*星空文庫

君を好きだと言えない理由2

nanamame 作

君を好きだと言えない理由2
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JJ Projectがついにカムバックします。5年ぶりとか、まさにカムバックですね。どんな曲か、楽しみです。
それとは関係ないけれど、「好きと言えない理由」その2です。

サムネイル画像を変えました。「Verse 2」のティーザー画像、素晴らしすぎます!

1

ピピ、と目覚まし時計が鳴る。木曜日、朝、6時30分。時計は役目を1秒だけ果たして、優しく止められた。

ジニョンは普段よりも寝不足気味ではあったが、いつもと同じ時間に起きた。うーんと伸びをすると、腕が痺れていて、肩も痛い。そして、隣でまだ眠っているジェボムに眼をやる。シングルベッドで男が2人寝るのは、やはり少しきつかった。だけど、昨夜の情事の後は、そんなことも考えられず、2人で抱き合ったまま眠ったはずだ。

昨日で3回目だ。ジニョンが恥ずかしくて買えずに、代わりにジェボムが買ってくれたゴムやローションも、部屋に完備されている。
というか、自分はいつまで数えるのだろう。数えていることが知られたら、バカにされるか、引かれるか、どちらかだと思うので絶対に言わない。

朝ごはんを作る。いつも通りと思ったが、ジェボムもいるので、2人分の朝食を作る。いつもよりおかずも二品多い。彼と一緒に朝を迎えるのは初めてのことだ。顔が赤くなってしまったので、誰も見ていないのに、両手で顔を隠す。
シャワーを浴びて、着替える。クローゼットを開けてごそごそしても、ジェボムはまだ起きない。寝顔を見ながら、ベルトを締める。顔がにやけているのに気付いて、また両手で顔を隠す。

気を落ち着かせて、一緒に朝ごはんを食べるべく、ジェボムを起こしにかかる。

「ジェボムヒョン。…ヒョン!」

何度か揺さぶって、ようやくジェボムが目を開けた。大きな欠伸をする。のっそりとした大型犬のようだ。

「ジェボムヒョン、起きてください。朝ごはん、一緒に食べませんか?」

「朝ごはん~? 今、何時?」

枕を抱えて、小さくうずくまる。まだ眠そうだ。笑っているのがバレないように、気をつけながら、時刻を伝える。

「7時15分」

「7時? …まだ、寝る。起こすな。10時でいい」

ジェボムはそう言って、また寝てしまった。10時と言われても、そんな時間、自分は仕事の真っ最中だ。改めて、彼の仕事時間の自由さを思い知る。怒ったように、「寝る。起こすな」と宣言されてしまえば、それ以上、ジニョンは何も言えなかった。

2人で食べるつもりだった朝ごはんを1人で食べる。ジェボムの分は別皿に盛って、ラップをかける。

7時45分。出かける時間、ジニョンは一応、寝室を覗いてみた。やはりジェボムは寝ている。それでもジニョンは声をかけた。

「行ってきます。出るときは、鍵かけてね」

新聞受けに入れて、とか、持っていて、とかは言えなかった。どちらがいいのか、よく分からなかったから。それに多分聞こえていないから、返事はないと思って、ドアを閉めかけた時、寝ぼけ気味の声が聞こえた。

「いって~らっしゃ~い」

玄関で靴を履く時、ジニョンはまた両手で顔を隠した。



20分歩いて、地下鉄の駅へ向かう。もっと近い所に駅やバス停はあるが、雨の日、余程暑いか寒い日以外は歩くようにしている。そこからなら、乗り換えもなく、比較的窮屈な思いもせずに、会社の最寄り駅まで行ける。近い所の駅からでも、1回乗り換えれば済むだけだから、時間的に大差はない。仕事が座りっぱなしのパソコン仕事だから、歩ける時は歩こうという気休めのようなものだ。

地下鉄に乗って10分。駅から会社はすぐだ。

ジニョンのタイムカードには、8時22分という数字がずらっと並んでいる。同じ時刻で押すというのも、気休めというか、完全な自己満足だ。

自分の席について、パソコンを立ち上げる。毎朝一番と午後一番には、社用メーラーを開いて、仕事のメールや社内の回覧メールを読むことが習慣になっている。メーラーを開いたままにして、何か来た都度読んでいたら、仕事が進まないから、時間を決めているのだ。
今日は、その中に〈全員必読・最重要〉というものがあった。〈全員必読〉とか、〈重要〉というものはよくあるが、両方で〈最重要〉というものはあまりない。早速、それを開いて読む。
昨日の、就業時間直前に来ている。ジニョンは、帰る直前にメールを絶対に読まない。変な仕事依頼でも見てしまったら嫌だからだ。だから、これも知らなかった。

内容は、全く寝耳に水だ。ご丁寧に画像まで添付されている。それは、社長と、見知らぬ人物が署名を取り交わし、握手している写真だ。背も高く、ガタイの良い、その見知らぬ男と比べたら、うちの社長はいかにも小さく見えて貧相だ。

〈弊社は香港の総合商社との業務提携が正式に決定し、本日、規約が取り交わされた〉

メールの内容は、要約すればその程度のものだ。だが、それが、自社に与える影響はどれほどのものだろう。業績が毎年落ちていることは、経理課にいるジニョンにはよく分かっていた。だからって、それが海外の会社との提携になるとは思ってもいなかった。

というよりも、こんな重要なことを、正式に締結されるまで、社員が知らないというのはどういうことだ。いいのか、それで。
噂くらいあっても、と思ったが、噂に疎い自分が果たして気付いたのかどうか。

「おお! ジニョン、ジニョン! お前、その固まった顔、メール見たんだろう。昨日、お前はすぐ帰ったから知らないだろうけど、すごい騒ぎだったんだぞ。みんな知らなかったのに、いきなりだからな。今日もまだ、みんなざわざわしていて、落ち着かないみたいだ」

隣の席の先輩が駆け寄ってきて、昨日、自分が帰った後のことを教えてくれた。それをまだまとまらない頭で聞いている。

8時30分。始業を知らせるチャイムが鳴った。

2

17時30分、終業のチャイムが鳴ると同時に、ジニョンは帰り支度を始めた。社内は相変わらず、突然の業務提携の話でざわめいているが、ジニョンはその話の輪には加わることなく、淡々と仕事をして、そしてさっさと帰る。

「なんだ、帰るのか? みんなで飲みに行かないか? 提携の話、合わせようぜ」

「ああ…、すみません。今日は、ちょっと…」

先輩に誘われたが、ジニョンは断った。気にはなるし、行きたい気持ちもあったが、結局は断った。それは、ジェボムからのメールを見たからだ。

〈朝飯、サンキュ。夕飯、作っといてやる〉

そんなものを見てしまったら、帰るしかない。午後の仕事の一番眠い時間、15時頃にそのメールが来て、眼が覚めた。定時に帰ると決めて、黙々と仕事をこなした。提携の話はもちろん気になるが、ジェボムが作った夕飯の方が気になる。



18時過ぎ、鍵を開けて家に入る。自分の家に入るのに、こんなに緊張するなんて。玄関に転がったジェボムの靴を見て、微笑む。何だかキムチの美味しそうな匂いも漂ってくる。靴を脱いで、自分の分とともに、ジェボムの靴も揃える。

キッチンにはジェボムがいた。お玉で鍋の中身をかき回している。前髪が邪魔なのか、輪ゴムで結んでいるのがかわいくて、でもそんなことで笑うと怒るので、我慢する。

「おかえり」

「た、ただいま…」

思わずしゃがみ込んで、両手で顔を覆う。

「ん? どうした?」

不思議がるジェボムに、なんと答えたらいいものか。朝、出かける時だって、家族以外に「いってらっしゃい」と言ってもらったことがない。帰ってきた時にも、「おかえり」と言ってもらった。しかも、ご飯を自分のために作ってくれている。思わぬ縁で恋人になったその人が。その喜びというか、にやけてしまう顔を、どうやって表現するべきなのか、ジニョンは分からない。だから、顔を覆うしか無い。

