砂漠の旅 25

彼が起きたのは随分月が高くなった深夜だった。がさり、と起きた姿勢のまましばらくぼおっとしていた。(ちょっとした休憩のつもりだったけど結構寝ちゃったなあ)彼は思った。外はかなり寒くなっていた。誰かが暖炉を入れているらしく、暖炉から上に伸びる階段横の煙突から暖かな空気が伝わってきた。
彼の鼓動は起きたばかりで動きがゆっくりだった。頭にぼんやりもやがかかったまま、こく、こく、と動いている心臓を思った。
はぁ、と小さく欠伸をした。大きな伸びをした。こきり、と背中が鳴った。力を抜いて、すぐ左の窓から見える外を見た。あの時彼女が淹れてくれたお茶が飲みたい、と思った。

階段から光が漏れていた。下には人の気配がした。そろそろと彼は階段を降りた。
聡明な女性がいた。ちじれ気味のやわらかくゆったりした長い赤髪だった。暖炉には火が入っていた。女性は椅子に座って両肘をテーブルにつき、取っ手のついたカップを大事そうに両手で包んで唇にあてていた。カップで隠れた口元は微笑んだように見えた。
「こんばんは」彼女が言った。
「こんばんは。お邪魔してます」彼はこたえた。
「随分疲れてたんだね。来てみたらもう寝てるし。なかなか起きないし。」
「はあ」(まだ疲れ、取り切れてないや)彼は思った。

階段を降りきって、彼はそのまま突っ立って緊張した様子で少し居づらそうにした。
「何というか、狭い家ですね。」彼は言った。(というかこの人誰だろう)と思った。初めて会う他人と距離が近い事を彼は気にした。

「ふふ」彼女は彼のとげを包むように笑った。「コーヒー、飲む?」綺麗で小さな声がさらさら空間を流れた。
「ありがとうございます。いただきます」少し間をおいて彼は言った。彼は少し緊張した様子で椅子に座った。

テーブルをはさんでいくらか話して彼の緊張は少し溶けた。彼女はテーブルにお菓子を置いてくれた。彼はお腹がすいていた。(あまり沢山食べても失礼かなあ)とお菓子をつまむペースを気にしながらぱくぱく食べた。やわらかな雰囲気が部屋を包んでいた。彼女は自分を、宿主の少し遠い血縁の人だ、と言った。
少しふっくらした印象の人で、楽しそうに彼の話を聞いていた。
彼が彼の病に軽く触れても特に気味悪がる素振りもみせず、変わらず楽しそうに聞いた。

互いに話すことに詰まり、部屋に小さな沈黙があった。
「旅ってきっと外に『頼る』行為なんだね」彼女はその沈黙に答えるようにやさしい口調で言った。皮肉は一滴も入っていなかった。
「外、というのは人、ということですか?でも僕は少しの人にしか会ってないし、だいたいの事を一人でやりくりしています。沢山の荷物は必要だけれど」
「人、に限ったわけじゃないよ。君の中には君自身ではどうしのしようもない『無理』があるんだと思う。なんというか、がんばって一直線に立ちすぎていると言ったらいいのかなあ。
いつもの、とか、なじみの、って外というより、自分、って感じがしない?例えばどこに何があるかを無意識のうちに分かっているくらいの自分の部屋、とか。そういう馴染みのある部屋、ってもう自分の手の中にある、というか。外というより中、自分、って感じがしない?それに比べて旅、って常に慣れない景色。外だね。外にいる事は『常に変わってゆく外の刺激』を受け続けることだと思うの。君の言う偉大な人、が君に旅をすすめたのもこのあたりにあるんじゃないかなあ」
「このあたり、ってどのあたりですか?」
「うーんいまいち言葉にできないけれど、『他とうまく干渉しあいながら苦しいながらも人らしく生きる』ってことを知ってほしい、とでも言おうか。」
「僕には自身では治せない、無理にでも一人で生きようとしてしまう所があって、それが僕の病にも少しつながっている。それは『自分』の中にいては治せないから外の刺激を受けて変わってほしい、ということですか。」
「うん。それってきっと外に『頼る』行為だね」やや笑い彼女は言った。

「ずっと長い期間一人で旅しているんだよね?」
暖かい雰囲気のまま、彼女は楽しそうに彼の手に軽く手を重ねた。
「今日、私としゃべってどうだった?」さらさらした何気ない口調で彼女は言った。
少し恥ずかしそうに彼は笑った。
「一人じゃない、と感じました。孤独じゃない、と。」彼は素直に思った通りに答えた。
彼は、暗いが豊かな底のある安心を感じていた。

「よかった。」彼女は笑って言った。そして
「ちょっと苦しいこと言ってしまうかもしれないけど」と彼女は彼の手から自分の手を離し言った。
「誰だって誰かに頼って生きている。君という存在には若干の矛盾があるみたいに見える。何も他人に干渉しないようにすることは結局、変わる外に頼る行為、じゃない?外にもらい続ける行為じゃない?」
「うーん。」彼は唸り首をかしげた。
彼女はすっと立った。椅子のひく音は全くしなかった。
「実は私、宿主の遠い血縁ていうの、嘘なの。名前を言ってなかったね。私は、はかいしゃ。」
「壊す人、破壊者?」彼はびっくりした様子で、変わらないやわらかな空気に負けないように背筋を伸ばして聞いた。
「うーん違う、とも言いきれないけど。」
「君、病、治したいんだよね?」
「はい」
「君、過去に自分に嘘ついて逃げた物事があって、それを悪い事だった、と思ってるでしょ?私過去を『映像化できる医者』なの。これからちょっとした試練を君に用意しました。どうする?」ふふ、と楽しそうに笑った。
「…。とりあえずお腹がすきました。何か食べてからがいいです。」にこっと彼は恥ずかしそうに笑い、言った。
「あはは。そうだよね。夕飯食べてないもんね。作ったからよかったらご飯食べて。適当な頃合いにある人が入って来るから。頑張って。」彼女はカップを洗って出て行った。

砂漠の旅 25

砂漠の旅 25

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-06-23

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