幸せを紡ぐ歌

初めてです! 処女作です!
よろしくお願いします!

第一章 一話

(……遅いな、獣に喰われてないといいんだが)

あの只人(ヒューマン)の娘が木の実を採りにいってから数刻が経つ。

俺が碌に木の実を口につけないのに関わらずあいつは毎日懲りずに採りに行く。

気に入っているのだろうか。

あの娘が木の実狩りに精をだし始めたのは1ヶ月ほど前。

あの娘と奇妙な共同生活をするようになってから2週間程度が経った頃だ。

食事は大抵、男が狩ってきた森の獣を焚いた火で炙って食べていた。

食卓はそれだけ。

それがある夕餉のときからなかなか手をつけなくなったのだ。

「……調子でも悪いのか」

心配していたわけでもないが、なんとなく素っ気なくきいてみた。

「……」

しかし娘はなにも答えない。

ただ腹をさすりながら食卓を、薄く開いた目で睨んでいるだけだ。

「食わないのなら俺がもらうぞ」

返事はない。

男はそれを黙認だと判断し、娘の食事に手を伸ばす。

「……んっ!」

が、それを娘はわりと本気で叩き落とした。

「……なんだよ、食うのか食わないのかどっちだよ面倒くせぇな」

「………なぃ…」

娘はぐっとなにかに堪えるように小さく呟く。

「…あ?」

「…まんなぃ……つまんない!!!!!」

なにが、かは言わずともわかった。

「……嫌でも食え。 死にたくなかったら食え。」

ここは森なのだ。

多種多数の生物が蔓延るサバイバル。

僅かな栄養不足、体調不良が死に直結するかもしれない。

しかし、俺も狩る獣は同じではないとはいえ、同じような食卓に飽きていないわけではなかった。

だがここは森だ。

食用の植物なんてわかりはしない。

そんなものは教わらなかった。

栄養を求めて得体の知れないものを口に入れて食あたりするものなら、それこそ本末転倒といえよう。

「…………ぃや!」

娘はまだ生まれて久しくない子供も子供。

駄々をこねるのもわからなくもないが。

「いやっつったってもお前……俺は植物にゃ詳しくねぇし、毒持ちの動物かどうかも見た目で判別してるぐらいだしな……」

「とってくる」

空腹的な意味でも精神的な意味でも限界なのだろう。 手を膝の上でプルプルと震わせている。

「ん?」

「とってくる!!!!!!」

そう言って娘は大口をあけて肉をかじると、飛び出していってしまった。

「………はぁ……ったく、お前も詳しいわけじゃねぇだろう…」

大きく一つ嘆息すると、パンと膝をたたいて立ち上がる。

仕方なく、娘を追いかけることにした。

なにせ、朝起きて帰ってこなかったと思ったら獣に喰われてましたなんて、目覚めが悪い。

それも、死因が食卓の彩りが悪かったからなどと。 笑えない。

髪を一頻り掻きむしると娘の走って行った方向に歩き出した。



(あいつ…どこまで行きやがったんだ…?)

