食べ物連鎖と回し車

食べ物連鎖と回し車

tacica『二十日鼠とエンドロール』からインスピレーションを受けて書きました。
歌詞の引用はしておりません。

「おはよう、ハツカネズミ君」

 いつもの夜勤終わりの朝だった。体力も精神力もすっかり抜け切った俺は、ボンヤリする視界の中、さまようように進みながらバス停へ向かう。
 疲労もピークに達していよいよ幻聴まで聞こえてきたか、そう思っていたが。いつの間にか、俺の前に太陽を背にしてひとりの背の高い男が立っていた。ソフトクリームのように頭の先が奇妙に曲がった形のとんがり帽をかぶるその男は、長短2本の笛を両手で構えている。
 ん?笛?

「お前、いつも屋上に立ってた…?」

食べ物

 俺は食べ物をつくる仕事をしている。
 レストランのコック見習いではない。食堂の調理場でもない。ましてや寿司職人でもない。
 俺がつくっているのは、人が食べたいときに、24時間いつでも買って食べられる食べ物だ。働いてるのは、食べ物をつくる工場。
 朝から晩までつくる日もあれば、皆が寝静まるころから日が昇る時間までつくる日もあった。
 家から電車に乗り、駅に着いたら更にバスに乗って20分、そこに工場はあった。
 工場の周りには、また違うものをつくる工場、だだっ広い倉庫、トラックのたくさん止まる停車場、何が建つのか見当もつかない工事現場などがひしめく、いわゆる工場街だった。

 仕事をするときは、上下とも白い作業着を着る。肩まで布のかかる帽子をかぶり、その布で首回りを保護し、マスクをつける。靴も白い業務用スリッポン。アームカバーも装着。工場の人間は全員白づくめとなり、唯一個性を認識できるのは目元のみ。
 着替えたらコロコロで服や帽子についたほこりを取り、エアールームで一瞬の強風に当たる。そして各自仕事場へ。
 俺が主にする仕事は、白く輝く無数の粒が詰め込まれた箱を運び、その中身の粒々を巨大な銀色の機械に放り込むことだ。さも単純で簡単そうに聞こえるが、思った以上に重労働で、意外にコツがいる。機械に放り込む前に、白い粒々に油のスプレーをシュシュシュシュとたっぷり吹きかける。粒をほぐすために、手袋をはめた手を突っ込んでかき混ぜる。程よくほぐれたら機械に放り込む。すると機械は大層な音を響かせる。機械の中から出てくるのは、白い三角形。俺とは別の白い人間が、その三角形を再び箱に詰めて運んで行く。
 最初のうちは、この無機質さと油の感覚に辟易したが、今ではもうすっかり慣れた。いや、耐性がついたというべきか。心を殺した、というべきか。
 この工場では多数の白い人間が、心を殺して働いている。ある人間は消毒液まみれになりながら。ある人間は熱い油と闘いながら。ある人間は流れるベルトに踊らされながら。その様子はさも、実験用のハツカネズミのようだった。
 休み時間には、この工場でつくられた食べ物が通常の半額以下で提供される。多くの人はその食べ物で腹ごしらえをするが、俺はそれには全く手を出さなかった。休憩室はオバサンのかしがましい話し声が響くため、俺はロッカールームに避難する。ここなら静かに過ごすことができる。どこかからかすかに聞こえてくる号令音を耳にしながら、買ってきたパンで腹ごしらえする。このパンだって、俺たちとは別のハツカネズミたちが心を殺してつくったものだと容易に想像がつく。だが、油の臭いがする塊よりはマシだ。

 俺は食べるために働いている。
 食べ物をつくる仕事でお金をもらう。そのお金で食べ物を買う。食べるためにまた働く。
 可笑しな連鎖が俺の人生で繰り広げられている。お金と食べ物が回り続け、その軸に俺がいる。いや、軸ではなく、むしろ俺が、その回転に振り回されてる気がする。

 これからも一生、この連鎖に振り回され続けるのだろうか。

帰り道

 夜勤明けのある日。
俺はオレンジ色の光を浴びながら、ボンヤリとバスを待っていた。かすかに、どこかの工場の号令音が耳に入る。ボンヤリしたまま、視線を上げる。道路を挟んだ向かい側に背の高い工場が建っている。俺が働く工場もそれなりだが、この工場も街で一、二を争うくらいには高い。ふと、その屋上を見上げ、違和感を覚える。
「…?」
 ボヤけた視界をはっきりさせて改めて見上げると、その屋上に人影らしきものを認識できた。らしきもの、とつけたのは、それが普通の人間とは違う特徴をもっていたからだ。頭に相当する部分に、長く伸びるものが見えた。そして、口から生えている2本の触角。
「角?え?」
 疲労を抱えた視力では鮮明にとらえることも難しく、そんなうちにバスもやってきて観察終了となった。
 それからというものの。
 さすがに日勤帰りは辺りが暗いので確かめることができなかったが、夜勤帰りの日にはほぼ必ずそれは屋上に立っていた。よくよく見ると、角に見えたそれは帽子のようで、触角のように見えたそれは2本の長い笛のようだ。もしかしたら張りぼてかカカシのようなものかとも思ったが、それは違った。なにせ、ゆったりと、不規則に動いているからだ。
「なんなんだ、あれ」
 その正体を暴こうとするまでの興味は湧かなかったが、その不思議な存在を観察することが、夜勤明けの一つの日課と化した。

