モグラ星

一日(ついたち)の春の三年の、宇宙人が恐竜の卵を持ち込んだ次の時代に、モグラが僕のパートナーになった。

ㅤピチチと白い鳥のさえずりがきこえる十四時。ぼんやりと重い頭に手を当てつつ、僕は慎重に寝返りを打った。すぐ横には羽毛ぶとんにくるまるモグラが、死人のような静かさで、だけれどきちんとそこで眠っている。僕は安心した。モグラは僕よりも早くに起きて、どこかへ行ってしまうのでは、と毎晩不思議に思うからだ。モグラは早起き早寝で、僕よりも一日の活動時間が短い。それは土の中の習慣であったと思われる。彼女は働き者だ。みかけは毎日十二時間弱眠ることになるけれど。
ㅤ僕は寝室を出てキッチンに立ち、コーヒーを入れた。ジウジウとここら一体の焼ける音がきこえる。
ㅤ太陽はあつい。とても働き者である。
ㅤ地球は、遠く太陽の熱に焦がされている。最近では日中に出かけることも難しい。
ㅤ雀やカラスや野良猫や鹿やカブトムシなんかは、人間の気づく大分前から少しずつこの暑さに適応してきているらしい。ほんと、耳を疑うような話だが、四十度くらいにはもう耐えられると聞いた。
ㅤその点、人間は本当に終わりかもしれない。働くこともうまく出来ないし、日照の関係で夜にしか活動らしい活動は出来ないのに、夜になると眠くなる。夜になっても起きていられる人間も、実はいる。いるけれど、多くはない。三割くらい。三割と聞いてどう感じるかは人それぞれだけれど、補足しておくと、その三割は起きている間、ゲームばかりしている。働く気はサラサラないのだ。

ㅤ僕はモグラの働いて稼いだ金でいれたコーヒーを飲みほし、布団に戻った。この体たらく、人間というよりも、かつてのナマケモノといった感じである。今ならナマケモノの方が人間より元気だ。見た目にそぐわず、筋トレを始めるやつも多い。
ㅤモグラは今現在、『下田しずか』と名乗っている。当然地上に出てくるまでこっちで使える名前をもっていなかったので、二年前付き合い始めるのをきっかけに戸籍を買ったのだ。
ㅤ最近では猫や花などあらゆる生き物に名前があり、ジャファーと名乗り始めた柴犬もいる。名前でどこの国の人、もの、いきもの、であるかを判断することは以前よりうんと難しくなっている。
ㅤモグラの場合も不自然な話ではなかった。モグラがアイスキャンデーの袋を開けながら
「今度買うね、名前」
と言い出した時、僕は全く驚かなかった。この子と結婚するかもしれないのか、とぼんやりと暑い頭で思っていた。

ㅤ時計の針はくるくる動く。一周回っても一時間だ。人間は随分と時間にあまくなった。何しろ働かないものだから、時間を気にする必要がなくなったのだ。ほかの動物たちは元々、一分や二分、十五分や二十分、三十分や一時間の遅れを気にしない。
ㅤ僕は寝返りを打ち、モグラの方をむいた。モグラは静かに眠っている。長くて黒くて艶やかな髪が、マクラの上に海のように広がっている。黒いけれど、ただ黒いだけでなく、その黒の中に深い青が染み込んでいて見応えがある。モグラの白い肩は、かすかに動いている。
ㅤ指でモグラの髪を梳いて遊んでいると、モグラは目を覚ました。モグラはあくびをしながら起きあがった。
「ごめん起こした」
ㅤモグラはまだ、眠そうな目のままで言った。
「やになっちゃうね。起きたら昼だし、眠るのは朝。せめて人間も、」
人間も、とまで言ってモグラは一度口をつぐみ、そして
「せめて、あきちゃんもそうだったらいいのにね」
と自分の髪をなでながら言った。ぼくは、そうだね、と思った。
「はやく、進化したらいいのに」
ㅤモグラはそう言いながら、もう一度寝転がった。
「ねぇ、羽毛布団の上に寝転がったことある?」
ㅤモグラはそう言ってから、とても気持ちいいのよ、と笑った。僕はモグラを真似て、布団に沈んだ。天井が狭く見える。
「ほんとだ、気持ちいい」
「でしょ」
ㅤそう言ってふかふかしながら、僕たちは時間を過ごした。その間モグラは枕元に置いていた小説を読んでいた。僕は進化とはいかなるものか考えた。だけれど考えるだけ無駄なように思えた。
ㅤ進化というのは自分一人では足りない気もするし、意識的に取り組むものとはどうも思えない。 そもそも、本当に僕が働かないといけないのかと問われてしまうと、はっきり答えられる自信が無い。僕はキャンプという趣味がなくなったので、二人の生活費はモグラの収入で十分だ。モグラの御両親がどう思われるかは分からないけれど。
ㅤモグラは僕の方へ寝返りを打って尋ねた。
「あきちゃん、ひんやり快適な所にいきたくない?」
ㅤ僕はモグラと同じことを考えていたようで、ワクワクした。
「お父さんたちに挨拶しにいってないよね。今頃なら仕事も境目だろうし、機会的にはバッチリだと思うんだけど」
ㅤモグラが子供のような目をして話す。僕が
「いいね、ぼくもそろそろご挨拶に行かなきゃなと思ってたところ」
と言うとモグラは、やった、と短く喜んだ。
「ねぇ、行き方は私に任せてくれる?」
ㅤモグラはそう言って、僕の上にまたがった。
「誘ってるの?」
ㅤモグラは「違うよ!」と照れながら否定し、それから僕に抱きついた。モグラは髪を耳にかけて
「こうしないと上手く潜れないの」
と笑った。鼻と鼻がくっつきそうな距離にある。こそばゆい。
「はじめは辛いかもしれないけれど、すぐに終わるから、我慢してね」
ㅤそう言ってモグラはふとんを掘り始めた。僕が慌てて止めようとすると、モグラはいたずらっ子のように笑い
「ごめんね、でも大丈夫だから!」
と、どんどん畳を掘りすすめた。どんどんと天井が狭く、高くなっていく。どうすればいいか分からず天井をみていると、急に世界が逆転して僕がモグラの上になった。
ㅤ僕達の周りは暗く、モグラの肌は薄黒くみえた。
「車酔いはするタイプ?」
ㅤモグラがうっすらと笑いながら聞いたので、隙間から白い歯がのぞいた。全然、と答えるとモグラは真顔に戻った。これからどうなるのかな、と僕が待っていると、モグラは手で掘りすすめながら洗濯機のように回転し始めた。
ㅤ僕はモグラに身を任せて、ただ自身が地に落ちていくのを感じていた。むしろ地に引っ張られて登っていくようだった。
ㅤ僕はモグラとツイストしながら、
(お父さんになんて言おう。モグラはああ言ったけれど、急にお邪魔して本当に大丈夫なのかな)
と思った。
ㅤしだいに周りは青みをおびた黒に変わりはじめ、モグラの飛んだ汗がひかる。おそらく僕達は夜空をはしる彗星のようにみえるのだろう、見ておきたかったな、と思った。

モグラ星

モグラ星

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted