あめんぼの頃

雨の匂いがすると、〝小さい私〟は、家の傍にある池へと駆けていく。池には、大好きなあめんぼがいる。小さい私は、雨もあめんぼも大好きだ。池には、めだかや〝さかな釣れないの名人〟がいたりする。どうにかして、あめんぼと友だちになりたいと思っている。小さい私は、土砂降りの雨の日、池を見に走る。あめんぼは、水の上で、うれしそうにぴょんぴょん跳ねていた。誰もいない道を、私も、ぴょんぴょん跳ねながら、帰って行く。

あめんぼが大好きな〝小さい私〟は、あめんぼと友だちになりたいと思っている。池には、あめんぼや、めだかや、〝さかな釣れないの名人〟がいる。犬のシロとも仲良しだ。土砂降りの雨の日、あめんぼと一緒に、踊る。

雨の匂いがすると、家を抜け出して、近くの池へと駆けていった。雨が嫌いな両親とは違って、〝小さい私〟は、雨蛙だって、大好きだ。
母はいつも小言を言う。
「女の子のくせに」
   
雨の匂いがすると、つま先立って廊下を歩き、通り抜けられそうな隙間をつくって、勝手口を通過すると、あとは、思いっきり走るだけだ。
(だれにも見つかりませんように……)
 そうして、小さい私は、駆けていくのである。
 
雨の匂いがすると、すぐそこに見える池に向かって走り出す。池への道は、そのままその土手の細い道とつながっている。
そして、小さい私は誇らしげに、池の縁の細い道の上に立っている。

土手の上からそっと、池をのぞいてみる。
水面に、あめんぼが浮かんでいた。
うれしくて、小さい私は、一気に土手を駆け下りる。なだらかな土手は急に終わって、砂地が顔を出す。砂は濡れていて、すぐに水の中にもぐり込んでいる。お気に入りの靴が、湿った砂に埋もれそうになる。
けれども小さい私は、そおっと、そおっと、水際まで進んでいって、息をしないで立っている。
雨がぽつぽつ降り始めると、雨の作る丸いわっかが、水面に広がって、広がって、小さい私の深呼吸も、はしゃぎ声も、丸いわっかで弾き飛ばしてしまう。
あめんぼたちも、ツイー、ツイー、と動き出して、小さい私のすぐ傍まで平気で寄って来る。
「元気だった?」
 と訊いたら、
「また、あのチビだぜ」
と、みんなで頭を寄せて、あめんぼは、こちらをみながら、すうっと向こうに滑っていった。そのくせ、どうということのない風に流されては、またこちらに戻ってくる。
わざとふざけて遊んでいるのか、それとも、からかわれているのだろうか………。
 けれども小さい私は、そんなことはどうでもよく、あいつらは、
(ただただ不思議で、面白くって、凄い奴だ)
と思っていた。

