私のお墓の上空から

私は私が邪魔になったので、生きたまま葬ることにした。
「もしもし、墓地屋さんですか」
 墓地屋さんは、私がまだ二十歳と聞いて、驚いた。
「お墓に入るには、ちょっと早すぎるけど、生を受けたものには、必ず死が訪れる、用意だけは怠らないのが賢明ですよ」
 と言った。それから、
「今時の若い人にしては、感心ですねえ」
 と、付け加えた。
 私はこの三月に、短大を卒業したばかりである。
 成人式に着る振袖を買いに行った、呉服屋の奥さんも、
「これからが楽しみですねえ」
 と言っていた。
その楽しみとやらが、どこにあるのか。花模様の振り袖の、長い袖の中にこっそりしまってあったのか。うっかりそれを、どこかに落としてしまったのか。初夏を思わせる日差しの中、私はリクルートスーツを着て歩いている。

父親を毛嫌いしていたA子のコメント――
親父のコネで就職できた。今回だけは、親父が有難かった。尊敬する。
私の父と名乗る男のコメント――みんな苦労しているんだ、おまえも苦労しろ。どうだ、お父さんが、いかに立派か分かっただろう?尊敬してくれ。

たとえそれにしても、葬られるのはこの私なのである。二十歳の永遠なる安らかな眠りを手に入れるために、二度と、イボイノシシとペリカンに、追いかけられる夢など見なくてすむように、じりじりと過ぎていく今日という日が、ぺけ印となってカレンダーに書き込まれ、どこまでもどこまでも続いていく恐怖から逃れるために………。
墓地屋さんと待ち合わせをしたショッピングセンターの駐車場に、紺色の、高級車が止まっていた。私が近づくと、音もなく窓が下りて、長髪のモグラ顔の男がにっこり、笑った。
「お嬢さん、お迎えに参りました」
(なんだ、簡単じゃないの……)
 バタンと、車に乗り込んだ。後部座席に私を乗せて、紺色の高級車が走り出す。長髪モグラ男は、
「お嬢さんにでも買える、格安の墓地がありますよ」
と言う。
「辺鄙な土地だけど、案外ここから近いですよ。最近できた、トンネルのおかげで……」
 だそうだ。
 紺色の高級車は、走り続ける。街も、人も、トンネルも、近づいては遠ざかる。
「ここから、ほんの五、六分で着きますよ」
 と、長髪モグラ男が言った。
「へえ、そうなんですか」
 B子と通ったケーキ屋さんが、通り過ぎていく。
 あの店のティラミスとモンブランは、おいしかった。一番奥の窓際の席で、B子とおしゃべりしていた。小さいテーブルを挟んで、
「ここが私達の指定席ね」
「なるほど、そうかもね」
と、笑っていた。いつも一緒だった。そういう時間が、永遠に続くものだと思っていた………。
そんな二人の指定席に、突然B子が婚約者を連れて来たのは、まだ暖かい秋のことだった。
「あなたには、一番に紹介しようと思って……、だったら、ここが一番でしょう? びっくりした?」
 B子の隣でやさしく微笑んでいる彼氏が、小さく会釈をして、それから二人は楽しそうに顔を見合わせ、私の前に並んで腰をかけた。
「この人が、一番の仲良しなのよ」
 とB子が笑った。
 おめでとうを言いながら、私は笑い顔を、取り繕っていた。
するといつのまにかここは、一番仲良しの私に、一番最初に婚約者を紹介した〝B子の思い出のケーキ屋さん〟に変わっていた。
「どれ、見せなさいよ」
 B子の左手の薬指には、彼氏からもらった婚約指輪が光っている。
 貴金属など、まったく興味のない私だけれど、羨ましがってみせることくらいは、できる。 
B子は、左手の薬指からキラキラ光る指輪を抜いて、私の手のひらに、そっと置いた。
「0・5カラットなのよ」
「へえ……、ダイヤモンドって、初めて見た」
「実は、私もそうなのよ」
「実は、僕もそうなんです」
 三人の笑い声が、一緒になった。
(B子の指定席は、そこにあったんだ……)
 と、私は思った。

 B子のコメント――ウチは早婚の家系らしいのよ。ウチのママも、二十歳で嫁いで、二十一で私を産んで、この調子でいくと、四十二歳のおばあちゃん誕生かもよ?
 現実を目の当たりにして、焦っている私のコメント――もう、そんなことが起きても不思議のない年頃なのか……、いつの間に?

