砂漠の旅 16~20

砂漠の旅 16

彼はいなかったが、荷物はまだあった。彼女は手早く体を洗い、新しい服を着て、血を池で洗った。さっぱりした。
旅支度をした。準備が整った。肉がつるされているのを見た。(器用だな)彼女は感心した。(これは彼にあげよう)と有袋類の親を見ながら彼女は思った。

例の爬虫類は有袋類の子供の内臓を見て、目を輝かせて期待するように彼女を仰ぎ見た。
「いいよ」彼女は優しく言った。
爬虫類は美味しそうに大事に内臓を食べた。ごちそうだった。
彼が帰ってきた。特に何もなかったように歩いてきた。(少しにやついていたのは気のせいだろう)

「これ何」彼女が聞いた
「干し肉」彼が言った
「もらってくよ」
「どーぞ」
彼女は沢山取り、袋に入れた。

2度と会えなくなるだろうに彼はもう、なんかどうでもよくなっていた。本当を理性で押さえつけ、虚しさは折れて、脱気されたから。微風が気の抜けた虚しさを温めてくれていたから。
なんだか「自分がここに存在している」というだけでも彼は疲れた。
次の目的地が同じであることは昨晩の会話で知ったが、「次にどこどこでお会いいませんか」と自分から聞くのはなぜかできなかった。おっくうだった。めんどくさかった。どうでもよくなっていた。
「じゃあね」彼は笑いながら軽く手を振った。

彼女は下を見ながらもくもくと肉塊の袋をリュックにしまった。
「君、変わってるね」
いらっとした様子で彼女は言った。彼の振る舞いは嘘であふれていた。
「ほんと、君のこと嫌いだ。もどかしくなる。」

「じゃあね」彼女の言葉を無視して、さえぎって、彼は再び言った。同じように笑顔で。同じように軽く手を振り。彼の振る舞いは嘘であふれていた。次の待ち合わせ場所について聞くのは彼からであるべきだったのに。

彼女はスタスタと彼に近づいた。非常にいらいらした様子だった。
半分獣になりかけていた。彼の脳に思い切り右手をぶっ刺した。
「どこにいる」彼女は彼の目を見ていった。彼女は彼の脳に入った右手をぐしゃりと握った。そこに脳はなく、虚しく脂質の泡がつぶれただけだった。彼の脳みそは脂質の泡で満たされていた。
「なにすんだよ。痛いんだけど」彼は怒ったように静かに言った。急に脳に泡でない何かが構成されてゆくのを彼女の右手が感じた。彼は乱暴にその右手を引き抜いた。血と脂質がふき出た。

彼は急に後ろを向き、数歩歩き、腰袋から厚い布でくるまれた茶碗を震える手で取り出して両手でつかみ、胸にあて、地面に突っ伏した。「ああ!いっでええ!」彼はむせび泣くように叫んだ。「てめええ!」殺気を含んだ眼差しで地面に頭をこすりながら彼女に振り向く。
すん、とした顔で(なんだ。いるじゃん、獣。)と彼女はそれを傍観しながら思った。

ぎゃあぎゃあ騒ぎ続け、痛がっている彼をみて心持すっきりした様子で「どうせ死なないんでしょ?次の町で会いましょう。『嘘の町』で。東の端の大きな商店街のぶっ壊れそうなくらい古ぼけた絨毯屋さんに居候してる予定だから。じゃあね。」

例の爬虫類は端で、彼が残しておいた有袋類の内臓を一心不乱に食べていたが、彼女が出発するのをみて、慌てた様子で彼女を追いかけた。その、つぶらな瞳に凄みはなく、そいつはただの爬虫類だった。

彼女はルンルン気分でオアシスを後にした。



砂漠の町 17

彼は死にそうだった。(何がどうせしなないんでしょ、だ。死にそうだわ)彼は思った。大量の血が流れた。油が流れた。再生には時間がかかった。小一時間同じ姿勢でじっとうずくまっていた。辛かった。穴がふさがった。脳が再生した。

(貧血、貧脂質だ)彼は思った。死ぬかもしれない、と思った。

ゆっくりと歩き、木蔭に入った。ゆっくりと樹にもたれ、座った。彼は本格的にオアシスに留まる必要がある、と感じた。気温は上がり続けていたが、体はやけに冷たく感じた。

(くそぅ、いいやがる)彼は苦笑いしながら思った。
(ほんとに死んじゃいそうじゃないか。何がどうせ死なない、だ。)

