天国への門

天国への門 

カメ太郎

(僕は学校から帰ってくるとすごすごと思い出の浜辺へと向かった。長かった。こんなにも歩かなければならないとは思わなかった。途中の景色はスーパーができたりしてかなり変わっていた。でも潮の香りだけは変わってなかった。たったそれだけは変わってなかった。
 僕はよく中学の頃この道をゴロを連れて歩いたものだった。ああ、あれから10年余りになるだろう。あの懐かしい燃えていた日々から。それは中学の頃の熱い思い出として僕の胸に今も残っている。小さな小さな篝火としてだけだけど)
(6月始め)




僕は全てに敗れ去った青年だ。しかし大学三年目四年目ころの合コンのことが思い浮かんでくる。
 暗闇のなか、なぜか僕は活水の可愛い子からモテた。なぜモテたのだろう。それは僕は喋らないなら好青年ふうに見えるからだろう。可愛い子は積極的だから自ら僕の横に座ってきて喋り始めた。音楽が辺りに喧しく響いていたっけ。
 僕は吃り、そして喉の病気故にあまり喋れない。女の子は次々に僕を嫌って去っていった。喉の病気の喋り方のおかしい僕の傍から。
(8月初旬)




 僕はこの頃ふと『自分に青春はあったろうか。僕に青春と呼べる時期があったろうか。いや僕の青春はいつまでだったか』と考えてしまう。僕の青春は統一教会に通っていた半年が終わるとともに終わったのではあるまいか。あの学一の後半の半年間に。
 統一教会のお姉さんの美しさは僕に最後の青春の炎を燃やさせた。それも片思いで終わってしまったのだが。




 僕は一度そのお姉さんから誘惑されかけたことがある。あれはお昼が過ぎて間もない頃だった。僕は午後の授業がつまらなくてFTに乗り浜の町のカルチャーセンターへと向かった。秋のお昼の風が爽やかだった。
 カルチャーセンターは夕方からは混雑し始めるのだがお昼すぎはいつも閑散としている。こういうときカルチャーセンターには木村さんとあと一人、二人ぐらいのことがよくあった。その日、僕が入ってゆくと中の台所から勝共連合の人なのだろう、サラリーマンふうの服をしたまだ若い青年が出ていった。そして僕と木村さんはクの字型のソファーに座った。
 僕のななめ右に木村さんがいて僕らはコーヒーを飲みながら話をしていた。話が途切れた。木村さんは目を潰っていた。大きな大きな僕が大好きな目を。
 僕はなぜ木村さんが目を潰っているのだろうと訝しんだ。そして僕と喋ることに飽きたのだろうと思った。そして僕は『ビデオ見てきます』と言って立ち上がった。木村さんは大きな目を蛙のようにぱちぱちと開けて眠りから醒めたように驚いたように僕を見た。

 あとでビデオ見ながら解ったのだが、あのとき木村さんは僕を誘っていたんだ。抱かれたいと思って目を潰ったんだ。僕を誘惑していたんだ、と始めて気づいた。




 でも木村さんからの返事はなぜ来なかったのだろう。
 9月の始め頃だったろう。僕が松添さんにラブレターを出して新大工の好文堂で松添さんを待っていたけど松添さんは来なかったようだった。(でも僕らはもう何年も会ってなかったしそれに松添さんらしき女の人も来ていた。眼鏡をかけて以前と変わっていてあまり魅力的でなかった。奥の方にぽっちゃりとした目の大きい色白で僕好みの女の人がいたけど、僕は始めその女の人をよく注視していたけど松添さんでないことは明らかだった。松添さんはもっと大人しい日本的な顔立ちをしているのだった。
 眼鏡をかけて内気そうな女の人が僕の方に歩いてきていたけど、僕は何でもないかのように手にしていた本に読み耽った。その女の人が来たのは約束していたちょうど6時30分だった。僕は5分前にそれまで勉強していた県立図書館から歩いてここに来ていたのだった。

 そして7時までそこの好文堂で立ち読みしたあと、ふたたび県立図書館に帰り7時50分まで勉強したあと(いやそれは8月の終わりで県立図書館は7時までだから6時に待ち合わせをしていたのかもしれない)いや、たしかに6時に待ち合わせをしていて僕は県立図書館に取って返すとすぐにクルマで帰らねばならぬのだった。そうだ、8月の終わりのことだった。僕は6時40分まで松添さんを待ったのだった。そして急ぎ足で県立図書館に帰り、県立図書館は6時50分までの夏の時間帯だったので僕は県立図書館に帰るとすぐに三階へ登り席に付き本を読み始めて2、3分すると閉館のベルが鳴ったのだった。

 そして家に帰ると父がいて(ああその日なぜ父がいたのだろう。日曜日…そうだ…父はその日平日だったけど魚つりに行ってたのだ。そしてその日は水曜日じゃなかったろうか。

 父が『7時ごろ白崎さんってやったかな、電話のあったよ』と言った。僕は『白崎』は『平崎』の間違いだろうと思った。僕を統一教会に誘った工学部のあいつだろうと。
 僕は『白崎』という電話の相手が男か女か聞くのをためらった。もしそれが女だったら松添さんの友だちが松添さんの変わりに僕に電話をしたのだと考えられたのだけど。

