血が騒ぐ

仁科 哲夫 作

 幾百千の世代を重ねながら黒潮にのり、東の海へと漕ぎだしていった祖先の血が、水平線に
昇る朝日を見ると、ひとりでに騒ぎだすのではないだろうか。

 鼻べちゃずんぐりの私は、やっぱり夏が好きだ。

 旭光が深紅から紫の縁取りのある橙へと変わってゆく。遠い水平
線と絡み合い、揺らぎながら昇る黄金色の太陽をじっと見つめてい
ると、全身が染め上げられた色彩の残像で私の胸は熱くなる。マニ
ラ湾の夕焼けも確かに美しいが心は躍らない。同じ水平線上の太陽
ではあるが、上りと下りの違いだけではないものを感じる。西方浄
土に極楽成仏を求めるのではなく、はるか東海の蓬莱島を、そして
また、豊穣のニライカナイを目指し、荒波に挑む祖先から受け継い
だ血が、朝日の昇るかなたへと引き付けられているのだろうか。

 明治の初め、東大医学部の前身である東京医学校へ、お雇い外国
人教師としてドイツ人のエルウイン・ベルツ博士が赴任した。彼の
滞日は二十九年におよび、わが国の西洋医学発展に大きく貢献した。
その功績により、医科大学名誉教師の称号が贈られ、構内の医学図
書館裏には彼の胸像が現在も残されている。東大退官後は宮内庁侍
医を務めている。明治二十八年に帰国するまでの間に、彼は多くの
日本人を観察して、長州型と薩摩型に分類した。

 長州型は上背もあり、色白、面長、切れ長の一重瞼、鼻筋通った
うりざね顔。これは後に役者の顔にもなるが、もともとは皇室やお
公卿さんたちの高貴なお顔である。これに対して薩摩型は、色黒、
丸顔、鼻べちゃ、どんぐりまなこの百姓面(ひゃくしょうづら)で、
ずんぐりむっくりだ。

 この薩摩型の人たちは南の島々から黒潮に乗って北上し、南西諸
島を経て九州・四国の西南部にたどり着いた。地続きのころにシベ
リアから渡って住んでいた先住民と混血しながら広がっていったの
だろう。その後に長州型の人たちが、朝鮮半島や中国沿岸部から、
九州北部と山陰地方に渡来したという説が一般的だ。

 前者が縄文人で後から来たのが弥生人。十万人弱の弥生初期から
五百万人に増えた奈良時代までの千年間に、渡来人は百五十万人に
のぼったと推定されている。稲作と鉄器という、当時ノハイテク産
業を携えた先進民族だ。縄文人を隼人(はやと)、熊襲(くまそ)、
蝦夷(えみし)などのまつろわぬ民として平らげ、クニを広げ、
大和朝廷を経て、現在のような日本人の類型ができあがったと思
っている。

 いくら寒くても平気だが、暑いのだけは苦手だという人がいる。
気温が二十五度に近づくと、もうクーラーのスイッチを入れようと
する。そういう人たちはエネルギッシュで、単調な作業を嫌い、常
に新しいものに挑戦してゆく。私は冬にワセリンを切らすと、アカ
ギレに悩まされる。ウインタースポーツの汗ばみや、毛織物が肌を
チクチクと刺す感触は生理的にキライだ。高い山や寒いところに行
きたいとは思わない。おまけに高所恐怖症ときている。そのくせ、
梅雨の蒸し暑さにじっとりと噴きだす汗や、ギラギラと照りつける
夏の太陽はいっこうに苦にならない。

 大阪から冬の北海道へ出張した時。飛行機が空港の滑走路へと降
りてゆく。窓の外に広がる一面の銀世界の山並みから、少しずつ針
葉樹の森が増えてくる。その黒い樹形と白い大地の境目は、曖昧
(あいまい)ではあるが、墨絵の諧調が醸し出す穏やかさとは異質
のものだ。輪郭が混じりあい溶けあって、お互いに和もうをする優
しさを許そうとはしない、無機質の冷たさを秘めている。雪に埋も
れた黒い大地。その下に広がる厭離穢土の根の国。底なしの暗黒に
包まれた、黄泉の常夜へと引きずり込まれていくような感覚に、気
が滅入っていた。

 四月に沖縄へ行った。一足早い夏の風に、きらめく銀波のように
そよぐキビ畑を眺めていると、心が洗われてゆく。照り輝く太陽に
映える透明な色彩は、穏やかな山稜に抱かれた陰影に富む、本土の
湿潤な風景とは別世界だ。だがそれは確かな心象の原風景。緋色に
明るく映える羊水の浮遊。拍動が心地よくざわめく胎蔵の安らぎ。
そこへようやくと帰りついたような懐かしさをおぼえていた。
 
 今村昌平監督の1968年の作品に「神々の深き欲望」というの
がある。西南諸島の小島に本土の製糖資本が進出し、開発の波で村
落共同体が解体してゆく。それにうまく乗る人と溺れる人たちの悲
喜劇を描いた悲喜劇である。細かいストーリーは忘れてしまったが、
あるシーンだけは強く心に焼き付いたままだ。
 
 夜の浜辺に若い男女が集まってくる。やがて焚火を囲んで踊りが
始まる。その動きが激しくなるにつれて昂ぶりが昂ぶりを呼び、波
打ち際から腰のあたりまで浸かって踊り続ける。島唄のリズムに指
笛の鋭い響きがからまり、つかれたような島人(しまんちゅ)の乱
舞。火と波と踊りの世界に私は陶酔していた。

 私の父や祖父母は長崎の人だ。おそらく五十か百世代前のご先祖
様は、南西諸島のどこかの島で、昼はサバニを漕いでカジキを追い、
夜は浜辺で焚火を囲み、島唄に指笛を響かせて踊り明かしていたこ
とだろう。もっと遠い祖先たちは、ボルネオあたりの小さな島の奥
深いジャングルの中で、オランウータンや極楽鳥を獲って暮らして
いたのかもしれない。幾百千の世代を重ねながら黒潮にのり、東の
海へと漕ぎ出していった祖先の血が、水平線に昇る朝日を見ると、
ひとりでに騒ぎだすのではないだろうか。

 鼻べちゃずんぐりの私は、やっぱり夏が好きだ。

血が騒ぐ

 幾百千の世代を重ねながら黒潮にのり、東の海へと漕ぎ出し
ていった祖先の血が、水平線に昇る朝日を見ると、ひとりでに
騒ぎだすのではないだろうか。

 鼻べちゃすんぐりの私は、やっぱり夏が好きだ。

血が騒ぐ

幾百千の世代を重ねながら黒潮にのり、東の海へと漕ぎ出していった祖先の血が、水平線 に昇る朝日を見ると、ひとりでに騒ぎだすのではないだろうか。 鼻べちゃずんぐりの私は、やっぱり夏が好きだ。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2012-08-16

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