それからも何度か、あのケーキ屋さんでB子と会った。ケーキ屋さんは、必ずしも甘いわけではないことを、私は知った。
「披露宴には、絶対来てね、友人代表のスピーチ、お願いしてもいい? 落ち着いたら、遊びに来てね。いつまでも仲良しでいてね、私のブーケ、受け取ってくれる?」
 うん、と私は頷いた。
 B子は、短大を卒業してすぐの春に、嫁いでいった……。
「はい、着きましたよ」
 長髪モグラ男が言って、私を振り返った。その顔に、何の期待もできなかった。期待はずれを覚悟して、私はゆっくり車から降りた。視線を、ローヒールのパンプスから、正面に移した。
 すると、そこは緑色だった。見渡すかぎりの緑色が揺れている。
(これが、草原というもの……?)
 私の網膜は、ケーキ屋さんよりも甘い草原を、キャッチした。空の青に、緑が映えて、美しい雲が、誰もいない平和を歌っている。
私は草原の風に包まれながら、
「どこからどこまでが、私の墓地になるのですか」
 と聞いた。長髪モグラ男は、
「この緑色の草が生えている所、全部ですが、どうですか」
 と言った。
「こんなに広い墓地は、見たことがありません」
 と言うと、
「でしょう?」
 と、私の目の奥を覗き込んで、
「だから買い手が付かないんですよ。……つまり、大きすぎても、小さすぎても、いけない。世の中は、ちょうどいいサイズを求めているんですよ」
 私は、長髪モグラ男の顔を、じいっと見て、
「あら、ただそれだけで買い手が付かないんですか。世の中、甘くないんですよ」
 と言った。それから黙って、草原を行く、風を眺めていた………。
さらさらと、緑色が揺れている。
 すると、長髪モグラ男は、
「ごめんなさい、お嬢さん、騙すつもりはなかったんです」
 と、泣きながら謝りはじめた。
「実は、この土地は、いろんな所から、いろんな要らないものが運ばれてきて、捨てられた場所でして、最近になって、やっと草が生えてきました。誤魔化すつもりはなかったのですが、つい………」
「ほらね」
 と、私は言った。
「甘いのは、砂糖だけにしてよ」
 長髪モグラ男は、
「ごめんなさい、お嬢さん、お詫びに半額にさせていただきます、半額でいかがですか」
 と言ったけれど、私は黙って、空を見ていた。空に浮かんだ雲も、黙っていた……。
すると長髪モグラ男は、鞄から契約書を取り出して、
「サインさえしていただけたら、それでいいです、お嬢さん」
 と言って、しゃくりあげた。
 それで、私は、契約書に私の名前を書いた。
 見た目といい、中身といい、値段といい、私にぴったりな土地が、これで私のものとなった。
「さようなら、お嬢さん。りっぱなお墓が建ちますように」
 最後の言葉を口にすると、長髪モグラ男の顔は、下の方から、紺色の高級車の窓に変わっていった。窓がぴったり閉まると、重い荷物でも降ろしたように、さっさと走って行って、見えなくなった。
 ぽつんとひとり、私は買ったばかりの墓地を見ていた。何事もなかったように、緑色が揺れている。草原は、さらさらと、渡る風に蠢いている。
 そういえば、この世に私の居場所なんて、どこにもなかった。私がこの世に誕生する以前から、あたりまえのように存在するへんてこな形の山も、毛虫が大量発生する空き地も、雑草が茂る小道も、きっと持ち主がいて、お役所で調べると、きちんと誰かの名前が書いてあるに違いない。
 けれど、この草原は、たった今から私だけのもの。緑色が揺れている、あれは全部、私のもの………。
 私はこの美しい草原で、誰に邪魔されることもなく、永遠の眠りにつくのだろう。そうして、何事もなかったように、緑色が、いつまでもいつまでも揺れているのだろう…………?
「もしもし、墓堀り屋さんですか」
 墓堀り屋さんは、私がまだ二十歳で未婚と聞いて、驚いた。けれども、
「結婚するばかりが女性の幸せ、だなんて、誰も思ってないし、何十年と連れ添っても、『お墓だけは別々にしてください』、なんて注文が珍しくない今日この頃ですから、今のうちからそのつもりで用意するのも、積極的で、いいかもしれませんねえ」
 と言った。それから、
「墓穴の一つや二つ、お安い御用でさぁ」
 と、付け加えた。
 私はこの三月に、短大を卒業したばかりである。
 真珠のネックレスを売りに来た母の知人が、
「女の子の一年は早いですよ、二、三年なんて、すぐ過ぎてしまいますよ。お見合いをして、二、三か月で披露宴、なんてざらですよ。今から、ひとつひとつ、揃えておいた方が賢いと思いますよ」
 と、言っていた。