こうして追いかけてきたはいいものの、子供とはいえ駆けて行った者を徒歩で追いつくはずもない。

踏み荒らされた草を見つけながらのんびり追いかけていれば追いつくだろうと思っていたが、もちろんそう上手くいくはずもなく。

術をもっているわけではない。

唯一頼りになるとすれば鼻。

しかしそれも薄く残った残り香を知覚できるほど優れているわけではない。

誰かが通ったと思しきところを見つけたら当てずっぽうで行き先を検討つけてきた。

夜も深まる頃、これはいよいよまずいと思っていたらふいに、少女の悲鳴が聞こえてきた。

「! こっちか」

とうとう獣にでくわしてしまったか、間に合うか。

目標に近づくにつれて娘の臭いが強くなっていく。
悲鳴が上がったのだ、なにもないということはないだろう。

打って変わって裸足で全力疾走。

妙な位置から伸びた枝葉を潜り、跳び越え、駆ける。

ついに見つけた娘のぴょこんと跳ねた亜麻色の癖っ毛。

果たして娘に襲いかかろうと唸っていたのは。

「クルルルル………」

「…!」

フォレストタイガーだ。

白い身体に黒い縞模様がはいっていて、棘のように伸びた体毛に覆われた身体はみ上げるほど大きい。

爪と牙は赤黒く汚れていて、それで数多の生き物を粉砕したのは想像に難くない。

特に牙は異常に発達しており、上顎から突き出るように生えている。

狩りの途中の獣に娘はでくわしてしまったのだろう。

逃げ回ったのか、娘の足は切り傷だらけになっている。

大木を背にして、追い詰められ森虎を蒼白な顔で見上げて、わなわな震えている。

それを一瞥すると、娘を庇うようにして森虎と向かい合った。

「ぅ…ぁ……」

安堵からか、娘はボロボロと涙を零した。

「……」

安否の確認はしない。 生きている。今はそれだけわかればいい。怪我云々は後だ。

「ルルルル………」

飢えた獣は邪魔をするなというように低く唸った。

「……お前いい牙持ってるじゃねーか?」
そう言って男は歯をむき出し不敵に笑った。

言葉は通じていないだろう。

だが男が退く気はないとわかると、森虎は噛み殺さんと獰猛な息を荒々しく吐きながら距離を詰めはじめた。

「ハルルルル……!」

「…なあ獣。 狩りの邪魔したのは悪かったし、せっかく目の前にエサがあるってんのにがっつけなくて苛立つのはわかる。 だがよぉ」

男はろくに構えもせず、ただただ口を動かす。

「ルルル…ル…ァ?」

異様な空気を感じたのか、森虎の歩みは見る見る内に遅くなる。

男の語気は強くない。

構えるどころか悠長に世間話でもするように口だけを動かしている。

だがしかし、森虎は確かにそれを感じ始めていた。

「お前も森に生きるもんなら知らないわけじゃねぇだろう。

ここは弱肉強食の世界だ。強者が弱者を喰らい、生きる糧とする」

男はただ淡々と森の理を説く。

ついに森虎の足は止まった。

森虎は震えていた。

森虎は特別成長が早くない。

体長からしてそれなりの年月を生きているだろう。

夜が更ける毎に草食肉食関係なく、寝こみ、あるいは活動中の対象様々な獣を襲ってきたのだろう。

我が最強

我が森の覇者

そう信じて疑わなかった。

その森虎が怯えているのだ。

ただの只人の男、常なら狩りの対象ともなり得るであろう種。

…いや。

こいつは果たして本当にただの只人なんだろうか。

森に彷徨いていた只人は何度となく襲った。

大抵の只人は声も発さず青い顔になって裸足で逃げ出す……もちろん逃がす道理はない。

それに比べこいつはどうだろうか。

逃げ出すそれどころか、怯えもせず正面から向かってくるやつなど今までいただろうか。

それだけではない。

この肉皮がビリビリする感じは…殺気だ。

この只人は、自分を殺そうとしている。

…しかしそれがどうした。

それでもこいつは只人だ。

いつも通り、襲って殺して喰らえばいい。

己が血肉にすればいい。

そしたら後ろの只人も食ってしまおう。 今から考えただけで垂涎する。

森虎は目の前の只人の認識を改め、再び距離を縮める。

「それとも勘違いしてるか? 俺はお前より弱いと。 狩りの対象だと」

森虎の身体が沈む。

「…そうか、ならこれから起こるお前の末路は……お前の落ち度だ」

男の瞳が獰猛に、獣のそれのように赤くギラつく。

森虎が飛びかかる。

「ルルルルルルルルァァァァァァァアアアアア!!!!!!!!!」

森虎は覇者の砲声をあげ、喰い殺さんと大口を開けた。

「俺は……っ!!」

拳を引き絞る。

肩肉が軋み、間髪入れず森虎の顔面に放つ。

型もなにもない、しかし森虎の巨体を吹き飛ばすには十分な暴力的な一撃。

「ギャンッッッ!?!?」

鋭く直線的に重い身体は浮き飛び、軋む音を立てて大樹に激突した。

木にはヒビが入り、枝葉が嘆くように散る。

……負けたのだろうか?