「…いえ、何でもないです。着替えてきます」

部屋で着替えていると、ジェボムがノックして入ってきた。

「俺、仕事行ってくるから。夕飯、食べといて。あ、ちゃんと俺の分も残しておいてくれよ」

「え? あ…一緒に、食べるんじゃ…」

ジニョンの言葉を聞いて、ジェボムは、自分の気の回らなさに、ちょっと滅入ってしまう。だから、自分が夕飯を作っているところを、嬉しそうに笑顔で見ていたのだろう。残念、と顔に書いてあるのが、何だか悪いことをしてしまったような気分になる。

「ああ…悪い。先に食べておいていいから。そんなに、遅くはならないよ。じゃ」

感情の起伏に気付かれないよう、必要なことだけを言って、ジェボムは玄関に向かう。慌てて着替えを終えたジニョンが玄関まで付いて来る。ジニョンと一緒にいる時、そんなに気を使うことないのにな、とよく感じる。

「いってらっしゃい」

家族にだって、あまり言ってもらえない言葉に、ジェボムは嬉しくなるが、なぜか「行ってきます」とは言えなかった。それこそ、家族でもあるまいし、ここは自分の家でもないから。
だけど、せめて、笑顔で、少しだけ手を振る。気を使っているのは、俺も同じかと思う。

閉じた玄関の内側で、その笑顔に照れて、ジニョンが顔を隠してしゃがみ込んでいることは、ジェボムは知らないままだ。


 ***


毎週楽しみにしていたはずのドラマも、その日に限ってジニョンは楽しめなかった。ドラマは終わりの時間22時を迎えようとしている。ジェボムは21時頃には帰れると言っていたのに、まだ帰ってこない。メッセージを送ったが、読まれた形跡もないまま、時間だけが過ぎて、ジニョンの機嫌が悪くなっていく。

ドラマが終わってしまって、ジニョンはため息をついた。お腹が空いた。一緒に食べようと思って、味見程度に少しだけ食べて、あとは我慢していた。ジェボムだって、食べないまま出かけたから、帰ってきたら、一緒に食べたいと思った。
お風呂に先に入って、すでにパジャマを着ている。必要な食器も出している。あとは温めて、盛り付けて、食べるだけなのに。こんなに遅くなるのなら、1人でちゃんと食べていればよかった。

後悔しているところ、玄関が開いた。二人がけの小振りなソファにだらしなく座っていたジニョンは、その音を聞いて、姿勢を正す。

「ジニョン~、起きているか?」

靴を脱ぎながら言っているのだろう。呼ばれたので、ジニョンは玄関とリビングを隔てるドアを開ける。

「おかえりなさい」

「ん~」

ただいま、とは言ってくれないんだな、と思ったが、ここは彼の家ではない。買い物袋を持っている。その中から出てきたのは、酒と肴だ。コーラもある。
ジニョンは家では飲まない。冷蔵庫にある飲み物と言えば、水かお茶だけ。とても一晩で飲みきる量ではない。ということは、ここにストックしておいて、また来てくれるということだろうか。
ちょっと嬉しくなる。
だが、疲れたと言いながら、上着を脱いだ時、白いシャツの肩に口紅のようなピンク色が付いているのを見つけてしまった。それに、出かけた時、その服じゃなかった気がする。

「何だ? 全然減ってないじゃないか。不味かったか?」

それほど減っていない鍋の中身を見て、ジェボムが言った。そんなはずないんだけどな、と首を傾げる様子に、ジニョンは慌てた。

「あ、いや、そうじゃなくて。…その、ヒョンが帰ってきたら、一緒に食べようと思って、それで…」

ジニョンはその時ふと閃いた。服が違うのは、きっと衣装だ。そのまま、帰ってきたのだ。きっと、そのはずだ。だが、口紅は? 気になる。気になるが、聞けない。
ジェボムはジニョンの逡巡には気付いていないかのようで、料理を温めて、ご飯をよそい、冷蔵庫に入れなかった酒も持って、リビングのローテーブルに並べていく。ちゃんと、2人分。

一緒に遅い夕飯を食べながら、聞いた。

「…遅かったですね。21時頃って聞いていたから…」

「ああ、まぁ、ファンとの話が長引いちゃって。…食べずに待っているなら、そう言ってくれたら良かったのに」

「あ、すみません…」

やはり、自分の方が悪いのかな、とジニョンは感じた。悪いというよりも、重いのかもしれない。

ファン、という言葉を聞いて、そうか、とも思う。ダンサーとして仕事が出来るということは、その実力や技術が認められているということで、そのダンスを見て、好きになる人も多いだろう。
ジニョンはまだ、ジェボムのステージを見たことがない。今日でも、行けばよかった。ただ、待っているだけなら。ほんの少し掠めただけなのだろう口紅1つで、こんなにも気を揉むのなら。

「味はどうだ?」

「え?」

急に聞かれたので、ジニョンはすぐに答えられない。

「味だよ。せっかく作ったんだから、おいしいとか何とか言えよ」

ジェボムは何かよく分からないが、暗い表情のジニョンになんと声をかけるか、迷って、結局当たり障りのない適当なことしか言えなかった。気を使うのは苦手だ。ファンのような、自分の活動を応援して見に来てくる人には、愛想も見せることができるが、ジニョンはそうではない。恋人という存在がいるのは、とても久しぶりのことだ。しかも、相手は自分が初めてで、それでも、付き合うことを決めたのは自分なのだから、仕方ない。

時間の問題だろう、と考えて、しどろもどろにではあるが、「おいしいです」と聞いただけで満足することにした。

3

バスルームから出る時、少し迷ったが、下着だけを身に付けて、借りたパジャマは着ないままにした。洗い物はすでに終わっていて、ジニョンはクッションを抱えてテレビを見ていた。
2日連続ってどうかな、と自分でも思ったが、しばらく泊まりに来ることも出来無さそうなので、まあいいか、と思う。ジニョンの経験値を上げるのは、自分のためにもなる。

ジェボムの格好を見て、驚いている。眼を逸らすが、顔が赤いので、嫌な訳ではなさそうだ。
照れている様子は、ちょっとかわいい。仕草も上品で、元々が真面目な性格なので、そういう男が、色欲を見せる時は、大分色っぽい。

目線を合わせて、ふっと笑う。そして、ジェボムは黙ったまま、寝室に行った。



それは、自分が付いていくという確信犯の笑みだった。ジニョンは少し悔しい気もしたけれど、所詮敵うはずがない。テレビを消して、リビングの電気も消して、寝室に入る。
ジェボムはすでにベッドの上で、仰向けになっている。
寝る前に、ベッドで本を読むために置いてある小さなランプの明かりだけが点いている、いつもの自分の寝室。そこに、ジェボムがいるだけで、そこは、いつもと違う特別な空間に変わる。
手招きする代わりに、誘うように微笑む。薄暗い中でも、はっきりと見える。

「どうする? しないのか?」

そんなことを言われたら、いくら嫉妬心から拗ねていたとしても、行かない訳にはいかない。
ジェボムの上に重なり、自分からキスをして、口に下を入れる。正直、キスはうまくなった気がしない。何度しても、ぎこちなくなってしまうのは、ただの慣れの問題だろうか。
ジェボムはあまり気にしていないようだ。ジニョンのパジャマを脱がして、自分も唯一身に付けていた下着を取り払う。
裸で抱き合い、身体を触れ合う。キスをしながら、お互いの中心をしごく。

