星子(夢2)

     星子(夢2)


 僕らは天国への門を手を携えて登りつつあった。
『カメ太郎さん。天国はまだなの。遠いわ。星子、もう足が疲れたわ』
 僕は今にもしゃがみ込みそうにした星子さんを背負って階段を登り始めた。僕の背中に星子さんの柔らかい躰と体温が伝わってきていて僕は幸福だった。
『でも、僕ら早過ぎたのかもしれないね。お父さんやお母さんが悲しんでるよ。天国へ旅立って行った僕らをとても悲しんでいるよ。僕ら、あんまり早過ぎたのじゃないのかな?』
『カメ太郎さん、何処なの、天国の門は何処なの、見えないわ、ずっとずっと階段が続いているだけで天国の門なんて見えないわ』
(僕も星子さんを背負いながらいつまで経っても見えて来ない天国の門に苛立ちと疑いの心を持ち始めていました。僕が今巡っているのは本当に天国への階段なのだろうかという疑問もありました。
 ……もう僕は何段この階段を登ったことでしょう。もう千段も、少なくとも数百段は登ったようでした。でも僕の目の前の光景はだんだんと薄暗くなりつつありました。
 僕は足が疲労しているだけでどうでも良かったけど、星子さんが僕の背中ですすり泣いているようでした。天国だと思った処がどうも天国でないようで星子さんは泣いているようでした。でも僕は歯を食いしばりながら一歩一歩と歩み続けました。
『カメ太郎さん、何処なの。何処が天国なの?』
(僕も星子さんを背負っていて疲労していました。もう星子さんを降ろそうかな、とも思いました。そうして一人で走っていって天国へ辿り付こうかな、とも一瞬思いました。)

 遠く星が見えるだろ
 あれが天国の門なんだ
 遠くて遠くてあまりにも遠いだろ
 引き返そうよ、星子さん
 もう届きはしないよ
 僕らあんな遠い所へは行けないよ




 海の中で君の苦しさと僕の苦しさが溶け合って、黒い水の中に僕らは沈んでいっていた。星空がそんな僕の目にぼんやりと映っていた。
 何度も海面へ浮かび上がり助けを求めた。僕の意識は喪われてきていた。そしてもう一息もう一息と僕は水を飲んでいたようだった。

 誰かが僕の首根っこを掴んだ。とても力の強い人だった。僕はそうして気を喪ったらしかった。



 悲しみの夜は更けていっていた。眠れない夜は更けていっていた。家に帰ってきて風呂に入ってもまだ僕の体は寒かった。冷たい黒い海のなかで僕の体は冷えきっていた。そして窓から星子さんの家の灯りを(いつまでもいつまでも今夜はついている灯りを)いつまでもいつまでも眺め続けた。

 僕も死のう。朝になったら僕も死のう。僕はそう思ったけれど、下へ降りていって仏壇の前へ座って題目をあげたら元気が出てきてそして僕は
 そして僕はもう戻ってこない星子さんとの楽しかった日々の思い出を思い出しながら題目を朝まであげ続けた。ほんのちょっぴりの、本当にほんのちょっぴりの思い出かもしれないけれど。

 僕は死んで海のなかから引き上げられた方が良かったのかもしれない。抱き合いながら、僕らは屍となって引き上げられた方がよかったのかもしれない。

 ゴロも涙を溜めて見送っていたし僕も僕も涙をいっぱい溜めて見送っていた。黒い星子さんの棺が霊朽車の中に運ばれるとき、星子さんのお母さんは泣きながら棺に駆け寄って泣いた。僕は、星子さんを殺した僕は、ただその光景を悲しく見遣ることしかできなかった。

 君はいつも優しかった。本当にいつも苦しんでいた僕も励ましてくれていた。
 いつも元気だった君。いつもくよくよしていた僕。そんな君が死んでしまうなんて僕には信じられない。あんなに明るかった君が、とてもとても明るかった君が。

 寂しかった、寂しかったからなの。私が死んだのはただ寂しかったからなの。病気が苦しいのでも何でもなかったの。ただ寂しかったからなの。

 君も必死だったということを僕は忘れていた。君は寂しさとの戦いに必死だったということを僕は忘れていた。僕は勉強に必死だった。でも君の寂しさとの戦いほど必死ではなかった。
                         ☆☆(1行空き)☆☆
『死ぬなら私も一緒よ』と君は言った。でも僕は死ななかった。そして君がその2ヶ月後に死ぬなんて、冬のあの厳しい日に僕は君はそう言っていた。

 僕たち、二人で遠い所へ旅立ったけど、いつまでもつづく階段に僕らもう疲れてしまった。天国があると僕らは聞いていた。でも冷たい階段がいつまでも続いているだけだ。いつまでもいつまでも

 遠い遠い星から、僕らを救いにやってくる星が一つあるだろう。僕らを救ってくれて、僕らを天国へ連れていってくれる、遠い遠い一つの星が。

 苦しくなると、僕は夜空を見上げて、ああ、あれが星子さんの星だなあ、と、夜の帳が降りたばかりの外に出て、僕はため息をついて思う。あれが星子さんの星だなあ、あれがゴロの星だなあ、と。

 僕も苦しんできたのに、僕も苦しいときも何度も何度もあったのに、頑張り屋の星子さんが死ぬなんておかしいな、おかしいな、と、僕はもう死んでしまった冷たい躰に抱きついたまま泣いていました。僕だって、僕だって毎日の学校生活は地獄のようだったのに、それなのに死ななかったのに、僕の方がもっと苦しんできたものとばかり思っていたのに。星子さんの方が僕よりずっと楽なように思えていたのに。

 
 もう眩しい朝日が照りつけているのに、もうこれからの日々は星子さんの居ない今までとちがう日々になるのか、と思って僕は泣けてきていた。
 今日の朝日は今までとちがう朝日のようで、僕の胸にポッカリと空洞が空いたようで、僕はとても淋しくてたまらなかった。
 
 僕は君と一緒に死ねてたら、こんなに淋しい朝は迎えなかっただろう。とってもとっても淋しい朝で、僕は君のお通夜に行く前に、再びあの海の中に飛び込んでしまいたい。でも僕は。



(星子の机の中から出てきた手紙)
 カメ太郎さん、本当に4年間ありがとうございました。本当に4年間、楽しかったです。本当にありがとうございました。
 星子はもう疲れきりました。淋しかったのかもしれません。私には本当の友達はいなかったし(カメ太郎さんだけでしたものね)カメ太郎さんだけが私の親のほかに私のことを本気で思ってくれていました。
 カメ太郎さん本当にありがとうございました。いつもいつも長い丁寧な手紙ありがとうございました。カメ太郎さんの手紙とっても真心がこもっていて私一番始めの手紙からちゃんと全部大切にとっています。
 カメ太郎さん、ありがとう。私のような体の女の子のことを相手にしてくれてありがとう。カメ太郎さん、本当にありがとう。私、14年生きてきて本当に満足です。ありがとう。




 君には自分さえ良ければいい、といった考えがあった。君をここまで育てあげてきた君の両親のことを思うと君は死んではいけなかった。それなのに君は生きることを嫌った。明るく生きてゆくことも辛いと思うようになっていた。
 明るく楽しく生きてゆくように努力することも君は辛いと言っていた。明るく振る舞うことも君は辛いと言うようになっていた。君よりもっと辛い絶望的な境遇にある人だってたくさん居るのに君は贅沢にも死を選んだ。それが一番楽な方法だと思って。


 疲れ果てていた。星子さんのお通夜に行くのが辛かった。僕は夕暮れの中で横たわり続けた。もう行くまいと思っていた。星子さんの両親に合わせる顔がなかった。電話が鳴っていた。たぶん星子さんの両親からの電話だろうと僕は思っていた。
 二度目の電話が鳴っていた。でも僕は起き上がる気がしなかった。このまま闇の中にずっと心ゆくまで横たわり続けたい、と僕は何度も思った。
 苦しんで生きてゆくよりも死ぬ方を選んだ星子さん。僕もその方が正しいような気もしていた。本当に僕はこのまま横たわり続けたかった。
 二度目の電話のベルは八回ほどで切れた。あとには静かな静寂だけが残っていた。僕の親から僕に星子さんのお通夜に出るように電話したのかなあとも思えてきていた。

 海を見つめていると、哀しい星子さんの歌声が聞こえてくるようだ。一月前亡くなった星子さんの哀しい歌声が、潮風とともに聞こえてくるようだ。

 辛い毎日に、僕も挫けそうになるけれど、僕はひたすらただ題目を唱えて耐えている。僕はひたすら題目を唱えて、勉強したりしている。

 僕は生きることの意味が解らなくなりかけていた。僕は医者になって僕と同じような病気で苦しんでいる人たちを救っていくのだとは思いながらも、真実というものが何か? 真理は何か? そうして創価学会の信心に疑問を持ち始めてきていた。また『人のために生きよう』という僕の決意も“死んだ方が楽だ”という悪魔のささやきに負けつつあった。
 僕が星子さんに手紙を書かなくなったのは自分から“情熱”といったものが無くなりかけていたからかもしれない。僕は毎日の図書館での勉強にも疲れを覚えるようになってきていて、それまでは必ず終館まで居たのにもう6時ぐらいになると勉強に集中できなくなり家に帰って来るようになっていた。勤行を惰性でしていた。心ばかりが焦り、星子さんの手紙を書く暇が十分ありながらも“勉強しなければ”という観念とともに僕は11時ぐらいになるともう床に就いていた。ノドの病気を治したかったし、またそのためには十分睡眠を取ることが大事だと思って一日八時間眠っていた。
 毎日の学校はとても辛かったし、僕は落ち込み果てていて自殺まで考えてきていた。勤行も怠りがちになっていたし、2日程『フッ』と勤行をやめていた時もあった。
 星子さんが死んだのはその罰だったのかもしれない。




 僕の正義感が足りなかったのかもしれない。あのとき、海の中に沈みつつあったとき、僕は楽しい美しい楽園の光景を見ていた。もう意識がなくなりかけていたとき、僕は星子さんを救うことを忘れ、あまりの苦しさに自分は星子さんを抱いたまま暗い海の底へと沈んでいっていた。
 本当に美しい光景だった。花が咲き乱れていた。




                
 いつか僕も負けかけたことがあった。でも僕は負けなかったし、その悔しさをバネにして僕は今生きている。一生懸命生きている。




         (星子さんの星)
 ここにはまだ清純だった魂が白い天国へと舞い上がっていった。『なぜ死んだんだい。星子さん。なぜ死んだんだい』
 星子さんはあまりにも純粋だった故に、心は傷つき果てて死んだ。星子さんはあまりにも純粋だった故に、心は傷つき果てて死んだ。星子さんはあまりに純粋だった故に、この世に居るのが辛くてたまらなくなって、星子さんはあまりに純粋だったが故に。
 あまりにも純粋だった星子さん。星子さんきっと星になったのだろう。今、夏の夜空にきっと輝いているよね。どの星かなあ、星子さんの星は。星子さんが死んで一つ星の数が増えたはずだけどどれかなあ?
 星子さんの星ってどれかなあ? 星子さんみたいな星ってどれかなあ。僕今までも
この丘から星子さんの死ぬ前からゴロを連れて星空を見上げていたけど、どれなのかなあ。無数にある星だからどれだか解んないや。
 するとピカッと光った。まるで星子さんの黒い大きな瞳みたいにその星が揺れた。あっ!あれなんだなあ!って僕、解ったよ。あっ、あれなんだなあって。
 星子さん、明るい大きな星になったね。星子さん、とっても大きな星になったね。ゴロ、あれが星子さんの星だよ。あの美しい星が。
 僕は傍らに寝ていた黄土色のゴロのわき腹をつついた。ゴロ、あれが生前、僕が愛していた女のコの星だ。ほら、あの車椅子の。でもとっても綺麗だった。僕が文通していた星子さんの星だよ。
                (ペロポネソスの丘にて  ゴロと)




 夜、キラリッと星が光って流れ星となって消えていった。あれは星子さんの星のようだった。ゴロも星子さんのいなくなった海辺を歩きながら悲しげにその星を見遣っていた。
 海辺は、もう星子さんの居なくなった海辺は、久しぶりに来た僕とゴロを悲しげにいつもの波の音や浜辺の香りとともに迎えていた。図書館で勉強してからの散歩なので辺りはもうまっ暗だけど、哀愁というか、星子さんが霊になってこの浜辺にとけ込んでいるような気がしていた。
 月の光だけに照らされたこの浜辺は、浜辺じゅうにいっぱい星子さんの霊が満ち溢れているようだった。そして浜辺全体が螢のように輝いているような気もしていた。

 その日の帰り、僕は桟橋に立ち寄る気なんて少しもなかったのだけど、桟橋の横を素通りしようと走っていたらゴロが突然、桟橋の方へと必死になって行きたがった。星子さんが死んで始めての散歩だったからゴロは僕らの四日前の出来事を見たかったのだろうか。僕らの恋の名残りがまだその桟橋に残っていたのだろうか。ゴロは狂ったように爪を立てて僕を桟橋の方へと、僕はあまり行きたくなかったのだけど、引いていった。
 桟橋に立つと四日前の出来事がありありと思い出されるようで僕は頭を抱え込みそうになった。ちょうどこの時刻だった。今は僕と星子さんが助け出されて人工呼吸を受けていたのと全く同じ時刻だった。
 ゴロは桟橋から対岸に見える星子さんの家の方に向かってとても悲しげに聞こえる遠吠えを何回も繰り返した。僕は自然に涙が溢れてきた。星子さんの死ぬときの悲しみがとても痛々しく僕に伝わってきたようで。
 あのときの苦しさや冷たさが思い出されて。そして星子さんはもっと苦しく冷たくそして死んでいったことを思って。僕の何倍も何倍も苦しく冷たかったのだろうと思って。




 それからちょうど一週間後、星子さんが死ぬなんて。僕はとても予想もしていなかった。あの分厚い別れの手紙を読んでから僕は一週間、失恋と罪悪感とがごちゃまぜになった複雑な気分のまま茫然と過ごした。
 今も助けられずに星子さんと一緒に死んでいた方が良かったような気がする。でも僕は星子さんや親の期待に添うように立派な医者になって僕と同じような病気で苦しんでいる人たちを救ってゆくんだ、という気持ちで必死に勉強している。きっと医学部へ入らなければ、と僕は必死になって勉強している。

 まるでこの雨は星子さんの涙のようだった。8日前、死んでいった星子さんの涙のようだった。
 星子さんが天国から白い雲に乗って下界の僕を見つめて激しく泣いているようだった。
『星子さん』
……僕はそう空に向かって心のなかで呟いた。
『星子さん、僕死ななくってごめんね。通りがかりの人が黒い港の水のなかに沈んでゆく僕と星子さんを本当によく見つけてくれたから、本当によく気付いたと思うけど、僕はまだこうやって生きている。
 でも学校がきついな、毎日の生活がきついな、という気持ちは今も変わらない』




            (僕)
 僕は罪悪感に打ちひしがれ、部屋のなかで頭を抱え込み続け、そして唸ろうにも唸れず、石のように固くなって横たわり続ける。体を丸くしながら。
 そして僕も星子さんの後を追って死のうかなあ、と思った。あのとき、星子さんが網場の桟橋から見投げをして死んだとき、あのとき僕も死んでいたら良かった。死んでいたらこんなに罪悪感に沈まなくて良かった、と思えて僕を助けてくれた会社帰りの○○さんにかえって恨みがましい思いを抱いていた。
                  




 あの日、ずぶ濡れになって家に走って帰ってきたあの日、僕は風呂のなかで泣いた。僕は、警察や消防署の人から『帰ってもいい』と言われて僕は濡れた体のまま来たとおりの道を通って寒さに震えながら来たときの速さぐらいの速度で家へと帰った。
 父や母や姉ももう帰ってきていてもう風呂が湧いていた。僕は家に入るとすぐに風呂場に駆け込んだ。父や母や姉もまだ今日の出来事を知らないであろう。僕が殺した。僕が殺した。という自責の念が強い罪悪感となって僕について廻っていた。




 君がスフィンクスのようにペロポネソスの浜辺に立っていた。車椅子に乗ってスフィンクスのように立っていた。もう君は死んだはずなのに、だから君の霊かもしれないけどそっくりそのままに、君が浜辺に車椅子のまま出ていた。


君は赤い太陽に向かって飛んでいた。お星さまでなくて、赤い太陽に向かって、何故か君は飛んでいっていた。


 君は僕が助けに来てくれることを知っていたのだろ。でも僕は胸への痛さに耐えかねて何度も倒れた。血も吐いた。僕は自分の喉や胸がこんなに悪くなっていることは知らなかった。君は僕が来るのが遅くて、失望して、そうして死んでいったのだと思う。僕は必死に走ってきたのに。這いながらも進んできたのに。




※(星子の死んだ翌日、僕の家のポストに入っていた星子の手紙)
     (カメ太郎さんは強いかたです)
 カメ太郎さんは強いかたです。二月のあのピンチをくぐり抜けられてきたカメ太郎さん。私だったらとっくに死んでいたと思うのにカメ太郎さんは堪えてこられて、今明るく生きていらっしゃるようです。本当にカメ太郎さんは強い方だと思います。
 それなのに星子は弱い女です。星子の苦しみは二月のカメ太郎さんの苦しさに比べたら何分の一にしかならないと思います。それなのに星子は苦しくて明日カメ太郎さんに電話してから死のうと思っています。
 カメ太郎さんは本当に強い方です。カメ太郎さん、小さい頃から苦しんできたから、だから強いのでしょうか。私は小さい頃、パパやママにとても甘やかされて育ってきたから弱いのでしょうか。




            
 僕の顔は砂だらけになって泣いていた。傍にゴロが居た。僕が殺したという罪悪感でいたたまれなくて僕は泣いていた。でもいくら泣いても僕の罪は消えそうになかった。傍でゴロがじっと僕を見つめていた。
 波の音。




        (夢の中で)
 あれが北斗七星。あれがカシオペア座。そしてあれが北極星。見えるだろ。僕の指先をずっと見ていくとその星が見えるだろ。
『南十字星は。星子の好きな南十字星は』
『南十字星は僕もどこにあるのか知らないんだ。たぶん、日本からは見えないんだ。インドや南極近くの国に行かなければ見えないんだと僕は思うよ』
『私、南十字星が見たいわ。私、南十字星が見たいわ』




  ※(星子さんの死の前の日のことである)
 星子さん。そんなに謝らなくっていいんだよ。僕が悪かったのだから。二ヶ月近くも手紙を書かなかった僕に星子さんが怒って当然だ。(小鳥になって星子さん、僕の部屋の前の桜の気の枝に止まって鳴いているけど)僕が悪かったのだから、だからこんなことしなくってよかったのに。僕が悪かったのに。
 ……星子さんの小鳥は鳴いていた。悲しげにとても悲しげに星子さんの小鳥は鳴き続けていた。




                 
 波しぶきの向こうに、たくさんたくさん小魚たちが居て、僕らを迎えてくれるようにも思ったのだけど。僕らを幸せに導いてくれる小魚たちが、僕らを待っているような気がしたのだけど。僕は桟橋まで懸命に走りながらそう思ったのだけど。


岬の向こうに美しい世界があって、僕らは将来そこで一緒に暮らすんだ、と言っていた。でも僕は岬の向こうにも石垣だらけのここと同じような処であることを知っていた。でも僕は星子さんには黙っていた。僕は星子さんの夢を壊したくなかった。


 僕がよく魚釣りに行って釣って来た縞模様のあるちっちゃな美しい魚はあの岬の先端には居ないんだって。僕はそのことを君に告げていなかったと思う。あの岬の先端には大きなクロぐらいしか居なくて、綺麗な縞模様をしたちっちゃな魚は居ないんだって。




   (君が死んでいった桟橋の脇に腰かけて)
 君が死んでいった海を眺める僕の目は、もう涙は出ない。ゴロもいつもここへ来るとしょんぼりして海を見つめている。僕らは最期のときに始めて抱き合い、そしてそのとき君はまだ生きていたような(そして僕に君から抱きついたような気がしてならない。
 君はあのときまだ生きていて、僕がその冷たい暗い夜の海に飛び込んでくるのを待っていた。薄れゆく意識のなか、海の中で僕は君が僕に抱きつくのを覚えた。たしか君はあのときまだ生きていて、もしかするともう死んでいて君の最後の怨念が君を動かし疲れ果てて泳いできた僕に抱きつかせたのかもしれない。僕にはそうとしか思えない。
 そして僕は君を連れて陸地へと泳ぎ始めた。薄れゆく意識のなか、僕は途中で沈みかけ、また浮かび出て、そうしてまた泳ぎ始めた。そういうことを何回となく繰り返しているうちに僕は本当にあのとき意識を喪って海の中へ沈んでいき始めたと思う。そして僕がそのとき必死で叫んだ声を聞きつけた田中さんという人が僕らを助けてくれた。でも君は死んでしまった。




 僕らの苦しみはもう終わった。
……僕は星子さんと抱き合いながら黒い水の中を沈んでいきながらそう思っていた。僕はそう思って安心していた。今までの苦しかった毎日の学校での生活がもうなくなることを思ってとても幸せな気持ちに陥っていた。
……僕ら、生きているとき、とても苦しんできたけど、僕ら今ようやく苦しみから解放される。本当に苦しかったね。星子さんよりも僕の方が何倍も何倍も苦しかったかもしれない。星子さんはみんな理解してくれてたけど僕は理解されてなかった。だから授業中なんかとても苦しかった。
……僕らの生涯は本当にほかの人に比べて炎のような生涯だったかもしれない。毎日、炎のように辛い日々だった。
 僕は走りながら何度も倒れて、もう星子さんを救いに行くのはよそう、もう間に合わない、と何度も何度も思った。僕はそのまま倒れていたら良かったのかもしれない。それとも傷ついた膝や肘を抱えて家へと帰っていたら良かったのかもしれない。
 そうしたら僕は少なくとも父や母や姉を悲しませずに済んだのかもしれない。でも…でもそうしてたら僕の苦しい毎日の学校生活は少しも変わっていなかったと思う。




             
 
 恵まれた者どうしは恵まれた者どうしで幸福な愛をしていたらいい。でも僕と星子さんは、誰よりも幸せな恋をして、そうして星子さんは死んでいった。でも僕らはとても幸福だった。

 君は岬に向こうに幸せな世界があると言っていたけど、僕は岬の向こうにもこの浜辺と変わらないような世界が広がっていることを知っていたけど、
 黙っていた。
 君の夢を壊したくなかったし、
 君を落胆させたくなかった。


 岬の先には美しい魚がたくさん居て、
 僕らを迎えてくれると君は言っていただろ。
 でも本当は岬の先には30cmや40cmぐらいの大きなクロばかりいて
 君の想像しているような処ではないことを
 僕はずっと前に知っていたけど
 たしか中二の頃ぐらいから知っていたけど。




 浜辺に耳を当てると、もう死んでしまったはずの星子さんとゴロが、楽しそうに遊んでいる音が聞こえてくる。本当に楽しそうで、僕はやっぱり行かない方がいいみたいな気がする。
 毎日の生活に疲れ果て、苦しみに疲れ果て、何も信じられなくなった僕は、高校時代や中学時代の頃に戻りたいと、懸命だ。


 君は寒い日に死んでいった。春だったけどとても寒い晩に、僕に「さよなら」の言葉を残して、静かに死んでいった。
 海の中に消えていった。眠るように楽に、僕らの幸せのため、自ら自分の仕事を去っていった。
『君、寒いだろ。とても寒いだろう』
『ええ、とても寒い。冬の海のようにとても寒い』
……僕はそうして星子さんと二人で寒さに耐えた。