 僕は木村さんから借りた本の最後のページに木村星子と書いてあったからてっきり木村さんの名前は星子だと思っていたけど実はそれは木村さんの姉の名前じゃなかったのかと思ってきていた。そして長崎の平崎のところに僕の手紙が送られてきて平崎がちょうど松添さんと会う約束をしていたその日に(しかもちょうど7時に)電話してきたんではないかと。

 僕は波の音を聞きながら何ヵ月か前の出来事を回想していた。もうあれから2ヶ月になるな、と思った。結局僕はその2人の女の人からもふられた感じで僕は一人っきりだった。僕は波の香りを匂ぎながらひしひしと孤独感に浸っていた。
(10月終旬)




 僕の暗い大学生活は何に譬えられるだろうか。僕が2年近く乗った黒塗りの250ccのバイクに譬えられるかもしれない。獣の心臓の鼓動のようだったあのエンジンの生命と躍動。
 あれは僕が大学3年目の秋、君を捜しに福岡まで行った半年後に買ったカワサキのFTだった。バランサーの付いてないツインのエンジンの鼓動は今でも忘れられない。




(ヒタヒタと青い海水が足元に押し寄せてきている)
 
 バランサーの付いてないあのエンジンも今や打ち棄てられ公園の一角に日枯らびようとしているらしい。
 あのエンジンの鼓動も地獄の響きに満ちていて、青春の最後の炎を燃やそうとしていた僕を打ち棄てられた青年としていつも一人乗せたきりで学校の近くをさ迷わせた。
 僕は結局あのバイクの後ろのシートに誰も女の子を乗せることもなく、やがてそのバイクは3万円で暗いノイローゼの友人に売った。そしてそのノイローゼの友人は半年もしないうちにそのバイクを公園の一角に打ち捨て、そしてもうずっとそのバイクは一年近くも雨風に打たれ続けているらしい、と僕は別の友人からそう聞いた。

 近づく診断学の実習の試験が怖い

 診断学のテストのときの光景が目の前に浮かんでくる。

 僕は生きたい。母と父と姉の悲しみのことを思うと僕は生きたい。明るく生きたい。誰かとても気立てがよくて美人の女の子と結婚して子供を産んで母や父を喜ばせたい。僕が死んだときの母や父の落胆に沈んだ表情が僕にはとても辛い。
 僕は生きたい。少なくとも母や父が死ぬまでは生きてゆかねばならないのだろう。明るく明るく生きてゆかねばならない。
 僕は生きたい。僕は生きたい。
 生きて父や母を喜ばせるんだ。誰か綺麗な気立てのいいお嬢さんと結婚して父や母を喜ばせるんだ。
12月21日午後2時







     

            (クリスマスイブの夜の会話)
 あれがカシオペア。そしてあれが北極星。そしてあれが蠍座の星だよ。
 南十字星は…南十字星は見えないの?…カメ太郎さん…
 南十字星はもっと南の暖かい所に行かなくっちゃ見えないんだよ。寒いんだろう。僕もやっぱりとても寒い。でも自殺したんだろ、星子さん。5月始めの夜の寒い海に飛び込んだんだろ。だから寒くて当然だよ。耐えなくちゃ、耐えるしかないんだよ。
 …でもカメ太郎さん。もう十年よ。私、十年間もこんな寒い思いをしてきているのよ。もう十年よ。もういやよ。私も暖かい所に行きたいわ。私十年もこんな寒い思いをしてきているのよ。
 星子さん。自殺したらそんなに苦しいんだね。自殺したら地獄だね。
 僕らのクリスマスイブの夜はこうして僕らの出会った網場の海辺で、袂に柔道着の帯を忍ばせた僕と、過ごされた。寒いね。僕はこんな寒い夜に死ぬの厭だな。やっぱり暖かいお昼に死にたいな。ポカポカと暖かいお昼に……
 




(12月24日 夜)
 溶けてゆきたい
 静かに溶けてゆきたい
 そして僕の心は水になって
 僕の意識は薄れてゆく
 そして僕の苦悩も喪くなる
 
 溶けてゆきたい
 静かに静かに溶けてゆきたい
 そして僕の苦悩も喪くなって
 僕の魂は静かに暖かい海の中に溶けてゆくだろう


 ……僕はそう昨日ベットのなかで思った。でも来てみるとここは冬の海だった。昨日思った暖かい海ではなかった。激しい厳しい冬の海だった。

激しい厳しい冬の海に僕は唖然としている。厳しすぎる。冬の風に吹かれながら僕はそう思っていた。


 君も海のなかで苦しんでいる。僕も溶けてゆきたい。君の苦悩をしっかりと抱きしめ、…ああ、今の僕は以前のそんな優しく強い僕ではない。正義感に溢れたかつての強かった僕ではない。