そうしながら、時々、不思議に思う。

ジェボムは、不慣れで真面目なだけの社会人の自分を相手にしていて、楽しいだろうか。

うつ伏せになり、背中を逸らして、腰だけを上げた体勢は、それこそ猫みたいだ。だから、そういうのだろうな。ジェボムの腰をしっかりとホールドして、ジニョンは夢中で腰を振る。キスは下手なままでも、こっちは上手になっただろうか。断続的に聞こえる、ジェボムの喘ぎ声が、ジニョンにも伝染して、腰使いを激しくしていく。絶頂が近い。

「あっ、あ、ジニョンっ。前、触って」

両腕は、自分の身体を支えるのに使っているから、ジェボムの中心は、固く反り立ったまま放って置かれている。
ジニョンはちょっと意地悪な気持ちが生じる。

「自分で、してください」

「あ? お前、何で…、あんっ」

ジェボムが自慰できるよう、後ろは繋がったまま、2人で横向きになる。ジェボムは自分の両手で、自身をしごく。自慰をする後ろから、突くのを再開する。

ジェボムの身体をしっかりと抱き締めて、隙間のないくらい、背中と胸をくっつける。激しく波打つ鼓動が、彼に伝わればいいと思って。こんなにも興奮して、夢中になっていることが、分かってもらえたらいいと思って。

同時に果てた感覚は、言葉にならない快感だ。

しばらく静かにじっとしている。言葉は今はいらない。
ジェボムの肩や肩甲骨に、首筋に、項にもキスをする。耳の後ろ、何も付けていないピアスの穴を舐めると、ジェボムが「あっ」と声を出した。

「耳、くすぐったい」

照れたように言うのが、すごくかわいいと感じて、ジニョンの中心はまた硬くなる。それがわかったのか、ジェボムが首を回して、ジニョンを睨んだ。
それさえ、かわいいと感じるのは、恋というものだろうか。嫉妬するのだって、彼に感心が多いからだ。自分のものだという意識があるからだ。
ジニョンはようやく分かるようになった。
どうして、みんな、恋人を欲しがるのか。そして、新しい恋人の自慢をして、写真やエピソードを見せつけるのか。
そうしたいのだ。自分の恋人がどれほどきれいでかわいいか、自慢したいのだ。
ジニョンも今、そんな気分だ。ジェボムがどれほどかっこよくて男気があって、それなのにベッドの中ではとてもかわいくて、照れたり、拗ねたり、いろんな表情を見せてくれる。それが、今まで出会った誰よりも魅力的だと感じる。

男と付き合っているなんて、誰にも自慢はできないけれど、それでも構わない。彼を自分のものにできるなら。

繋がったまま、ジェボムの身体を仰向けにして、向き合う。この姿勢が、ジェボムは苦手らしい。幸いにも、身体が柔らかいので、体勢は苦痛ではないらしい。それより、正面で向き合うのが照れるようだ。ジニョンは、バックよりこの方が好きだ。照れる顔を見るのが好きなのだ。

ゆっくりと腰を動かし始める。

「あっ、お前…また?」

今度はちゃんとジェボムのものを握ってしごいてあげる。すると、ジェボムの中心も硬くなる。

「いいでしょ? ほら、もう、硬くなってる」

「それはっ、だって…触られた…」

「ねぇ、僕、上手になりました? ヒョンが全部教えてくれたんですよ。どう? 気持ちいい?」

わざと、照れて、答えられないようなことを聞いてみる。自分の中に、若干でも加虐性向があったなんて、ジニョンは自分でも意外だ。

「うるさい! 余計なことを、お前はっ」

唇を噛んで、声が出てしまうのを、抑える。だけど、堪えきれず、ジニョンの動きに合わせて「あっ、あっ」と高い声が出る。
それでも、口元に手を当てて、まだ声を堪らえようとする。
その様子を見ていたら、ある瞬間、眼が合った。挑むような、睨んでくる、快感に濡れた黒い瞳。
吸い込まれるように、近付いて、唇を重ねる。腰使いと同じくらい、激しい口付けに、身体中に快感が走る。

いつもと変わらないはずなのに、恋人がいるだけで、雰囲気が変わってしまう夜の寝室。それと、自分自身。少し前まで、何も知らなかった。だけど、今は知っている。自分を強く抱き締めてくれる恋人が、教えてくれた。この感じる夜を。

4

朝、会社へ行って、仕事を始めた頃、隣の先輩がいつものように、社内に流れる噂を教えてくれた。昨日、先輩の同期たちを中心に集まって飲み会を開いて、各部署の話を仕入れてきたのだ。

「近々、提携した香港の会社から、新しい取締役が1人来るんだと。部下を引き連れて」

「そうなんですか? やっぱりあれって、事業提携というより、吸収合併という意味合いの方が強いんでしょうか」

「みんな、そう見てるな」

提携相手の会社は香港だけでなく、アジア全土で事業を展開する大きな商社で、台湾、中国本土はもちろん、日本やシンガポールにも支店を持っていた。ほぼ国内でしか広がりのない、財閥系でもない小さな会社とは、規模に大きな差があった。
事業提携とは発表されたものの、その内情については吸収合併に近いのではないか、と誰もが分かっていた。役員が来る、ということで、それは決定的になった。

「まぁ、規模が違いすぎるし、優しさのつもりなのかね? その取締役って、香港の会社の御曹司だって」

「へぇ…」

としか言いようがない。将来、父親の会社を引き継ぐであろう御曹司が、合併した韓国の企業にやってくる。経営の経験を積ませるとか、そんな意味合いなのだろうか。

「うちの会社って、相手方にとって、そんなに重要なポジションなんでしょうか?」

「うちは一応、半導体関連だからな。香港の会社に買収される辺り、たかが知れているけど、向こうにとっては重要なんじゃないか?」

いつの間にか、提携が買収になっている。それが実態ならば、役員の1人や2人、穏やかなことだ。
海外への事業展開など、経理担当の自分には関係ない、とジニョンは思った。役員が変わっても、経営方針が変わっても、自分には影響はないだろう、といつも通り仕事を続けた。
ジニョンは軽く考えていた。
深く関わることになるとジニョンが知ったのは、翌週、月曜日の朝だった。



ジェボムとジニョンの仕事の時間は、ほとんど正反対と言っても良い。ジェボムは週末の方が忙しく、ジニョンが仕事をしている昼間の方が、暇を持て余したり、レッスンに明け暮れたり、という状態だ。

ジェボムはこの週末、大きなステージが重なっていて、とても忙しいらしく、木曜以来、会えていない。メールのやり取りも、とても短いものばかり。欲求不満が溜まるという程ではないが、少しでも顔を見たいと思うのは、それもジェボムにとっては重いことだろうか。
どの程度が良くて、どれ以上だと負担になるのか、そこら辺の線引きがジニョンにはまだ上手くできなくて、結局、控え目な性格が前にでて、「会いたい」と言えずじまいだった。



朝、社用メーラーを開くと、総務部部長から10時に会議室へと書いてあった。上司のさらに上司である部長から声がかかることなどほとんどない。時間になって指定された会議室へ行くと、同じ総務の女の子がいた。確か名前はイム・ナヨン。去年入ってきたばかりの新入社員で、例によって、隣の席の先輩が、かわいい子が入ってきたと騒いでいたのを思い出す。

なんだろうね、とお互いに首を傾げる。やってきたのは部長だけでなく、課長たちもいた。

「さて、うちに新しい取締役が来ることは知っていると思う。それと同時に、海外事業部も拡張されることになった。そこで、なぜかは知らんが、新取締役のジャクソン・ワン氏から、海外事業部へ各部から2、3人、推薦して欲しいという通達があった」

