*星空文庫

デジタル・アワ-改(仮)

天野橋立 作

デジタル・アワ-改(仮)

第一章 シーズン・イン・ザ・サン

 青々とした田んぼの真ん中を断ち切るように、その狭い道はただひたすら真っ直ぐに彼方へと伸びていた。辛うじて舗装はされていたものの、車が走ってくることはほとんどない。まれに入ってくる農作業用の軽トラックでさえ、道幅ぎりぎり一杯なくらいなのだ。
 まだ朝だというのに、夏の太陽はすでに容赦なく地上を照らしていた。日陰など、どこにも見当たらない。そんな中、水色のシャツを着た鈴木創一は、ひたすらペダルをこぎ続けた。風を切って疾走する、彼の青い自転車。なのに、ちっとも涼しくはならなかった。道端の雑草群が放つ草いきれの熱気に、生命力が削り取られているようだ。かげろうか、もしくは脱水による脳内の不具合だかで、彼の視界はゆらゆらと揺れていた。
 たすき掛けにしたショルダーバッグの中身は、いつもの登校時とは全く違っていた。海パンと水中メガネ、それに凍らせたポカリスエットが詰まった水筒。一応部活と言うことで「Hu-BASICプログラミング教本」だけは持って来ていたが、数ⅡBの参考書やら大学入試の赤本やらと言った無粋で不快なものは何一つ入っていない。
 もうちょっと頑張れば、駅にさえ到着すれば、そこから国鉄に乗ってビーチへと一直線だ。冷たい水に思う存分飛び込む、その気持ち良さを想像すると、ペダルを踏む気力も湧いてくると言うものだ。
 だが、いかんせん人間の体力には限界というものがあった。体内の水分が極度に不足してしまっては、気力だけではどうにもならないようにできている。本当は、そう言う時こそポカリスエットなのだが、ガチガチに凍った状態のままでは飲むに飲めない。次第にペダルは重くなり、ひたすら眩しいはずの視界が、どんよりと暗くなってきた。意識がブラックアウトしかけている。さすがにこれはまずい。
 やむなく彼は、脇道へと進路を変えた。道の先には、田んぼの海に浮かぶ小島のようにも見える、こんもりとした森に囲まれた集落があった。ここは「旧村」と呼ばれる、かつてこの辺りの中心だった場所で、昭和の大合併で緑町市に吸収されるまでは村役場も置かれていた。大昔に廃線になってしまったが、集落の外れには駅の跡も残っている。
 周囲に巡らされた濠に架かる橋が、「旧村」への入口だ。緩い上り坂になっているその短い石橋を、創一の自転車は一気に渡って、集落の中へと入って行った。道の両側には土塀が続き、巨大な瓦屋根を載せた古い屋敷が建ち並んでいる。どの家にも白壁の蔵があり、土塀の向こうでは立派な庭木が決まって数本、路地に向かって枝を伸ばしていた。バイパスや田んぼの真ん中に比べると、木陰が続くここは随分涼しい。
 集落の真ん中には、その高さがひときわ目立つ大木がそびえていた。これは、「旧村」の鎮守社に当たる八幡神社のご神木で、何でも樹齢八百年だとかいう話だ。創一の自転車は、そのありがたい木を目指すように、こちらもやはり立派なシイの木が立ち並ぶ参道を突っ走る。
 石造りの鳥居の下を走り抜けて、ご神木の足元に到着すると、創一はその場に投げ出すが如く無造作に自転車を停めた。そして神社を拝みもせずに、本殿の裏手へと入って行く。
 そこには立派な岩のてっぺんをくり抜いて作られた手水鉢が置かれていて、竹筒から流れ出した水が注がれていた。こちらもありがたい「御神水」という湧き水なのだが、創一はそんなことは意にも介せず、竹筒に口を近づけて水をごくごくと飲み、さらには頭に浴びるという狼藉に及んだ。神罰が下ってもおかしくない行いである。しかし地元の中高生連中の間では、この「御神水」も便利な無料給水所程度にしか思われていない、というのも事実だった。
 オーバーヒート寸前だった体を冷却し終えた彼は、拝殿前の階段に腰かけて一息ついた。軒下のこの場所なら、日光の直撃はない。時折、参道のほうから涼しい風が吹いてきたりもする。聞こえて来るのはただ、セミの声だけだ。
 ところがその静けさをぶち壊すように、ガチャガチャとやかましい音を立てる自転車が一台、参道の彼方から走って来るのが見えた。やれやれと思いながら、彼は立ち上がる。その自転車に乗っているのは、良く知っている奴だった。
「あ、創一さん!」
 木漏れ日を浴びたその小太りの少年は、大声を出すと大きく手を振った。仕方なく、創一も手を振り返す。
 創一の青い自転車のすぐ真横に並ぶようにボロボロの自転車を停めて、少年は嬉しそうな顔をしながら彼のほうに向かって歩いてきた。部活の一つ後輩、高校一年生の横山という男だった。
「創一さんも、やっぱりここの水ですか?」
「ああ、まあな」
「ええですよねえ、この神社は。水おいしいし、タダやし」
 と、やはり彼もまた、ここを無料給水所とか思っていないようである。
「とりあえず、僕もタダの水飲んできますわ。ちょっと待っといてください」
 横山はそう言うと、のたのたとご神水のほうへ歩いて行った。
 せっかく爽やかな空気に浸っていたのに、騒がしい横山のせいで一気に辺りが暑苦しくなったように感じられて、創一はげんなりした。今日はほとんど丸一日、この横山と一緒なのである。
 どうせ駅で一緒になるんだし、こりゃさっさと出発したほうがいいな、と彼が自転車にまたがると、背後から再び大声が鳴り響いた。
「あ、待ってください」
 そう言いながら、急ぎ足で近づいてくる横山は、髪の毛からカッターシャツから、全部ずぶ濡れだった。やはり創一と同じく、頭から水をかぶったらしい。
「おう、先行ってるわ」
 横山の言葉を無視して、創一は自転車をこぎ始めた。たちまちのうちに、横山の姿は背後に遠ざかる。はずだったが、素早くボロ自転車にまたがった横山は思いもよらない速力で走り出し、まだ参道から出もしないうちにもう彼に追いついてきた。妙に嬉し気な顔をしてすぐ後ろを走る横山に、仕方なく創一も一緒に駅へと向かうことにした。
「それにしても、楽しみですねえ、みんなで泳ぎに行けるなんて。パソコン部に入って、ほんまに良かったですわ」
 ずぶ濡れの髪を振り乱し、短い足で必死にペダルをこぎながら、横山が言った。
 緑町高校・パソコン部。彼ら二人はその部員なのだった。普段は部室にこもってパソコンを相手に暮らす彼らだったが、今回はわけあって、珍しくもこうして太陽の下に出てきたのだった。
「夏くらい、外に行かんとねえ。ずっと部室でディスプレイ見ながらプログラム作ってるのって、あれネクラですわ、不気味ですわ」
「いや、パソコン部ってそういうもんだから。そこ否定しちゃいかんだろう。ま、夏休みくらい泳ぎに行こうってのは悪くない、そこは俺も賛成だけどな」
 と、もっともらしい顔をして創一がうなずく。彼にしたって、内心では同じくらいに喜んでいるのである。
「しかも部費で行く、という先輩のみなさんの英断には、感服しましたわ。何て言うても、電車代も何もタダですからねえ、タダ」
 横山はまたしても「タダ」を連呼する。
 旧村を出て元の農道に戻ると、目の前には再び夏の田んぼが広がった。しかし、真っ直ぐに伸びる道のさらに彼方には、紅白に塗り分けられた鉄塔と、その足元に集まった小振りなビル群がかすかに見える。あれが、この緑町市の中心部たる市街地で、市役所やデパートなど都市としての主要インフラは全てそこに集まっていた。元々は城下町なのだが、城跡には石垣しか残っておらず、本来町のシンボルだった天守閣が現存しないため、今では代わりに電話局の鉄塔がランドマークになっているのだった。彼らが向かう駅も、やはりその城跡近くにあった。
 せっかくチャージした水分が再び空になろうかとする頃に、二人はその市街地にたどり着いた。埃っぽい風が吹き抜ける、寂れ気味な商店街を走り抜けると、突き当たりに緑町の駅が見えてくる。そのモダンな赤い三角屋根の駅舎の前に、創一たちよりも早く到着したらしい大小二人の男子部員が、並んで佇んでいるのが見えた。
「おう、来たか」
 二人のうち、長身のほうがそう言って右手を上げた。
「それにしても、遅かったなお前ら。もうすぐ電車来るぞ」
「そうなんですよ、部長。こいつがちょっとへばって御神水で給水してたもんで、すっかり遅くなって」
 と創一は横山のせいにする。
「いや部長、ちゃいますよ、創一さんのほうが先に御神水に」
 横山は慌てて反論しようとした。
