*星空文庫

人ならざる屍

かわら 作

「栄光を得る者の手には、既に未来が確約されている。
 その者が例え未熟な少年少女であろうと、掌には栄光が収まっているのだ」
 そういった話を誰かから聞いた。いつだったかは定かではないけれども、——まだ、私が夢を抱いていたころだった気がする。

 目が覚める。
 視界には、ゴミが溜まったコンビニ袋の塊ともう開くこともなくなった書籍の山、それと、締め切ったギンガムチェックのカーテン。一日はこいつらと対面することで始まる。当然、陽が差し込みすらしないから今が朝か夜かもわからない。
 ——確認するつもりもない。
 私の生活は既に終わってしまっているのだから、社会を生きる上での生活習慣といった概念は必要ないのだ。喧しかった時計も、今はゴミ溜めの底だろう。
 ああ、起きてしまった。悔恨とも絶望ともいえる感情が頭で唸る。呼吸している。悲劇は今日も続く。
 死を望んでいるにも関わらず、恐怖で自死さえ果たせない。血の通ったゾンビが、私である。
 ただ24時間を自室という名の牢で這っている。
 いくら高度な文明が存在しようと、現代では自殺ボタンを通販で頼むこともできない。なんと無様なことだろう。
 
 はて、どれ程の間、睡眠を貪っていたかもわからない。
 しかし怠惰に生きているので、制限ない休みを身体は享受している。休みというより、毒かもしれない。
 薄汚れたベッドから降りる。
 冴えない視界で、私が目指す場所は中心。狭い一室だから、少し奥に進むだけでいい。
 何かに足をぶつけて、そうして位置を理解する。あとは、懺悔の椅子に座るだけだ。
 屍である私の幾ばくかの希望、そのスイッチを押す。
 外界が、開かれる。
 

「おはよう佐藤。昨日はよく眠れた?」
 萎んだ全てに生命を吹き込むかのような声。美しい囀りが一室を満たす。
 親愛なる私の、私の……。
「時間が時間だし、たっぷり寝れたみたいだね。けど、そんな調子で遅れてきたらいやだよ」
 私には、その声色だけで、御身が今、どんな表情、仕草をしているのか理解できる。容易に想像ができる。
 女神への信仰がなす、私の内なる奇跡である。
「大丈夫です。遅れたりなんか、しません」
 嘘偽りない本心だ、屍の真だ。彼の人の声が通るスピーカー兼マイクに雑音が鳴るのは心苦しいが、誠意を表明しなければならない。コンマ一秒たりとも遅れてはならない。
「ふふふ。楽しみにしてるよ、ずっとずっと待っているよ」
 慈愛を授かっている。綺麗の一言では言い表せない響きが胸を満たし、自然と熱いものが頬を伝った。
 存在を目視することは出来ないけれど、掃き溜めの鶴、そう形容すべきである。
 その人の声を耳にするだけで、私の血となって巡り、部屋に溢れた毒気も錯覚のように思える。理性よりも肉体が、感激に極まる。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」
 ひたすらに拝む。
 伝わっているでしょうか?
「鍵は開けておくからね、それじゃあおやすみ」
「はい。おやすみなさい」
 彼がおやすみといったならば、私が果たすべきは就寝だ。起床して何分が経過したかなどはどうだっていい。
 再びベッドを軋ませ、天井の木目を数える。
 ——死が訪れるまで、眠りが訪れるまで。
 

