睡魔

睡魔濃度4対6

 喉の底が乾いた。その所為で僕は寝床から立ち上がり水を求めて階段を降りた。時計の針がコチコチと鳴り、暗雲とした黒い景色と湿っぽい空気が肌に伝わる。壁を触り電気のスイッチを探すが中々、左指にその感触を見つけることが出来ない。頬が湿っぽくなっては水滴がポタリと落ちる。身体が水分を欲しているのに自ら、その水分を放つとは阿保らしいと僕は思って手の甲で頬を拭った。
 ジリリリリリ!
 電話のベルが激しく僕を呼んだ。静粛で支配されていた其処は一瞬のうちに破壊され透明な雷が僕の心臓を突いた。要するに驚いたのだ。それで、この年にしては幼い泣き声が口から飛び出す。追い打ちをかける様に電話のベルは僕の鼓膜に敵意を向けてコレでもか! と叫び周囲がグラついて見えた。僕は音の方へとヨタヨタと歩き見えない物体に時たま衝突を繰り返しながら受話器の口を押える気持ちで掴み取った。
「もしもし!」
 この時刻だ。少し恐怖感もあり震える声を押し殺して小さく、だが力強い声で言った。
「喉が渇いてますか?」
 受話器の向こうから陶器を指で軽く弾いた声が答えた。そして、その言葉の内容が簡潔にも僕をドキリとさせた。それで間を置いてしまう。何故、この受話器の向こうに居る奴は僕が喉を乾いている事、そして寝床から起きて水を求めている現状気を知っているのかと。僕は恐ろしくなり、耳に付けている受話器をガシャリと戻したくなった。だが、どうも電話の相手の声の調子が恐ろしさを感じなかった。子供の様な無邪気的な要素がある。それで受話器を戻さず、この電話の相手の思惑とか正体とかを知りたいと考え僕は眉間にシワを寄せて「間違い電話ですか? それとも悪戯電話の類ですかね? 夜遅くから他人の家に電話を寄こすなんて悪ふざけにも限度がありますよ? 確かに僕は喉が渇いています。多分、僕の身体中にある液体の一部が皮膚の毛穴から蒸発して消えかかっているんです。おそらくですが四時間前ほどに飲んだウオッカの影響です。僕の周囲にポワポワとした泡が泡立つのは絶対に水分の欠如の証明でしょう。生命の水と言いますが、僕の身体から水を奪ってはシャボン玉として浮き上がって消えるのです」
 予想していたよりもベラベラと喋ってしまい言った後に後悔した。
「おやおや、流暢に話すのですね」と言って「先ほどは、どうもお世話になりました。結構アルコールを体内に摂取していた割には口数が多い。まだまだいける口ですか?」
 電話の向こうの相手はそう言ってクスクスと笑った。
「お世話になった? つまり数時間前に一緒の席に居た誰かと言う事になる。ふむ、全く持って見当がつかない」
 僕はホッとした。気味の悪い相手ではなく、どうやら二次会の席に居た誰からしい。
「それで君は誰なんだ? さっさと要件を言ってほしい。僕は眠たいんだ。それに喉が渇いている。分かった。忘れ物か? 僕か君がお店の何処かで傘とか、カギに付いている縫いぐるみを落としたとか、そう言う事だろ? この時間に電話を入れてくるんだ。きっと君に取っては重大なものなんだろ?」
「重大」受話器の向こうの相手は簡潔に言った。また再び「重大」と言った。そうして受話器の向こうの相手は口呼吸を三度した後に「確かに重大なのかもしれません。私自身に取ってこの事柄は重大だと思っています。例えばアイスキャンディーがアイスキャンディーと意味を得るには冷凍庫の中で形を保ったままである事が必要なように。また透明な小瓶の中に古典的な地図がショッピングモールの休憩室にではなく白い浜辺と白いヨットがある場所で拾う事にロマンがあるように、重大な意味があるのです。貴方が今日、式場でワイングラスに注いで貰った赤ブドウ酒を四回に分けて飲み干した事を比較するなら、特段重大かと尋ねられれば、私は難しいと答えます。何故ならその行為に着目する点は一つもないからです。ただ貴方の口を喜ばせただけと言えますから」
 受話器の向こうの相手はダラダラと言葉を続けた最後の文句の後にフーフーと息を吐いた。
「意味が分からん」
「分からなくても良いんです。感じて下さい」と僕の反応にすぐさま反応を示した。
 しかし、どうも怖くなる。この受話器の向こうの相手はどうして僕がワイングラスの口数を記憶しているのだ?
「僕が君に理解を示すとすれば、君は僕の仕草や状態を記憶しているらしい。僕自身が客観的に考えても僕はそれほど着目を置かれる立場でもなければ、容姿が優れている分けでもないし、コメディを放つ面白さもない。だから君が僕の事を記憶しているのは不思議に感じるが、まぁ、たまたま目に入った。と考えるのが僕の中では一般的だ。それを置いといて僕に夜遅くに電話をかけたのは理由があるんだろ? 重大か重大ではないかは、今は一つ深く考えずに答えて欲しい。そろそろ僕の瞼は限界で眠いんだ」