「まあ、そんなのどっちでもいいから、早く自転車置いてこい」
 口々に部長部長と呼ぶ二人にうんざりしたような顔をして、長身の青年は駐輪所のほうを指さした。三年生の彼、智野祐はパソコン部の部長なのだった。気ままな部員たちの統率に日頃から苦労させられている智野部長だが、ぶつぶつ言いながらも部内をきっちりと仕切ってみせる姿は、まさに部活の要と言ったところだ。
 創一たちが自転車を置いて戻ってくると、部長の隣に佇んでいた小柄な部員が「さあ、みんなそろったし、行きましょう」と待ちきれないらしい様子で改札口に向かって通路を歩き出した。残る三人も、彼に続いて歩き始める。
「そんなに急がな、あかんの? 次の列車でも、ええんと、ちゃうの?」
 すごい速足で前を行く彼を、息を切らせて追いかけながら横山が訊ねた。
「いや、この列車逃したら、次は鈍行しかないから。向こうに着くのが二十分も遅くなっちまう」
 生真面目な顔で答えた彼は、氷川という一年生部員で、横山とは中学からの同級生なのだった。しかし、ふくれたフグのような顔の横山とは全く対照的に、端正な顔をしたなかなかの男前だ。
「二十分くらい、ええやんか」
「貴重なお金と時間を使ってわざわざ泳ぎに出掛けるんだから。一刻も早く着かないともったいないよ」
 と氷川は、歩くペースを落とそうとしない。
 四人が急ぎ足でホームに上がると、ちょうど「区間快速」の表示があるウグイス色の電車がやってきた。ドアが開いて彼らが乗り込もうとしたちょうどその時、背後から大きな声が聞こえた。
「待ちたまえ、君たち、待ちたまえよ」
 そう叫びながら階段を上って来るのは、長袖カッターシャツに黒い制服ズボンを履いた、長髪の男だった、
「あ、忘れてた」
 氷川が小声でつぶやく。
 長髪を振り乱しながら車内に駆け込んできたその男は、ぜいぜい言いながら床の上に座り込んだ。
「副部長、来るって言ってましたっけ?」
 半死半生のその男に、創一がたずねる。
「言ってた……言ってた」
 男は、息も絶え絶えになりながら、必死で言った。彼は三年生の城崎直哉、何だか扱いは悪いが、これでも一応はパソコン部の副部長である。
 車内は案外混みあっていて、ロングシートにはほとんど空きがなかった。しかし、夏服のセーラーを着た女子中学生と、白いブラウス姿の女子高生の間に少し隙間があるのを見つけた城崎副部長は、迷いもせずにそこに座り込み、汗まみれの髪を掻き上げた。途端に女子高生が立ち上がり、車両の向こう側へと足早に歩み去ったが、城崎は意に介さない。空席となった彼の隣には、智野部長が座る。
 残る男子高校生三人は所在なげにドアの前にたむろして、車窓の風景をぼんやりと眺めた。駅を出ると市街地はあっという間に途切れて、やはり一面の田んぼと、所々に建つ民家や工場が流れ去って行く。こんな所に駅などないから、都会からのお下がりである旧型の通勤電車は、うなりを上げて線路の上を突っ走った。濃い青空の真ん中で、太陽が白く輝いていたが、この車内はクーラーが効きすぎなくらいに効いていて、その熱線も彼らにまでは届かない。
「しかし、良くこうして泳ぎに行けることになりましたよねえ、部活扱いで」
 外の明るさに目を細めながら、氷川が言った。
「いや、そりゃお前のファインプレーのおかげだよ。智野部長がこの話を切り出した時の桜沢先生の顔、すごかったもんな。『君たち、パソコン部でしょ、部活動と海水浴、どう関係あるの!』って」
 創一が、部の顧問である女性教師の口調を裏声気味に真似て見せる。
「まあ、それは美代子先生が正しい思いますけどね。何にも関係あらへんですもん、実際」
 冷めた口調で、横山がそう言い放つ。
「あの時氷川が、『コンピューター・グラフィックス・コンテストに出す作品のスケッチに行くんです』って言ってくれなかったら、こんな話は絶対無理だったからな」
 創一がうなずく。
「あの時の氷川君、ほんまにすごかったわ。顔色一つ変えんとあんなホラ話を繰り出すんやから」
 心底感心した、という顔をして、横山が言った。
「詐欺師になったら、大物になるんとちゃうかな」
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
 氷川は苦笑する。
「しかし折角泳ぎに行くのに、メンバーが男ばっかり、てのがなあ」
 創一が、深いため息をついた。
「せめて、直子の奴が来てくれてりゃ良かったんだ。あんなのでも、女には違いないからな」
 創一が言う「直子」というのは、彼らの部活における、たった一人の女子部員だった。他のクラブとの兼部ではあったが、創一と同じ二年生の彼女が在籍しているおかげで、男しかいない部活、という状態を何とか回避できていた。言わば、最終兵器なのである。
「何でうちは女子部員、こんなに少ないんでしょうか」
 氷川が真顔で訊ねる。
「何でって、そりゃお前……」
 創一が思い浮かべたのは、正体不明の様々な電子機器が所狭しと並ぶあの薄暗い部室、つまりは彼らの城だった。木造校舎の古びた造りに似合わないそのハイテク空間を、彼らは誇りに思ってはいたが、じゃあそこにかわいい女の子が集まってくるところを想像できるかといえば、それは無理だ。たった一人弱だけでも女子部員がいるというだけで、かなりな幸運と言うべきだろう。
「なんか、今日は『人に会う約束がある』って言うてはりましたからね、直子さん」
 横山が言った。
「どうせ、男だろうな」
 創一は肩をすくめる。
「俺ならあんな気の強い女と付き合うなんて、願い下げだけどな」
「そやけど、案外かわいいところもありますよ、直子さん。編み物したり、クッキー焼いたりとかもしてはりますし」
 と横山は、姉貴分をかばってみせる。いかなる心境からか、彼女の使い走りのような役目を日ごろから喜々としてこなしている彼は、言わば直子の子分のようなものなのだった。
「顔は小さいし、スタイルもいいし」
 と氷川が続ける。
「確かにあのルックスなら彼氏がいても不思議じゃないよね、直子さん」
「そのクッキーとやら、一度も食わしてもらったことないからなあ、俺らは」
 創一が情けない声を出す。
「直子が駄目なら、この際せめて美代子ちゃんでもいいから来て欲しかったよ」
「美代子先生が、どないかしましたか?」
 横山が不思議そうな顔をする。桜沢美代子先生は国語の教師で、パソコン部の顧問をつとめていた。
「いやさ、こんな男だらけの水泳大会になるくらいだったら、いっそ美代子ちゃんが来てくれた方がましだったと思わないか? これでも建前は部活動なんだから、顧問として一緒に来たっておかしくはないだろう」
「あの歳で、海水浴はきついんちゃいますか」
「桜沢先生、確か三十になったばかりだぞ」
「三十路で海水浴はあり得へんでしょう」
 全世界の三十代を敵に回しつつ、横山がそう言い放つ。
「だけど、あの変な眼鏡外したら、結構かわいい顔してるよ、美代子先生」
 隣の氷川が口を挟む。
「確かにあの三角眼鏡はあかんよねえ。昔の映画に出てくるオールド・ミスみたいやもん。ちゃんと日本電気のご主人いはるのに」
「まあいい。ともかく例え三十路でもだな、水着姿になってさえくれれば、それなりに見栄えがすると思うんだ」
 力説しながら、創一はビーチの風景を思い浮かべる。砂浜から男子高校生どもを消去して、ビキニを着た女性教師の姿を加えると――これなら、まずまず絵になるのじゃないか。
「僕らが泳ぎに行くっていうだけでもあんなに反対してはったのに、わざわざついてきて自分から半裸になってくれはるなんて、あり得へんですよ」
 横山はあくまで冷静である。
 県庁のある町で支線に乗り換え、冷房のないディーゼルカーで外からの熱風を浴びながらしばらく走るうちに、ようやく窓の向こうに砂浜が見えてきた。それなりの数の人たちが泳いでいるようだったが、近くの駅でがら空きの列車から降りたのは彼ら五人だけだった。みんな車で来るのが当たり前で、わざわざこんなローカル線に乗って泳ぎに来る人などほとんどいないのだろう。
 古びた木造瓦屋根の駅舎を一歩出ると、さっそく例の日差しがパソコン部員たちを襲ったが、もう後少しで泳げるのだと思うと、もはやそれも苦にはならない。むしろ、暑さでテンションが上がってくるようで、彼らは大はしゃぎしながら、背の高いトウモロコシ畑に挟まれた道をビーチへと急いだ。