身体がピクリとも動かない。なにが起こったかもわから
ないし、正直知りたくもない。

信じられなかった。

ありえなかった。

自分は森の王者だ。

自分を殴り飛ばしたのであろう只人を見やる。

白く歪む意識の中で森虎はそれを見た。

月明かりに蒼く照らされた一本の角。

「……鬼だ」

間も無く森虎は意識を手放した。


「………」

森虎にとどめをさして牙と毛皮を剥ぎ取り寝床へ帰る。

娘の足は無事なようで、自分の足で歩けそうだ。

木の実は採れなかったようだが、このまま探索を続けるのは利口ではない。

先に行くぞと背中で示し、歩き出す。

しかし、娘は付いてくる気配がない。

置いていくぞと声をかけようと振り向くと、

「………ごめんなさぃ……」

俯きながら消え入りそうな声で謝罪をしている娘がいた。

「いいから帰るぞ、木の実のことはいい。 そもそも頼んでないしな。」

「ちがう!」

「何がだ…」

すると娘はもじもじするだけで、何も答えなかった。

「…難しいやつだな」

男は再び前に向き直ると、

「反省なら勝手にしてろ。獣の臭いが近い、気付かれると面倒だ」

そう言ってそそくさと歩き出した。

「……ん」

娘は聞こえないであろうか細い声で答えると、トットっと男の後ろについた。


娘を森虎から助けた日の次の夕方。

男は狩った獣の皮を食べやすいように剥いでいた。

自分は皮ありでも食えないことはないのだが、娘に以前皮付きで食わせようとしたのだが噛み切れていなかったため、こうした処置を施すようになったのだ。

陽が沈むと危険な獣が活発になるからと木の実狩りに行かせたのが先ほど。

そろそろ帰って来る頃だろうか。

(獣に襲われてないだろうか…)

あまり遠くに行くなと言い聞かせたし、それに娘の臭いもまだ強く感じる。

獣の臭気はない。

「焼けたか」

肉はほどよく焼け、味付けも香り付けも何もないが、煙を上げながらテカテカと肉を照らす脂は空腹感を擽るには十分だった。

男は周りより一際高い木に目をつけると、太枝にひとっ飛び。

娘を探そうと辺りを見回し……

と、視界がオレンジに染まり上手く視覚が働かないことに気づく。

見ると、暖かい光を放つ陽が今まさに沈もうとしてるところだった。

眩しかったが、鬱陶しくはなかった。

……娘に見せると喜ぶだろうか。

そんなものに興味を惹かれるのかと笑われるだろうか。

そんなことを考えながら夕陽に見惚れていると。

「おぉぉーーー!」

木の実をいっぱいに胸に抱え、いくつかこぼしながらこちらに手を振る娘。

夕陽に薄く照らされる娘の姿をみて、なんだか懐かしく感じた。

(……今度はあいつにも見せてやろう)

