スイッチ屋と死にたがり少女―プロローグ―

※注意※

プロローグでは以下のような表現がされています。苦手な方はご注意ください。
読了後の苦情は一切受け付けませんので、ご了承くださいますようお願い申し上げます。

●自殺を連想させる表現。
(自殺を推奨する意図は一切ありません)

人は悲しみじゃ死なない。
人は悲しみじゃ死ねない。
悲しくもなく、嬉しくもない。
そんなとき、人は死ぬのだ。

朝が来たってことだけは分かっていた。昨日からクーラーを突っ放しで寝ていたので空気だけは涼しかった。お腹にかけていた薄目の布団はくしゃくしゃになって足元にある。寝巻に来ていたジャージも若干乱れている。
うっすらと目を開けると見慣れた部屋が目に入る。七畳ほどの部屋にタンスやら丸テーブルやらが押し込められている。壁や天井が黄ばんでいるのは前の家主がヘビースモーカーだったせいだと以前アパートの大家さんから聞いていた。
ベッドの上で寝返りを打つと、カーテンの隙間からやたらと明るい夏の陽射しが見えた。窓枠の錆びついた匂いが少し鼻についた。もう慣れてしまったけれど。
窓を閉め切っているが、遠くの方から蝉の鳴き声が聞こえる。蝉の鳴き声は大嫌いだった。たった一週間地上にいて、何をそこまで必死に鳴いているのだろう。何より、蝉の鳴き声は耳障りだ。
身体に僅かに気だるさを感じて、私は起きることを諦めた。どうせそろそろアイツが起こしに来る。
「起きろおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
噂をすれば、アパートの共有廊下から大きな声がした。急いで足元の布団を拾い上げると頭から足の先まですっぽりかぶせる。私はさらに目を固く閉じた。眼球がズキズキしてチカチカする。やがてドアを乱暴に開ける音がした。何故かアイツはこの部屋の合鍵を持っている。
「生きてるか?!!生きてるよな!??生きろおおおおお!!!!」
朝から騒がしいにも程がある。やたらとハイテンションだ。手が伸びてくる気配がして、私がかぶっていた布団を引っぺがされる。
「弘香、朝だっつてんだろ!!」
しゃべるときにいちいち!マークが多いのがこの男の面倒くささを助長している。特に朝はこんな調子だ。仕方なく私は薄く目を開けた。これ以上!マークが増えるのは厄介だ。
まず視界に入ったのは眼鏡越しにこちらを覗き込む目だ。天然パーマ気味の黒髪が今日もクルクルしているのが見える。服装はワイシャツにスラックス。ネクタイが少々乱れているが、これはいつものことだ。
「朝から何やってんだ!?」
寝起きの女の部屋に特攻してきた男は叫んだ。アンタが何やってんだ。
私は布団を引っ張って元の体制に戻った。この男に言い返すと面倒なのは百も承知だったが、今はとにかくすべてがどうでもよかった。
「……起きたくない」
「って寝るなバカ!!」
ああ、もう。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!ほっといて!!
私のことなんてほっといて…!!
「もうほっといてよ…」
思わず口に出す。自分で思ったよりも弱り切った声が出て、それがあまり面白くなかった。布団の端を握りしめて息を殺す。相手の出方を耳を澄まして待つ。
「……弘香」
やがてため息と一緒に、予想に反した優しい声が降ってきた。この男は唐突にこのような声を出すから困る。探るような手つきで私の肩をつかんで、揺すってくる。無性に腹が立ってくる。
「起きろよ。朝食持ってきた。と言ってもただのトーストだけど」
男は笑った。
「テーブルに置いとくから食え」
強制か。
「良いな!!食えよ?!!」
男は最後にそう喚くと結局部屋から出て行った。部屋はやたらと静まり返った。
布団を少し捲って部屋の中央にある丸テーブルを見やるとラップのかかった皿が置いてあった。言っていた通り、中身はトーストで、どうやらその上に卵フィリングとハムが乗っている。
あの男は誰かって訊かれたら正直、私も分からない。兄とか弟とか、ましてや彼氏とかそんな人間ではない。私が知っているのは彼が自称「スイッチ屋」であることと、とてつもなくお節介だということ。
それから、あの男のせいで私は死に損ねてしまったこと。
私が知っているのはそれだけだ。