 そもそも、彼らがこうして泳ぎに行こうなどと言い出すきっかけになったのは、女子部員の発した「ネクラ」の一言だった。
 午後からの激しい雷雨が上がり、爽やかな夏空が広がっていたその日の夕方。木製の重い扉をガラガラと開いて、セーラー服姿の女の子が部室に入ってきた。
「うわ。また今日も一段とネクラだねえ、パソコン部諸君」
 とその女子高生は、部員たちをいきなりからかってみせる。彼女こそ、紅一点部員の二年生、鈴木直子だった。ショートカットが男の子みたいではあるものの、なかなかにかわいらしい顔立ちをしている。よく動く大きな瞳がチャームポイントだとは、彼女自身が常々主張しているところだったが、それは必ずしも間違いではなかった。
 直子が「ネクラ」呼ばわりしたのも道理で、折角外では涼しい風が吹き渡っているというのに、部員たちは室内にこもってひたすらパソコンを操作している。パソコン部の部室は通称「旧校舎」と呼ばれる木造校舎の三階にあり、昭和初期の建物だから文化財的な価値はあるものの、部屋はどうにも薄暗い。しかもご丁寧に、窓のカーテンまでが閉め切ってあった。これを根暗と言わずして、何と言えばいいのか。
 窓に近づくと、彼女はカーテンを一気に開いた。途端に光が射し込み、心地いい風が部屋に入って来る。部員たちは「うわ」「なんだよ」とうろたえる。
「見なよ、外。こんなに天気いいのに」
 とセーラー服の胸を張って、勝ち誇ったように言う彼女に、
「おい、画面が見えないじゃないか」
 と文句をつけたのは、創一だった。彼が操作していたパソコンのディスプレイ画面に日光が直撃していて、表示されている文字がろくに読めない状態になっていたのだった。
「見えなくていいじゃない、ちょっとぐらい。たまには陽を浴びないと」
「お前な、俺らはパソコン部なんだから、画面見てキーボード叩いてそれでなんぼなんだよ。日光浴なんか、必要ないだろう」
「だって夏だよ。もっと外出なきゃ。みんな海とか、行ったこと無いんじゃないの? わたし、先週行ってきたよ。ほら、小麦色さ」
 そう言いながら丸椅子に腰かけ、紺色のスカートの裾を押さえながら、直子は創一に向かって挑発的に足を突き出した。
「ずいぶん、色黒になったもんだな、はは」
 きれいに灼けた素足に釘付けになりそうな視線を創一は必死でそらし、床の木目を数える。
「『ネクラ少年』とか言われちゃって、みんなそれでいいわけ?」
 彼女はそう言って、傍らの床の上に埃まみれで放り出された雑誌を指差した。「パソコンNOW」というその雑誌の表紙には、大きな文字でこうあった。「有名女子大生に聞く・パソコン少年ってネクラ?」
「緊急座談会」と銘打たれたその特集の内容は、すさまじいものだった。自称有名女子大生五人が、「パソコン少年」の印象について語っているのだが、「マザコンでロリコン。アニメの女の子にしか興味がない。現実の女性とまともに会話ができない」「毎日同じ服で、風呂にも入らない」「汚い」「臭い」「ネクラ」と、憲法に保証された基本的人権とやらは一体どこに行ったのだろうと思わずにはいられない、罵倒の嵐だったのである。
 記事を読んだ彼らは激怒し、雑誌を足元に叩きつけたのだった。足形までいくつもついているのは、さらにみんなで踏みつけたからだ。なぜメイン読者層をそこまで怒らせるような記事が載ることになったのかは定かでないが、これをきっかけに「パソコンNOW」誌は発行部数を激減させ、廃刊に追い込まれることになる。
「そんなんは悪質なデマですわ。出まかせや」
「そうだ、風呂には結構入るぞ。臭くなんかない」
「それはどうか分からんけどな」
「女の子と話せないだとか、笑っちゃいますよね。そんな奴いないですよ」
 直子の言葉に、部員たちから一斉に声が上がった。
「まあ、直子の言うことも分からなくはない」
 と智野部長がうなずく。
「確かに最近、あんまり屋外での部活動ができてないからな。前は結構やってたよな。去年は海も行ったし、キャンプとか、冬はスキーなんかもな。奥穂高を縦走したのは、あれはまだ俺が一年生の時だから、みんなは知らんよな」
「ほんとですか?」
 直子が目を丸くした。彼女が入部したのは、今年の春になってからなのである。
「そうだったよな?」
 と部長は創一にパスを投げつける。
「お、おう。ビーチで短大生をナンパとかな、結局うまく行かなくて振られちゃったのが残念だったけどな」
 必死の形相で、創一はどうにか話を合わせた。
「へえ、意外ね」
「うん、そろそろ野外活動の時期だな。じゃあ海に行くか。よし、来週みんなで行くぞ」
 智野が宣言した。
 こうして、後に引けなくなった部員たちは、唐突に泳ぎに行くことになってしまったのだった。
 あくまで部活動なんだから直子も一緒に、と一部の部員たちは期待した。しかし、「来週は無理。それに海行ったばっかだし。みんなで行っといで」という彼女の言葉が、膨らみかけた彼らの妄想を一瞬にして打ち壊すことになった。そう言うわけで、男だらけの水泳大会が開催されることになったわけなのだった。