 君は来ちゃダメだと言っていた。でも僕は来た。寒い夜の闇の中を、僕は突っ切ってやって来た。


 カメ太郎さん。今までの日々は何だったの。今までの私たちの毎日は何だったの。
(星子さんは悲しげにそう尋ねていた。でも僕には解らなかった。星子さんに何て答えていいか僕には解らなかった)
 僕らは、僕らは本当に今まで苦しんできたけれど、そうして苦しみ抜いたまま死んでゆくのかもしれないけれど、でも僕らにも楽しい時もあったし、それに


 苦しかったからなの。苦しかったからなのよ、カメ太郎さん。私、苦しすぎたの。
……海の中に沈んでゆきながら目を潰った星子さんからそう言われたようだった。(苦しかったからなの。苦しかったからなのよ、カメ太郎さん)でもそれは僕も同じだった。君よりも僕の方がずっと苦しかったのだと以前も思ってきたし、僕は君が死んでいこうとしている今もそう思っている。




             
 夜の闇に包まれて君の家を見ていると、とても君がもう死んだなんて思えない。でも君の部屋には灯りがなくて、君がもう死んでしまったことを教えてくれる。




                 
 ゴロも寂しそうな目をしている。君の居なくなった浜辺は、誰も居なくて、とても寂しい。




           
 苦しみに満ちた年月だったかもしれない。でもそれは僕らにとって、僕らにとって罪を償うためのものだったんだ。それを君は放棄した。いや、僕も放棄しかけた。あの黒い海に自分一人で、そして最後は君と二人で沈んでゆくとき僕の心のなかは安堵感に包まれていた。明日から学校へ行かないでいいという安堵感に包まれていた。
 このまま海の中へ沈んでゆくことは本当に楽な気がした。もし僕が根性を出して君を岸辺まで連れていってたなら君にまた苦しい毎日を送らせることになったのかもしれない。でも僕はあのときもう根性を出し尽くしていた。今までこれほどまで根性を出したことがなかったぐらいだった。


       (夜の浜辺にて)
『カメ太郎さん。真実の星は何処にあるの?』
『真実の星は、見えない。真実の星は僕にも解らない』


 カメ太郎さん。生きるの辛いの?
 ああ、でも生きなくっちゃ。辛くても生きなくっちゃ。




             
 浜辺に君が居た。もう死んでしまったはずの君が、僕がゴロと夕方、雨に濡れながら浜辺まで走って来たとき、君が居た。大きな瞳で君は僕らを見つめ、僕とゴロは石になった。雨のなかで、僕とゴロは、石になった。
 石になった僕らはそして雨のなかで20分か30分ぐらい過ごした。僕らは雨に打たれながら、微笑む君の姿をとても眩しく見つめ続けた。
 夜、僕は考えた。君は雨の日にはペロポネソスの浜辺に出ているんじゃないのかと。雨の日に君は雨水となって天国から降りてきて、思い出のペロポネソスの浜辺で結晶して生まれ変わるんじゃないのかと。たった一時間や30分ぐらいなのだろうけど、雨の日には夕方、君はあの浜辺で結晶して人になっているのではないのかと、僕は思っている。


 浜辺に君の涙が溶けていって、君は今この浜辺に居るのだろう。僕にはちゃんと解る。この砂浜の中に、君がちゃんと居るって、僕にはちゃんと解る。僕が立っているこの浜辺の中に、君が溶けていることを、僕はちゃんと知っている。




                
 今見えるこの海はもう星子さんの絶望に満ちた悲痛な電話での叫びを幻のように思わせてくれる眩しい夏になりかけた海です。ひと月経って僕の心もやっと落ち着きを取り戻しつつあります。ただひたすら勉強に明け暮れる日々を僕は送り始めました。
 始めて抱いた星子さんの躰はちいさくて、とてもちいさくて、僕は本当にこれが僕が文通してきた、いつもいつも綺麗な字で僕を励ましてくれるために長い手紙を書いていてくれた星子さんなのかな?とちょっと不思議に思いました。




               
 不安が僕を襲うとき、僕は窓を開けて海を見るけど、君はもう居ない。僕は淋しさに疲れ果て、毎日の学校生活が辛くて、僕は一人ぼっちでいじけて、僕は喋れなくて、僕は大きな声が出なくって。




                
 君の居なくなったこの浜辺を僕はゴロと一緒に寂しく歩いている。もう梅雨になってずっと雨や曇りの日々が続いています。明日から期末試験だけど日曜日だし、ゴロの散歩もしなくてはいけないので一週間ぶりだと思いますけどこの浜辺へやって来ました。今日も県立図書館で5時まで勉強していました。そしてさっきバスに乗って帰って来てすぐゴロとこの浜辺へ来た訳です。
 雨で濡れていて滑りやすいけれど、ゴロは平気で僕を引っ張りながら進んでいきます。僕は朝9時から5時まで途中で30分ぐらい昼ごはんのとき休みを取っただけでずと勉強していました。もちろんバスの中でも勉強していましたし、家からバス停までの道でも勉強のことを思い出したりしていました。




               
 夕暮れの海の上を君は幽霊のように漂う。僕に微笑みかけながら、君は東望の方へと風に吹かれるように行っていた。青い海の上を、夕暮れで暗くなりかけた海の上を……

 僕もゴロも夕暮れの海の上を東望の方に揺れながら動いてゆく君の姿を見つめていた。ゴロも無言だった。僕らはそうしてずっと君の姿を見送り続けた。缶詰工場の裏の防波堤に僕らは立って、風に吹かれるようにして動いてゆく君の姿を見えなくなるまで見送っていた。


 君はあの日寂しく死んで行った。もしもう少し君の飛び込むのが遅かったなら、そして僕が気管支の病気を持っていなかったなら、もしかしたら君は助かっていたのかもしれない。そのことを思って僕は今日、ゴロとペロポネソスの浜辺で悲しみにうち沈んだ。君が生きていたなら、せめてあと一年ぐらい生きていたなら、僕は恥ずかしさをかなぐり捨てて、君のところへ走っていって、君と喋ったと思う。何もかも、僕のそのままをさらけ出して、君と喋っていたと思う。


 君の涙が溶けているようだ。このペロポネソスの浜辺には、こんな僕を愛してくれた、君の涙が溶けているようだ。こんな、こんなつまんない僕を、一生懸命愛してくれた君の涙が、この海の中に、溶けているようだ。


 淋しくてたまらなくなったとき、僕は桜の木に繋がれているゴロのところへいって、そうしてひもをほどいてやって、僕は星子さんと出会った浜辺へ行くけど、星子さんはいつもいない。僕はひとりきりで、ゴロを抱きしめながら海を見つめる。ずっとずっと海を見つめる。



                  
 輝いて見える。君を奪った海なのに、輝いて見える。僕はゴロと岸壁に腰かけて、君の美しかった笑顔を思い出している。


 僕は、いつも君と一緒に歩いてきたつもりだった。僕が中一の夏からずっと、四年間も。でも君は逝ってしまった。僕を誤解し、僕に悲しい手紙をくれて、君は逝ってしまった。悲しい、悲しい誤解だったのに。

 でも僕らは今もゴロと一緒に歩いている。僕らが出会った思い出のペロポネソスの浜辺を。ゴロはとても元気で、星子さんが死んだことを知らないみたいだ。ゴロは元気に浜辺を走り回っている。君が亡くなる前と同じように、元気いっぱいに走り回っている。


 ゴロ。夜空のてっぺんに、星子さんの笑顔が見えるだろ。僕らを見降ろしている、大きな大きな星子さんの笑顔が見えるだろ。




        
 僕は君の幻を見ながらこの浜辺に立っている。春、五月の始めの日に死んでいった君。僕は駆けたのに。一人で出てゆく僕をものすごくゴロは泣き叫んでいたのに。
 もうあれから3ヶ月が経って、僕の心も、やっと落ち着きを取り戻してきている。辛かったあの夜。寒かったあの夜。眠れなかったあの夜。



 僕とゴロは魚になって、岩や藻のあいだをかき分けながら星子さんを捜すだろう。
……『星子さん、何処だい。出ておいで』……
 でも僕のその声も星子さんには伝わらないだろう。伝わっても星子さんは海の水の冷たさにぶるぶると震えていて、僕の返事にも答えきれないだろう。

 僕とゴロはやっと星子さんを見つけた。星子さんは藻の間に隠れて必死に体を暖めていた。僕とゴロはそのとても寒そうな姿に何と言っていいか解らなかった。

 星子さん寒そうだった。とても寒そうだった。僕とゴロは何と言っていいか解らずに息がつづかずに星子さんの前から海面へと浮かび上がった。

 僕は星子さんに背を向けて泳いでゆきながら、なぜ僕がこんなノドの病気になったんだろうと思った。そうしてたぶん、このごろ思ってきたように中一の冬、市の中等部の部員会で司会をするようになって今まであまり熱心にやってなかった勤行・唱題を一生懸命やるようになったからだろうかと思った。僕はそうして僕を信心に立ち上がらせた石川さんを憎んでしまった。

 寒そうだった星子さん。僕は家に帰って毛布でも持って来てやりたいな、と思ったけれど、海の中なので毛布も濡れてしまって役にたたないと思ってそうして僕はゴロと泣きべそをかきながら家まで帰った。まっ赤な夕陽が僕たちを照らしていて、そしてさっき見た星子さんの可哀そうな姿のことを思ってどうしようもなく悲しかった。

 家に帰って僕は思いっきり星子さんの幸せを勤行しながら祈って、ゴロは遠吠えをしながら星子さんの幸せを祈っていた。僕も夜ごはんまで懸命に祈ったし、ゴロも夜食までずっと遠吠えを続けた。僕はそして夜ごはんを食べ終わってからも再び仏壇の前に行って一時間近く星子さんの幸せを祈った。ときどきゴロの遠吠えもそのとき聞こえていた。

 君の可哀そうな姿はその夜、僕を3時近くまで眠らせなかった。ゴロもときどき起きて悲しげな遠吠えをしていた。


 君が死んだとき、僕も死のうと思った。あの君の葬式があっていたとき、僕は体を震わせながら。



 僕は君と、この浜辺を君の車椅子を押して、行きたかった。ゴロも一緒に連れて、この誰もいない浜辺を、僕は君と行きたかった。



 海の底に沈んでいてとても寒そうにしていた。星子さんのために僕は題目を唱えていたけれど。次の日も次の日も学校から帰って来ると星子さんのために2時間あまりも題目を唱えていたけれど。



 海の中は冷たくって僕は40秒ぐらい潜っていてすぐに出てきた。星子さん、もう喋ることもできないようだった。このまえは僕やゴロの方を向いたのにもう今日は星子さんはうつろな目で僕を見つめることしかできないでいた。
 
 海から帰るとき、紅い夕焼けの中にお月さまが出ていた。学校帰りでもう遅かったから昨日見た星子さんの可哀そうな姿が忘れられなくて、バスを降りてからそのまま海へ来たから、いつもの水族館前でなくて網場のバス停で降りて、僕は海へ行ったから。




                 
 君と一緒にゴロを連れてあの浜辺を歩いている光景が見えてくる。君は綺麗な足を持っていて全然普通の人と変わらなくて、とっても綺麗な足がスカートから見えている。
 僕も全然吃らなくて、それに声もちゃんと出せて普通の人と全く同じように喋れている。君の足はテニスをしている女の子のように綺麗な足で、僕が好きな○○ちゃんのような足のように綺麗で。
ごめんね、ゴロ。今日はもうゴロを散歩に連れていく元気がなくって。とても疲れてしまって散歩に連れていく元気がなくって。



 君を死なせたのは僕の真心が足りなかったからだと、忙しいからといって手紙を書かなかった僕の考えが甘すぎたのだと、そして自分がエゴイストだったんだと、自分のことの方が大事だったんだと、自分の方が大切だったんだと、可愛いかったんだと、



『カメ太郎さん、また来たの。カメ太郎さん、また来たの』
『ああ、寂しかったから。勉強しなければいけないと思ったけどまた来てしまった』
(もう夕陽は山裾に隠れつつあった。補習が終わってから僕はバス停から学生服のままでこの浜辺まで来ていた。僕の靴は少し海水に濡れかけていた)



 桟橋の向こうに星子さんの家があるけれど、もう星子さんの部屋は夜になっても灯ってない。もう何ヵ月になるだろう。君が電話で悲しい声をたてて死んでから、もう何ヵ月が経つだろう。



『この浜辺は思い出の浜辺だ』と昔誰かが言った。でも今のこの浜辺は僕の少年の頃の思い出が詰まっている大事な大事な浜辺だ。俯いて砂を取ると僕の掌に星子さんやゴロが楽しそうに走っている夢を見る。この浜辺は思い出の浜辺だ。



 星子さん、そんなに寂しがらなくてもいいんだよ。ここは僕らの出会った思い出の浜辺だよ。耳を済ましてごらん。生きてきたときとそのままに波の音、風の音、そして沖を飛ぶカモメの声が聞こえるだろ。星子さんが死んでからもこの浜辺は全然変わらないよ。星子さん、少しも哀しまなくっていいんだよ。
(浜辺にて。寂しい寂しい浜辺にて)



『僕らの青春は何だったのだろう』
『私たちの青春は苦しんで苦しみ抜くだけ。みんなの冷たい視線や同情を受け続けるだけ』
『でも僕らには希望が、希望がないのだろうか』
『カメ太郎さんにはあるかもしれないですけど、私にはあまりないわ。ただ、カメ太郎さんと結婚できることが私の夢なの。たぶん駄目だと思うけど、それが私の夢なの』
……僕は無言になってしまった。




 夜の闇の中を歩いてゆく君は、現実の君とは違う君だ。夜の闇の中を歩いてゆく君は、現実の君とは違う君だ。夜の闇の中を歩いてゆく君は、現実の君とは違う君だ。




 夏の海の上に君の姿が見える。まるでかげろうのように、君の姿が浮かんで見える。




                  
 僕の一時の心の迷いは、一人の少女をこの世から去らせ、僕はゴロと、誰もいない夏の浜辺を、いつまでもいつまでも駆け廻る。もう僕らの背中には夕陽が照っている。




              
 僕が見つめる海は、燃え立つような真夏の海だ。陽炎のように星子さんの素顔が現れてきて、僕にソッと微笑みかけているような気がする。淋しさに打ち沈んでいる僕に微笑んでくれているような気がする。




           (一人ぼっちの浜辺)
               高校二年八月 ゴロと
                 ペロポネソスの浜辺にて

 僕は君の幸せを小さい頃から(たぶん小学5年の頃からだったと思うけど)祈ってきた。でも僕の祈りが足りなくなったとき(僕が勉強に熱中して君のことをあまり祈らなくなったときから)君の心は僕を疑い始めてきていた。
 僕の真心が君に伝わらなくなったとき、君は僕に恋人ができたのだと誤解して僕はただ勉強が忙しかっただけだったのに、それに僕は形だけでも手紙を出していれば良かった。いつもいつも3時間も4時間もかけて(もっともっと夜の3時ぐらいまでもかかって君に手紙を書いていたこともあったけど)何枚も手紙を書いていたのでたった一枚で出すのが良くない気がしていたし。
 僕のノドの病気や吃りが治ったときいつか君とこの浜辺で語り合おうと思っていたのにもう君は死んでしまってただ朝晩の勤行のとき君の冥福を祈れるだけになってしまった。

 君は早く旅立ちすぎて、僕は一人だけになってしまった。僕たちが始めて喋って始めて抱き合ったあの夜、あの夜からもう3ヶ月の月日が過ぎてしまった。もう動かなくなっていたけど暖かかった君の躰。冷たい夜の海の中でもう息途絶えた君を僕は始めて抱いた。僕はあの夜のことをまだ昨日のことのように思い出すことができる。でも僕は君と出会ったこの浜辺にはもう当分来ないと思う。今も僕は英語の本を持ってこの浜辺にやって来た。君を苦しめた病気や今も僕を苦しめているノドの病気や言語障害と戦うために僕は一生懸命勉強しなければならないしこの夏休みも毎日毎日県立図書館で閉館になるまで勉強している。



 ※(カメ太郎の机の中から出てきたメモなのだろうか? 小さな紙に走り書きめいて書かれてある。)
 僕は物心がついた頃から自分の喋り方が他の人とちがうことに気付いていました。僕は喋り方がおかしいので電話だけはどうかかけないでください。




                 
 僕は罪悪感に打ちひしがれて、今日も桟橋に佇む。近いうちに取りはずされると風の便りに聞いたこの桟橋はでも、僕を海に飛び込ませた思い出のある桟橋で、あのとき始めて抱いた星子さんの体の温もりが、今も僕のこの手に残っているようだ。悲しい2ヶ月半前のその思い出が、学校生活の苦しさや淋しさに暗くなりがちな僕の心をかろうじて支えているようだ。
 2ヶ月半前のあの悲しい夜、まだ冷たい5月の海の中に僕は星子さんが背中を見せて浮かんでいるのを見た。もう身動き一つしていなかった。
 月の光は隠れていて、僕は真暗な夜道を駆けてきて、桟橋から星子さんの名を呼んだ。傍には星子さんの乗っていた車椅子が置いてあって、車椅子には何も座ってなかった。打ち棄てられたようにして残されていた車椅子と、かすかな波の音しか聞こえない静寂が周りを覆っていた。
 怖しい孤独感が僕の胸をかすめよぎっていっていた。誰もいない夜の桟橋の上で僕は、これからは一人で生きてゆかなければならないのだろうか、と一瞬思った。やがて雲が晴れて月の光が差してきた。そして僕はかすかに揺れ動いている星子さんの背中を発見した。港の小さな波にかすかに揺れていた。でも身動き一つしていないようだった。



               
 君が砂の中でうごめいている。僕らの駆けるペロポネソスの浜辺の下で、君は現れようとうごめいている。小さな君の力で、一生懸命に砂を掻け分けているけれど、僕らはその上を駆け回っているし、君のか細い腕ではとても砂を掻き分けることができないでいるようだ。君は必死にまっ暗い砂の中から僕らの駆けているペロポネソスの浜辺へと現れ出ようとしているけれど、僕もゴロもずっとずっと駆け続けていて、君が砂の下に居ることを忘れてしまっている。君は一人ぼっちで砂の下に居るのに、もう一年近くもそのその砂の下に居るのに、君はまだ出ることができないで、ときどき走って来る僕やゴロの足音を聞きながら泣いているんだろ。僕にはちゃんと解るんだ。君は泣いているんだろ。悲しくて悲しくて泣いているんだろ。
           




 君が輝いて見える。海辺に映えて輝いて見える。車椅子の君だけど、でもとっても輝いて見える。

 君は砂の中から僕を呼んだって聞こえない。砂浜を駆け回る僕とゴロの耳には、砂浜からの君の声は聞こえない。僕とゴロは砂浜を元気一杯に駆け回るだけだ。

 砂が盛り上ってきて、君が現れてきて、僕に『こんにちは』という。




 砂の中に埋もれて君は白骨化しながら僕の名を呼んでいる。ペロポネソスの浜辺から君は僕を呼んでいる。ペロポネソスの浜辺の砂の中から、君はまっ暗な中から必死に僕を呼んでいる。でも僕はゴロと何の気もなしにペロポネソスの浜辺を駆け回っている。でも僕はゴロと何の気もなしにペロポネソスの浜辺を駆け回っている。もう星子さんのことを忘れたように。

 砂の下から君は僕を呼んでいる。僕やゴロが踏みつけて痛いのだろうけど、君は耐えて、僕の名を呼んでいる。僕らが日が暮れて去ってからも、じめじめとした砂の中から寒いのに、僕の名を呼んでいる。月夜なのに僕の名を呼んでいる。



                
 浜辺に君が待っているけど、僕はもう駆けてゆかない。僕の心は、もう変わってしまって、昔のままの僕の心じゃない。僕の心は変わってしまって、あの純粋だった小学校や中学校の頃のあの純粋でひたむきだった僕の心ではない。僕の心は汚れて、打算に満ちて、僕の心はもう以前の美しい僕の心ではない。
             




 君と僕の約束があったと思う。海のせせらぎのように、僕と君だけの約束があったと思うのに、僕は思い出せない。君はもう死んでしまった。僕は思い出せない。



        (ペロポネソスの浜辺にて)   
 ゴロ。砂の中に耳を当ててごらん。星子さんの息づかいや心臓の音が聞こえてくるだろう。そして、星子さんの哀しい歌声も聞こえてくるだろう。泣いているのか歌っているのか解らない星子さんの哀しい歌声がかすかに聞こえて来るだろう。




                
 君は青い海に浮かんで楽しそうだ。真夏の海の上に浮かんでとても楽しそうだ。僕は苦しんでいるのに。毎日、学校でノドの病気やドモりのためにとても辛い思いをしているのに。
 僕も青い海の中に溶けてゆきたい。僕の傍にいるゴロと、砂浜を駆けて、君の元へと僕は走り始めた。真夏の眩しい陽の光が、走る僕とゴロを覆っていた。
 生きているとき、ただ夜の闇の中に君の部屋の橙色の光を見て、懐かしさや会いたさに涙ぐむだけだったけど、僕らはやっと会えた。



             
 白い砂浜がずっとずっと続いている。永遠に永遠にずっとずっと続いているようだ。君の頬のような白い浜辺が続いている。僕はでもこの浜辺をゴロと二人で(君なしに)歩いている。ずっとずっと続くこの浜辺を、僕とゴロは哀しみに沈みながら、君の死をまだ信じきれないで、歩いている。僕とゴロはずっと歩いている。
                  




 なぜかこの頃家を出るとき『もうこの家には帰ってこないんだ』という気がしていた。



(ゴロと話しながら)  
 ずーっと前、何かがここにあった。貝殻みたいだったけど、大きな大きな貝殻みたいだったけど、
 僕の大きな貝殻は、もう海の中に沈んでしまって、もうこの世に居なくなってしまった。今、たぶん、どこかで僕を見ていると思うけれど。


 ゴロ。聞こえるかい。誰かが歌っているだろう。誰もいないけれど。いつもの静かな浜辺だけれど。




                
 もう夏も終わろうとしているけれど、星子さんが死んでから始めての夏も終わろうとしているけれど、僕はゴロと星子さんが天国へと旅立った桟橋に立ちつくしているけど、夕陽が僕とゴロを照らしているけれど、




              
 いつの日か僕はこの浜辺を君と手を繋いで歩ける日々を夢見てきた。でももう君は居ない。君はもう天国へ旅立って、僕をそっと微笑みながら見降ろしているだけだ。そっと、僕にも解らないくらいに。




     (ペロポネソスの浜辺にて    夏)
 ゴロ。ずっと前、ここにカシオペアの星があったと思うけど、この頃見えないね。あの星はどこに行ってしまったのだろう。
 星子さんが亡くなったら一緒にカシオペアの星も消えていったのかもしれない。星子さんはいつもカシオペアの星を見て綺麗だと言っていた。とても美しい星だと言っていたけど、星子さんが死んだからもう見えなくなったのかもしれない。




                
 君は夜になるとこの浜辺に出て泣いている。波打ち際で君は泣いている。僕のことやゴロのことを思って、寂しくて泣いている。
 浜辺には僕の泣き声と星子さんの泣き声とゴロの泣き声でいっぱいだった。ペロポネソスの夕暮れの浜辺には泣き声だけが覆っていた。哀しい哀しい泣き声だけが覆っていた。




 
 ゴロはまるでハイセイコウみたいだと星子さんは言っていたけど、星子さんの居なくなった浜辺で綱をほどいてやって走らせてみると、本当にハイセイコウみたいに走りました。
        (※ハイセイコウ……その頃の競馬の名馬)




               
 幸せの雲があそこにもほらあそこにも見えるだろ。ぽかぽかと入道雲が天草辺りから立ち上っているだろ。眩しい太陽が照りつけていて、とても暑いのに、君はもう死んでしまった。この夏を待たずに死んでしまった。