私が死のうと思った理由は特になくて。ただ、あえて言うなら色々とつまらなくなってしまったのかもしれない。これと言って明確な理由はなかった。生きるのに明確な理由がないから、死にたかった。
死ぬならどんな方法が良いか。パソコンで検索をかければ、そこら中に屍が転がっている。その一つ一つに「貴方はどうしてそうなったんですか?」って尋ねていけばいい。生き方がたくさんあるのと同じで死に方も腐るほど存在する。ただ普段から調べている人間が少ないだけだ。本当はちょっと調べれば、おあつらえ向きの方法が案外簡単に見つかる。
結局、自室で首を吊ることにした。楽に生きる方法がないのと一緒で楽に死ねる方法もなかなか無い。首つりは事後処理が大変らしいが、正直なところこれから死ぬのに他人への迷惑を考える必要性が感じられなかった。問題は手元にロープがなかったことと天井に縄を設置するような梁がなかったことだ。
仕方がないのでロープの代わりにタンスにあった衣類をありたっけ使って代用した。正直面倒で時間もかかったが、袖同士を結ぶと意外に頑丈なロープもどきが完成した。
次の問題はロープを設置する場所だったが、これは案外簡単に解決した。私の住んでいるぼろアパートは簡素だがベランダ付きで、その隅には上の階から配水管が通っている。この配水管がなかなか丈夫で、ためしに脚立を使ってよじ登ってぶら下がってみたら案外ちゃんと体重を支えてくれた。ここで使った脚立はアパートの共同区画のものだが首つりのときにも使わせてもらう。
すべての準備を終えてから改めてベランダに出ると、夏らしい綺麗な夕焼けが見えた。どこかからヒグラシの鳴き声が風に乗って流れてくる。暑い空気に夏の香りがした。白いTシャツに黒いスウェット、先ほどまで配水管にお手製ロープを結び付けていた格好のまま私は脚立に登ってロープを首にかける。吊るときは足元の脚立を蹴って倒すつもりだ。
ここまでの作業を案外平常に行っている自分にびっくりしなかったと言ったらウソになる。もう少し色々取り乱すんじゃないかと思っていたから。私の心は結構静かだった。でも、ここまで上手くいってしまうと何か裏があるんじゃないかと思ってしまう。そして実際、裏はあったわけだが。
夕日を見て、綺麗だ、と思った。そして、死のう、と思った。そんな風に単純に私は思って、脚立を蹴った。
このとき、私は気付いていなかった。裏というより誤算、あるいはミスと言った方が正しいかもしれない。とにかく私は部屋の鍵を閉め忘れていた。それが最大の……
「おい!!アンタ何やってんだ!!」
大きな声と共に玄関が開いたのが分かった。このとき私ははじめて少し動揺した。まさか人に見られるとは思っていなかったし、本当にその声は大きな声だったから。
すでに足場だった脚立が倒れて私は全体重をロープに預けていた。目が裏返るような力を首というか顔に感じる。膨らんで破裂してしまうようなイメージが頭をかすめた。上も下も分からなくなるようなグルグルとした何かが頭の中に渦巻いて、そして……。
「ふざけんな!!アンタふざけんな!!」
私は結局地面に降ろされていた。首にはロープが引っかかったままだったから、どうやら配水管に繋がっていた方をどうにかして切ったようだ。
「ふざけんなよ……勘弁してくれ……」
私はのど元を抑えて座り込んだままぼんやりとした心地で上を見上げた。天然パーマで黒縁眼鏡の男がこちらを見下ろしている。20代半ばくらいだろうか。それにしては割と痩躯だ。Yシャツの袖を幾分か乱暴に捲っているが、ネクタイだけはきっちりしまっている。スラックスは少しよれているようだ。
「誰……?」
自然と口に出たのは当たり前と言ったら当たり前だけど、なんだか間抜けな質問だった。男も男で一瞬戸惑ったような表情を作り、数秒考え込んだ。
「えーっと……俺のことは『スイッチ屋』って呼んで?」
スイッチ屋。意味が分からない。相手の返答も大概まぬけだ。
「意味わかんない……」
実際にそう言った。何が分からないかと訊かれれば、全部だ。全部分からない。分からな過ぎていきなり怒りが込み上げてきた。制御できないものが一気に溢れてきて、自分でも訳が分からないままそれが爆発した。
私は死ぬはずだったんだ。私はここで首つって死ぬはずだったんだ。なのに……
「なんで…なんで…!?」
私は首からシャツ類を引きちぎった。首が擦れて、痛いというより熱かった。
「邪魔しないでよ…邪魔すんな!!」
得体のしれない怪しい男を渾身の力を籠めて突き飛ばす。もちろん、女一人の力なんてたかが知れていて、男は「うっ……」と一瞬息がつまったような間抜けな声を出しただけだった。追撃で床に散ったシャツを投げつけるが、逆に私の腕をつかんでくる。
「いやっ!!放してよっ!!触らないで!!」
「嫌だ!放さない!!俺が放したらアンタ死ぬだろ?!!」
今度はこちらが息を詰める番だった。振り払おうとして暴れていた腕を止める。ハッと目線を上げると鬱陶しい天パが見えて。眼鏡越しの目がこちらを強い目で見ていた。睨んでいるということではなく、ただただ強い目だった。瞳には私が映っていて、それで初めて自分が泣いていることに気付いた。
「放したら、アンタ死ぬだろ?だから放さない」
先ほどの口調とは打って変わってスイッチ屋は静かに言った。どこかしらに言い聞かせるような声音を含んでいた。
「……貴方には関係ない」
私はやっとのことで咽喉から声を絞り出した。勝手に家に上がりこんでくるような不審者に敬語は使う道理はないのでタメ語だ。あぁ、ダメだ。後から後から涙が流れてくる。
「とりあえず放して。痛い」
ごねるかと思ったら案外簡単に手を放した。
「あ、ごめん」
「……」
右腕に赤く跡が残った。結構強く握られていたらしい、と少しづつではあるが冷静になりつつある頭で思った。
この男はいつまでここにいるのだろう。
「いつまでここにいるんだ?とか思ってるだろ?」
スイッチ屋はポツリと言った。
「誰か見てないと多分、アンタ死ぬからさ。俺が見てる」
「は?」
「いや、は?じゃなくて。今決めたから」
ここは真っ当な人間なら「は?」と言う場面だと思う。一方的に宣言した彼を見て、私は恐らく相当唖然とした顔をしていたと思う。私の視線に何か観念したのかスイッチ屋は大きくため息をついた。少しオーバー気味に肩をすくめて、辺りを見回す。
「OK、とりあえずさ、その散らかった諸々を片すの手伝うわ。んで、とりあえずなんか食べよう!」
妙に明るく言った男に私はさらに唖然とした。
「なんかって何?」
「え?」
「いや、だから……私死ぬつもりだったし。食べ物なんか買ってないけど?」
「あぁ…なるほど…」
そこまで考えていなかったらしい。つくづく訳が分からない。結局私たちは冷蔵庫を漁って運よく見つけたにんじんやら大根やらの切れ端を塩コショウで炒めて食べた。というか、スイッチ屋が調理したのを無理やり私にも食べさせてきたんだけれど。