驚いたのは、呼び出された2人である。
勝手に推薦されても困る。

「いや、でも、僕の仕事は経理ですよ? 海外事業部なんて、そんな…営業なんてできないし」

「わたしなんて、庶務ですよ~」

2人の困惑を、部長は当然だというようにうんうんと頷いた。

「うちの総務は、何というか、内気な様子で、皆怖気づいてしまってね。ジャクソン氏から、若い人の方がいい、とも言われているから、いいかな、と思ってね。ジニョンくんは真面目だし、それに大学で日本語を学んでいたそうだね。ナヨンくんは、細かいことにもよく気付いて、よく気が利く、と評判だそうじゃないか」

何とも軽く決められてしまったようだ。さらに驚くことを、部長は言った。

「今日の午後、ジャクソン氏は我が社に来るそうだ。そこで、各部から推薦された者を、ご本人が面接する。お眼鏡に叶えばそれで良し、叶わずとも、問題はない。これまで通りでいいのだからね。追って、呼び出しがあるだろう。今日はそのつもりでいてくれ」

部長たちは話をするだけして、質問も反論も受け付けずに、さっさと部屋を出ていってしまった。
今日知って、今日面接だなんて、困った。新取締役が来ることを知ったのも、そもそも提携話を知ったことからして、先週末のことなのだ。何の準備もないのだが、本当にそれでいいのだろうか?

「なんでわたしなの~?」

ナヨンが隣でテーブルに突っ伏して唸っている。ジニョンも全く同じ気持ちだった。



同じフロアの離れた場所で、ナヨンが同僚たちに遠慮しながら部屋を出ていくのを、ジニョンは確認して、自分もそろそろ呼び出されるのかと緊張してきた。隣の席の先輩は、なるようになるさ、と励ましなのか慰めなのかよく分からない言葉をかけてくれた。
ナヨンが戻ってこない内に、ジニョンにもとうとう呼び出しがかかった。

少し待って、新取締役のいる役員室に入る。役員室に入ったのも初めてだ。香港人と何語で話せば良いのだろう。いや、通訳くらいいるだろう。手ぶらで来て、何を聞かれるかも分からない。前の番の人とすれ違っても、緊張してしまって、「どうでしたか?」などは聞けなかった。

部屋は広く、高級そうな長い大きなソファセットがあり、そこに1人の若い男が足を組んで座っていた。態度からして、彼がジャクソン・ワン氏であろう。ジニョンと同じ年くらいで、思っていたよりも若い。白い上下のスーツを完璧に着こなす人など、ジニョンは初めて見た。部屋の端に並んだ椅子には、5人の男女が座っていて、こちらの様子を見ている。ジャクソン氏と一緒に来る部下、というのが彼らなのかもしれない。

「座って」

傍らに立つ秘書らしい中年の男性から資料を受け取りながら、ジャクソンは韓国語でジニョンに話しかけた。

「パク・ジニョン?」

「はい。総務部経理課、パク・ジニョンと言います」

「ふんふん。入社試験の成績は優秀、仕事ぶりは至って真面目で優秀。無断欠勤や問題もなく勤務態度はすこぶる優秀。すばらしい。いい評価ばかりだね。真面目で優秀。自分ではどう思う?」

あまりに流暢に韓国語を話すので、ジニョンは驚いていた。突然の質問に慌てて答える。

「そのように評価していただくのは、大変嬉しく思います」

「それだけ? 出世したいと思う?」

「どうでしょう。評価の先に出世があるなら、喜んで受けたいと思いますが、最初から出世にこだわって仕事をすることはありません」

「そうか。じゃあ、自分の会社が外国の会社に合併されたことを、どう思う?」

「え? ええと…」

ジャクソンは始終微笑んで話しかけてくる。明るく無邪気な印象さえ受けるが、人の上に立つ自信のようなものが全身からにじみ出ている。

「そうですね…。合併でも買収でも構いませんが、それで社員や顧客のためになるなら、良いことだと思います。上の人達の事情は分かりませんが、僕はただ自分にできることをするだけです」

「なるほど。うん、いいだろう。面接は終わりだ。ご苦労さま」

「…終わり、ですか?」

随分とあっさりしていて、拍子抜けするほどだ。
立ち上がろうとした時、ジャクソンがそれを制した。

「あ、そうだ。最後に1つ、聞いてもいい?」

「はい?」

「ジニョン、今、恋人がいる?」

「へ?」

全くもって予想外のことを聞かれて、ジニョンは戸惑う。なんと答えるべきか、口が固まって、なかなか声がでない。部屋の隅に座っていた5人の内、若い女性が「ぷっ」と吹き出して笑っている。その隣の若い男も、呆れてなのか、肩をすくめた。

いる、と言ってしまっていいのだろうか。あの男のことを思い浮かべると、先日の情事のことまで浮かんでしまい、顔が赤くなってくる。
いやいや、ここは会社だ。そういうことを考えていてはいけない。
会社なので、プライベートなことを答えるのには躊躇いがあった。ジャクソンがどんなつもりか分からないが、いないと言い切ってしまうことは嘘になるので、言えない。

「い、一応…」

自分でも煮え切らない返事だと思った。社内で、こんなことを話したのは初めてだ。“ジニョンに恋人がいる”という話が、噂になって課内にまで伝わってしまうと嫌だな、と思ったが、適当にごまかす方法をジニョンは知らなかった。

「Oh, no…。はぁ、そうか。わかった、ありがとう。戻って良いよ」

「あ、はい。ありがとうございました」

5

翌朝、会社の入口にある掲示板に、異動辞令が張り出してあった。時期的にも、発表の仕方も異例のことである。様々な部署から、海外事業部へ移るのが10人以上、その中にジニョンの名前もあった。ナヨンの名前もある。そして、足りなくなった人材を調整するための移動もあった。

居合わせた同期たちに、「栄転だな」や「よかったな」と声をかけられるが、ジニョンとしては、あまり良いことだとは考えられない。
気が重い。入社して数年、経理の仕事しかほとんどしていないのに、いきなり海外相手の仕事をしなければいけないなんて、本当に自分に務まるのか心配だ。

しかも、昨日の面接で、ジャクソンから言われた「恋人がいるか」という質問。その意図を考えてみた時、もしかして、彼は自分に気があるのか、という結論しか出ないのだが、そんな風に初対面の人間に、あからさまに好意を向けられたことがないので、当惑してしまう。
いや、考えてみれば、酔った勢いとは言え、初対面のジェボムといきなりセックスして、その後、恋人の関係に発展したのだ。
それを思えば、ジャクソンの質問など、細やかなものなのだろうが。

経理課にあるタイムカードの数字は、8時25分。それでも遅くはない。ジニョンはため息をついて、自分の席に就いた。

毎朝の習慣のメールチェックをする。ジニョンの個人宛にも、異動を知らせる文書が届いていた。本日10時までに、新部署へ移ること、とある。
ため息をついた時、課長がわざわざやってきた。立ち上がり、挨拶をする。手に何か持っている。

「おはよう、ジニョンくん。君が異動してしまうのは我が課としては損失ではあるが、君ならば海外事業部でも、いい働きができると信じているよ。がんばってね。途中の仕事があれば、僕のところに持ってきて」

課長はにこやかにそう言うと、手に持っていた、ボール紙でできたものを差し出した。

「はい、これ。私物を入れる箱。組み立てて使ってね。そうそう、君とナヨンくんの異動を祝して、近いうちに日を決めて、部として盛大に食事会でもしようと、部長が仰せだ。その時にまた会えるのを楽しみにしているよ」