 冷たい水の中で思い切り泳いだ後、高くて少ない癖に妙にうまく感じる焼きそばで遅めの昼食を終えた創一と智野部長は、ビーチ・パラソルのそばに寝転がって体を灼いた。一年生の二人は、のんびりしている時間が惜しいらしく、波打ち際で水の掛け合いっこなどをしてはしゃいでいる。
「これでこそ、夏休みですよねえ」
 創一はそう言って、ため息をついた。ビーチ・パラソルのそばに寝そべった彼の海パンは、陽射しを反射してまぶしいくらいの蛍光オレンジ色に輝いている。
「全くだ。せっかくの夏に、みんなで部室にこもってるなんて、ありゃどうかしてたんだ」
 灼けた砂の上にあぐらをかいた智野が、目を細めながらうなずいた。
「そうだ、水筒のポカリ、そろそろとけてるんじゃないか? ちょっと見てくれよ」
 そう言われた創一は、へいへいと言いながら起き上がって、レジャー・マットの上に転がったプラスチック製水筒の蓋を開いた。
「お、ばっちりとけて来てますよ」
「そうか。ちょっと入れてくれるか?」
 智野が紙コップを差し出す。
 二人は砂の上に並んで座り、エメラルド・グリーンの水面がきらめくのを眺めながら、歯に沁みそうなくらいに冷え切ったスポーツ・ドリンクを飲んだ。パラソルに吊り下げられたポータブル・ラジオからは微かなノイズ混じりの音楽が流れ、そのリズムに合わせるように、岸辺には小刻みに波が打ち寄せていた。南国の香りがする、そのけだるい曲調は夏の午後にぴったりだった。
「これって、何て曲でしたっけ」
「『イパネマの娘』だろ、確か。ボサ・ノバの名曲だよ」
「イパネマ、かあ」
 創一は、コバルト色の空を見上げた。その高みを目指して、まっ白な入道雲が盛り上がって行く。
「こんな感じなんですかね、イパネマも」
「いや……違うと思うな、残念ながら」
 そう言いながら智野部長は、水面のさらに彼方へと目を凝らした。水平線があるはずの辺りに、なぜか市街地らしいものが薄らと見える。実はここは、海ではなかった。巨大な湖の岸辺なのである。
「海に行きたかったんだよなあ、本当は。湖じゃ潮風もないし、淡水だから身体も浮かないし。エメラルド・グリーンに見えてるのも、ありゃ藻の色だしな。なんか違うんだよ」
 智野は、残念そうに言った。
「ま、贅沢言ったらきりがないですよ。海なんか行ったら、国鉄の運賃が高くて部費じゃ足りなかったですしね。ここなら、鈍行でも来られるわけですから。分相応、ってところですよ」
 妙に分別くさい顔で、創一はうなずく。
「ただ、CGコンテスト応募って、あれはほんとにやらなきゃまずいんじゃないですか、桜沢先生だますことになるし」
「喜んでたもんなあ、『そういうことなら、頑張りましょうね』とか言って。美代子ちゃんにしてみたら、ずっとパソコンとにらめっこの俺らが何やってるのか、全然分かってないわけだし。コンテスト応募とか、分かりやすい活動内容なら大歓迎なんだろう」
「そもそも、国語教師で文系ど真ん中の美代子ちゃんを、パソコン部の顧問にってのが無茶なんですよ。旦那さんが日本電気の社員で、コンピュータ技術者だからって理由で顧問に決まったらしいって、あれ本当なんですかね」
「分からん。分からんが、もし本当なら何考えてるんだろうな、うちの高校」
 智野は、首をひねった。
 緑町高校にパソコン部が創部されたのは、つい数年前、一九八三年のことだった。高度情報化社会に対応する教育を推進する、という国の方針でパソコン購入の予算がついたため、とにかく機材を買ったはいいが、どう使えばいいものなのか学校側にノウハウが何もない。そこで、とにかくパソコン部を作ろうということで部室を用意して、適当に顧問をあてがってしまったのだった。
 生徒の中から詳しい奴が集まってくれば、それで何とかなるだろうという目論見だったようだが、結果的にはそれがうまく行った。部の活動は完全に重症のマニアである生徒側主体で行われ、顧問は彼らが暴走しないように見守るだけの役割となった。それならばパソコンの知識は必要ないから、素人でもなんとかなるわけだ。
「美代子ちゃんから見れば、俺ら不気味なんだろうなあ。生徒を愛さないと、って必死で我慢してるんじゃないか、真面目だから」
「まあ、気味悪さって点で言えば、ボスキャラ級の人もいますからね。俺らなんか目じゃないって言うか……」
 創一は小声でそう言って、パラソルの下を振り返った。レジャー・マットの上にうずくまった男が、なにやら手に持った機械を一心不乱に操作している。
「確かに、これは危険な姿だ。確実に放送禁止だろうな」
 部長もうなずく。
「城崎さん、小説は進んでますか」
 日陰の人物に、創一は声をかけた。
「まあ、進んでると言えるだろうね」
 この暑さの中でも長袖シャツに制服ズボンのままの城崎副部長が、重々しくうなずいた。彼の手の中には、ポケット・コンピュータ=「ポケコン」と呼ばれる機械があった。文庫本よりちょっと大きいくらいの、携帯用コンピュータである。
 コンピューターという名前は付いているものの、その実態はむやみにボタンの多い電卓とでも言った感じの代物だった。ずらりと並んだアルファベットのキーも、その一つ一つが小型電卓のボタン程度の大きさで、そうでもなければ文庫本サイズには収まらないだろう。液晶画面は――もしそれを画面と呼ぶならだが――アルファベットとカタカナがたった二行分表示できるだけの、モノクロ液晶だった。つまり、漢字を表示することはできない。所詮は、電卓のお化けなのだった。
 本来は、科学技術用の計算とか売り上げの集計などに使うための機械だった。そういう出自からして、やはり電卓から進化したツールなのである。しかし、それをどのように使うかは、もちろん持ち主の自由だ。そして、城崎副部長はその自由を目一杯に行使して、全くオリジナルな使い方を編み出していた。ポケコン最大手のシャープ製品であるその機械を使って、彼は小説を書いていたのだ。
「外にコンピュータ持ち出して小説書くなんて、まるでSFの未来人ですよねえ。いや、すごい」
 と創一はいい加減な調子で副部長を持ち上げてみせる。
「一度、銀杏町のマクドナルドで一時間くらい書いてたことがあるよ。周りの客、みんなこっち見てたな」
 城崎は無邪気に得意げだ。
「でしょうね」
「見るだろうな、そりゃ」
 そんな不気味な奴が店内にいればな、という続きの言葉は口にせず、智野部長は長身を窮屈に折り曲げるようにして、パラソルの下にいる城崎の手元をのぞきこんだ。
「どんなの、書いてるんだ?」
 副部長は自信満々の顔で、智野にポケコンを手渡した。白黒液晶に表示された、たった二行分の文章を凝視して、智野は顔をしかめる。カタカナしか使えないということは、つまりはこういうことなのである。
[ボクハ、オモワズカタヲスクメテイッタ。「マッタク、ナンテコトダ」ヤレヤレ。カレノイウトオリ、ボクハタイヘンナトオマワリヲシタラシカッタ]
 電報かよ、と突っ込みそうになりながら、「なんていうタイトルなんだ? これ」と智野は訊ねる。