 真珠のネックレスを売りに来た母の知人のコメント――ひとつひとつ見るとよく分からないけれど、こうやって、並べて比べると、よく分かるでしょ?

 私の目の前に、桐の化粧箱に入った真珠のネックレスをいくつか並べて見せて、色がどうの、巻きがどうの、大きさがどうの、と言うので、
「遠目から見たら、本物か偽物か、わかんないよ」
 と言ったら、
「あら、見る人が見れば判るのよ、そういう人の前で、偽物なんか付けていたら恥かくわよ。そういう人に見初められたら、どうするの?」

 意地になって見栄を張る私のコメント――その男に、貢がせてやるわよ。

 母の知人は、一瞬、きょとん、として、それから、おほほ、と笑い出した。つられるように母も、ほほほ、と笑うのだった。
 とにもかくにも、
(この状況から脱出さえできれば……)
私は、それでよかった。
草原の中にひとり座って、さらさらと揺れている緑色を眺めていたら、騒音を撒き散らしながら、軽トラックがやってきた。丸いサングラスのちょび髭を生やした男が、軽トラックの開け放した窓から顔を出して、言った。
「お呼びですか」
(なんだ、もう来ちゃったの?)
 私は、にっこり笑った。するとサングラスのちょび髭は、この時のためにと仕舞っておいた、磨きたての白い歯を、草原の風に見てもらった…………。それから、さっそうと緑色の中に降り立ち、バタン、と景気のいい音を立てて、軽トラックのドアを閉めた。
「よっこらしょ」
 と、荷台に積んであったスコップを一本、肩に担いで、サングラスのちょび髭が、こちらにやってくる。草原に埋もれそうな私の前に立ち、もう一度白い歯を見せて、にっこり、笑った。
「いい土地でしょう? ここは」
 と、サングラスのちょび髭が言った。
「まるで、人間の頭の上みたいでしょう? この、中身がまるで分らない脳天みたいなところに風穴を開けて、掘り進んでいくと、どうしようもないがらくたが、お宝みたいに、それこそザックザク、でてくるんですよ。いつも偉そうにふんぞり返っている奴らの、脳味噌の中も、覗けばきっとこんなもんでさぁ」
 サングラスのちょび髭は、もう一度、磨きたての白い歯を、自慢げに空の雲に見せた。けれど、そんなことはどうでもよかった…………。そうして私は、
「ただ、私を不必要なものとして扱った地上から、可能な限り離れた土の中で、眠りたいだけなの……」
 と言ったきり、黙って空を見上げていた。
空はただ、どこまでも青く続いていた……。
 すると、サングラスのちょび髭は、
「そんなに辛い一生でしたか、お気の毒です」
 と、涙声で言った。
「分かりました。こんなに切ない注文は、初めてですよ。よほどの事情がおありなんでしょう? 察します、もう、何も申し上げませんでさぁ……」
サングラスのちょび髭は、スコップ一本で、地下に向かって進んでいった。その上に、白い雲が、ぽっかり、あたりまえのように浮かんでいる………。

鏡の中の私のコメント――就職するためにお化粧するの? すっぴんの私じゃ、駄目だってこと?
私を産み育てたある女のコメント――あたりまえでしょう? お団子だって、お化粧して、おいしそうに並んでいるんだから。あんたが考えているほど、世の中、甘くないのよ。

