*星空文庫

蓮・群像

北城 玲奈 作

 彫刻をみようと、上野へ向かった。展示されている作品には、ひょろひょろした人型が多いという。細長い人物像がだまって並び立つさまはさぞかし異様だろう。べつだん美術にあかるいわけではない。単に、怖いものみたさの外出であった。

 空梅雨、太陽はかんかんに照って久しい。きびしい光線のせいで見物客がもっているのは傘といっても日傘だったし、灼けつくコンクリートのせいでゴム靴を履いている者はひとりもいなかった。それでも湿気だけは堂々たるもので、すべてに重くのさばっている。炎熱をとらえてはうじうじ孕みつづけるので、あたりは鮮烈に輝いているのに、なにか愚鈍な感じがするのだった。

 暑い!汗はしたたって私の首筋にいくつも線をえがいた。Tシャツの襟を引っ張ってぬぐう。日差しに文句をつける気はない。しかし風くらい、もう少し爽やかでもよさそうなものである。季節がめぐるといつもこうだ。私だけではないだろう。夏になれば、こんなに暑かったかと首を傾げ、冬になれば、こんなに寒かったかといぶかしむ。そしてこの時季になれば、湿り気の濃さを疑うのである。暑さに呼応して汗が噴き出すけれど思うにこれは逆効果である。液体はからだにべとべとうすい膜を張り、内側に熱はこもっていく。
 なかば朦朧としながら、右へ曲がった。標識につきあたったので読むと、どうやら不忍池に向かう道であるらしかった。私は場所を確かめようと思い、鞄をまさぐった。取り出すとチラシは好き放題に折れ曲がっている。伸ばし伸ばしして、みると展示は国立新美術館でおこなわれているとのことだった。了解したのち、再びしまおうとしたら、顎先から汗が滴ってぽたりと落ちた。それはチラシの一点に着地し、丸くちいさく広がってゆく。染みがアクセスマップの欄に到達したので、ついでにそれも眺める。

 あっと思った。確認不足だった。美術館の名前をみただけではわからなかったが、展示がひらかれているのは上野ではなく、六本木だったのである。どっと湿り気が流れ込んだ。からだは重くなり、この熱されたコンクリートの底へ沈んでいくような感覚に襲われた。そうか、まあでも、しょせん動機は野次馬根性である。それに、暑かった。これからまた移動するのは至極めんどうである。彫刻は、また今度にしようと思い、しかしやることもなかったから、そのまま道と、人の流れに沿って歩くことにした。

 池には案外、すぐ突き当たった。私は目を疑った。いちめんの緑である。蓮が生繁っていたのだ。眩しい葉の色が、道の脇に植えられた柳の影から注ぎ込んでいる。並木をぬけると遮るものがなくなり、池全体を見わたすことができた。水面はあますところなく蓮に覆われており姿を現す気配もなく、ほんとうにあるのかさえ疑わしい始末だった。蓮の背はさまざまだったが突き抜けて高いものはなく不思議とおおむねそろっていたので、遠くにみえる池の端と端はほぼ完全な曲線で結ばれており、また曲線は華やかな緑をもって遠くの木立と池とを断絶させていた。近寄ってみると、葉は思いのほか大きい。どれも、私の片腕くらいの直径の円である。なかでも小さいものは、中心をくぼませ、へりを空へ向かって立てていた。ちょうど、こちらから葉の裏がよくみえるような格好である。太陽はこういった葉を透かすので、蓮の群れは光を含んでいっそう存在を強めるのだった。茎一本では支えきれないのだろうか、停滞した空気のなか葉はゆるやかにはためいている。
 同じ色、同じ形ではあれどてんでばらばらに揺れるので、蓮はまとまりを欠いていた。好き勝手揺れるのに、なにもひとところに植わっている必要はあるのだろうか。無理に詰め込まれているように思えて、不憫であった。なにかいとおしむような気持が生まれた。触れたくなって、柵に近寄ろうとした。そのとき後ろからきた女たちが、私を追い越して池の内部に食い込んだ道へ行った。そっちのほうが葉に近そうだと思い、私もその道をめざした。

 蓮は間近でみても照らされて鮮やかであった。触れてみると、うすい革でもなでているようである。裏側に手をあてると表面に光がすべって目に染みる。
 しばらく私は葉の質感をたのしんでいたが、風が吹いたとき、蓮の揺れる音がずいぶん大きいのに気がついた。擦れる音、捲れあがる音、ぞんざいな響きで私の耳に迫るのだった。風は特別強いわけでもない。いったいどうしたのだろうと思い、あたりを見回したが目がくらんでいてよくわからない。

 沈む風景のなかに、人くらいの大きさの影がいくつかあるようだった。それらは何の音も発さなかったし、動く気配も感じられなかったが、やはりよくみると人の形をしていた。人間だと思うと凝視するのははばかられたが、そのうちいちばん近いそれは、どうやら後ろ姿のようである。それならば、と思ってまじまじみる。背中はくっきりとその骨や筋肉の感じをあらわした。かと思うと、次の瞬間には極限まで削られきった脊髄しか残らない。それもどんどん収斂し、いよいよ目を細めても追いつかないくらいになると次第に膨張しはじめ、ぶよぶよと輪郭をにごらせるのだった。そこらじゅうすべての影がこんなふうに、おのおの伸縮していた。

 どれくらい経ったろうか、とうとう影は小指の先くらいの大きさに落ち着き、完全に動きを止めた。また少し観察して、ほんとうに動かないかどうか確かめてから、近くまでそっと寄ってみた。立っていてはよくみえなかったので、私は少しもどって距離をおいたのち、しゃがんだ。それは確かにごく小さく、ごく細くはあったが人の形を保っていた。表面はかたく、こまかく凹んでいた。無数の収縮と膨張の名残だと思った。そのまま視線を地面に沿わせると、無数の像が同じように佇んでいる。景色は目になじんですっかりもとの色合いを取り戻していたが、しかし、像は像であった。

 また風が吹いた。蓮がざわめくのが聞こえる。ひとつ遠くの像は耐えかねて、倒れてしまった。私はほとんど反射的に、それを立てにいった。いま、これは、私によってもう一度垂直になることができた。相変わらず人の気配はない。つぎ倒れたときには、もうそれきりだろう。横になるのは、立像にとって不本意なことに違いない。どうしたものかと考え、ふと、今朝がたコンビニでマッチを買っていたことを思い出した。家を出るとき、ライターを忘れたのだ。ポケットをまさぐって取り出し、つぶれかけた面を内側からたたくとマッチ箱は予想した通り、丁度よかった。私は像を慎重につまみ、箱へ寝かせた。

『蓮・群像』

『蓮・群像』 北城 玲奈 作

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-07-26
Copyrighted

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