 太陽にたたき起こされるのは久方ぶりだった。
 約束の日の前夜、つまり昨夜、私はカーテンを開けて眠った。今日だけは、人間として起きようと決めたのである。
 電気の通った薄板を確認すると、数字は目的時間の三時間前を表していた。
 おはようございます、そう胸のなかで祈りを捧げる。地中から掘り起こしてくださったことへの感謝と共に。
 人間、成人に近い女がする朝の行為は、まず顔の塗装だ。
 横文字が刻まれた小さな容器から液体を手にこぼし、塗りたくる。あとは様々なもの塗りたくる。塗って書いて伸ばして叩いて————、布を羽織って、人間の構成を目指す。
 姿見に映るのは人間としての姿だろうか、それとも、不適応なヒトモドキだろうか。
 あらかたは備わった。あとは太陽に身を晒すことへの勇気だけ。
 神様。神様。神様。神様。私はこの身を焼けるでしょうか、許されるでしょうか。まだ首を吊らなくともいいでしょうか。
 

 ドアノブを回すと、女神はすぐ鼻先に立っていた。
「えらい! ちゃんと五分前に来たね」
 鷹揚に微笑み、私の手を取ってくださった。修行に耐えた私を、愛を以て迎え入れてくれた。
「君の友人として、今日もすべきことをしよう。来年は君にも導きがあるように」
 

 屍の肢体が、痛みという祝福で蘇ってゆく。
 色づいていく。それは穏やかな赤。愛に滲んだ紫。
 女神の笑い声が頭上で響いて、私は自分が人間に戻っていく過程を実感する。

 ——選ばれた人間はね、持たざる者へ分け与えなければいけないんだよ。

 陽だまりの下で、かつての彼女はそういった。それがあまりにも穏やかな笑顔だったから、私は、自分と尊ばれる人では世界が隔絶されているのだと知った。
 
 私が人間をやめた日から、その人は私を導く者として鞭を持った。
 あの日の言葉通り、私に才を分け当たえてくださるようになった。
 最初は、気絶しそうな激痛に何度も嘔吐したが、愛を身体から逃がすのは彼への冒涜だとして耐えるようになった。

 君の心臓にも同じ欠片が刺さっているんだよ。
 人を従える力、人を人たらしめる力。だから、完成させてあげる——。

 そう、聖人と隔絶された凡人が大いなる力を得るためには、強烈な力で心臓を震わされなければいけない。
 凡人に埋められた心臓の刻みは、聖人のそれに遥かに劣る。あまりにも遅すぎる。
 ならば何度も衝撃を与えて、血を巡らせ、鼓動を早めなければいけない。
 そしてそれには、痛みが必要だった。
 女神はその修行を私に施した。刻んで、ときに屠るように、女神の印を残すように、愛を授けた。
 
 そして今も。
 
「どう、どう? こうして今も、君は近づいているよ。感じる。君の鼓動が重なってくる。年が明けたときには、今度は君が人の上に立つんだよ。そうして連鎖させるの。幸せを繋げるんだよ」
 悦びに震える女神が、私を見下ろしている。
 笑みは、筋肉の収縮は、女神の顔にさえ皺を作る。しかしそれは完成された美しさで、私の醜悪なものとは程遠い。
 彼の人が讃えるたびに、本当だろうかとそんな考えがよぎるが、それでも縋りたい。私は、痛みに取り残されているのではない。女神がいうのだから、それは決して間違いではない。
 私は奴隷ではない。
 生きながらにして死んでなどいない。
 女神の寵愛を受け、この瞬間も頂に近づいている。だから、なにも恐れる必要はない。
 信じなければ、信じなければ。
 地を這う私に、鞭を振り落とすあなた。ああ、でも、私の影はずっと後ろに伸びている。あなたがそれを覆うように、更に巨大な影を落とす。
 私はいいのでしょうか。
 このときだけ幸せを感じて、人ならざる者が人になろうとして、私は本当に人でいるのでしょうか?
 錯覚ではないのでしょうか?
 全て幻影ではないでしょうか。
 幸福であるはずなのに、何故、私は死を願うのですか。
 私は——、果たして人の上に立てるのでしょうか。私は人に戻れますか?
 

『人ならざる屍』

『人ならざる屍』 かわら 作

即興小説で書いたものです。題「来年のカリスマ」 屍を蘇りを希望する、そんな話です。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-06-21
Copyrighted

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