「…ありがとうございます」

数字に追われる仕事も終わりだろうか。ジニョンはそんなことを思いながら、机の上や引き出しの中にあった、私物を、組み立てたボール紙の箱に入れていく。常に整理整頓しているし、元からあまり私物を持ち込むことがなかったので、それほど多くはない。仕事の資料などは持っていく必要はないし、箱は、あまり大きくはないが、それでも空間が余るほどだった。

「あ~あ、ナヨンちゃんも異動しちゃうんだ~。総務部の花が~」

隣の席の先輩が嘆いている。
何かと話しかけられて、たまに鬱陶しいと思う時もあったが、面白い話も多くて、合コンや飲みにもよく誘ってくれて、仕事も教えてくれて、楽しい先輩だった。

「僕の異動は、寂しがってくれないんですか?」

ジニョンは引き出しの中を整理しながら、笑顔で先輩に言った。
その笑顔を見て、先輩は内心、やっぱり彼は最近変わってきたと感じた。もちろん、良い方にだ。控え目なところや付き合いが悪いところは変わらないが、それでも、明るくなった気がするし、笑顔も増えた。
良い変化だが、ちょっとだけ面白くない。何がきっかけかは知らないが、自分のおかげでないことは確かだ。女のことを教えてやろうと言う思惑は、必要なくなったみたいで、面白くない。
だが、もう、お別れだ。もちろん寂しいが、口にはしない。

「会社を辞める訳でもないのに、寂しいもんかよ。その席に新人の女の子が来てくれるかもしれないと思って、わくわくしているよ」

「そうなるといいですね」

ナヨンのことは、部署異動だけで寂しがっていたのに。最後まで女の子の話で、変わらない態度が、ジニョンにはある意味、ありがたかった。

「お世話になりました。いろいろ教えてくださって、ありがとうございました」

「だから、そんなのはいいって。また飲みに行こうぜ」

「はい」



私物の整理や、仕事の資料の整理も終わった。課長へ仕事の引き継ぎをして、気付けば9時半を過ぎている。10時にはまだ早いが、それまでに、ということだから、そろそろ行こうかと思う。

「ジニョンオッパ。引き継ぎとか、終わりました? 新しい部署、一緒に行ってくれませんか? 海外事業部なんて、わたし、名前だけでもういっぱいいっぱいです~」

ナヨンが、私物の入った箱を両手で抱えて、やってきた。ジニョンでさえ、気が重いのだから、まだ入って1年目の庶務から異動する彼女には、さらに重荷であろう。
重荷といえば、箱も重そうだ。蓋が閉まりきらずに浮いている。ジニョンとは違って、中身が詰まっているらしい。

「もちろん、いいよ。少し早いけど、もう行こうか」

「はい!」



中身の詰まったナヨンの箱をジニョンが持って、軽いジニョンの箱をナヨンが持つ。エレベーターで上がって、役員室がある同じ階で降りる。
エレベーターホールから近い扉が開け放たれている。そこが事前に確認している通り、海外事業部である。

2人して、恐る恐る部署の中に入る。

「おはようございます。総務部から異動して来ましたパク・ジニョンです」

「同じく、イム・ナヨンです」

部屋にいた何人かが、ジニョンたちの方を向いて、その中から女性が1人近付いて来る。

「Hi! 朝からご苦労さま。わたしはフェイ。中国人。よろしくね。パク・ジニョンくんは、あっち。ナヨンちゃんはわたしについてきて」

ジニョンはその女性に見覚えがあった。ジャクソンとの面接の時、部屋の隅にいた5人の男女の内の1人だ。ジャクソンの最後の質問に、笑っていた人である。
フェイと名乗ったその人が、「あっち」と指差した方には、若い男性が笑顔で手を振っている。その人の元へ行け、ということだろう。
彼も5人の内の1人だ。呆れて肩をすくめていたのを覚えている。質問の衝撃度が大きかったため、その時の状況までもよく覚えているようだった。



ナヨンと箱を交換して、ジニョンは手を振る男性の元へ行く。「君の」と言われた机の上に箱を置いて、その人と握手をする。慣れない挨拶ではあるが、手を差し出されれば、握らないのは失礼だ。

「はじめまして。僕はマークです。僕の担当は、北米エリア。しばらくは僕が君に仕事を教えてあげることになるんだけど、僕の韓国語が、まだ完璧じゃないし、君も海外相手の仕事は初めてだと思うから、分からないところは、何でも聞いて」

「パク・ジニョンです。よろしくお願いします」

マークから、海外事業部の説明を受ける。私物を整理しながらでいい、と言われたので、話を聞きながら、手を動かす。

ここでは、仕事相手の国別、エリア別に担当が決められている。ジニョンが配置されたのは、マークが中心となって動く北米エリア担当。その他、日本担当、中国担当、香港エリア(香港およびマカオ・台湾)担当、東南アジアエリア担当、ヨーロッパエリア担当がある。ジャクソンと共に来た5人はそれぞれの担当で、チーフの役割を担う。課長と同等の権限を持つらしい。ちなみにフェイは香港エリア担当である。聞いたところ、マークはジニョンより1歳年上なだけだが、相当出来る人のようだ。

香港でも、韓国相手に仕事をしていたのだろうか。もしかして、今回の業務提携は、韓国語を勉強する時間があるほど、ずっと前から検討されていたことなのだろうか。

「ジャクソンさんもフェイさんもそうですが、マークさんも韓国語がとてもお上手ですね。ほとんど完璧だと思います」

「そう? それなら、よかった。勉強していたのは、1年くらいかな。韓国に来ることになって嬉しいよ。海外で仕事をするのは楽しいからね。まあ、君もそんな緊張した顔しないで、楽しんでよ」

マークはとても朗らかな感じの人だ。笑顔で話しかけてくれて、ジニョンは少しずつ緊張がほぐれていく。話しかけやすい感じもあり、親しくなれそうな感じもあり、ジニョンは当初ほどこの異動が嫌ではなくなってきた。

仕事を楽しむ、という感覚は今までなかったことだが、そんな風に感じられたら、もっと有意義な会社生活を送れそうだ。

6

午前中はほとんど仕事内容の説明だけで終わった。
その延長で、2人で一緒にランチを食べながら、個人的な話をする。

「マークさんは中国の方ですか?」

「いや、僕の国籍はアメリカ。台湾系アメリカ人だよ。大学までアメリカにいて、アジアで仕事がしたくて、香港の会社に入ったんだ」

「ああ、そうなんですね。僕は、外国で暮らそうなんて思ったことがないですよ」

マークは英語・中国語・韓国語の3ヶ国語が話せる。すごいな、とジニョンは素直に思った。大学で日本語を専攻していたものの、使わない内に忘れていって、今では旅行で困らない程度である。
その話をしたら、もっとすごいことを教えてもらった。

「ジャクソンは5ヶ国語できるよ。北京語、広東語、韓国語、英語、フランス語。今は日本語も勉強中。ついでに言えば、昔はフェンシングの香港代表だった。韓国語の勉強を一緒にしていたけど、一番習得が早かったのは彼だよ」

「すごいですね」

そうとしか言えない。御曹司と言えば、親の七光りとか、人の上に立つことが当たり前と思っているとか、そんな印象を受けるが、ジャクソンは違うようだ。頭が良い上に、勉強を怠らず、スポーツでも代表になるほど努力する。おまけにハンサムだ。
女性が放っておくはずがないスペックを悉く持っているというのに、なんだって自分のように地味な男に声をかけるのだろう。

「ああ、そうだ。ジャクソンはちょっとしつこいけど、上司だからって、気にしないで断ればいいからね。君が恋人を捨てて、ジャクソンに乗り換えるつもりなら、それでも構わないと思うけど」

