒魔女の棲家のようだった。
 「これはこれは、龍の剣の勇者様ではありませんか?」
 宿屋に入ろうとするエリヒオを引きとめたのは、何とも美しい銀髪の女性だった。買い物袋を抱えたその女性はアメーリアと名乗り、この宿屋で雇われているのだといった。
 「あなたも『幻の花が咲く場所』を探しているのでしょう?」
 宿屋の一階にある食堂に通されたエリヒオは、アメーリアから厚い歓迎を受けた。アメーリアはエリヒオにお茶を差し出すと、決まり切ったように尋ねた。
 「ええ。ここへはある噂を聞いて、やってきました。」
 「アクサナは今はいませんよ。」
 「え?」
 エリヒオは驚いてアメーリアの方を見た。
 「あなたもアクサナの噂を聞いて、やって来たのでしょ?」
 「え、ええ。幻の花の蜜を口にした、と。」
 エリヒオは急に人が変わったようにその表情に暗い影を落とすアメーリアを見ながら恐る恐る続けた。
 「その…アクサナさんは本当に幻の花の蜜を口にされたのですか?」
 その言葉にアメーリアはため息をついた。今までに何度も噂を聞きつけてやってきた冒険者たちに同じような質問を投げかけられてきたに違いない。その表情には少しの煩わしさと少しの哀れみの色をにじませて、アメーリアは言った。
 「冒険者は皆、『幻の花の咲く場所』を求めています。仮にその場所を見つけられたとして、あなたはどうしますか…? アクサナのように蜜を飲んで呪われた力を望むのですか?」
 「呪われた力…?」
 「アクサナは十七の時に花の蜜を飲みました。そして、不老不死の体を手に入れたのです。」
 「でも、噂では百二十を超える老婆だと…。この町の人もそう言っています。この宿を訪れた事のある他の冒険者にも、そう聞きました。」
 「本当は十七歳の少女なのです、見た目は。百二十年間ずっと。そして満月の晩、アクサナは一時、もとの自分の姿に戻るのです。骨が砕け、身を裂かれるような痛みに身をよじり、顔をゆがめながら人が形を変えてゆくのは、おぞましいとしか言いようがありません。そんな光景を私は何度も見てきました。あんな呪われた花など、この世からなくなってしまえばいい。」
 苦しそうに肩で息をするアメーリアはなおも怒りに身を震わせていた。エリヒオは立ち上がると、テーブルの脇に立つアメーリアに椅子に座るように促した。自分も再び席に着いたエリヒオは、アメーリアと向かい合う形でしばらく考え込むようにして視線を足元に落としていた。
 「確かに冒険者たちは『幻の花の咲く場所』を探しています。僕もそうです。体の弱い母に元気になってもらいたくて、僕は十二の時に冒険者になりました。残念なことに、去年の夏に母は死にましたが、僕はまだ冒険者を続けています。」
 「…なぜ?」
 「多くの冒険者が求めているのは永遠の命なんかじゃありません。きっとそれは、永遠の命よりも価値のあるものですよ。」
 「永遠の命より、価値のあるもの…。」
 アメーリアはそう言ったきり、何か考え込んだように何も言わなくなってしまった。
 その夜は風もない静かな晩だった。
 エリヒオは食堂の方から聞こえてくる微かな物音に目を覚まし、とっさにベッドのわきに立てかけていた剣をとった。しかし奇妙な物音はそれから一、二度聞こえただけですぐに聞こえなくなった。エリヒオは細心の注意を払いながら部屋を出た。手には剣を握りしめ、音のした食堂へと忍び足で階段を下りてい行く。
 食堂に近づくにつれ、声が聞こえてきた。それは人間のうめき声だった。
 もしやと思ったエリヒオは食堂の入口まで駆け寄り、戸口の陰からそっと中の様子を見た。食堂の中央には若い女性が一人。寝間着姿でエリヒオに背を向けていたが、その姿はどこかアメーリアに似ている。しかし、そのうめき声はアメーリアのものではない。
 エリヒオは眉をひそめた。次の瞬間、女性はこれまで以上にうめき声を大きくして身もだえ始めた。