草むらに、寝ころがって考える。
(あめんぼは、どこから来て、どこに帰るのか。あの細い足で、一生、水の上に浮かんで過ごすのか。ちょうちょだって、葉っぱの裏で、じぃっとしている所を、見たことがあるのに……)
白い雲を恨めしそうに見上げても、教えてくれない。
土手の上からそっと、池をのぞいてみる。あめんぼは、いなかった。
仕方なさそうに、水際まで下りていくと、
代わりにめだかが寄ってきた。しゃがんでから、
「捕まえられて、食べられても知らないぞ」
と言うと、
「骨ばかりでまずいから、だれも捕まえたりしないよ」
 と言うから、両手を水の中に入れて、ぱっと蓋をしたら、いなくなった。
 池の真ん中に、水草が浮いている。
(あんなところに、花が咲いている)
 そう思って立ち上がった時、何かが動いているのが見えた。
(あめんぼだ、あんなところにいる)
「おうい」
 小さい私が、手を振った。けれど、だれも気づかない様子で、あめんぼは、あめんぼと、あめんぼの世界で、戯れていた。
 小さい私は、しばらくそれを眺めていたが、すぐに、
(あそこまで行くのは、とうてい無理だ)
と思ったし、
(それを知っているからこそ、あいつらは、あそこにいるんだ)
ということも、分かった。
「なら、いいや」
 平たい石を拾って、投げた。石は水面を二度ほどバウンドして、三度目には、ぽちゃん、と音を立てて見えなくなった。
「こら、石を投げるな」
 いつも釣り糸を垂れているおじさんが、言った。
「あめんぼの邪魔をしては、いけないじゃないか」
と、叱られるのかと思ったら、
「音に驚いて、魚が逃げるじゃないか」
と言う。
釣ったためしがあるかのような口ぶりに、ぽかんとして、口が利けないまま、背を向けて歩き出した。
おじさんは、〝さかな釣りの名人〟ではなく、〝さかな釣れないの名人〟と、近所で評判の人だった。
いつも釣り糸は垂れているけれど、魚を釣ったところを見た人がいないことで、有名だった。
「どうせ釣れないから、餌も付けていないのだろう」
 と、言う人もいたくらいだ。
……いつだったか、このおじさんに、
「この池でお魚が釣れるの?」
と、からかい半分に訊いたことがある。おじさんは、目をぎらぎらさせて、
「でっかい、鮒が居るんだ」
と言った。けれども、
「鮒なんて、泥臭くてとても食べられない」
と、父も近所の大人たちも、言っていた。それに、
「でっかい鮒を釣ったことがある」
なんて、あのおじさんは、言わなかった。
 小さいこの私でさえ、
(どうせ、おいしくない鮒を、釣ったところで、何になるのだろう?)
と、思っていたくらいだ。
おじさんは、私を見下ろしながら、
「おさかなが釣れたら、見せてあげるからね」
 と言った。
小さい私は素直にうなずいて、にっこり、してあげた。

シロが私を見つけて、尻尾を振っている。小さい私も、シロを見つけて、そちらへ駆け出した。シロはやさしい目をしている。シロもうれしそうに、こちらに走ってくる。
シロの名前が、本当は何というのか、知らない。けれど、いろんな名前を呼んでみて、
「シロ」
という所で、一番尻尾を振ったので、
「シロ」
 と呼ぶことにしたのであって、白い犬だから、ただ、
「シロ」
 と呼んでいるのではない。
 シロは捨てられたのかも知れない。頼んでも、頼んでも、うちでシロを飼ってはもらえない。父も母も、犬や猫は、大嫌いだ。
けれど、シロは賢い犬で、私の家まで付いは来ても、バイバイ、と手を振ると、ちゃんと分かって、自分の家まで帰って行く。
それがどこにあるのか、わからないけれど………。

 パラパラと屋根をたたく音がして、
「来たよ」
と、雨が声をかける。閉まった窓に駆けより、外を窺おうと顔を近づけると、雨の粒が、目の前に、落ちて、弾けて、流れていった。灰色の空からまっすぐ落ちてくる雨のスピードに驚きながら、
「金魚はどうしているかしら……」
と、口ずさんだ。お魚になった気分で、窓から見える空を見上げてみた。
 雨の粒は窓にぶつかると、競争でもしているように、あわてて通り過ぎていった。
(金魚は、水の中にいるから平気だけれど、ちょうちょだって、葉っぱの下に隠れているんだから………)
 なんどもなんどもそう思ったけれど、小さい私は、まるで水の中に飛び込むように、目をきつく閉じたまま、池に向かって走り出していた。それから薄目を開けて、土手へと続く道を、駆けていく。
 濡れた草の冷たさと、傾斜のきつい地面を、靴がつかんで蹴った。土手の上まで一気に駆け上がり、駆け下りた。
 土砂降りの雨の中、白く濁った水面に、あめんぼは、浮かんでいた。どこからか仲間がたくさん集まって来て、うれしそうに、ぴょんぴょん、跳ねていた。
 うわぁ、と声を上げて踊り上がった小さい私は、小鳥のように両手を広げ、くるくるっと回って、空を見た。

――雲と私とあめんぼと――

だれもいない道を、わたしもぴょんぴょん跳ねながら引き返す。だれも聞いたことのない、呑気な鼻うたを歌いながら……。

あめんぼの頃

あめんぼの頃

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-14

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