 海の中に沈んでゆくとき『君の少女時代と僕の少年時代が重なりあって』走馬燈のように駆け巡った。君の方がやっぱり僕より幸せだった。そしてだから君が苦しみに耐える力が僕より強かったのだと思う。
 暗いブクブクとした海の中で君の方がお父さんやお母さんの愛に包まれて幸せだった。僕もお父さんやお母さんの愛に包まれていた。でも僕のお父さんやお母さんは店の仕事で忙しくて僕のことにあまり構ってくれなかった。


            
 君は以前、とても幸福そうにこの浜辺を見つめていたろう。あの頃の君は何処に行ったのだろう。灰色の空のなかの何処かに、君は消えていったのだと思う。



 高二の夏には、僕らはもう口をきいて、一緒にこの浜辺に来ていたと思うのに、僕の傍にはゴロしかいない。僕の傍にはゴロしかいない。



 (高二・8月30日     ゴロと)
 何故だろう。君の顔が潮風に吹かれて見えてくる。夏の暑い潮風と一緒に、もう居なくなったはずの君の顔が見えてくる。




            
 ゴロ。あのお月さまの裏側を星子さんは今歩いているのかもしれない。自殺したからいつまでもいつまでも一人で歩かなければならないのかもしれない。でもそこはまっ白い砂浜がずっとずっと続いていて、星子さん、一人で淋しいと思うけど、きっと泣いていると思うけど……
 もしも僕もその星の裏側に巡り着けたら。もしも僕も行けたなら。
(学校はやっぱり今も辛いから。とってもとっても辛いから。)




              
 浜辺に夜が来ると僕も悲しくなる。君の思い出をいっぱい残しているこの浜辺も暗くなると、僕とゴロは一生懸命、夕闇の中を家の方へ向かって駆け始める。僕らの思い出のいっぱい残った浜辺をそうして僕らは後にしている。君の車椅子姿の残った哀しい浜辺を。



 僕が死を夢見ていた2月頃、その頃とても寒くてゴロを抱いて寒さに耐えながらペロポネソスの浜辺で立ちすくんでいたときもあった。そして僕が信仰を心の支えにしてその苦しみを乗り越えたとき、君が今度は死を夢見始めた。もう春になってポカポカと暖かくなってきたとき、今度は君が死を夢見始めた。とても淋しくて僕が行えなかったことを、君はしてしまった。

 僕は親のためにできなかった。本当に楽になれるようだったけれど、僕は親の悲しみを思うとできなかった。それを君はやってしまった。あの寒い北風の吹いていた夜に、君はやってしまった。

 僕は君がそんな絶望的な状況にあったなんて、そんなに孤独に陥っていたなんて、僕は心の隅に君への罪悪感を(忙しくて構ってやれない罪悪感を)僕はいつも抱いていたけれども。




                
 立岩の神棚の付近をトンビになって飛び回っている君。静かに魚釣りしている僕。僕は月曜から土曜日までとても苦しいけれど、日曜日はいつもこうして父と小船に乗って魚釣りに来ている。神棚の付近を僕に気づかずに餌を求めてうろついている君。


 美しかった君は、今は一羽の黒い鳥と落ちぶれ果てて、釣り人の残すオキアミなどを仲間と競って食べる鳥と落ちぶれ果てて、美しかった君は


 中等部のとき魔が競い起こった。市の中等部の司会役に選ばれた僕の喉に魔が住み着き、僕は大きな声が出なくなった。小さな声しか出なくなった。
 それから何年になるだろう。その喉の病気の故に高三のとき頭の病気にもなったし、今、信心をやめて八年以上経っている。僕は大学に入って信心をやめた。それまで炎のようにしていた信心をやめた。
 魔に負けてはいけなかった。



 君は寂しく突ついている。僕と父が残したオキアミの残りを、夕陽に照らされながら、寂しげに、寂しく突ついている。夕暮れの中で君は泣いている。ますます暗くなってゆく僕と父が居なくなった立岩の上で泣いている。そして泣きながら僕たちが残していったオキアミをつついている。哀しく食べている。


 君は寂しく残りのオキアミを食べながら、船外機付きのボートでゆっくりと去ってゆく僕と僕の父の後ろ姿を見送っているだろう。仲間に負けないようにたくさん食べるようにしながら、ときどき東望の方へ帰ってゆく僕と僕の父の船を見送っているだろう。


 僕と父が残したオキアミを、君が夕方、黒いトンビになって拾いに来るのを思うと、僕は東望へと父と船外機付きのボートでゆっくりと向かいながら悲しみに暮れてしまう。君が黒いトンビになって、僕と父が残したオキアミを食べていると思うと、夕暮れと一緒に、そして明日からの一週間の苦しい学校生活と一緒に、僕の心は憂欝になってしまう。


 コトッコトッと僕のエンジンの音が鳴る。トンビになった星子さんたちは必死になって僕たちが残していったオキアミをついばむ。心配になって振り返ると君は仲間と一緒に必死になって僕らの残していったオキアミをついばんでいた。

…………夕暮れが僕や父や僕の家のボートや立山などを包んでいた。………… 




       (星子さん  天国より)
 カメ太郎さん、頑張っていますか。星子さん、今、海の中に居ます。勉強頑張って下さい。そうしてきっときっと医学部に入って下さい。そうしてたくさんたくさん、カメ太郎さんや星子さんのように病気で苦しんでいる人たちを救っていって下さい。カメ太郎さんならきっとすばらしいお医者さんになると思います。とっても思いやりがあって優しいカメ太郎さんだからきっときっとたくさんの人たちを救っていってくださると思います。
 星子さん、もう手紙でカメ太郎さんを励ましてやることもできなくなりました。でもカメ太郎さんはきっと大丈夫でしょ。カメ太郎さん、本当に頑張ってね。勉強に本当に頑張ってね。

               




 寂しく死んでいった君。負けて死んでいった君。必死に生きている僕。宗教を心の支えにして必死に生きている僕。苦しいけれど僕は生きている。君のためにも僕は生きている。



 夢の中で僕はゴロと駆け巡る。星子さんの居なくなった浜辺を駆け巡る。僕らがペロポネソスの浜辺と名づけた浜辺を、もう木枯らしが吹いて寒くなってきた浜辺を。



 君は知らなかった。死後の世界が炎に包まれたものであることを君は知らなかった。僕もあまり知らなかった。
 君は地獄へ落ちていった。自殺者が行くように君も地獄界へと落ちて行った。でも君の心は清らかで、次第に天国へと登りつつあった。また僕も毎日二時間ぐらいも君のためにお祈りをし続けていた。

 君は救われた。君の心が清らかだったし、僕の祈りが強かったからだろうと思う。君は今は天国へ行って幸せに暮らしているようだ。現界で苦しむ僕を哀しく見つめながら。


 僕に掴まるのはやめてくれ。君は地獄で苦しまなくてはならないんだよ。僕に掴まるのはやめてくれ。


 君は駆けてゆく。倒れ伏した僕を置いて、浜辺を駆けてゆく。


 僕は夕暮れの中をゴロと一緒に君の墓へと走り抜く。夕陽を浴びながら汗いっぱいになりながら君の墓へと駆け向かう。


 君は暗い墓の中に居るのかもしれない。

 僕とゴロは君の墓の前で立ち尽くしていた。家から走ってきて息がとても切れていた。

 森の中の、岡の中の、墓の前で、僕は泣いていた。僕が殺したような君の墓の前で僕は泣いていた。

 君は墓の中から祈っている。寂しくって、寒くって、祈っている。



(地獄の中でもがく星子さん)
……星子さん、ダメだよ。地獄の中でもがいたって駄目だよ。耐えなきゃ。耐えなきゃならないんだよ。地獄の中ってどんなにもがいたって駄目なんだよ。出て来られないんだよ。
(僕は悲しく星子さんにそう言い放った)


 君は悲しみの中で白い鳩になって旅立っていった。僕にさよならを言いながら、僕らの思い出のペロポネソスの浜辺から、白い鳩になって悲しく悲しく旅立っていった。


 君の墓に、来るときに道端で取ってきた白い野菊を一輪植え付けた。その花は君のように白くて、とても美しかった。少しも汚れてなくて純粋な君の心のようだった。君の心のように汚れのない白い白い花だった。



 寒い丘の上に少女が身を震わせながら立っていた。星子さんだった。八月頃、いつも海の中の岩肌に隠れていた星子さんだった。
『星子さん。寒いのに…寒いのに何故そんなところにいるんだい?』
 僕は夏に見た星子さんのあの哀しげな姿しか見てなかったので僕は久しぶりに星子さんを見た。

 寒い丘の上に星子さんは十字架にくくりつけられて風に吹かれて寒さに震えていた。
『自殺したからなの。自殺したからこうなの』
 星子さんの言葉はあきらめにも悲しみにも似ていた。

 僕は泣き声一つたてないで、苦しみに耐えている星子さんのことを思って涙ぐんだ。可哀そうな星子さん。苦しくて辛くて寂しくてたまらないのだろうに泣き声一つたてずに堪えている星子さん。




 遠い海の向こうに消えてしまった僕らの思い出は、雲仙岳を望む遠い景色とともに(僕は雲仙の麓のあの海水浴場で有名な加津佐町で生まれそこで3歳まで育ったから、もう消えゆこうとしているような気がする。冬の訪れとともに僕らの思い出も消えてゆこうとしているような気がする。そして僕はこれから大学入試へ向けて一生懸命に勉強に頑張らなければいけないような気がする。浜辺に打ち寄せる波も、以前と全然違わないけど、

 
 僕らが文通を始めた中一の夏、そして中二、中三、高一、と続いた僕らの文通。あの頃は楽しかった。苦しいこともたくさんたくさんあって僕はだから一生懸命お題目をあげてきたけれど、あの頃は楽しかった。君も死ぬまで僕は君のためを思って毎日祈ってきた。一日、三十分ぐらい、君のためだけを思って。もっともっと祈ってきたようにも思う。


 僕らは誰からも愛されなくなったとき死ぬのだと思う。でも君はたくさんの人から愛されてきたじゃないか。みんなから大切にされて大事にされてきたじゃないか。




(海の底に沈んでいる星子さんへ)
 海の底は寒いかい。海の底は冷たいかい。
 僕の生きている外は、とても寒くて、風がビュンビュンッと吹いてきて、とても寒くて、それにとても辛い。


 燈台の向こうに君が見える。大きな大きな顔をした君が見える。君は微笑んでいる。苦しみに打ちひしがれた僕やゴロに微笑みかけている。



 ゴロ。星子さんはカシオペアの星と一緒に遠くのあの世に行ってしまった。僕らに手を振りながら遠くのあの世へもう行ってしまった。

 もう見えない。カシオペアも何も見えない。冷たい冬の闇と、星一つない空が、暗く僕の心を覆っている。




                
 白い雪が、星子さんの涙のように降ってきて、忘れよう忘れようとしていた僕の上に降ってきて、そしてますます僕を悲しませる。悲しく悲しく降ってきて、涙のように降ってきて……




               
 君には厳しかった14年の生涯だったかもしれない。でも僕にも厳しかった16年の生涯だった。僕は君よりも苦しんできたと思ってきた。そしてその考えは今も変わらない。君は弱かったんだ。贅沢だったんだ、と僕は今でも思っている。君は弱かったんだ。贅沢だったんだ。



(ゴロと。ペロポネソスの浜辺にて)
 君の苦しさは、僕には解らなかった。君も僕の苦しさがあまりよく解らないとよく手紙に書いてきていた。僕らはお互いに苦しみがよく解らないでいた。でも僕は君が死ぬとはとても思っていなかった。君よりも僕の方がずっと苦しんでいるものとばかり思っていた。

 君は僕に4年間も希望と喜びを与えてきてくれた。僕も必死になって君に希望と喜びを与えてきたつもりだった。でも僕の心の緊張が緩んだ頃、君の心も悪魔に支配されて
きていた。馬鹿な僕は勉強に没頭し、君に手紙を書くのもやめていた。

 
 とても強いカメ太郎さんでした。でも星子さんはこうして宿命に負けて死んでゆきます。星子さんにもカメ太郎さんのような芯の強さがあればいいのですけど、私にはそんなカメ太郎さんのような強さがありませんでした。
 ごめんなさい、カメ太郎さん。カメ太郎さんを裏切るように死んでゆくことお許し下さい。私、もう耐えきれませんでした。私、カメ太郎さんのような芯の強さがなかったのです。

 僕は決して星子さんの言うように強くはなかった。でも僕には御本尊様があった。僕はだからどのような苦しみにも耐えきれたのだと思う。信仰が僕の心の支えになっていた。




           
 星子さんは逝ったけど
 僕はいつまでもいつまでもこの地上に留まり続けるだろう。
 きっとあと何十年も
 僕は使命を果たすまで
 星子さんに誓った使命を果たし終わるまで




      
 僕らを覆っていた魔の勢力は強くて、僕も挫けがちになったことが幾度もあった。でも僕は信仰の力でその危機を幾度も乗り越えてきた。夜の1時2時まで祈っていた時が何度あっただろう。僕はそのためにノドの病気になったのかもしれない。でも僕は少しも後悔していない。こうなったのは僕の宿業の故だと思うし、このノドの病気になったために君との純粋な恋を続けてこられたのだし少しも後悔していない。
 僕は中学の頃は君の幸せを毎日一生懸命御本尊様に祈ってきた。でも僕は高校に入ってからはクラブも勉強も忙しくて君のことをあまり祈らないようになってきた。そして高一の12月頃から『僕のような病気で苦しんでいる人たちのために医者になるんだ』と思ってそれからひたすらに勉強するようになっていた。君との文通が煩わしく思えていたほどだった。
 僕は君のことを御本尊様の前であまり祈らないように変わっていった。僕は君のことよりも自分の成績が上昇することばかりを祈るようになっていった。
 その頃僕はクラブもやめたし2年生になって一年の頃とても僕を苦しめた現国の先生から習わないようになったし理系の大人しい静かなクラスになって僕にひとときの幸福な季節が訪れたように思っていた矢先だった、君が死んだのは。
 
 僕が高校一年の終わり頃の厳しい日々を乗り越えてホッと一息ついていたとき突然君は死んだ。僕に一生のうちで一番気楽な日々が訪れた矢先だった。
 大きな声を出さなければいけないクラブからも解放され、吃りのためあれだけ苦しめられてきた現国の一文読みの先生からも解放され、僕はそのころ幸せだった。勉強に励んでいたけど勉強はかえって僕には幸せだった。




 僕には御本尊様があったけど、君にはなかった。僕は毎日の学校生活が辛くてもう学校に行きたくなくなっていたときも僕は学校から帰ると一時間二時間と題目をあげて挫けそうになる自分を励ましていた。
 どんなに辛くても自殺だけは考えなかった。
 君には信仰がなかった。前世や来世の話をしても君はあまり本気にはしていなかった。



 僕の苦しさを君が解らなかったように君の苦しさを僕も解らなかった。君がそんなに苦しんでいるなんて僕は思ってなかったし、それに僕にはそんな余裕がなかった。僕はエゴイストだったのかもしれない。君のことをもっと思ってやるべきだったのかもしれない。
 君のことを思ってやる余裕がたしかに僕にはなかった。僕は勉強で精一杯だった。君に書く手紙が僕には煩わしかった。




                
 青い海の底に、コバルトブルーの海の底に、綺麗な楽園があって、きっとゴロと星子さんはそこで遊んでいるんだろう。でも僕は生きていてまだ苦しんでいる。この高二から高三になる春休み、僕は毎日図書館に勉強に通いながら僕は思っている。楽しい世界は、一年後に僕の前に開かれるのだろうか。幸せって何だろう。自由って何だろう。
 僕は県立図書館へ向かう緩やかな坂道を登りながら自分の生きている存在感や価値、そうしてもう春になろうとしているのに寒い日々。恵まれている者は恵まれているままで、そうして不幸な人たちは不幸なままで、その矛盾に僕は憤りを覚えながらも人の運命というもの、宿命というものを深く深く帰りのバスの中で考えた。
 人間って何のために生きているのだろう。それにゴロなんかの動物や昆虫など。生きるって何なのだろう。そうして苦しむことって。僕らが努力したり苦労したりすることがいったい何になるのだろうかって、僕は悩みました。
 
 僕も早く青い海底へ行きたい。そうして早く僕も幸せになりたい。でも僕には使命がある。僕と同じ病気で苦しんでいる人たちを救わなければならないし、僕もこの世で幸せな家庭を築きたい。僕はもっと生きて、少なくとも50歳までは生きて、幸せになりたい、小さい頃の不幸せを埋めていきたい。長く生きて、幸せを僕は取り戻したい。
 海の底の綺麗な魚たちや、ゴロや星子さんが僕を呼んでいるけど、僕はこの世で限界まで長く生きて、そうしてこの世の勝利者になりたい。この世の勝利者になって、幸せになって、大きな家や幸せな家庭を築きあげるまで、僕は死なない。僕が死ぬときは、あと35年はかかるだろう。でも僕はきっと幸せになって、ゴロや星子さんの分も生きてそして幸せになって、ゴロや星子さんの待っている竜宮城へ行こう。あと何十年先になるか、僕には少しも解らないけど。




             
 今日は学校でもないのに朝早くから小学校まで来ました。ブランコが早朝の小雨に濡れて光ってかすかに揺れていました。スズメはもう元気に起き出して餌をついばんでいました。
 もう星子さんが死んでから一年近く経つのですね。僕ももう高校3年生になっていよいよ大学受験も間近に迫りました。
 今朝は眠れなくて3時間半ぐらいしか眠っていません。春休みで生活の時間帯がずっと遅れがちになってしまったし、あさってから補習だから早起きに慣れようと思って、いつもなら(昨日までなら)昼近くまで寝ていたのに今日は思い切って飛び起きてきました。
 今、ブランコの上でこれを書いています。家を出るときはかすかに降っていた雨も今はやんでいます。今朝は悪い夢を見て気分は沈みがちです。
 バッグに勉強道具を入れてきてさっきまで少し勉強していましたけど、昨夜よく眠れなかったこともあって頭がボーッとしてこれを書いています。桜は満開ですけど、僕の心は重く沈みがちです。
 天国の星子さんの顔は思い出すとこの白い桜の花びらのようで、そんな星子さんを無情に死に追いやった自分の病気のことが腹立たしくてたまりません。
 きっと僕は立派な医者になって、僕らをこんなに苦しめた病気のことで苦しんでいる人たちのためになるんだ、と思っています。




 星子さんへ
 勉強に疲れきったとき、僕は西の方の空を見上げて、もう何年経ったのか解らないけど、あの楽しかった懐かしい文通していたことを思い出して泣き出してしまいそうになります。
 遠く長崎から離れて福岡の予備校に来ている僕ですけど、本当にここはコンクリートのジャングルジムのような所です。僕らの思い出の浜辺はどうなっているんだろうなあ、と思っています。
 僕らが育った日見は本当に自然がいっぱいで、山があったし海があったし公園もたくさんありました。僕が小学生の頃は空き地がいっぱいででも今はもうほとんど空き地がないくらい家が建ってしまいました。僕の小さい頃は僕よりも背の高い草が空き地を覆っていて、僕はよくその間の近道を通って学校へ行ったり家に帰ったりしていたものでした。
 僕らのあの懐かしい思い出はただ僕らの記憶の中だけに蔵い込まれてもうないんですね。僕らの少年・少女時代はもう遠い過去のものとなろうとしています。それに星子さんの存在だって。




 星子さんへ
 僕らのあの思い出の浜辺も星子さんが死んでから一年以上が経って僕はもうあんまり行かなくなりました。星子さんの家やかすかに見える浜辺を僕の部屋からときどき眺めるだけです。もしも僕が白い鳩になってあの浜辺に久しぶりに飛んでゆけたらどんなにいいだろうな、と思ってしまいます。
 僕らの思い出の浜辺はもうウニ採りも終わったし、中学生たちがかつての僕らのようにサザエ取りなどに励む季節に近づこうとしています。
 もう高校三年も6月を過ぎて大学受験へ向けて一生懸命勉強しなければいけない季節になってきました。


 僕も何度死のうとしただろう。でも星子さんはたった一回死ぬ決意をしただけで死んでしまった。星子さんは不幸に
             ゴロ          カメ太郎作


 青い海の向こうに、星子さんの顔が透けて見えるようで、僕はこの春の日、ゴロと思い出のペロポネソスの浜辺へやって来て、ノホホン、ノホホンと日曜日を過ごしています。今日は県立図書館は休みだし、市民会館に行くのも億劫だし。
 星子さんが死んでから僕は本当に寂しかったです。誰にも手紙を書く宛もないし、僕は勉強したり勤行したりしてずっと過ごしました。
 青い輝く空の向こうに、きっと幸せな生活が待っていると星子さんは言っていた。遠い輝く空の向こうにきっと幸せな世界があるのだと。

 
 きっと何処かに幸せな世界があるのだと
 星子さんは海の中に沈んでゆくときに僕に呟いたような気がする。
 とても苦しい息の下から、僕にそう呟いたような気がする。

 寂しさが込みあげてきても、僕はゴロを連れて海へ行けばいいから、あの懐かしいペロポネソスの浜辺へと行けばいいから。




                 
                    (ゴロと   夕方)
 ずっと昔、君が生まれる以前から、江戸時代の頃から、この桟橋はあったそうなのだけど、そしてその頃は、木でできていた桟橋だったんだそうだけど、そして今よりもちっちゃな桟橋だったそうなんだけど。



 君は素直すぎた。君は素直すぎたんだから。


 雪の中から君の泣く声が聞こえる。
『でも自殺したんだろ。星子さん。自殺したんだろ』
『カメ太郎さん。でも苦しいの。とても苦しいの』
 僕は仏壇の部屋へと駆けた。そして必死になって題目をあげ始めた。星子さんの幸せのため、僕は必死になって題目をあげ始めた。

『カメ太郎さん。私、苦しいの。私、苦しいの。私、自殺したこと、本当に後悔してるの。私、衝動的に海に飛び込んだだけなの。でも海のなかとても冷たかったの。私……』
 僕は必死に題目をあげ続けた。星子さんの幸せのため、星子さんの幸せのため、僕は必死になって題目をあげた。一時間、二時間、と続いた。僕の声はかれ、虫のようなかぼそい声しかもう出なくなっていた。
『御本尊さま、一日も早く、早く星子さんを地獄からお救い下さい』と願いつつ僕の声はもうほとんど出ないようになっていた。僕は線香の立ち込める部屋で題目をあげ続けた。
                

『カメ太郎さん。カメ太郎さん』
……海の上から呼んだって無理だ。僕はもう以前の僕ではなくなっている。(僕はそうして浜辺に寝転んでいた。ゴロが辺りを忙しそうに駆け回っていた。いつもの夕暮れの光景だった。寝そべる僕と、蟹や小石と戯れるゴロと)
                       
                              
 君はとても速く走っている。僕がいくら追っても捕まえきれないくらいに、とても速く走っている。信じられないくらいに、春の野山を駆け回っている。
 君は『エイトマン』のように速く走っている。捕まえきれないでいる僕を笑いながら、君はずっとずっと走り続けている。

                

 もう海面を見渡しても、君の笑顔は見えない。君は海の底に沈んでいって、今、暗い顔をしていると思う。

 以前、見えていた君の笑顔も、一冬が去ってもう見えない。遥か向こうに雲仙岳と天草が、ぼんやりと見えている。


 遠く海の向こうに君が煙って見えた幸せな世界は何処に行ったのだろう。遠い遠い海の向こうで僕に微笑みかけていた君の美しい笑顔は、今はいったい何処に行ってしまったんだろう。


 今日、ゴロが保健所に引き取られていった。朝、9時ごろ、父が日見役場まで連れていったそうだ。夜、そのことを話題にしようとした母は父から『そのことはもう言うな』と厳しく叱られた。
 