そう心の中でつぶやきながら、男も娘に小さく手を振り返した。

第一章 二話

森虎の一件があったのが3日前のこと。

温かな日差しが森に差し込んでいる。

陽光が男の顔を濡らし、名前を知らぬ小鳥の囀りが聞こえ始めた頃、男は目を覚ました。

「ん……ぐっ……ぁ」

みっともなく身じろぎしてから、仕方なく身を起こす。

見ると、大木の樹洞に娘はなく、代わりに黒縞がかかった白い毛皮だけが中に残っている。

森虎の毛皮だ。

男は一つ伸びをすると、傍に置いてあった研ぎかけの大牙を寄せる。

なにせ森虎の牙だ。

先は鋭く、そのままでも使いようはありそうなものだが、男は狩りの道具として使おうとしている。

元は少し反った円錐状の形態をしていて、持ち手がもちろんあるわけでもなくそのまま使うには不敏な物だった。

それが今は両手で包み込めるほどまで削れている。

目標は片手に収まる程度。

昨晩は遅くまで作業を続けたためだいぶ進行した。

あと一息なので今すぐにでも取りかかりたいが……その前に。

「適当に狩るか……」

朝食は大事だ。

最終夕食の確保ができればいいが、朝食とらずしては夕食の確保に支障をきたす。

この森は夜行性の獣が多いため、対象は大抵小動物になる。

男はのっそりと立ち上がると、てきとうに方向を決め歩き出したーーが、

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」

小鳥が逃げ出す悲鳴とドタドタと音を立てて走る音と急速に迫る嗅ぎ慣れた匂い。

娘が腕に木の実を抱え泣きながらこちらに走ってくる。
その後ろには……長い耳を生やしたピンクの物体が飛び跳ねていた。

やがて娘が男の前で盛大に転び、泥まみれにした顔を見上ると。

「うぅ……ぅぅう……わっ!」

「キュィィィィ!!!!!」

「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

球状でピンクの物体達で埋められた。

「お前なにしてるんだ……」



娘を囲んでいたのは害のない動物だった。

以前に狩りの途中に見かけたことがあったのだが、どうにも足だけは速いようで狩るのは断念した。

そのときも10匹を超える群れを成していたが、そういう習性があるのだろうか。

しばらくもみくちゃにされ、娘は涙目で懇願するようにこちらを見ていたが、ついに打ち解けたのか、娘は次第に顔をほころばせていった。

「お前なにしたんだ? ずいぶんと懐かれてるようだが」

「うぅ~~~~ん……?」

娘に心当たりはないようだった。

「キュー!! キューーッッ!!」

と、群れの中でも一回り小さいのが娘に飛びついた。

「あっ! えへ…へへ…帰れてよかったね」

おそらく群れからはぐれてしまったところを帰してやったってところだろうか。

そしてそれを知った群れがお礼でもいいに娘を追いかけ、そして今に至るわけだ。

もっとも、最初こそ娘は泣きながら逃げ込んできたのだが。

ふいに、

ぐぅ~~~…

毛玉の歓声に紛れてそんな音が聞こえた。
「…ぅあ…えへへ」

娘は腹を押さえて困ったように笑った。

「……食うか」

もともと娘は木の実を採りに朝早くから出かけていたのだろう。

貯蔵ーとは言っても木の空洞に放り込んでいるだけだがーしていたのが底を尽きかけていたので、頃合いだと思ったのだろう。

木の実を口に含みながら、少しだけ語気を強めて呼びかける。

「木の実狩りはいいが、あまり遠くへ行くな。今回はよかったが次もそうとは限らん。あと俺が寝ている間と留守の間は駄目だ。 俺の鼻にも限りがある」

「…ごめんなさぃ……」

「キュゥー……」

娘はともかく毛玉も一緒にシュンとされては男の調子もくるってしまう。

男は少しばつが悪そうに頭を掻くと。

「…今回はなにもなかったんだ。それでいいだろう。ところでお前」

男は毛玉の群れに目をやる。

「こいつらどうするつもりだ?こいつらにその気があるとは知らんが、一緒にいるつもりか?」