 「!!」
 エリヒオの脳裏に昨夜のアメーリアの言葉がよみがえる。
――――満月の晩、アクサナは一時、もとの自分の姿に戻るのです。骨が砕け、身を裂かれるような痛みに身をよじり、顔をゆがめながら人が形を変えてゆくのは、おぞましいとしか言いようがありません。
 アメーリアの言うとおり、その光景はエリヒオには見るに耐えがたいものだった。エリヒオはその表情に十五歳の面影をあらわにし、身を震わせた。
 その時、エリヒオの心に落ちた黒い影は、きっとエリヒオが冒険者を続ける限り、ぬぐいきることは出来なかっただろう。
 翌朝、エリヒオは宿を後にした。とうとうアクサナに会うことは叶わなかったが、エリヒオは少しホッとしていた。きっとアクサナを前にすれば自分は恐怖に震えあがり、まともに会話することもままならなかっただろう。エリヒオはかなしげな笑みを浮かべながら、故郷である東の小国、ラエルへと続く長い帰路についた。
 「待って下さい!」
 メラスの古びた町並みを歩くエリヒオが呼び止められたのは、宿を出てしばらくたってからだった。エリヒオは驚いた。振り向くと、長い銀髪を朝日に輝かせながらアメーリアがこちらへ駆けてくるではないか。エリヒオは少し後ずさったが、唇をかみしめながら意を決したように、その美しい女性が自分の元へ駆けてくるのをじっと見守っていた。
 「これ、持っていって下さい。」
 そう言ってアメーリアがエリヒオに差し出したのは親指の先ほどの花びらが一枚入った小さな小瓶だった。
 「これは…?」
 「あの花の花びらです。」
 その言葉を聞いて、エリヒオは目を丸くした。
 「きっとこれがあなたを『幻の花が咲く場所』へと導いてくれるはずです。」
 アメーリアははつらつとした声で言った。
 「僕は、もう…。」
 ためらいがちにいうエリヒオを見かねたように、アメーリアはエリヒオの手に小瓶を半ば無理やりに握らせた。エリヒオの体にかすかに力が入るのを感じ取ったアメーリアはその手を優しく包み込みながら言った。
 「いつか私にも見せて下さい。」
 「見せる…?」
 アメーリアはうなずいた。
 「永遠の命よりも価値があるもの…。私にも見せて下さい。」
 「でも……。」
 エリヒオを見つめるアメーリアの瞳は期待を含んだ優しい光を放っていたけれど、どこか寂しそうで、どこか悲しげで、エリヒオは言いかけた言葉をのみ込んだ。
 「私も今までに多くの冒険者たちを見てきました。長い冒険の中でたまたま宿を同じくした者同士が笑い合い、励まし合い、時には絶望を味わい、それでもなお新たな冒険の一歩を踏み出さんとする、そんな冒険者たちが幻の向こうにある何かを求めるというのなら、私にも見せてください。百二十年前には気付くことができなかった大切なものを、あなたが私に示して見せて下さい。」
 アメーリアの手によりいっそう力がこもった。
 「…どれだけ、時間がかかるか分かりませんよ?」
 エリヒオは言った。
 「かまいません。私には無限の時間があるのですから。」
 アメーリアは、笑っていた。そしてエリヒオもまたアメーリアの手を握りかえし、凛としたまなざしで答えた。
 「いつか、必ず戻ってきます。永遠の命に代わる価値あるものを手にして。」

**

勢いが付いてるうちに、いろいろと書く!!

今回は月間お題です。やっと参加できました、月間お題。
素敵なお題ありがとうございます。

命には限りがあるから大事なのだと、限りがあるから頑張れるのだと、私の大好きなアニメキャラも申しておりました…。

ニコッとお題集

ニコッとお題集

色々なお題をいただいて、短いお話を色々書き連ねていきたいと思います。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 「無機質な涙」/睡蓮さん提供
  2. 「幻」/月間お題