しかし、あの明るい声の「どうせ死なないんでしょう?」と、本当に死にそうな自分とのギャップが面白く、彼は少しの間クスクスと笑い続けた。

(面白い人だった)彼は思った。(好きだなあ)彼は思った。

自分らしく生きるとはどういうことだろうか。彼なりに自分らしく、彼は行動しているのかもしれない。しかし彼は「どう行動することが自分らしいか」考え、行動を「意識的」に選択している点で、自分らしくないような気もする。行動はあくまで、脳にある「自分らしさ」が表面に現れたものに過ぎないはずだ。彼の「自分らしく見える行動」は意識的に彼がそう行動しようとして、そうしているだけで、中身は空っぽで、獣はおいてけぼりだ。獣は日に当てなければ弱る一方だ。

ここに2つの問題がある。一つは獣が獣らしく生きなければ人間は輝けないという点、もう一つは獣が自分で何も考えれず、暴走すれば結局獣さんは誰にも許されない存在になってしまう点。

彼はこの問題に今後どのように対処してゆくことになるのだろうか。

彼の体調は下り続けた。(死ぬかもしれない)彼は思った。(死にたくない)と思った。

彼は木にもたれ、座った姿勢のまま動かなかった。辛かった。

彼は動くのが億劫だった。しかし、水を飲み、肉を食らわなければ死ぬなあ、と思った。気温は上がり続けていた。
嫌な一日になりそうだ、と思った。



砂漠の旅 18

彼の意識はどんどん朦朧としていった。(死ぬかもしれない)彼は思った。


彼は

(一人だ)

と思った。


ずっと一人だったはずなのに、ぼんやりした暖かい明るい陽射しを木蔭で見つめながら(僕は一人だ)と思った。奥に昨夜のたき火の跡が見えた。昨夜の贅沢な晩飯と楽しかった会話を思った。
体は冷め続けていた。とても虚しくなった。

(彼女とやりたかった)誰かが澄んだ綺麗な声で言った。彼は、はっと一瞬目を広げた。
彼は茶碗を「きりきりと」握りしめた。


干し肉は目の細かい網をかけなければならなかった。虫が沢山寄っている。
それを見て彼は(網をかけなければ)と朦朧とした頭で思った。(そうだ。屋外に干すときは網をかけると言っていた。)彼はふらりと立ち上がり、「昔聞いた記憶のまま」細かい魚の網を取り出した。死ぬかもしれない彼が自分のケアも忘れて、「しなければならない」事をしている。彼はどこまでもどこまでも決まりごとに忠実だった。彼は、こうしなければ、があれば、こうしなければならないのだ。本当は、大切なのはこうしなければ、じゃなくて何をしたいか、なのに。彼は、彼の「こうしなければ」に支配されていた。彼の獣は脂質の泡に支配されていた。脂質の泡は、心の埋まらなさから滲み続けるプラスチックの泥が主成分だった。体になじむはずのないプラスチックの泥だった。ふらふらと網をきれいにかけた。

ようやく彼は、自分の喉が渇いていることに気付いた。(水を「飲まなければ」)彼は無意識に思った。
ゆっくりとした足取りで水汲み場に向かい、ずっと握っていたその、藤色の茶碗で水を汲み、口に水を運んだ。

彼の内側は確実にぶれていた。こくこくと水を飲んだ。再び茶碗で水をくむ。口に運ぶ。再び水をこくこくと飲んでいる時、チカチカと顔がぶれて、左右非対称の開ききっていない目玉がぎょろりと虚空を見つめた。

ピ キ ルィ と茶碗が確かに鳴ったが彼はそれに気づかなかった。

彼は諦めてしまっていた。彼は何にも気づけてなんかいなかった。彼の爽やかで端正な顔立ちにも害のなさそうな雰囲気にも誰しも誰かの特別な存在で、それは別に珍しい事じゃないことにも。彼は何にも気づいていない。彼は何もかもが空白だ。彼はその目玉になってしまっていたことにも気づいていなかった。呆けた表情のまま、その汚い獣はずるずると足を引きずり、足を砂まみれにした。