もう一度、もう一度、かつての自分に戻ろうか。信仰の道に戻れば僕はかつての強かった自分に戻れる。でも今の僕には信じ切られない。
 
 もう一度、あの中学の頃の懸命の自分に戻れば、あの頃の自分に戻れば……

 血みどろの、血みどろの信仰に戻れば、そうしたら僕は以前のように強くなれる。

血みどろになるんだ。毎日、もう声がほとんど出なくなるまで題目をあげていた頃の自分に。一日が30時間なければとてもやってゆけないと思っていたあの頃の自分に。

 戻れない。もう今の僕は戻れない。

 人を救う道ではなかったか。昔の自分はその理想に燃えた自分だった。だから僕は強かった。

 今の自分は弱すぎる。この北風に僕は負けて涙が出そうだ。…昔の自分に戻ろう。

(僕はつかつかと浜辺を後にしていた。でも昔の自分に戻れるかあまり自信はなかった) 

12月27日





(キラキラと光る海面。青いサンバソウが透けて見える。以前の、もうずっと前の----10年も前の----自分のようだ。あの頃の僕の心みたいだ)
(キラキラと光る海面。僕の歩みを留めようとする小さな小さな小石たち。まるで星子さんの心みたいだ。僕を押し留めようとするなんて)
(青く淀めく真昼の冬の海面。もう何日続けてこの海辺に来ていることだろう。疲れきった僕の心を慰めてくれるのは思い出のこの海面しか僕にはない。あの激しく燃えた中学・高校時代の星子さんとの恋の思い出を残すこの浜辺しか。青く青くコバルトブルーに光るこの海面しか)
 
僕はそうして炎のように燃えながら浜辺を歩いていた。(僕の躰は音を立てながら燃えていた。僕は宙に浮き、そして海の上の空中に吸い込まれるようにして消えてゆくであろう。
 まるで平安時代を想起させるかのように、羽衣のように消えてゆくであろう。僕はこの水色の大気と一体化してゆき、僕の意識はこの浜辺に(そして僕が育ったこの日見に)溶け込んでゆくであろう。そして僕の意識は次第に気迫になってゆき僕は次第に完全に展開へと上昇してゆくであろう。“さようなら、星子さん”と手をふりながらあの激しく燃えた少年の頃の懐かしい恋を胸に抱いて僕の意識は消えてゆくんだ。そして完全に僕の意識は“神”と調和してなくなってしまうんだ。

12月28日





 海から唸りをあげて僕を氷つかせようとするような冷たい風が吹きつけてきていた。
 海面で砕ける潮の水が凍り付いて僕の顔に吹きつけてきているようだった。僕はこの日は…この日だけは死ぬことを考えずに砂浜を歩いている自分に気付いて少し愕然とした。あまりに寒いから。こんな寒い日にペロポネソスの丘の森へ行って首を括って死ぬのはあまりに寒すぎて僕にはできなかった。やはり暖かいポカポカとした日に首を括って死にたいな、と思った。
 
 
 僕は死なない
 こんな寒い日には
 
 僕は死なない
 こんな寒い日には

 するとポッカリと霊界が口を開いて暗闇の中へ僕を誘っているようにも思えた。砂浜の先の膝が浸かるくらいの海面に暗い霊界への入口があって、それが僕においでおいでと手招きをしているようだった。

12月29日





 僕の躰は荒れ狂う冬の海に吸い込まれていくようだった。北風に荒れ狂う海。沖に波しぶきが立ってその近くをカモメが北風に吹き飛ばされそうに飛んでいる。僕の心は…このまま冷たい北風に吹かれて遠くの天草や雲仙岳の方に飛んでゆけばよかった。僕の心だけが青い風船のようにくるくると北風に吹かれて飛んでゆき、僕の躰だけがこの浜辺に残されたなら。
 そして僕の躰は粉々に砕けてこの浜辺の小石になる。青や赤や緑色の光る綺麗な石になる。

 ああそうなったらどんなにいいだろう。僕の躰はこの波打ち際の小さな小石になって、僕の心は北風に吹かれて遥かな天草や雲仙岳へと飛んで行ったなら。

 すると僕の苦悩もなくなって、僕は心安らかに天国へ旅立てるだろう。僕はもはや苦労なんてしなくなって、幸せな青い鳩となって北風に乗って天草へ…雲仙岳へ…そしてその向こうの阿蘇山へ…そして天国へと旅立てるのに。

『死ぬこととは何だろう。そして生きることとは……』

 僕は海を見つめていた。荒れ狂う冬の海を。

『生きることとは何だろう。生きることとは……』 
死ぬことも生きることも同じことだと今の僕には思えて来る。『生きることとは…そして死ぬこととは…』生きることも死ぬことも同じことだと僕には思える。生きることは一体何なのか、死ぬこととは一体何なのか、僕には解らなかった。
 現実の厳しさに震えおののくとき、僕は思う。生きるとは、死ぬとは何なのかと…。
厳しい現実の荒波は僕の心を暗胆とした思いに囚わせる。生きるとは、死ぬとは何なのかと、僕は真剣に考えざるをえない。
 荒れ狂う波。冬の波。僕の心を凍えさせるような厳しい現実。厳しい波。荒れ狂う波。
荒れ狂う波。冬の波。