 僕も一人ぼっちになってしまった。ゴロも逝き、僕も一人ぼっちになった。僕はただ勉強をして、そうして僕と同じ病気で苦しんでいる人たちのために医者になって、そうして僕と同じ病気で苦しんでいる人たちのために医者になって、そうしてノドの病気や吃りで苦しんでいる人たちのために医者になって、そうしてノドの病気や吃りで苦しんでいる人たちを救ってゆくんだ。僕は救ってゆくんだ。

(星子さんへ)
 ゴロが死んだ。僕は一人、この浜辺に佇んでいる。ゴロは今朝、保健所に送られ、ほかの犬と一緒に、薬を食べさせられて死んだと思う。でも、もしかすると生きているかもしれない。僕の家に、ゴロを狩猟のための犬として貰いたい、とわざわざ訪ねてきてくれた人のような所へ、もしかするとゴロは行ったのかもしれない。そしてゴロはまだ生きていて、僕らのことを懐かしんでいるのかもしれない。きっとそうなのならいいのだけど、本当にそうなるのならいいのだけど。
 でもゴロはもう死んでしまったと思う方がいいのだと思う。そんな幸運なことになったらいいのだけど、本当にゴロが助かっていたならいいのだけど。たとえもう永遠に会えなくても、ゴロは生きていたらいいんだけど、


 ゴロは今何処に居るんだろう。僕はそうして昨日保健所に送られたゴロを思ってこの夕方駆けた。ゴロ、何処へ行ったんだろ。僕は一人で浜辺を駆けた。ゴロ、何処へ行ってしまったんだい。僕は倒れるまで駆けた。
 やがて僕は倒れ伏し、顔を砂の中に埋めた。僕の躰は砂で覆われ、


 ゴロも死んでいった。祖母に大怪我を負わせて、今朝、保健所のクルマに乗せられて連れていかれた。ゴロも死んでしまった。僕は

 
 星子さんも死んでゴロも居なくなった。ただゴロは何処かに生きてないかな、と、保健所で殺されずに、何処かで生きてないかな、と、西彼半島の山の中か何処かで、ハンターの飼い犬として、立派に生きてないかな、と、でもそう生きていてもゴロは僕や父を思ってとても寂しさに沈んでしまっているんだろうなって、とくに夜に。




    (ペロポネソスの浜辺にて  一人にて  高三・六月)
 君のため、僕は信心しているのかもしれない。もしかしたら最近死んだばかりのゴロのために信心しているのかもしれない。でも僕は僕のため、信心しているのだと思う。




            
 君は早まったんだ。僕と一緒にこの立山の森のなかで、ポカポカと暖かいこの森のなかで、お互いを見つめ合いながら死んでいったら、どんなに幸せだったろう。僕ら二人、首を吊りながら。




 君が眠っている。浜辺に眠っている。幸せそうに眠っている。でも僕は苦し紛れに今日もこのペロポネソスの浜辺に走ってきた。辛い学校生活のやるせなさと、自分の宿命への苦しみと、人間の生き方と、僕はとても迷っている。これではいけない、と思いつつ、僕はどうすることもできないでいる。僕の呪いは強くて、君も、誰も、僕の呪いを解いてはくれない。毎日毎日、朝と夜に二時間ぐらいお題目をあげたりしているけれど、僕の苦しみは、立山の青い空の中に、虚しく、とても虚しく消えてゆく。絶望の思いとともに消えてゆく。


 夜空に、ゴロと星子さんが、古代ローマのときのような船に乗って浮かんでいた。そうして夜走っている僕を見降ろしていた。ゴロと星子さんは船縁から顔だけ出して僕を見ていた。
 ゆっくりと雲のように動いてゆく船。必死にマラソンしている僕。僕は息をハアハアとしながら必死に走っていた。船の上から星子さんとゴロが僕に手を振ったようにも思った。


『君、きついだろ』
……僕はそう言って天国への長い長い階段を登っていていた女の子に肩を貸しました。『いえ、いいのよ。私、一人で行かなくてはいけないの。ありがとう。でも私、一人で登って行かなくてはいけないの』
……遠い遠い霞に煙って見えない空の上に天国はあるらしかった。でも少女のか細い足ではそこまで登っていくのはとても無理なようだった。白い白い階段だけれど、女の子一人で登っていくのはとても無理なようだった。途中で落ちて海の中へ落ちてしまうようだった。


『あれが射手座、あれがカシオペア座、あれがオリオン座』
『そうだよ。星子さん。よく憶えたね。僕の記憶はぼんやりとしかけているこの頃だけど、僕はまだ君に教えた星座のことだけは憶えている。たったそれだけ。卒業試験や国家試験のことすっかり忘れてしまったけど、僕はまだ星座のことだけは憶えている。


 ペロポネソスの浜辺に潜ったよ。でも星子さんの銀色の車椅子も、何もなかったよ。サザエもアワビもほとんどなかったよ。ただ藻だけがうっそうと生い茂っていただけだった。


 幸せになりたければあの星へ向かって走ってゆけばいいんだ。階段も何もないけれど、思いきって走ってゆけばきっと橋ができて、僕らはその星に渡れると思う。


 もう夕暮れは暮れてゆこうとしていた。すると立石の方からゴロが駆けてきて、その後ろに恥ずかしそうに星子さんが車椅子をゆっくりと押しながら来ていた。星子さんの頬は赤くなっていた。ゴロは元気いっぱいだった。恥ずかしがる僕と星子さんは二人とも頬はまっ赤だった。


 ゴロ、耳を澄ましてごらん。この砂の下に星子さんがいるだろう。この浜辺の、たしか何処かに、星子さんがいるだろう。かすかな星子さんの声が、聞こえてくるだろう。

 
『何が燃えてるの。あの光、何なの。もしかするとカメ太郎さんの魂なの。カメ太郎さんの心なの』
『あれは不知火海の火だ。僕の心ではない。僕の魂でもない。あれは不知火海の火だ。夏になると現れてくる幻の火だ。僕の心でも魂でもない』


 砂の中に君が居てゴロが居てそして僕も居て、そして僕らは何を話し合うのだろう。ペロポネソスの砂の中のまっ暗なところで、僕らは何を話し合うのだろう。
 将来のこと、未来のこと、生きること、人生のこと、
 やがて湧き水が湧いてきて、僕らは岩場に流される。ゴツゴツとした岩場で、僕らは語り合うだろう。虚しかった人生のことや、人は何故生きるのかってことを。


 砂の中から君が現れ出ても君は変わっていて

 僕は中国語を勉強していた。中二の頃、英語が苦手だし、英語のほかにも外国語を勉強しよう、と思って、毎晩夜12時から2時か3時まで中国語の勉強をしていた。あるとき『聖教新聞』で中国語のコーナーを見て手紙を出した。すると日中友好のバッジと手紙が来た。中二の頃、そうして一生懸命、中国語を勉強した。将来、中国と日本の架け橋の役目を果たそうと、必死になって中国語を勉強していた。眠たい目をこすりこすり毎晩勉強していた。



   (夜の浜辺)
 あそこに星があるだろう。まるでゴロが駆けているようだろう。何処を目指してゴロは駆けてるのかなあ。あのとっても速かった足で、猟師の人から何度も譲ってくれと言われたゴロが、今、天国を駆けている。もう保健所に行ってしまったゴロだけどまだゴロの命は僕らの胸の中に残っている。たぶんいつまでもいつまでも残っている。そうして僕らは死んでやっとゴロに出会えるだろう。それがいつになるか解らないけど、僕らはいつかゴロに出会えるだろう。


        星子さんとの霊界通信
              (星子さんの慰め)

 カメ太郎さん、いつまで泣いているの。カメ太郎さん、いつまで泣いているの。
受験に落ちた僕を慰めてくれる声がたった一つ、ピンク色に煙る空間に一つ、鮮やかな一つの球体として電話台の上に浮かんでいた。
 カメ太郎さん、いつまで泣いているの。カメ太郎さん、いつまで泣いているの。
 星子さん、ボク、今まで何のために勉強してきたのだろう。2年あまりの間、ひたすら勉強に励んできたけど、僕のその努力、いったいどうなってしまったのだろう。僕のあの努力は……

 カメ太郎さんは今まで苦悩に満ちた人生を歩んで来られました。カメ太郎さん、エドガー・ケーシーでなくってほかの人の生まれ変わりだったのだと思います。カメ太郎さん、声が涸れているからエドガー・ケーシーの生まれ変わりかもしれないと言っていましたけど、きっとほかの別のひとの生まれ変わりなのだと思います。

(玄関に浮かび出た星子さんのその慰めの言葉も僕には虚しくしか聞こえなかった。僕には由貴ちゃんの肢体への幻視があった。僕が九医に入ってノドの病気などにも拘らず由貴ちゃんとつき合える資格のある自分になろうという野望みたいなものが崩れ去った挫折感だけがタバコの煙のように空間にたゆたっていた)

 僕のあの努力はこの海辺の青空の中に煙のようにはかなく消えていった。ゴロや星子さんとのこの思い出の浜辺に来て、僕はとても感傷的になっていた。努力とは、生きることとは、僕には解らなかった。   

 福岡の博多港の一角に僕は座っているのだろう。コンクリートの岸壁に僕は座っている。河口の岸壁でところどころ魚釣りをしている人たちがいる。ときどきボラが見える。なかなかたくさんのボラの群れで、でも長崎の僕の住んでいる日見のボラとは少し小さい気がする。ここは汚染されているのだなあと思う。日見の海は綺麗だけどここの海は少し汚れていて魚が住むのに少し適してないような気がする。
 そして僕は川崎さんを思った。南区に住んでいるという川崎さん。南区の大池に住んでいるという。3日前だったろう。僕は夕方までかかって捜したけど見つからなかった。大池のあの団地と見当は付いたけどやっぱり寂しい。この寂しさは川崎さんのためでもあり自分のためでもあると思う。

 一人、夕方、自転車を漕いで長洲の寮へと帰った。夕方から勉強があった。図書館で必死に勉強するつもりだった。


 福岡にいても長崎の懐かしい海が目を閉じるとありありと見えてきます。僕たちのペロポネソスの浜辺は僕らが中学生ぐらいだった頃とちっとも変わりなく今日もいつもの波の音や磯の香りに包まれていることでしょう。
 ゴロも死に、僕一人だけ残されてそして一ヶ月前に長崎を離れて福岡へ来たわけですけど、僕はやっぱり一人で寂しいと言おうか、友達もいない僕にはこの岸壁に来ると心が和らぎます。
 いろんな悔しいことなんかが僕の頭をかすめてはいきますけどこの岸壁に来ると悔しい思いも風のようにはかなくしか感じられなくなるのは不思議です。


 星子さんへ
 海が見えてきます。よく僕らがお互い無言で見つめあっていたあの海が。
 ここは福岡の悲しい灰色の予備校の寮です。僕は来年は阪医を受けるつもりです。せっかく一浪したのだから現役のときよりもちょっと上の大学に入らなければ悔しいから。

 僕らは悲しい恋人どうし
 海を見つめる恋人どうし
 やがて夕暮れが僕らを優しく包んでくれて
 無言の僕らを慰めてくれる


 福岡に居ると、もう波の音も聞こえてきません。今、僕は○○の埠頭にいますが、博多港は波一つなくって、そして長崎は遠く150kmも南西の方角にあるのだから、僕は淋しくって、黄緑色のボクのロードマンにもたれかかって、泣き出してしまいそうな気さえしてきます。
 沖には日見の海も(僕らのペロポネソスの浜辺も)そうだったように、白いカモメが飛んでいます。本当に元気に、海面に降り立ったりまた飛んでいったりしています。
 ゴロも僕の祖母を噛んで保健所送りになったし、星子さんは死んでしまったし、僕は今本当に一人ぼっちのような気がします。新しい恋人を早く見つけなければならないのだけど、僕はノドの病気だから、声をかけたくってもかけきれなくていつも口惜しい思いをしています。
 でも近いうちにきっと僕にも新しい恋人ができて、そして僕も幸せになれるような気がします。きっと近いうちに。近いうちにきっと。


        (福岡の博多港の岸壁にて) S55.5.1
 もしも僕が喋れていたら、僕は少年の頃の星子さんとの美しい恋物語を造ることはできなかっただろう。きっと僕は幻滅されて、そうして寂しい少年時代を送っていただろう。
 僕が中一の冬にノドの病気になったから、僕らは美しい恋物語を残せたのだし、もし僕がノドの病気に罹らなかったら、吃ったりする僕の喋り方に星子さんは幻滅を感じて、僕らは文通をできなかっただろう。僕らの少年少女時代を美しく彩った愛の文通を、僕らはできなかっただろう。


(博多の埠頭にて)  昭和55年5月4日
 大学に入ってからまた授業なんかで苦しむことを思うと、僕の心は暗胆となってしまう。浪人している今はとても楽になっている。高校の頃のあの地獄の思いから僕は解放されている。


 カメ太郎さん、星の向こうに、幸福な世界があると言っていたわね。でもなかったわよ。幸福な世界はなかったわよ。
 ……いや、何処かにある。きっと何処かにある。(僕はこう言いながら夜になりかけた博多の住宅街の道を走り続けていた。僕は叫ぶように大声で言ったつもりだったけど僕の喉は枯れていて小さなささやくような声にしかならなかった。毎日三時間題目をあげていた僕だから。今日も今までに2時間題目をあげている僕だから。ささやくようにしか喋れないけどゴメンネ。本当にゴメンネ)
 ……薄暗くなった戸外を僕は必死に走っていた。公園の横の木々は若葉を風に揺らしていた。僕は必死に寮に向かって走っていた。
                    

 僕は博多の岸壁に座って遠く海を見つめながら、遠い昔のような気がする高二の始めまで続いた星子さんとの文通のことを悲しく思い出していた。もうあれから二年が経った。まだ二年しか経ってないけど、僕は競輪学校へ行こうかどうしようかとても迷っている。長崎から福岡よりずっと遠い静岡へ行くと、そしてそこは山の中だから、週に一度ぐらいしか海岸へ出れないだろう。そうして疲れた僕の心を癒してくれる浜辺には週に一回しか行かれないから、僕は静岡の競輪学校の中で発狂してしまうかもしれない。でも発狂したら長崎に帰れて、僕は久しぶりにあの思い出のペロポネソスの浜辺を星子さんやゴロの思い出とともに歩けるだろう。でもそのときは廃人となって、悲しい悲しい廃人となって歩くのだろう。それよりも今僕はこの博多の海の中に溶けてゆきたい。毎日の厳しい自転車の鍛錬や午後からのぶっ続けの図書館での勉強の苦しさを思うと、僕はこの海の中に溶けてゆきたい。ペロポネソスの浜辺とは大きく違う浜辺だけれども、僕はこの黒い海の中に溶けてゆきたい。


 僕は何のために福岡に来たのだろう。ここには僕の心を慰めてくれる浜辺もないし、ゴロもいないし、ゴロはきっと僕がいなくなったので淋しがっているだろうし、……星子さんが網場の海から僕を呼んでいる。淋しい、淋しい、と呼んでいる。でも僕は博多港で夕陽に照らされながら来年の受験のことや、競輪学校のことを考えながら過ごしている。僕は遠く長崎から離れて、始めて一人で長崎から離れて住んで、淋しさにいまにも長崎まで帰ってしまいたい。でも帰れない。僕の躰をがんじがらめに縛っている何かがあって、僕は長崎へ帰れない。

                     
 君が好きだったビートルズの音楽も、さんかくがレコードを返してくれなくて(東京に持っていっていて)聴けない。波の音がしていたようなあのメロディーを、一人きりの僕は聴きたい。

                  
 星子さん。天国で楽しくしているかい? 僕は地上で今も苦しんでいる。


 悲しくって涙が出るとき、僕は空を見上げよう。涙に曇ってよく見えないけど、白い雲や小鳥が飛んでいるのが僕にはかすかに解る。ほんとに涙に曇ってよく見えないけど。


 僕は黒い海の中に溶けていって僕の不安や焦燥感はすべてなくなって、そうして天界へ住むゴロや星子さんが手招きしているようで。

 星子さん、ゴロ。僕は何もかも放棄して天界へ旅立とうかとも思っています。勉強に疲れた。自転車競技の鍛錬に疲れた。僕はもう疲れ果てた。
僕も星子さんのように黒い海の中に飛び込んで(そう言えば星子さんの飛び込んだ海も5月の海だった。でもあれは寒い寒い5月の夜のことだった。でも今日は暖かい5月の日でしかも昼だ。夜、予備校の寮を抜け出してこの港に来たっていいんだけど、なかなか厳しくて抜け出しきれないから。だから無理だ。ごめんね、星子さん、ゴロ。ごめんね。


 福岡の空は一人ぼっちの青い空。大学に落ちて長崎から一人やって来た寂しい僕を慰めてくれるのは、黄緑色のロードマンとコンクリートに囲まれたこの岸壁しかない。僕はいつも一人でロードマンに乗ってここへやって来て、そして岸壁に腰かけて海ばかり見つめるようになりました。もう長崎に帰ろうかな、と思います。寂しくっていたたまれないから、もう長崎に帰ろうかな、って思います。深い黒い博多港の中に沈んでゆけたら、星子さんのように港の中に沈んでゆけたら。
 そうしたらどんなに楽だろう。そうしたら不安や口惜しさでいっぱいになった僕の心も清らかになって、僕も星子さんが生きていた頃の中学・そして高校一年の頃の僕に舞い戻るのだと思うのだけど。純粋だったあの頃の自分に。

                    
 夜が明け始め、何もかもに呪われた僕も目を醒ます。ぐったりと二日酔いの頭で、白みかけた空を僕は仰ぎ見る。
 ああ、なぜこんなについてないんだろう。なぜこんなに不幸なことばかり打ち続くんだろう。
 僕は空を見上げてうなだれていた。僕はあきらめと悲しみに満ちた瞳を空に向けていた。
 空は僕にモグモグと何か喋ったようだった。でも僕は何か解らずうなだれて窓辺から離れた。
                   

 予備校の寮の中で、真夜中の2時半頃、目を醒ますと天井に星子さんが映っていてその隣りにゴロがいた。僕を長崎に呼び戻そうとしているようだった。外は雨がしんしんと降っていて、寮をそっと忍び出して、近くの電柱に鍵でロックしている僕の黄緑色のロードマンに乗って、夜の闇を突っ切って帰ろうかな、と思った。そうするとちょうど朝の8時ごろに着いて、僕は思い出の浜辺で、きっと大粒の涙を流して泣くだろう。もう亡くなった、僕のために亡くなったような星子さんとゴロだから、僕はきっと罪の意識と一緒に『ゴメンネ。ゴメンネ。』と言いながら泣くだろう。僕はできるだけ大きな声でそう言うけど、きっとささやくようにしか人には聞こえないだろう。波の音とカモメの鳴き声がきっと、僕の声を打ち消してしまうだろう。

                          ☆☆(2行空き)☆☆
 夜11時15分を過ぎていたと思う。僕は自室で勉強していて耐えられなくなって地下の用務員さんの所へ降りて行った。もう11時半ぐらいだったと思う。あんまり遅くて朝の早い用務員さんには迷惑かなと思った。でも僕の胸の中は燃えたぎっていてもう耐えられなかった。
 用務員さん夫婦は意外にも起きていた。そしてテレビを見ていた。新婚の夫婦だからそこのところをよく考えるようにともう一人の学会の用務員さんから言われていたけど、僕はもう苦しくてたまらなかったから。
 そして僕は『中二の頃からノドの病気でとても苦しんでいること、このノドの病気のために僕の青春時代はめちゃくちゃにされたこと、そしてこのノドの病気は中二のころ勤行・唱題をし過ぎたためにこうなったこと、この口惜しさのため僕は喪われた青春を取り戻すつもりで自転車競技でオリンピックで金メダルを取るように頑張っていること、』を涙ながらに話した。

 翌日から僕は用務員さん夫婦が僕のために題目をあげていることを聞いた。でも僕の胸の中の苦しさはそのままだった。ノドの病気も少し期待したけどやはりそのままだった。
                            ☆☆(1行空き)☆☆
 僕は弱気になって、君と一緒に死のう、と思っていたこともあった。あの苦しい1月、2月の頃、僕は本気に君を道連れに誘って“死のう”と思っていた。僕の心は完全に悪魔に占領されていた。でも僕は3月になると立ち直った。信仰の惰性に気付いたし、医者になって僕のような病気で苦しんでいる人たちを救うんだという自覚が次第に高まりつつあった。
 僕が奇跡的に立ち直ったとき、今度は君が挫けてしまうなんて。星子さんは僕よりも強いんだ、と僕は思ってきた。だから僕のやってる信心をしなくったって…あんまり勧めなくったっていいんだ、と僕は思ってきた。

 浜辺の音が波の音とともに朝から家でずっと勉強している僕のところまで届いてくる。朝から題目と勉強の繰り返しだけど、題目をあげているときは何故か今日はずっと君のことを祈ってきた。君の幸せにことを。君が天国で幸福に暮らせることを。
 僕にとって初恋の君のことを。僕が死なせたような君のことを。

 勉強に疲れたとき、僕はよく星子さんと手紙で話しあっていた僕らの海を眺める。すると自然と涙が湧いてくる。僕らを呑み込もうとしたあの黒い海の波の音と、星子さんの最後の哀しい声が重なり合って、勉強に疲れ果てた僕を涙ぐませる。そしてあのとき電話で一言も発し得なかった僕の病気への怒りと、僕はその怒りに駆られて再び勉強机へと向かう。でも参考書の字が涙でにじんで見えない。僕には何も見えない。

                    
 あの日の悲しい夜のことを僕は今でも昨日のことのように思い出す。勉強に疲れたときや淋しさにふと気づいたとき、僕には昨日のことのようにあの夜のことが蘇ってきて、僕を苦しめる。そして孤独感と、たった一人っきりで毎日を過ごしている孤独感と、もし星子さんが生きていたらきっと僕の孤独感は魔法のように癒されていて、僕はまた張り切って勉強机に向かえると思うのだけど、あの浜辺へ行ったって、今の僕には哀しみしか湧いて来ないから、僕は窓辺に立ちつくして、ただ海を見つめる。淋しさと哀しさで心をもみくちゃにしながら。

 星子さんの星と、ゴロの星と、今二つの星がある。この前まで星子さんの星だけだったけど、今は二つ星がある。僕が名前を付けた星が今二つある。
 星子さんの星一つだけだったときは夜空を見上げると悲しかった。いつも夜空を見上げる度に泣きたいような悲しい思いに囚われていた。でも今夜空を見上げると楽しい。夜空を見上げるとゴロも星子さんもいる。僕の孤独な胸は慰められて、今は空を見上げる度に楽しくなる。ゴロも居るし、星子さんも居るし、僕は夜空を見上げると今は楽しくなる。
 今は空を見上げるとゴロが微笑んでいる。星子さんが微笑んでいる。前は空を見上げても星子さんしか微笑んでなかった。でも今は空を見上げるとゴロが微笑んでいる、星子さんが微笑んでいる。僕はちっとも寂しくなんかない。悲しくても辛くても空を見上げれば、ゴロが微笑んでいる、星子さんが微笑んでいる。僕は少しも寂しくない。ゴロも微笑んでいるし星子さんも微笑んでいる。僕は少しも寂しくなんかない。


 星子さんへ (霊界へ旅立たれた星子さんへ。もう2年も前に霊界に旅立たれた僕の思い出のなかだけにある星子さんへ。)