娘は伸ばした足の上に乗っている毛玉の上で手をもじもじさせると。

「うーーーん?」

「キュィ?」

そう言って困った顔をして首を傾げた。

「あのなぁ、こんな群れを置いておくと碌なことにならないんだぞ?」

こんなに一つの空間に動物が集えば、もちろん臭いが濃くなる。

そうすれば当然鼻が利く獣に見つかりやすくなるわけだ。

「もし見つかったとして、そいつらは逃げられるだろうが、俺はともかくお前がすぐに逃げられないだろう。獣の数によっちゃ庇いきれねーかもしれん」

こいつらとは一緒にいられない、と言いきかせる。

「うぅ……」

「キュゥー……」

「お前らそれやめろ」

「「「「キュゥゥゥーーー」」」

「食われたいのかああ?」



娘は少し名残惜しそうに膝から載せていた毛玉を下ろすと。

「ごめんね? また遊ぼ? ごめんね?」

そう言って毛玉を優しく撫でた。

「キュゥゥ……」

「大丈夫、また会えるよ?」

「キュッ!」

娘は毛玉を一頻り抱きしめてからもう一度撫でると、群れにかえしてやった。

「バイバ~~~ィ!!」

「キューキュキュー!!」

毛玉の群れは気が済むまで飛び跳ねて娘の別れに応えると、凄まじい速さで森の中へと消えていった。




「うーーーーーーんっ……! はぁ」

白く透き通るような白い肌をした、木枝のように細っそりとか弱い四肢が、パシャパシャと音をたてながら四肢を伸ばしている。


森の深部で静かに恵みをもたらす静謐で、神聖な湖。

辺りに生い茂った木々を鏡のように映しながら、キラキラと陽子を反射しおり、縁には潤いを求めてやってきた小動物が湖面に口付けている。

清き湖水に美麗な少女が陽光に照らされながらぷかぷかと浮く姿は、神聖な湖によく映えていた。

「おーーーーい、ラウンズが見つかったってさ~。 いつまでも足伸ばしてらんないよ~………ちょっと聞いてんの!?アルエ!? 早く起きなさいって!!!!」

場違いな騒々しい声を聞いて何匹かの小動物達があたふたする。

アルエ…そう呼ばれた少女は少し顔をしかめるとと、すぐに瞼を閉じた。

「おーーーーい!? おーーーーいってば!!!! ………あーもう…ごめんピロル、起こしてきてくれる?」

そう言うと、アルエに呼びかけていた少女の肩から一羽の鳥らしき動物が羽音を立てて飛び出した。

それは未だに呑気に水面に浮いているアルエの前まで飛行して止まると、

「ギャーン!!ギャーン!!!!」

およそ鳥とは思えない声で鳴いてアルエの上を旋回し始めた。

「……あーわかったわかったって。聞こえてるよ~~。 だから怒らないでピロル?」

今も鳴き声が止まない、木の葉の色にも見える深い緑色をした鳥を宥めながら、パシャリと顔を上げる。

首元まで伸びた綺麗な煉瓦色の髪はたっぷり水を含んでいる。

ぶるぶると首を振って水分を飛ばし、空の色をそのまま写したかのような青の瞳を向ける。

そして、自分に呼びかけた者を見つけると……

「はっ!」

激しく水音を立ててまるで跳躍したように飛び上がった。

少し太めの枝に、まるで重力を感じさせないような着地。

大木が揺れてかさかさと木の葉が落ちた。

「でー? ラウンズが見つかったって、どこ? 早く帰って甘いもの食べたいんだけど」

そうアルエにじと目を向けるのは橙色の前髪は切り揃えていてら手入れされて整った、いかにも真面目そうな少女だ。

「ちょっと、サボってて謝罪も無しですか?? これはもう族長に言いつけるしかないですね…」

「ち、違うんだってカルタさん。 ずっと探してたんだけど、なかなか見つからなくてさ~……湖が気持ちよすぎて潜ってるんじゃないかな~って…」

「あんたじゃないんだから。 そもそもラウンズは泳げません!」

カルタと呼ばれた、明るいオレンジ色の髪を後ろに結わえた、アルエに負けず劣らず顔が整ったどこかしっかりものの少女は目を吊り上げて説教していたが、やがて項垂れるのを見ると顔を和らげて眉を下げて困ったように微笑んだ。

