財布の話

「人の財布をいちいち見るな」

買い物をしてお金を払うとき、店員から「お財布可愛いですね」と言われることがある。
アパレルで働いていた経験があるからわかるが、これは“客の持ち物を褒める”というマニュアルなのである。つまり、持ち物からわかる客のセンスを評価することによって、良い気持になってもらい顧客化を計ろうということなのだ。
店員側として指導を受けたときは、面倒な心理戦を仕掛けるんだなと思っただけだったが、客としてこれをやられると、褒められてうれしいなどという気持は少しもわかず、はっきりと不愉快だと思う。
見ず知らずの人に自分の持ち物をじろじろ見て欲しくないのである。
この不愉快な気持を「判る」と言う人もいるし、店員に何を言われても気にしたことが無い、あるいは「褒められてうれしい」人ももちろんいる。
財布という持ち物に対する意識の違いなのだろう。
私の財布は、自分のスタイルを主張するものでも高級なブランドであることを誇示するものでもなく、ただ自分が使いやすいように選んだ物なのだ。
これが洋服や鞄など外に出している物ならわかるが、財布というのは私にとって「秘めたる持ち物」だ。その外見も中身も、私の生活のレベルを表す。中に入れている現金の額はもちろん、ブランドや財布そのものの値段を知られることも、私の生活を覗かれることに等しい。
何よりも、「金を払う」という行為は「はしたない」ことだと私は思っている。物欲に支配され、即物的な快楽を求める醜い行動だ。
だからじろじろ見ないでくださいよと言いたい。

私も人の財布を見ない。
店員としてレジに立っていた時さえそうだった。
今だって恋人の財布も、親友の財布も知らない。母親の財布は知っているが、それは私が買ってあげた物だからだ。
使い勝手は良いが、やや若者向けのデザインの財布を、母は「変じゃないかしら」と言う。
そういうことは誰も気にしないよ、とは言えない。
私のような人間は多分少数派だ。
アパレル店員でなくても、みんな人の財布をちゃんと見ている。

今注目を集めている中学生棋士が、対局中のお昼を買うのに財布を取り出した。
それが、マジックテープで留めるタイプのものであったことが、話題になっている。最年少にして前人未踏の連勝記録を更新した棋士が、年相応の財布を使っていることが、親しみであり可愛げであるのだという。
神童だろうが子どもなのだから、使っている財布が皆と大差ないのは当たり前なのではないか。その「親しみ」が何か特別な物であるかのように評するのもなんだか浅ましい気がするのである。

財布の話

財布の話

毎日使う「財布」について私が思っていることを書きました。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-01

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