 僕らは今、博多の西公園の傍の堤防に腰掛けて夕陽を見ています。僕らの思い出のペロポネソスの浜辺での夕陽とちっとも変わんないような夕陽です。そして夕陽を見ているとその夕陽が星子さんになって僕に微笑みかけているような気がします。そして夕陽の傍の雲がゴロで、ゴロが星子さんの方に走り寄っていってる気もしてきます。
 あれからもう4年も5年も6年も過ぎたんですね。僕らがあの浜辺でときどき(喋りは全然しなかったけれど)会ってたあの頃から。
 もうちょっとで僕らが文通を始めて6年目の記念日がやってきます。(でもあと3ヶ月もあるけど)
 本当に懐かしいなあ、と思っています。中学の頃は遅かったけど高校の頃は(とくに星子さんがいなくなった高二、高三の頃は)とても早く過ぎ去ったような気がします。星子さんが居なくて僕一人ぼっちだったからこんなに早く感じられるのかなあ、と思います。


 6月に僕は長崎に帰ってきて、それから毎日県立図書館や市民会館へ通って勉強した。いつも自転車でトンネルを越えて図書館へ行っていた。
 6月の始め頃、僕が県立図書館で勉強しているときに○○さんと偶然会った。○○さんは友達と図書館に勉強しに来ていた。僕は一人で勉強しに来ていた。
 僕らは目が会った。でも僕は勉強に疲れ切るまでは勉強を続けようと勉強をし続けた。また、福岡に居るとき電話した○○さんが今見るとあんまり良くない失望感が僕にはあった。
 僕は駆けるように12時ごろ、県立図書館から出て行き始めた。すると○○さんが階段のところで僕を呼び止めた。


 僕は星子さんの手紙を全て焼いたとき、中学・高校時代の僕を支えてきたある何かが、緑色や紫色の見えない炎となって立ち登ってゆくのを感じた。
 以前、ゴロを飼っていた桜の木の下で僕はそのたくさんの手紙の束を燃やした。
 黒い煙がモクモクと桜の木の葉の間を次々とすり抜けるように登っていっていた。僕はそれが星子さんの哀しみの表現だということを一ヶ月ほどたってから図書館で勉強しているときに気付いた。そのときもう秋になっており、僕が八月のあの日に白いランニングシャツ一枚で汗だくになりながら燃やしていたことを遠い昔のことのようにも、夢のようにも、そしてまた昨日のことのようにも思い出していた。

             
 燃え上がる赤い火のなかに地獄の業火に焼かれる星子さんの、とても苦しそうな顔が見えて八月の桜の木の下で僕は躰が硬直したようになって立ち止まってしまいました。僕の家の狭い庭で家には誰もいなくて。
 久しぶりに見た星子さんの幻覚だったのに、星子さんは死んでからもう2年3ヶ月も経つというのに。まだ地獄の業火に焼かれているなんて。自殺したら地獄に落ちると本には書いてあったけど。それは本当のことなんだろうなあ、ととても苦しげな星子さんの表情を見て僕はとても怖くなりました。
 思えば星子さんを殺した殺人者である僕。だからそれ故に僕はこの2年3ヶ月余りをとても寂しく、とても辛く過ごしてきた。楽しいことは少ししかなかった。毎日毎日辛いこと苦しいことばかりでそして僕はずっと孤独だった。
 星子さんの崇りかな?とも思った。九大にも落ちたし。

“ゴロ”とは母が付けたのだと思う。その頃、流行っていた人気歌手の野口五郎の名をとって、たしか母が“ゴロ”と名付けたのだと思う。

 君は逝ってしまった。5月の始めなのにとても冷たい夜を選んで君は海の中に沈んでしまった。3月や2月のような寒い日だったのに、君はその日死んでいった。

 寂しくなるといつも君は学校帰りにレコード店に寄ってレコードを借りていた。僕が冷たくしていたから。君は孤独で寂しくて、そして劣等感に打ち沈んでいて、君は寂しさを紛らすために、レンタルレコード屋へ行ってそしてそこから出て来るところを、僕は今日バスの中から見た。


 あの日のこと、あの日、図書館に行く前だった。僕はその日珍しく朝から家で勉強していた。図書館でばかり勉強する僕には珍しいことだった。
 3時頃、郵便受けの音がした。僕は薄暗い自分の部屋から朦朧とした頭のまま歩いていった。階段を踏みはずすところだった。朝からずっと勉強していて(途中でもちろん朝の勤行をしたけど)僕はボンヤリとしていた。
 炬燵の中で数学の問題を解いていた。でも炬燵の中はやっぱり駄目だなあ、やっぱり図書館に行こうかな、今からでも8時まですれば遅くないな、と思っていた。
 ポストの扉を開いて見ると文通用の便箋が出てきた。よく考えてみると一週間あまり前、○○○○さんに四度目のラブレターを出したのだった。その返事かな、と思った。
 その返事以外に何かあるかなあ、と思った。封筒の裏には何も書かれてなかった。そして始めて見る字だった。川崎さんでもなかった。そして鉛筆で書かれてあった。郵便切手が逆さまに貼ってあった。そして“長崎中央”の消印があった。
 
 その日、僕はそれから県立図書館へと向かった。『嘘なんだ。僕に勉強させるため、僕に九医を受けさせるための嘘なんだ。○○さんは嘘をついているんだ。』と半分思っていた。でも半分は本当のような気もして僕は御洗水を少し過ぎたなだらかなまっすぐな下り坂でバイクを運転しながら目を潰った。5秒くらい潰っていただろう。対向車はなかった。既に中央線をはみ出していたけど僕はゆっくりとハンドルを左の方へと切った。
 
 2月3日のことだった。そして僕は帰り際、小さな本屋で『GORO』という少しポルノ雑誌めいた本を買った。


 あれは二月のことだった。僕の吃りはとてもひどくなり現国の一文読みをいつも冷や汗をかいたり目まいを覚えたりしながらなんとか読めていた。それよりも学校を休んだり早退きしたりする日々の方が多かった。
 僕はあの頃はとても苦しかった。友達と学校帰り帰るときもろくに口もきけないほど吃りがひどくなっていた。
 毎日夢を見ながら女の子と遊んでいた。中三の頃の○○さんだったり○○さんだったりした。2月はたしか4日しか学校へは行かなかった。そして僕は早く2年生になるのを待ち焦がれていた。
 あの年は暖かい冬だった。梅の花が立山公園に咲き乱れていた。




 僕があまり星子さんのことを思いやることができなくなったのは僕が一月や二月のとても厳しい日々を経てきて、(僕はその間、ずっと学校を休み続けていたから星子さんからの返事が来ないうちに何通も星子さん宛に手紙を出したけれど)そして春になって暖かくなってきて、張りつめていた心の糸がプツリッ、と切れたのからかもしれないし、僕は一月二月と学校を休みながら中三の頃の結局喋らなかったけれども星子さんの友達の○○さんや○○さんのことを星子さんよりも考えていたからかもしれない。
 僕には星子さんに肉体的魅力がないことを星子さんの友達だった○○さんや○○さんのことを思いながら考えていた。
 そして僕の心は星子さんから離れて行きつつあったのだろうと思う。僕は肉欲に目覚めかけてきていたのだと思う。僕は密かに星子さんよりも星子さんの友達の○○さんや○○さんのことを思うようになってきていた。
 僕の心は汚れてゆき、もう星子さんと出会った頃の中一の頃の純粋な僕ではなくなってしまっていた。そして僕は勉強にも焦っていたので星子さんに手紙を書かなくなってしまっていた。
 中学の頃の純粋な僕の心は高校に入って次第に堕落していっていた。性欲というものが僕を支配するようになっていった。その性欲は僕の心を星子さんから遠去からせつつあった。
 僕はそうして自分一人のことしか考えきれないようになっていった。一月二月と辛い日々が続き、僕の心にはすき間風が吹くようになっていった。僕の心には余裕がなくなっていっていた。

 久しぶりに登校したとき、同級生の女の子がとても眩しく見えた。そして学校帰り長中の女子中学生がなんて眩しく見えたことだろう。
 僕の心は変わり、悪魔の世界が僕を待っていた。そしてそれから2ヶ月後、僕から見捨てられた星子さんは死んだ。


 苦しすぎたのだと思う。君はあまりにも苦しすぎた。僕も苦しかった。でも僕には信仰があった。僕は苦しみを信仰で昇華させることができた。でも君にはできなかった。君には信仰がなかった。
 君が死への坂を転がりつつあったとき、僕は比較的楽な日々を送っていた。2年生になって一文読みの現国の先生でない先生から習うようになったし、クラスのみんなも大人しくて教室が静かで喋りやすかった。
 僕は創価高校へ行ってたら、もう星子さんとは本当に文通だけでしか会えなくなってしまっていたけど、でも僕が創価高校へ行ってたら、星子さんは死ななかったと思うし、2週間に一遍か月に一遍ぐらい手紙を交換し続けて、そして僕の高校時代の3年間もずっと文通できたのにと思うと口惜しくて。

 もしも僕が創価高校へ行ってたら、星子さんとは月に一回ぐらい手紙を交換して、星子さんは長崎に、僕は遠く東京の寮で三年間を送って、そうして僕らはきっと幸せな文通を続けたに違いない。
 夏休みなんかで僕が長崎に帰ってきたとき、僕らはきっと会ってただろう。僕は吃りでも元気いっぱいな高校生になっていて、夏休みなんか僕らはきっと思い出のペロポネソスの浜辺で、僕らはきっと出会ってただろう。
僕らの傍にはゴロが居て、波の音と香りがしていて、僕は東京での生活を熱っぽく星子さんに話していただろう。星子さんも長崎の生活を明るくとても無邪気に話していただろう。もしも僕が創価高校に行ってたら、中三の頃も石川さんが足繁く僕のもとに通って来て下さったならば…。

 僕らは幸せを夢見ていた。でも幸せは遠かった。僕らにとって、あまりにも幸せは遠すぎた。幸せは遠くにあるんだね。僕らの手の届かないところに。ずっとずっと遠くに。

 僕が正義のために死んだなら、星子さんは浮かばれてくるかもしれない。僕は創価学会の活動に一生懸命になって、

 本当にあの暑い日のことを、八月のあの日のことを、僕はとても後悔の念でいっぱいになりながら思い出してしまう。紙袋いっぱいに貯まった星子さんの手紙を僕は燃やしてしまった。押入れから取り出すときあのずっしりと重たい紙袋を(青いボールペンで『1』『2』…と順番通りに書かれて輪ゴムで結んで整理してあった幾つもの手紙の束の入った紙袋を)持ったとき僕の心は鬼になっていたのかもしれない。孤独な、親以外とはほとんど誰とも喋れない日々が続いていたあの頃、僕の心は鬼になり星子さんの手紙を何故か燃やしてしまった。



         孤独な星子さん
           (暑さに打たれた僕の白昼夢)

 自殺したんだろ、星子さん。早く霊界に行かなくちゃ。はやく霊界に行かなくちゃダメだよ。
(星子さんは孤独な姿のままで僕の部屋の窓辺に現れていた。打ちしおれた姿だ。)
(星子さんはそうして窓辺にずっと佇みつづけ、ボクをうらめしげに見つめていた。)
 星子さん。早く霊界に行かなきゃ。僕はこの頃創価学会の活動や柔道やそれに大学の授業なんかで怒涛のような毎日でもう僕は星子さんのこと構っている暇がない。創価学会で必死に戦って、そうして苦しんでいる人たちを救ってゆくんだ。

               
 僕は何が正しいのか解らなくて空を仰ぎ見る。もうずっと前から変わっていないと思う空だけど、もうずっと、何千年も何万年も前から。


 星子さんへ         (大学一年 十月)
 僕はもう星子さんと別れて3年半近くになるけれど、僕は行き詰まってしまったというか、何を信じていけばいいのか解らないというか。
 それに僕は淋しい。空を見上げても星子さんは何も語りかけてきてはくれない。僕は淋しくて今にもどうかなりそうな気さえしてくる。僕は淋しい。僕もみんなのようにわいわいと騒ぎたいけれど、僕にはノドの病気があるから。


※(これは僕が命を賭けて戦ってきた創価学会の信仰に疑問を抱き始めた最初の頃に書かれたものだと思う。)
 僕の胸にはまだ君の思い出が残っている。僕が中一か中二の頃、ノドの病気に罹らなかったらきっと君と友達になれて僕らは楽しい青春時代を送っていたと思うのに、僕のノドの病気は、僕と君との青春を奪ってしまった。そして君を死なせてしまった。
 君は一人で寂しく五月の冷たい日の海の中に沈んでゆき、僕は君を救おうと月の光りに照らされた君の処に必死に泳いでいったけれど、君はもう半分死んでいた。僕は疲れきっていて君を桟橋まで連れて戻るのにとても時間がかかってしまった。そして君は死に、僕とゴロはペロポネソスの浜辺に寂しく残された。


 こうして20歳の誕生日の夜は淋しく更けてゆく。波しぶきが僕の顔に吹きつける。もう冬になろうとしているまっ黒い夜の海だ。でも僕の体は熱く燃えている。何か知らない薪のようなものが僕の体のなかで激しく燃えているようだ。
 星子さんもゴロももうとっくの昔に逝き、ただ僕一人だけ生きてこの20年を生きて_ォた。僕だけ20年も生きてきた。星子さんは14年、ゴロはたった2年しか生きられなかった。僕だけこんなに生きてきてゴメンネ、ゴロ、星子さん。でも僕は苦しんでいる。たった一人で淋しくて苦しんでいる。


 僕が殺したようなものだった、可哀相な星子さん。もうすぐ14歳になるある春の日に冷たい夜の海に飛び込んで自ら命を絶った星子さん。僕は昨日20歳になりました。今、大学一年生です。でも僕の胸は淋しくて破裂してしまいそうだ。今にも破裂してしまいそうだ。


                  (S56・12月)
 僕はこのまえまで、創価学会こそ真実なんだと思って戦ってきた。僕はそれこそ命賭けで戦ってきた。僕は全てを賭けていた。僕は命賭けで、本当に命賭けで戦ってきた。でも信じられなくなったとき僕の心の中の張りつめていた糸はプツンッ、と切れて


                    (大二、六月)
 高二の始め頃から僕は一人ぼっちだった。一人ぼっちで寂しかったけどその淋しさを勉強への情熱に変えていた。あの頃は幸せだった。目標があって未来が輝いているように見えていたし、本当にあの頃は幸せだった。

 君は前世のムー大陸で、神のいけにえにされそうになったんだ。だから僕は駆けて行って、神殿の前の君に懸かっている手錠をはずそうとしたんだ。でもその前に君は殺され、君はいけにえになった。



                   (教養留年 6月)
『星子さん。何してるんだい。そんな岩陰で何してるんだい?』
『カメ太郎さん。黙ってて。お願い。私、何もすることがないから。何もできないから。編み物を編んであげることもできないから。』

『カメ太郎さん。見ないで。今、私がしていることを。私、何もできないし、何もしてあげられないから。カメ太郎さん。見ないで。お願い。』

……僕は寂しく立ち去った。僕は今日、さっき始めて口をきいた。もう夕暮れが辺りを覆い始めていた。ずっと、ずっと前、僕と星子さんが文通を始めるきっかけとなったあの日からもう十年も年月が経っていた。

 
 僕は久しぶりに浜辺に来たけれど、本当に久しぶりにこの浜辺に来たけれど、もう星子さんの心は僕から離れてしまっていて、僕が久しぶりに訪れても迷惑そうだった。僕は今日、まだ誰とも喋っていなくて(学校へ朝からちゃんと行って夕方までちゃんと受けてきたけど)家に帰ってきて寂しくて、この浜辺へやってきたのだけど。本当に久しぶりにやって来たのだけれど。


 君の心はもう僕から遠く、遠く離れてしまっていて僕は寂しく帰ってきた。君は僕の顔も見ようとはしなかった。それに君は僕に顔を見せずにずっと後ろを見てきていた。

 僕は君の笑顔を一目、ただ一目だけでもいいから見たかったのだけれど、君は振り向いてもくれなかった。君は岩陰に佇んだまま顔を覆い隠して決して僕の方を見ようとはしなかった。

         
    (窓辺で もう暗くなっていっている海を見つめながら)
 君も僕も重い宿業を持って生まれてきた。君の宿業の方が重くて僕より先に死んだのだけれど。僕は今、孤独で、あんまり寂しくて、


                  (教養留 十月9日)
『星子さん。海の中、もう冷たいだろう。僕、今度、星子さんを救いに海の中に潜ろうかな。寒いからウェットスーツを買って、(一万円もしないでサンアイ売ってあるから)僕、海の中に潜って、星子さんを救って来ようかな、と思っている。』
……『でも無理よ。カメ太郎さん。私、出られないの。一万年、ずっとこうしていなくっちゃいけないの。自殺したから一万年ずっとこうしていなければいけないの。』……
『でもカメ太郎さんもバイク寒いでしょう。もうとても寒くなったからバイクとても寒いと思うわ。』
『でも、そんなに寒くないよ。ジャンバーを着てるし、バイクに乗ってるときは緊張しているからか寒くないんだよ。』


       自殺が正義ということもあるということを
       自殺したら周りの人が却って助かるということを


                    (教留 2月)
 星子さんの手紙はいつも明るすぎるほど明るくて、僕はいつも励まされていたけど、それなのになぜ自殺したんだろう、と思っていたけれど、それは星子さんが自分のひけ目や劣等感を隠すためのものだったっていうことを、僕は今やっと気付いた。
あの最後の日、受話器から洩れてくる星子さんの声は悲しみに満ちていた。僕はそれが最初、星子さんの声だとは信じられなかった。手紙でのいつも明るい元気な僕が想像していた星子さんの声とは全く違っていた。
 あの日は雨の日だった。いつものように僕は学校に行くふりをして家を出た。そしていつものように後輩の下宿へ行き、そこで夕方まで時間を潰していた。こたつに入ってぼんやりと考え事をしていたときそのことが浮かんだ。僕は女の子の心のことなんて少しも解ってなかった。もしも僕が女の子のことをよく知っていたなら、文通の手紙を今まで2週間に一回ぐらいづつ出していたのに2ヶ月ぐらいも出さなかったらやっぱり女の子は疑心暗騎することを僕は思い浮かばなかった。


        ※(長崎大水害のときのことだろう)
 あの大雨のとき、僕は君の家が流されたことを、部屋の窓からいつもの景色を眺めているときに気付いた。君の家に鉄砲水が襲ったとき、僕は大学の柔道部の部室でお酒を飲んで寝ていた。外は凄い雨だった。風呂から帰るとき道の中央から水が吹き出していた。僕は水道管が破裂したのだとばかり思っていた。
 夜、『死者百数十名』とラジオで言っているのを僕は何かの冗談か何かだろうと思って聞いていた。夜の一時頃だったと思う。僕たちの寝ている柔道場は何ともなかったし、何かのディスクギョッキーだと思っていた。君のお父さんが近所の人を助けようとして死んだことを僕は僕はその夜一時の放送のときテレパシーか何かで感じ取った。
 酒に酔っていた僕はそのラジオ放送を聞いたあとも明日の練習のためもあってすぐに眠った。君は生きていてもこの水害のとき死んだのかもしれなかった。でも君はきっとどこか親戚の安全な処に避難していて死にはしなかったと思う。
 僕は


 君のお父さんが近所の人を助けようと川縁に手を差し伸べたとき
 君に憑いていたと同じ死神がきっと君のお父さんを押したのだと思う。
 滝のような雨の中で雨ガッパを羽織って人助けに走っていた君のお父さんを
 君に憑いていたのと同じ死神がきっと背中を押したのだと思う。
 僕は土砂だらけの日見トンネルの中をバイクの白いフルフェイスのヘルメットを被って歩きながらそう思った。
 もう君が死んでから4年経っているのだった。


         (ユートピア)
 僕は何処かにユートピアを建設したい。○○ちゃんとの出会いによって僕の懐かしい元気だった少年時代を思い出すことができたけれども、○○ちゃんは僕を冷たくフッて僕の友人へと走った。
 僕は何処かにユートピアを、かつてのゴロや星子さんとのこの思い出の浜辺のような所にもう一度ユートピアを。


 闇の夜の中に見えるまっ赤な太陽は、あれは星子さんの魂だったことを僕はこの頃、十年ぶりくらいに、中二の冬の夜や、中一の冬の夜や、中三の冬の夜に、眺めていた君の家のカーテンの色が橙色だったことを、僕は十年ぶりぐらいに、たしか十年ぶりぐらいに、思い出している。


 星子さんへ
 僕は星子さんの友だちだった桃子さんから冷たくフラれ、僕は星子さんとの思い出の浜辺に来ています。香りも波の音も昔とちっとも変わってませんね。もちろん風景も。
 僕と由貴ちゃんはクリスマスイブの夜に合コンで偶然一緒になりました。桃子さんは看護学校へ行っていました。
 僕は勇気を出して桃子さんの横の席に座りました。
 もう十日近く前になるかなあ。あのジングルベルの音楽の鳴り渡っていたあの夜から。



               (埋葬)
 砂浜の奥の森の中に横たわっていた僕の顔に雨なのだろうか水滴が一つポツリと落ちてきた。でも僕にはこの森にこうして横たわり続けることが失恋で傷付き果てた(失恋と呼べるのかどうかも解らないけど)僕の心を慰める一番の方法のようだった。僕はこのままこの森の中に水滴とともに溶けてゆきたかった。薄暗いこの森の土の中に、僕は埋葬されたかった。


 黄色い花が咲いていた。夏の山に黄色い花が咲いていた。不思議な不思議なチューリップのような花だった。
 それは僕を救う星子さんが花となって現れ出たかのようだった。星子さんが花となって死んで6年たった今ふたたび現れ出たんだ。星子さんが再び現れ出たんだ。
 哀しい出現だった。とても哀しい出現だった。星子さん、そんなにまでしなくてもいいんだよ。僕もう星子さんのこともうほとんど忘れてしまっているんだから。本当にもう忘れかけてしまっているんだから。


 もう魚釣りに行かなくなってから何年経つかなあ。いつも牧島で瀬に渡って魚釣りしてて、いつも橙色をした星子さんの家の屋根が見えていたっけ。もう魚釣りに行かなくなって本当に何年になるのかなあ。
               (窓辺にて  ある日曜日に)
                     (学一  六月)



『カメ太郎さん、久しぶりね。本当に久しぶりね。』
 僕は何気なく思い出のペロポネソスの浜辺に来ていた。黒塗りのFT250に乗って来ていた。なんとなく僕は来てしまっていた。本当にこの潮の香りは久しぶりだった。
 僕は星子さんを忘れかけようとしていた。

 もう星子さんも海の中の生活にすっかり慣れているようだった。却って僕の方が励まされているようだった。

 波の音が『ザーッ、ザーッ、』と疲れ切った孤独な僕の心を慰めてくれます。僕の沈み込んだ心を洗い流してくれるように波の音は僕の胸に響きます。

 かすかに聞こえてくる波の音は僕の胸の中の琴線をかき鳴らすように響いてくる。悲しげなメロディーとともに。僕が中学の頃や高校の頃、聞いていたあのわずかな曲のように僕の胸に響いてくる。
                       
『カメ太郎さん。見えないけど、私、岩陰に隠れてますけど喋っていい?』
『ああ、いいよ。僕は君が僕の前から姿を消したのでしょんぼりとしていた。寂しく
て(もうゴロもいないし、僕には高校時代や信仰をやめるまでの友達がもういなくて寂しかったから僕は星子さんの言葉がとてもとても嬉しかった。)僕は寂しくてしょんぼりしていた。

 カメ太郎さん、私、死ななかったら良かったわ。私、カメ太郎さんのことあきらめてほかの男の子と文通したり電話で喋ったりしたかったわ。でも私にはカメ太郎さんのことが離れてゆかなかったの。私どうしてもカメ太郎さんのこと忘れることができなかったの。忘れよう、忘れようと何回も努力したけど駄目だったの。