 僕の心は割れてゆこう。冬の海の中に。
 そして綺麗になって、涙とともに僕の心は明るく幸せになれるんだ。
 苦悩は砕け散り、僕は幸せになれる。

 なくなればいいんだ。
 ちっぽけなちっぽけな僕の存在なんて、なくなればいいんだ。




 愛子へ
 もう僕は破れ去りました。高校の頃、あんなに自分と同じような吃りなどで苦しんでいる人たちを救うのだ、と決意したその決意も3年留年して奨学金を貰うことになりまったく畑違いの分野で働かねばならないようになってきました。
 愛子
 僕は何が真実なのか解らない。強かった僕。以前の僕。それはいったい何処へ行ってしまったんだろう。
中学の…高校の頃の僕は…。




 最後に浜の町で会って、一緒に食事をしたいなあ、という気持ちでいっぱいです。僕はそのあと医学部の生協裏の森にふたたび入って行き縊死するでしょう。愛子との最後の楽しい思い出を胸に秘めて。




 愛子へ
 僕はこの頃、怖しい不安に日々震えおののいている、と手紙に書いているけど、僕の不安は大きな大きなこの正月の冬の空に溶け込んで消えてしまいそうだ。僕の不安な心は風船のように…大きな大きなこの空の中に消えてゆくんだ。僕は自由になり、幸せに大空を飛ぶ鳥になるんだ。


以前の方が幸せだった。
苦しかったけど幸せだった。
希望があった。
苦しさを消す希望があった。

 以前の僕は悔しさも苦しさも跳ね返す強さがあった。若さだったのだろうか。いや、あれは若さではなかった。あれはすべて信仰の力だった。

 真実はいったい何処にあるのだろう。青いこの海の水の中にあるのかもしれない。生きること、力強く生きてゆくこと、明るく生きてゆくこと、幸せに生きてゆくこと、僕には解らない。真実は、生きるのは、僕の存在は。
 暗胆とした思いに捕らわれる。生きること、真理、…僕は正義のためなら生きてゆく。でも何が正義なのか解らない。何が真実なのか解らない。明るく行きたい。幸せになりたい。病気を治したい。
 創価学会に戻ろうか。でも僕には向いてないような気がする。燃えるような歓喜が湧いてくる。でも緊張も強くなってしまう。僕には向いていないような気がする。創価学会に戻りたい。でもその強くなる緊張が…。
 力強く生きてゆきたい。でもその緊張が…。だめだ。僕には向かないんだ。そして疑問も湧いてくる。でも幸せになりたいし、元気になりたい。そして不孝な人たちを救ってゆきたい。また、この信心しか不孝な人を救えないことは僕はよく知っている。

 幸せは、真理は、何処にあるのだろう。
 
 僕は茫然と立ちつくしていた。真理が流れてゆく。僕の心も、そして魂も、流れてゆく。何処か知らない僕の手の届かないところへ。寂しく流れてゆく。
 
 人を救えるのは創価学会の信心しかないと僕は確信している。でも強くなる緊張が僕がその信仰へ入るのを妨げている。

 強くなりたい。そして以前のように幸せになりたい。

 真実を求めて青い海に飛び込めば…
 でも僕にはできない 僕にはそんな勇気も気力も今の僕にはない
 真実を追って、青い藻や海草を掻き分けて進み、やっと真実に巡り会えたなら…
 でもそれは夢のようだ。現実は冷たく厳しく今の僕にはできない。




 愛子へ
 僕は怖しい不安に日々おののいている…とこの頃よく手紙に書いているけど、僕がいままで発狂しなかったのはとても不思議だ。僕は本当なら中学の頃に発狂していたはずだ。でも高校3年の終わりごろまで発狂しなかったのは創価学会の信心をしていたからだと思う。でもその信心をしたために中二の頃喉の病気になったんだけど。やっぱり信心してなかった方がよかったような気もする。
 生きる気力を喪く縊書けている僕を救ってくれるのは愛子のような明るい恋人が現れることが一番なのだと僕は思う。共産党や創価学会よりも何よりも恋人や友人などの方が僕の発狂を救ってくれるんだと思う。
 もう夏になり書けています。僕を賃欝とした気持ちに陥らせてきた寒い季節は去り、今からは陽気な熱い季節がやってきます。そして僕も元気になるような気もします。自然と… もう深刻なことを考えなくても…
                      5月2日





 星子さんへ
 僕は今まで本当によく生きてこられたなあ、と自分でもつくづく感心しています。僕はもう26年生きてきました。星子さんは十四歳のとき死んだからもう星子さんの2倍近くも生きてきたのですね。とくに高校を卒業してからの8年間は本当によく生きてこられたなあ、と自分でも感心しています。
 でもそろそろ僕の人生も終末の様相を呈してきたような気がします。再び生きられるには恋人が必要なのだと思います。そしてできれば結婚することが…。それもお金持ちのお嬢さんと…。
 すると僕の第2の人生はスタートし、僕は再び元気になり、生きるファイトが湧いてきて、そして僕は別人のようになって(もはや星子さんの知ってる少年時代の僕とすっかり違うようになって)新たな人生を歩んでゆけると思うんだけど。でもなかなか僕を救ってくれる天使さまは現れるような様子が今のところ全くありません。