とにもかくにも、
(この状況から脱出さえできれば……)
私は、それでよかった。
「これでいかがでしょう?」
 泥と汗と涙で真っ黒になった顔が、言った。それから白い歯で、にかっ、と笑った。よく見ると、その上にちょび髭が生えている。草原の風に、ちょび髭が、揺れている。
私は、まっくらで底がどこにあるのか見当がつかない、墓穴の奥を覗き込んだ。
「地下二百メートル、というところを、無理して二百二十三メートルまで掘りました。これは私の、最高記録ですよ」
 と、サングラスのちょび髭は言った。
「いやいやなんのことはない、お嬢さん、あなたのためでさぁ」
 私はとりあえず、
「ヤッホー」
 墓穴の底に受かって、叫んでみた。
「どうです? お気に召しましたか」
 サングラスのちょび髭は、なぜか心配そうな顔をして、こっちを見ている。私はそのサングラスの奥の、点のような目をじぃっと見て、
「あら、たったスコップ一本で、こんなに深く掘れるんですか。世の中甘くないんですよ」
 と言った。それから、草原の風が緑色を分けて進んでいくのを、黙って見ていた。草原は、楽しそうに、さらさらと揺れている………。
すると、サングラスのちょび髭は、
「ごめんなさい、お嬢さん、騙すつもりはなかったんです」
 と、サングラスを外し、涙を拭いながら謝りはじめた。
「実はこの土地は、〝大昔の大泥棒のお宝が埋まっている〟というデマが流された所でして、欲の皮が突っ張った奴らが、大勢で押しかけて、掘り起こしてしまって……、そこいら辺中、穴だらけなんです。最近になって、やっと草が生えて来たので、誤魔化せるようになりましたんでさぁ……」
「ほらね」
 と私は言った。
「ケーキ屋さんも、世の中も、甘いふりをしているだけよ、御存じ?」
 すると、サングラスのちょび髭は、
「ごめんなさい、お嬢さん、お嬢さんがそんなに世の中のことに詳しいだなんて、思っても見ませんでした。もちろん、代金なんて、請求するつもりも資格もございません」
 と言って、鞄から契約書を取り出し、
「サインさえしていただけたら、それでいいです。お嬢さん、私の負けでさぁ……」
 それから、サングラスのちょび髭は、空に向かって、おいおい声を上げて泣き始めた。
 欲の皮が突っ張った奴らの、〝骨折り損のくたびれもうけ〟でできた墓穴なら、私にはおあつらえ向きかもしれない…………?
 それで、私はその契約書に、私の名前を書いた。
「さようなら、お嬢さん。りっぱなお墓が建ちますように」
最後の言葉を口にすると、サングラスのちょび髭は、サングラスを掛けなおして、それから白い歯を、草原のてんとう虫に見てもらった……。
けれど、そんなことはどうでもよさそうな私の顔を、残念そうに、サングラスの奥の点のような目で確認すると、軽トラックのエンジンを吹かし、砂埃を上げて、走って行って、見えなくなった。ぽつんとひとり、私は、私の墓穴の前に座っていた…………。
ぽっかり口を開けた墓穴は、何事もなかったように、空に浮かんだ雲を見ていた。私は黙って、それを見ていた。風が一定の角度から吹くと、堀りたての墓穴は、誰かを呼んでいるような音で、鳴った。
そういえば、私は、この世で何をすればいいのか、さっぱり分からなかった。
一年に一度、地球が太陽の周りをぐるっと回って、それに合わせて歳を取って、みんなと同じように、自然に大人になっていくのだと思っていた。当たり前のように仕事をして、当たり前のように結婚をして、当たり前のようにお母さんになって、子どもを育てて、パートに出て、子供が結婚して、孫ができて、おばあちゃんになって………。

