囲碁雑感

 22年前に羽生善治が将棋で七冠達成をし、去年は井山裕太が囲碁で七冠達成を成し遂げて世間を沸かした。今年は将棋で史上最年少プロ棋士になったばかりの中学三年生、藤井聡太四段がプロ入り後負け知らずの連勝を続けていたが、ついに29連勝して歴代連勝記録を30年ぶりに塗り替え一位になった。2017年6月26日のその日、私はくしくもこの「囲碁雑感」の読み直し中だったので、文章に今度の快挙を書き加える修正をした。ともかく、藤井が今後もどれだけ勝ち続けるか楽しみではあるが、他方、私はプロ棋士に勝てるAI(人工知能)の台頭と恐るべき進化に驚嘆している。
 私の趣味は囲碁である。私にとって囲碁は実に面白いゲームだ。勝負に生活がかかっているわけではないが、病気になっても碁だけはやめられない。碁の愛好家が「碁は会話である」、「碁は人生である」、「碁は無限の宇宙である」と言っているのを私も実感する。私はそこに「碁とAIは友達だ」をこっそり付け加えておこう。
 会話といっても声に出しては言わないが、例えば、「これでどうだ、参ったか」と盤上に打った石に対して、相手の石は「何を、小癪な」と怒ったりする。そしてノックアウト(投了)するか、されるかの戦いが続くこともある。また、相手に石を取らせて地を与え「ありがとう」と喜ばしておいて、自分はそれよりもちょっとだけ多い地を得て「しめしめ、ありがとう」とほくそ笑むこともある。このような一見平和的な打ち方が出来る人は強い。半目差の勝ちを見極めるなどはプロの技だ。というわけで、石を介してお互いの気持が伝わるが、相手が何を考えているのか分からないこともあり、それを推し量るのがまた楽しい。
碁は「人生」の縮図のようでもある。打ち方を色々変えて人生のシミュレーションをしてみるのも面白い。例えば、攻め一辺倒でも守り一辺倒でも成功しない。バランスが取れていない時は負ける。また相手の場所が大きく見えて、やきもちを焼いて飛び込んでいくと「飛んで火に入る夏の虫」のごとくひどい目に遭う。というように人生の生きかたを碁に重ねて反省する事ができる。幸いなことに、なまの人生と違ってゲームの人生は何回でもやり直せるから有り難い。
更に碁盤を宇宙空間とみて、そこに「自分の世界」をつくる事もできる。簡単な二、三のルールがあるだけで、初心者でも碁を打ってみたいと思えばすぐに始められる。で、何処に打つのも自由なのがいい。束縛された窮屈な人生から一時でも離れればストレス解消になるし、解放感が味わえる。相手の石が邪魔になった時は思う存分に空中戦を繰り広げ、決着がつくまで盤上に千変万化の模様をつくる。それが面白くて碁の虜になってしまう。
 ゲームが終わって石同士の会話から人間同士の会話に移るとこれまた楽しく、囲碁談義に花が咲き、仲間と楽しいひとときを持つ。碁で心配があるとすれば、夢中になるあまり他の事を全く忘れてしまうことだ。私の場合は、食事の時間を妻が知らせても耳に入らない、近所に火事があっても無関心、碁笥(ごけ)の石を取ろうとしてコーヒーカップに指を突っ込むことなどはしょっちゅうある。昔から親の死にめにも会えないとはよく言ったものだ。さしずめ私などは自分の逝く日も知らないで碁を打っているかも知れない。ゲームのあとでいつも妻から「朝から晩まで碁ばかりやって、ちっとも体を動かしてないわ」と小言を貰うが、そういう時は私も素直に「そうだ、今日は運動不足だったね」と言ってサッと散歩に逃げ出したものだ。
 私のように気楽なアマチュアと違って、プロ棋士の対局は生半可なものではない。タイトル戦になると、一人7時間の持ち時間をフルに使うから、一試合14時間、二日がかりの勝負になるものもある。両者ともこの時間を使ってあらゆる打ち方を考えているに違いない。勝敗が天国、地獄を分ける真剣勝負であり、疲れにも耐えなければならない持久戦である。スポーツ選手と同じく、集中力、体力のある若手棋士の活躍が目覚しい。
そこに異質の強敵が現れた。最近の話題だが韓国や中国の世界トップ棋士がAI(人工知能)に負けてしまった。日本でもAIが優勢である。これで、AIはチェスや将棋に続き囲碁にも勝ったことになる。電気さえあれば何時間でも天文学的膨大な量の学習が可能である、疲れ知らずのAIは益々強くなるばかりだ。人間のレベルからスタートして早くもそれを超えてしまっている。
 我々は天才棋士に勝てるAIの実力をまのあたりにみている。私はそのようなAIの活躍する将来が楽しみだ。有史以来現在まですぐれた医学者、科学者、経済学者、政治家は沢山いて、彼らの業績や資料も蓄積されてきた。それを優秀なプログラマーの手に委ねてプログラミングすれば、AIが多くの分野で人類のために役立つだろうと思っている。軍事目的でなく、平和利用されるなら大歓迎である。
例えば、車の自動運転とかロボット開発の分野では実用段階に入ったし、医学の分野でも、病気の診断や治療薬の開発に期待されている。政治経済分野での可能性はないだろうか。 国内情勢、国際情勢が混沌として平和が脅かされそうな場合はAIに起死回生の「妙手」を打ち出させるとか。経済の分野なら、格差と貧困の社会をなくす方法を探らせたり、といったぐあいに。
 囲碁や将棋の分野では、技術者が性能のいいAIを作るにあたり棋士の貢献があったが、こんどは棋士がこの手強い相手と切磋琢磨して強くなる番だ。自動車とマラソン競争をするのは馬鹿げているように、人とAIの強弱をどのように評価するかは難しいが、それにしてもプロ棋士が負けまいとして対戦したからにはAIにも勝てる棋士こそチャンピオンだと思う。そう有って欲しいと願うのは私が碁を打つ者だからだろうか。科学技術は囲碁将棋界に厳しい時代をもたらしたようだ。しかし、そういう中にあっても棋士達の努力する姿は人間らしくて素晴らしい。いま日本で注目されている囲碁の井山、将棋の藤井をはじめ、多くの天才棋士達に期待したい。
2017年6月26日

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