 浜辺は暑く、太陽の光が燦々と照りつけるようになりました。中学時代や高校一年の頃の思い出の浜辺に僕は来ています。僕の心の憂愁が晴れると思って。赤い400ccのバイクにまたがって。

 でももうあれから何年経つんでしょうね。僕は懐かしくて涙ぐみそうになるほどです。高一の頃は忙しくてあまり来てなかったから僕がこの浜辺によく来ていたのは中二や中三の頃です。僕はあれから二倍ほど歳をとりました。希望は打ち砕け、僕は今にも傍の崖から身を躍らせたいほどです。
 
 星子さんも逝き、ゴロも逝き、僕は高校二年のときからずっと一人で過ごしてきた。もう何年になるだろう。10年の歳月が流れ星のようにスーツと過ぎ去った感じだ。
 中学や高校時代の友人は今次々に結婚していってる。でも僕はまだ中学や高校時代の心のままでいて、僕だけ、僕の心のなかだけ、時の流れがもう十年余りも止まってしまっているかのようだ。

 浜辺の石ころも昔と全然変わってないし、海の色も、海の香りも、そして沖を行く小さな漁船も全然変わってない。

 僕も変わってないな。十年前とちっとも変わってない僕だ。そしてあれから十年間も親のすねをかじり続けてきた僕だ。
 僕の心は罪悪感に満ち溢れていて、青い海の中に星子さんやゴロと同じように溶けていきたくてたまらない。少年の頃の夢や希望はもはや幻想と消え果ててまるで空を行く白い雲のようになっている。

 星子さんやゴロが僕が天国へやって来るとどんなに喜ぶだろうと…そのときの光景を想像して僕はつい微笑んでしまいました。本当にどんなに喜ぶだろうなあ。星子さんとは生前は手紙やそれにちょっぴり電話で話をしただけだけど…天国でならすぐ近くでお喋りをできることを考えると…とても楽しそうで…僕も旅立ちたいなあ…白い雲の向こうにあるという天国へ僕も旅立とうかなあ…という思いでいっぱいです。
                           5月3日







 春の海だ。僕はよくここまで生きてきた。死ぬ勇気が僕にはなかった。死ぬのが怖かった。
 父や母のために死ねなかった。死ねば楽のようだった。僕には死ぬ勇気はあった。また死にたいほど苦しかった。死ねば全てが解決する…何年か前から思ってきたそのことを実行するのがでもできなかった。
 海のなかに飛び込んで、僕は死なないだろう。僕は何年も泳ぎに行ってないが、以前はよく泳げていた。海に飛び込み海水の冷たさに心臓が止まってくれたら…とも思った。




 心は鉛のように重かった。中学・高校時代魚つりのとき使っていた大豆ぐらいの大きさの鉛の玉を思い出していた。もし久しぶりに(何年かぶりに)魚つりをすると僕の心は晴れるのかもしれなかった。しかし僕にはそういう心の余裕も気力もなかった。
 ゴロと星子さんが待っている白い雲の上の天国のことばかりを思い遣っていた。僕は小石を拾って海面に投げた。ああ、僕は生きているんだなあ、と思った。ゴロと星子さんが白い雲の上から浜辺に佇む僕を見降ろして微笑んでいるけど…僕はもしかしたらあと何十年も行き続けるかもしれなかった。また明日にも…今日にも死ぬのかもしれなかった。

5月6日





  ( 星子さんへ      5月7日)
 今日は風も強く、雷もなったりで嵐のような海ですね。僕はまたこの頃毎日のようにこの浜辺にやって来るようになったけど(つまり僕の心は今、ピンチなのです)この浜辺に来ると僕の心の寂寥感というか焦燥感めいたものも和らぎます。
 さっきまで雨が降ってて岩肌は濡れててまるで星子さんの肌が光っているように思えて思わず僕は涙ぐむと言おうか、中学時代に戻ったような気がして涙ぐみそうになりました。
星子さん。天国でお元気ですか。そしてゴロも星子さんの傍にいるのでしょうう。ゴロも元気ですか。
 ゴロはすっかりもう星子さんになついてしまっていて以前のように舌をたらして息をハアハアさせながら以前の僕のときのように星子さんの傍に居て暢気そうに…幸せそうに…何も考えなくて----
 僕もそうなりたいな、と思っています。何も考えないで…深刻なことを考えないで生きてゆけたらどんなにいいだろう、と思うこの頃です。……






                      ( 星子さんへ      5月8日)
 浜辺を行く小さな蟹の姿も、漣の音も、昔と少しも変わらない。今にもゴロが駆け寄ってきて僕に飛びかかってきそうだ。そして星子さんがいつもの後ろ姿を見せて車椅子に乗って遠い海の彼方を…水平線の向こうを…眺めているようだ。
 牧島が見えて三味線島が見えて、そして遠くに煙って雲仙岳が見える。空気の澄んだ日には島原半島の小浜や千々石の風景も見えるのに今日は霞に煙って見えない。