 口の粘膜は水分を失い、狡猾な舌が液体を探して動いた。
「客観的ですか? それは完全に自分の姿を三歩ほど下がって窺っていると言うのですね? それは非常に難しい話です。スイカだって叩いてみないと中身がすっからかんなのか、身がしまっているのか分かりませんよ。それで私は叩いたのです。なにも叩くと言ってもオープンスタンスで構えてバットをフルスイングをしたと言ってはいません。見続けたのです。それは、それは、それなりの時間と労力を使いました。それで貴方の悪い癖として狡猾な舌です。酷い冗談を四日に一回は言います。最近言ったのは二日前です。首に水筒をかけて鼻水を垂らした小学生に向かってバナナは凍らせた方が美味いとか、女の子はお花を上げると喜ぶとか、風船は気球よりも高く空を飛ぶとかです。そんな事を小さな子供言って恥ずかしくないんですか? 見ているこっちの方が恥ずかしくなります」
「何故それを知っている」
「知らなくても良いんです。深く考えないで下さい」
 流石に気分が悪くなってきた。それとは裏腹に受話器の向こうの相手は調子が付いてきたらしく「ふん、ふん」と鼻歌を鳴らす。
「しかし、私は結構長く貴方の事を見ていたのですよ。この様にして話すことも幾分前から考えたのですが……。あぁ、直接です。貴方に連絡をすると言う事で」
「時間を、時間帯を考えろ」
「ごめんなさい」
 と、受話器の向こうの相手は申し訳ある滑舌で答えた。
「わかった。重大的かそうかはもうどうでもいいから、取りあえず僕に電話を寄こしたなりの何かがあるんだろ?」
「はい、今日、貴方の忘れ物を拾ったんです。それで今すぐ持ってきたいんです。申し訳ないとはおもっているんですよ……」
「分かったから、分かったから僕の家に届けてくれ」と僕は言い受話器をガチャリと置いた。
 そうして僕は息を吐いて受話器から四メートルほどに設置されているスイッチを押して照明を着けた。照明はパチパチと音を立てて付いて黄色くて眩しい光を放った。その後、冷蔵庫を開けて軟水がたっぷりと入っている冷えたペットボトルを取り出して直接口に付けてがぶがぶ飲んだ。冷たさと潤いが喉を通過して胃に注がれた。そこでまた僕はため息を吐いて祝福を表す表情で椅子にドカッと座った。時計の針は二時半をさしていた。電話の相手が僕の忘れ物を持ってくると言っていたので、そのまま待つ事にした。
 ふと、僕は思った。今日の結婚式場と二次会の同僚たちは僕のプライベートの携帯電話を教えているけども、アパートにあるこの壁にかけられた固定電話の番号は一切教えていない。じゃあ一体だれが? と考え、僕は自分の携帯電話を探した。寝床に戻り枕の下や畳の上、居間の机や鞄の中。しかし何処を探してもない。僕は苛立ち、頭をワシワシと掻くと思いついた。固定電話から僕の携帯電話にかけてみようと考えたのである。そこで僕はすぐに行動を起こして番号を押した。コールが鳴った瞬間である。
 プルルルル。
 僕の聞きなれた携帯電話の着信の音が鳴った。意外にも、その音は玄関からであった。僕は玄関に携帯電話を落としたと思って近づいて探す。だがどうもおかしい事に気づく。玄関の扉の向こうから音が鳴っているのである。と、その時にである。
 ピンポーン。
 玄関からチャイムの音が流れた。
 僕は息をのんだ。そしてドアノブに鍵がかかっている事を確認した後にドアにあるレンズを覗いてそのチャイムを押した人物を見た。同僚である事を願いながら。
 髪の毛が濡れた何者かが僕の携帯電話に耳を当てて俯いている。男か女かが分からない。続けて見ていると口元が微かに動いている。何かを呟いているようだ。僕は阿保であるから好奇心が募ってこの正体不明の人物が何を言っているか気になり、固定電話がかけてある壁に瞬時に舞い戻って受話器に耳を当ててその声を聴いてみた。
 けれども風がザァーザァーと喋る声しか聞こえない。僕は何だか苛立ってきた。どうして僕がこんな状況に遭遇しないといけないんだ? ふざけるな! 僕は受話器に向かって「誰だか知らんが悪ふざけは辞めて欲しいね! 携帯はポストにでも入れてくれよ! この阿呆が!」と叫んだ。
すると玄関のドアノブが『ガチャ! ガチャ!』と手の様に動いて回り、天井にある照明がパッと消えた。

睡魔

睡魔

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-06-04

Copyrighted
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