 僕も今日は始めて喋る。今日、学校へ行ったけど僕は誰とも喋らなかった。僕の口は今日学校へ行っても閉ざされたままだった。誰とも知った人とは出会わなかったし、ずっと教室の片隅で講義を受けているだけだった。

 僕と星子さんの会話は決して楽しいものではなかった。星子さんは『苦しい。苦しい。』と言ってたし、僕も苦しかった。

 冷たい暗い海の底で、星子さんは身を隠しながら僕にこう囁いた。
『カメ太郎さん。頑張ってね。星子さんはこうして負けてこんなみじめな姿になってしまったけど、カメ太郎さんだけは頑張ってね。カメ太郎さん頑張ってね。不幸せな人たちをどんどん救っていってね。』
『星子さん。本当に出られないのかい。そこから出られないのかい。』
『ええ、一万年、ここから出られないの。神さまからそう言われたの。自殺したからここに一万年居なさいって神さまから言われたの。』
……僕はその言葉を聞いて涙が溢れるのを止めることができなかった。海の水は冷たく、僕には耐え難かった。


 僕の躰は燃えていた。9月の夕暮れに僕は何故だか一人で外海町の岩肌の険しい断崖の打ち続く道を走っていてバイクを留めた。2回目の留年が近いうちに親に知れるんじゃないか、という強い不安があった。
 遠くにかすかに島影が見えていた。それは中国にも思えたし、やっぱり五島なのだろうと思えていた。
 遥かに見える島影や打ち続く絶壁は僕の不安のようだった。僕の不安を象徴したかのような光景だった。遠くに見える島影は僕の行く天国のようにも思えた。また星子さんの待つ白い楽園の光景をも思い浮かばせた。
 近々死のうと思っていた。僕は人生にすっかり失望し始めていた。自分の無価値観と言おうか人生の無常観と言ったものを僕はこの頃切実に感じ始めていた。
 星子さん。僕は高校を卒業してもう5年ぐらいになるけれど、もう疲れきったと言おうか、まだまだ親のすねをかじり続けなければならない罪悪感とそして劣等感に苛まれ、僕は死ぬことを本気で考え始めていた。漠然とした不安と焦燥感だった。
 夕陽に紅く染まり始めている青い静かな鏡のような海は僕を呑み込んでゆく、僕を本当に殺してくれるだけの力のある、青い巨大な悪魔のようにも思えた。
 青い巨大な悪魔の中に僕は呑み込まれ、僕はクルクルとその中で激しく回転しながら死んでゆくのだろう、と思われた。
 黒塗りの僕のFTのエンジンの鼓動はかつてのゴロの心臓の音(僕が耳をゴロの黄土色の胸に当てたときに聞こえていた音)や、ゴロの吐く息の音のように思える。なんだか中学時代に戻ったような気もする。あの懐かしい、そして元気だった、そして一番幸福だった中学時代に。今思い返せば泣けてくるような中学時代に。懐かしい懐かしい中学校の校庭や教室などの思い出とともに。
 なんだか今の僕は幽霊のような気がする。あの輝いていた楽しかった中学時代と比べると。
 ああ、僕は霊界に旅立つのかなあ、とため息混じりに思っていた。懐かしい中学時代や小学校時代に校庭に咲いていた銀杏の黄色い葉がなんとなく遠くに霞んで見える島影を想起させて僕はとても懐かしかった。
 小さな竜巻がときどき起こっていた中学や小学校の頃の校庭。それに高校時代の校庭。それらがなんとなく夕陽を見つめていて思い返されてきていた。
 孤独感がそれらを想起させるのかなあ、と思っていた。そんな遠い遠い昔の思い出を。
 星子さん。僕は孤独だ。(そして僕はバイクの黒いシートをまるで中学時代のゴロの躰を叩くときのように叩いた。)
 霊界ってどんな処かなあ、と思っていた。きっと霊界ってあの紅い夕暮れの雲や青い奥深い海の底のような処なのだろうなあ、と思っていた。
 僕が死ぬと父や母は哀しむし寂しいだろうなあ、と思って僕は哀しかった。そして今にも泣き出したいほどだった。


 僕は夕陽を見つめながら心の中で星子さんに手紙を書き始めた。

(星子さんへ)
 死のう、と思うと悲しくて涙が溢れてきそうになります。
 でも希望がないから。僕の前途はまっ暗だから。 
呪われているから。
 もうどうしようもないから。
 もうどうしようもないほど僕の呪いは強すぎるから。
 もうどうしようもないから。

(そして僕はバイクを離れて崖っぷちへと歩き始めた。崖から飛び降りようかな、でも痛いな、と思っていた。)

 そして星子さん。僕は生きなくっちゃいけない。父や母のためにも。星子さんが死んだとき、星子さんのお父さんやお母さんはどんなに哀しんだだろう。僕はそのことを知ってるから、そのことのために、とても死ねない。僕には今でも星子さんが死んだときの星子さんのお父さんとお母さんの哀しみ嘆く姿が見えてくるようだ。だから僕は死ねない。僕の父や母に星子さんのお父さんやお母さんの味わった悲しみや苦しさを味あわせたくないから僕は決して死ねない。

 すると太陽が、たった僕だけを目がけて、カーッと照りつけてきて、僕は赤い光に全身を溶けてなくなってしまうほどに包まれて、そして僕はなんだか意識が朦朧となったような感覚に捕らわれて、そして今まで数日間猛烈に僕を覆っていた死にたいという気持ちが亡くなってしまったのを覚えた。死神が僕から去っていったようだった。
そして僕は草原を、バイクの方へと歩き始めた。黒い僕の250ccのバイクはかつてのゴロのように喜びながら僕を出迎えてくれているようだった。

 僕は生きよう。僕は親のため人のために何かやれるかもしれない。何かボランティアでもしようかな。そうして生きよう。人のため、社会のため、僕は生きてみよう。

 さくっ、さくっと踏み締める僕の足元の青い草たちはそう決意した僕をとても喜びながら青く青く僕を輝きながら包み込んでくれてるようでした。そして僕を待ち構えている黒塗りのカワサキのFTと。

 そして僕は寂しく帰り始めた。FTのエンジンの鼓動はなんだか中世の騎士のように僕を思わせ僕はバイクの上で少し得意になっていた。

 ちくしょう、今日死んでやる、今日死んでやる、と決意して来たのにまた死ねなくてごめんね、と僕は胸の中の星子さんに囁きつつ僕は夕陽を背中に浴びて帰りつつあった。
 星子さん、死ねなくてごめんね、星子さん、死ねなくてごめんね、と呟き_ツつ。

 指先で触ってみても、もう海の水は冷たくて僕に寂しさしか与えてくれない。指先でそっと触ってみても、僕の心に寂しさがこみ上げてくる。たとえようもない寂しさが。

 冷たい海の中で君は叫んだ。僕に抱かれて一緒に海の中に沈みながら、君は僕にたしか何かを叫んだ。

 死ぬもんか、死ぬもんか、ときどき死神が襲って来るけど、僕は死ぬもんか。

 あれから僕は死人のように生きました。いえ、僕は本当に死人だったのです。

 毎日毎日が臨終のときのようでした。僕の長い大学生活は毎日が臨終でした。僕は毎日息絶えたようにして生き永らえていました。
 僕は完全に死人でした。

 星子さんが死んでから2、3年ぐらい経った頃から、つまり僕が大学に入学した頃から僕の魂はすでに半分霊界へ旅立っていました。狂気の毎日でした。そして狂気の毎日とは地獄に似た苦しみの連続だったのです。

 生きるって何なのでしょう。僕は今もって解りません。毎日アルバイトに精を出している元気な奴ら。女の子と楽しくドライブしている奴ら。僕は

 僕は長崎の浜の町に原子爆弾を造って置いて爆発させよう。僕の住む日見は山一つ隔てた所だからここまでも被害は来ないようなちょうど太平洋戦争のとき落とされたぐらいの原爆を爆発させたい、という気持ちでいっぱいになっています。
 そして浜の町によく満ちている欲望が吹き飛んでゆく。浜の町に満ちている性欲の香りが。

 欲望に満ちた町。浜の町。
 ときどき僕を怒りに震わせる町。浜の町。


 もう遠くなってしまった八年前の星子さんとの恋のこともこの小波の音を聞いていれば蘇ってきます。寂しさや失意に耐えかねてこの浜辺に久しぶりにやってきたけど、もう本当にあの頃のことは遠い昔のことになってしまいました。
 耳を澄ませばほんのちょっぴり、ほんのちょっぴり聞こえてくるけれどもう今の僕を元気づけてはくれません。
 僕は淋しさに耐えかねてこの浜辺にやってきたけれど、僕は孤独で誰も僕の傍には寄り添ってきてくれません。

                     
 星子さんへ。僕はやっぱり医者になることにした。くよくよと落ち込んだり一人で悲しんだりすることなく、僕はやっぱり医者になることにした。そうしてアフリカなどで苦しんでいる人たちを救っていくことにしようと決めた。
 だから僕は今から一生懸命勉強して、もう留年なんかすることなくて早く医者になるよう頑張ることに決めた。今朝バイクの上で泣きそうになっていたとき僕はそう決めた。
 僕は絶望感に襲われたとき、空を見上げよう。青い青い空を。そうしてアフリカには僕よりももっともっと苦しんでいる人たちがたくさんいることを思って、もう留年することせずに、早く卒業するよう、努力しよう。懸命に努力しよう。

                    
 僕は眠れなくなった。眠っても夜中すぐ目が醒めてしまうようになった。僕は眠れなくなった。勉強しようとしても頭が朦朧として、心のなかで必死に題目を唱えながらなんとか勉強している。僕は眠れなくなった。
 僕はお酒ばかり飲むようになった。真夜中に起きてきてお酒を飲んだり、休みの日には朝からお酒を飲むようになった。お酒を飲むと勇気が湧いてきて、友達のところに電話したり、英語の本を読んだりしている。
 悲しみに満ちた空は僕を遠い昔の思い出に浸たらしてくれるけれど、もう僕は23歳になろうとしているし、対人関係にも疲れ、留年をしていることを親に内緒にしていることにも疲れ、今日もこの図書館で過ごしている。周りには元気な中学生や、高校生や浪人生がたくさんいて、孤独な僕の心を慰めてくれる。

            
 ゴロが駆けてきているし星子さんが車椅子を漕いで急いでやって来ている。僕は死ねずに横たわっていた。死んではいないようだった。近くに牛乳のようなものをたくさん吐いていた。僕が飲んだ薬らしかった。
 僕が飲んだ瓶一杯のクスリは白かったけど、それが白い液体となって浜辺にこぼれているらしかった。
 僕は死ねなかった。もう太陽はずいぶん高く上がっていた。


 手紙の中での僕は、本当の僕ではなかったんだ。本当の僕はもっと弱くってそしてエゴイストで(星子さんと直接会って話をするのをあんなに避けていた僕だった)つまらない男だった。
 星子さんが文通していた僕は本当は偽りの僕だったんだ。半分は本当の僕だった。でも半分は偽りの自分を飾っている僕だったんだ。

 でもカメ太郎さん。私もかなり偽っていました。私は決してそんなに明るい女の子ではありませんでした。私はクラスの厄介者のような感じでした。
 友達がたくさん居る、と書いていたと思いますが、私には友達は数えるほどしかいませんでした。私は一人っきりでいた方が多かったです。数少ない友達も陰気な私にはあまり近づいて来ていませんでした。

※(僕はこのころから抑欝ぎみになった。そしてあまり眠れなくなった。)

 冷たい海の下から星子さんが僕を呼んでいる。
『カメ太郎さん、暗いの、星子さんのいる処、とても暗いの、海のなか暗いの』
『カメ太郎さん、寒いの、星子さんのいる処、とても寒いの、冬の海のなかとても寒いの』
(僕は星子さんに耐えることだけしか言ってやれなかった。ただそう心のなかで星子さんの声に呟くように答えるしかなかった。)

 君もずっと言ってたように、僕も、幸せになりたい。でも幸せへの道は遠い。僕らにとって幸せへの道は遠い。

                 
 生きることに疲れ果てて僕は久しぶりにこの浜辺へやって来たけれど、冷たい北風が僕を吹きすさび、一羽のカ_c≠ェ遠くの海の上を飛んでいる。
 すっかりと僕は自身を喪くし、かつての自信に満ちていた僕はもう遠い昔の僕となってしまったようです。夜、あまり眠れなくなりました。悲しい思い出が次々と僕を襲って来て、いろんな後悔に悩まされるようになりました。星子さんが生きていたときの元気だった自分。希望に満ちていた自分。もうその頃の自分は戻って来ません。
 遠い昔になった過去の思い出を遡っていっても、暗い闇の中にポツン、と僕と星子さんとゴロがこの浜辺で戯れている幻想みたいなものしか湧いてきません。もうすでに遠くなった悲しいあの日の別れの日の思い出ばかりが蘇ってきます。
 

 遠い昔の思い出がある。この白い浜辺をゴロと駆け回った思い出がある。そして夕方ごろ星子さんが来て、僕はゴロと逃げるようにこの浜辺を立ち去った思い出がある。


 青い貝殻がポツリと、久しぶりに来た思い出の浜辺に落ちていた。星子さんの魂のようだった。また苦しかった僕の少年時代の思い出のようだった。

           
 僕は今日も酒を飲みながら窓辺から海を眺めている。遠く過ぎ去った懐かしい日々の思い出や、もう27年間も生きてきたことや、長い辛い淋しい大学時代のことなどを考えながら。
 僕は今日も酒を浴びるほどたくさん飲んで、そうしてまた飲んでしまったことをたいへん後悔しながら、また今夜もこのまま酔い潰れていつか寝てしまうことを考えながらも、一日が終わる心地よさ、なんだか僕は眠ることを死ぬことと同じように考えて一日が終わって床に就くことを楽しみにしているような気がして。
 僕にはまだ希死念慮があるのだと思います。早くこの念を追っ払ってしまわなければいけないとは思うのだけど。

           
 今日死ぬかそれともこのまま生き続けるか煩悶している今日この頃です。本当に苦しい日々が続いています。


 僕の魂は駆け回る。思い出の浜辺を駆け回る。


 もうこの浜辺も星子さんが生きていた頃の浜辺とは全くちがうようになってしまいました。僕はもう27歳になりました。昨日も自殺のことを本気で考えました。今日も今考えています。本当はこの浜辺は10年以上も前とはちっとも変わっていないのに淋しくなった僕の心に映る浜辺がこんなに僕の目に見えるのだと思います。
 一人ぼっちの僕の心のようなこの浜辺はいつ来ても誰も居ません。14年前、僕ら二人はこの浜辺で出会ったけれど
 ゴロももう居ません。僕は本当に一人ぼっちです。僕の部屋に僕だけのに付けた電話には毎日誰からもかかってきません。本当に僕は一人ぼっちだなあと思っています。


 僕は10年間、本当に孤独だったのだろうか、一人ぼっちだったのだろうか。…愛子がいた。しかし僕の悪い癖は愛子を傷付け愛子の人生までをも狂わせてしまった。
 僕はとぼとぼと砂浜をバイクの方へと向かっていた。もう春だった。吹いてくる風も全然寒くなかった。
 今夜死ぬ決意はまだ付きかねていた。夕陽は10年前や15年前の夕陽と全く同じだった。そうして今も市場の中で働いている母や父の今までの苦労のことを思うとやはり死ねそうになかった。
 でも本当に生きるのは何なのだろうと思っていた。10年や15年前、僕は毎日苦しい中にも生きることに何の疑問も持ってなかった。それにあの頃には宗教があった。僕は毎日家に帰ると30分から一時間ぐらい勤行をしていた。何の疑いも僕はその頃その宗教に対して抱いていなかった。


 もう夜だった。一時間ほど前、姉の夫が萩から来た。僕は義兄に最後の挨拶をした。でもできるだけ表情は明るそうに。
 折り畳まれた柔道の帯は今僕のすぐ近くにある。僕はこれを持って今夜中学校のグラウンドに首を吊りに行くのだろうと思っている。それとも中学校の坂を降りて創価学会の学生部の拠点へ行くのかもしれなかった。
 
 たぶん僕は今夜も死なないだろう。僕は今夜も必死に勉強しながら眠るだろう。暗い表情で。もういくら勉強しても頭に入らなくなった鈍い頭で。

 雨が降ってきた。今夜やはり僕は死ねそうになかった。僕は生きてゆくだろう。そうして創価学会に本格的に戻ることも考えている。そして見合いすることも。

                
 僕が死んだとき、僕らの思い出はすべて消えて、ただ海だけが、僕らが生きていたときと同じようにあるだけだろう。僕が死んだら、星子さんの思い出は星子さんのお母さんだけの胸の中にあって、もう星子さんはちっちゃな存在となって、もう忘れられてゆくのだろう。だから僕は死なないのかもしれない。辛いけれども生きていっているのかもしれない。


 何を信じて、何を目標にして生きてゆけばいいのか解らない。波の音も寂しげにしか聞こえない。今からの人生を思って


 僕は生きるのに疲れたときいつもこの浜辺に来ていた。僕がこんなに元気を喪くしたのはいつからだろう。もう3年前のことになると思う。僕が精神科に通うようになってからだった。それから僕は憂欝気味に…暗く希望を喪ったようになってしまたんだ。あの日からだ。何かが僕の背中に取り付いた。あれは僕が学二の冬のことだと思う。
 それからの僕は以前の自信を喪った。常に死への願望を持つようになった。死ぬことが一番楽なことだとそのときから考えるようになった。
 あの学二の冬のことだった。精神科に吃りや対人緊張のことでかかるようになってからだった。

 今日も雨だ。シトシトと降っている。降っているのか降っていないのか解らないくらいに降っている。

 今日も雨が降っている。シトシトと降っている。僕の涙のように降っている。

 カメ太郎さん。私の友達は? 私の友達は何処にいるの?
 海の中だから、まっ暗な海の底だから解らないわ。私の友達は何処にいるの_H


 星子さん。真冬の海だ。今、僕の心はこの真冬の海のように冷たい。心配や寂しさ、悔しさ、劣等感や焦り、僕は坊主になろうとまで思った。坊主になるのが僕に向いてて……親は悲しむだろうけれど……僕はそうしようと思った。
 もう寒くなってきてバイクの上でも寒いです。来る頃、僕は僕たちの思い出の浜辺がこんなに荒涼として真冬の海の相を呈しているなんて考えていませんでした。僕はただ久しぶりにこの海へやって来た。
 今日も市民会館で勉強しました。いつものように閉館間際まで残っていたときやはりうしろの席の女の子2人が(僕らだけ3人になってしまうのだけど)ゆっくりと後片付けをしていました。僕はそそくさと本などをバックに入れて部屋を出ました。喋りきれなかったから。喋って嫌われたり笑われたりしたくなかった。このまえもこのまえも、この頃よく続いています。
                 
      
 もう君の逝った港も電灯が灯いて明るくなっている。五年前、君の姿を必死に捜した海面ももう明るくなっていて、そしてもう桟橋はなくなっている。
 君が死んでからこの港にも灯台みたいな電灯が立ったし、桟橋もなくなって毎日夕方来ていた荷物や人をたくさん積んだ船も来なくなった。


 僕は星子さんが呼んでいるにもかかわらず霊界へ行かない薄情な人間だ。世界中に吃りなど神経系の異常で苦しんでいる人たちがたくさんいるから僕はその人たちを救ってやろうと思っているんだ。


       (僕は白い蝶々)
 僕は微笑みながらいつか蝶になっていました。市民会館の七階から飛び立った色の白い頬のこけた小さな蝶になっていました。僕は白い蝶になっていました。
 僕は蝶々。天国へ旅立つ白い蝶々。星子さんの待つ天国へ旅立つ白い蝶々。湖の畔の白い宮殿へ向かっている。
 僕は白い蝶々。自分の、そして生きることの無価値さを強く強く意識して、星子さんの待っている白い宮殿へ向かって、僕は遂に旅立った。
 市民会館へ来ることって、日曜ごとの危機だ。僕にとって日曜ごとの危機だ。4階までの県立図書館では死ねないけど、ここなら7階だから死ねるから。


 僕の心はあの大空を飛ぶトンビのように罪悪感に包まれている。僕は今、市民会館の七階にいるけど、飛び降りて死にたいという気持ちはものすごく強くてもう今にも死にそうです。強烈な対人恐怖と自分の無価値観。何にも楽しいことはありません。それに赤いプレリュードを持っている罪悪感も強く、試験が終わったらもう売ろうと考えています。友だちに38万円ほどで売って、そして半年後の車検のときにかかる20万円ほどの金と合わせると一年間授業料を払っても(一年間18万円だから)40万余って、そして今貯金している34万円で74万円、そしてバイクを3万円ほどで買おうと思っています。
 でも僕は今すぐにも死にたい気持ちでいっぱいです。やっぱり今すぐ死のうかな、と考えたりもします。試験が終わるまで待つのはやめようかな、とも考えたりしています。
 僕には3万円の250ccのボロなバイクで充分なのです。一浪して二留している僕には。
 僕の心は罪悪感で包まれている。そしてさっき久しぶり浜の町を歩いてきたからか統一教会のお姉さんのことを思い出して懐かしさに浸っています。学生にはバイクで充分なんだと思います。クルマなんて学生には贅沢すぎると思います。


 僕の心はいま自殺すべきかどうかととても揺れ動いている。僕は本当に生きてゆく価値のある人間なのだろうか。僕は言語障害でそして喉の変な病気にかかっている。そして変人だ。
 僕は本当に生きてゆく価値のある人間なのだろうか。今なら飛び降りてすぐ死ねる。今、とてもチャンスだ。でもやっぱり自殺することは一番いけないことだと本に書いてある。やっぱり死んではいけないのだろうか。生きてゆかなければいけないのだろうか。


やっぱり死ぬのは辛いのだろうか。落ちてゆくとき寒いのだろうか。7階から落ちてゆくときとても寒いような気がする。


 僕が何故今日全然勉強する気が起こらないのに市民会館に留まり続けているのかと言うと、七階から飛び降りよう、という考えがあるからだ。明日は一番大切な『診断学』の試験がある。やる気が起こらないなら早く帰るべきなのに、七階から飛び降りようとする気が強く帰れないでいる。


 星子さんへ
 僕はこのごろ本格的に吃りの研究をし始めてきた。大学へ入ってからいろいろな宗教に熱中したり政治運動に走りかけてきたことなどとても反省している。やはり僕の使命は自分が苦しんできたのと同じような病気で苦しんでいる人を救うことにあるのだと思う。
 今、雪が降っています。1987年のクリスマスイブの夜です。星子さんが死んでからもう十年経つんだなあと感慨に耽っています。
 僕は世界中で今も一日に一人ぐらいは吃りのために自殺している人がいるのだと思うと暢気にクリスマスイブの夜を祝うことなどできません。僕は今日も一人耳鼻科の図書館に残って『音声医学』という黄色い表紙の本を読み続けています。僕は


 あと五日の命だ。僕の心は焦燥感で満たされている。25日の夜、僕は死ぬんだ。姉が28日に来ると母がさっき言っていたけど僕はその言葉をとても哀しく聞いた。あと4日の命だ。
 もう死ぬ用意はできている。首吊りにしている。飛び降りるのはやはり寒いようだ。場所も決まっている。でも内緒だ。僕はひっそりと死ぬんだ。ポカポカとジャンバーやマフラーに包まれて死ぬんだ。
 僕は真昼に死ぬんだ。暖かい真昼に死ぬんだ。


 星子さん。もうすぐだ。もうすぐ僕も星子さんのところに行くから。僕はもう駄目だ。僕はもうきっと留年するだろう。僕はもう駄目だ。
 死ぬのが決まって夜道を歩いているとすっとする。とてもいい夜道だ。死んだらこうなるのかなと思う。


