夜明けが一番哀しい 新宿物語

夜明けが一番哀しい 新宿物語

 わたしは今の新宿を知らない。かつて、その街で生きていた人間ではあるが、遠い昔にそこを離れたまま、今では自分の人生への希望の喪失と共に、その街への興味もなくしてしまっている。ただ、なにかの折りにふと眼にする、現在の新宿の街の映像や、誰かが口にする "新宿" という言葉を耳にすると、鮮やかに甦るいくつかの思い出がある。そして、その思い出の中に浮かび上がる彼等や彼女等は今、どこでどうしているのだろう、と考える。彼等は無事、この苦難の多い人生を生き抜く事が出来たのだろうか? 彼等が新宿の夜の街の吹き溜まりに吹き寄せられたゴミのような存在であっただけに、ひとしお、その消息が思い遣られる・・・・・・。



 "ディスコ 新宿うえだ" は都内に散在する様々なディスコテックから見れば、いかにも小さな店だった。新宿 歌舞伎町に建つ五階建てビルの地下にあって、それ程、豪華な設備が整っている訳でもなかった。それでも多くの若者達を引き付けていたのは、地の利を活かした便利さと気安さのせいに違いなかった。
 マスターの上田さんは、四十歳前後の無口な人だった。噂によれば、かつて暴走族のリーダーとして鳴らした人で、交番襲撃や高速道路の料金所突破などを指揮して、なんどか刑務所の門をくぐったという事だった。
 むろん、無口な上田さんは、みずからそんな事を口にしたことはなく、現在の上田さんにそんな面影を見る事もまた、出来なかった。
 それでも上田さんの表情にはどこかに、少し翳りを帯びたように見えるところがあって、それが、そこに屯する若者達に奇妙な親近感のようなものを与えていた。
 彼等六人は偶然、この店で出会った、世間の常識から言えば、いわゆる "おちこぼれ" と言えるのかも知れない若者達だった。土曜日の夜になると、何処からともなく "ディスコ 新宿うえだ" にやって来た。
 決して目立つ存在ではなく、彼等に言わせれば "お堅い連中" が、喧しいだけのディスコサウンドに乗ってわんさか踊っている間中は、いつも隅の方で小さくなっていた。店内に繰り広げられる、少なくとも上辺だけは華やかな饗宴にも、彼等はなんの関心も示さなかった。たまたま、親からはぐれた仔犬が雨宿りの軒先を見付でもしたかのように、ただ、店内の片隅で居心地の良い自分達の巣を温めているように見えた。ピンキー、トン子、安子にノッポ、そして画伯にフー子・・・・・。お互いの名前も知らないままに彼等は、いつからか、そう呼び合うようになっていた。---
 午前零時にディスコ音楽が鳴り止んだ。点滅するレーザー光の照明が消えて、明るい蛍光灯が点されると、お堅い連中が帰って行った。あとにはいつもと変わらず、荒れた海辺に打ち上げられた木ぼっくいのように、散らかり放題のテーブル席のあちこちに取り残された彼等の姿があった。
 言い出しっぺは例によってトン子だった。
「ねえねえ、横浜へ行ってみない? 横浜の港へ外国航路の船を見に行こうよ」   (つづく 一週間に一度ほどの割合で掲載します)

夜明けが一番哀しい 新宿物語

夜明けが一番哀しい 新宿物語

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-05-28

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