空船

 その男は、空を見上げていた。空はどこまでも青く、透き通っていて、頬を伝わる風は、ほんの少し冷たく、ヒンヤリしていて、それがたまらなく心地よかった。
 空には雲ひとつない。それは別にこの時間が特別なわけではなく、いつものことだった。
 何故ならここは雲の上、飛行船の中なのだから。
 遥か昔、地上の人類と土地は、空気汚染により住めなくなってしまい、生き残った人類は空に逃げてきたと言い伝えられてきた。
 逃げてきたと言っても、空の生活は悪くないものだとその男は思っていた。食料は全て自給自足だが、野菜を作るのだって、家畜を育てるのも、全て優秀なロボットがやってくれるのだから。
 それを自給自足と呼ぶのかはわからないが、とにかくここの生活は、毎朝行う感染予防の為の、少し痛い注射を除けば快適そのものだった。
「はぁーー、何か面白い事はないものかねぇ」
 男は退屈そうにそう呟くと、地上の方を覗いた。
「地上ってのはどんな所なんだろか…… 1度でもいいから見てみたいなぁ」
 男は地上が危ない場所だと思いながらも、深い興味があった。
 その時、雲の縫い目から微かな光が光って見えた。
「!?」
 男は何ごとかと思い、船から身を乗り出した。
 その時だった、何のいたずらか、激しい風が一瞬だけ吹き、その男の背中を押した。
 男は訳がわからなかった。自分の身体がどこを向いてるのかもわからず、必死に何かを掴もうと伸ばした手は、無情にも、何も掴めず無意識に固く、ただ固く握り締めているのだった。そして男はそこで意識がなくなった。
 男が目を覚ますと、そこにはたくさんの人々が集まっていた。その人々は、体格や顔の作りこそ同じようだったが、着ている服は顔以外の全身を覆い、白一色で統一されていた。
「もしもし、大丈夫ですか?」
 男の頭の中は混乱していたが、その質問は理解でき、首を縦に振って応えた。
 そして落ち着いてから、次は男の方から質問をした。
「失礼ですが、ここはどこなんです?」
「ここは地上区のEの17番地ですよ」
 男は驚きを隠せなかった。それはここが地上だからという事もあるが、何よりここは空気が美味しく、周りには、高い建物、それに遠い向こう側には美しい緑も見えたからである。
「あなたは珍しい服を着ていますが、どの地区からおいでになさったのですか?」
 男はどう答えようか迷ったが、本当の事を言うことにした。
「空の上の飛行船から落ちてきたんです」
 すると周りの人々が、困り果てたような、面白おかしく笑ってるような表情をしてこう言った。
「ははっ それは面白い冗談ですね。空はその昔空気汚染され、今では人は住めないんですよ」
 男はその話を聞かされ唖然とした。しかし同時に、不思議と納得がいった。毎朝していた注射や、人々が働かない意味を悟ったからである。
 そして男はふと空を見上げた。その空はいつもと表情を変え、どこまでも、どこまでも濁って見えた……。

空船

空船

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-02

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