 いつもこんなのではなかった、と思ってきた。僕の抱いてきた夢は、いつもこんなのではなかった、と思ってきた。


                 (1987・12・26)
(翌朝、十時頃、僕は何事もなかったように白い浜辺の上に寝ていた。本当なら凍死していて当然だったと思うけど僕はカゼもなにもひいてないようだった。そうして海がとても眩しかった。真冬の海なのにとても眩しくてたまらなかった。)

『苦しかったの、カメ太郎さん』
『ああ、苦しかったんだ。だから僕は今こうして横たわっている。もう苦しくて絶望してしまって苦しくて。
 でも眩しい海だね。僕らが生きていた頃、ゴロと一緒に来たときもこんなに眩しい海はたぶん見たことなかった。もう十時だから僕は十四時間ぐらい眠っていたことになる。一つも夢を見なかったし、気が付いたら僕は明るい陽の光に包まれていた。少しも苦しくなかったし』

 でも僕はこんな海をずっと前、僕が福岡の予備校にいた頃、見たことがあるような気がする。自転車競技の練習に疲れ果てて那の津のあの堤防で草の葉の香りを嗅ぎながら横たわっているとき、たしかそのときに僕はこんな眩しい海を見たことがあるような気がする。あのときはとても希望に溢れていたけれど……
 まだ18歳の元気な僕だった。


 君は僕の幸せを求めて、僕の幸せのために死んだのかもしれない。あの5月の寒い夜に、君は僕の幸せのために自分の命を投げ出したのかもしれない。
 僕は……


 君は僕の幸せのために一緒に死んでくれた。冷たい5月の夜の海の中に君は沈んでいった。君は僕と君の父と母を途方もなく悲しませた。君は一人よがりだったんだ。僕や君の両親がどんなに悲しむかを君は何故考えなかったのか僕は不思議だ。


 僕は君と始めて抱き合ったときもう疲れきっていた。君はあのときまだ意識があったのだろうか。君は僕から抱かれたことを感じ取ることがあのときできたのだろうか。
 君は少しも動かなかったし、目も開けなかった。でも意識の奥で僕に抱かれていることを感じ取っていたのではないだろうか。僕には君の顔が僕が君を抱いた瞬間微笑みを浮かべていたような気がしてならない。


 星子さんは駆けている。僕を幸せにしようと天国を一生懸命駆けているけど、僕は、僕は、


 森の中に君が居た。寒いのに膝を抱えてうずくまっていた。僕はとっさに駆け出した。右手に持っていた柔道の帯も振り捨てて、僕は必死に山を降りた。


『寒いかい?』でも僕の心の中はもっと寒い。今からどうやって生きてゆこうか、僕に生きる意味があるのか、


『風に吹かれて寒いよ…。』
『でもカメ太郎さん。耐えなきゃ。私も中二の頃死ぬまでみんなの冷たい視線に耐え続けてきたのよ。それにカメ太郎さん。カメ太郎さん、以前はとても強かったじゃない。私よりもずっとずっと強かったじゃない。』
『あの頃は信仰があったから。ああ、でも僕はもう戻れない。小学校の頃、中学校の頃、高校生の頃、浪人の頃、そして大学に入ってからの半年間、僕を支えてきたあの信仰に僕は戻れない。僕は戻れない道へ来てしまったんだ。』

 僕は真実というものが何かということを真剣に考えていたから…だからだと思う。だから僕はこうなったのだと思う。

 星子さん、寒がらなくっていいよ、僕も行くよ、僕も疲れた、僕も行くよ。

 もう疲れたよ。君もいないしゴロもいないし友だちもいないし。

 もう何もなくなった。友だちもいないし、お金もないし、秋になって寒くなってきたのに、勉強する意欲もないし、

 僕も疲れていたし、君も疲れていた。あの暗い海の中で、君は僕を抱いて沈んでいっていた。あの冷たい海の中で。


 カメ太郎さん、もう私ダメなの。
 星子さんはそう言って海の藻の中に隠れて行った。本当に星子さんの姿はもう三年も海の中に居続けているためか幽霊のようになっていた。あの美しかった星子さんの姿はもうなかった。
 星子さんは悲しそうに去っていった。『もう見せられないの。もう見せられないの』という星子さんの声がかすかに僕の耳に響いていた。
 青い海藻と岩陰のなかへ立ち去っていった星子さんのうしろ姿は冷たい海の色に揺れて滲んで見えた。でもうしろ姿だけは昔のままだった。悲しそうに去っていったけど、うしろ姿だけは以前のままだった。
 
 僕はそれ以来、星子さんの姿を見ていない。岩陰に隠れるように立ち去っていった星子さんの姿を僕は今でもときどき思い出してしまう。休みの日、いつも一日じゅう布団の中に横たわって自殺を考えている僕の目にときどき浮かんできては消えていってしまう。
 
 華やかだった昔のことを思い出していた。由貴ちゃんのこと。高校時代、県立図書館で勉強していたこと。対人緊張に罹るまでの楽しかった図書館での日々のこと。
 高校時代、図書館で勉強しているとき、本当にそのときだけ楽しかった。喉の病気や吃りで苦しまないでよかったし。学校も終わったばかりだったし。

 
 高三の頃毎日通った学校から県立図書館への道。あの諏訪神社の裏の大きな木々に覆われた暗い道。そしていつも閉館まで勉強していた夜の8時頃通っていた道も。

 勉強のみに明け暮れていたけど楽しかったあの頃。希望に満ちていたあの頃。友だちもいたあの頃。一人でなかったあの頃。

 僕はあの頃一人ではなかった。図書館にはたくさん人がいたし、学校には友達がたくさんいたし。


『カメ太郎さん、死んじゃダメ』
 僕の背を引く君の力は僕が本当に死のうと思っていると思ったのだろうか。僕はたしか四ヶ月前も同じように柔道の帯を持って森の中へ入っていった。でも僕には死ぬ勇気はなかった。

……君は僕の手を引いて長崎港のよく見える丘に駆け上がらせた。
『何故なんだい。君は僕が霊界に来るのを厭がっているのかい?』
……僕はいつもの被害妄想的な言葉を星子さんに投げかけた。星子さんは黙って海を見つめていた。僕らのいつも見つめていた海と反対側になるこの長崎港を。
……今日は冷たい冷たい日だけど、星子さん、寒くないかい。僕は死なないよ。君が生きてくれというなら、僕には父や母もいるし、僕ももともと死ぬ勇気がなかったのだし、


(土曜日、1988・夏・ペロポネソスの浜辺にて)
 ……傷心の孤独の僕より。星子さんとゴロへ。……

 僕は飛んでゆく。幸せな白い雲の中へ、天草の島の上に立ち登っている入道雲のような雲の中へ、僕はウルトラマンのように飛んでゆくだろう。
 幸せになりたい。でも幸せになるにはどうしたらいいか解らなくて、僕は飛んでゆくだろう。幸せになることを目指して。誰かとても目の大きくて明るくて綺麗で、もし良かったら金持ちの家の女の子と、僕は恋をして、僕は幸せになりたい。僕は“孤独”や“寂しさ”から解放されたい。でも“自殺”だけはしてはいけないことを、世のため、人のために力の限り尽くさなければならないことを、僕は知っている。だから僕は死ねない。ずっと、ずっと、僕は努力して、不幸せな人を救うための『真理』を求めて、明日もさまよう、と思う。


 もし君が死ななかったら、冷たい十年前の暗い海の中へ沈んでゆかなかったら、僕は今も明るかったかもしれない。明るい君と、君に励まされる僕と、そうして僕らを見上げるゴロがいて、


 波の音と、君の泣き声が、僕の耳に届いてくる。君の苦しげな泣き声と、いつまでも変わらない波の音が、もう27歳になった僕の耳に寂しげに聞こえてくる。堤防の上に佇んでいる僕の耳に。


 冷たい海の中に僕も沈み込んでゆきたい。でも僕には父と母がいる。ここまで27年間も僕を育ててきてきてくれた父と母がいる。僕は君のように無責任には死ねない。人生は厳しいけど、明るく、できるだけ明るく振る舞っていこうと思う。僕がアルバイトをしている精神病院には可哀そうな人たちがたくさんいる。僕は不幸せな人のため、(たとえば医学などで)その人たちを救ってゆかなければいけないと思う。


 カメ太郎さん。この27年間辛かったでしょ。お疲れさま。私、本当にカメ太郎さんのこと尊敬しています。本当にこの27年間お疲れさま。
(僕は冷たい風の吹きすさぶ林を目の前にして、ジャンバーの袂に柔道の帯を隠し持って立っていた。本当に風が冷たくて、僕には耐えられないほどだった。

 カメ太郎さん、辛かったのでしょう、寂しかったのでしょう、とくに大学に入ってからの7年間はとても寂しかったのでしょう。


 よく死ななかったわね。ああ、よく死ななかっただろ。
……鈴虫の声が聞こえていた。まっ暗な寒いもう11月の夜だった。


 星子さんへ
 隣りに『〇〇』さんという人が引っ越してきて、5年か6年ぐらい続いた安楽な生活も終わりました。
 今までずっと隣りに人がいなかったから気楽でしたけど、


 冬で日暮れが早いのに、僕が岬に来る頃にはもう日が暮れかかっていたのに、僕は何も構わないで、ここへやって来た。以前はゴロが居た。冬の夜道も、ゴロが案内してくれていた。でもゴロが居なくなってからもう十何年経つだろう。僕は一人でこの波音の高い岬を戻らなければならない。僕のうしろには見えなくなりかけている岬の道が続いている。でも本当にもう何年経つだろう。ゴロが保健所に引き取られていって、居なくなってから。




(僕はまた『診断学』の実習テストが出来なくて、また留年だろう、と思って落ち込み、“死”をも考えていた。)
『あの頃のカメ太郎さんは何処へ行ったの? 高校の頃の、そして大学一年の頃の元気だったカメ太郎さんは何処に行ったの?』
『僕は冬の荒野を風に吹かれて揺れ動く。僕は冬の荒野を揺れ動く。

    (真夏の浜辺にゴロや星子さんを思い出しながら)
 もう真夏になって、おととい来た台風で僕の部屋の屋根が飛ばされてしまったけど、僕が中一のとき建てた家が始めて台風で屋根を飛ばされてしまったけれど、でもよく考えてみると僕が中一の頃からもう十五年経っている。僕らがちょうど文通を始めたあの頃から。
 もう十五年も経っているから、僕らの遠い遠い思い出のようだけれども、本当に十五年の年月は早くて、(僕はこのまえから中学や高校の頃のように再び机を窓の脇に置いたけど、でもまだ全然使ってない)僕は久しぶりに感傷的になっています。
 また何日か屋根の修理のために大工の人たちが来ることを思うと、僕はやはり図書館では緊張してしまって勉強できないから、少し憂欝です。


 僕には御本尊様があったけど、君にはなかった。僕は毎日の学校生活が辛くてもう学校に行きたくなくなっていたときも僕は学校から帰ると一時間二時間と題目をあげて挫けそうになる自分を励ましていた。
 でも僕は27になった今、かつての君に自慢していたような僕ではない。僕は弱く、今日も何度も自殺を思った。以前の僕は信仰に燃えていた。どんなに辛くても自殺だけは考えていなかった。
 君には信仰がなかった。前世や来世の話をしても君はあまり本気にはしていなかった。


 遠い海の彼方から星子さんが淋しがって僕を呼んでいる。青い夏の海の遥か彼方から僕を呼んでいる。霞に煙っているずっと向こうの海から、遠い遠い東支那海の向こうから。
 遠い海に向こうまではでもとても遠くて、僕はとても泳いで行けないし

 もう遠くなってしまった過去のことも、十数年前のことになってしまった過去のことも、始めて電話で喋ったあの最後の日のことも、そのときとても明るそうに思えた星子さんの声も、最後には悲しみに満ちた声に変わって、電話を切ったあと、星子さんはすぐに海の方へと向かい、そして桟橋から身を投げた。僕は電話で一言も喋れなかった口惜しさで胸いっぱいになりながら、夜の闇の中を走った。胸を悪くして何度も血を吐いたのに、始めは水だろうと思っていたのに、まっ赤な血だった。
 
 走りながらとても苦しかった。でも僕は星子さんを救うために一生懸命走った。何度も立ち止まって走るのをやめようか、と思った。何度も転んで膝を擦りむいたりした。転ぶたびに血を吐いた。血を吐きながら意識が薄れていったときもあった。そしてそのとき一番気持ちが良かった。もしも星子さんと一緒にこの浜辺を歩けたならば、でも僕は一人で歩いている。誰も居ない波の音しか聞こえない夕暮れの浜辺を、この思い出の浜辺を、僕は一人で歩いている。


 僕は思うけど、線と線があってそれが結び付いたとき人は死ぬのだと思う。

 秋一番が吹いてきた頃、その頃僕たちは死んでゆくんだね。秋一番が吹いてきた頃、


 苦しみの中で、僕は始めて星子さんに愛の言葉を囁いたようだった。『……』冷たい苦しい海の中で僕はたしか星子さんに始めて愛の言葉を囁いた。
 僕はなんて囁いたのだろう。苦しい息の下で僕は星子さんに『生きていてくれ。死んでいないでくれ』と囁いたような気がする。


 もう僕はダメだと思ったとき、僕を起き上がらせたのは星子さんへの愛の力だった。もしかしたらまだ間に合うかもしれないという星子さんへの思いが血みどろになっていた僕を立ち上がらせたのだった。

立ち上がった僕の目に見えた誰もいない桟橋の停留所の灯のなかに悲しげに星子さんが僕を見て立っているように思えた。夢だったのかもしれない。あの日からずっと経った日、僕はそういう夢を見たのかもしれない。


 このまま眠ってしまおうと何度も思った。でも僕は何回か転んだけれども立ち上がった。もうやめようと思った自分に激しく罪の意識に苦しんだ。
 僕は自分の弱い心と戦いながら走った。いつもはこんなにも痛くならない胸が、このときは始めてものすごく痛んだ。僕は自分が吐いたものが血だなんて初め全く思わなかった。


 遠い海の音が眠っていた僕の耳に聞こえてくる。僕はその音に目を覚まし、遠い過去の懐かしい思い出に浸っていた。元気だったゴロや明るかった星子さんや、それにその頃元気だった僕の姿などを思い出しながら、僕は草の上に寝そべったまま、あの頃のことを今のことのように思い描いていた。

 いつまで僕はこうしているのだろう。闇の中で。僕はいつまでこうしているのだろう。

 僕は遠い山奥に入っていったことがある。柔道の帯をジャンバーのポケットに折り畳んで入れていた。僕は死のうと思っていた。学3留年のときの冬で、留年してから2ヶ月くらい経った頃だったと思う。2月の頃のことだったと思う。
 毎日、愛宕の精神病院にアルバイトに行っていた。でも仕事がきつくなり始めていたし、僕の病気は全然治る様子がなかった。今死ねば劇的だ、という思いばかりがしていた。
 今死ねば僕が書き貯めてる小説や日記が出版されて僕の名前は永遠のものになるような気がしていた。僕は愛宕のずっと山奥のたしか高校のころ遠足に行ったことのある所からもっと森の中へ入っていっていた。でも森の中にも冷たい冬の風が入ってきていた。僕は寒かった。ジャンバーを着ていても寒くてポケットから手を出すことができなかった。そして首を吊るのがとても辛いようにも思えた。
 その頃僕は学校にはほとんど行ってなかったし、友達ともほとんど喋ってもいなかった。職場でも僕は孤立していた。喋る相手がほとんど居なかったし、誰もこんな僕と口をきくのがもどかしいような気がしていた。
 僕はもう生きるのにすっかり自信をなくしていたし、生きる喜びをほとんど見い出せないでいた。F1のレースを見ることと、競輪の決勝戦を見ることぐらいが楽しかった。
 冷たい森の木の葉は吹き込んでくる風に揺られてかすかな音をたてていた。ひめいのようにも僕には思えた。今から僕が落ちてゆく霊界での僕の悲鳴に似ているように僕には思えた。
 森を抜けると天草や島原半島が見えた。父や母が育ってきた加津佐や南串山が見えた。そして僕も3つの頃まで育ってきた加津佐や。
 僕は死ななくてよかったな、と思っていた。背中にはまだ冷たい北風が吹きつけていた。父や母のためやっぱり死ねないな、死んだらいけないな、と思った。
 暗い森の中を歩いてきたから天草灘や橘湾はとても眩しいな、と思った。とっても眩しかった。父や母が育ってきた故郷。それに僕も3つまで育ってきた故郷。
 本当に死なないで良かったな、と思っていた。遠く過ぎ去った過去のことだけれども、海を見ていると、浜辺を駆けてくるゴロの姿や星子さんの姿が思い浮かんでくる。本当に懐かしい光景で、僕は思わず涙を流していた。ゴロや星子さんのことを思い出して。懐かしい中学・高校の頃を思い出して。

 
 僕はもう還らない思い出を山の上から眺めている。悲しいことばかりの思い出なのかもしれないけれど、とても懐かしくて、涙が溢れてきそうになる思い出を、僕はとても懐かしく思い出している。



         ペロポネソスの浜辺にて
 
 夏になって僕は少し元気になった。でも今年のお盆も僕は親戚の家には行かないし、ずっとずっと家に閉じ込もるだろう。夏になってずっとずっと元気になったけど、眩しい夕陽と一緒にずっとずっと元気になったけど。

冬、僕はとても落ち込んでいた。春になって僕は少し元気になった。夏になって僕はだいぶ元気になった。でも僕はまだ落ち込んでいる。哲学的にも宗教的にも行き詰まっているし、何を信じて生きていいのか、何が真実なのか解らない。


 もう夏の海は、僕らが中学生の頃だったようなあの青い澄み切った海ではなくなったような気がする。僕らが中学生だった頃は、この海も、とても綺麗だったと思う。それなのに今僕は、疲れきってこの海を見つめている。以前は夕方になっても僕は元気だった。でも僕は今、夕方になると疲れきってしまってこの海へやって来ても僕は何も感じない。疲れきって、疲れきっている…もう僕は疲れきってしまっている。


 淋しい12年間だった。僕一人だけの12年間みたいだった。ゴロも星子さんも天国で雲になって、下界で今も苦しんでいる僕を見つめているようだった。僕は星子さんとゴロの代わりに生き続けて、僕一人で苦しみを背負って、生きてきたようだった。悲しい12年間だった。僕の青春時代だったけれど。


 僕は早く綺麗な女の人と、金持ちのお嬢さんで気立てが良くて、そうして綺麗なお嬢さんと、早く結婚したい。そうして今の苦しい毎日から逃れたい。
 福岡で暮らしてみたいし、何処か広々としたいい所で、僕は幸せに暮らしたい。早く、僕は本当に早く幸せになりたい。
 何処かに幸せな世界があると思う。世界中の何処かに、日本か中南米かオーストラリアかその辺に、幸せな世界があると思う。


 遠い遠い処に僕は来てしまったような気がする。中学や高校の頃から僕はずっと、ずっと遠い処に来てしまったような気がする。窓辺から外を眺めていると、中学や高校の頃と同じ窓から僕は外を眺めているのだけれど、もう遠い遠い処に来てしまったような気がする。


 夏の台風がやってきて、僕の部屋の窓が吹き飛ばされて、僕の部屋は灯りもつかなくなって、そして雨もやんでやっと雨漏りもしなくなったから、僕はクルマに乗って、思い出の浜辺にやって来た。窓辺がドスンッ、ドスンッとものすごく鳴っていて、何だろうと思っていると、僕の部屋の(そして昔の姉の部屋の)上の雨どいだった。それが飛んで静かになって、そしてその雨どいは僕の部屋の屋根の一部も一緒に持っていった。そうして僕の部屋はとっても水浸しになった。
 一滴一滴と天井のあちらこちらから水が落ちてきて、十個ぐらいもコップなどを置いて、コップが水いっぱいになると大きな水瓶のなかに集めて、そうして夕方頃やっと雨がやんだ。


 何がこうしたんだろう。小さい頃からもう28歳になろうとしている僕を、何がこうしたんだろう。
 中三のころの○○さん、高校のころの○○さんや○○さん。高三のころの高総体での女の子。いろんな出会いがあったけれど、みんなみんな僕は無視してきた。喉の病気のため無視しなければならなかった。
 僕は信心をやめようか迷っている。そうして元の瞑想法や自律神経訓練法に戻ろうかと思っている。でもそうしたら寂しい。木村君や湯沢君に対して悪いし、この信心が本物なら、親にも、そして自分にもとんでもないことをしてしまうことになるから、もしも僕が退転したならば。
 いや、裏切ってはダメだ。僕は自律訓練法や瞑想法を何年間もやってきた。でも全然良くならなかった。やり方が悪かったのかもしれない。でも不思議と元気になるこの宗教をしていると、病気が治らならなくても病気の悩みなんて吹っ飛んでしまう。それにいろんな悩みも吹っ飛んでしまう。


 自分の宿命に勝てなくて悶々としていた。大学一年の11月のことだった。僕は疲れ果てていたのかもしれない。僕には休息が必要だったのかもしれない。でもそれが退転という休息に変わるなんて、僕も周りの人も、少しも思っていなかった。そして僕はそれから7年間暗い毎日を送り続けた。


 浜辺に出ても、もうゴロや星子さんの姿はうっすらと、ぼんやりとしか見えない。27歳になって、もう28歳になろうとしている僕の目にはもう中学や高校の始めの頃のことは、うっすらとしか、うすぼんやりとしか見えない。
 遠い霞に煙ってしか見えない星子さんやゴロの姿はでもとても楽しげに見える。生き続けていて、今も苦しい毎日を送っている僕よりずっとずっと幸せなように見える。
 一人ぼっちのこんな夏を僕はもう何度過ごしただろう。ゴロも逝ってからもう十年になるだろう。寂しい一人ぼっちの夏がまた終わろうとしている。
 でももう遠くなってしまった過去も、僕の目には何故こんなに懐かしく見えてくるのだろう。
 でもゴロの姿も星子さんの姿も以前と違って(たしか5年ぐらい前のと違って)とても元気がないように見えるのは何故だろう。ゴロも星子さんも疲れ果てて浜辺を走っているようにしか僕には見えない。
 寂しそうに走っているゴロ。寂しそうに歩いている星子さん。星子さんは俯いて僕にあげる貝殻を捜しているようだ。そしてゴロは。
 寂しげな夏の午後の日差しと僕の心が溶けあって描き出している幻想だとは思っていても本当にゴロも星子さんも寂しそうで、僕は久しぶりに、本当に何ヵ月ぶりに、死を思ってしまった。


 中学の頃の僕は強かったろ。毎日二時間近く題目をあげていたし、一日五時間ぐらいしか眠ってなかったし、

 僕がもう今では信じられないような限界に挑戦していたのは中二のときだった。一日一時間四十分題目をあげて勤行をして仏壇の掃除をして教学をしていつも12時になってやっと勉強することができた。そうして12時から2時すぎまで勉強して_「た。
 クラブからいつも夜の7時半ぐらいに帰ってきて、それからゴロを散歩に連れていって帰って来るのはいつも8時だった。それから夜ごはんを食べて風呂に入って勤行・唱題とそして仏壇の掃除と教学をしていつも夜の12時になっていた。でも僕はそれから眠たさを我慢して2時15分ぐらいまで勉強した。中国語の勉強を一日一時間半ぐらいして学校の勉強は40分ぐらいしかしなかった。だからそんなに学校の成績は良くなかったけど、数学の先生は僕があんまり数学の成績が良くないのに僕を数学がすごくできると誉めてくれていた。

 あの頃の僕は強かった。クラブの練習がきつくても僕は負けてなかった。勉強も一生懸命していたし、クラスのみんなの幸せを毎日祈っていたし。


『あの春の日から何年が経つの? あの春の日から何年が経つの?』
『ああ、あれから12年ぐらい経つと思うよ。僕らが出会ったあの春の日から。もう12年が経とうとしているんだね。』


 久しぶりに天国の星子さんに手紙を書くような気がします。もう9月も半ばに入って卒業試験まであと一ヶ月とちょっととなったのに『400ccのバイクを買おう』とか考えている暢気な僕です。
 本当に暢気な僕です。卒延留年になる可能性が高いのに、僕はノホホンとしています。高校二年、三年や浪人の頃の僕に戻ったら卒業試験なんてへっちゃらにパスしてしまうのに僕は今とても不安です。
 不安だったら勉強したらいいのに、あんまり勉強する意欲も湧きません。創価学会に賭けよう、創価学会に賭けよう、と思いながらも昨日も今日も退転することを考えていました。


 明日、死ぬかもしれない。僕は明日死ぬかもしれない。
 もしも僕が明日バイクで事故って死んだなら、ゴロの待つ天国か、星子さんの居る天国か地獄か解らない所か、どちらに行くのか解らないな。僕には解らないな。


 今から死ぬのかもしれない。僕もゴロや星子さんの待っている天国に旅立つのかもしれない。頭がジンジンと痺れてきてこめかみの中りがドクドクと打ってきたし。
 エイトフォーをシンナーのようにして嗅ぐと気持ちよくなれると本に書いてあった。
 僕がもし死んだら、誰が悲しむだろう。そうして誰が喜ぶだろう。

 いつまでも気持ちのよい空を僕はいつまでも飛んでいるのかもしれない。目の下に天国が見えるとても美しい所を僕は飛び続けるのかもしれない。そうして僕はとっても幸せなのかもしれない。
 いつまでも幸せな空を僕は飛び続けるのかもしれない。美しい霊界を僕はいつまでも飛び続けるのかもしれない。赤彩色に包まれたとても美しい霊界を僕は永遠に飛び続けるのかもしれない。


 カメ太郎さん、死ぬの? でも死んだらとても苦しむと本には書いてあるわよ。自殺したらとても苦しむって。
 僕は創価学会の信仰をやめるならば自殺するだろう。昨日も一昨日もその前の日も3晩続けてそう思った。僕は創価学会をやめたら死ぬんだって思った。そしていろいろ自律神経訓練法などをしていた。


 僕は“死ぬ”ということを大学一年や二年や三年の頃は冗談で言ってたけど、2、3年前からもう本気で言うようになった。本当にその方が楽だと思うし楽しいと思うし。


 十年前のあの坂からメロディ−が流れてくるようだ。目の大きなあのコを待っていたあの坂を僕は一年ぶりに思い出して懐かしさに浸っているようだ。


 僕はこの信心をやめたら死ぬと思う。でも僕は今この信心をやめる一歩手前でいる。


 酒を飲むの。カメ太郎さん、いつもお酒を飲んでいるわね。カメ太郎さん、いつもいつも“広宣流布のために命賭けで戦うんだ”と言ってるくせにいつもいつもお酒を飲んでいるわね。そうして勤行も欠かしたり、それに第一、学会活動全然やってないわね。もうやめられないの? お酒、やめられないの? 