「『歌の風よ、吹け』っていうんだ。かっこいいだろ」
 城崎は得意げに、べとべとの髪を掻き上げた。
「ウ・タ・ノ・カ・ゼ・ヨ、フ・ケ」
 古いSF映画のロボットがしゃべるような抑揚で、創一がつぶやく。
「どっかで聞いたことないか? それ」
 智野は怪訝そうな顔になった。
 ほんの少し前までは、コンピュータと言えば大企業や大学の電算室を占拠する巨大な箱だった。そのコンピュータが、集積回路の発明で、手のひらに載るサイズのマイクロコンピュータへと急激に縮小され、今やこうして高校生の手にさえ入るようになった。それはまさにテクノロジーの進歩がもたらした、輝かしい新時代だった。
 しかしいかに新時代とは言え、夏のビーチで電卓のボタンのようなキーボードをプチプチ押しながら、カタカナ小説を書きつづる副部長の姿は、さすがに常軌を逸していた。コンピューターの可能性を模索しているのだとか言えば格好はいいのだが、客観的にはただの変態だ。
「小説もいいが、せっかくこんなとこまで来たんだ、ポケコンばっかりいじってないで、ちょっとは泳ぐとかしてきたらどうだ?」
 智野部長が、まっとうな意見を述べる。
「そうそう、せっかくのビーチですからねえ。文学活動ばかりじゃもったいないですよ。夏をエンジョイしないと」
「君たちは、わかってない。閉塞的になりがちな小説世界を一気に広げるための、これは重要な試みなのだよ。意味はちゃんとあるのだ、文学的に。見たまえ、この風景を」
 城崎副部長は、彼方の湖を指さす。
「なるほど」
「いい風景だ」
 創一と智野は、感心してうなずいた。城崎が指さした沖の一点、そこにはビーチボールを取り合って遊んでいる、三人の女の子たちの姿があった。
「いや、そうじゃ……そういうことじゃないんだが」
 そう言いながらも、副部長は食い入るように彼女たちを見つめる。赤・青・黄色、それぞれ三原色のビキニ姿だ。
「これなら確かに、いい小説が書けそうだな」
 智野部長が、城崎の背中を叩く。副部長は咳払いして、女の子たちから視線をそらすと、ごちゃごちゃと屁理屈を並べ始めた。
「……まあ、若い女性は、その存在自体が一種の芸術だからね。当然、文学にもプラスになるわけだ。かつて、モーパッサンは言った。もしも、」
「確か、横山の奴が双眼鏡持って来てたはずですよ。あいつのリュックに入ってるんじゃないかと思いますが」
 創一がそう言うと、途端に鋭い目つきに変わった副部長が、レジャー・マットの隅に積み上げられたみんなの荷物へと視線を走らせた。
「その横山たちが戻って来るぞ」
 智野部長が、波打ち際のほうを指さす。一年生二人が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
 横山は「横山」という名前入りの紺色の海パンをはいていて、大変分かりやすい。どうやら、中学時代の品物らしい。背が低く小太りで丸っこい体の彼とは対照的に、氷川のほうは引き締まった筋肉質の身体をしていた。競泳用パンツがよく似合っている。二人が並ぶと、さながら使用前・使用後だった。
「やっぱり海はいいよねえ、海じゃないけど」
 と満足げに伸びをしながら歩く氷川に、
「泳いでたら涼しいし、エアコン代いらんのがええよね」
 と横山がうなずく。
 そんな二人に、創一が「おーい」と声を掛けた。
「副部長が、双眼鏡貸してくれってさ。ちょっと出してくれよ」
「かまへんですけど、何に使わはるんですか? 女の子の水着見る、とかとちゃうでしょうね」
「おお、すごいな。何で分かったんだ」
「違う! 水着じゃない!」
 慌てたように、城崎副部長が叫んだ。
「小説世界を広げるために、風景を見る必要があるだけだ。ビキニの色や形になど、僕は何の興味もない!」
 周囲の海水浴客が、みんな思わず彼のほうを見て、それから瞬時に視線をそらした。
「まあ、何でもええですよ」
 横山はそう言うと、レジャー・マットの片隅に転がった自分のリュックへと近づき、その中から双眼鏡を取り出した。野鳥観察にでも使うような本格的なもので、大きな対物レンズがギラリと輝く。
「これ、使って下さい。それでええ小説書いて、電電公社文学賞でも取って下さい」
「電電公社?」
 城崎副部長が怪訝そうな顔になる。
「ほら、あの電報みたいな小説書かはるんでしょう? チチキトクスグカエレ、みたいな」
「いや、それはおかしいよ」
 氷川が口を挟んだ。
「電電公社は無くなったからね。今は日本電信電話会社、エヌ・ティー・ティーだよ」
「じゃあNTT文学賞やね」
 二人のやりとりに智野部長と創一は爆笑した。副部長は、絶句したままだ。
「そう言えば、賞と言えば」
 氷川が突然真面目な顔になる。
「CGコンテスト応募って、全くのデタラメじゃないんですよね? 風景スケッチくらいしとかないとまずいんじゃないですか?」
「少なくとも、何か応募しなきゃまずいだろうな。先生を騙すことになっちゃ、今後に差し支える」
 彼らが泳ぎに来る言い訳に使った「日本コンピュータ・グラフィック・コンテスト」、通称「CGコンテスト」は、文化庁がパソコンメーカー各社の協賛で実施しているもので、今年で三回目の開催だった。
 応募するとすれば「学生の部」になるわけなのだが、元が口からでまかせの言い訳なのだから、実際に誰がCGを作るのかなど、具体的なところは当然何も決まっていなかった。本当に応募するのなら、せっかくだから入選を狙いたいが、競争率は百倍を超えるはずである。
「じゃあ、俺が簡単にスケッチしておきますよ。これでも、中学は美術部でした」
 氷川のその言葉に、創一は驚いた顔をして、彼の引き締まった体に目を遣った。
「美術部? てっきり体育会だと思ってたんだけどな。それがなんでパソコン部なのか、不思議だったんだ」
「なかなかうまいんですよ、氷川君の絵」
 中学からの同級生である横山が、説明する。
「中二の時、校内のコンクールで一等になったくらいですわ。何の絵書いたんやったっけ、あれ?」
「黒部ダムだったと思うけど、一等じゃないよ、俺は二等だ」
 足元の砂を蹴りながら、競泳パンツの氷川は照れたように笑う。
「パソコン部入ったのも、コンピューター・グラフィックやりたかったからなんです。体育会は、俺あのタテ社会が駄目で。市営プールには一人で泳ぎに行ってたんですけど」
「確かに、うちは縦社会とは程遠い。お前らの、俺ら先輩に対する態度を見りゃ分かる」
 智野部長が笑いながらうなずいて、パラソルの下にいる城崎副部長を振り返った。いつの間に立ち直ったのか、彼は口を半開きにしたまま夢中で双眼鏡を覗いている。
「どうですか、風景のほうは」
 創一が声を掛けた。
「ああ、悪くないね。世界は実にカラフルで、美しい形をしている」
 双眼鏡を下ろした副部長は真面目くさった顔をしてそう言った。しかし、カラフルだというのが一体何の色なのか、部員たち全員が理解していた。