「まったく……そういうあんたのサボりぐせ、本当変わらないわよねー。 族長への言いつけは星の里のケーキで許してあげるわ」

「ゲ! 超高いじゃんあそこのケーキ…タレ餅で許して?」

「ケチって族長のお叱りを受けるのと大人しく奢るのとどちらがいい?」

「ぐっ………」

「さあ、早くいきましょ、せっかく見つけたラウンズが逃げちゃうわ。 けっこう足速いんだから」

そう言うとカルタは枝から枝へと軽快に飛び移っていく。

「はぁ………私も一口ちょうだいよぉ~!?」



夕刻前。

日が既に頂点に昇り、傾き始めた頃。

「……よし」

研いでいた森虎の牙を陽にかざす。

普通の刀とは違い金属ではないので、反射して光るなんてことはなく、刀特有の威圧感というものがなくいま一つ迫力にかけるが…

牙から感じる確かな質量、重み。

手にしたときのそれは、さすがは森虎といったもので、岩をも噛み砕いてみせる強靭さは頼もしく思った。

「ぉぉ……ぉぉお……!!」

「おい触るな、手切れたらどうする」

物珍しげに手を伸ばしてくる娘から牙を遠ざける。

「……ぶーーー!!!!」

「ダメだ」

年相応に可愛らしく頬を膨らませて不服そうな態度の娘。

「さて……そろそろ行かねえと、暗くなっちまう」

男が晩飯に狩りの対象とするのは獣。

そしてこの森の獣は夜行性ーつまり、夕刻に一部の獣が活動を始める。

夜が深まれば深まるほど獣が増え、複数の獣とでくわしてしまう危険が高まるのだ。

男は娘に寝床である大木の樹洞に入るように言い聞かす。

そして、落ち葉をかき集めて娘に被せる。

「ごほっ ごほっ……ぅぅ…おぇ~…」

「いいか、いつも言うが、俺が戻るまでここから出るなよ」

男が狩りにでるときはいつもこうして娘を視覚的にも嗅覚的にも隠すのだ。

こくこくとうなずくのを見て、男は牙を手にとりーーーーーーー



直後、降りかかる殺意と衝突した。




「ちょっとぉ~、本当にこの辺で合ってるの?」

「おかしいわねぇ……」

探し物を見かけたあたりに来たはいいものの、肝心のそれがすっかりいなくなっていた。

「確かに見たのよ、この辺りで群れが跳ね回ってるのを」

「もう、仕方ないな~…」

「仕方ないって、元はと言えばアルエがちんたらしてるから」

「はいはいわるぅござんしたよぉーっと……あの木でいいかな?」

アルエは周りの木より一際大きいのを見つけると、天辺にある枝に常人ではあり得ない跳躍で飛び乗った。

あまりの高さの跳躍で着地に失敗しそうになる。

「っとと……えーっと……ラウンズラウンズ……うん?」

辺りを見渡していると、ある光景を見た。

「アルエー、見つけた~?」

「……ねぇ、カルタ。 あれって…」

アルエはそれを数瞬凝視すると、

「っ!!!!」

木枝を蹴りつけ折りながら、矢のように跳んだ。



「!? がはっ」

奇襲。 それも超速の。

男はそれに対し、辛うじて対応してみせた。

牙を持ち上げ側面を支えながら、襲撃者の攻撃を受け止める。

が、完全に威力を殺しきれず、背を後ろの木に打ちつけられてしまう。

強く揺すられたときのような衝撃。また痛み。

視界が明滅を繰り返したかと思うと今度は霞む。

気を強く保つようにと思いきりかぶりをふりながら、未だはっきりとしない視界に敵を収める。

(こいつどうやって…!?)

奇襲を許した。 それはつまり相手に接敵される直前まで気づかなかったということだ。

男はそれほど優秀ではないが、そこそこによく利く鼻をもっている。

それの知覚範囲はせいぜい半径百五十メートルほど。 そして身を守る為の索敵には十分な範囲。

男はこれを、夜襲をしのいだり、また獲物探しにも役立てていた。

つまるところ、襲撃者はこれをかいくぐって奇襲を仕掛けてきたということになる。

(臭いをけした?
いや…襲ってくる寸前、微かに、察知できた。
ということは……外から?)

にわかには信じられないが、一つの結論まで見出すまでに瞬時思考した男は、また新たな疑問を強いられる。

しかし、それ以上の詮索は許されず。

追撃。

「くっ…」

横から尾のように振るわれる刀。

牙を逆さにして防御。

響いた音は金属音ではなく、どこか軽いようで、しかし戦いの重みを孕む音。

相手から感じるのは、純粋な殺意。

男は一歩飛び退き、着地からバネをきかせるように疾走。

逆袈裟斬り。

回避。

自分が必死になって相手を殺そうと…自分を守ろうとしていることに、改めて命のやりとりをしているのだと実感させられる。

男の追撃。

またかわされる。

うまれる間合い。

(まるで葉っぱみてぇだっ…)

視界がはっきりしてきたが、相手の顔まではまだよく見えない。 ただ意識を割くのは相手の得物と………冷たい殺意。

「………てやる……してやる……殺してやる殺してやる殺してやる殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!」

「!?」
空気が変わった。

雰囲気ではない。 大気が。 風が。

呪いを紡ぐように殺意をほとばしらせていた襲撃者の周りで、葉々が荒れ狂うように舞い始める。

荒れ響く呪詛のような風音。

襲撃者の身体が沈む。

男が構えーーーー ーー消えた。

「!?!?!?っ」

男は一瞬という間もないほどの間に襲撃者に距離を詰められると、防戦一方に追い込められた。

嵐のような連撃。

まるで風が肉を得て殴りかかってくるような。

防御。 命中。 防御。 命中。 命中。 命中。 防御。 命中。 命中。 命中。 命中…………

斬られた実感はない。 血も出ていない。 おそらく金属製の刀ではないのだろう。

しかし、明確な悪意を乗せての打撃は、生半可な刀なんかよりよっぽど身にしみた。

殺意

憎悪

嫌悪

消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!!!!!!!

伝わる負の感情。存在そのものの否定。

相手の太刀筋が言外に伝えてくる悪意に、攻められている焦燥よりも、困惑してしまう。


俺がなにをした?
なにを恨んでいる
なんで叫んでいる
なにが悲しい
なにが辛い
なにを恐れる
なにが許せない
俺か この森か 獣か 人か 魔物か 神か
この世界にか お前自身か
お前に、なにがあった?