親戚の叔母さんのコメント――あら、お化粧しているの……、番茶も出花? あんたもがんばんなさいよ。

とにもかくにも、
(この状況から脱出さえできれば……)
私は、それでよかった。
私はこの地上から遠く離れた土の中で、何も考えず、美しい夢だけを見ながら、眠り続けるのだろう……?
「もしもし、柩屋さんですか」
柩屋さんは、二十歳の娘が、
「化石になりたい」
 と言うので、驚いた。けれども、
「自分で自分のお墓のデザインをしたり、自分で自分のお葬式をコーディネイトする人が増えているご時世なので、なんともかんとも言えませんが、まるで、エジプトの王様みたいだと、お思いになりませんか」
 と言った。それから、
「その若さで、もう、行く末のその先まで考えていらっしゃるなんて……、お嬢さんは、きっと大物になられますよ。その時は、よろしくお願いいたしますよ」
 と、付け加えた。
 私はこの三月に、短大を卒業したばかりである。
 卒業生代表の答辞を呼んだC子は、二十歳の記念に、お見合いをしたのだそうだ。そうして、
「まだ若いから」
 と言って、〝お断り〟したのだと言う。
「え、そんなのあり? 結婚したいから、お見合いしたんじゃないの?」
 と訊くと、
「たとえお見合いでも、練習が必要なのよ」
 と言う。
「いきなり本番では、何をやってもうまくいかないわよ。いい人と巡りあえても、それを見抜く目がないと、チャンスを逃してしまうわよ。修業を積んで、男を見る目を養うのよ」
「え? 仕事命のキャリアウーマンになるんじゃないの?」
 と私が言うと、
「あら、そんなふうに思ってくれてたの?」
 と、笑った。
「だって、成績優秀、人望あり、資格取得多数、話題豊富、ついでに美形、〝なんでもあり〟って感じじゃないの……」
「そう? そう見える? これでもけっこう見え張ってがんばってるんだけど……。何かの足しになるかもって、思ってるだけよ。たぶん、臆病なんだと思うわ。あなたが羨ましいわ」
「え?」
 と言ったのは、私だった。
「それはこっちの、せりふでしょう?」

C子のコメント――十年たったら、判るわよ。きっと私は、普通の主婦になっているわよ。十年後に、また会いましょうね。楽しみにしているわよ。
私を産み育てたある女のコメント――ねえ、Dちゃんは、料理教室に通っているんだって。花嫁修業と偽って、あんたも行ってみる?

とにもかくにも、
(この状況から脱出さえできれば……)
私は、それでよかった。
「お待たせいたしました」
 声に振り向くと、〝安全第一〟と書いてある黄色いヘルメットをかぶった男が、にっこり、笑った。
(なんだ、もう出来ちゃったの?)
 黄色いヘルメット男は、厚さ一メートルのコンクリートで出来たサイコロみたいな柩を、持ってきた。クレーンを操作して、草原に、その柩をゆっくり下ろしながら、
「どうです? シュールでしょう?」
 と言った。
 私はただ、草原を渡って行く白いちょうちょを見ていた。ちょうちょは、空中で激しく揺れながら、沈黙していた。空も雲も不思議に思いながら、ただそれを見ていた………。
「いい出来でしょう?」
 と、黄色いヘルメット男は言った。
「この中に入ってしまえば、騒音どころか、頭の中の雑念さえも、シャットアウトできますよ。人類がまだ生まれていない太古の地球の、人類が滅び去ったあとの近未来の地球の、静けさを、体感していただけます。さあ、いかがですか、完璧でしょう? お嬢さん、モニターになりませんか」
私は、黄色いヘルメット男の顔をじぃっと見て、
「あら、ただそれだけで、化石になれるとおっしゃるんですか。世の中甘くないんですよ」
 と言った。それから黙って、草原の向こうを眺めていた。草原の向こうには、何かあるような、無いような………。
 すると、黄色いヘルメット男は、
「ごめんなさい、お嬢さん、騙すつもりはなかったんです」
 と、泣きながら謝りはじめた。
「実は、この柩は、あるマジシャンから返品されたものでして、『こんなものからどうやって脱出するのよ。なんなら、あんたにやってもらってもいいのよ』って、怒鳴り込まれた失敗作なんです。誤魔化すつもりはなかったのですが……、つい」
「ほらね」
 と私は言った。
「甘いのは砂糖だけだと思っていたら、大間違いよ」
 黄色いヘルメット男は、
「ごめんなさい、お嬢さん。お詫びに、お嬢さんにふさわしい墓碑をプレゼントさせていただきますが、どうでしょう?」
 と言ったけれど、私は草原を渡って行く風と一緒に、知らんぷりをしていた。風はどこかに行ってしまって、帰って来ないまま……………。
 すると、黄色いヘルメット男は、鞄から契約書を取り出し、
「サインさえしていただけたら、それでいいいです、お嬢さん」
 と言って、しゃくりあげた。
 それで、私は契約書に、私の名前を書いた。
 種も仕掛けもない、脱出不可能の失敗作。
 私にぴったりの柩が、これで私のものとなった。
 こうして準備は整い、三枚の契約書を、胸の前で組んだ両手に握りしめて、私は柩の中に入った。
「さようなら、お嬢さん、りっぱな化石になれますように」
 最後の言葉を口にすると、黄色いヘルメット男の顔は、クレーンの唸る音と共に、コンクリートの柩の蓋の向こうに消えて、見えなくなった。
 ぽつんとひとり、私は柩の中で考えた。
(これで何もかもが、終わったんだわ。私は私のまま、私を丸ごと閉じ込めて、眠り続けるんだわ。二十歳の永遠なる安らかな眠りが、今、はじまるのだわ………)
 私を入れたコンクリートの柩は、クレーンに釣り下げられ、深さ、二百二十三メートルの墓穴の奥へと、進んでいく……………。