 そんなある日の朝、その習慣に異変が起きた。バス停に行く途中で、そいつに遭遇してしまったのだ。
 顔と頭はふさふさした茶色い毛で覆われ、頭に奇妙に先の曲がった青いとんがり帽をかぶっている。目や口らしきものは見えないが、口を思しき位置に笛の吹口を構えている。身体は、鮮やかな緑のスーツを着ている。服装の奇妙さに違わず、その立ち姿も奇妙だった。膝を曲げ、腰を反らし、2本の笛の先を下ろしたり上げたりと、ヌルヌルとポージングをしている。普通だったら不審者扱いで通報してもよさそうだが、夜勤明けの体は言うことを貴かず、ただボンヤリ立ちつくすしかできなかった。
「お前…屋上に立ってた?」
「やはり見ていたのだね、私のことを」
 当然だが表情が全く読めない。声は音量がなくても良く響くが、わざとらしいセリフ調の話し方だった。
「てかさっき、なんて言った?」
 俺は身構える。
「君はまさに、まわし車で走り続けるハツカネズミ」
 一瞬、頭の中でピーンポーンと号令音が響く。ハツカネズミは、俺の仕様もない妄想だ。
「なんで、ハツカネズミって」
「そんなことより、君もあそこへ行ってみないか」
 俺の問いを無視してその笛の開口部を向けられた瞬間、またもや号令音が響く。

ピーンポーン。

 目の前が真っ白になり、すぐ黒になった。

屋上

「あっ…れ…?」
 再び目の前が明るくなったときは、俺は風を身体で感じた。仕事場に入る前のあの激しい風ではない。心地よい、なでるような風だ。
 久々に、心が軽くなる感覚。
「な…なんじゃこりゃああっ!!」
 が、気づいて俺は柄にもなく叫んでしまった。俺は手すりすらない屋上のヘリに立たされていた。視界には、工場、倉庫、駐車場、工事現場を見下ろす景色が広がっていた。
「な、これ何?どういうこと!?は?はあああっ!?」
 とにかく安全な場所へと動こうとして、足がもつれ腰が抜けて屋上の内側へと倒れこむ。自分の中で処理しきれない混乱は俺の変な動きと化し、ひたすら地面をたたいたりけったりしていた。
 そんな俺にそいつが近づいてくる。
「とりあえず落ち着こうか」
 そいつの太いほうの笛で頭を小突かれる。「いって!!」思いのほか痛みが強く、俺は頭を抱えてへたり込む。
「なんなんだよ…」
 俺はそいつを見上げるが、そいつは俺を向こうとせず、そのまま俺が先程立っていた場所にとまった。
「何気ない生活。見慣れた景色。そんなものも、視点を変えればまた違うものに見えるものさ。そしてそれが、時として素晴らしく感じられる」
 笛をゆるゆるとバトンのように回しながら、またセリフのように語る。
 疑問が残るばかりだが、俺は取りあえず体を起こして立ちあがる。そして改めて、周りに広がる景色を眺める。俺がいつも働く工場。だだっ広い倉庫。トラックがたくさん止まる停車場。何ができるのか見当もつかない工事現場。道路なのか駐車場なのかわからない砂利道。建物と建物の隙間を歩く黒い人間たち。普段は気に留めなかった高架の自動車道が近くに見える。電車の線路も見える。いつも使う駅も。そして、
「海…」
 工場街の奥のはるか向こう側、かすかに水平線が見えた。またもや、心が軽くなる感覚。
 それに、いつもは見上げることの少ない空が、近い。オレンジ色の光が徐々に白みをもって強さを帯び、青鈍色の空は彩度と明度を増していく。
 気づくと、そいつは毛の隙間からのぞく大きな瞳で俺を見つめていた。
「ハツカネズミなら、他にもいるだろいっぱい」
 その真っ黒い目を見つめ返し、俺は問いかける。
「なんで、俺だけ、こんなところに連れてきたんだ」
 そいつは背筋を伸ばして直立し、笛をピーと鳴らして、答えた。
「それは、君が私に気づいたからさ。私の姿。そして私の音色」
 わざとらしさのない淡々とした口調で、しかしはっきりと。
 俺は眉をひそめる。
「そろそろ、まわし車から降りたらどうだい?ハツカネズミ君」

ピーンポーン。

 その姿から似つかわしくない号令音が、笛を通じて鳴り響いた。


<終>

食べ物連鎖と回し車

食べ物連鎖と回し車

淡々と仕事をする男と、奇妙な笛吹きの男。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-29

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  1. 食べ物
  2. 帰り道
  3. 屋上