                       (5月11日)
 全ては終わったようだった。波の音も、磯の香りも…。僕に人生の終焉のときを告げてるようだった。
 敗れ去った。全てに、全てに敗れ去った。

 赤い400ccのバイクが道の端に寂しげに置かれている。まるで中学時代や高一の頃のゴロのようだな、と思った。まるでゴロが浜辺の道の端で寝そべっているようだな、と思った。

 全てに敗れ去った。そして全てに行き詰まった。自分は呪われている。そしてこの呪いは死ぬまで僕から離れないだろう。

 思い出のこのペロポネソスの浜辺は僕に懐かしい中学・高校時代を思い出させてくれるけど、もはや僕は全てに敗れ去りもう生きてゆく意欲を喪くした青年だ。全てに行き詰まりを感じている青年だ。

 もはや波の音も磯の香りも僕を慰めてはくれない。僕の心は暗く落ち込んでしまっているばかりだ。そしてもう這い上がれないのだろうか。

 僕の心は晴れない。僕の魂はそして青紫色の海のそこへと落ち込んでゆくばかりだ。深く深く沈んでゆく…僕の魂は。





                         (5月12日)
 敗北の海だ。ヒタヒタと打ち寄せては退いてゆく波。僕の足元に打ち寄せては退いてゆく波。敗北の海だ。かつて輝いて見えていたこの浜辺も今は死の様相を呈しているように見えるのは不思議だ。かつて僕の青春を燃やさせたこの海。青い青い透き通った海。僕らの少年少女時代を彩ってくれた海。ああ、あの懐かしい車椅子の星子さんやポインターと土佐犬の合いの子だったゴロも今や遠く天界へと旅立ってしまっている。僕も旅立ちたい。青い青い空。白い白い雲。僕も飛んでゆきたい。そして僕もふっと消え去ってゆきたい。 
 ときどき僕の人生て何だったんだろう、と考えてしまう。そして母や父の人生のことも。
 人の人生って。いったい何なのだろうと考え耽ってしまう。燦々と降り注ぐ太陽。でもそれも僕の心の煩悶を晴らしてはくれない。いったい人の人生って何なのだろう。人が生きることって。





(5月12日 夕)
 僕は疲れ果て、今にもこの浜辺に倒れ込みそうになっていた。なぜこの頃こんなに疲れやすくなっているのだろう。毎晩の深酒のせいか? それとももう僕の体力も気力も生きてゆくのに限界に来てしまっているからか?
 僕はどっと身を投げ出したい衝動を必死でこらえた。僕は星子さんの魂を呼び出そうといつか懸命になっていた。
 僕は疲れ果て、今にもこの浜辺に倒れ込んでしまいそうだった。この浜辺に埋もれてしまいたかった。
 僕は少し熱くなっている浜辺に倒れ伏し、浜辺の向こうからゴロがワンワンと吠えながら駆けてきて、そしてそのうしろに星子さんが車椅子を動かしながら微笑みながらやってきている光景を春のカゲロウのように見た。
 ああ、これは青年期特有の幻覚なのかなあ、とも思った。





 泣きながら砂浜に寝そべっていた僕の所に、ゴロと星子さんが蜃気楼のように朧ろげに揺れながら近づいてきているのが見える。僕の魂はやはりもう半分、霊界に旅立ち、自殺の方法をあれこれと考えていた僕の……
 ああ、星子さん、ゴロ。優しく僕を抱きとめてくれるんだね。地獄に落ちようとしていた僕の魂を優しく抱きとめてくれてそして僕に生きる勇気を、もしくは天国に一緒に連れていってくれるんだね。ありがとう。
 僕は涙をボロボロと流しながら悲しみに打ちひしがれて砂浜に横たわっていた僕のもとに駆けよってきてくれてきた蜃気楼のように揺れて見えるゴロと星子さんに感謝していました。

『星子さん。優しく僕を抱きとめておくれ。白い優しいその胸に。そうでないと僕は今にも死んでしまいそうだ。
 星子さん。
(そして僕は砂浜を這うようにしてソッと星子さんの差し出すちっちゃな手に手を伸ばしたようでした)…………

 僕はゴロや星子さんに抱かれて天国へとフワフワと登っていってるようでした。星子さんが美しいとても美しい微笑みを僕に向けています。ありがとう、星子さん。そしてゴロ。
 ……僕はなんだか元気だった少年時代に舞い戻ったような気がして、この浜辺をかつてのようにゴロと一緒に力いっぱい駆けて、そして海を見つめている星子さんと明るく元気いっぱいにお喋りする光景を夢見ていました。