何故なのかまったく、まったく、まったく分からなかったが、「クケケケッ」と彼は


嗤った。



砂漠の旅 19

「えくすたしいいいぃ…」彼はゆっくり歩きながら発達しきっていない口のままつぶやいた。茶碗を手から離し、茶碗はカチリ、と地面に落ちた。うつろな左右非対称の目。へなへなとにやけた口。バキバキ音を立てながら首をかしげ、掌を見つめた。バキバキ音を立てながら空を見上げた。沢山の、真っ黒な短毛に覆われた鱗がぼろぼろ動くたびに零れた。

ポリポリとお腹を掻いた。片目をちょいと開け、思いついたようにお腹をちぎった。内側に押し込められていた脂質がドサゥと噴き出た。噴き出た脂質がじくじくと彼の体を覆ってゆく。彼はあれっ?という表情になった。

彼は、はっ、と気づき「ぢがう…」と呻き、慌てたように脂質を取り除こうとしたがあまりに動きが鈍かった。「あ゛あ゛…」彼はため息に近い声を出し、下を向き、無駄に大きな鋭くとがった掌で顔を覆った。


少したって彼は手を顔から離した。

何も変わらず日は照り、強い風が吹いていた。

つるりとした肌の痩せた青年が一人 オアシスに佇んでいる。



砂漠の旅 20 詩 含む

彼は自分の状況も忘れ、先ほどの自分の変化に心底驚いていた。「先ほどのそいつ」が自分自身であるような、ないような、不思議な感覚を覚えた。自分自身の一挙手一投足を俯瞰しがちな彼にとって、何も考えない自分の動きは面白かった。自然に、無意識に生きる感覚を何となく思い出していた。それは心地よいものだった。彼はもっと素直に自分を見つめたっていい、と思った。そのくらいは許されるんじゃないか、と。
風が心持ち強かった。まず彼はふらふらした頭で詩を書いた。どうしても詩を書きたい、と思った。生きるためには意思がいると思った。

1番は誰かに対して、2番は自分に対しての詩だった。
書いた詩を読み返して(ああ、幼いなあ自分は)彼は我ながらに思った。あまりに独りよがりな詩だと思った。

しかし一つ踏ん切りがようやくついた様子だった。
強い瞳で彼は(生きる努力をしよう)と思った。(自分の獣を育てなければ始まらない)彼は思った。
(にしても血が流れすぎた。養生しよう)彼は思った。
茶碗を拾い、再び握った。いつもと変わらない、藤色の小さな茶碗だった。(僕は茶碗に頼りすぎている)彼は思った。茶碗の力に「生かされる」のではなく、生きるために茶碗の「力を扱うよう」にしよう、と思った。この違いは彼にとって大きなものだった。
今までは茶碗が彼を生かしていたから、彼は傷の詳しい治し方をいまいち知らなかった。
とりあえず頭が朦朧としたまま彼は昨日の残り物を食べた。そして先ほどの新鮮な生肉を食べた。一応あの小さな本を持って木蔭に入り、横になった。

その日は彼にとってとても暇な一日になった。



(彼の書いた詩)

1
どこにいても吹き荒れるから
わだかまり続ける感情の
その 出口を教えろよ

誰かが歩いた感情分
誰かの心が泣き叫ぶ

誰かが泣いた感情分
誰かの心は休まり 眠れよ

どこにいても吹き荒れるから
わだかまり続ける感情の
その 出口を教えろよ

まるで いない みたいじゃないか
風が嫌いだ 大嫌いだ

色の混濁 温度のうねり 
吹き荒れ からまり あふれ 踊り狂って

浴びせられる身体は消滅して 虚しさで
溶け残った心も行方不明


どこにいても吹き荒れるから
わだかまり続ける感情の
その 出口を教えろよ


その出口を教えてよ




どこにいても吹き荒れるなら
まったく減らない青春を
その 無知に狂っていろよ

僕が歩いた感情分
誰かの心は唄い 踊れよ

僕が泣いた感情分
誰かの心は沁み染まれ

どこにいても吹き荒れるなら
まったく減らない青春を
その 無知に狂っていろよ

まるで 一人 みたいじゃないか
風が嫌いだ 大嫌いだ

色の混濁 温度のうねり 
吹き荒れ からまり あふれ 踊り狂って

風に合わせて吠え続ければ 青春の
偏りはつぶれ 楽になるだろ


どこにいても吹き荒れるなら
まったく減らない青春を
その 無知に狂っていろよ


その無知に狂っていてよ

砂漠の旅 16~20

砂漠の旅 16~20

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-06-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted