砂漠の旅 6~10

砂漠の旅 6

彼が起きた。下らないほど同じように伸びをし、欠伸をし、疲れがとり切れない様子でテントにもたれた。
暗い暗い色のマントを畳み、水を一口含んだ。(昨日は楽しかった)と思った。

彼はだぼっとした最初は白色であったであろう薄い砂漠色の足首のところがすぼまった黒の糸で縫ったズボンに、まだら薄く染めた青のある、最初はその白と青が鮮やかに映えていたであろう砂漠色の長袖だった。しっかり歩く時用の自作の質素な踵サンダルは丈夫な枯草で補強しているうちに何が何だか分からない左右非対称のアート作品のようなありさまだった。彼はテントから出て、再び伸びをした。オアシスについたときに履き替えた、黒地に深い赤の縞々のぺたぺたサンダルをぺたぺたさせてあるいた。

空はまだ青く、(太陽がやって来るのはあと2時間くらいか)と彼は思った。
彼はテントを畳んで水汲み場で、いつものようにパンとチーズを少しの水で食べ終え、ガシガシ歯ブラシをしている。少したって彼女が起きた。

彼女は赤できれいな文様に染めた綿の質素な前開きのボタンが付いた長袖を着ていた。手首の部分にもしっかり止めるボタンがついていて、律儀に寝ている時もすべてのボタンを付けていた。深いえんじ色のそでがひらひら広いゆったりしたズボンをはいていた。薄手の黒い長靴下にしっかりした靴を履いていて、そのまま寝たようだった。

彼女は起きてあぐらをかき、眠そうな目で彼を一瞥した。
「…」
すぐに視線は昨日のご飯の残りに移り、陶器のつぼ型の鍋の底を覗いたり、アルミホイルで包んだ昨日の食べ残りの魚を確認したりした。

「おはよう。」
「おはようございます。」

(昨日はしゃべりすぎた)彼は少し遠くをみながら思った。なんだか気恥ずかしくなったのである。

「そういえば名前聞いていなかったね。なんていうの?」彼女は魚を口にほおりこみながら言った。
(そういえば名前言ってなかったな。この人もなんていう名前なんだろうか。)彼は思った。
「せるむ」彼は自分の名前を呟いた。
「へえ」彼女は興味なさげに声をだした。
「『カッコイイ』名前だね」
「…」彼は黙った。少し馬鹿にされたと思った。
「あなたの名前は何ですか、とか聞いたりはしないわけ?」
「なんていう名前なんですか。気になります」
にや、と彼女は笑った。
「いやそれが、忘れちゃったんだよね」
歯ブラシを動かす手を止めて彼が言った。
「そういう人もいると、教わったことがあります」
「へえ。嘘だ、とか言わないんだね。まあ、嘘じゃなく、本当に忘れちゃったんだけど。正直名前とかあんまり気にしてないんだ。」
「そうなんですか」かれは口をすすぎ、歯ブラシを水でゆすぎながら言った。顔を洗い、さらしで顔を拭いた。
(テント、畳もう)彼は思い、自分の荷物が置いてある方に歩いた。

「朝ごはん、もう食べたんだ」彼女は言った。すこし寂しそうに、かもしれない。
「はい。」彼は自分の荷物が置いてある場所に戻るふらっとした足取りのまま、さらしを無意味にぐるぐるまわし、彼女の方を振り向いて言った。
緩やかな風がながれて、彼女は小さなため息をしたかもしれない。

彼は歯ブラシをしまい、テントを畳みながら能天気に
(名前も結構大事だと思うけどなあ)と思った。

爬虫類は何故か楽しそうに焼けた木の実を食らっている。



砂漠の旅 7

「時間差で2段構えで作動するんだ。うまくやれば複数動物が取れる。」彼女は昨日言っていた。

「行きますか!」無駄に明るく彼女は言った。
まだ朝日の見えぬうちに二人と一匹は罠を仕掛けた場所に向かった。彼女は折り畳み式の小さな槍を手にしていた。彼は腰に茶碗の入ったいつもの腰袋と、小さな鉈をかけた。彼女は歩いている時に色々な動物の話をした。彼女はちょっと興奮した様子だった。

「なにかかかっているといいですね。」彼は問いかけた。彼女は一心不乱に茂みを分け入ることで忙しいのか聞こえていない様子だった。

爬虫類は強く彼女の肩を摑んでいた。

「あそこだ」彼女が独り言のように言った。遠くに罠が見えた。なにかかかっているようだった。
罠はオアシスがきれて、砂漠に入りかけた場所にあった。小さな岩の手前のくぼみに仕掛けてあった。


動物がかかっていた。
彼女は足取りを変えずに近づいていく。
素早く手慣れた様子でチャカン、チャカンと折りたたまれた小さな槍を広げた。

彼女は動物の姿がはっきり見えた時、急に「くうっ」と呻いた。下を向き、少しフラフラした足取りになる。目が大きく見開かれている。口がいびつに引き裂かれて、笑っている。笑っている。
「奴だ」キーの高い声で呟いた。

彼は少し驚いた顔で彼女を見た。彼女はなんだか異常だった。
「すみません、なんだか異常ですよ。」彼はポッケに両手を突っ込み、横にいる彼女の速足な足取りにぺたぺたついて行きながら首だけ彼女の方を向き言った。
彼女は彼を無視した。

肩にいた爬虫類が急に動き素早く彼女の首にかかっていた小さな爪切りを、少し慌てた様子で取り、地面に飛び降りた。キラリとした目で彼女は爬虫類のそいつを一瞬見下ろした。

罠は、縄とよくしなる強靭な木の枝で作られた罠だった。地面に動物が縄で押さえつけられるようにかかっていた。

一匹ではなかった。大型の有袋類の草食動物と子供、それとしなやかな体の3メートル程の「獣」がかかっていた。獣は草食動物の親を半分ほど食べていた。獣は彼女の言っていた2段目の罠にかかったのだろうか。

気付けば彼女の容姿ががらりと変わっていた。真っ白の長毛が全身をごうごうと覆っていた。猫背で後ろを向いた大きな耳。小さく、横にスラリと細長い顔。毛にふさがれて小さく隠れた切れ長の目は真っ赤だった。

彼は驚いた。

彼女は笑っていた。



砂漠の旅 8

彼女は獣になっていた。
彼女は槍を手から放した。槍はカラリと音を立てた。5メートル程離れたところから、ひょいと罠に向かって飛びはね、右手を獣の肩のあたりに突き立てた。ざっくり深々と右手が入った。続けざまに左手をぶっ刺した。

血飛沫が上がり続けたのはどのくらいの時間だっただろうか。彼女は獣だけをひたすらに刺し、切り刻んだ。

彼は息が止まる思いだった。これが彼女の病なのだとおもった。

その通りだった。彼が脂質に食われる病なら、彼女は自身の獣に食われる病だった。
獣を切り刻んでいるその獣(彼女)は、いつもは見る事の出来ない彼女の心に住む獣だった。



獣が切り刻む事に満足した様子でゆらりと彼の方を見た時、ちょうど朝日が昇った。
返り血をたっぷり浴びた真っ白で真っ赤な彼女が朝日に照らされ彼を凝視している。



彼は彼女を美しい獣だと思った。
こんなにも身の毛がよだつほど美しい獣を見たことがないと思った。

彼は勃起した。

砂漠の旅 9



彼は勃起した。
同時に彼は、我を忘れていた。
彼の脂質が膨らんで、彼の全身の肌が突っ張った。

彼女はしばし彼を変わらず凝視した。

何かに気付いたようにふっと目が一瞬大きくなりぎゅっと力み、彼に向かう。思い切りみぞおちに右手を突き立てる。貫通する。続けざまに脇腹に左手を突き立てる。深く入る。
彼の目が大きく見開く。触れられぬほどに美しいものが実体として「すぐ」近くにある不思議を彼は感じていた。彼にはスローモーションの様に彼女が映った。右手を引き抜き首元に突き立てる。深々と刺さる。獣は笑っている。左手を彼のわき腹から引き抜き、ぐん、と勢いをつけてこめかみに突き立てる。深々と刺さる。

