私とあの日

あっという間だった

熱烈に駆け抜けた時間がある。

初めは、そう。こんな暑い日だった。
たくさんの群衆の中での、さりげない合図。
気付いた私が、ぼんやり手を振ると、屈託なく手を振り返してくれた。

見つけてくれた。
心地よい興奮で、顔が紅潮した。

そこから、2年もの間、彼の姿を探し続けた。

大学生だった私には、有り余るほどの情熱と時間があった。
渋谷駅から歩いて15分。
授業が終わると私はいつもそこへと駆け出した。

木々が両脇にそびえ立つ道路。
普段は閑散としたその道に、その日はいつも女の子ばかりが集う。
ライブハウスには似つかわしくない、おんなを武器にしたような服。髪型。なんだかすごい迫力だった。

時間になると、みんな整然と列をなし、入場をいまかいまかと待ち構える。

でも、一番すごいのは地下の箱に入ってから。
お目当の「彼」が少しでも見やすいように、猛ダッシュするのだ。ツワモノは、「友達」と協力して、場所を確保してもらっている。
私は、いつも大体真ん中へんを目指した。
背が高い。それをこれほどまでに有り難く思ったことはない。どこにいても、「彼」を視界に捉えることが出来た。

パフォーマンスが魅力的だったのか。

そう聞かれても私はすぐに首を縦に振ることが出来ない。

では、いったい何がそこまで女の子たちを熱狂させたのだろう。

数ヶ月に一回、大好きな彼を至近距離で応援できる。それ以外に、明確な答えを今でも出すことが出来ないのだ。

それでも、私は幸せだった。

一回だけ、彼と握手する機会があった。
思い過ごしかもしれないけど、私が他の4人ではなく、「彼」のことが好きだったことが伝わっていたような。そんな気がした。
壁に背をもたれかけていた彼は、すっと体を近づけて、手を握ってくれた。
かさかさしていた。でも、あったかかった。
あ、ホントに普通の人間なんだな。
ずっと、覚えていたいな。

その日から10年たつけど、私は今でも彼以外の芸能人と握手はしていない。

彼は、その1年半後、いなくなった。

予兆はあった。

彼の居場所は、いつの間にか他の人に奪われることが多くなり、徐々に笑顔が消えていった。
何かを考え込むような、そんな顔。
いなくならないで。。。。いなくならないよね?

願いが届かなかったと知ったのは、8月の星が綺麗な日だった。

彼が、そこから去ることを決断したのを知った。

悲しい。という言葉はあまりにも軽い。
真っ暗な空の中に浮かぶ光だけが皮肉なほど美しく、手で顔を覆った。

これが、私の想い出。

私とあの日

私とあの日

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-15

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