「へ?」

そろそろ食べ終わるという時、マークに言われた。ジニョンはびっくりして、声が少し裏返ってしまう。

「恋人がいるか、って聞かれて、いるって答えていたじゃない。でも、それくらいで諦めるジャクソンじゃないから、覚悟してね」

マークは明るい笑顔で、ウィンクまでしてくれる。女性ならときめいてしまうほどの、爽やかな表情だったが、ジニョンは再び気が重くなってきた。

ジニョンには、恋人を乗り換える気など、元よりない。だがそれで諦めてくれないなら、これからどんな攻勢があるのだろう。まさか、無理強いなどはないだろうが、もしデートに誘われたとして、断る術をジニョンは知らない。
直属の上司はマークだが、その上はジャクソンである。彼は海外事業部の部長でもある。

韓国に来るまで、ジャクソンのアプローチの矛先はマークだった。それがジニョンに移って、気の毒なのと同時に、ホッとしたところがある。
彼女がいるからとか、付き合う気がないとか、そんなことでジャクソンは諦めない。
一緒に食事をしたり、遊んだりする分には気のいい友人なのだが、いちいち「愛している」アピールをされるのは、する方は楽しいだろうが、受ける方はしんどい。

「相談には乗るから、それも気軽に言って」

せめてもの慰めとして、マークはジニョンに言った。だがジニョンには慰めでも何でもなかった。


 ***


仕事を覚えるのは大変だった。英語のメールが毎日のように届き、電話を受ければ、英語や中国語が飛び交う。それらは全部、マークや他の人に任せて、ジニョンは英語に悪戦苦闘しながらも、事務作業を黙々と続けた。そんなことしかできなかった。文書等、いちいちマークに翻訳してもらわなければ、取り扱う商品や取引の内容が理解できないというのは、自分でも足手まといではないか、と感じていた。

新しい場所でのストレス、自分の出来なさ加減に対するストレス、その上に、ジャクソンから頻繁に入るメールのストレス。
ジニョンは異動して3日も経たない内に、もう音を上げそうになっていた。

メールの内容は、異動したことへの気遣い、仕事が大変ではないかという心配、それと食事へ行こうという誘い。
メールだけでなく、直接、ジニョンのところに来て、デートの話をすることもある。マークが「仕事の邪魔だから」と邪険にしても(中国語や英語なので、正確な内容はジニョンには分からない)、ジャクソンはめげずにジニョンに話しかけ、仕事を手伝おうとする。それはさすがにやり過ぎだと、ジニョンがようやく断ると、しぶしぶ自分の部屋に帰っていく。

月曜日に面接して、火曜日に異動して、金曜日が終わる頃には、ジニョンは休みなく1ヶ月くらい働いたかのような疲れを感じていた。
そして、その頃には、新取締役のジャクソン氏が、経理課から異動したパク・ジニョンに夢中だと言う話は会社中に広まっていた。それもまたストレスの種だった。

金曜日、仕事を定時に終えて、というよりも、疲れで続けることが出来ずに、ジニョンは帰ることにした。エレベーターを待っていると、背後からジャクソンに呼ばれた。

「ジニョン! 帰るのか? それなら、これから一緒に食事に行かないか? 今日は金曜日で、明日、休みだろう。ゆっくり飲もうよ」

予想していた内容に、ジニョンは断固として拒むのだと、自分に言い聞かせた。

「すみません、今日は、用事があって」

今日は1人で飲むのだ、という自分で作った用事である。疲れの溜まった週末、ストレスの種であるジャクソンと一緒に飲む気にはなれない。

本当はジェボムと一緒に飲みたいのだが、今週は会えず仕舞いだ。
異動のことや、お互い仕事で疲れているという状況は、メールなどで確認し合っているものの、お互い、約束を取り付けて「会おう」という話にならない。なぜか、そういう話ができない。
ジェボムは今日の夜も仕事だということは聞いている。そう言うことを聞けば、その後や前に会おうという提案ができないのだ。

ジャクソンの、断られて残念そうな顔を見ると、申し訳ない気持ちにもなるが、遠慮せず断っていいという、マークのお墨付きもある。

「いつも用事があるんだな。別に警戒しなくても、何もしないよ。一緒にご飯を食べるだけだよ! 俺たち、友達にもなれないのか?」

「いえ、そうじゃないですけど…」

「同じ年なんだし、敬語はいらないって前も言っただろう。ねえ、ジニョン、ご飯、一緒に食べに行こうよ~」

「ごめんなさい。また別の機会に」

駄々をこねるジャクソンに申し訳ないと感じながら、ジニョンは深く頭を下げて断った。そこまで丁重に断られて、ジャクソンはそれ以上、自我を通すことができずに、今日は諦めることにした。
あくまでも、今日は、である。
食事くらいは、近いうちに行かなくては、と思っていた。仲良くなり、打ち解けていけば、自分の魅力に気付いてくれると信じていた。
マークに振られ続けたショックを払拭するべく、新事業開拓のつもりで、意欲的に仕事をしようと韓国に来てみたら、思わぬ美人に出会って、ジャクソンは最近、浮かれ気味だった。

ジニョン1人が乗ったエレベーターを見送りながら、焦りは禁物、とジャクソンは自分に言い聞かせる。
そして、ジニョンに断られた代わりに、マークを食事に誘おうと、海外事業部の部屋に入っていく。

諦めないところ、簡単にはへこたれないところ、それをジャクソンは自分の一番の美徳と捉えていた。

7

《OPEN》の札を出した直後、カランとドアが開く音がして、ヨンジェはディナーの営業時間最初のお客さまを、大きな声で出迎えた。

「いらっしゃいませ!」

そのお客の顔を見て、さらに笑顔になる。ジニョンだった。スーツを着て、いつも通りきっちりとした姿で、仕事帰りのようだ。

「久しぶりだね、ヨンジェ」

「本当に。もっとたくさん来てください~」

奥の方の静かな席に案内する。何だか疲れているように見えたので、メニューを見ているジニョンに水を持って行ったついでに聞いてみた。

「お疲れですか? 何だか、顔色が悪いですよ」

疲れを自覚しているジニョンだったが、顔色に表れていると言われてしまうのは、良いことではない。
だけど、取り繕うこともできないほど、ジニョンはとにかく疲れていた。何も考えずに飲みたい。本当なら、内側に溜まりに溜まった愚痴をすべて打ち明けてしまいたい。

今になって、思い出す。
ジェボムと初めて会ったあの日、なぜ出会った場所も思い出せないくらい飲んでいたのかということ。
自分なりに溜め込まないようにしているつもりでも、知らないうちに溜まってしまうストレス。それが、限界まで行ってしまったのだろう。ストレスや愚痴を誰かに話すことを、ジニョンは恥ずかしいことだと感じていたが、時にはそれも必要なことなのだ。そんな、自分の負の部分を打ち明けても、揺るがない関係性。それが、家族であり、親友であり、恋人なのだろう。そのことを、ジニョンは今になって、感じるようになった。

ヨンジェも、親友と言ってもいいだろうか。恋人の弟、常連となった店の店員。いつでも明るい、落ち込んだ姿など見たことがない、朗らかな青年。

もっとたくさん来てと言われて、疲れているかと心配されて、ジニョンはとても嬉しかった。

「うん、ちょっと、疲れているかな? ねぇ、おいしいワインくれる? あと、今日のオススメのもの」

ヨンジェは笑顔で答えた。

「今日は新鮮な海産物を仕入れています。エビのアヒージョとかいかがですか? アヒージョというのは、簡単に言えばオリーブオイル煮ですが、コクがあって、それほどしつこくもなくて、おいしいですよ。エビの味が効いたオイルでバゲットを食べると、もっとおいしいです^^」