 E子のコメント――しかし、あなたほどしぶとい生き物を見たことがないわ。この世からゴキブリが居なくなっても、地球上の生きとし生けるもの全てが滅亡しても、あなただけは、生き残っていると思うわ。

「私だって、E子と同じ人間なんだけどなあ、泣くことも、落ち込むことも、あるんだけどなあ」
 と、私は嘆いた。すると、E子も、
「就職できない、どうしよう……」
 
 E子の両親のコメント――だって、何もしてやれないから、情けなくって。落ち込むばかりで、かわいそう。

 E子の両親は、E子の元気が出るまで、親戚の叔母さんが経営している喫茶店で、アルバイトができるよう、頼んでくれたのだと言う。
「いいなあ……」
私は、ため息をついた。
そうして、E子の予想を裏切った私は、深さ二百二十三メートルの、墓穴の底へと、下りて行くのだった。
(そうよ、私は、二十歳の美しい化石になるの……、酸素が足りなくなってきたのかな………、だんだん息が苦しくなってきた……、ああ、意識が遠のいていく……、私はゴキブリよりも、か弱い生命体なのよ……。さようなら、みなさん、いろいろ…ありが…とう……………)
 それから、どのくらいが過ぎたのだろう、気が付くと、私はふわふわ宙に浮かんでいるのである。
(これが幽体離脱なの? それとも私は、未練がましくこの世をさ迷う、幽霊になっちゃったの? いやいや、たぶん、天国へと続く、白い光の中に吸い込まれる直前なのかも……………)
 私はこの世の見納めと思って、私のお墓の上空から、私のお墓を見下ろした。すると、緑色の草原だった所に、大きなビルが建っていた。そしてそのビルには大きな垂れ幕がかかっていて、赤い字で、テナント募集と書いていた。その下に、黒い字で、私の名前とその下に、之墓ビル、と書いてあった。
 私は黄色いヘルメット男が、
「お詫びに、お嬢さんにふさわしい墓碑をプレゼントさせていただきます」
 と言っていたのを、思い出した。
 辺りを見回すと、私の墓碑と同じようなビルが、たくさん立ち並んでいた。どのビルからも道路が伸び、周辺には電車の線路が引かれ、この世の果てまで続いているのが見えた。 
私は思わず、
「何なの、これは……、二十歳の永遠なる安らかな眠りはどうなったのよ」
 と叫んだ。
おもちゃの新幹線が、トンネルを抜けて走って来る、狭い街に、小さな家が並んでいる、ミニカーが渋滞して、タンクローリーが横転している……………。
 月曜日のおもちゃ売り場は、閑散としていた。おもちゃたちはみんな、誰かに連れて行ってもらいたくて、いい顔をして、並んでいる。三、三、七拍子を笛で吹いて、私にエールを送ってくれているウサギさんに、バイバイをして、私は歩き出した。
 ショッピングセンターを出ると、強い日差しが私の目を眩ませた。駐車場に、紺色の高級車が止まっていた。私が近づくと、音もなく、窓が下りた。私は立ち止まらなかった。巨大なビルに見下ろされながら、ズシーン、ズシーン、と歩いて行った……。

私のお墓の上空から

私のお墓の上空から

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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