 氷川がコンテスト用のスケッチをしている間、智野と横山は創一を砂に埋めて遊んだ。FMは邦楽特集に変わっていて、オメガトライブやKuwata Band、「シーズン・イン・ザ・サン」と続く選曲が、いかにもビーチサイドらしい雰囲気を演出している。
「やめろショッカー! やめるんだ!」
 首まで埋められた創一は大声でそう叫びながら、いかにも嬉しげである。
「こんな感じで、どうでしょうか」
 氷川が、そんな彼らに声を掛けた。部長と横山が早速パラソルのそばに戻ってきて、城崎副部長と一緒にスケッチブックをのぞき込む。そこにはなるほど、目の前のビーチ風景が、光と影のコントラストとして見事に転写されていた。パソコン部らしいのが、タイリングペイントという技術に用いる十六進数の色パターン指定までがちゃんと書き込んであるというところで、そこが普通のスケッチとはちょっと違っている。
「上手いな、おい」
 智野が感嘆の声を上げた。
「こりゃ、案外まじめに行けるんじゃないか、コンテスト。さすが元美術部だな」
「風景を絵として切り取る才能があるというのは、すばらしいことだよ」
 城崎が、したり顔でうなずく。
「僕らが文章で伝えられることは、限られるからね。例えば、鵜について何か書けたとしても、鵜匠については何も書けないかも知れない、そういうことだ」
「何で、鵜なんだ」
「もしコンテスト上手く行ったら、桜沢先生喜ぶやろねえ。海水浴に出した部費なんて、まともに考えたらドブに投げ捨てたみたいなもんやのにね」
「そうなったら、秋の文化祭で展示しよう。ディスプレイ画面の周囲に額縁付けて、『コンテスト入賞作品』ってな。いつもゲームばっかりでワンパターンだからな、うちの展示」
 智野部長が、そう言って氷川にうなずきかける。
「入賞目指して、やってみます」
 氷川は力強く答えた。
 スケッチも完成したところで、彼らは湖から撤収することにした。パラソルとレジャー・マットを店に返し、温水シャワー代を節約するために屋外の蛇口から出て来る無料の冷水を浴びる。そして、植込みの陰で海水パンツからの着替えを終えた彼らがビーチハウスの前を通りがかった時、偶然にも例の三原色ビキニの女の子たちが中から出てきた。パソコン部員たちよりも一足先にビーチから引き上げていたらしい。今度はそれぞれパステルカラーのタンクトップにホットパンツという姿で、どうやら年齢は彼らよりも少しだけ上、女子大生くらいのようだ。これはもしかすると、同じ列車で帰ることになるんじゃないかと、一部の部員は色めき立った。
 その太ももに目を奪われたりしながら、彼女たちの後方を彼らがぞろぞろと歩いていると、後方から赤いブルーバードSSSが颯爽と走って来て道の前方に停まった。女子大生たちは嬌声を上げて、DOHCターボエンジン搭載のその新型スポーツセダンに駆け寄って行く。中から降りて来たのは雪だるまの如く顔もお腹も丸く、目は細くて口が大きく、オールバックの髪をテカテカに固めているという、見事なまでに冴えない若い男だった。どう見ても、パステカラーの女の子たちと釣り合うようには見えない。三人の女子大生に囲まれたその男は満面に笑みを湛え、口元はよだれを垂らさんばかりにだらしなく開かれていた。そりゃそうだろう。
「あんなトドみたいな奴が、何であんなもててるんや」
 と横山が自分の体型を棚に上げて、不満げにつぶやいた。
「あいつは足代わりに使われてるんだよ。あの娘たちの目当ては、あくまで車だ。そうでなきゃ、迎えにだけ来るんじゃなくて、一緒にビーチで過ごすだろ」
 氷川は冷静に状況を分析してみせる。
「あの車は、いくらぐらいするんだろう」
 と、城崎副部長は心底羨ましげだ。女子大生に囲まれる幸せを考えれば、足代わりに使われるくらいのことなど、何でもないのだろう。
「あれ? そう言えば」
 智野部長が振り返った。
「創一、どうしたっけ」
 その頃、埋められた砂の中で身動きの取れない創一は、
「こら、お前ら俺を忘れるんじゃない、戻れ、戻って俺を助けろ」
 と独りで叫び続けていた。