「うん、じゃあ、それで」

「ありがとうございます。ワインは白をご用意しますね」

こういうやり取りは、常連ならではかな、と思って、ジニョンの気分はちょっと上向きになった。
明るいヨンジェと言葉を交わすだけで、何だか元気になれる気がする。ジェボムの兄弟とは言っても、2人は似ているようで、あまり似ていない気もする。
ジェボムはヨンジェほど明るくない。長男と次男の違いだろうか。姉しかいない、末っ子長男のジニョンにはよく分からない。

ジェボムに会いたいな、と思った。彼のことを考えたら、急になぜだか会いたくなった。今日も彼は仕事だ。自分の仕事が終わった頃から、彼の仕事が始まるのだ。きっと、今はまだ会えない。
邪魔をしてはいけない。我が儘だ。
けれど、ヨンジェと会えたせいだろうか、ジェボムに会いたいと強く思った。

客が次々とやってくる。ここは人気の店だ。給仕はヨンジェともう1人、女の子だけ。それほど広い店ではないので、2人で充分だが、それでも2人だけでは忙しいだろう。

ヨンジェはその忙しさを推しても、ジニョン(やジェボム)が店にいれば、自分で相手をするように努める。単純に話をしたいから。
ジェボムは最近、忙しい。ほぼ毎日仕事があるし、夜遅くなることも多い。1週間ぶりくらいに会ったジニョンも疲れているように見えた。経理の仕事と聞いていたけれど、これまでと何か変わったのだろうか。そういう事情は、ヨンジェは知らない。教えてもらえない。

だから、自分で聞く。

グラスとワインを持って、ジニョンの元へ行く。

「さっぱりとした味の爽やかな感じの白ワインです。オリーブオイルのコクとよく合うと思います」

ジニョンは、グラスに注がれるワインの瓶を眺めている。やはり疲れが顔に表れている。それはそれでセクシーな感じだが、疲れは良くない。気分も落ち込んでしまうから。他の人間のはゴメンだが、ジニョンが愚痴を零してくれるなら、喜んで聞こう。

「最近、お疲れですか? 兄さんも仕事が増えたみたいで、それは良いことだと思いますが、ジニョンさんも兄さんも、疲れが溜まってしまうのは良くないと思います。愚痴なら、僕、聞きますよ」

「うん、疲れている、かな…。部署が変わって、仕事の内容も全然変わってしまったんだよ。急な変化でついていけなくて、本当、自分がこんなに役立たずだなんて、思ってもみなかったよ」

「そうなんですか? でも、全然違っても、こなせると思ってもらえたから、部署が変わったんじゃないんですか?」

「え?」

グラスに満たされたワインの香りを感じる。マスカットやトロピカルフルーツの香りが、ヨンジェの笑顔を見た時と同じように、気持ちを解してくれる。

「そう、なのかな…」

ヨンジェが言ってくれる通りなのだろうか。自分には、その地位や部署に相応しい能力があるのだろうか。そのように、考えたことはない。
ジェボムと出会って、少しは自信が付いてきたと感じている。だけど、彼のように、自信満々にはなれない。

ジェボムを愛する気持ちは、愛おしいという思いと共に、それと同じくらい「憧れ」の気持ちも強い。だから、邪魔してはいけない、我が儘はいけない、という自制が働くのかもしれない。明確な夢を持たずに生きてきた自分とは正反対の、夢に向かって突き進む彼の存在が、自分の成りたかった姿そのもののように感じられた。

物思いに沈んでしまったジニョンの姿に、ヨンジェはさらに心配が増した。よほど疲れているようだ。
普段、あまり深く考えずに発言しているから、知らない間に失言もあるかもしれない。言い間違うこともよくある。欠点とは思っていないが、ジニョン相手には、良くないこともあるのかもしれない、とヨンジェは思った。

料理が出来た、という合図のベルが鳴る。

「あ、ちょっと、待ってくださいね」

一応、一言断ってから、ジニョンの側を離れて、給仕の仕事に戻る。別の客への料理を運び終わると、ジニョンの注文の料理も出来ていたので、女の子のアルバイトから素早く奪って、自分の手で持っていく。

「どうぞー! お待たせしました^^」

明るい笑顔は基本。大きな声も、武器。深く落ち込んだり、急にハイになったりしない、ヨンジェの性格は、自分自信では物足りない部分もあるが、周囲の人々にとってはありがたいと言われることが多い。
落ち込んでいる人がいれば元気づけたい。それは、相手が兄の恋人であってもなくても、そう感じる。兄の恋人であれば、尚更元気にしてあげたい。

8

料理の匂いをかいでほっこりとした笑顔のジニョンを見て、ヨンジェも微笑む。お客のこういう顔は、店側としては嬉しいものだ。

「最近、兄さんと会えていますか? 夜、いつも仕事があるみたいで、帰ってきても、シャワーして寝るだけ。僕も昼間は大学に行っているので、あんまり会話できてないんです」

ジニョンはそうでなければいいな、と思って聞いたのだが、表情を見れば、どうやらその通りらしいということは分かった。

「忙しいのはいいことだし、無理やり会わなくても、メールとかはしているし…」

「ええ~駄目ですよ! 直接会わないと」

「え?」

そういうものなのか、とジニョンは首をかしげる。何せ、これまで交際の経験がないので、どの頻度で会えば良いのかやどの程度まで主張していいのかも分からない。元々控え目すぎる性格もある。ジェボムとつきあいはじめて、少しは変わったと自覚はあるものの、忙しいと言われれば、なかなか自分が会いたいという気持ちだけを通すことも憚れる。
仕事の時間帯が違うことが、これほどまですれ違いを生むとは、全く考えていないものだった。

「ジニョンヒョンは、何か―――」

とヨンジェが言った所で、店のドアが開いて、新しいお客がやってきた。「いらっしゃいませ」と条件反射的にヨンジェは反応して、新客の対応に行ってしまった。彼が言いかけた言葉が気になるが、どうせ、ジニョンは控え目過ぎるとか、そんなものだろう。

グツグツとオイルが煮立った中に海鮮類がゴロゴロと入っていて、にんにくの匂いが食欲をそそる。ぷりぷりとした食感は口に心地よく、オイル煮という見た目よりさっぱりしているし、しつこくないし、味もしっかりしている。爽やかな海の味だ。息継ぎに失敗して、海水を飲んでしまった時のような嫌味は当たり前だがまったくない。キリッと冷たい白ワインが喉を通って、相性の良さにまた自然と微笑みがでてくる。
美味しい料理は、味気ない料理よりも栄養がある気がする。

通りすがりのヨンジェと目が合う。

「おいしいね、アヒージョって」

「そうでしょう。オーナーに伝えておきますね」

ヨンジェはそのまま厨房へ行き、オーダーを伝えて、出来たての料理を受け取る。その僅かな隙間に、短い会話をしたようで、ガラス張りの厨房の中にいるオーナーが、ジニョンの方へ笑顔で目礼してきた。どう返していいのか分からず、軽く頭を下げる。
ヨンジェが笑顔で仕事をしている。自分では作れそうにない美味しい料理。人気店で客は多いが、それほど席数が多くないのでざわめきも雑音にはならない。何よりもここは、ジェボムと出会った場所で、付き合うことになった最初の場所で、その分、自分にとって大切な店だ。
常連って言ってもいいかな、と思って、ジニョンはゆっくりと食べながら、気分がよくなってきた。