 僕は広宣流布のため小説や詩を書くためにお酒を飲んでいるんだ。僕も必死なんだ。僕にしかできない使命があると思うんだ。青少年の心をがっちりと掴んだ妙法の詩人になるんだ。そのために僕は学会活動をしてないし、お酒も飲んでいるんだけど。たしかに僕には罪悪感はあるけれど、僕が活動しなかったら他の人が使命を感じて活動してくれるから。僕には僕にしかできないことをしようという考えがあるんだ。


 僕が以前、どんなに命を賭けて、創価学会の信心を信じきって、活動していたかは森さんや岸川先生だって知っているんだ。たしかに僕は退転して7年間もこの信心をやめて批判までしてきた。でも僕は真実を知りたかったんだ。それに青年の情熱があった。今のように落ち込まない熱情があって僕をいろんな信仰に走らせてきたし、そうして最後には失望して自殺を何度も何十回も思ったし、そうして僕は7年半ぶりにこの信心に戻った。


 カメ太郎さん。死のうと思ったのでしょう。昨日、海を見に行って死のうと思ったのでしょう。
 ああ、夏が過ぎて秋になろうとしているからかもしれない。僕の心はこの頃とても重い。
 遠い過去の思い出を思い出して僕は昨日本当に死を思った。夏の間、僕はずっと元気だった。でも寒くなってきたおとといあたりから僕はまた沈み込み始めた。
 冷たかったわ。5月のあの海は今日の夜みたいに冷たかったわ。まだ9月ですけど、もうすぐ10月ですけど、私あの日とても冷たかったわ。

 冷たい夜の海に沈んでいった星子さんはとても辛かったと思う。僕は27年間も生きてきて、もうすぐ28年間になろうとするのに、僕はそのとき星子さんが味わった辛さに耐えきれるか僕には自信がない。僕には全然自信がない。




 星子さんへ
 僕はもうすぐ28歳になるというのに今夜一時からF1のレースがあるために起きています。卒業試験もあと一ヶ月半と迫ってきたのに。そして僕は今日、市民会館で6時間ぐらい勉強しました。睡眠薬や抗不安薬をたくさん飲んで対人緊張を和らげながらでしたけれど。
 君もいつも一人だったけど僕もいつも一人だった。創価学会をやめた大学一年の11月から僕はずっとずっと一人きりだった。僕は人を信じきれなかったし友達をつくる心の余裕がなかった。そして僕は一人きりの方が自由でいいと思い込んできた。
 君はもう十年以上も前に死んでしまった。春のある日、夜の7時半ごろ僕の家に電話をかけてきて、そうして海の中に飛び込んで死んでしまった。

 苦しかった、苦しかったからなのよ。
 僕も今その苦しさに負けようとしている。卒業試験が近づいているけど僕はダメなようだ。ときどき自殺を思ってしまう。あと半年で医者になれるのに僕は今ここで死のうとしている。

 苦しかったの。でも今とても後悔しているわ。カメ太郎さん、逃げてはダメ。以前のカメ太郎さんのように一生懸命お題目をあげて試験に挑戦していって。一生懸命やれば大丈夫よ。もしまた留年したってベストを尽くしたならいいじゃない。もうこれ以上弱気になるカメ太郎さんでないようになって。高校生の頃のような強いカメ太郎さんになって。

 この信心をやめるまで、僕はどんな苦しみにも耐えてきた。僕は本当に強かったし、元気だった。どんな苦しみにも耐えてきた。
 やはり正義のために死んではいけないんだ。再びこの信心を信じきってそうして強い自分になるんだ。もう退転なんて考えない強い信心に立つんだ。


 誰にも話さずに僕は、沈んでゆくのかもしれない。君のように僕に電話をかけたりせずに、僕は黙って沈んでゆくと思う。たぶん、あの日よりも寒いこの夜に。もう秋になってしまったこの夜に。

暗い海の底から、呼んでるね、呼んでるね。星子さん、まだ僕を呼んでるね。


暗い窓際から、おくんちの明るい人波が見えているのに、僕は窓縁に寄りかかって今日も死のうとした。僕は今日も死のうとした。


 歪んだ海の底に君の姿が見えていて君はもう疲れ果てていた。沈んだ僕も死を思って人生に疲れ果てていた。

 死にかけたとき、いつも君が救ってくれた。君の苦しみの声が、いつも僕を救ってくれていた。

 もう疲れ果てたとき、もう海を見に行く気力も喪くなったとき、楽に死ねる方法は何もないことを、家にいては楽に死ねる方法は何もないことを、


『カメ太郎さん、死んじゃダメ。死んでだけはダメ』
『今もときどき死ぬことを考える。でもやっぱり死んでだけはいけないんだなあ、と思っている。親のため、ただ親のために死んでだけはいけないんだなあ、と思う。
 それにもう卒業だし。それにもうすぐ28歳になるし、外は寒くて歩くのも、

 でも僕は明るくなったろ。創価学会がやっぱり良かったのかなあ。4月から10月まで半年間頑張って、不幸な人を救うためにと同志と一緒に一生懸命戦ったからかなあ。その余塵が創価学会をやめて10日経った今もまだ続いているようだ。
 戻ろうかな、とも思う。やっぱり僕が元気になれるのは創価学会のみんなと一緒に活動しているときや御本尊様に題目をあげているときかなあ、って思う。
 父や母に心配かけないように創価学会に戻ろうかな、って思う。父や母を安心させるためにも。

『カメ太郎さんから創価学会を取ったらあとに何が残るの。また戻るべきよ。戻って元気になってカメ太郎さんのお母さんやお父さんを喜ばせてあげるべきよ。

『でも僕の父や母よりももっともっと苦しんでいる人たちがいっぱいいるんだ、とくに発展途上国にはいっぱいいるんだ。だから僕は卒業したらすぐに外国へ行ってそんな可哀想な人たちを救ってやるんだ。
 僕は信仰は棄てたかもしれない。けれども可哀想な人たちを救ってゆくという精神は決して捨てないつもりだ。僕は死ぬまでこの精神を持ちつづけるつもりだ。


 僕は文学を棄てよう。そして真実が何なのかを捜し求めて本を読もう。アフリカや東南アジアの人たちのために、僕は真実を求めることに賭けよう。


 僕はテレビを見ようと思ってきた。音楽を聞こうと思ってきた。信仰をやめたらそんな時間ができたけど、僕の瞼からはアフリカや東南アジアの可哀想な人たちの姿が消え去らない。やっぱり僕はテレビや音楽を見たり聴いたりできない。


『夢のような、夢のような。
『ああ、でも僕は夢を追ってきた。夢を追い求めていたときの僕は苦しかったけど幸せだった。本当に幸せだった。


……カメ太郎さん。カメ太郎さん、大丈夫なの?……
……僕は昨日こそ朝も夜も勤行をして題目を2時間半ぐらいあげた。そして薬を飲まずに夕方、図書館で勉強した。夜、本当に浪人のとき以来だと思うけれど、8時過ぎに家に帰ってきてそれから題目を一時間あげてから12時半ぐらいまで勉強した。ものすごく能率は上がった。でも勉強の終わったあと図書館から借りてきた心身症や神経症の治し方(リラックセーション)を書いた本を読んで退転を決意した。今朝、午前中ずっと布団の中でボンヤリと勉強していた。全然、能率が上がらなかった。そして12時半頃、朝の勤行をしようかするまいか迷ったけど結局しないで県立図書館へ行って閉館まで勉強した。デパスを10mgも飲んだし、レキソタンを4mgとセルシンを5mg飲んだ。

……僕は今朝、父が創価学会に入らなかったら、もしかしたら僕は言語障害でなかったかもしれない、それに僕が小さい頃、僕たち一家があんなに苦しい毎日を送らなくて済んだのかもしれないと思い、父を恨みさえした。
 しかし、両親が亡くなっても健気に生きている木村君兄弟やとても人のいい栗田君のことを思うと、やはり創価学会をやめられない気がした。


 もう秋になったね。もう海の中の方が暖かいだろうね。昨日も夜とても寒かった。それに今日、図書館から帰って来て勉強していたら眠ってしまったけどそのときとても寒かった。
 実は僕は今日、図書館の帰りにキリスト教の教会に二つ行った。一番最初行った片淵の教会は閉まっていたし、そのあと県立図書館前の教会に行ったけど誰も居なかった。僕は洗礼を受けるつもりだった。もう創価学会の信心をやめてクリスチャンになろうと思っていた。
 今日は『文化の日』で祭日だったから県立図書館は休みで市民会館へ行ったけどものすごく混んでて、だからそのため僕はクスリをものすごくたくさん飲んで勉強した。図書館でも寝たし、家に帰って来てからも二時間も寝たぐらいだった。
 頭の中がグーンっとなるほど飲んだ。普通の人の十日分ぐらい飲んだと思う。でも僕にはもう強い耐性がついていてそのくらい飲んだ方がリラックスできて勉強がよくできた。
 家に居ると寂しいから。だから昨日も人が混でる県立図書館で朝から閉館までしたし。
 信じれるものがないような、そんな気がする。キリスト教の洗礼を受けたって僕は真面目に信仰しないと思う。創価学会なら命を賭けてやれるけど、おととい読んだ『リラックス法』の本からもうあまり信じきれなくなってしまっている。この前までの海外広布への夢と希望もやる気をなくしてしまった。


 君との出会いはずっと前に約束されていたものなのかもしれない。あの10年前の薄暗い国際体育館の観客席での出会いは。
 でも僕は中一の頃から罹っていたノドの病気のために君とは喋れなかった。もしも僕が信仰をしていなかったならば、少なくとも一生懸命になってしていなかったならば罹らなかったと思うノドの病気のために。
 遠い君との出会いも、信仰ゆえに破られたのかもしれない。でも僕は恨みにも思ってきたこの信仰に再び賭けてみよう、と思っている。たとえ死んでもいいから、再び以前のように命を投げ打って信仰してみようと思っている。そのことが貧乏や病気で苦しむ人たちを救える最高の道だと思えるから。もしかしたらこの道が唯一の道かもしれない。不幸な人たちを救えるただ一つの道なのかもしれない、と僕は思っている。


『カメ太郎さん。明日、○○教の講習を受けに行くのやめて。お願い。もうすぐ試験でしょう。月曜日には試験があるのでしょう。いつものように失望するばかりよ。それよりもカメ太郎さんのお父さんやお母さんのために勉強すべきよ。カメ太郎さん、明日、○○教の講習受けに行くのやめて』
『でも明日からの三日間の講習は僕の賭けなんだ。僕の最後の賭けかもしれない。僕の病気が治るかどうか、最後の賭けなんだ』

 もしも僕がこの最後の賭けで病気が治らなかったら、もう寒くなってきた10月の終わりの林の中で、首を括って死ぬと思う。もしも僕の病気がそのままで治らなかったら、僕はもう絶望して、林のなかで死んでしまうと思う。


 君は海の中で苦しさに喘ぎながら僕に言った。
『カメ太郎さん、幸せになってね。カメ太郎さん、幸せになってね』……苦しい息の中から自分の命を縮めるのもかまわずに放たれた君の言葉を僕は今も忘れてはいない。でも僕にとって幸せへの道は何処にあるのか僕は全く見当も付かない。僕の目の前はまっ暗でどの道を行けばいいのか、どの道もまっ暗で僕は歩けないでいる。

カメ太郎さん…暗い海の中に居るの。まっ暗なの。何も見えないの。
 まっ暗なの。カメ太郎さん。何も見えないの。そうして寒いの。寒くて寒くてたまらないの。

『増上慢でしょう。でも僕は自分なりに悟りを開いたつもりです。それでも僕はたしかに僕はみんなよりとてもとても不幸な存在で哀れな存在かもしれません。でも僕はもう宗教にはこりごりです』

『カメ太郎さん。今度は○○に行ったの。○○はどうだったの?』
『僕は藁にもすがる思いだから、だから、それにクスリを絶てるならばと思って。そう思って行ったんだけれど』

『カメ太郎さん。○○教どうだったの? 午前中から午後6時までずっと受けていられたんでしょう? ○○教どうだったの?』
『ああ、もう二回目からは行くまい、と帰るときには思っていたよ。講習料の一万円がもったいないけど勉強した方がいいかな、と思ってそう思った。でも今、とても迷っている。明日、二日目の講習を受けに行くか、それとも勉強をするか』

『もう、寒くなったね』
『ええ、もうだいぶ寒くなったわ』
(ブクブクッ、と僕の吐く泡の音が周囲にしている。もう日の暮れるのも早くなってしまって)

『もう遠い夢なのね。私たち二人でこの浜辺を散歩してみたいって、もう遠い夢なのね』
(星子さんはそう寂しげに言っていた。もうゴロも写真の中にしか居なくなって十数年が過ぎようとしていた。そして5月のあの寒い夜からも。
 打ち寄せては砕け散ってゆく波。ああ、ちょうどその波みたいに僕らの夢も消えて行ってしまっていた)


 青いずっと昔の船にポセイドン号に僕らは乗って、僕らは新婚旅行を始めたようだった。でもそのとき崖が崩れてきて、大波が立って、ムー大陸が沈むのと一緒に、僕らの船も僕や星子さんを乗せたまま沈んだらしかった。そうして僕らは海の中で苦しみながら手を取り合って死んでいったらしかった。


 星子さん、もしも僕が信心しないで現役で九大医学部にあがってたら僕の今までの人生はだいぶ変わっていたと思う。僕は信心しなくても高校に入ってからは勉強に一生懸命になって(それに信心しなか_チたら勤行・唱題で時間を取られないから。僕は高校のとき、中学のとき、勤行・唱題、そして教学や仏壇の掃除に一日2時間以上とられていた。もしも僕が信心してなかったら僕は高三の終わりにお祈りのしすぎで(それに勉強などのストレスも加わって)対人緊張症のような病気に罹らなかったと思う。そしてそうしたら僕は現役で九大医学部に入れたと思う。

……僕は寂しくなる。木村君も湯沢君とも○○君とももうこれで別れなければならないし、少年の頃からの僕の夢と思い出がすべて崩れ落ちていってしまっているような錯覚を僕は幻覚のように目の前に映し出すことができる。


『カメ太郎さん、迷っているの? 信仰やめようかどうしようか迷っているの?』
『ああ、僕は学会っ子だった。僕は迷った。昨日は○○教の所へ入信しに行きたいと言っていた。でも僕は学会っ子だと夜よく反省した。
 勤行はしなかったけれど、夜11時頃から布団の上で勉強しながら題目をあげた。少年の頃の御本尊様への、池田先生への誓いを思い出していた。僕は学会っ子だったんだ、と深く深く反省していた。
 苦しかったとき僕や母を支えてくれていた御本尊様や創価学会の人たちのこと……』

 もうどうなったっていい、と思った。僕は創価学会と一緒に死のう、と思った。池田先生のため、創価学会のため僕は明日からまた以前のように頑張ろう、と決意していた。

 どんな迫害に遭ったって僕は信仰を貫き通そう。どんなに迫害されても、どんなにいじめられても、どんなに苦しんでも、辛い目にあっても。


 僕は鈍かった。鈍くて女の人の心が解らなかった。そうして相手を傷つけてきたし自分も寂しい思いを十何年もしてきた。
 そして今、○○党の人の心が解らなかったから僕は身の破滅の一歩手前に居る。僕には全然解らなかった。薄笑いを浮かべて言うその言葉が何を意味するのかを。


 もしも僕の父が、創価学会に入らなかったら、僕は君と喋れていて、君はそうして死なずに済んだのかもしれない。そして僕たちは毎日のように浜辺でデートをして、楽しい少年少女時代を過ごせたのかもしれない。
 僕がノドの病気にならなかったらそうなっていたと思えて僕は悔しい。


 カメ太郎さん、もう駄目なのね。7年間も謗法をずっとしてきたからカメ太郎さんもう駄目なのね。
 カメ太郎さん、気が狂ったことになっていて、もう卒業できないのね。カメ太郎さん、可哀想。

……星子さんはそう言い終えて再び暗い海の中に入っていっていた。小雨がシトシトと降っていて僕は今日図書館で勉強していてとても寒かった。


『カメ太郎さん、もう創価学会やめるの? 半年間頑張ってきたのにまたやめるの?』
『ああ、僕は明日から三日間、○○教の講習を受けに行こうかと思っている。僕が超能力者になって病気で悩んでいる多くの人たちを救ってゆけるし、僕の病気も治るし』
『でもそんなにうまく行くかしら? カメ太郎さん、今までいつも失望してきたでしょう。またそのようになるような気が私にはするわ。それよりも試験……卒業試験の勉強をすべきだと思うわ』
『星子さんは僕が最近毎日のように創価学会をやめようか、それとも創価学会に命を捨てようか、煩悶してきたこともあまり知らないんだね。僕はその煩悶で勉強もあまりできなかったほどだった。心の中をすっきりさせたいと言うか、早く心の迷いを消したいんだ。それに○○教でなら僕の対人緊張やノドの病気や言語障害が治るような気がして』
 ……カメ太郎さん。少年の頃の誓いはどうなったの? そうすると少年の頃の誓いはどうなるの?


 君が遠くに見えている。君が僕から離れて遠くへ歩いてゆく後ろ姿が見えている。
君は少しも振り向かずに、薄暗い道を歩いていっている。
 
 僕は“真理”を求めて明日もまたさまようだろう。明日もまた一人ぼっちで、一人ぼっちで。

 もう僕は死なない。死のうと思ったら死神が襲ってくるから。僕はこれから……


 寂しかったの。寂しかったの、カメ太郎さん。寂しかったから県立図書館へ来たの?
『ああ、寂しかったからだと思う。人恋しかった。でもこの緊張感は何だろう。僕の頭を締め付けてくるこの緊張感は何だろう』

 僕の耳に幻のように聞こえてくる波の音はもう十二年も前に死んだ星子さんの僕に対する呼び掛けなのだろうか。今は冷たく寒いあの浜辺に今も居る星子さんの声が波の音となって僕の耳に届いているのだろうか。

 12年前のあの浜辺のメロディーは今も僕の耳に昔のままに届いている。辛かった学校生活。夕暮れのいつもゴロを連れての散歩。毎日12時ぐらいまで題目をあげていたことなど。
 僕は卒業試験に落ちるかもしれない。でも毎日、県立図書館で朝から閉館まで勉強しているから上がるかもしれない。そして卒業試験に合格できれば僕の場合、国家試験は必ず上がるから。そうして来年から僕も医者になれて久しぶりに(もしかしたら僕の人生で始めてかもしれないけれど)幸せな毎日を送れるようになれるのかもしれない。

 木村君が僕のために、僕が卒業試験に合格できるように、必死に題目をあげてくれている声が聞こえてくるようだ。もう11時になろうとしている。木村君は眠たい目をこすりながら僕のために必死に題目をあげてくれているのだろう。卒業したら海外広布に旅立つか、創価学会員のための病院をつくるか、どっちかにしよう、と言っていた僕だったのに。


 もう波の音も弱々しくしか聞こえない。元気だった頃の波の音。中学や高校の頃の波の音。そうして大学の前半の頃のまだ元気だった僕の頃の波の音。


 少年の頃の思い出は僕を、赤いクルマに乗せて浜辺へと運んでいった。ゴロもいないしもちろん星子さんもいないし、まっ暗で、とても寒くて。
 でも浜辺の香りも、波の音も、昔のままだった。12年前の、星子さんが生きていた頃の、ゴロも生きていた頃の、あの頃の浜辺と全然ちがってなかった。
 ただ僕だけが、僕だけが、疲れてしまって、僕だけが、疲れてしまって、


 可憐な君が
 天国へ旅だった君が
 いつか帰ってきてくれると信じていた。
 僕は下界で
 塵埃の立ちこめる下界で
 君が死んでから十二年生きてきた。
 ほとんど一人で
 僕は孤独に生きてきた。

 僕は二十八になった。
 僕の前に女の子はほとんど現れなかった。
 ほとんど僕は一人きりだった。
 とくに最近の五年間は
 とても孤独だった。
 去年、夏ごろ、創価学会に戻って戦い
 久しぶりに青春を謳歌したけれど。
 
 僕は十二年待っていた。
 君は戻ってきてはくれなかった。
 僕は十二年孤独だった。

 二人で浜辺に座ったこと
 すぐ貝が見えてたけど
実際はとても深くて取りきれなかったこと

 僕にとって、
 少年の頃、
 幸せな時代はいつのことだったろうか、と思ってしまう。
 みんなぼんやりと
 かすんで見える。

 海が見える。
 君が泳いでいる。
 ゴロと泳いでいる。
 僕らの思い出のペロポネソスの浜辺の先の
 立石の浜辺で
 君とゴロが泳いでいる。

 (人の少ない教室の一角で。1990・4・27 AM10:11)




              完

星子(夢2)

星子(夢2)

  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-28

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

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