打たれながらの苦し紛れの反撃。

渾身の力を込めたそれと攻め続けていた襲撃者の刀が交錯する。

やっとの拮抗。 つばぜり合い。

自分よりも背丈が明らかに低い襲撃者はしかし、その身らしらぬ膂力で男を押し返そうとする。

「ぐっ……ぅ…ぁああ!!」

男も負けじと押し返す。

はちきれそうな思いをして力を込める。

「くっっっそ……ぉら……ぁぁ!?」

やらねば。

やらなければ。

殺される。

男の瞳に、赤い光が宿る。

「殺す……鬼なんか……殺してやるっ………!」

近くではっきりと聞こえた、性特有の高い声。

薄々感づいてはいたが……それでも信じがたい。

完全に機能を取り戻す視覚。

詳らかになった視界で男は見た。

「てめっ………女かっ!」

お互いに距離をとろうと一押しして飛び退く。

再びうまれた間合い。

男は連撃に備えてすぐに構える。

身体中が痺れる。

攻撃を受けすぎた。

完全に男の身体は疲弊しきっている。

鉛のように重く、視覚を取り戻したからといってとてもではないが防ぎきれそうになかった。

それでも男は赤い眼光を相手に向けて、闘志を示す。
見れば相手も息つかぬ猛攻に、肩を上下させながら息を荒らげていた。

数秒の沈黙のあと、襲撃者は意を決したように、得物ー木刀を後ろに引いて構え、冷めきっている眼を薄く開いた。

次で殺す。 そう宣言するように。

(くそ……まずいな……まるでシャレになってねぇ)

内では諦念が渦を巻いて絶望の淵に吸い込もうとしている。

しかし、男の本能が、血が、それを許さない。

鬼。

人の姿形をしていながら、戦いを好み、どれだけ老いようとも死ぬその時まで戦いに執着しようとする魔の種族。

決して人間とは相容れず、人類の敵の類に組み込まれていた。

その、男に半分流れている……鬼の血が、敗北を、絶念を許さなかった。

男の腕に再び力が戻る。

相手を打ち破らんと、未だ絶えることない闘志が燃え上がるように漲る。

次が最後だ。

次で勝敗が決まる。

次で……どちらかが死ぬ。

結局、相手のあの悪意の根源はなんだったのだろう?

それだけが気がかりであったが、殺し合いの中でわずかなわだかまりは敗北の要因になりかねない。

内で膨れ上がる闘気を意識して、それを捨てる。

余計な相手の詮索をしている場合ではない。 今危機なのは自分の方だ。

男も決意したかのように牙を、相手と同じように構える。

襲撃者を包む風音。 それ以外の一切の音が消える。

森を静寂が満たすこと数瞬。

「…はっ!」

「せっ!」

同時に疾走。

速度では明らかに劣っている。

同時に武器を振ってはぶつかるどころか自分が先にやられてしまう。

そう頭で理解している男は、相手の剣筋を読み、先に振るうことに集中する。

お互いに詰めだした間合いを、襲撃者が一瞬で詰め……
男の瞳孔が開く。

相手の動きを見切り、その剣筋を迎え撃とうと牙を振るって……

先ほどの剣速よりもさらに速く放たれた斬撃に男の牙は弾かれた。

「!? しまっ…ぐはっ」

続くニ撃目で最初の衝突と同じように弾き飛ばされ、転げる。

間を置かず仕掛けてくる止め。

なす術もない。

(ここまでか……)