あらかたアヒージョを食べ終わった頃、ヨンジェがメニューを持ってまたやってきた。本当によくできた給仕である。

「メインになるものを何かいかがですか?」

今日は海鮮で行こうときめて、ジニョンはシーフードピザを注文する。ヨンジェが去ろうとした時、ジニョンはふと、さっき彼が言いかけた言葉の続きが気になった。

「あ、ヨンジェ」

「はい?」

ヨンジェは笑顔で振り向く。

「さっき、言いかけたこと…。お客さんが来て、途中で止めちゃった言葉なんだけど」

こんなことを気にするなんて、細かすぎると呆れられないだろうか。彼はもう忘れてしまっているような、些細なことじゃないのかと、聞いてから少しだけ後悔する。

「ああ、あれ。えっと…、ヒョンにこんなこと言っていいか、分からないけど」

ヨンジェは前置きをしてから、言いかけたことを言う。忘れていた訳ではない。年上に言うようなことじゃないな、と思って自粛していただけだ。

「ジニョンヒョンってかわいいな、と思って」

「へ?」

予想外の言葉に、ジニョンは戸惑う。
かわいいなんて、そんなことを言われたのは、子供の時くらいで、しかも家族からがほとんどで、他人に、しかも年下の男の子に言われるなんて、予想外でびっくりもしていた。

「会いたいのに、相手に遠慮して、言えずにいるなんて、いじらしくてかわいいな~って^^ ジニョンヒョン、気を悪くしないでくださいね、僕、ジニョンヒョンのこと好きだし、兄さんとのこと、応援しているんですから」

「あ、ああ、うん、…ありがとう」

照れてしまい、うつむく。何だか、いやに恥ずかしい。

「兄さんに、"会いたい"ってメッセージ送るか、電話してみてもいいと思いますよ。というか、してください。会いたいんでしょ?」

「そんな、でも、今はきっと仕事中で…」

「終わるか、途中でも、きっと見ます。必ず、返事くれますから。メッセージでいいから、ちゃんと送ってください。"今日、会いたい"って。いいですか?」

「あ、はい…」

笑顔の裏にある見えない迫力のようなものに押されて、ジニョンは思わず了承の返事をした。ヨンジェは満足気に頷いて、仕事に戻る。返事をしたはいいものの、本当に仕事の邪魔ではないのかと不安だらけだ。
とりあえず、携帯をカバンから出して、ジェボムのアドレスを呼び出す。電話はさすがに取ってもらえないだろう。夜7時、少し前。彼はきっとステージの上だろう。
そう言えば、まだ彼のステージを見たことがない。見てみたい衝動が生まれる。

携帯を睨んだまま、時間が早く進んだみたいだ。ヨンジェがピザを持ってやってきた。

「お待たせしました。兄さんにメッセージ送りましたか?」

しっかり確認されるが、まだしていない。

「いや、まだ…」

「してください^^」

「はい…」

アツアツのピザを1ピース食べて、おかわりしたワインを飲んで、ジニョンはようやくメッセージを送る決心をした。送るだけだ。返事がなくてもいい。彼は今仕事中だから、返事は難しい。だから、返事は期待しない方がいい。ただ送るだけ。ここしばらく会えていないのも、今、会いたいのは事実だから。その気持ちを、ただ伝えるだけだ。

〈今、仕事中ですか? 忙しい時にごめんなさい。どうしているか、と思って。しばらく会えていないから、会いたいです〉

送信ボタンを押すのを躊躇うが、ここで迷うと文章を消してしまいそうで、ジニョンは敢えて何も考えずに、送信した。その後で、後悔する。なんて卑屈な文章だ。後半部分だけでもよかったんじゃないか。いやでも、仕事中ということを分かっていて、自分の気持ちだけ押し付けるのもダメだ、と様々な思惑が錯綜する。
携帯をカバンにしまう。返事を気にしていたら、心が持たないから、これも敢えて考えないようにするためだ。

モクモクとピザを食べる。美味しい。けれど、カバンにしまった携帯が気になる。いや、気にしてはいけない。今は美味しいピザを食べよう。美味しいのは分かるけれど、味はあまり思い出せなかった。



ゆっくり食べていたから、時間はもう8時前。今、店の中は満席で、一番忙しい時だろう。店の入口付近には、空席が出来るのを待っている人の姿もある。1人で長居してしまった。そろそろ出ようと思った時、カバンの中で、携帯が振動している音が聞こえた。

ドキッとして、携帯を取り出すと、ジェボムからの電話だった。ドキドキがさらに早くなる。訳も分からず緊張してしまう。ほんの少し震える指で、通話ボタンを押す。

『ああ、ジニョン?』

「あ、はい。え? あの、どうしたんですか、急に」

『どうした、って、お前がメールしたんだろうが。どうしているか、って。…それに…。まぁ、いいや。今どこにいんの?』

ちょっと言いにくそうに、言葉に詰まる。それに、の続きはジニョンも分かっている。自分で送ったのだから。〈会いたい〉と。

「ヨンジェのアルバイト先のお店です」

『わかった、30分で行くからそこで待ってろ』

「え? あ、はい」

返事をするなり、電話は唐突に切れた。画面を見つめて、しばらくぼうっとする。

自分がメールを送ったから、〈会いたい〉とか、恥ずかしいようなことを書いて送ったから、ジェボムはわざわざ電話をくれて、しかもこれから30分でここへ来るという。
じゃあ、自分は30分ここで待っていることになるのか?
6時から来て、食事も済ませて、お酒も充分飲んで、8時前の店内で、待っている人の姿もある一番お客も多くて忙しい時間帯に、もう食事が終わった自分が、ジェボムを30分待つのか?

思わず、両手で顔を覆う。

恥ずかしくて、嬉しくて、可笑しくて、きっと今自分は変な表情になっている。何を一番に感じたらいいのか分からなくて、口元はにやけているのに、涙が出そうだ。

「ジニョンヒョン? どうかしましたか?」

下げた皿を持って、通りすがりにヨンジェが声をかけてきた。我に返って、顔を上げる。そうすると、店の中の喧騒と、煉瓦色の壁と、何事かと不思議そうなヨンジェの顔が一気に頭に入ってくる。

「ううん、なんでもない。ジェボムヒョンがね、30分で行くから待ってろ、って。僕、もう出ようと思ってたのに、待ってなくちゃいけないんだ」

ヨンジェは嬉しそうににっこりと笑った。

「それは待ってないといけませんね。メニューを持ってきますね。もう少し食べていってください」

「ありがとう」

ジニョンは自分がジェボムに送ったメールの内容を読み返した。特に深く考えずに、ヨンジェに言われるままに書いた、会いたいという言葉。それは真実だけれど、なかなか口では言えない言葉。
だけど、伝えれば、応えてくれる。
それは、当たり前のようでいて、もしかしたらそうではないことかもしれない。
仕事が終わったばかりだろうに、30分かけて自分に会いに来てくれる恋人を、30分特にすることもない場所で待っている自分。
それはなんと特別で、すてきなことだろうか。

もう少し、何か食べていよう。もう大分いい気分になっているけれど、あと一杯くらいワインを飲んでも、まだ大丈夫だろう。彼が来てくれた時にすぐ食べられるものを、注文しておこうか。ピザがいいかな。さっきのシーフードピザがとてもおいしかった。彼も気に入るだろう、それをもう一度注文しておこう。ちょうど30分後くらいに焼きあがるようにしてもらって。それと一緒にサラダも出してもらって、チョリソーか、それともフライドポテトのようなものの方がいいかな。

メニューを見ながら、あれこれと考える。

その時間が、すでに楽しい。待ち遠しい30分は、きっとあっという間に過ぎていってしまうだろう。


End.

『君を好きだと言えない理由2』

お待たせして、すみませんでした。

JJPのカムバ活動、すばらしかったです! 個人的にも楽しい1ヶ月でした。
日本アガセには残念すぎるニュースもありましたが、日本ツアー、2nd Mini Albumと本国でのカムバックも、楽しみにして、これからもヲタ活していきます^^

『君を好きだと言えない理由2』 nanamame 作

GOT7、ジニョンくんとジェボム(JB)くんのお話、第2話。BL、K-Pop、FF。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-07-16
Copyrighted

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