こうして私は死ねなかったわけだが、死ねない事実に心底うんざりしていた。スイッチ屋は毎日生存確認をしに不法侵入してくる。余計な事情を話されたりしてややこしくなるのはごめんなので、警察にも連絡していない。ネット掲示板に「一人暮らしの私の家に男が突然上がり込んできたんだがwww」とでもスレ立てしてやろうかと思ったが、どうせこの手のスレは「釣り乙wwwww」などと言われてまるで相手にされない。
スイッチ屋は、朝に私を大声で起こしに来て大体夜まで居座る。たまに泊まる。そのときは床に大の字になって寝ている。
どうやら一応仕事をしているらしく(それがスイッチ屋という職業なのかは定かではないが)、日中はPCを持ち込んで何かを熱心に打っていたり、朝のうちに私の分の昼食を作り置きしておいて出ていくこともある。たまに夜にも外出しているようだが、いずれにせよ何やらバタバタしながらあわただしく出ていくことが多い。夜いる場合は私が寝るのを確認するまで座布団の上で胡坐をかいてガン見してくる。正直、寝づらい。
スイッチ屋がいない時間帯があるなら、そのうちにとっとと首を括ればいいじゃないか。その指摘はごもっともで、私も何回か試みた。試みの結果は私がこうして生きていることから察していただきたい。私がどんな方法であれ死のうとすると、あの男はどこからともなく帰ってきて「何やってんだ、弘香!!」と長々と説教を食らうことになる。どこかに盗聴器でも仕掛けてあるのではないかと踏んでいるが、いまだに見つけたことがない。
結局、私はベッドから抜け出して、クーラーを消して、窓を開けて空気を入れ替えた。歯を磨き、顔を洗った。そしてテーブルの上の小さな皿の上に乗ったトーストを食べる。程よいきつね色のトーストに卵フィリングがよくなじんでいて、塩コショウが効いたハムが良いアクセントになっていた。大雑把な性格のくせに……そう思うとまた無性に腹が立って、私はトーストにがむしゃらにかじりついた。
私はまだ生きている。それが無性に腹立たしかった。

スイッチ屋と死にたがり少女―プロローグ―

こんにちは。
はじめまして。
ささかま。です。
普段はそらのうた。(http://vogelscheuche721.blog89.fc2.com/)にて散文を書き散らしている者です。

この度は『スイッチ屋と死にたがり少女』プロローグを読んでくださってありがとうございます。
小説投稿は初めてですので、もしかしたら表示不具合、誤字脱字等あるかもしれませんが、その場合はご指摘いただけると大変助かります。

さて、内容についてです。
この話はスイッチ屋と死にたがり少女が主人公です。
……そのままですね笑。
取り扱うテーマがテーマですので、少し重い内容になってしまうかもしれません。
苦手な方は途中からでも良いので、回避してください。
読むのも内容的に重いかもしれませんが、書くのも内容的に重いです。
でもできれば最後まで一緒にお付き合いいただけると嬉しく思います。

この小説を読んで、読者の皆さんが何かしら感じていただけるのならば幸いです。

ささかま。

スイッチ屋と死にたがり少女―プロローグ―

これは死にたがりによる、生きたがりな話。 (「小説家になろう」さんのささかま。のページでも重複投稿を行っている作品です)

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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