 面倒な思いでビーチへとのろのろと引き返し、騒ぐ創一を仕方なく砂から掘り出した彼らは、今度こそ駅に向かってトウモロコシ畑の中を歩き始めた。
 時計の針は午後五時を回っていたが、しかし太陽はまだまだ充分な高度を保って、地上のあらゆる物を灼き尽くそうとしていた。彼らは汗だくになりながら必死で駅を目指して歩き、ようやくたどり着いた木造駅舎の屋根の下で、ようやく一息つくことが出来た。
 間もなく、クリーム色と赤に塗り分けられたディーゼルカーがやって来た。ホームと乗降口の間にはかなりの段差があり、彼らはよじ登るようにして列車に乗り込む。こちらに来たときと同じく車内はガラガラで、クーラーが無いのもまた同じだった。天井にぶら下がった国鉄マーク入りの扇風機が熱気をかき回しているだけだ。
 彼らは四人掛けのボックス席をいくつも占有して、それぞれのんびりと足を伸ばして座った。快適なローカル線列車の旅、と言いたいところだが、残念ながら車内のあまりの暑さで、そんな優雅な気分にはとてもなれない。窓はもちろん全開だが、そこから入ってくる風にしても、熱風であることに変わりはない。
「あと何分ぐらい、これに乗るんでしたっけ」
 垂直の硬い背もたれに合わせるように、背筋をまっすぐに伸ばして座る氷川が、向かいの創一に訊ねた。創一のほうは窓枠にあごを乗せてぐったりと座席にもたれ、風に髪をなびかせている。
「三十分くらいじゃなかったか、確か」
「そうですか……泳いでるときはあんなに涼しかったのになあ」
 額に汗を浮かべた氷川は、ため息をつきながら車窓に目を遣った。平行する国道の向こうで、冷たい水を湛えた湖はただ水面を輝かせている。
 通路を挟んで反対側の席に座る横山が、リュックサックから自分のポケコンを取り出し、蓋を開いた。向かいの智野部長が眠ってしまったため、話し相手がいなくて退屈したらしい。
「あれ、城崎さんに対抗するつもりか」
 目敏くそれを見つけた氷川が、横山をからかう。
「何かプログラム組んでるのか?」
 創一が腰を浮かせて、通路越しにポケコンの画面をのぞき込んだ。横山の愛機は、カシオの最新型であるPB‐1000という機種だ。
「占いのソフト、作ってるんですわ」
 横山はそう言って、極小キーボードを器用にちまちまと操作してみせる。白黒の液晶画面に、「ポケコンウラナイ・キョウ ノ ウンセイ」という文字が表示された。
「生年月日と血液型を入れると、その日の運勢が出るようにしようて思てるんです」
「へえ、でもどうせ運勢なんか適当に決めてるんだろ。ランダムで」
「ちゃいますよ、ちゃんと占星術の本買ってきて勉強したんですから、結果には自信があります。絶対に、当たります。明日死ぬと出たら、ちゃんと死にます」
 むきになって反論するあまり、横山はとんでもないことを言い出した。
「いいね、それ。ナンパに使えるんじゃないか。女の子たちの運勢をその場で占ってあげたら受けるな、きっと」
 氷川が興味を示す。
「明日死ぬ、って占いは出さないほうがいいと思うけどな、そういう時は」
 創一がにやにや笑う。
「でも、確かにポケコンの新しい使い方だ。少なくともカタカナで小説書くより、ずっと気が利いてる」
「そうですよね。他にも色々使い方ありそうだけどなあ、なにせ持ち歩けるコンピューターなんだから。ちょっと貸してくれる?」
 そう言ってポケコンを受け取った氷川は、その小さな機械をしげしげと観察する。
「うーん、俺も買ってみようかな。もうすぐバイト代入るし」
「うん、ええと思うよ。いずれは、みんながこういうの持ち歩くようになるんとちゃうかな。手帳とか、アドレス帳の代わりに」
 横山が真面目な顔をして言った。
「確かにそうかも知れん。みんながコンピューターを持ち歩く時代が来るなんて、まったくSFだなあ。さすがは八○年代だ」
 感慨深げに、創一は独りうなずく。
 線路が旧式のディーゼルカーには不似合いな高架に変わると、間もなく支線も終点である。本線への乗換駅は県庁が置かれる中核都市の玄関口だけに、さすがに相当な賑わいを見せていた。頭上を走り去る列車の轟音、乗り降りの乗客たちの雑踏、特急列車到着のアナウンス。駅構内を満たす都会の空気で、彼らの足取りも軽くなる。
 本線のホームに立つと、駅前の広場に面して立ち並ぶシティホテルやデパート、都市銀行などの建物が一望できた。県下にはまだここにしかないマクドナルドや牛丼の吉野家、ドトールコーヒーなどの飲食店も目に入ってくる。
「お腹空きましたねえ」
 と氷川がため息をついた。お昼が焼きそばだけというのでは、足りなかったのだろう。
「うまいだろうな、ハンバーガー。それにシェイクと、ポテトのLをつけて……」
「やめろ、馬鹿。俺だって腹減ってんだぞ。思い出すじゃないか、ポテトの味を」
 創一が顔色を変えた。
「思い出しますよね……カリッと揚げたてで、あの油の匂いが」
「だからやめろと言うに」
「マクドナルドなんて割高ですわ。あんなん、物の価値が分からへんお大尽が食うもんです」
 と横山が馬鹿にしたように言った。一応、大阪出身の都会人ということになっている彼としては、たかがマクド如きをリスペクトするわけには行かない。もっとも実は、彼は奈良県安堵村の出身だったりするのだが、何せ名前が漫才師っぽい「横山」で関西弁なものだから、大阪人だという彼の主張を疑う者はいなかった。
 しかし確かに彼の言う通り、ジャンクフードの値段というのは案外高かった。ビッグマックセット八百円などというのは一体どんな金持ちが頼むのか、というのが彼らの共通の感覚だった。
「僕やったら絶対、牛丼にしますわ。熱々の牛肉にダシようけめにかけてもらって、そこに生卵を絡めて……」
「やめろ、お前もだ」
 創一が叫んだ。