彼女の爬虫類はその様子を傍観していたがはっと我に返り、先ほどの爪切りでぷつり、と自分の足の爪を小さく切った。

一瞬で彼女の全身の力が抜け人間の容姿に戻った。だらり、と両手が彼から離れる。彼は脂質と肉塊の塊になって地面に流れた。

彼女は下を向いたままスタスタと爬虫類の方に向かう。血まみれの両手を腰にあて、顔を上げる。にかっと笑う。「やっちゃった。」

「プルルゥ」少し寂し気に爬虫類が声を出した。
「仕方ないよ。彼の中の獣が見えてしまったんだ、多分。」奪うようにその小さな爪切りを摑み、自分の首にかけた。
「プルルゥ」それでも爬虫類は少し怒っていた。「何怒ってんだよ。私は毎度こうやって発散してしていくしかないんだろう?教えてくれたのは君じゃないか。こうやって自分の病と付き合っていくしかないと。それに、彼が死んだのは君が遅れたのが原因で、君に怒る権利はない。」
また、彼女はにかっと笑った。しかし今度は少し苦しそうに笑ったように見えた。
すっ、と視線を外し、血まみれの手をズボンで拭き、槍を拾い、無造作に有袋類の動物の子供の首に突き立て、しっぽを持ち、ぷらぷらさせて血抜きをした。暴れているのを眺めている。その眼には悲しさがあふれていた。何度彼女は「獣」を殺しただろうか。旅人を殺しただろうか。殺さずにはいられないのだ。根源的には皆そうなのに、と、彼女は歯止めがきかない人間だった。我慢は禁物だった。本当に、歯止めがきかなくなれば全部を殺してしまうのだ。自分を殺してしまうのだ。彼が不安で脂質をため込む病なら、彼女は不安を外に開け放つ病と言えるのかもしれない。
病が不安を呼び、不安が病を呼んだ。

不安の発散は快楽だった。あの快楽が欲しくて、彼女は不安を欲していた。それが病を増幅させていた。確かに彼女は病を理由に快楽に溺れていた。彼女はドツボにはまっている真っ最中だった。
彼女はもう、快楽のために旅をしていた。

彼女は死んだ人間に特に興味はない、と彼に背を向け、半分食われた親動物の様子を詳しく見ている。

爬虫類は、彼を見ていた。

も、も、も、もと脂質と肉塊の塊から彼が再生した。彼は当たり前のような顔だった。皮肉にも彼の病は、彼の健全に育ち損ねた醜い獣を完膚なきまでに守るのだった。彼の獣は無傷だった。彼は死んでいなかった。彼は自分を失っている時、だいたいが脂質と肉塊なのだ。最初から死んでいるも同然である。だから死ななかった。茶碗が無意味に彼を生かしてくれる。「だから」死ななかった。彼はつるりとした肌の何気ない青年の容姿である。(虚しいなあ)彼は思った。

「プルルゥ」と爬虫類が呟いた。

彼は全裸のままの自分を特に恥ずかしがる素振りも見せず、「エロいなあ。あなたの獣は。生きている。」と呟いた。

砂漠の旅 10



純度100%の殺気で彼女は振り向いた。全裸のつるりとしたがりがりの青年が立っていた。
「君のは汚い獣だ」彼女は言った。
「あ、見えたんだ。まったくもってそのとおりだよ。汚い獣だよ、まったく」彼は言った。

彼女は獣である時彼の心の獣が見えたのだろう。

「バカみたいだ。そんな汚い獣を守るための油の泡か。お前は最初から腐ってるも同然じゃないか」
「これが僕の病だからね。」彼は別に今更言われても特に何も感じなかった。

「あなたは随分美しい病の持ち主だ」
「どうもありがとう」殺気を含んだまま彼女は皮肉るように笑った。

「どうでもいいけどとりあえず服がぼろぼろになってしまった。」
「最初からぼろぼろだろ」


彼女は己の獣を見られたことに不快感を感じていた。彼女は最初から彼を殺すつもりだった。


「獣、確かに殺したつもりだったんだけど。あれか、君の獣、いるくせに存在感なさ過ぎて切り裂き損ねた感じか?」
心底馬鹿にした様子で言った。
「はあ。まあ、とりあえず生きててごめん。」彼は服を着ながら言った。
「これもこれでなかなかかっこいいね。沢山旅をして服がぼろぼろになった人みたいで。」彼は自分の脂質がいつも通りの密度に戻り、いつも通り体の中を循環していくのを感じながら言った。
「今槍で刺してもお前は生きるのか?」
「うーん多分今なら殺せる。さっきは偶然脂質が肥大化して崩壊しかけてた。(まあ茶碗が崩壊をとどめてたけど)その時の僕を君が刺したからこうやって再生しているんだ。たぶん健全な状態だったら普通の人間だとおもう。」

殺気を含んだ彼女の瞳を見て、彼はすっ、と軽く下を向いた。
「もう、なんならこの状況のついでに殺してくれよ。」彼が言った。「辛いんだ。この体。」彼が言った。
彼女は初めてぼんやりしていない、切実な彼を、彼の瞳の中に見た。
「はあ?」反射的に彼女は言った。

「プルルゥ」爬虫類が呟いた。
(本末転倒の嵐だなあ)と爬虫類は思った。

砂漠の旅 6~10

砂漠の旅 6~10

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-06-19

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