男が死を覚悟した、そのとき。

「めぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」

娘が手を広げて庇うように男の前に現れた。

「ばっ、お前…っ!」

襲撃者の木刀が娘の首を叩き折ろうと……

「たぁっ!」

「!?」
四人目が介入し、あわや襲撃者の斬撃を止めてみせた。

「アルエ? 何してるの!? しっかりして! あんた、この子も殺す気!?」

「ぁ……ぁぁ………」

四人目の介入者が必死の形相で声をかけると、襲撃者は力なく木刀を降ろした。

「ごめんね? 大丈夫? 怪我はない?」

「ぁ…ん だぃ…じょぅぶ……」

見れば娘は怯えたように震えていた。

すぐに崩れるように座り込むと。

時間差で衝撃がきたように、涙をポロポロと落とし始めた。

「ぅ……ぁぅ……ひくっ ぅぅ…ぁぁぁぁぁぁぁあ」

「ごめんね、もう大丈夫だから。 もう怖くないから。 ほら、大丈夫大丈夫…」

介入者は娘を抱き寄せて頭を優しく撫でて宥めている。

「……おい」
おもむろに、男が声をかける。

「…私ですか? この子を返せとでも言いたいのですか」

少しだけ落ち着いた娘を引き寄せるようにしながらこちらに警戒をおいてくる。

「いや、そういうんじゃねぇ。頼んでもねぇが、一応命を助けられたからな。 礼の一つでも言っておこうかと」

「私、あなたを助けたわけではなく、この子を助けたまでですので」

介入者は依然こちらに厳しい視線を送りながら。

「ところでこの子とはどのようのご関係で? 」

「………なんでもねぇ」

「そうですか……餌、とでもいったら今ここで斬り伏せようと思いましたが…… にわかに信じ難いですが、この子はあなたを庇ったように見えました。心当たりは?」

「…………」

「……今回は見逃しますが、次に怪しい行動をしていたら…覚悟しておいてください」

介入者はそう言って立ち上がると。

「今から私たち帰るんだけど、ついてきてくれるかな? あなたをこのままにしておくのは心配だから」

そう言って娘に笑いかけた。

「ぅん」

「ありがとう。 それじゃあ、行こうか
ほら、アルエも行くよ」

介入者がアルエと呼びかけた相手ー襲撃者は、依然として力なく崩れていた。

「…この! 鬼!!!!!」

木刀を手に持ち立ち上がると、振り上げ男を叩き殺そうと…

「アルエ!!!!!!!」

「うっ……」

介入者が叱咤するように襲撃者を呼び止めた。

「気持ちはわかるけど、今回は我慢して。 子供だっているのよ」

「でも……!」

「あんた、さっき自分が何しようとしてたか忘れたの?」

「!!」

襲撃者はハッとして、自分の左手と右手の木刀を見下ろした。

「…ごめんなさい、言いすぎたわ。でも今は里に戻って、頭を冷やして。 私怨に囚われて周りが見えなくなって、子どもを殺めるなんて、道徳に背くなんてものじゃないわ」

襲撃者は力なくよろめくと、介入者と手をつないだ娘の後をとぼとぼと歩き出した。

と、俯いて介入者にひかれるようにして歩いていた娘が。

「……? 一緒じゃないの?」

男の方に振り返って、土まみれの頭をかしげた。

「……ごめんね。 もうあのお兄ちゃんとはいられないの」

「ぇ…………」

娘はポカンと呆気にとられたように呆然と介入者の顔を見上げると。

「ゃ……いゃ……め、だめ! いや! だめ!!! いやいやいやいやいやいや!!!!!」

そう言って手を振り払って男のもとに駆け戻った。

「あ、ちょっと!」

「いーやーぁー!! 一緒がいーぃー!」

「ぐっ……おいやめろっ」

娘が男に離れまいとしがみついて、襲撃者に打たれた傷跡に触れる。

介入者はしばらく黙り込むと。

「あなた、その子とどれくらい一緒にいるんですか?」

男は思案する素振りを見せた後、

「日はまともに数えてねぇが……三十日ほど跨いだ」

「一ヶ月も!? ……少なくとも、この子を食べようとしたんじゃないんですね?」

「食わねえよこんなの…」

「あなたねえ!」

介入者は怒鳴ると、娘がビクッと震えたのを見て気持ちを落ち着かせる」

「はあ……わかりました。 子どもをこんなところに置いておくのもできません。 そしてその子はあなたと離れないと言う」

介入者は少し躊躇いながら。

「私たちと一緒に来てください。 里へその子を案内します。 あなたも一応里の中へはいれますが…歓迎はしません。 そして、少しでも里へ害をもたらすものだと判断したら、あなたを即刻斬り伏せます」

「……そうか」

男は了解するでも拒むでもなく答えると、のっそりと立ち上がって歩き出した。

娘もそれにてててとついていく。

男は一応襲撃者のことを警戒したが、殺意どころか敵意もないらしく、生気を失ったかのように眼を半ば閉じながら俯いている。

介入者と襲撃者が森深くに歩みを進めだす。

「こっちです。 道中獣が出るかもしれません。 あなた達は私がお守りしますが、万が一のときもあります。 その子のことを見離さないでください」

「あぁ……悪いな」

「先ほども言いましたが、決してあなたのためではありませんので。 怪しい素振りを見せたら、問答無用です」
介入者はそう言って、木陰に身を潜めていた獣の脳天を叩き割った。

幸せを紡ぐ歌

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幸せを紡ぐ歌

只人(ヒューマン)と忌み嫌われている鬼の間に産まれた一人の青年。 唯一の身寄りであった両親との日々を奪われ人目の触れぬ森で放浪としていた彼は一人の小さな少女と出会う。 俺が生まれた意味、親を亡くしてまでものうのうと無様に生きている意味。 「一緒に、見たかった人がいたんだ」 俺は会って間もない少女にそう打ち明けた。 桜木の光に目を眇めながら。 これは、様々な出会いを通じて知る物語

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-01

Copyrighted
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  1. 第一章 一話
  2. 第一章 二話