  (5月15日)
 僕はこのごろ窓辺からぼんやりとよく海を見つめています。なぜ僕は最近こんなに感傷的になってしまったのだろうと思っています。僕には強い不安と予感があります。
 僕はもう今日、浜辺へ出かけてゆく元気も気力もなくて布団の中に寝ています。ゴロと星子さんが僕を迎えに来てくれる光景を僕は微笑みながら夢見ています。僕を喜んで迎えてくれるのはゴロと星子さんしかいないんだと思います。もう天国に行ってしまっているゴロと星子さんだけど…。
 現実の世の中には僕を喜んで迎えてくれる人って、父や母ぐらいしかいません。僕は寂しいです。そして親に苦労ばかりかけてつづけている自分と…。

 あの日…5月のまっ暗い夜の海を泳ぎつつあったとき…僕は泣いていたのだろうか? すでにあのとき僕は死に今ここに横たわっている自分は亡霊となった自分ではないのだろうか。
 もはや僕の魂はあのときから朽ち果てかけていた。 
 自分の存在って、ちっぽけなちっぽけな自分の存在って、なくなってしまえばいいんだ、十年前のあの夜、もう死んでしまっていたらよかったんだ、もしそうだったらどんなに楽なことだったろう






                (5月16日 朝)
 僕は鳥になろう、白い大きな鳥になって、天国へと羽ばたきたい
 僕は眠りたい、いつまでもいつまでも、この布団の中で
 ときどき僕はふと思う、バイクに乗りながら、このまま向こうから走ってくるトラックに向かってアクセルを全開にして突っ込んでいきたいって
 でも僕は今日もこの浜辺にやって来た。僕は向かってくるトラックへはやはり突っ込めず、バックの中に薬を隠してやって来た。星子さんとの思い出の浜辺は死の浜辺のようだった。
 僕は浜辺へやってきた。でもゴロはいない。星子さんもいない。浜辺には誰もいなかった。
 僕は生きていた。僕は浜辺に横たわりながらも、なおも生きている自分を、真昼の太陽とともに見つけた。
 僕は『生きたい、生きたい』と願っていたようだから。僕は天使さまに手を合わせ『生きたい、生きたい』と無意識のうちにも言ってたようだから。


 星子さん。ゴロ。また天界へ旅立てなくてごめんね。楽に死ねる薬は今の世の中ではなかなか手に入りにくいんだ。そして僕は苦しみたくなかったから…。眠るように楽に死にたかったからごめんね。
 でも星子さん。あの5月の寒い日の夜の海…とても冷たかったろ。僕は星子さんの死んだときの苦しさのことを考えると僕ももっと根性を出してもっと苦しんでもいい死に方をするべきだったのかもしれないけど。ごめんね。


 終末の青い空はそうして僕の顔の上に重たく乗っていた。青い空は眩しく、目覚めた僕を『ああ、生きてるんだな』という哀しいとも嬉しいとも付かない感慨に浸らせた。そして『僕は死ねないんだ。僕はとってもこの薬には強いんだ。やっぱり縊死しかないんだ』という哀しい感慨に浸らせた。そして『星子さんの死のときの苦しさに比べたら縊死の苦しさなんて何分の一だろう、いや、何十分の一だろう』などという思いを僕に抱かせた。
 でも僕の顔にかかっていた青い空は天国のようにも思えた。僕は体を少し動かし、そしてやはり自分が白い砂の上に…僕が薬を飲んで朦朧とした頭で横たわっていた所にそのままにやはり横たわっていることを知って自分はガックリときた。
 僕はやはり死ねないんだ、と。僕はそしてあまり死ぬ気もなかったんだ、と僕は思った。薬の量は致死量にようやく達していただけだったからだろう、と僕は思った。
(もう夏になりかけた真夏の太陽は、そして僕に哀しい寝返りをさせた。そして晴れ渡った青い空からぽとりと天使さまの涙のような水滴が僕の頬に落ちたような気がした)


 僕は本当によくこの10年間を生きてきた、そして本当に僕は高校を卒業してからの8年間を生きてきた、親に苦労をかけどおしで、という思いでいっぱいだった。
 僕は本当はあのとき星子さんと一緒に死ねてたら…そうしたら親にそんなに…ここまで大事に世話をされてこられなくてもよかったのに…と思って親へのすまなさ…親の苦労を思って…僕は胸が今にもまっ二つに裂けてしまいそうな気がしていた。




 青い抜けるような空だった。僕の心をそのまま吸い取っていってしまうような青い夏になりかけた空だった。僕はバイト先から帰って来るとすぐに赤い400ccのバイクに跨って思い出の漣の音と香りのするペロポネソスの浜辺へと向かった。僕は手に自分で調合したいろんな薬を混ぜた薬のビンをもっていた。そしてそれを胸のポケットにソッと入れた。赤いバイクはそして唸りをあげて動き出した。

 見えてきます…ゴロの姿が…。そしてゴロと戯れている星子さんの姿が…。ゴロも星子さんもとっても幸せそうです。
 僕は白い布団のような砂浜の上に朧ろな意識のまま倒れ伏し、そしてそういう幻想ともつかないものが浮かんでいるような気がしていた。


 クックックッと鳩の鳴き声が聞こえてきていた。あれは鳩の鳴き声なのだろうか。一晩じゅう白い砂の上に眠っていた僕の耳に朝の光とともに聞こえてきていた。哀しい哀しい星子さんの鳴き声のような気もしていた。そしてその鳩はまっ白い鳩だった。