 空腹の高校生たちを乗せて、区間快速列車は出発した。行きと違って座席には空きが目立ち、何よりもクーラーが効きまくりなのが天国だった。
 列車が走るのにつれて、沿線に建ち並んでいたビル群は、くしの歯が欠けたようにまばらになって行った。続いて住宅地が現れ、そこも通り過ぎると、その先は一面の田園風景へと変わる。整然と稲が植え付けられた田んぼが、緑のじゅうたんよろしくどこまでも広がっていた。
 一体この先に町なんて本当にあるのだろうかと疑わしく思えるほどの眺めだが、しかし四十分も走れば工場や住宅がまたちらほらと姿を現し始め、間もなく列車は緑町の駅に到着する。県下七番目の都市と言えばしょぼい感じだが、それでもこの沿線では主要駅だ。
 赤い三角屋根の駅舎を中心とする駅前には人通りもそれなりにあり、都会とまでは呼べないにせよ、町としての格好はそこそこ整っていた。彼らも普段ならこの駅前を我らが町の一大拠点としてリスペクトしているのだが、つい先ほど目にしたばかりの県都の賑わいと比べてしまうと、いかにも寂しい。ホテルもデパートもなく、もちろんハンバーガーもない。
 改札口を出た彼らは、駅の隣にある肉屋に直行して、揚げたての八十円コロッケを買った。緑町の学生たちにとってはこれが一番人気のファーストフードなのであって、実際のところ割高なフライドポテトなんかよりもこっちのほうがずっとおいしいはずだった。横山など、カレーコロッケとメンチカツも合わせて三個も買っている。
 小さな紙袋に入ったコロッケをかじりながら、パソコン部員たちは店を出た。そして駐輪場へ向かって歩き出そうとしたその時、創一が突然大声を上げ、ロータリーの向かいに建つビルを指さした。
「おい、あれを見ろ!」
 駅前エリアではもっとも立派な六階建てのそのビルには、大手スーパー・ニチイの緑町店が入っていた。その一階、パン屋が撤退してからずっと空テナントとなっていた場所に、いつの間にか真っ赤な看板が取り付けられていた。そこには、白抜きの文字でこうあった。「ハンバーガー セントレオ」
 途端に、彼らは色めき立った。
「見ろ、ハンバーガーだってよ。まじかよ」
「こりゃすごい。見に行ってみようぜ」
 急ぎ足でロータリーを半周して、一同はニチイの前に向かった。ガラス戸には貼り紙がされていて、「森水セントレオ」というハンバーガーショップが近日オープンの予定であることが告知されていた。
「この緑町に、ついにハンバーガー屋が出来るのか」
「聞いたことあらへんですけどねえ、セントレオって」
「人魚マークついてるし、森水グループの系列なんだろう、一応」
 セントレオは、大手菓子メーカーが展開する、業界下位ながら一応全国チェーンのハンバーガー・ショップである。マクドナルドがまだ進出していない二級の商業地を中心に、出店を進めていた。県内では初出店で、テレビCMも打っていなかったから、彼らが知らないのも無理はない。ともかく、これは一大ニュースと言って良かった。マイナーなハンバーガーショップが出来るだけ、とは言ってもこの変化の少ない小さな町においては、画期的な出来事なのだった。
 開店したらさっそく来ようぜと喜びつつ、一同は駐輪場へと戻る。ここからさらに自転車を走らせ、海のように広がる田んぼを越えて、ようやくその向こうに彼らの学校や家はある。しかし、夏のビーチで過ごす輝かしい一日に満足した今の彼らには、自転車のペダルが軽く思えるのだった。
 夕暮れの迫る中、残照に紅く染まった田んぼを貫く道を、彼らの自転車は進む。遠いバイパスを、テールランプを光らせた車が次々と流れて行くが、その音はここまでは届かない。賑やかなパソコン部員たちが走り去ると。その後には虫の声だけが残された。

『デジタル・アワ-改(仮)』

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「星の門」 http://hashidateamano.bbs.fc2.com/

『デジタル・アワ-改(仮)』 天野橋立 作

時代は昭和の終わりごろ、田舎町の高校パソコン部を舞台に繰り広げられる青春小説。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-07-21
Copyrighted

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