 それから僕はまた眠ったようだった。白い砂のなかに埋もれるように僕はふたたび眠った。



      (僕はどれが真実なのか夢だったのかあまり分からない。
       僕にはあまり分からない)
『僕は生きなくては… 僕は生きなくてはいけない』とくらい暗い霊界のなかで思ったようだった。そして僕をがんじがらめに縛っていた(僕はそれが苦しかった。とても苦しかった)重い鉄の鎖をガチャンと白い髭を生やした仙人のような老人がどこからともなくやってきてその杖の先で壊してくれて、そしてまもなく僕は意識が戻ったようだった。
 そして僕は白い砂浜の上に(もう熱くなった砂浜の上に)寝ていたようだった。
 そして僕は亡霊のように砂浜の上に立ち上がって赤い400ccのバイクの方へと歩いていき始めたようだった。背中にたくさん砂をつけたまま。
       (あまり詳しくは覚えていない。
        そしてバイクに乗って帰っていたときのことも)



 いつのまにか目覚めていた僕にはきらめく海辺のせせらぎがいつものように変わりなく映っていた。哀しい哀しい光景だった。
 敗北の海だ。目の前にきらめく紅色の海。ああ、敗北の海だ。僕の頭を覆う黒い雲のような海だ。
 海辺の向こうから星子さんとゴロが嬉しそうに僕を迎えに駆けてきている…といった幻想があったのに。やはりそれは蜃気楼のようにはかなく消え去っていて僕はぐっすりと18時間ぐらいも眠った爽快感のようなのがあるだけだった。
 星子さん、ゴロ。また旅立てなくてごめんね。
 でも僕にはもう真昼の白く輝く雲の向こうで死ななかった僕を喜んで笑ってくれている星子さんの笑顔やゴロの姿が見えていて僕はやっぱり天使さまからでも仙人さんらしい老人からでもなく星子さんやゴロから奇跡的に助けられたのかなあ、と思っていました。寝返りを打って少しして気が付いたのだが僕の傍には僕が吐いたと思われるものが大きなアメーバのように横たわっていました。
 




                          (5月18日)
  星子さんへ
 もうすっかり春になり、バイクの季節がやってきました。でも僕の心のなかは哲学的煩悶と言おうか、極左に走るべきか極右に走るべきか、それとも創価学会に戻るか共産党に入るか…
 最もいいのは何も考えずにノホホンと生きてゆくのが一番だと思います。またその方が親孝行だと。
 僕は一昨日、あの浜辺で(僕らの思い出のペロポネソスの浜辺で)死のうとしてごめんね。僕はやっぱり生きてゆくことにしました。力いっぱい、力いっぱい生き抜いてゆくことにしました。
 僕は星子さんの文まで長く生きるつもりです。この手紙はアルバイト先の精神病院から書いているけど僕はもう懸命に生きることにした。




 (星子さんへ  そしてゴロへ)
 僕はこの手紙をF1のレースを見ながら書くつもりでしたけど、眠れなくて…一年ほど前から僕を襲っている強度の不眠症のためと土曜の夜のためか周囲が喧しくて、こんなに酒を飲んでそしてこんなにたくさん食べても眠れなくてこの手紙を書き始めました。
 いま、10時29分です。F1のレースは12時45分からあります。もちろんビデオにタイマー録画してますけど生で見たくて…
 でも眠れなくて何もすることがなくてそしてこの手紙を書き始めました。お酒に酔ってて字が汚いけどごめんね。
  僕は死なないことにしました。星子さん、そしてゴロ、ごめんね。でも親が可哀相だから…。親が可哀相だからとても死ねません。
 




          (僕はファントムに乗って)
  僕はファントムに乗りたいな。僕はファントムに乗って、星子さんやゴロの居る、白い雲の向こうに飛んで行こうかな。白い雲の向こうまで飛んでゆきたいな。
 そして僕はカッコイイ戦闘服姿で星子さんやゴロの待つ天国の滑走路へ着地する。するとゴロや星子さんがカッコイイ戦闘服に身を包んでそしてカッコイイ一機数千億円もするファントムから降りてくる僕の所に走って来る。でも星子さんはまだ悲しい車椅子姿で…ゴロよりずっと遅れてやっと僕の所までやって来る。タラップから降りた瞬間にもう僕に飛びついたゴロにずっと遅れて星子さんは悲しげに一生懸命、車椅子を押しながら近寄ってきている。僕は却って来なかった方が良かったような気がしてとても後悔していた。

 僕はやっと近寄ってきた星子さんの所に歩いていって涙をポロポロと流しながら『ごめんね、星子さん。10年前は本当にごめんね。2ヶ月近くも手紙を書かなくて本当にごめんね』

 星子さんも泣いていた。泣き声の一つ一つが僕の胸にとても悲しく響いた。そして僕の手を取ってふたたび泣いていた。柔らかい柔らかい星子さんの手だった。白い綿菓子のような…。




          完

天国への門

天国への門

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-28

Public Domain
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